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そして外壁塗り直しの時が来た

ある日、ふと気が付いたら我が家を建てて14年が過ぎようとしていた。

近代的な洒落たマンションにせよ、10年も経てば何らかの外壁修繕工事などを行なうという。それが安普請の戸建てともなればなおのこと。

そう言えば、三軒長屋のように同時に建った両隣りの家の壁には、屋上テラスから覗くと縦横大小の亀裂が走っているのが見て取れた。という事は、見えていないだけで我が家の外壁にもそれなりの亀裂が生じていると考えるのが自然である。

そう自覚したのが去年の暮れの頃だった。

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早速、町内会の夜回りで一緒になったお隣さんのOさんへ話を持ちかけてみた。いっその事、三軒同時にやったら費用も効率的になるのではなかろうかと。

少なくとも足場などを共有できるだろうからシナジー効果はあるだろうとの事で、Oさんから外壁塗装会社をあたってみるとの回答だった。ではそれをたたき台に相見積もりを取って決めましょうという事になった。

善は急げとばかりに、もう一つのお隣さんのEさんへもこの話をして、取り敢えず内諾を受けた。

これで、待てば海路の日和ありと相成ったワケである。

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ところが、正月が過ぎ、2月に入ってもOさんから何のレスポンスもない。春には着工したいと考えていた私は、こちらでもたたき台の見積もりを取ってみようと、ネット経由で紹介された工務店さんにその話をし、見積もりを取った。

見積もりを見ると、一番大きな価格の差が出るのは外壁塗装に使う塗料のランクだった。トップランクは光触媒フッ素チタンコートで、メーカー曰く30年持つという。でも発売してまだ数年なんだから、本当に30年持つかは誰も見ていないだろうに σ(^_^;)

で、その工務店の提案は、12〜15年持つというセカンドランクの塗料を使う案だった。チタンコートはかなり高いし、我が家の仕立て(モルタル)ではオーバースペックになりかねないとの事。それでも屋根と屋上の防水修繕も含めた総額は国産小型車が買える価格になった。

ともあれ、これでたたき台が一つ出来た。

そうこうするうちにもう一社がOさん宅を訪れ、例の光触媒フッ素チタンコートを何と40%引きのキャンペーン価格でどうかという営業があったらしい。ただ、営業マンが話した相手が外壁工事にイマイチ消極的な奥さんの方だったので、奥さんから逆にウチが紹介され、話が舞い込んで来た形となった。

取り敢えず2つ目のたたき台にはうってつけだったので、見積もりを取ったら、さすがに40%引きの威力は大きく、先日の一社目の見積りの僅か10万円高で出来るという。

この2つの見積もりのコピーを両隣りに渡した時、Oさんはなぜか6月まで大忙しと言い、Eさんは内装のリフォームをしたばかりで余裕なしと両隣りとも様子見の構えとなってしまっていた。

ならば今回は我が家の単独施工で行こうという事になった。シナジー効果が見込まれた足場の共有は、実は数万円しか違わない事も判明していたし、両隣りとの間隔が1m弱という狭小区画ゆえ、塗装を順繰りにやらなければならないから逆に工期がかさむ不安もあった。

紆余曲折の末、本当に30年持つかは知らないが、うまくすれば死ぬまで外壁塗り直しの心配がなくなるのなら、そして10万円の差だったのなら、思い切ってフッ素チタンコートにしてみようかとカミさんが決断した。私も同意。

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そして先月下旬、屋上テラス一面の朽ちたスノコや鉢の片付けは経費節減のために営業マンが頑張ってやってくれた。

今月に入って5日、植木屋さんが来て玄関横の金木犀の剪定をした。植えた時は1mにも満たない木だったのに、10数年の間に2階に届くまで伸びていた。せいぜい殺さない程度にバッサリやって下さいとお願いしたらさすがプロ、スマートに可愛らしく剪定してくれた。

続いて7日、足場屋さんが来て、朝から丸一日掛けて足場をセッティング。これが単独の一軒家なら数時間で終わるのだろうが、何せ隣りとの距離1m弱なので機材の出し入れひとつ取ってもなかなか大変だったようだ。

そして今日、外壁全体が高圧洗浄された。すっかり綺麗になったらしいのだが、私が帰宅したのは既に夜だったので、暗くて良く分からない。

ともあれ、明日からはいよいよ5層にわたる塗装のスタートとなるだろう。

一つ困った事に、約3週間の工事期間中はコインパーキングなどへ車を移動しておかなくてはならない。おあつらえ向きのコインパがすぐ近くにあり、しかも24時間で1800円とリーズナブルな価格設定だったのは嬉しいのだが、実はその近くでも建設工事が行われているので、朝から晩まで関係車両が占拠する。そのため一度停めたら清算、移動、再駐車を夜毎に繰り返さないとスペースが確保できないのである。これが結構面倒。

まあ、それでも外壁の色も3階のバルコニーの色も変えてみたので、我が家が新しい顔になるのが楽しみでもある。






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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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