デートDV?

10~20代358人の恋人間の暴力(デートDV)に関する内閣府のインターネット調査で、男女とも50%が交際相手から肉体的・精神的な暴力を受けた経験があると回答したという。

「機嫌が急に悪くなったり、優しくなる相手にいつも気を遣わされる」(34%)、「行動を制限される」(22%)、「言葉で嫌な思いをさせられる」(13%)などの経験が目立った。言葉で嫌な思いをされられながら相手の機嫌に気を遣い、行動を制限されているカップルって何なの?

男性の35%、女性の56%が「恋人が自分勝手な行動を取ると不愉快」と回答。それらの回答の中に「暴力を受ける側にも悪いところがある」と考える人が10%いたのには驚いた。これじゃまるで「だめんず・うぉーかー」の世界じゃないの?

男性の53%、女性の45%が携帯電話に絡む被害を経験していた。複数回答の内訳は、「電話に出なかったり、メールにすぐ返信しないと怒られた」(39%)、「着信・発信履歴を勝手に見られた」(17%)、「1日に何度も行動を報告するよう命じられた」(7%)などだった。

こんなの、私の青春時代だった1970~80年代では考えられない事ばかりである。

あの頃は携帯電話はおろか、ポケベルさえなかった。デートの連絡は自宅の電話か公衆電話のみ。当然、相手が在宅の場合に限られる。ドキドキしながら掛けた電話に相手の親が出たりして慌てふためく事も度々だった。待ち合わせも、いったん家を出れば連絡のすべは無くなり、相手がアクシデントで遅れたりしても、ただひたすら待ち続けるしかなかったのである。

そう言えば、駅には伝言板の黒板があったな。「○○さんへ、××で待つ。△△」なんて書いてあって、そんな伝言で結構埋まってた。傍らには「3時間経ったものは消します」との注意書きも。

だから、相手を待つ時間の辛さやもどかしさ、それらの艱難辛苦を切り抜けて相手の顔を見た時の喜びと高揚感は、今の時代の比じゃなかったと断言できる! 人を待つ時間の辛さを知れば、安易に人を待たせたりしなくなる。人と逢う喜びを知れば、文字や言葉だけの空しさが分かるというモノだ。この日のために練りに練ったデートコースも、ネットなぞない時代には先輩・友人からの経験談が頼りだった。お金があれば情報雑誌も買えたけど。

逢えば次回の予定もその場で決めなければならない。デートの感想などは手紙を書いた事もあった。あれやこれやと1時間以上も喋り続けて電話を独占していると親から怒られ、当時では電話代もバカにならなかったからである。相手へのアクセス一つでもこんなに大変な時代、だからこそ逢える喜びもひとしおで、その意味ではこの頃のカップルはお互いに幸せだったのかもしれない。少なくとも、こんなデートDVなんて影も形も無かったわ!

デートが終わったばかりの夜でも、自分といないこの時間に相手が何をしているかは想像するしかなかった。それがまた苦しくて、今からでもまた逢いに行きたくなるという繰り返しになるのだ。今思えば、多分に情緒先行的な時代だったなぁ・・・。

だから郷ひろみは歌ったのである。「逢えない時間が~、愛育てるのさ~」と。


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COMMENT

ピンちゃん、お久しぶりです!
先ほど鳥羽から帰宅しました。4時間以上掛かりましたわ。やっぱり三重は遠い。

手紙とメールの違いは、どんなに時が経っても、書いた人の気持ちが文字と共に残り、蘇るところでしょう。それだけきちんと思いを込めて書いたから。メールには決定的にそれがありません。

すごいわ~芳さん!
私と一緒だ!!
私も中1から結婚するまで文通してましたよ~(笑)

私が結婚してから何度か会いました。
もちろん、夫了解のもとで。

長く文通してたから、会ったことが無くてもなんか、分かり合えたな・・・

今では1年に1回くらいメールがきます(笑)

ほんとうに携帯って便利なのか・・・携帯に支配されているのか。
あの時代は良かったなぁ~~~(遠い目・・・)

Chaieさんの少年時代を垣間見たようで、少し、ドキドキしましたわ~

No title

あの頃は、今思えば「よくそんな事できたなぁ」という事を、激情のままにやってたりして。
彼女の家を突き止めて、毎朝通ってたたずんでたり。あげくに見つかって逃げ帰ったり…。
今でも顔から火が出ますわ。

文通

もう死語?になってますかね?

中学2年から大学3年まで文通してました。
大学は東京でした。
3年のときその文通相手から「結婚します」って手紙もらったとき
気がついたら新幹線に乗ってました。
それまで会った事なくて電話だけだったし・・我を忘れて見知らぬ
地を彷徨って何とか彼女の元に着きました。
今だったらマジでセクハラものの行動でした。
彼女のご両親は何も言わず大ばか者の私を泊めてくれました。
彼女に会っては見たものの話すことは「来るときはちゃんと連絡してね」、「うん」にとどまりました。
翌日、彼女の結婚相手に名古屋駅まで送ってもらいました。悔しかった。車はフェアレディZ(白)2シータでした。だから私は日産は嫌いです。
しばらくは荒れてました。
実家に帰ったときはビール1ケースを一人で空けてべろべろになって親父にずいぶんと叱られました。
大学に行かず働いていればもしかしたら違う展開になっていたのかも知れません。
若いときの迷走でした。電話代も
かかりすぎてむっちゃ怒られましたよ・だって姫路から知多ですもん・・
今では懐かしい思い出です。
だから
会えること出会えることは必然だと思って大事にしてる今があります。
お恥ずかしい話でした・・お粗末。

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Chaie<チャイ>

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最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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