温故知新シリーズ 19
かれこれ3年は経っただろうか。転勤や異動を重ねた末、私は久しぶりにこの店の暖簾をくぐった。
ここは埼玉県の大宮、繁華街の喧騒を逃れた場所にある小さな居酒屋である。かつて、私に日本酒に対するカルチャーショックを植えつけ、そして幾多のすばらしい吟醸酒との出会いをもたらしてくれたこの店の出来事から話を始めたい。同時に一年以上もご無沙汰をしてしまったこの「My OPINION and JUDGEMENT」更新の緒としたい。
開店にはまだ少し早い時間だった。駅からの道を入れ替りの激しい店々の景色を楽しみながら、極力ゆっくり歩いてきたつもりだったが、やっぱり早く着き過ぎたか。まあいい、かまわず入っちまおう、知らない仲じゃなし。挨拶の声に応えてくれたマスターの声に導かれるように入った店内は、変わらぬなごやかな雰囲気だ。
靴を脱いで、あがりカウンターの隅に陣取り、まずはビールを注文しながら近況報告。ふと見ると、ボードに貼ってあるツマミの質に変化が。以前は純然たる「酒の肴」が多かったのだが、今では「おかず」や「食事」になりそうな品が増えていた。元々この店のツマミの味は折り紙つきだ。飲みながら食べるタイプの私には、うれしい変化だった。
ビールが半分消えたところでさっそく日本酒へ。ここではあえて銘柄を指定しない。私の飲んできた銘柄や好みは、すでに十分把握されているし、メニューに載せていない意外な美酒との出会いを楽しみたいからである。とはいえ昨今、吟醸酒も焼酎もブームとやらの峠は過ぎたとの事。最近では銘柄を絞り込んで、そのほとんどをメニューとして出しているという。
ならば、以前のようなサプライズは期待できないのか。ここでは、かの「●●寒梅」が単なる「ぬる燗酒」の立場しか与えられていない。それも本命の酒を仕入れるためのセット販売の相手となっているらしい。私が以前憂いていた通りの有様となってしまっていた。
さて、ここからが本題である。3年ぶりに帰った故郷で、私は二人の美女と遭遇する。彼女らは今までに見た事がないタイプの女性だった。そしてその出会いは、驚きと共に心から満たされた一夜となったのは言うまでもなかろう。さっそく彼女らを紹介したい。
「愛宕の松 ひより」 宮城
現段階で少量生産の新開発米「ひより」を使った純米吟醸酒で、ラベルに掛合わせの図(血統書みたいなもの)が印刷されている。見れば亀の尾や山田錦なども祖先に持つ。好評なら県内限定でさらに扱う酒蔵も増やす予定だとか。口に含むとサラッとしてきれいではあるが、取り立てて特徴はないという印象だ。いくら新開発といっても、やはり昨今流行の淡麗路線は外せないのか、と一瞬思った。直後、のどを伝う味覚に驚愕した! 香りとコクが一気に花開き、それはそれは芳醇な広がりを示したのだ。まるでモデルのようにスラッとした、スタイルだけが取り柄だと思った女性が、実は味わい深い魅力を持った大人の美女だったという驚きだ。口からのどの間にこんな変わり身を見せた酒は記憶にない。もしこの美女が醸造技術よりも、この米のせいで生まれたとすれば、「ひより」は近い将来大ヒット間違いなしと言っておく。私はすでに虜になってしまった。
「喜正 大吟醸」 東京
次に出会った美女は、何と地元東京都あきる野市出身である。「きっしょう」と読む。米どころでもない東京の酒は過去にも飲んだが、だからと言ってまずい酒ではなかったという印象だった。でも所詮それ止まりだったのも事実である。いくらマスターのマイブーム銘柄だろうが今回も期待薄、のはずだった。そんな思いで口に含んだ私は、またも驚愕させられる事になる。美貌・スタイル・知性のすべての良さがたちまち開花し、そのどれもが出過ぎる事なく、絶妙のバランスを持った非の打ちどころのない美女が出現したのだ。酒の世界では都会出身に美女はいないという思い込みを見事に打破してくれた逸品である。この大吟醸は品評会専用で、二桁程度しか生産していないらしい。原料米は山田錦の35%。すでに品評会では幾度か金賞を受賞しているというが、その時代はまだまだ続くと見た。隠し事もせず、こうもはっきりと魅力を示されると、安心して愛し続けられそうである。
(2004年11月 記)
・・・・・・・
あれからさらに6年の時が流れた。
いつぞや同僚から聞いた話によると、去年だか今年だかは分からないが店を畳んだらしい。その話を聞いて、非常に残念な思いと同時に、これまで私の日本酒歴をレベルアップさせてくれた事に感謝した。
あくまで上質の吟醸酒に拘るあまり、「●●寒梅」「八●山」など、世間でもてはやされたがために質を落とした銘柄には目もくれず、逆に「十四代」「黒龍」など、この店で知った銘柄が後に一大ブームを起こしたという事もあった。それだけこの店のマスター(私は大将と呼んでいた)は、とても脱サラとは思えない慧眼の士だった。
その後、この店が埼玉県の大宮というロケーションもあってご無沙汰が続いたが、それでも折を見て訪ねるようにはしていた。ところがここ数年、私より2つ3つ年上であれほどフレンドリーだった大将とのリズムが合わなくなって来たのである。それは私だけでなく、他の客に対するあしらいもどこか上っ滑りしているような感じだった。
今から思えば経営的にもかなり逼迫し焦っていたのかもしれない。店の方も日本酒オタクの常連で賑っていた頃の面影も薄く、名コンビである彼の奥さんも持ち前の笑顔と元気に少し翳りが見えていたような。大将は私よりも私のカミさんのファンを自称していたので、一昨年だったか久しぶりにカミさんを連れて行ったのだが、その時ですら昔のようなリアクションがさほど見られなかった。
彼の目に適った上質の吟醸酒を決して法外なプレミアを乗せずに適正価格で提供する。酒の肴も味付けに拘り、納得の品を出す。だから、時に有名銘柄のみを求めて来る客を断ったりもして、ホンモノの日本酒を理解してくれる客を大事にしていたはずだった。
「思い」と「商い」の両立とは、かように難しいのだろうか。
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