大野病院事件がもたらしたもの

7月から始まった研修ツアーも今日の仙台で最終回を迎えた。例によって開発本部のMさんを交えて前夜祭、じゃなかったコラボ宴会を「みのむし」で行なった。定番の刺盛りは、6月に来た時に出会った閖上(ゆりあげ)産の赤貝は残念ながら無かったが、代わりに三陸産のアワビの刺身がドンと鎮座していた。これがまたウマい!

Mさんとは二度目の宴会だった事もあって大いに盛り上がり、日頃のMさんのフラストレーション解消のお役には立てたようだ。終いには我々研修部門と開発部門との人事交流の提案までされた。仕事の幅を広げたいと思っている人や現部署では昇進が得られ難い人などにとっては、こういう機会に思い切って仕事のステージを替えてみるのもいいかもしれない。私は即座に「研修トレーナーは天職と思ってますので」と断ったけど。

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さて、間接的にせよ医療の一端を担う立場として、これには触れておかねばならないだろう。「福島大野病院事件」の判決である。

すでにこの事件をご存知の方は多いと思うが、4年前の平成16年、福島県の県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性(29)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法(異状死の届け出義務)違反の罪に問われた産婦人科医、加藤克彦被告(40)の判決公判が20日にあり、福島地裁の鈴木信行裁判長は無罪(求刑禁固1年、罰金10万円)を言い渡したというものである。

加藤医師は子宮と胎盤が異常な形で癒着した「癒着胎盤」の症例だった女性の帝王切開手術を執刀。子供は無事に生まれたが、女性は子宮から胎盤を剥離する際に大量出血し死亡した。この手術時の判断を巡って執刀医の刑事責任が問われた刑事裁判だった。

これまでの公判で検察側は、「剥離を中止して子宮を摘出すべきだったのに、無理に続けて失血死させており、過失は明白」と主張。これに対し、弁護側は「剥離を始めれば、完了させて子宮の収縮による止血作用を期待するのが産科医の常識であり、臨床現場では検察側が主張するような措置を取った例はない」として検察側に反論していた。

法廷外では「逮捕は不当だった」と医師や日本産婦人科学会まで巻き込んでの猛反発が起こった。また、捜査に当たった富岡署に県警本部長賞が贈られ、「有罪が確定していないのにおかしい」などという声も上がっていた。

この事件で異なる立場にいる医師、患者の遺族、検察のそれぞれの主張は、裁判という性格上、決して相容れられるものではないのは当然だが、少なくとも2点の事実が一連の報道から漏れているとの指摘がある。

1点目は、検察側は「事故後、自分の過失で失血死させた可能性を被告自身が述べており、異状死と認識していた事は明らか」としていた。だが、被害者遺族のために医療施設が加入している医療事故保険の保険金を支払うためには、医療施設側に過失がなければならない。過失がなければ保険金は支払われないのである。そのため病院側は過失を認める報告をした。これが検察側の主張の根拠となったのである。

2点目は、加藤医師は極めてまれな癒着胎盤という疾患に直面し、胎盤の剥離を試みたものの出血が収まらず、その後、子宮全摘に踏み切っていたという。子宮全摘は短時間で完了し、その間の出血量は通常の量だったという(「がんになってもあわてない」より)。つまり加藤医師は、検察側の言う「剥離を中止し、子宮を摘出」していたのである。

死亡した女性の父親、渡辺好男氏(58)は判決後記者会見に臨み、「非常に残念。今後の医療界に対して不安を感じざるを得ない」と無念の表情を見せた。「私が本当に知りたいのは、手術中の詳細なやりとりではなく、(加藤医師が)どうして態勢の整った病院に娘を移さなかったのかという事だった。裁判では明らかにされず悔しい。命を預かっている以上、すべての不安を取り除いて臨んでほしかった」

遺族の立場からすればもっともな主張である。だが、あの日、あの状態の時に、受け入れ可能な高次医療施設があっただろうか? あったとしても移送は可能だっただろうか? 産婦人科を始めとする昨今の医師不足の現状から推察すれば、それは極めて難しい問題だったと思われる。もとより100%安全な妊娠・出産はあり得ないし、医師は患者を救おうとはしたが、殺人を犯したわけではないのである。

捜査幹部は「この事件で医師の注意義務や説明責任を喚起できた事は無駄ではなかったと思う。しかしその代償はあまりにも大き過ぎた。医師の責任を問う事の難しさを痛感した」と振り返ったという。裁判は戦いの場である。どんな判決が出ようとも、それぞれが納得などできないし、解決も得られないのがこういう裁判の不毛さである。

加藤医師は、女性が死亡した後も大野病院ただ一人の産婦人科医として勤務し、逮捕時にも約10人の入院患者と20~30人の外来患者を抱えていた。妻も第一子の出産間近で、加藤被告は自分で子供を取り上げる予定だったという。しかし逮捕で状況は一変し、妻の出産に立ち会えず、患者のケアも不可能になった。保釈後も現場に復帰せず、休職を続けていたという。

5月に開かれた最終弁論では、加藤被告は「もし再び医師として働けるなら、もう一度地域医療の一端を担いたい」と希望を述べていたという。

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研修終了後、仙台駅構内牛たん通りの「伊達の牛たん」で、生ビールと牛たん定食を食べ帰路に着いた。十数ヶ所の研修ツアーで、いつもバラバラだったメンバー5人全員が初めて同じ新幹線を予約していた事が判明し、やっと絆らしきものが見えたとお互いに笑い合った。

帰宅後のオリンピック・ハイライトで、今大会で正式種目から外れるソフトボールの日本チームが、見事に初の金メダルを獲得した試合を放送していた。落ち着いたハスキーボイスが身上の宇津木妙子前監督が、勝利の瞬間、まるで少女のように「キャ~ッ! やった~っ!」と叫んだのが印象深かった。彼女からすれば選手達は我が子さながらだったのだろう。おめでとう!





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Chaie<チャイ>

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最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

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