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御宿の夜は短かかった

2週間前の「POOB総会in那須塩原」に続く「待ってました夏企画」第二弾は、会社の同僚達による恒例行事である。

いつもは年2回ほどキャンプという名の下に山梨県あたりのバンガローでアウトドアクッキング(と言っても私ゃ食べて飲む係だけど)を満喫しているのだが、たまに料理の美味い民宿に泊まってひたすら宴会というのもいいじゃないかという事で、去年の初島に続いて千葉県の魚どころ「御宿」を選んだ。去年定年退職したYさんや今年の新入社員T君、常連の独身貴族O君や家族丸ごと参加のS一家、T夫婦などもいて、老若男女総勢12名の参加予定。

面白いのは、買出しなどが必要なキャンプの時とは違って集団行動の決まりがない点だ。集合場所は現地の民宿、集合時間は舟盛り夕食の18時までにそれぞれ勝手に来れば良いのである。さっそくグータラK君は「暑いのにわざわざ海なんか入りたくないし、混んでる時間帯もバカらしいから、昼過ぎにゆっくり出て夕食直前にでも着ければいいですわ」と、早くもグータラマスターぶりを発揮していた。

かく言う私も、アクアライン経由房総半島山道ラリーコースで御宿入りの予定。それでも150km足らずの短距離走だ。心配なのは天気だけ。グータラK君は名うての雨男だ。キャンプに行けばザーザー降り、スキーに行けば猛吹雪と、仕事とは比べものにならない強烈なパワーを発揮する。だが、今回はもう一人、名うての晴れ男S君が参加する。雨男対晴れ男の対決やいかに。

この日から800円に値下げされたアクアライン、海ほたるPAの混雑は織り込み済みだったのでスルー。代わりに楽しみにしていた山道も、ルート選択を誤ったのかそれほどタイトではなく、気がつくと早くも一宮町に入っていた。この夜、この海岸で花火大会があるのでコンビニなどでは露店の準備に大わらわな様子だった。16時過ぎ、御宿の人気民宿「浜よし」到着。

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メーンイベントの宴会は18時スタート。案の定、グータラK君はギリギリになって到着。なるほど、だから雨予報にもかかわらず曇り空止まりだったのか。雨男敗れたり! ともあれ、これでやっと20畳以上もある男用のザコ寝部屋に12名全員が打ち揃い、魚介料理の並んだテーブルを囲み、まずはビールでカンパイ! ああ、この瞬間のためだけにこんな所までわざわざ来たのだった。

しかし幹事Hが言ってた「舟盛り」はどこにも見当たらず、あるのは皿盛りだった。宿のオバチャンに訊いてみると「あら、予約の時に舟盛りって言われなかったわよ」 ・・・幹事のチョンボ発覚! 食後は持参した乾物をツマミにしながら焼酎やらワインやらを飲みながら、ここじゃ書けない話のオンパレードの二次会突入。これには希望を抱いて入社したらしい新人のT君も目を白黒させるばかりだった。T君、これが大人の世界の現実というモンだぜ。

春のキャンプの時に買っておいた花札やオヤジギャグかるたなどをやりながら夜は更けていくはずだったが、OYAJI年齢ばかりの集団のため、皆さんどうにも寝付きが早い。何と日付変更線を越えるか超えないかの時間帯にあらかたダウン。特に新人T君は布団を敷く前から隅っこで寝入っている始末。そのまま夜中まで放置プレイされていたのは笑えた。

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一夜明け、寝付きが早かったのが功を奏したか、何と7時前に元気に起床! 朝飯前の海岸散歩にも行って来た。そこにはすでに早朝に到着した連中がサーフボードにまたがって波間に揺られていた。その数、軽く2、30人はいただろうか。だがここは外房と言っても湾状になっている浜で、サーフィン用の波などいくら待っても来やしないのだ。それを知ってか知らずか、所在無げにただ浮かんでるだけの間抜けな姿にも笑えた。

チェックアウト後は、泳ぎたい組と泳ぎたくない組に分かれ、泳ぎたくない我々はS一家の求めに応じて南房総の定番「鴨川シーワールド」にイルカやシャチのショーを観に行った。

芸と共に水しぶきがウリのシャチ・ショーだが、その真髄は別のところにあった。水しぶきと言ったって、どうせたいした事はないだろうとタカをくくっていた前方の連中が、ハンパじゃない量の海水をシャチに掛けられ慌てふためく姿を、絶対に掛からない位置から見下して笑ってやる快感こそがこのショーの真骨頂なのである! ああ、他人の不幸は蜜の味。

泳ぎたい組と15時に道の駅「ふれあいパーク・きみつ」で落ち合い、次回のキャンプでの再会を約して解散となった。

帰路はペースカーに悩まされはしたものの、思ったよりも順調だった。都内に入り、首都高随一の設計ミスとの呼び声も高い「浜崎橋JCT」の渋滞で手間取ったものの、17時過ぎに無事帰宅。さて、明日はとりあえず朝の体調を確認して会社に行こう。当然それが午前からか、はたまた午後になるかは定かでじゃございませんが・・・。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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