選択できること 選択したこと

「人生で一番泣いた日です」というあまりに悲しい言葉と共に市川海老蔵が愛妻小林麻央さんの死去を23日に発表した。享年34歳だった。

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私の34歳当時と言えば、サラリーマン最後の転職をしておよそ1年経った頃、そして2番目の息子が生まれた頃である。身体的にも絶好調で営業職をバリバリこなしていた時期でもあった。

それまではほとんど病院のお世話になった事は無かったが、その数年後に網膜剥離を罹患したのが最初の本格的入院手術経験で、その後の名古屋転勤時にも再度網膜剥離の入院手術を経験した。

さらにその10年後に股間の違和感を契機に膀胱腫瘍が発覚したが、幸い早期だったためTUR-Bt(経尿道的内視鏡切除術)の適応だった。もっとも、その時の病院の診療科医師達の対応に不満があったため、退院後のフォロー診療は受けなかった。

もともと膀胱腫瘍は再発しやすい。案の定2年後に別の部位に再発を来して再度TUR-Bt。ただし、今度はその診断をした開業医の後輩が部長を務めている別の病院を紹介してもらった。

そこで病理診断とガイドラインに基づいてTUR-Btを二度受け、さらにその後に術創部出血によるAUR(急性尿閉)も発症したので、短期間に都合3回も入院するハメとなった。こうなるとほとんどの病棟看護師と顔なじみになるという、決してありがたくない常連患者となっていた。

退院後しばらくして開始したBCG膀注療法の副作用による膀胱痛に悩まされること足掛け2年、今年6月の声を聞いたあたりでようやく膀胱痛も排尿痛もない無症状に至った。

まだまだ再発の不安とフォロー検診が必要な時期であるのは確かなのだが、今のところ、少なくとも発病以前の状態に戻った事は嬉しい限りだ。いやあ、ここまで来るには我ながら長く辛い道のりだったとしみじみ思うのである。

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このように私あたりの入院手術治療のプロセスを辿っても、治療継続中の転院はおろかセカンドオピニオンを求める間も無く、一般と同様のいわゆる標準治療を受ける事が既定路線だった。それが当然といえば当然なのだが。

麻央さんの場合は、今から3年半前に夫と受けた人間ドックで乳房に腫瘍が見つかったという。乳がんの確率は五分五分と言われたようだが、そこは政治家や芸能人の御用達病院で有名な赤坂山王病院。それゆえ決していい加減な見解などではなかったはずだ。

その後に受けた再検査は、セカンドオピニオンの意味もあったのか東大の主要関連病院である虎の門病院だった。彼女は授乳中だった事もあり、ここでも確定診断には至らなかったという。

2つの病院の一流の専門医がいずれも確定診断を下さなかった事が、彼女にある意味必要以上の安心感を与えてしまったのかもしれない。家業の繁忙も相俟って、指示された再検査時期を2ヶ月も超えた8ヶ月後の検査でついに乳がんの告知に至ったが、その時にはすでに転移も生じていたという。これが2年8ヶ月前の事だった。

この告知から海老蔵の会見による公表までの1年半の間、彼女はいわゆる標準治療と呼ばれる抗がん剤治療と外科治療を拒否し、それを勧めた虎の門病院を去った。そして鹿児島のクリニックでナンチャラ四次元放射線治療やナンチャラ水素水の免疫療法などを受けていたという。

1年半後、今度は聖路加病院で検査を受けた時には遂に肺転移と骨転移も併発したステージⅣとなってしまっていたのだった。

その後は緩和ケアを受けていたようだが、なぜか聖路加病院から慶大病院へ転院。治療目的は定かではないが、そこで標準治療を受けたようだが、残念ながら時すでに遅く、最期の時を自宅で迎えられるよう自宅療養として退院した。その1ヶ月足らずの後に息を引き取ったのだった。若さゆえの進行の速さだった。

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彼女のこの一種華麗とも言える治療歴は、我々のような一般人にはとても選べないし辿れるものではないだろう。普通なら最初に疑われた段階で精密検査に移り、確定診断が下されたらそれを受け入れ、直ちに標準治療を開始していたはずである。選択肢があるとすれば、せいぜい治療を受ける病院をどこにするかくらいである。

だが幸か不幸か、彼女のもとにはさまざまな情報や多方面に及ぶツテが集まって来たのだろう。それが選択肢を徒らに増やし、標準治療を勧めた専門病院などを拒否してしまえる環境を作ってしまったのではないかと思われる。

他ならぬ自分自身の事なのだから、選択肢が多いというのは必ずしも悪い事ではないはずだ。だがその半面、川島なお美さんの場合のように選択肢があるだけについつい自分の望む形に近いものを選んでしまうのも人情だろう。

「たぶんそれほど悪い状態ではないだろう」
「切らずに治せるならそうしたい」
「この治療法ですばらしい効果があったと聞いた」
「ここから奇跡が起こるかもしれない」

自らが選んだ結果だと言ってしまえばそれまでだが、初めて疑いが持たれてからたった3年半で帰らぬ人となってしまったのは本人は言うまでもなく、家族にとっても極めて不本意な転帰だったに違いない。合掌





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

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