大山鳴動
今年1月に受けた最後のTUR-Btにて上皮内がん(CIS)が判明し、もはやTUR-Btは有力な治療ではなくなり、残る治療はほぼBCG膀注療法のみとなった。
5ヶ月間も強い痛みに苛まれた前回の轍を踏まぬよう、今回はBCGによる副作用である膀胱痛などが収まるのを待って慎重に実施回数を重ねたが、8月下旬の4回目を最後に9月下旬頃から強い痛みとの闘いに突入した。痛みとの闘いは10月、11月と続き、10月は数日出勤しただけで終わり、11月は遂に丸々休職へ追い込まれた。
休職中はまるで判で押したようなひたすら安静のみの、今までの人生で経験した事のないほど単調な日々を送ったが、それでも12月には職場復帰に至り、取り敢えずリハビリを兼ねて週3日勤務体制でスタートした。
久しぶりの8時間の立ち仕事。足腰のフィジカル面に問題はなかったが、排尿後にシクシクジンジンの鈍痛が現れた。それでも仕事に大きく支障は来さない程度だったので、この調子なら年明けからは完全復帰が出来る見込みが得られたと喜んだ。
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そして先週の21日、今年最後となるはずだった外来受診で尿細胞診の結果が告げられた。BCG膀注療法の副作用である頻尿、排尿時痛、膀胱痛の三点セットはまだ少し残っているものの、いやそれがあるからこそ免疫反応が持続してclassⅡ(非悪性)をキープしているはずだった。
主治医のT先生は、いつもと違って一瞬の沈黙があったなと思った後、静かにclassⅣという結果を口にした。それは悪性細胞が強く疑われるという「クロ宣告」に他ならなかった。つい1ヶ月前までの尿細胞診ではclassⅡと安定していたのに、いきなりこれである。
瞬間、こんな時よく言われる「目の前が真っ暗になる」というのはウソで、見えている景色にボーッと白い霧のようなものが立ち込めたというのが正直なところだ。どうあれ、ショックと絶望感にガツンと殴られた感触を受けたのは違いない。
次週、転移の有無を確認するために造影CTを実施する運びとなったが、もはやそんな検査はどうでもよかった。頭の中で渦巻いていたのは「まだ痛みが癒え切れていないのに再びBCG膀注療法を始めるのは無理筋。だとすればいよいよ全摘か」という認めたくはない結論をどう受け入れるかという一点だった。
同時に、BCGによる強い膀胱炎症状が出る事が治療反応性の証拠なんだという、今まで抱いていた希望的観測が単なる幻想に過ぎなかったという現実を突き付けられた形となって大いに絶望した。
ともあれ、次週のCT検査の後に今後の治療について検討するという事でこの日の外来は終わったが、もはや実質検討すべきはどこの病院で全摘手術を受けるかだろう。
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そしてその日が来た。
カミさん同行で病院に向かい、造影CTを終え、泌尿器科外来にて呼び出しを待つ。初めての造影剤は点滴ルートで投与されたが、投与間もなく首筋から手の先、果ては肛門あたりまですぐに熱くなって来たのがわかる。
これが前社の研修の時、疾患の検査でたびたび触れて来た造影検査の感触というものか。これまたここでリアルに体験するとは思わなかった。
CTの結果は予想通り肺から腎臓までどこにも転移はなく、膀胱も滑らかな形状を保っていて浸潤なども認められなかった。例によって数値のよろしくない肝臓の一部が写ってなかったのはご愛嬌。(^^)
カミさんがいたからいつもより多弁な画像解説を終えたT先生。
「これですぐにBCGとは行けないし、次の手はどうするかですね」
「先生、今回の尿細胞診のclassⅣは、例えば検査誤差とか気の迷いとかの可能性ってありますかね?」
「まあ、膀胱はそれなりに傷んでいるでしょうから異常な細胞もあったかもしれません。次回、来年の中旬頃に尿細胞診しましょう。春までには膀胱内視鏡検査もやりたいですね」
「はあ。実は私はもう全摘も覚悟…」
「まあ、しばらくこんな風にだましだましで行ければと。はい、では今年はこれで終わりです」
…おいおいおい、せっかくそれなりの悲痛な覚悟で来たというのに。これじゃ検討も何も、悲惨でも何でもないじゃないの!
わざわざカミさんまで連れて来て、見事に拍子抜けとなった外来はこうして終わったのだった。
結局、次のステップの検討や選択はお預け。考えてみれば、T先生としてもまだこんな段階で全摘手術依頼の転院なんてさせようモンなら、逆に紹介先から見識を疑われかねないのかもしれないなんて想像もした。
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ふと気が付いたが、この病院の最終診療日である12月28日は、去年まさにこの日ここでカミさんの婦人科手術が行われた日でもあった。夫婦揃って病院の太ーい客だなと笑ったっけ。
あれからもう一年が過ぎたのか。どうにもつい数ヶ月前だったという感触しか湧かない。振り返ってみれば、昨年末から今年一杯はカミさんや私の入院手術から始まり、再びBCGの副作用に悩まされて終わった、我が家にとってまさに天中殺のような一年だったな。
結局のところ、まだ悲観したり覚悟を決めたりするには早過ぎたようだ。てんやわんやしたのは私の心の中だけだったのかもしれない。
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