「軽さ」の流転
「海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど抑止力を維持している事が分かった」
「公約とは選挙での民主党の考え方だ。最低でも県外は党としてではなく、私自身の党代表としての発言だ」
「できる限り環境に配慮していく。海を汚さない形での決着を模索する事が重要だ」
「厳しかったけど、来て良かった」
これが一昨日、普天間移設問題で揺れる渦中の沖縄へ訪問した一国の首相の発言である。これを言うために、このタイミングで沖縄を訪問し、仲井真知事や稲嶺名護市長、市民らと会談の時間を持ったのか? あまりのトンデモ発言の数々は、俄かには信じられないほどだった。
党首討論以来、何度も繰り返し言って来た「腹案」とやらはどうなった? あるのなら最大の当事者である沖縄の地でこそ明らかにすべきじゃないのか? それとも報道にあるように辺野古の杭打ち滑走路と徳之島複合案こそがそれだとでも言いたいのか?
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「国外、最低でも県外」を信じて民主党政権に託したはずが、今になってやっぱり沖縄に負担をお願いしたいと言われて共感できる人がいるだろうか?
「海兵隊も抑止力だと学んだ」と言われて、さすが首相、勉強熱心な人だと感心する人がいるだろうか?
「公約じゃない。私個人の発言だ」。確かに民主党の公約には基地を見直すとの文言はあっても県外との記載はない。だから公約違反にはならないと納得する人がいるだろうか?
「海を汚さない案が重要」と言われて、それは明らかな論理のすり替えじゃないかと憤らない人がいるだろうか?
「来て良かった」と言われて、またいらっしゃいと笑える人がいるだろうか?
「共感できる人」も「感心する人」も「納得する人」も「憤らない人」も「笑える人」も、その誰すらもいないのに、それを求めて彼は言ったのだ。一個人ではない、一国のリーダーが、である。こんなセリフ、ズブの素人だってなかなか言えやしない。
「駟(し)も舌に及ばず」という古い諺がある。高速の乗り物であった四頭立ての馬車でも口(舌)から発せられた言葉の速さにはかなわないという意味だ。めったな事は言うべきでなく、言う時は慎重に言葉を選べという戒めである。言った言葉が行き当たりばったりで軽いものだとしたら、言葉を重ねる毎に誤解を生みながらあらぬ方向へダッチロールして行くに違いない。
彼は今までの人生で、自力で一から十まで交渉事や問題解決をした経験を殆ど有さない人だったのだとつくづく感じた。だからつじつまが合わなかろうが、実現性が薄かろうが、結果的に相手を逆なでしようが、「思った事を口にする良い人」という対人スキルしか持ち合わせていないのである。人柄というだけの理由じゃなかったのだ。
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彼の言葉以上に問題なのは、ここに至るまでの行動が国民に見えて来ない事である。国外と言ったのならアメリカに、県外と言ったのなら沖縄以外の都道府県に彼はこれまで何をして来たのか? これが「軽い」言葉への反発をさらに加速させているのだ。万策尽きたとは到底言い難い。言葉以上に行動が「軽く」見られている。
こうなったら、ワイドショーで民主党の川内某氏が言っていた、これほどの反対が国民の意思だという事を米国側に告げて国外退去を訴えるというウルトラCしかない。実はそれが彼の本当の腹案だったとしたら、沖縄、徳之島の反対運動が最高潮となったこの時期に敢えて訪問し、絶対受け入れられない提案をして大きなリアクションを得るのはリッパな戦略だと言えよう。
これをやり遂げたら、いやアメリカにハッキリと提案した段階で十分だが、きっと国民は喝采し、鳩山由紀夫という男を見直すだろう。そうなれば5月末期限なんて関係ない。民主党政権も長期安定政権となるだろう。
この問題はもはやそうでもしなければ解決どころか前進すらしない。今や彼の言動は、沖縄県民をはじめとする自国民はおろか米国でさえ裏切っているという事に気付くべきである。逆に5月末に結論を出せずにヘタレ辞職などしたら最後、民主党政権は確実に崩壊するだろう。彼はそのどちらを我々に見せるつもりだろうか?
彼の言う、命をかけてという言葉が、今度こそ「軽く」ならぬよう願う次第である。
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