軽井沢シンドローム
他の漫画はない独特の特徴として、男女共に骨盤が小さく足が長いイラストデザイン的なペンタッチに加え、8頭身で描かれるシリアスタッチのコマと3頭身で描かれるコミカルタッチなコマとが入り交じる構成、そして登場人物のかなり複雑な関係とそれぞれが抱えている心情を描いていくという、一種独特な「たがみワールド」が炸裂した漫画だったのである。
さらに各PARTは歌の題名から付けられていて、その中の各sceneは登場人物の最後のセリフによって繋がれていくという凝りようだった。だが、当時20代だった私には、自分と同世代の登場人物の心情やストーリー展開があまりにも当時の自分と異なっていたせいか、理解が追いつかず、途中からあまり真剣に読まなくなっていった。ザックリとしたアウトラインはこちらへ。
それから20年経って描かれた続編にあたる「軽井沢シンドロームSPROUT」の存在を知り、懐かしさのあまり全7巻を大人買いしてしまったのが先週の事だった。懐かしいと言っても、前述の通り、途中リタイア読者だったため、読みながらところどころ記憶の穴を埋めていく作業も必要だった。
続編は主人公の息子を新主人公にしてその時代を舞台にしているが、性格や女グセの悪さなどは前作の主人公とほぼ同様。違っているのはオヤジと違って族上がりではなく、現代っぽい高校3年生。それゆえオヤジのような大きな夢を持つ事も追いかける事もなく、大学受験を控えてケンカと女に明け暮れる毎日を送っていたのである。
考えてみれば、今の若者は遠大な夢を描く事も、それを掴み取るためにリスクを省みずチャレンジする事も、昔の世代に比べると許される自由度はかなり狭められてしまったように思う。結局は現実路線にうまく乗っかっていく事、すなわち他人に乗り遅れない人生こそが成功という事なのだ。これでは主人公でなくても閉塞感を覚えざるを得ない。
そうなった時、それを打破させるために息子と真剣にケンカするのも一肌脱いでやるのも決まって旧世代であるオヤジの役目だ。この漫画でもそんな展開によって息子は目覚め、一つ成長する。
同じ漫画を若い主人公と同じ年代で読み、20年以上経って今度は新主人公のオヤジと同じ立場で読める機会なんてめったにない事だろう。それというのもあの当時、数ある漫画の中にあってことさら強烈に印象付けてくれた「たがみワールド」のおかげかもしれない。その点は大いに感謝したい。
・・・が、ひとつだけ残念だった事がある。
続編のシリアスタッチのコマ、特に女性の画のタッチがかなり変わってしまっていたという点だ。前作の見事に艶っぽい女性像は影を潜め、構図的にも狂いを生じているように見えた。明らかに「たがみワールド」の一端が崩壊している。コマ間に書かれた近況報告を見ると、作者の健康状態があまり芳しくない事がうかがわれるが、たぶん相当にアシスタントの手が入っているのではないかと思われる。
ま、それを差っ引いても余りある満足感を得られた事は確かである。よ~し、オヤジ世代もまだまだイケるじゃないか!
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