これも夫唱婦随なのかも
採血後にMRIを撮るはずが更衣室でフラついたため中止。その後に届いた血液像の検査の結果から、この時点のヘモグロビン値(Hb)が5を切っていた事になる。主治医のS先生をして「男性だったら危ない数値。女性でも心臓に相当負担が掛かってる」と言わしめた。確かにそのHbではかなりの出血がある事が窺えるのは、前社で抗凝固薬を担当していた経験から容易に推し測られた。
当然のように緊急入院、そして輸血開始。それから数日、合計10パックは超えただろうか、それでも出血が完全に止まったわけではないのでHbが思うように上がって来ない。その間に撮ったMRIによって子宮筋腫と子宮腺筋症の併発という診断が下った。そうなると治療法はHbの回復を待って原因である肥大した子宮を取り除くという選択が妥当となる。
入院から一週間後の28日。止血もなり、Hbも回復したので今年の病院最後のオペとなった。
約3時間の手術は無事に終わり、後は病院の年末年始休業後に再度Hbを確認して異常なければ晴れて退院となる運びとなった。ともあれ、原因を除去したのでこれ以降出血や貧血に悩む事もなくなったのは何よりだった。
・・・・・・・
そんなこんなでこの年末は想定外のドタバタとなった。もはや来月入院手術を予定していた私自身の事などこの際どうでも良い感じになり、いやむしろ夫婦揃って個室に入り入院手術をする上客なんだから、院長あたりから感謝状の一つも貰ったって良さそうなモンだなと。
仕事のある日は仕事を終えた後に必要なものを持って面会時間ギリギリで病院へ滑り込む。公休日は半日ほど付き添う事になるのだが、いずれにせよ夜は家で一人過ごす日々だった。
常々私は「夫婦が長く連れ添う秘訣は、お互いが空気のような関係となる事だ」と言って憚らなかった。
その心は「普段は空気という存在を意識することは少ないが、無くなったら死んでしまうかもしれない関係」である。若い時の好いた惚れたは所詮長続きしないのだから、お互いの存在を意識し過ぎない距離感が良い。だがお互いの存在が無くなれば途端に生命の存続さえ危ぶまれるという危機感は持っている。そんな関係がいい。
つくづく夜一人で家にいると、普段はさほど意識しない、いや居て当然だったカミさんがそこに居ない空間というものがどうにも違和感があって馴染めない。彼女がこんなに家を空けるのは初めての事だから余計にそう思えるのかもしれない。空気というのはやっぱり貴重な存在なのだった。
・・・・・・・
歳を重ねる毎に一日が一月が、そして一年が短くなって来る。それは今年一年もそうだった。ゆく年くる年で新年を迎えたのはついこの間だった気がしてならない。雑煮を食べながら箱根駅伝の前半を観て、次の日に初仕事となるスケジュールは今年も来年も一緒だし。
違いがあるとすれば、先月ついにジジイとなった事と、年が明けて誕生日が来ればそれが還暦となり、偶然その日が父親の七回忌法要の日である事と、今までは夏だったのに今回初の冬の入院手術がその次の日に待っている事である。
それにしても夫婦代わりばんこに年を跨いで入院手術とは。これがホントの天中殺なのか、ここに来てやっと夫唱婦随が形となったのか。よく分からんわ。
- 関連記事
-
- いよいよ年金世代 (2023/01/03)
- 鎌倉で七五三 (2022/12/17)
- これも夫唱婦随なのかも (2017/12/31)
- ジジイになった日 (2017/11/23)
- 命の連鎖 (2017/05/26)