キレがなくなった?
最初のセッションが終わって、2つ目のセッションの冒頭、「この製品は発売時からYさんが担当してきました。今回は私の分担となっていますが、最終講義としてYさんにアンコールをお願いしようと思いますが、どうでしょう?」と投げかけてみたところ、満場の拍手による賛同を得たので急遽選手交代した。
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話は変わって、最近つくづく思うのは自分の文章力の拙さである。このブログしかり、書き上げてアップした後も必ずと言っていいほど修正する。誤字脱字を発見した場合はもちろんだが、読み返すたびにアラが見えたり、新たなフレーズが浮かんだり、いくつかの部分を書き加えたりと忙しい。
だったらアップ前に納得行くまで推敲しておけという事になるが、これがそうもいかないのだ。大抵の場合、アップした翌日以降になって気が付いたり思い浮かんだりするから厄介なのである。カッコ良く言うと、1日寝かせて熟成させないとダメなのだ。
愛読している他のブログの中にも、私と同じような事を書いているブロガーがたまにいるものの、ほとんどは「一発アップ、修正なし」の見事さだ。よほどきちんと推敲しているのか、はたまたよほどの文才の持ち主なのか。逆に、細かい誤字脱字などは一切スルーしているブログもあるし。
それでも以前は、一発勝負でもそこそこ許せる満足度を保っていた。その満足度が急激に落ちてきたのをはっきり自覚したのはここ数年だと思う。要は書き上げた時点での完成度が落ちたという事に他ならないのだ。思えば子供の頃、ただ漠然と憧れていたのが小説家だった。でも、今ではそれを目指さなくて正解だったなと思う。こんな文章では、厳しいプロの世界ではとても使えたモンじゃなかろう。
その原因を落ち着いて考えてみる。生まれ持った才能と年齢による衰えの問題はこっちに置いとくとして、ふと思い至った事がある。
それは文章を書くための手段である。言うまでもなく、現代はメールやブログはもちろんの事、レポートなど仕事上のほとんどの文章もPCで書いている。それは手書きの時代に比べ、我々に産業革命的な変化をもたらした。
漢字や用例を知らなくてもフロントエンドプロセッサーが多候補変換してくれるし、キー操作だけで意のままに編集や修正ができる。たぶん、この事が大きな原因だと私は睨んだ。一言で言えば、手書き時代にあった真剣味が薄れたのだ。とりあえずは思いつくまま書いておき、後でどうにでも書き直せる便利さが気軽さを生み、それが最初の文章の完成度に悪影響を与えているという事である。
かつては本を読んで身につけた表現力も、用件を並べれば事足りるメールには必要とされない。思い悩んで何度も書き直した手紙も、今や死語になりつつあると言ってもいい。郵便受けにはダイレクトメールと新聞ばかりが入っている時代になったのである。
これに限らずとも、何事につけキレのなくなりつつある年代だというのは認める。認めつつ、我が文章は今後も修正を行なっていく。もとよりこのブログは「厚顔無恥の屁理屈日記」だ。少なくともアップ翌日までは大なり小なり変わっている事があるので、そこんとこヨロシクである。
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せっかくのYさんの講義だ。講義内容を私もしっかりパクッて、残す最終研修会場である新宿で使わせてもらおう。本当のYさんの最終講義は明日の盛岡会場だ。研修終了後に別れ、Yさんは北の盛岡へ、私は南の東京へ。お疲れさまでした。
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