温故知新シリーズ 10

<サヨナラだけが人生か? ~名古屋の2年にありがとう~ >


数日前、突然本社 (東京) 勤務の異動内示がありました。急な話でしたが、サラリーマンの立場としては話があった時点で 「NO」 という返事はありえない事は解っています。幸か不幸か今は会社を辞する時期ではないので、私は4月1日に内示通り東京へ戻ります。

思えばここ名古屋に転勤を告げられた時も、夜になってから 「今、返事が欲しい」 と言われ、選択肢は 「YES」 しかなく、バタバタしながらも1ヶ月の後には動いていました。今回の事は、それから2年が過ぎようとしていた時の出来事です。

どちらにも共通しているのは、仕事の内容が大きく変わる事と、前任者の突然の退職による後任という異動理由です。そして、今の私の仕事を全うするには結果的に与えられた時間があまりに短かったという事実です。とは言うものの、得てして何かが動く時とはこんなものかも知れません。

つい最近、BBSに 「サヨナラだけが人生さ」 という言葉を書きました。「出会いの数だけ別れもある」 とも書きました。当然 「別れるために人は生きていると思いたくない。素敵な出会いのために生きているんだと思いたい」 という反論が多くの方から寄せられました。

私もそう思いたかったし、そう信じて生きて来たつもりです。でも、人生設計の多くを委ねている場所、即ち今最も自分のアイデンティティーの比重の重い場所からの意思は、否応無く最も重い決定力を持つと言っても過言ではないのです。たとえそこに 「サヨナラ」 しか残らないとしても・・・。

初めての土地へ行く時には生まれ育った土地との文化の違いを恐れた事もありました。所詮いつまでもそこに居る訳じゃないさと自分を慰めてもいました。それでも、もしも酷い目に遭った時は、それもある意味必然の出来事なんだと受け止める覚悟すら持って来た事を覚えています。

でも実際は、ほんのちょっとしたキッカケから想像以上の出会いが開けました。そしてそれは暖かな人達によって驚く程の拡がりを与えてくれました。その舞台は仕事でもプライベートでも同様だったのです。

そして2年。私のような年代においてはあっという間の時間です。多分に感覚的なものなのでしょうが、実際ひとつひとつの出来事もじっくり思い返さないと確認できない位の時の流れの早さでもありました。

でも、この時間の中で失ったものは幸いにして殆んどありません。その代わり得られたものはとても大きなものだったと思っています。インターネットは時と場所を超越するという事が十分に実感できました。だからこそ、そこに素敵な出会いがありました。これからも続けていける大切な出会いがありました。

短い期間でしたが、偶然必然のうちに公私共に私と出会い、私にさまざまな影響を与えて頂いた皆さんに改めて感謝申し上げます。文豪吉川英治氏の 「吾以外皆師」 「生涯一書生」 の言葉に少しでも近づいていけるような生き方をこれからも志したいと思います。

かの地でも活動は続けます。時間が許せば、時々覗いて見てください。


(2002年3月 記)

・・・・・・・

突然の転勤辞令に、それでも意を決して、生まれて初めて箱根の山を越え移住した地が名古屋だった。名古屋言えばきしめん程度しか認知していなかった私だったが、2年間の生活で名古屋のさまざまな顔を知ることになった。

まず食文化は、ロケーションのせいか東西文化がへんちくりんに混ざり合っていて、ちょっと理解に困る食べ物に驚かされるばかりだった。それまで住んでいた埼玉と同じくらい低レベルだと悟り、早々にダメ出しもした。仮にも海がある県庁所在地なのにこれでは、むしろ埼玉よりも救いようがないかもしれないとも思った。ところが時代は変わり、今ではかなりレベルの高い店が増えて来たようで、たまの出張があると、むしろ嬉しいと思えるくらいに進化したと感じている。

食文化はダメだったが、不動産は安かった。都市部の高層新築マンションが80平米で4000万円台だった。私もついその気になって昭和区に建設中だったマンションに出向き、見積書まで取ったほどだ。同時期に取り寄せていた東京の住宅情報誌に同じような価格の物件が載っていた事で我に返り、すんでのところで買うのを止めた。買っていたら3ヶ月も住めなかっただろう。

この地では、西枇杷島地区が呑み込まれた東海集中豪雨に遭遇した。あの日、地下鉄桜山駅から自宅に帰る道はまるで激流の如く、名古屋マラソンのコースにもなっている瑞穂通りに向かって路地という路地から大量の水が流れ込んで来ていた。もはやどうにもならず、革靴のままそこをザブザブと突っ切って帰った事も今では妙に懐かしい。

そして何と言っても忘れられないのが、プジョー206とそのオーナー仲間との出会いである。私の東京出戻りをキッカケに今や男女総勢20名を越す「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」が発足した。ネーミングの由来は、その頃オフ会などで知り合ったOYAJI世代のオーナー達の生息地が、西は岡山から、姫路、大阪、愛知、静岡、神奈川、東京など太平洋沿岸だったからだ。ちなみに私の206は今でも名古屋ナンバーのままである。

現在のPOOBは、さすがに全員がプジョー206オーナーのままというわけではなくなったものの、女性会員も含めて年2回ペースで総会と称する温泉&飲み会&カラオケのお泊りドライブを楽しんでいる。酒と歌をこよなく愛するOYAJIがいる限り、POOBはこの先も続いて行くだろう。

時代が移ると共に、初めて作ったホームページもこのブログへと移った。私自身もとうに50代に突入したが、まがりなりにも何とか元気に飲んでは歌い、笑ってはふてくされる毎日を送れているのだから、こりゃたぶん幸せと言っていいんだろうな。



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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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