40年間ありがとう‼️
私の若かりしその頃と今も何一つ変わらない店構えと店内の設えは、このまま博物館入りしても良い、昭和という時代の雰囲気にどっぷり浸かれる素敵な空間だった。
ここのマスターの親戚にあの帝国ホテル総料理長だった村上シェフがいて、時々お店にも来ていたようだ。
また、村上シェフは料理の素材などにも大変厳しかったそうで、一族で外食したあるレストランの料理を一口食べた途端、ここはロクな素材を使っていないから食べない方が良いと言われた事もあるそうだ。
超一流ホテルの総料理長だった頃なので舌に相当な自信があったのだろうが、せっかく楽しく食事をしている時にそんな無粋を言われて皆んな困惑したと女将さんがこぼしていた。
近年は料理人のマスターとフロア係の女将さん、出前メインの息子さんの3人体制になったようだが、当時はマスターの他にも2人のコックさんがいて、カウンターの向こうに3人が颯爽と立って料理を作っていたのを思い出す。
その中の1人で、元プロ野球の江本にそっくり(ルパン三世似)のコックさんの顔は今でも覚えている。時が流れて、いつしか顔を見なくなった理由は知らないが、独立などそれぞれ別の道へ進んで行ったのかもしれない。
看板のとんかつは、いわゆる和風とんかつとは異なる。洋風カツレツと中間のような、衣からバターの香りと味が滲む独特の風味だった。和風とんかつだと思って初めて食べた時は正直違和感を覚えたものの、実は食べるたびにその味に病みつきになっていく自分を自覚しつつもあった。
ビジュアル的にも、傍らに添えられたキュウリとトマトとキャベツにかかっているオレンジ色のドレッシングと、その時にケチャップの赤色かドゥミグラスソースの茶色になるかはお任せのスパゲッティなどの色とりどりのコントラストも懐かしい時代そのままだった。
ご飯と豚汁的な味噌汁、そして自家製お新香もメインに負けないほどの美味しさで、食べ終わった時の満足感は私の中ではトップクラスだった。
あれから数十年の時の流れと、家族経営ゆえに時の流れと同じに歳を重ねた結果が、今回の閉店に至ってしまったのだろうか。それにしても、今持って他ではお目にかかれないあの味が終わってしまったのは重ね重ね残念至極である。
思い出と言いながら、その全てを過去形で語るしかできなくなった寂しさ。せめてもっと早く行っておけばという後悔に苛まれている。
長い間ご馳走様でした。そしてありがとうございました。 感謝
(追記)
10月18日、ザ・ドリフターズの仲本工事氏が横浜で車に撥ねられ、翌19日、急性硬膜下血腫で亡くなった。81歳。
「8時だョ❗️全員集合‼️」をリアルで観ていた世代としては、また一人ドリフのメンバーが居なくなってしまった事は残念極まりない。メンバー中一番の常識派で、他のメンバーにはない抜群の運動神経による体操技にはいつも驚かされた。決してこんな最後を迎える人ではないはずだったから人生は分からない。
天上の荒井注さん、いかりや長介さん、志村けんさん達も突然の早い合流に驚いているかもしれない。残った加トちゃんとブーさんも辛いだろう。合掌
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