そしてレジェンドへ
そう語ってイチローは引退した。
3月21日、MBL開幕アスレチック戦の2連戦が行われた東京ドームが現役最後のステージとなった。
「去年5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にも出来ない事かもしれないというような、ささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。その事がどの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てた事かなと思います」
その言葉に自身の限界に挑戦し、その限界を知らされたキャンプから今シーズンの苦悩の日々を物語っていた。その日々の中で日本での引退を決意したのかもしれない。
「結果を残すために自分なりに重ねてきた事。人よりも頑張ったという事はとても言えないですけど、そんな事は全くないですけど、自分なりに頑張って来たという事は、はっきり言える」
世界に誇る偉大なプレーヤーはこういう事もさらりと言う。
「人より頑張る事なんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤は自分の中にある。それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと越えて行くという事を繰り返して行く。そうすると、いつの日からかこんな自分になっているんだ、という状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を越えて行けないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない」
「難しいかもしれないけど、言葉にして表現する事というのは、目標に近づく一つの方法ではないかなと思っています」
それを続けるという事が如何に難しく、そして凄い事か。
「孤独を感じて苦しんだ事は多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、辛い事、しんどい事から逃げたいと思うのは当然の事なんですけど、でもエネルギーのある元気な時にそれに立ち向かって行く、その事は凄く人として重要な事なのではないかなと感じています」
ああ、一見クールで求道的な雰囲気一杯と思っていたイチローは、我々と同じように悩み苦しみ、それでも自分の限界を超え続けながらそれらを克服して結果を積み上げて来たんだなあ。
やっぱり彼は超一流のプロフェッショナルだ。歩んだ道には彼に相応しい偉大な記録という足跡が鮮明に残っている。
オリックス時代、1994年に史上初の210安打を記録し、シーズン打率3割8分5厘をマークしてから2000年まで何と7年連続首位打者。
2001年にシアトル・マリナーズでMBL挑戦がスタートしたが、いきなり242安打のメジャー新記録、3割5分を打って首位打者、盗塁王(56盗塁)になり、新人王とMVPを獲得した。
フィジカルがモノを言うメジャーのパワーベースボールにスピードとしなやかさを武器にしたICHIROがMBLに衝撃をもたらした瞬間だった。
そして2004年、前人未到の262安打、打率3割7分2厘を含めて2010年まで10年連続200本安打の不滅の大記録を打ち立てた。
2009年の第2回WBCでスランプに苦しみながらも決勝の韓国戦の10回表に遂にタイムリーヒットを放ち、決勝点を奪って2連覇を決定付けた事も印象深い。
プロ野球現役28年、メジャー現役19年。日米通算3406試合出場(1位)、4367安打(1位)、235本塁打、1309打点、708盗塁、打率 .322 。
45歳、平成を駆け抜けたスーパースターはその最後の年にレジェンドとなった。
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