誕生の日に
ドナルド・トランプという名前は、もともと私の記憶に刻まれてはいた。今から30年ほど前だろうか、彼は不動産ビジネスの大成功者として時代の寵児となり、彼に関する幾多のビジネス書が書店に並んだ。そのうちの一冊を私も購入した。内容はもう忘れたが、当時のバリバリ現役ビジネスマンにとって、ある意味バイブルとも位置付けられていた書籍だった。
そんな人物が紆余曲折があったにせよ、まさかアメリカ大統領になるとは思わなかった。就任直前の支持率では何と不支持が支持を上回るという現象も起きている。民主的なシステムで選ばれた大統領なのに認めないと言ってみたり、反対デモまで行うとは、アメリカもとんだ民主主義国家である。ま、突き詰めれば民主主義なんて所詮こういうモンなのだろうな。
さて実際のところ、私が還暦直前を迎えるなんて、誰より私自身がイメージを持てなかった。今でもそうである。だって来年赤いチャンチャンコなんだぜ? 一体どんなジジイになっちまうんだってんだ!
今の仕事に就いて一年半が過ぎた。膀胱がんの入院手術などで出足は少々躓いたものの、何とか今日まで大過なく、そしてここが重要なのだが、仕事に関してほとんどストレスフリーの日々を過ごして来れた事が嬉しいのである。つまりは抱いていたイメージ通りの仕事だったという事である。
言い方を変えれば、前社までの営業やオフィスワーク&研修ツアーなどの日々は、必ず目的達成のためのプレッシャーが付いてまわり、特に研修職人時代はそれが天職と感じつつも、周りからもあらゆる意味でプロフェッショナルを求められ、自分で自分にかなりプレッシャーを掛けていた。
それが一転、自分で自分のみを管理しつつ、ひたすら顧客志向で対応すれば自ずと結果が付いてくるという日々。自分の言動に対してエンドユーザーからダイレクトな感触を得られる単純さが良いのだ。
もちろん1日8時間の立ち仕事や品出しや棚替えなどの肉体労働的な側面もあるが、それを補って余りある顧客とのコミュニケーションが楽しかったりする。多分、数あるドラッグストアの中で、ここが一番いい意味で泥臭い地域密着型の営業形態だからだろう。
それでも親会社の毛色の異なるスタイルが日々迫りつつはあるが、ま、今のところは天職になりかけていると言えるだろう。
・・・・・・・
さて、およそ30年ぶりにFBを介して再会した元同僚のN君から、今朝誕生日祝いのメッセージが届いた。出勤時間まで余裕があったのでしばらくやりとりしていたが、そこで驚くべき事実が伝えられたのだった。
これまた30年ほど会っていないN君と共通の友人であるTさんが、何と先週スキー場で雪崩に巻き込まれて亡くなったという。そのスキー場ではバックカントリー走行も可能らしく、それゆえ毎年のように遭難事故が起きているというが、Tさんはスノボによるバックカントリー走行にこのスキー場へ年に何度も通っていて、万一のためのビーコンなどの装備を万全にし、バディを組んで滑っていたそうで、決して安易に考えていたわけではなかったそうだ。
だが、このところの大寒波による降雪とそれによる大雪崩は予想外だった。突然の雪崩に飲み込まれて消息を絶ってしまったという。捜索も限界に達し、遂に打ち切りとなってしまったそうである。
思わず「諸行無常」という言葉が浮かんだ。
自営業に身を転じていたTさんは、経済的余裕と時間的自由を手に入れていたはずである。だから勤め人がいなくなった10日過ぎから悠々とスキー場入りしたのだろう。降ったばかりの新雪に勝手知ったるバックカントリー、さぞや爽快だったと思う。
物事は回数を重ねればそれだけ事故に遭う確率が上がる。これは一つの不幸な偶然だったのかもしれない。そうであったにせよ、とても理屈で割り切れるものではない。残された家族や友人にとって、それはどんなに悲しい偶然だっただろうか。
Tさんを偲んで、大好きな「風」の歌をここに捧げたい。
「あいつ」 詞曲 伊勢正三
雪の中 一人の男が 山に還って行った
ただそれだけの話じゃないか 慌しい季節の中で
花束投げたあの娘の言葉が こだまして帰って来るけど
雪解け水の音に消されて また静けさが訪れる
だからもう忘れちまえよ あんなやつのことは
こんな可愛いひとを残して 一人で逝くなんて
あいつがたとえ思い出ひとつ なにも残さなかったのは
あいつにすれば精一杯の 愛だったんだね
春が来たら去年と同じように また山で迎えよう
それまでにきっと あいつの得意だった歌を覚えているから
それまでにきっと あいつの得意だった歌を覚えているから
Tさん、どうか安らかに 合掌
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