受験間近に麻雀だと
今週は、今年最後となる専門営業部隊の研修&会議が火~水曜、翌日の木曜はメンバーの中で現場でイマイチ・パフォーマー4名ほどに居残り補講を実施、さらに本日は競合会社から中途入社した1名と、研修と言うより両社のこれまでの活動について情報交換をしたり、質疑応答を交わすセッションを行なった。ともあれ、これで来週火曜に予定されている基礎研修パート3の講義で今年の研修はすべて終わらせる算段だ。
結局今年も毎月のように様々な研修やそれに伴う出張ばかりの一年だった。慌ただしかったものの、それはそれで単純なデスクワークばかりよりもよっぽど良かったけど。
・・・・・・・
昨日、休みだったカミさんのもとへ息子の高校の寮から電話が入ったと言う。
なんでも、受験を控えたこの時期に5、6人が固まって部屋で麻雀をやっていたそうな。金を賭けていたわけではなかったらしいが、ご丁寧にメンバーの誰かがわざわざ麻雀パイまで買って来ていたらしい。雀卓まで完備していたかどうかまでは知らない。こういう事件が起きた時、例によって主犯格にならない(なれない?)我が息子、今回も単なる参加メンバーの一人止まりのポジションだったようだ。
それにしても後2ヶ月に迫った大学受験だが、志望校合格に決して有利な成績ではなく、本人も「ボクに必要なのは努力だけです」とのたまっていたクセに、この体たらくは何だ! という憤りは感じたにせよ、一方でイマイチ解せないのは学校側の解釈と対応である。
戦後の混沌期の阿佐田哲也「麻雀放浪記」のバイニンやヤクザの定番ギャンブルなどという、麻雀に付いて回っていたネガティブ・イメージなどに全くと言っていいほど影響されているはずのない世代の息子達に、なぜ麻雀が(各家庭に電話報告が行くほど)いけないのかという説明が十分なされているのかどうか。
昔、上の息子が修学旅行で友達と花札をやって先生に見つかった時、いみじくも「トランプは良くて花札がいけない理由が解らん」と言っていた。今回も、学校側はトランプは良くて麻雀がいけない理由をきちんと説明すべきである。ただし、「今の時代の麻雀」がいけない理由を、だ。
その上で、本当にいけないと肝に銘じさせたいと言うのなら、息子が帰ってきたら私が相手になって小遣いを巻き上げて締めてやっても構わんが、しょせん息子らにとって麻雀は、(若干大人のニオイのする)テーブルゲームの一種という感覚でしかなかったんじゃないかと思う。
ちなみに私が初めて麻雀を見たのは母方の祖父の家で、手を染めたのは中学生の時だった。動機はもちろん好奇心である。阿佐田哲也氏も健在だった。
・・・・・・・
そんな息子も6年間に及んだ中高の寮生活を終えて、来年2月に卒業式を迎える(予定だ)。一族揃って函館に行ったのは6年前の中学の入学式の時で、それ以来、少なくともカミさん以外は函館へ行く事がなかった。なので、来たるべき卒業式は、早々と日程を押さえて6年ぶりに行ってみるつもりでいる。湯の川温泉と魚介料理に思いを馳せて・・・。
- 関連記事
-
- おめでとう&おめでとう! (2011/07/18)
- 卒業はしたけれど (2011/02/01)
- 受験間近に麻雀だと (2010/12/10)
- 恒例 一族食事会 (2009/05/03)
- リトル・サプライズ (2007/12/30)