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苦労しました

さて、食道静脈瘤硬化療法(EIS)の効果判定の25日。いつもと同じように予定時間に遅れてスタート。これまたいつも通りに鎮静剤にて即落ち。

目覚めた時は食道部に明らかなシコリというか腫れを感じた。

「検査で良好なら3回目の注入なしで退院へ」

なんて言ってた若手Dr、退院どころか3回目の注入もしっかり(多分1、2回目よりも多量に)入れたに違いない。

おかげでその夜はゲップが出せない、時折吐き気(二日酔いの時のような)はするが何も食べてないから何も出ない。食道部の鈍痛も加わって、ほとんど眠れない夜を過ごすハメになった。熱も出てカロナールと制吐剤も落としてもらった。

明けて昼から摂食開始だが、当然固形物はおろか液体を飲み込む時も鈍痛と引っかかりを感じる。2回目までならこの日で治まって通常食も食べられたものが、今回は治らない。

2日目の朝までメイバランスと買っておいた牛乳などで済ませていたら、昼食にあれだけ嫌がっていたお粥が出た。当然食べずにメイバランス。ただでさえ固形物はまだ無理だっての‼️

ついに栄養士登場。メイバランス、ヨーグルト、プリン、ジョアなどを組み合わせたメニューを考えると言う。最初からそれでいいんだけどね。

で、この食道狭窄は日にち薬で改善するだろうと、取り敢えず月曜日に採血して問題なければ退院となるようだ。

しかし、普段何も思わず当然のように使っていた食道という器官の重要性が骨身に染みて分かった。ゲップの通らない辛さ、嚥下時の鈍痛と引っかかりなど、なってみなきゃ分からなかったな。

にしても出血を起こしたわけでもない予防的治療なのに3週間という時間と摂食の苦労を強いられるとは。これも超早期発見の代償なのかもしれないけどね。


穏やかじゃなかった正月

大晦日はこれといった裏番組もなかったので、普段は観ない紅白をBGVにして過ごした。そしてお決まりのゆく年くる年で年が明け、しばしうたた寝。

明ければカミさんの作ったお雑煮や買っておいたおせち料理とは言えないようなオードブル的なものをつまみながらノンビリと。

おそらく日本全国がこうやって同じように元旦を迎えていた事だろう。

そこを襲った能登半島地震。犠牲者はすでに200人を優に超えている。帰省して正月を迎えた家族も多かったろう。中には一度に10人もの家族を失くした人もいたという。よりによって元日に起きるとは。

つい先程まで私と同じように穏やかな元日を過ごしていたはずなのに。被災者は正に天国から地獄に叩き落とされたに違いない。犠牲者の方々には心からご冥福をお祈りします。

そして次の日は、羽田空港で災害支援の為の海上保安庁機が着陸して来た旅客機と衝突炎上事故が起きてしまい、海保隊員5名が殉職した。何という年明けなのか。

この方達も少なくとも正月までは穏やかに過ごしていた事だろうに。合掌

・・・・・・・

さて、私も穏やかな正月ばかりではない。先月発見された食道静脈瘤硬化療法(EIS)のために10日から入院生活に突入した。

思えば40歳過ぎ辺りから、大なり小なり検査を含めた入院が待っていた。

それまでは病院とは商売以外無縁だったのに、気付けば網膜剥離2回、膀胱がん関係で6回、肝がんで1回、そして今回の食道静脈瘤というありさまである。

とはいえ今までの入院治療は手術や検体のサンプリングなどが終われば体調回復を待って退院した、言わば一本勝負だった。ところが今回のEISは、静脈瘤の大きさなどにより、内視鏡で硬化剤の注入を週1回、最大4回まで行なうという長期決戦である。

1回注入して1週間後に同じ手技で患部を診て、必要なら2回目の注入をする。また1週間経ったら同じ事を行ない、効果判定OKなら注入は行なわず退院に至る。外来通院でも出来そうなのだが、万一破裂が起きないよう術後の管理などが必要で、入院が必要との事だった。

なので1週間のうち、手術日以外は暇なのである。暇以上に私にとって切実なのは病院食の存在。入院するたびにあの大嫌いな病院食をいかに回避するかに悩まされる。

消化器系に関係ない場合は医師も看護師もそれほどアレコレ言わないので、おにぎりなどを売店で仕入れてくれば良いのだが、消化器系となると途端に食事にもやかましくなる。当たり前だが。

今回もそれが予想されたので、必死に考えた対応策が特に苦手な重湯やおかゆをメイバランスにスイッチするという策だ。入院初日に取り敢えず10個ばかり持ち込んで看護師や医師に交渉し、何とかOKを取り付けた。ただし、通常食の白飯になったらそちらを優先して食べるという交換条件だった。

通常食になったらこれ幸いと売店でおにぎりやサンドイッチを買って来ようと目論んでいたが、さすがに消化器系、そこまで甘くはなかった。白飯はふりかけで凌ぐ事にした。もちろんオカズは適当につまむだけ。入院ダイエットこれにあり❗️

さて、そんなこんなで一昨日に2回目のEISを行なった。1週間後に3回目注入が必要なければ数日後には退院できるだろうが、3回目注入されるとまた1週間延長となる。こればかりは読めない。ま、予防的治療なのだから仕方なかろう。

次回の効果判定は25日。21日の誕生日がとうに過ぎた頃である。



早期発見はいいけれど

定期検診だった火曜日、肝臓がん術後のフォローをお願いしている消化器内科の主治医から胃カメラ検査を勧められ、躊躇する暇もなく半ば強引に今日に決められ、朝イチで呑んで来た。

胃カメラは7年前、人間ドックを受けていた別の病院でピロリ菌除去のための確定診断に必要だからと受けた事がある。以前から胃カメラは苦しい、気持ち悪い、二度と受けたくないなどの感想を経験者の同僚達から聞いていたので、実施日までどよ〜んと落ち込んでいた。

ところが、実際に受けてみるとほとんど苦しさもなく、気持ち悪くもなく、むしろ不味い造影剤を飲んで台の上でのたうち回されるバリウム検査よりよっぽど楽だと実感した位だった。

それは機器の進歩によるものか(その割にはその後も同僚からは辛いという感想が聞かれたが)、いや多分にDrのウデの差ではないかと思っている。それほど抵抗感を感じさせない初胃カメラだった。

だから今日も割と楽な気持ちで臨んだのだが、Drに加えて技師が背中をさすりながら解説したり、カメラが食道の前あたりを通過すればウッとなり、胃に入るまでも長く感じられ、やっと十二指腸に届いたと思ったら、ガスも入れられで腹が張り、トータルの検査時間が初胃カメラの時よりもだいぶ長く感じられた。

何とか耐えたものの、これは辛いと感じる人も多いだろうなと実感。別にDrのウデが悪いとは思わなかったが、その時のコンディションにもよるのかなと納得。でも出来るならやりたくないという気持ちにはなった。

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さて、その後の主治医の診察で結果がフィードバックされると、何と何と食道静脈瘤が数本映っているではないか‼️

主治医からは、赤変が見られないから緊急性はないけど治療はした方が良いと。それには内視鏡的食道静脈瘤硬化療法(EIS)で間隔を開けて月に4回硬化剤の注射を行うため、1ヶ月の入院が必要との事だった。

また入院❓ 年初の膀胱検査入院に続いて2度目だぞ❓ 今回は多分年明け以降になるだろうけど、いい加減凹むわ。この病院だけでも通算何回目の入院になるか。全く太い常連客だわな。

でも考えてみれば、膀胱がんも肝臓がんも、定期検診での検査があったからこそ早期発見が叶ったのは事実である。特に肝臓がんは全く無自覚だったので、放置すれば進展し、見つかった時にはStageⅣなんて事にもなっていたかもしれない。早期に治療を受けたから予後も順調だと言えるだろう。

その肝臓がんや肝硬変に好発するのが食道静脈瘤である。それがまんまと発生していたのだが、今回も早期発見だった。これまでやはり全くの無症状だったから、気がついた時には破裂して大出血に至っていたかもしれない。よく冗談で言っている「血を吐いて死ぬ」そのものである。

その点からすれば、主治医による無理やり胃カメラはやった甲斐があった。その主治医は続いて大腸内視鏡検査も勧めて来たが、さすがにEIS入院を告げられてメンタル的に凹んでいる私は静かに拒否した。

また乗り越えるべき壁が現れた。




今年は?今年も?

2023年が特別な年とは思わないが…。
 
今年(も)有名人の訃報が相次いだ。特に大物ミュージシャンが多かったようにも思う。

1月11日には1980年代にテクノブームを巻き起こしたYMOの高橋幸宏氏が脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎で70歳で亡くなった。

その約3カ月後の3月28日には、同じくYMOの坂本龍一氏が71歳で死去。死因は明らかにされなかったが、2020年に直腸がんから肺などに転移し、ステージ4と公表していた。

福島原発事故後に、自身の音楽ではふんだんに電気を使うくせに「たかが電気…」と宣った事に私は強い違和感を覚えた。

そのYMOと長年親交があった「シーナ&ロケッツ」の鮎川誠氏も1月29日に74歳で他界した。

7月7日には、日本のロック黎明期から活躍した「頭脳警察」のPANTA氏が、肺がんによる呼吸不全と心不全のため73歳で死去。

そして何よりショックだったのが、10月8日にアリスの谷村新司氏が74歳で亡くなった事だった。急性腸炎と診断され、手術を受け療養していた。私の青春の思い出のアーティストの一人だった。

さらに10月18日は「ダンシング・オールナイト」で知られる「もんた&ブラザーズ」のもんたよしのり氏が大動脈解離で72歳で死去。若かりし頃の私のカラオケのレパートリーでもあった。

翌19日にはビジュアル系バンドの草分けのロックバンドBUCK―TICKの櫻井敦司氏がライブ中に体調不良を訴え、救急搬送された病院で息を引き取った。57歳だった。

11月9日には「シルエット・ロマンス」「たそがれマイ・ラブ」が大ヒットした大橋純子氏も73歳で亡くなった。食道がんで闘病中だった。

そして11月11日。「愛は勝つ」が大ヒットした歌手のKAN氏が死去した。61歳。今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していた。

24日は伊集院静氏が肝内胆管がんで死去。73歳。女優の川島なお美氏、柔道五輪金メダリストの斉藤仁氏、ラグビー元日本代表の平尾誠二氏も肝内胆管がんで亡くなっている。

伊集院静氏はそのギザなペンネームだけでなく、夏目雅子や篠ひろこなどの美女にも手を出して娶った事もあり、あまり良い印象を持っていなかったけど。

・・・・・・・

こうしてみると、この訃報の数々は大物アーティストの年廻りによる偶然とも思えるが、70歳というのが一つの節目あるいは壁のようにも感じられた。

私自身も5年も経てば70歳の壁を越える年代である。根拠は無いが、昔から漠然と「オレの寿命は68歳」というイメージを持って来て、実際に近づくたびに徐々に身体は壊れつつあるものの、もちろん先の事は分からない。

気が付けば今年も残り1ヶ月少々。生きている限り、粛々と生き続けるのみである。



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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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