理由くらい言ったらどうよ?

4年半ぶりに長崎の地へ出張した。前回の出張は、担当製品の新発売を半年後に控えていた頃、専任営業部隊の研修と学会聴講を兼ねて、大胆にもここ長崎に全員集合したのだった。

その時からこの長崎という地は私のお気に入りとなった。豊饒の海である大村湾や五島列島などに恵まれた歴史ある美しい港町。これで坂道さえなかったら、いつか移住してもいいと本気で思った。今日は快晴のフライトだったので、日本地図通りの本州から九州の地形、そして有明海や大村湾も望めた。

明日はここの大学病院で担当製品の新規採用のためのヒアリング。プレゼン後に質疑応答を受け、合格なら採用申請の許可が降りるというもので、特にここは細かい部分にうるさく、担当は本社スタッフ指定という施設である。私が行く事で力になれるのだったら喜んで馳せ参じるつもりだが、実はここに至るまでには、ちょっと困った事が起こっていたのである。

・・・・・・・

愚痴かもしれないけど聞いて欲しい。

事の起こりは、ちょうど日本でトップの最高学府の病院からも同様な依頼があり、そちらをより詳しい開発スタッフが受けてくれるかどうかという時だった。そちらが片付けば私はOKという事で、直ちにウチの部署の窓口をやってるNさんへメールで返事を返した。で、すべて解決したのが9日前の事だった。

だが、一向に申請者である現場の担当者への正式回答メールが出ないので、どうしたものかと思っていた。まさかNさん忘れている? いや50代後半とはいえ、Nさんに限ってそれはないだろ。このままさらに日数を重ねるのは、回答を待つ現場の担当者も困るだろうと、実施日まで1週間を切った朝、私はNさんに言った。

「朝のうちなら担当者も営業所にいて、細部を詰める打ち合わせもできるから、回答メールを出してよ」

Nさんの言葉は意外だった。

「…先に打ち合わせやったらいいじゃん」

「いや、これは組織間の依頼事項だから、まずは窓口から正式通知を出すのが筋でしょ」
「…先にやっていいよ」
「そうはいかないでしょ。メールなんて5分もかからず出せるんだから早く出してくださいな」

これが朝の9時半。だがNさんは、いつものように隣りの女性部員達とレクチャーとも世間話ともつかない話を始める始末。10時半に近づいた頃、再び私は言った。

「早く出してくれないと、担当者が営業所を出ちゃうから」
「…ハイ」

その後、私は会議に呼ばれて中座。帰って来た時は、もはや担当者も病院へ入って電話に出られない時刻となっていた。しかたなく昼食へ行き、戻ったところでNさんが外に昼食へ出て行くのと入れ違った。彼と再度顔を合わせたのはもう3時近く。もしかして回答メールは出したものの、私にccを入れるのを忘れたのかとも思った。でもそうだったにせよ、一声あってもいい。たまらず私は、

「Nさん、メール出しました?」
「…出してない」

その瞬間、私の脳内で「ブチッ!」という音が鳴った。でもまだ何とか抑えつつ、

「Nさんよ、この上オレがどうお願いしたらメールを出してくれるっての?」

ただならぬ気配を感じたか、Nさん慌てて、

「…ハイハイ、…今出します」
「今日も何度も言ったのに、どうして今の今まで出さないの?」

だが、こちらに顔を向けようともせずモニターを見つめるだけで、

「…ハイハイ、スンマセン、出しますよ」
「そうじゃなくて、理由を言ってよ!」
「…ハイハイ、今出します、出します」

もうダメだった。ついに私はこのセリフを言わずにいられなかった。

「おいアンタ、だったらこれはイヤガラセかい? よ~し、それなら分かったわ!」

断わっておくが、Nさんは私より4つ5つ年上で、部署での机も隣り同士。たまに業務上の意見がぶつかる事はあっても、都合が合えば飲みにも行く間柄だ。Nさんは人が良いと言う社員もたくさんいる。

ならばなぜ? 

相手が理由を言わないのでどうにもならない。再発を繰り返している痛風発作のせいか? それとも自身でよく口にする男性更年期障害のせいか?

彼のもとへ申請メールが届くと我々には回答を至急で求めるクセに、こちらからの要望にはこんな意味不明の対応をする。この顛末を上司を含め何人かに投げかけても、誰もその理由の見当もつかない。さらに他のメンバーに訊いてみると、Nさんから私と同じ扱いを受けた事もあるという話も聞こえて来た。ホント、ワケ分からんよ。

とにかくその日以来、私はNさんと業務上のコンタクトを取るのをヤメにした。お互いこんな調子では円滑な業務遂行は望めないし、逆に重大な支障を来たしかねないからである。

こうして私は、Nさんは業務上存在しないものと思うようにしたのである。






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Chaie<チャイ>

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最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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