またひとり戦友が

直前までドタバタの続いた研修コンテンツ作成も、今回これが初めての作業となったS君を最後にやっとこさ出来上がった。これで何とか月曜日の研修初日にはひとまず間に合った。

そんな中、昨日は私の担当製品関連の会社主催講演会が催された。そこへは先日営業部員C君と同行した山梨県の病院の院長先生も出席されると聞いていたので、製品の採用お礼も兼ねて出掛けた。講演会も予定時間オーバーになるくらい盛り上がり、その後の懇親会ではC君と共に院長先生と和やかに歓談できた。

この日はそこで終わりになるはずだった。

それぞれの製品には、マーケティング&プロモーションの責任者(Product Manager、PM)がいる。私は研修部門の製品担当だが、PMはまさに会社を代表する製品の顔というべき存在だ。この製品のPMは岸和田生まれのK君である。彼とはこの製品の発売前から、専門営業部隊の研修を皮切りに4年近く付き合ってきた仲だ。製品への熱い思いを温和な性格で包み込んだ当たりの柔らかな、私とは対照的な男である。

その彼が会社を辞めるというのだ。

実は随分前からそんなウワサがあるにはあった。画期的な新製品にもかかわらず、日本の医療界の現状から使用率は伸び悩んでいた。それが社内で事あるごとに指摘を受け、主力のはずの専門営業部隊は何度も再編成された。その一方で、折からの経費削減などもあって彼の意向が反映され難くなり、遂には彼の上司を含め、何人かの同業種中途入社スタッフが次々動員されて来たのだった。

・・・もう自分は必要とされなくなったのかもしれない。

そんな思いを抱き始めた彼が、いよいよそう確信するに至るにさほど時間を要しなかった。表向きは地元の大阪へ帰りたいという事だが、そんな理由は誰も信じない。演者会食が終わって我々の飲み会に合流した彼の本音は、やはり自分の存在への会社に対する不信感が大きかったようだ。

この夜、最後まで残った10人ほどの専門営業部員と関係スタッフは、定番のカラオケボックスで思い思いに送別の歌を歌いまくった。シメのラーメン屋を出た時点ですでに日付変更線はとっくに超え、タクシー相乗りで六本木を後にしたのだった。本社有志による送別会は来月催されるようなので、私もまだまだ感情のすべてを晒すのは控えた。

それにしてもウチのPMは、彼に限らず何人が来ては去っただろうか。その誰もが製品に対する人並み以上の思い入れを抱き、期待に胸膨らませて着任したに違いない。そんなPMたちを翻弄するかのように、事あるごとにあれこれ物申す「船頭」が実に多い。そんな船頭たちによって、プロモーションや研修コンテンツがドタン場になってちゃぶ台返しに遭うのも珍しくない。船頭多くして船山に登る。

そして結果責任を問われるのはPMなのである。

問われた彼らは悩みつつ耐えて頑張るものの、ついにはくたびれ果てて去って行く事になる。ある製品などは1年間にPMが3人も替わったという事例もある。彼らは時に競合他社へと移り、強力な反撃を仕掛けて来る。担当していた製品のウラもオモテも知り尽くしているのがPMなのだから、そんな芸当は造作も無かろう。彼らと親密なユーザーの人脈も豊富だし、何よりウチに対する感情が後押しするだろう。

彼らをそうまでさせるほど追い込んだのはいったい何なのか? 製品も人材も「育てる」のがことごとく苦手な社風が、人材流出も含めてどれほど有形無形のマイナスになっているかを経営陣はもっと真摯に考える必要があると思う。何せ、社員アンケートの中で「この会社を人に薦められるか」という問いへの賛度が最も低いのである。でも、たぶん無理だろうな。ここに「責任を取る」人間がいたためしがない。

次の犠牲者は誰だろうか。





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COMMENT

福岡便の搭乗待ちの時にこのコメントを見ました。まさか当人からとはビックリしました。
ここは一番、岸和田人の一徹なパーソナリティーで今後も頑張ってください。
送別会ではハジケるぞ~!

PMは、king of productと言われることもありますが、この会社では兵隊ですね。これはイヤミでもなんでもなく、また自虐的な気持ちで言っている訳でもありません。兵隊ですらない人も結構いますので。  会社はPMとしての働きを期待して社外から採用するのですから、期待通りの成果を上げなかった場合には切られるのも仕方がありません。元々我々は消耗品です。PMの代わりはいくらでもいます。この辺りは需要と供給のバランスというか、市場原理が働きます。  ところで、成功した時は部長やその上の人たちの成果で、失敗した時はPMの責任、というのはうちだけではなく、よくある話です。ポジションが上になればなるほど自信のミスジャッジや失敗は認めない、あるいは認められないものです。それを認めていたら、ライバルとの生存競争には勝てないですからね。言い換えれば過ちを認めるような愛すべき人間が上に行くのは難しい浮世なのでしょうか。  退職に際して思うことは負け惜しみでも何でもなく、新しい人のフレッシュな考えによって事態は好転することはあると思います。この辺が「引き際」ということかもしれません。  私は自身の転職や、同僚を送る時はいつもこの業界は狭いと言います。会社という枠を超え、国民の健康のために働けるというのは大きな歓びです。そういう考えに立てば、会社は違っても同じ気持ちで頑張れると思います。今の会社で嫌なこともありましたが、楽しいことの方が多く、また多くのいい人と出会えて、本当にこの会社で仕事ができてよかったと思っています。ちょっと青っぽいですが。    ところで、本当に岸和田の人はだんじりが人生の大きなパートを占めていて、だんじりのために仕事を変えるのはまだ序の口で、寄付するために借金する人もいます。本当に理解しがたい地域です。

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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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