ひとまず仕事も終戦記念日

今日は62回目の終戦記念日である。そんな日に仕事をするのも気が引けるという事で休みにした。どうせ今週は会社に出ても人が少ないし、取り立てて急ぎの仕事もない。それにメチャメチャ暑いし。

戦争に関する施設や戦跡などは、これまでにたくさん行ってきた。30年前にボーイスカウトで年末の篝火の奉仕をした靖国神社に始まり、広島の平和公園平和記念資料館、長崎の平和公園原爆資料館、神風特攻隊の基地だった知覧の特攻平和会館、さらに唯一地上戦があった沖縄のひめゆりの塔平和祈念公園(摩文仁の丘)などのさまざまな戦跡である。

我が一族には、戦争体験というものがあまりない。軍隊経験のある親類も身近にいなかったし、進んでそんな話をする人もいなかった。東京大空襲は悲惨だったものの、新小岩の実家や鳥越の母方の祖父母の家などは焼夷弾から免れたそうだ。せいぜい小さい時から聞かされ続けた父の新潟への疎開くらいだろうか。

その話によれば、父は親類のいる田舎への疎開をさせてもらえずに、敢えて厳しい学童疎開に行かされたそうである。そうさせた祖父の意図は不明だが、たぶん厳しい経験をさせて精神力を鍛えたかったのかもしれない。父が小学6年生の頃で、対照的に田舎の親戚の家に疎開した母には「あんたのような優雅な縁故疎開とは違うんだ」と事あるごとに揶揄していた。

疎開先は六日町のお寺で、引率した先生も厳しく、何かとよく殴られたそうだ。ホームシックで夜な夜な枕を濡らしていた同級生。周りには田畑が広がっているのに食べ物は乏しく、いつもハラを空かせて惨めで辛かった。父たち高学年の生徒がワラで編んだ草履や雪靴も下級生に優先的に回されたため、雪の上を裸足で歩いていたというのである。

そんな話を耳にタコができるくらい聞かされたが、逆に将来飛行気乗りになりたかったとか軍艦に乗りたかったといった話は不思議と聞いた事がなかった。どうも父は、その頃の少年には珍しく、軍国少年ではなかったようである。案外それも祖父の教えによるものだったのかもしれない。

戦争を経験した記憶を持っているのは、若くても60代後半以降の人たちであろう。それより若い世代は、何かしらの媒体を通して戦争の記憶を間接的に伝えられた世代である。言い換えれば、戦争を身体で知らされた世代ではなく頭で知らされた世代であるゆえ、ともすればそれは薄れやすく風化しやすい。

戦争体験を直接持たない我々は、常時戦争に思いを馳せるのは難しい。忙しい日々の中で何かの活動を続けるというのも難しいだろう。だったら、せめて毎年やってくる終戦記念日をキッカケにして「戦争というものを頭の中で思い出す」努力くらいはすべきである。

現在、少なくとも我々は、生命を脅かされる危険もなく明日のメシの心配をする事もなく、喜びや楽しみを享受できる毎日を送る事ができている。終戦記念日は、そんな平和な今日を作る礎となった人たちへの感謝を「忘れない日」であり、それがいかに多大な犠牲の上に築かれたものかを「噛みしめる日」でありたいと思っている。



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COMMENT

himikoさんのお父さんは、本当に壮絶な体験をしたのですね。すでに死に体の日本軍に対して、ドサクサに紛れて攻めてきた露スケのあこぎさの犠牲者のお一人として、その体験談は語り継がれるべきでしょう。

人生で最も輝くはずの青春時代をシベリアなんかの理不尽な強制労働で費やされた無念は計り知れません。

アタシの父は赤紙で引っ張られて満州行ってシベリアで捕虜やって生きて還ってきた人 ^^;

小さい頃は、その時の話をいっぱい聞かされた。。。雪の中歩きながらふらふらふら~と列外れてバタンと寝ちゃうのを起こしながら歩いたとか、鼠とか犬食べたとか、木を倒す仕事させられてて下敷きになって何人も死んだとか、毎日死ぬんで穴掘って埋めるとか、寒いんで医務室(露西亜の)に忍び込んでメチルアルコール飲んだとか。。舌に一滴落とすとカ~ッと熱くなってどうこう、、って、「またその話~?」と当時は思ったケド、今は、聞いておいてよかったな、て思ってる。(3つ違いの弟は、全く聞いたことが無いそうな。。)

考えてみたら青春のほとんどが戦争だったワケで、、、子供に「何か話して」て言われたら、そんな話しか出てこなかったんだろうな。。
疎開組の母からはほとんど何も聞いたことない。

アタシが大人になってからだけど、TVでシベリア抑留のドキュメンタリー見ながら、泣いてた。。。
父はずっと、「露スケ」て言ってたなぁ。。。

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最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

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