命の連鎖
「おいおい、待ってろと言ったのはそっちじゃないか。まるで修理に出してないのはこっちのせいみたいな通知を寄越しやがって」と少しムッとしたのを抑えディーラーへ電話し、指定工場へ車を持って行ったのが月曜日。
で、本日金曜日は大嫌いな膀胱内視鏡フォロー検査の日だけど、車を受け取りがてら渋々病院へ。その際、走行時にもサイドブレーキランプが点灯したままだったが、予約時間があったのでそのまま病院駐車場へ向かった。そしてエンジンを切ると今度はリフトアップアラートが鳴るではないか。
痛みこそないものの、出す器官にモノを入れるという違和感に苛まれつつ検査を終えて再び工場へ。
担当者曰く、リコール修理のミスでブレーキ関係のデータが飛んだらしいと。もう一度プログラムを書き換えるので入院してくれと。
おいおい、おたくは修理後に動作点検しないのか?
そもそもこれは私からの修理依頼じゃなくリコールだよな?
そんなこんなで自宅と工場ともう2往復してるぞ。今度取りに行くと3往復だぞ?
もう一度言うが、これはユーザー都合ではなく会社都合のリコール修理だよな?
だったら交通費くらい出してもバチは当たらんだろっての!
おかげで内視鏡検査で異常なしという嬉しい結果も霞むくらいムッとした一日となってしまった。
・・・・・・・
さて、膀胱がんを患ったからというワケでもなく、ことさら大上段に死生観なぞのたまう気はないものの、著名人の最近の訃報に触れるたびについつい自分の最期はどんな結末が待ち構えているのだろうと妄想してしまう。
今年に入ってからでも、渡瀬恒彦(72歳)、松方弘樹(74歳)、かまやつひろし(78歳)、与謝野馨(78歳)、佐田の山(79歳)、藤村俊二(82歳)、ペギー葉山(83歳)、船村徹(84歳)、三遊亭圓歌(88歳)、京唄子(89歳)、三浦朱門(91歳)、鈴木清順(93歳)という主だった著名人が逝った。
だが、それぞれの享年からすれば、多少の差はあれどもまあまあ天寿を全うしたと言えなくもない。
一説によると、昭和30年代以降生まれは平均寿命が60歳台にも縮まる可能性があるという。もしかしたら、90歳過ぎまで生きて大往生などと言われたのは昔話だとなる日も近いのかもしれない。
かねてからこのテーマについてカミさんともいろいろ話す事があるが、彼女は私よりも十分に年下ゆえ、確実に私の方が先に逝くと信じて疑わない。だが最近、「何言ってんのよ。美人薄命だから私の方が早いかもよ」などとうそぶくようになった。
はいはい、アンタが美人薄命だったら、世のほとんどの女性の寿命は60歳にも満たない事になるでしょ! 全女性の9割は還暦前に死ぬってか?
ま、それはともかくとして、どんな理由でどんな最期を迎え、そしてその瞬間はどんな感覚で幕が降りるのかは知る由もないが、こんな事をしみじみ考える瞬間があるのも、私を襲ったここ数年の既往歴が為せるワザなのかも。
・・・・・・・
4月のとある日、珍しく長男からメールがあり電話して欲しいと言う。言われるままにコールバックしたら、なんと嫁さんがご懐妊と!
予定日は11月頃と言うから、あと半年くらいで私はジイさんの仲間入りをしてしまう事になる。我が家は代々25年周期で次世代が生まれて来た。親父が25歳の頃に私が生まれ、私がその頃に長男が生まれた。
その体で行けば、長男が25歳の頃に子供が生まれるはずだったが、彼の結婚自体がわずか2年前だったのだからアウト。それを持って我が家のジンクスは崩れ、それならいっそ子供が出来なかったら私がジジイになる日も来ないと密かにほくそ笑んでいたのだった。少年時代から何かと童顔で苦労した私が、ようやくこの歳になってアラ還には見えない若造りを謳歌させていただく番だし。何せ周りの同世代はもっと早くから孫が出来て、リッパなジジイババアと化していたからシメシメである。
それなのに期せずしてご懐妊の報が来たので、慌てた半面、改めて命の連鎖についても実感を伴って考えさせられたというワケである。こうやって命は脈々と受け継がれて行くのだろう。
・・・いまだ精神年齢は30代とも自負しているこの私がジジイか。いっそ、うれしはずかし朝帰りでもしてやろうか。
これで少なくとも秋までは死ねなくなったのは確かではあるが。(^_^;)
- 関連記事