温故知新シリーズ 04
だいぶ前から、時代は 「集(団)」 から 「個(人)」 へ変化してきていると言われています。すなわち個人が集まった 「集団や組織」 が活動の単位であった時代から、組織の中の 「個人」 がその単位となり、そこに注目が集まってきているのです。言い換えれば、従来では組織の中に埋没しがちだった個人の比重が大きく高まってきたとも言えます。
これからは集団や組織ではなく、そこに所属する個人の感性と力量がモノを言うということです。
とすれば、その個人を高く売るあるいはステップアップさせる目的で、ある時期に集団や組織を移動すること、すなわち 「転職」 は目的達成のためのひとつの有力手段となるでしょう。私もそんな転職をしてきた一人です。
社会人になって最初に入ったA社は 「社名は国内で歴史も古く有名だが、この業界では歴史が浅い」 というグループ企業でした。私にとっては社名や歴史などどうでも良く、これから伸びてゆく希望の持てる会社というイメージだけがありました。ここでは 「本社部門」 から 「営業部門」 まで、この業界の関係業務全般を幅広く経験できました。およそ新人が携わることの無いであろう部分にもタッチでき、その後の自分に大いに役立っています。
また、要領にも走れない不器用なこの頃が、最も多くの取引先との人間関係の財産を築くことが出来ました。効率は悪いものの、繰り返し取り組み続けられる時間だけは許されていたからです。そのいくつかは今でも一生の財産だと思っています。逆に、要領と効率を覚えてしまった今では、あの頃のような濃密な人間関係を作ることは容易ではありませんが。
A社入社7年後に最初の転職をしました。・・・まだまだ青かったんですね。転勤先の部署のやりかたや上司の考え方が、以前いた部署と大きく隔たりがあり、それがどうにも納得できなかったんです。今なら 「組織が違えば別会社」 はある程度普通の事なんでしょうが。
しばらく間を置いて入社したB社は 「社名はおろか製品もマイナー、でも名物社長の人脈で有力口座がきわめて多い」 というオーナー企業です。オフィスが超高層ビルにあることと転勤が無いことが特長です。新聞の募集広告で見つけました。社名は知らなくてもオフィスがあるビルは誰もが知ってるので何かと便利でしたし、小さな子供もいた私には、転勤の心配が無いこともありがたかったのです。担当取引先の軒数は減っても、前社と重なる先も多く、違和感はありませんでした。
順調に2年が経過した頃、ふと気付いたことがありました。元来地道にやってる会社なんですが、オフィスが立派な割に売上が伴わないのです。当時、東京と大阪に同じようなオフィスを構えていましたが、どう考えても維持費が高過ぎます。主力製品と呼べるのはわずか1品目だった上に、期待された新製品がポシャッたのもこの頃で した。
「早晩撤退するかもしれない。そうなると勤務環境は確実に悪化する」 と思ったのは私だけではなかったでしょう。
C社は、同業の大学の先輩の紹介で入社しました。「ある特定分野での社名は有名で、かつ独占的製品を持つ」 外資系企業です。C社の話自体は、B社勤務時からすでに聞いていましたが、その当時はさほど関心が無く、どうせ怪しげな外資系企業なんだろう位の意識しかありませんでした。私の認識不足に加え、この時点ではC社への転職に対する自分自身のニーズが無かったのかもしれません。
しかし実際に入社し活動してみると、無くてはならない製品を持っているということは、こんなにも強い事なんだ、そしてやりがいにも直結するものなんだと初めて実感できました。精神的な優位さと余裕を常に持ちつつ活動できるということは何物にも替えがたい武器でした。さらに、ユニークな新製品も続々開発途上にあり、将来的にも楽しみが持てた企業でした。
私は社名やステータス、収入を必ずしも転職の基準にはして来ませんでした。求めるものは人それぞれですが、自分のニーズの全てにマッチする会社など絶対に有り得ないからです。ただ、現状よりどの部分でプラスアルファが得られるかという事は重要視したつもりです。失うものより得られるものを、すなわち減点法より加点法での判断を好んでして来ました。
振り返ってみると、何らかの岐路に差し掛かると、必ず目の前に選択肢(チャンス)が現れたような気がします。そしてそれは決して偶然ではなく、日頃から意識的にアンテナを張っていた結果だということにも気付きました。また、転職に伴なう環境変化をあまり恐れず、即断できる若さがあったのも事実です。転職先が同じ業界だったということで、過去の財産や経験を生かせましたし、通算キャリア年数として認められもしました。
トータルでみれば私の場合、場面場面で転職という手段を執った事は概ね成功だったと言えるのかもしれません。逆に、当時同じ状況でありながら、変化を嫌ったがために現状に埋没していった同僚や後輩達も少なからず見てきました。残念ですが、チャンスをチャンスとして捉えられる感性と一歩を踏み出す勇気、そしてタイミングが重要なんですね。
以上、私の転職歴はここまでです。幸か不幸か今現在は新たな選択肢は現れていません。
余談ですが、その後A社はその事業部門のほとんどを他社に売却、B社はオフィスを撤退し社員は半減、C社は合併を繰り返し世界有数の企業規模となり現在に至っています。
(2001年12月 記)
・・・・・・・
これまでの履歴とプロフィール紹介を兼ねて書いたエントリだった。
ただでさえ人の動きが活発なこの業界、私みたいな転職歴を持つ者は少なくないが、C社のような2度に渡る大型合併を当事者として経験した者はそう多くはないだろう。それらを経て現在に辿り着いているのは、必ずしも本意ではないにせよ、結果的にハズレでもなかったとは思っている。
サラリーマンの年功序列や終身雇用が崩れ、能力主義だのリストラだのという言葉に取って代わられて久しい。私はもはや会社が社員を守る時代は終わり、社員は自らを守らなくてはならない時代になったと思っている。すなわち、ある集団に属しているというだけで完結できるという保証はどこにもなくなった。進むも留まるも、上がるも下がるも個々の才覚に委ねられたのである。
このエントリにも書いたように、そうした時代には、チャンスを捉えるアンテナとそれをチャンスと感じられる感性を持ち続ける事が重要で、そうと思ったら冷静に大胆に一歩を踏み出す勇気が今を変えられると思っている。
サラリーマン人生は長いようでも短い。新たなチャレンジに踏み出そうにも、その人の置かれている環境は決して無視できない。仕事上の新たなチャレンジは概ね40歳までには決めるべきである。50代になると難しい面が多く出て来るので、50代からはむしろそれまでに培って来たものの利子で食って行くくらいの気持ちでいるべきだ。
もっともこれは定年退職という終点のあるサラリーマンの場合で、自営業の場合は年齢制限などは意味がないのかもしれない。自らがリスクと全責任を負っている自営業に終点など存在しないからだ。私は薬局経営者の家に育ったせいもあり、今でも実は自営業に一種憧れを持っている。
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