癒されて190里
いろいろ検討した結果、大学のクラブ旅行以来30年ぶりに訪れる五色沼のある裏磐梯・猪苗代エリアをターゲットにした。ここには大小さまざまなホテルや旅館がひしめいているが、いろいろ見ていくうちに「露天風呂付き客室」のあるペンションに行き着いた。その中のうち、スベスベ系源泉掛け流しがある猪苗代エリア「はやま温泉」の1軒のペンションに目が止まった。うん、宿泊客のクチコミ評判も悪くない。
さて、出発日の日曜朝。週間天気予報では曇りだの雨だのだったが、この日に限ってここ最近で稀に見る快晴となった。我ながら今回もヒキが強い。さらに7月のPOOB夏の総会in那須塩原の時に宇都宮まで4時間以上もかかった渋滞を警戒して8時に家を出たものの、久しぶりに晴れた休日なのに高速もガラガラで、家を出てわずか1時間半後に宇都宮を通過していた。こりゃ、殆どの家族がこの前のシルバーウイークで金もヒマも使い果たしたと見た。これまたヒキが強い。
福島西ICで降り、まずは浄土平を目指して磐梯吾妻スカイラインへ。1570円という信じられん通行料金を支払い、休日もあって落ち葉マークのペースカー数台に先を阻まれ、ほとんど教習所運転で到着。名物の紅葉は、麓ではちょっと色づいた木々があった程度だったが、上へ登るに従って3分、5分と紅葉は深まり、最後にはほぼ7分まで染まっていた。紅葉狩りラッシュ前のまだ空いているこの時季に、ここまで観られれば十分だろう。
410円払って浄土平駐車場に車を停め、気温の割りに結構冷たい風に吹かれながら吾妻小富士火口まで階段状の登山道をエッチラオッチラと登り、直径400mの火口を見渡す。登ってきた階段を降りてレストハウスにて昼食。だがここでもしっかり観光地物価。鴨肉そばとやらが何と840円! しかも鴨肉とは思えないスカスカ肉が3切れほど。これなら会社近くの立ち食いそばの方がよっぽどウマいわ!
スカイラインを終われば次は五色沼を目指して磐梯吾妻レークラインに突入。ここではペースカーも入らず、さあ、いよいよ存分にWRCだと思いきや、助手席から「ウ~、目が回る~、耳がツンツンする~」の声。結局、またも安全運転を強いられる。
ともあれ30年ぶりの五色沼到着。30年前の細かい記憶は殆ど残っていないが、最初の毘沙門沼は相変わらずキレイだった。時間の都合もあって、結局この沼の端っこまで行って戻ってきただけだったが、満足度は高い。さあ、いよいよ露天風呂のペンションだ!
その名は「コージーイン」。Websiteの紹介ページ通り、ヒノキ製の客室露天風呂はサッシが無いため開放感抜群! 松や杉の木立がバックを飾る、バラが植えられている庭に向かって大きく開け放たれていた。熱めの源泉で満たされた湯船に入れば、ザザーッと溢れたお湯が目の前に張り出した濡れ縁を一気に走ってバラの庭に注いで行くではないか! これぞまさに源泉掛け流しの爽快感そのものだ。最近痛くなり出した左肩(四十肩? 五十肩?)も、しばらく浸かっているだけで痛みが消えた。もちろんお肌もスベスベだわ。
どんなに良い温泉でも、部屋から出掛けなくてはならない場合は結構面倒くさいので、一度入ればいいやと思ってしまうのだが、部屋付きの露天風呂ならそれがない。温泉好きだが決して風呂好きとは言えない私でさえ、朝晩3回も入ってしまった。湯船に浸かりながら飲むために買っておいた菊水の冷酒もウマ~い! なんだかヤミツキになりそうな予感。
黒毛和牛のローストをメインに据えた全品手作りのフルコースもグー。セットのスパークリングワインに飽き足らず、ピノ・ノワールも追加したほど。そしてこれまた手作りの大型スピーカーから流れるジャズのBGMの何とも柔らかい音。日曜泊とあって客は我々のみ。オーナー夫妻も気を利かせて最低限の接客だったので、満月に照らされた夜空と共に静かな時間だけがゆっくり流れて行った。
翌日はオーナーから教えてもらった穴場スポットの中瀬沼~曽原湖へ。この日の予報は雨だったはずだが、時折日差しのある曇り。ますますヒキが強い。月曜日とあって探勝路に人影はほとんどない。ただ例外として、曜日に全く左右されないジジババ・ハイキングご一行様はこの日も元気な声を上げていたけど。それ以外はオーナーの言った通り、ちょっと日本とは思えない風景が静かに広がっていた。
最後は磐梯山ゴールドライン経由で会津若松へ。会津と言えば赤べこ、じゃなくて白虎隊だ。白虎隊は有名だが、実は詳しいところを私はあまり知らなかった。で、かの飯盛山にある「白虎隊記念館」(←ちょっとやかましいWebsiteだが、記述が詳しいのでリンクしてみた)へ。
玄武隊(50歳以上)、青龍隊(36~49歳)、朱雀隊(18~35歳)、白虎隊(16~17歳)と年齢層別に分けられていた会津藩の兵隊は、戊辰戦争で薩長の倒幕軍勢(西軍)と闘った。城の西エリアを守る白虎隊は総勢340名、その中で上級武士の子弟で構成されていた「士中二番隊」42名のうち約半数が飯盛山まで逃げ延び、城下で発生していた戦火に包まれた鶴ヶ城を見て、もはや落城したものと思い、君主に殉じて自刃したという。
年端も行かない少年達の勘違いによる集団自決と言ってしまえばそれまでかもしれないが、神風特攻隊といい、ひめゆり部隊といい、いつの世でも戦争は若い世代をも巻き込んで、容赦なく犠牲にする事に変わりはないんだと痛切に再確認させられる史実である。
帰りの東北道は東京に近づくほどに雨足が激しくなり、埼玉以南は完全な雨天となった。それでも18時には帰宅し、久しぶりの750km超(190里)ドライブは無事完了したのだった。「果たして癒されに行ったのか疲れに行ったのか、よくわからない」とはカミさんの弁。何にせよ、とりあえずお疲れ様という事で。
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