昨年の七五三以来の息子夫婦+孫2人との食事会。今回も日にちと場所はあちら任せ。企画から数日後、横浜そごう内のイタリアンに決まったようだった。
子供は少し見ないと成長具合が分かるとはよく言ったモンで、久しぶりの5才の長男と2才の次男の兄弟はそれなりに大きくなっていて、尚且つそれぞれの嗜好も性格も好対照だった。
さすがに来年小学生になる長男は聞き分けも良くなり、食事中も奇声など上げることなく大人しく食べていた。
しかし、食後に寄ったおもちゃ売り場では、思わず多様性を試されるかのような女の子趣味があらわになった。何と何と、ロボットや自動車なんかよりプリキュアやディズニープリンセスがお気に入りと来たモンだ‼️
ここで「男の子らしく」などと思っても言ってもならないのが今風。結局ポケモンのおままごとセットのようなセットに落ち着いたが。
一方の次男はママよりもパパが好きで、終始息子にくっついていた。おもちゃも恐竜や電車が好きで、こちらは安定の「男の子らしい」嗜好で一安心(^^)
ただし食べ物は頑固な野菜嫌いで、まあそれは私の父から始まり私、息子と伝わったDNAの為せるワザだからしょうがない。どうせいずれ食べるようになるだろうと。
訊けば、長男が使うランドセルは近頃は入学一年前から予約しておくのが普通だそうでビックリ‼️
てっきりデパートでも行ってこれがいいとその場で買ってくるモンだと思っていた。少なくとも息子の時代まではそうだったはずである。それだけ子供が少なくなって製作側も余剰生産をし難い現状になったという事だろうか。
考えてみれば、孫のためのランドセル代を渡し、食事代を払い、そしておもちゃを買ってやるためには、こちらにそれなりの経済的余裕がなければ大変である。年金世代になっても年金だけではキツいだろうから、余裕を作るためには何らかの仕事を続けなければならない。
どこまで行っても世知辛い世の中だわな。
3月中に桜が咲いて満開になり、連日の雨で散る寸前ともなっている今日、カミさんの誕生日が来たので、彼女チョイスのニューオータニ「ベッラ ヴィスタ」でランチへ出掛けた。
予約時間30分前に到着したのでホテル自慢の日本庭園で桜などを鑑賞。さすがに一部葉っぱが出始めていたけど、遅咲きの八重桜共々しばしのんびりとお花見(^^)
コロナ後に復活して来た外国人観光客は、やはり中国人が多く闊歩していたけど。
さて、入店したら窓際の席へ案内された。窓からはかつてのサントリー本社の跡地と鹿島建設本社ビルが見え、その向こうに私が社会人デビューした会社の本社が入っていたビルがあった。さらにその向こうには豊川稲荷。何だかあの頃にタイムスリップしたような感じだったな。
パスタランチ(+サラダバー、パン、デザート、コーヒー)4900円のメインを江戸前蛤の和風パスタ(+550円)にしてオーダー。
サラダバーは種類も豊富で、お替わりしてお腹も丁度良い塩梅となったところでメインのパスタ登場。
江戸前の蛤が3~4つとドライトマトなども併せた、まさに和風+イタリアン(❓)的なパスタです。鰹節ならぬ鮭節が上にかかっている。これが意外に良い風味に一役買っていた。ポーションは少なめだけど味わい深い、春爛漫という印象。美味し‼️
パンはピザとパンの中間的な感じで、外はピザ生地のようにパリパリ、中はパンのようなフワフワでほんのりピザ生地の香りが口に残る。これは初めての食感だな。
デザートの甘王のジェラートは甘王そのものの味がしっかり味わえてレベル高しでグー‼️
これはお酒を飲まない私にも満足度の高いランチとなった。
さて、ニューオータニといえば、踏み込んだら沼が待っているので、今まではウォッチャーに徹していた「パティスリーSATSUKI」がある。
通常のケーキよりも大きいとはいえ、たった2個でホールケーキが買えそうな3000円オーバー(‼️)の甘王ナポレオンパイ&スーパーチョコレートミルフィーユを買った。
一瞬目眩がしたけど、まぁ誕生日特例ということで(^^;)
最後に六本木のけやき坂を回って桜並木を観ながら帰って来た短い都内ドライブだった。
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これもコロナ後に再開された大学のクラブの在京組4人の集まりが、去年の10月以来明日に開催される。集まりと言っても麻雀と夕食を共にする単純な先輩後輩の集まりである。
一番下の私でも65歳を迎えて年金受給の高齢者となったが、卓を囲めば学生時代のあの頃へひとっ飛びという感覚は今も健在だ。そういうタイムスリップが出来る会というのは同窓会とか会社OB会とかが定番であるが、まだまだコロナの余波のせいか開催の知らせは届かない。
それでも5月には中学時代の担任の先生の卒寿祝いの会、6月には結成20年になるカーオーナーの会でのお泊まり総会が予定されている。
そんなこんなで、少しずつでもコロナ以前の日常に戻りつつはあるのかもしれない。
前社を退社後、セカンドステージとしてOTC薬剤師となって足掛け8年。今の勤務店のスタッフと初めての食事会を昨夜開催した。
ただでさえシフトの関係でスケジュールを合わせにくい職場なのだが、常勤薬剤師のK先生、社員スタッフのF子、パートスタッフのM子とは話(ほとんどは店長の至らなさがメイン)が合い、自然と食事会でもしようという流れになった。今の会社に8年もいてやっとこの機会が得られたのは遅過ぎかもしれないが。
会場はK先生に任せたが、女性スタッフの自宅からの距離を考慮して、いかにも地味だが巣鴨駅近辺の居酒屋になった。集合時間は女性スタッフは2人とも休日だったため、K先生の勤務時間が終わって巣鴨まで移動する時間を想定して、少し遅いが20時前となった。
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居酒屋に着くと、すでにK先生は到着していた。M子は腰痛のため欠席との事。そういえば先週の土曜日もレジに座りながら仕事をしていたから、その時から痛めていたのかもしれない。
しばらくしてF子到着。生ビール(私はノンアル)から宴は始まった。お互いのこれまでの仕事や家庭環境、そして今の店舗の現状などの話が続き、あっという間に2時間近くが経過。
最後に禁断の締めラーメンを食べようと近くの高評価ラーメン店へ移動し、例によってこだわりの能書が書いてある店内で、鶏スープをメインとした900円以上もするのにポーションの少ないラーメンを啜ってお開きと相なった。
こういう会はお互いの理解と親睦を深めるために非常に有用だと改めて実感した。また開催したいと思う。
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漫画家の松本零士氏が13日に亡くなった(85歳)。作品としては「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などが有名だが、私はそれ以前に少年マガジンに連載されていた「男おいどん」をリアルタイムで読んでいたのを思い出す。
「男おいどん」はペーソスを含んだギャグ漫画。上京して一人暮らしの大山昇太が主人公で、彼の4畳半の下宿を舞台として押入れの中の大量の縞パンツ(サルマタ)とそこに自生するサルマタケが印象的で、大きなカラスに似た鳥さんもいたっけ。
昇太の毎日が淡々と過ぎてゆく中で、楽しげな事よりもガッカリさせられる事の方に多く遭遇するが、1日が終わって明日に希望を託しながら眠りに就くという1話完結のような物語だったと記憶している。
その後のヤマトや999などへの作品の展開は「四畳半から宇宙へ」と言われ、どちらも宇宙空間へ続く作者の広大な世界観が讃えられた。 合掌
さらに私とほぼ同い年の笑福亭笑瓶氏も22日に逝ってしまった(66歳)。
年金受給の高齢者となり、病気を抱えつつも取り敢えず健康的に過ごせている自分を見るにつけ、同じ世代の人が重病と闘ったり亡くなってしまうニュースに触れると、何ともいえない悔しさを感じる。 合掌
年末年始TO DOの最後の検査入院をした。膀胱がんでお世話になっているこの病院には何度も入院し、最後の検査入院からも3年経っていた。
外来で定期受診もしているので、もはや施設も病室も勝手知ったる状態で不安もない。案の定、トイレ付き個室は前回と同じ部屋だった。
翌日午後、オペ室に呼ばれ、手際よくバイタル装置などを装填されて行き、手の甲の静脈ラインが出来たところでセットアップ完了。
ここでいつも寝落ちできるか少し心配になるが、心配してるそばから毎回しっかり寝落ちしているから今日も大丈夫だろう。
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気が付くと病室。目覚めもしっかり。バルーンカテーテルもいつもの私の要望で通常より細いものが充填されていた。あとは回復を待つのみ。
ところが…。
術当日から翌日を経過するも、オシッコが溜まっていかない。これはいつもと異なるから、差し詰め出血で尿道が狭窄か閉塞したためだろうと構えていたが、エコーでは膀胱に全く尿が溜まっていない事が判明。
ならば、その上の腎からの尿管にカメラを入れたため、一時的に尿管が浮腫んで尿が膀胱へ降りて行かない、結果的に「水腎症」とも想定されたが、これもなさそう。
となれば、いよいよ最上流の腎そのものが尿生成を停止してしまった事となる。ここで腎臓内科へ正式コンサル。最終的に「薬剤性腎障害」となった。
おいおい、これまでの人生で腎障害を起こした事もないし今まで何度もここで手術を受けて使われる麻酔薬や抗生剤だって問題はなかったのだ。もちろん薬剤アレルギーもない。
いずれにしてもオシッコが出ないというのは由々しき事態だと私にも解る。点滴を継続しても術翌日も出ない。その次の日も出ない。
こうなると腎臓内科の先生は「透析処置」と言う。聞けば、首にカテーテルを刺して静脈血を濾過して動脈に送るという。
ガンダムやキカイダーじゃあるまいし、そんなところに太いカテーテルを刺してどうしろと言うのか‼️ 生涯一と言っていい絶望に苛まれて術後3日目の夜を迎えた。
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そうしたら膀胱炎の出血による血尿ではあるが、いきなり25ccほどオシッコが出たのだった。点滴をしているので1時間も経つと次の尿意が来るが、次は50cc、100cc、150ccと増えて来たではないか‼️ ついに尿生成が再開されたのだった。
翌朝、その話を主治医回診の時に話したら主治医T先生の喜ぶまいことか‼️ あの冷静で営業トークの一つも言えないT先生が2度も握手をして来て「良かったァァァ‼️」と叫んで壁を背にして座り込んだ程だった。
だが、3日間も尿排泄がストップしていた間のツケは大きく、血清クレアチニン値が3→5→6へと悪化していた。生涯1を超えた事すらない私にはこれもショックだった。
尿量は相変わらず順調なので、術後4日後の今朝の採血による血清クレアチニン値の変化によって透析処置となるかどうかが決まる死刑宣告がなされるのだ。
腎は透析されるとサボるから結局生涯透析が必要になるとか、ならば拒否すれば死を待つしかないとか、ますますネガティブな考えが浮沈する。
この時、人間は絶望的な結果があるかもしれない事態に直面すると、敢えてそう告げられた時の心持ちを先回りして想像し、出来るだけショックを緩和させる方向に持って行こうとするのを知った。
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そして早朝に採血した結果を元に内科の先生が来室。緊張は極限に達した。
「尿量も十分だし、透析はしないで良さそうですね」
この言葉を100年待ってたよ~‼️ 先生ありがとう~‼️
透析回避バンザーイ‼️ いっぺんで景色が明るくなった~‼️
今週末までは点滴はこの量(2L/日)で維持し、週明けから減量していくとの事。概ね1時間毎に来る排尿量測定と飲水も続けるようにと。
喜んで~‼️
それほど透析回避が嬉しかった。
具体的な退院日は明らかではないものの、この調子なら数日もあればやって来ると思う。
薬剤性腎障害も初の体験だが、これも「高齢者」ゆえのリスクだったのかな。安堵