珍しくスタートから全部観た
今年は早大が12年ぶりの往路優勝を遂げた。現監督の渡辺康幸氏が現役で走った時以来だそうだ。優勝候補と言われている駒沢大と東海大も2位、8位に付けている。今年はシード権内の10位までのタイム差は6分弱と大混戦、まだまだどこが総合優勝するかは分からない。
駅伝の醍醐味は区間新記録やゴボウ抜きの激走、一方で無念のブレーキが混在し、それらのすべてがチーム全体に波及する事である。良くも悪くもチームがそれをリレーし続けた結果が順位となる。しかも天国と地獄のシード権争いも含めて。
どんなに選ばれし者とて人間、ましてや学生のやる事だからアクシデントは付き物である。熱発明けの選手もいれば、十分な実力がありながら本番でそれを出せない選手。できれば見たくないシーンだが、それも箱根駅伝のドラマの一つである。
今年もそれが起こった。
山上りの5区を走っていた順天大の小野裕幸選手が、上って下って、再び上る地点で足に力が入らず転倒。起き上がって走り始めるが、また転倒。伴奏者から監督と医師が降りてくる。彼は再び立ち上がり走ろうとするも、また転倒。だが、その目はわずか500m先のゴール方向を睨んだまま逸らそうとはしない。ついに仲村監督が彼の肩に手を掛けた。この瞬間、前年覇者順天大の途中棄権が決まった。
選手の将来を思って決断した監督も棄権を知らされたチームメイトも辛いだろうが、何と言っても一番辛いのは本人だ。自分のせいでチームの1年間の精進も母校の名誉も全てをフイにしてしまったのだから。団体戦でありながらも個人競技の集合体という駅伝の厳しい現実である。
風のように走り去る「勝者」も美しいが、アクシデントと必死に戦いながら一歩でも先に進んで仲間にタスキを渡そうとする執念を身体全体から発し、それでも力尽きた「敗者」たち。彼らも同じように美しいと思う。
「これを糧にして次回にぶつけて欲しい」とは傍観者の正論に過ぎない。本人は一刻も早くこの場から消えてしまいたいし、いっそ腹でも切って死んでしまいたいとすら思っているだろう。こればかりは時間に解決してもらうよりしょうがない。自ら汚名返上するか笑い話に風化させるかだろう。
明日、同じシーンがないよう願うが、それでもゴールの大手町でシード権内に入れるか否かの悲喜こもごも劇が待っている。それが箱根駅伝独特のドラマである。
~ 復路に続く ~
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