温故知新シリーズ 03
「吟醸酒」 とか 「大吟醸」 といった言葉を聞いたことがありますか?
最近では特にめずらしい言葉ではないので、多少なりとものんベの方はご存知でしょう。これは日本酒(清酒)の製造法による呼び名です。簡単に言うと、酒米を半分くらいまで精米し、米の芯を原料に手間隙かけて作った清酒のことです。かつては酒造会社が品評会用に作り、一般にはほとんど出回らなかったようです。
私が吟醸酒と初めて出会ったのは25年位前です。そのころは 「地酒ブーム」 の始まりで、代表的な稀少銘柄の 「越の寒梅」 や 「八海山」 などが通の間で垂涎の的でした。もちろん 「吟醸酒」 というものもほとんど認知されておらず、当然私も知りませんでした。
千葉県柏市の小さな居酒屋に従兄弟と入った時のことでした。その居酒屋のカベにあの 「越の寒梅」 が書いてありました。ちょっと高いかもしれないけど、めったに無いので一杯だけ飲もうということになり、たったひとりの店主のおやじさんに注文した時のことです。
「おたくたち、この店初めて?」
「はい」
「そうかい。じゃ、本当の日本酒を教えてあげよう」
と言って出されたのは注文したものとは別の銘柄でした。なんか変な展開になったなぁと思いつつ、私たちはそれを口にしました。ゴクンと一口、そのとたん口一杯に拡がったのはいつものお酒の味ではなく、なんとフルーツの香りだったのです! リンゴのような・・・はたまたメロンのような・・・! そんなバカな? 何か仕掛けがあるんじゃないのか? ・・・でも、何度口にしてもフルーティーで鮮烈な香りが拡がるのです。
あっけにとられてる私たちに向って、店主のおやじさんは 「どうだい、これが本来の日本酒の味だよ」 と言い、大吟醸や吟醸酒、純米酒、本醸造、一般の清酒の製造法から日本酒を取り巻く現状まで教えてくれたのです。まさに目からウロコとはこのことです。日本人としてのカルチャーショック以外の何ものでもありませんでした。同時に 「じゃあ、オレたちが今日まで飲んでたのは何だったの?」 との思いに駆られたのを覚えています。
後で聞くと、飲んだ銘柄は 秋田県「新政」 の大吟醸とのこと。あのフルーツの香りは「吟醸香」と言うそうです。そして店主のおやじさんが最後に言った 「果実でもない米が原料なのにフルーツの香りと味が出るのは日本酒だけ。酵母のなせるワザだろうが、本来の日本酒はりっぱに世界に誇れる文化だと思うよ」 という言葉が私の胸を打ちました。
それから何年か経って、友人の中にはワイン通やカクテル通を自認する者もいました。それらのお酒の世界も深く、興味を惹かれましたが、いかんせん味わうための料理代や酒代がバカになりません。なぜなら特にワインは、キチンとした料理と共に味わってこその世界だからです。さすがに今はそうではありませんが、あの頃飲んだ赤ワインは、アミノ酸類の味付け文化に育った日本人の私には、独特のタンニン系の味が皆同じに思え、ただ渋さのみだったのです。いわんや、微妙な味わいの違いなぞアウトオブ眼中でした。その時私は思いました。
「日本酒だったら、どこでも簡素なツマミだけでもお酒そのものは十分楽しめる。よし、オレは日本酒の世界を極めてやろう!」
それから今日に至るまで、ことあるごとに吟醸酒を好んで飲み、関係書籍を見つけては読みあさり、あの日の店主のおやじさんのようなこだわりを持った店にもいくつも出会えました。日本酒は絶対飲めないと言っていた女性がヤミツキになったことも一度や二度ではありません。さまざまな銘柄を飲むうち、日数が経つうちに吟醸香に違いが出ること、思わぬ地方で優れた日本酒が作られていること、同じ銘柄でも製造年によって味が違うこと等いろんな発見もありました。
その吟醸酒との出会いを一番多く作ってくれた、言い換えれば最も多くカルチャーショックの機会を与えてくれた小さな居酒屋が埼玉県大宮にあります。繁華街のはずれの方にありますが、日本酒の選球眼も一流なら、置いてある日本酒のレベルも一流、ツマミにもこだわりがあってウマい。でも価格はリーズナブルという吟醸酒修行(?)にはうってつけの店でした。転勤で別れる日、私は僭越ながら色紙に一句したためました。
しずくの伝承十四代 天界の九平次今宵の酒は 明鏡止水に鷹勇
わかる人にはおわかりでしょうが、このお店で出会えた心に残る銘柄の一部を連ねた句です。でも、到底全国の銘柄は飲み尽くせません。当然です、日本酒の銘柄は4000種類以上あるんですから。だからこそ私は未知の銘柄との出会いを、その時の感動を日々楽しみにしてますし、終着駅はたぶん来ないでしょう。
(2001年11月 記)
・・・・・・・
ここから私の真骨頂、大好きな日本酒の話題である。
思い起こせば大学生時代に初めて味わったフルーティな味わいの大吟醸酒。原料がブドウのワインじゃあるまいし、味も素っ気もない米が原料の日本酒でどうしてこんな味が醸せるのかが不思議でならなかった。以来、吟醸酒の虜になった。
この頃一番の思い出は、大吟醸の味を知った私が、そんな事はありえないと言い張る親父をクドいて大吟醸の一升瓶(¥5000)を強引に買わせて飲ませ、自分と同じカルチャーショックを与えた事である。その味に驚いた親父が一升瓶を抱えて親戚の家へ持って行った程だった。
あれからざっと30年。
昔は居酒屋の日本酒メニューを見ながら「こんなラインアップじゃ話にならない。この店のレベルはこの程度だな」などとホザき、その中からシブシブ選んでいた。けれども、日本酒に対するあの頃のこだわりが歳と共に薄れて来ているのを感じている。
地酒の看板は見かけるものの、本当に吟味された吟醸酒を置いている店そのものが激減した。焼酎やチューハイ系の方がリーズナブルだし、酔えればいいという酒にわざわざこだわりを持って高いお金を払う客もほとんど見なくなった。それは私自身も例外ではない。
時の流れのせいにもしたくはないが、いつしか時代も自分も変わってしまったのかもしれない。
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