田母神論文への一考察

ここはやっぱり一度触れておく必要があるだろう。例の田母神俊雄元空幕長(60)の論文である。論文の内容に対する評価や意見などは、ネットを始めとする各メディアでさんざん言われている。最近では産経新聞編集委員の花岡信昭氏の解説や東大名誉教授の小堀桂一郎氏の寄稿文などが見られるが、ここではできるだけシンプルに取り上げてみたい。

論文の題名は「日本は侵略国家であったのか」で、その主旨はもちろん「侵略国家は濡れ衣」であり、「日本は謀略によって戦争に引きずり込まれた被害者」と論じている。さらに、左翼系の論調である日本極悪非道説を中心とした「自虐史観」やそれを批判・揶揄する「自慰史観」、戦争犯罪が厳正に裁かれた裁判だとしてそれを支持する「東京裁判史観」にも言及、問題提起をし、結論として「日本人よ誇りを持て」で締めくくられている。

これに対して政府は、いわゆる従軍慰安婦の存在や強制連行などを認めたとされる「河野談話」」や戦前・戦中に日本が行なった侵略や植民地支配を公式に謝罪した「村山談話」などの流れから、この論文の主張に不快感をあらわにし、浜田靖一防衛相は、この論文が「村山談話」以来引き継がれている政府見解と異なる事を理由に田母神氏を更迭したのである。

確かに現職の自衛官が発表する論文として受け止めれば、言論の自由や個人的見解だけでは収まらない部分もあるとは思う。例えば彼が退官後にこれを発表したとしたら、ここまで大きく問題化される事もなかっただろう。内容的には漫画家小林よしのり氏の「戦争論」とほぼ同一線上にあると思うが、彼我の立場の違いが問題の大きさの違いとなっている。

先の大戦というテーマによる議論は過去からさんざん繰り返されて来ている。そしてその主張はそれぞれの論客の立ち位置に拠るところが大きい。あるいは、それぞれの主張がその立ち位置を決めているとも言えよう。だが、冒頭で書いた通り、このテーマを極力シンプルに述べてみたい。

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戦争とはそもそも「外交の一手段」であり、かつて国際法でも認められていた。外交の本義は国益である。双方の国が国益を確保しようとする思惑が絡むので、外交は白か黒かの両極端で判じられるものではない。すなわち、外交手段に戦争を選んだ側も選ばせた側もどちらかが100%悪という図式にはならないのである。

それから言えば、日本との解釈の違いはいまだにあるものの、「日韓併合」に関する条約締結も外交である。朝鮮は日本にとって軍事上、外交上重要な位置にある国で、併合によって清の属国的立場から解放し近代化を推し進めたという一面はある。また、欧米諸国の植民地のような「やらずボッタクリ」ではなく、インフラや教育などの投資も積極的に行なった。もちろんこれも一つの外交政策であるから、それらをもって併合が全て正当化されるわけではないが、だからと言って一方的侵略とも言い切れない。

日中戦争において戦争をした相手は、簡単に言えば中国という「国家」ではなく、毛沢東率いる「共産党軍」と内戦状態だった、蒋介石率いる「国民党軍」である。なお、国民党軍の兵士が非戦闘員である一般市民に紛れてゲリラ的戦闘をした(便衣兵)事によって、中国人民により多大な犠牲を強いたという事実も忘れてはならない。

日本の進出により、それまで植民地だったアジア諸国に自主独立の機運が高まってきた。当然、これを快く思わない欧米諸国は、何としてもそれを阻止すべく日本を兵糧攻めにしようとした(ABCD包囲網)。ここで日本は圧倒的に不利な要求(ハル・ノート)を呑んで戦線から手を引き、他の国々と同様に欧米支配の植民地となる道を選ぶか、欧米の列強相手に打って出るかの究極の選択を余儀なくされたのである。そして打って出たのが太平洋戦争だった。

日本は結果的に敗戦したが、あの時打って出ていなければ今の独立国家日本はおそらく無かっただろうし、インドを始めとするアジア諸国の植民地からの独立も遥かに遠のいたに違いない。当時、あくまでアジアの小国という認識だった日本が欧米の列強と戦った意義は大きい。だからこそ先人達の名誉を貶めるな、そして日本人よ誇りを持てと田母神論文は説いているのである。

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断っておくが、私は戦争を美化しようとも、ましてや正当化しようとも思っていない。私が受けてきた学校教育でも、日本は侵略戦争を行ない、中国を中心として多大な犠牲を強いたというスタンスだった。その当時は日教組が強かった時代でもあったので、よりそちら側の思想の影響が強かったとも言えるが、今の政府のスタンスを見るにつけ、あの頃とさほど変わりないじゃないかという印象を抱かざるを得ない空しさを感じる。

ふいに、過去2回訪れている鹿児島県知覧の「特攻平和会館」に掲げられている1000柱を越す特攻隊員の遺影が脳裏に浮かんだ。さまざまな戦線で命を落とした多数の戦死者(英霊と呼ぶべきだろう)も含め、少なからず彼らによって繋げられた命の延長線上に存在している我々は、個々の思想・信条はどうあれ、彼らの名誉とその思いだけは断じて踏みにじってはならないと思うのである。




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COMMENT

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菊池→菊地さんでしたね。

失礼しました。訂正させていただきます。

ありがとうございます

菊池康正さん、はじめまして。
拙文、ご共感いただきありがとうございます。
エントリにも書きましたが、私自身、小学生の頃から今で言う「自虐史観」を植え込まれ、その呪縛が解けたのはここ数年の事でした。
アメリカといえば、原爆や空襲などの違法な無差別攻撃にも大いに怒りを感じております。いつかこれについても書いてみたいと思っています。
今後ともどうぞよろしく。

賛同いたします

久々に同感できる文章を見つけ嬉しくなりました。私は音楽家ですが、アメリカのジャズを勉強し、演奏し続けて、最近ほとほとアメリカがイヤになっておりました。どうぞ宜しくお願いいたします。

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最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

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