消えゆく「カネボウ」に

会社解散するカネボウは最終営業日の6月29日、港区の本社ビルで解散社員大会を開いた。出席した約500人の社員は100年以上に渡った「カネボウ」の名に別れを告げた。今後、カネボウブランドは花王に買収されたカネボウ化粧品が使うのみである。

中嶋章義会長は「カネボウ120年の歴史をクラシエが引き継いでいく。クラシエをカネボウに代わる信頼のブランドとするよう努力しよう」と挨拶した。新たな門出に向け鏡開きを行い、出席者全員で社歌「鐘紡われら」を斉唱。感極まった中嶋会長はじめ社員らは涙を流した。

カネボウ(鐘紡)は1887年に東京都墨田区鐘淵に「東京綿商社」として創業した。1893年に「鐘淵紡績」に社名を変更し、「鐘紡」、「カネボウ」となった。紡績・繊維事業のほか、化粧品、菓子・食品、薬品、ホームプロダクツの5事業を柱にした「ペンタゴン経営」で業績を拡大した。

しかし、業績悪化で2004年から産業再生機構の支援を受けたが、巨額の粉飾決算が発覚、2005年に上場廃止となった。

何を隠そう、私が社会人としてスタートを切った会社こそ「カネボウ薬品」だったのである。と言っても、もう四半世紀以上も昔の事だが、赤坂のサントリー本社の先、豊川稲荷の手前のビルにあった薬品事業部本社からそれは始まったのである。

当時は業界の自主規制による年間100時間の営業社員への研修が義務化され、私は新卒の身でありながら、講師として毎月全国の支店に出張し、半日分の講義を担当した。そのほか、新発売医薬品のパンフレット、製品マニュアル、ギミック、広告などの製作や印刷に至るまで、およそ新人とは思えないほど幅広い分野の仕事をさせてもらった。また、組合執行部のメンバーもやった。

3年目からは新人研修講師の一員として、私の新人研修時と同様に代々木のオリンピックセンターに数ヶ月間泊まり込み、研修コーディネートと共にラジオ体操や朝礼・終礼、日記のコメント記入などもやった。

やがて合理化計画の下、東京支店の病院担当営業職として異動、その後の横浜支店まで、足掛け8年の「カネボウマン」生活を送った。

鐘紡の社歌は、かの故・藤山一郎氏の手によるものだ。入社式前夜、薬品部門の宿泊施設となった宝塚の保養所で、他の部門より少人数にも拘らず、より大声で歌う練習をさせられた。入社式後の夜は、故・城山三郎氏の小説「役員室午後3時」にも登場したカリスマ社長伊藤淳二氏宛ての入社所感文を書かされた。もちろんワープロなどはなく、全て手書き。しかも研修担当に「てにをは」をチェックされては書き直す。不器用なヤツは徹夜作業になった。

ちなみにこの時の研修担当は私の3年先輩の総務部所属のUさんで、皆でカネボウを盛り立てようと言ってたわりに、早々に外資系の他社へ転職して行った。私は足かけ8年お世話になったが、その後10数年の時を経て、私が行き着いた会社との合併で再会し、今は同じ部署で仕事をしている。驚くべき偶然にも見えるが、この業界決して広くはない。特に外資系は、一時逃げたとしても合併でまた一緒になりやすい宿命を持っているのである。

あの頃は、物理的にも精神的にも「アナログ」の時代だった。だがそのおかげで、メール・ワープロ時代になった今でも社内公文書の類は一発で書けるスキルが身に付いた。TPOに合わせて何通りもの筆跡を書き分けられるようにもなった。現在では死語のような愛社精神や帰属意識も、大いなる歴史の中で自然と涵養されたと言えるだろう。間違いなく古き良き「日本の会社」の一つだった。

鐘紡という古い伝統の大会社組織にあって、私の所属していたカネボウ薬品は良くも悪くも新規参入事業会社という位置づけだった。それゆえ他部門にない新進気鋭の意気込みもあり、恐れを知らない未熟さもあった。本当にいろいろと教えられたという思いで一杯だ。

そんな会社が6月で消えた。

今、改めて振り返って見ると、懐かしさの中にも大きな感謝の念を禁じ得ないでいる。社会人として右も左も分からなかった私に、少なからぬ成長をもたらしてくれた会社だった。ありがとうございました。




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Chaie<チャイ>

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最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

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某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

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