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ふたたびの薩摩路 その2

さて、指宿と言えば世界に名高い「砂むし風呂」である。白水館では何と屋根付きの屋内砂むし温泉場が完備されている。専用の浴衣に着替えて順番を待つのだが、当然の事ながら男女の別がない混浴(?)の上に、浴衣の下には何も着けていないというシチュエーションに妙な感覚を覚えたのは私だけだろうか?

通常の砂むし風呂は海岸べりの砂浜にあり、地熱で温まっているのだが、ここは地下に温泉を引き入れて砂を暖めるという床暖房方式をとっているため、地熱ほど熱くない。それでも、横たわった瞬間から背中や腰にじんわりと熱が広がる。やがて係のオジサンがシャベルで砂を盛ってくれる。5分も過ぎる頃には背中を中心に汗が染み出てくるのを実感し、10分も経った頃には頭皮からしっかり汗が噴き出てきた。

今日は外国人観光客、とりわけ中国人女性客のグループが多かったが、順番を待っている時からチュンチュンチャンチャンとやかましく、有料の記念撮影まで撮ったと思ったら10分足らずであっさりギブ。中国人、案外根性ないわ。

一緒に入った義弟が10分、遅れて入ったカミさんら女性陣もほぼ同時に上がったので、私も15分ほどで切り上げた。砂を落とした後、隣接する巨大浴場で露天風呂、打たせ湯、ジャグジー風呂などをとことん堪能した。直後の夕食まで一滴の水も飲まずにガマンしたおかげで、晩飯ビールのウマい事! ゴルフ場の昼飯ビールに匹敵する快感だった。

・・・・・・・

久々に「森伊蔵」も飲んだし、足裏マッサージで身体の悪い場所も判ったしで、高級旅館ならではの満足感を得て、最終日の今日は知覧へと向かった。目的は一つ「特攻平和会館」への訪問である。

ここへは2年前に続いて2度目の訪問だが、靖国神社と共に自身を反省するために来ていると言っていい。前回は桜の季節、今回は新緑の季節だ。

展示されている1000名を越す若き特攻隊員の遺影に見つめられると、彼らが私に語りかけてくる気がするのだ。

「私たちが守りたかった日本は平和ですか」
「あなたがたは幸せに生きていますか」

その度に自分の生き様がとてもとても彼らに胸を張って報告できるものではないことを痛感し、恥ずかしさと申し訳なさとで思わず涙が出てくるのである。そして反省するのである。

そんな時、団体客のグループが大勢入って来て、静かだった展示室はやおら賑やかになった。その中の70代と思われる男性が「戦争に対する憎しみをもっと展示すべきだ。戦争を始めた連中の展示はやめろ。俺も兄を亡くしてるんだ」と叫んでいた。

気持ちはわかるが、少なくともこの場所ではイデオロギー的批判をするのではなく、戦争始めた、始めざるを得なかった当時の情勢を踏まえた上で、平和というものに改めて思いを馳せるべきではないかと思った。彼らだって憎しみだけで己の命を投げ出したわけではない。命に代えても守りたかったものがあったからこそ飛び立って行けたのだと信じている。

今度は60代以上と思われる関西弁のオバさんグループ。「なんやこれ、最後の出撃は昭和20年5月だって。あと3ヶ月で終戦だったんやないの。これってムダ死にだわ」

あの当時、誰が3ヶ月後の終戦が予見できたというのか。言うに事欠いて「ムダ死に」とは何事か! 平気でそんな暴言を吐けるお前らこそ「ムダ生き」なんじゃないのか?

戦争を知らない世代ならいざ知らず、戦争を経験している世代からこういう言葉が出る事に、私はいつも憤りを通り越して震撼するのである。傍らで、彼らの遺書を静かに黙って見つめている若者の姿が実に対照的だった。

何やらいたたまれない思いに駆られて館外に出ると、そこにはむせかえるような新緑が広がっていた。



  千の眼に 我が生き様を見透かされ 恥じて飛び入る新緑の中   Chaie




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COMMENT

>oharaさん、はじめまして。
拙文、読んでいただいて恐縮です。毎回、遺影の飾られている展示室だけ他とは違ったオーラを感じます。それは決して我々を責めるオーラではなく、微笑ましく見守ってくれているオーラに感じて…。

>@himikoさん
戦争反対に異論はありませんが、もしもあの当時、日本が戦争という外交手段を選ばずに、列強の植民地か属国にされていたら…と考えると、それでもそれが正しかったと言えたかどうか。

70なんて終戦の時には子供。
死んだお兄さんと、まともな話ができる歳でもなかったろうに。。多分自分だって軍国少年だったろうに。ほとんどの子供がそうであったように。

そうやって大声でああだこうだ言って「俺は戦争の時には生まれてた。俺は当事者だ」ちう自己顕示をしたいだけなんちゃうか?
お馬鹿ね。

ホントの戦争体験者は、そゆのんを静かに、或は涙して見ることしかできない。と思うな。。
父がそうだった。。

まったく同感です

初めましてumeさんとこにお邪魔している和歌山の
46歳になったoharaと申します。
特攻平和館、、私も去年訪れました。
戦争で祖父を亡くしており、また21歳と17歳の息子
を持つ私は、本当に涙、涙で、、、、
 そんな時、戦争を経験されている人生の先輩方の心
ない話を聞いた時はほんとに腹がたち、そして悲しく
なりました。

 毎日、見させていただいております。これからも
いろんな事へのコメント楽しみにしております。

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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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