fc2ブログ

登販モドキ

ウチに登販資格社員として数ヶ月前に中途入社した30代の男性社員がいる。元プロ雀士という異色の経歴だが、登販試験に合格して引退し、病院内のコンビニで働いていたという。

彼の受験時は、登販試験に合格した後の2年間は研修中としてDgSなどで実地勤務を経てから正式の登録販売者となるシステムだった。だから彼は病院内コンビニで2年間勤務した後に登販有資格者として転職し、ウチの店舗に店長に次ぐ2人目の有資格社員として配属となったのだが… 。

それが問題だった。

・・・・・・・

彼はコンビニ勤務時代から医薬品にはほとんどタッチせず、レジと食品関係ばかりを担当していたようだ。ここでもなぜか医薬品エリアに積極的には近づかないから、いつまで経っても陳列場所さえ覚束ない。

さらに登販なら当然知っておくべき医薬品の基礎知識も相当プアで、いくつかの目薬の用途の違いを説明出来ない、シラミ取りシャンプーを知らない、話題のアセトアミノフェン自体どころかその含有製品も分からないという有様。

思い余って、私がOTC薬剤師になった時に勉強のために買った書籍の中から基本的で理解しやすいものを一冊勧めた。彼も買って読みますと言った。

・・・・・・・

それから数週間、高齢のお客さんが彼に「ナフタリン」を求めたら、「お客様、それは医薬品コーナーですね‼️」

たまたまそこへ通りがかった私が「それは防虫剤だから医薬品コーナーじゃなくそこの棚でしょ」と訂正した。これって登販でなくても知ってる日常生活レベルの知識だろうよ。

しばらくした後、別のお客さんがスマホを見せて「レスタミン錠」を求めた時は、彼はその薬も場所も分からないから私が呼ばれた。

いい機会なので、接客後に「レスタミンの成分名は❓」
「それと同じ成分で別の用途に使われている製品は❓」と質問したけど全く答えられない。

これって登販試験にも出るだろう基本のキじゃないの❓

・・・・・・・

まあそんな事が大なり小なり続いている中で、社員である彼自身の担当業務もマトモにこなせない事がバイトの子達にも見透かされ、遂には「あの人、バカだから」なんて公然と言われる始末。

頑張っているなら手を差し伸べるし、訊いて来るなら教えもしよう。だが彼にはそれもなく、自分で判断するか丸投げするかなのである。彼は自分の視野内しか見ていないと言うスタッフも。だったらプロ雀士すら初めから無理だったろうよwww

・・・・・・・

店舗の全営業時間のうち、私が帰った後は閉店まで有資格者は彼だけという日は多い。そんな時のお客さん対応がどうなっているのかが今更ながら恐ろしいから、事故を起こす前に言うべき事は言っておかねばならない。

「配属されて数ヶ月、まだ商品の場所も覚束ないのは社員として問題じゃないのか❓」
「先日紹介した本は買って読んでみたか❓」

彼からの言葉は「すみません」のみ。ガッカリさせられるものでしかなかった。

「それはやる気がないという事だな❓ そんな体たらくだったら、いずれ皆に仕事の出来ないヤツと思われちゃうぞ。オレも今後は登販モドキとして扱うぞ」

実はとっくの昔に全スタッフからそう思われているのだが、彼は分かっていない。今日も登販試験を受けようかというスタッフにあれやこれやいけしゃあしゃあとアドバイスしていたそうな。まさにおまいうwww

・・・・・・・

店長が出勤してから事の顛末を報告したが、やはり彼に対しては視野が狭く成長が見られないという評価だった。

このまま時間が経過すれば何とかなると思っているのか、ダメなら資格は持ってるからまた別のところに行けばいいとでも考えているのか。彼のハラは窺い知れないが、このままじゃますます自ら墓穴を掘る事になるという自覚だけは持って欲しいけどね。

もちろん私はこのままならこれ以上何も言わないし、何のサポートもしない。元より私にそんな義務は無いし、彼ももうそんな歳じゃなし。




関連記事

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント

Number of Access
Since 25. Dec. 2001
Day by Day ・・・
My Profile

Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

Search
Translation
PDF Exchanger