極楽見えた事もある、地獄が見えた事もある

BCG膀注療法の最終回は今月8日の事だった。昨年の12月から8回の予定でスタートしたが、初めの数回は大した副作用は出なかった。だがそれも4回目以降には、体験者のブログにあった通りに極端な頻尿や排尿痛などがはっきりと現れ、回を追うに連れ日常生活への支障も大きなものとなっていった。幸い、感染が疑われる発熱はなかったが。

そして最終回が予定された外来診療。一週間前にやった7回目後も頻尿や排尿痛に見舞われていたが、外来当日は何とか耐えられる状態だった。それでもやや躊躇した私に「その状態ならやってしまった方がいいですね。最終回でもあるし」と言う主治医T先生の言葉に促され、もう一度だけ副作用に耐えればゴールなんだという思いでBCGの膀胱注入を受け、いつも通りに帰宅し、1時間後に次亜塩素酸溶液の入ったビニール袋へ排尿。

この日はたまたまカミさんも休みだったので、そのまま車で昼食兼買出しへ出掛けた。排尿から15分も経っただろうか、いきなり尿意を催したのは昼食に入ったラーメン屋だった。店外にあるトイレで用を済ませ席へ戻ったあたりで注文したラーメンが運ばれ、気もそぞろに食べ終えた時、再び尿意が。やはり前回から15分経っているかいないかのタイミングだった。慌ててショッピングセンターへ戻り、トイレへ駆け込んだ。典型的な重度の頻尿状態である。

それはその後も続く事になる。尿意の間隔こそ30分、1時間と延びたものの、それが昼間も就寝中も変わらず襲って来る。起きている間ならまだしも、就寝中も1時間毎に尿意で目覚めさせられては階下のトイレへ往復する繰り返し。これが夜間頻尿の悲惨さで、よくぞ睡眠不足に陥らなかったモンだと感心するほど。

そのうち解消するだろうという期待も虚しく、注入後およそ一週間で明らかに尿道炎の症状が出始めた。そうなると何が起きるか?

排尿開始時のメリメリと引き裂かれるような激痛に加えて排尿終了時の収縮による激痛、終わった後もその痛みが沈静化するまで数分間耐え続けなければならない。スッキリするはずのトイレが苦痛にのたうつ場と化したのだった。しかもそれは昼夜を問わず1時間毎に繰り返され、時には尿意のインターバルの間に股間を針で刺されるような鋭い痛みに10秒間隔で襲われる。これはかなりシンドく、尿道炎のみならず膀胱炎も共存しているような感じだ。文字通り最悪の時期だった。

BCG療法終了後の最初の検尿を兼ねた外来が二週間後だったが、最悪期がその3日前から始まっていたので気分はそれどころではなかった。それまで透明だった尿の色は濁り、薄く血液も混じっていた。T先生は抗生剤を処方してくれたが、3日経ってもほとんど効果を感じず、遂に週末に予定外受診をするに至ったのだった。

その日は遅番の勤務だったが、家を出る直前から痛みが悪化したため、病院へ電話し外来受付時間ギリギリに飛び込んだ。すぐに採尿と残尿量測定を行ない、尿中に細菌が存在しなかったため非細菌性尿道炎となり、やはり抗生剤は無効だったと判明。残尿量4ccだったため、膀胱と尿道の緊張緩和のために抗コリン作用のあるベシケアとユリーフが処方された。門前薬局で交付を受け、早速服用し1~2時間ほど外来ソファで様子を窺う。鎮痛剤ではないので特に痛み改善の実感は得られなかったが、頻尿の閾値は上がったような感じがしたのでひとまず帰宅。その後職場へ向かったが、到着した時は既に17時前になっていた。

確かに頻尿の間隔は幾分延びたような気がしたが、抗コリン作用のためやたら口が渇く。一方で排尿のインターバルを襲う痛みや不快感は続いたが、何とか大量の品出しを終え、お客さん対応とレジをこなしつつ、どうにかこうにか閉店時間の21時を迎えた。予定勤務時間の半分しか勤務できなくてお店には迷惑を掛けてしまったが、この日ばかりは勘弁してもらうしかない。

翌日の日曜日は何とか予定勤務時間を乗り切ったが、何せ尿意が1時間毎、1回の小用に5分近くも掛かる身、その間に薬剤師を必要とする薬剤を求めるお客さんが来れば3連ブザーで呼ばれる事が何より怖かった。その瞬間、痛みの緩和に至って無かろうとお客さんを待たせるわけにはいかないから脱いだ白衣に袖を通しながら階段を駆け降りて行くのだ。インターバルの鋭い痛みが出れば棚の陰で中腰になってやり過ごす事も相変わらずである。

だがそれも僅かずつだが軽くなって来ている気もする。これが非細菌性の炎症である限り特効薬はなく、炎症の自然消退を待つしかないから、ひたすら時間の経過を刻み続ける事が治療となる。辛い日々だがそれは致し方ない。耐え続けるのみである。

・・・・・・・

良い知らせもあった。

予定外受診の際、尿細胞診の結果も出ていた。それは「高度の炎症を認めるも悪性の所見なし」という記載だった。具体的には「クラスⅡ:異型細胞は認められるが悪性の疑いはない」という事で、入院手術時の「クラスⅣ:悪性の疑いが極めて濃厚な異型細胞」からすればまさに雲泥の差で、事実上の陰性化宣言に等しい。

本来なら喜びが爆発するところだが、過酷な副作用の日々が一瞬その認知を遅らせ、少し遅れてじわっと喜びが込み上げて来るといった塩梅だった。もちろん今後の追跡検査が必要なのは言うまでもないが、何よりこの結果が得たくてBCG療法を続けて来たのだから、それが空振りに終わらなかった事が幸いだったと言えよう。

もしもこれで悪い知らせだったら、掛け値なしに世を儚んで生きる気力も失せていたに違いない。実際、入院手術を繰り返していた時には、ヒマに飽かせて楽な自殺方法ついてググっていたほどだった。こんな苦痛の日々を送りつつ、やがて膀胱を失い転移の恐怖に怯えつつQOLを著しく低下させて生きながらえる事に殆ど意味を見出せず、そうなる前に自分の人生には自分でカタをつけるべきだと思っていたから。でもそれも杞憂に終わりそうである。今のところは。

先日の同僚Sの葬儀の際、顔を合わせた元同僚のOに「Sはあまりに早過ぎだよ。まあ次はオレだろうけどね」と呟いたら、間髪入れずに「それはないでしょ。憎まれっ子世に憚ると言いますから」と返された事を思い出した。




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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

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