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「壊」の一年

師走。私にとっておそらく人生最大の激動を味わわされた一年がもうすぐ終わろうとしている。

1月から「早くも決定! 今年の漢字は「壊」」で始まる一連のエントリを書いたが、はたして見事にその通りとなった。

早くも決定! 今年の漢字は「壊」
やっぱり壊!
この憤りは何だろ壊?
もういい壊・・・

平和だったのは10日間にも及んだ年末年始休暇の終盤、ノンビリと箱根駅伝中継を観ていた時までだった。思えば注目すらしていなかった青学が初優勝したのがその前兆で、ここからが思ってもみなかった事が起こる一年の始まりだったのだろう。

年始の社長メッセージで早期退職制度の実施が伝えられた。第一段階として管理職を対象とするものだが、考えてみればウチの部署の大多数は管理職職階だったからタイヘンである。さらに50代はほぼ退職勧告は免れないという話。

前年に相次いだ海外での不祥事に加え、そろそろ結審に向かうと目される集団訴訟などで多額の資金を必要とされる半面、海外では次々と後発品による売上げ減少と、非常に厳しい台所事情が背景にあったのは事実である。

こういう場合の常套手段である、出るを制すの経費削減はまず我々学術研修部門に向けられるのが常道だ。営業部隊の資質向上のためには研修という手段は不可欠なのだが、いかんせんそれ自体は外貨を稼がない。すなわち非生産部門と見做されて削減の象徴となったのだった。

これまでも合併に伴なう早期退職が行われて来た経緯はあった。その度に多額の割増退職金を手に去って行った先輩達を残った我々は羨ましく見ていたものだったが、いざ自分の番となったら割り切れない思いばかりが募って来た。

そもそも研修トレーナーという仕事が大好きで、天職と公言して憚らなかった私である。それが定年まで後3年という中途半端な時期に、事前の想定も覚悟もなく一方的に辞めさせられる事には大いに怒りを覚えたものだった。

転職エージェントを通して他社の学術研修業務を求めたものの、やはり年齢などがネックになり不調。折悪しく去年から早期退職を実施していた大手数社の人材が市場に溢れている中、トントン拍子に転職が決まった同僚などほとんどいなかった。未だに決まっていない者もいる。

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ならばと私は原点回帰を考える。今まで営業職では医療関係者、学術研修職では営業部員を相手に活動して来たものの、真のユーザーである患者さんへダイレクトに接する事は立場上ご法度だった。それは製薬メーカーの宿命とも言えるのだが、患者さんの疾病を治療する薬剤を販売しながら、それを実際に使う患者さんにはアンタッチャブルというのはまさに隔靴掻痒と言っていい現実だった。

それなら次は直接患者さんに相対せる職に就こうではないかと考え方を方向転換したのだった。薬局の薬剤師である。だが選択肢の一つとなった調剤薬局は、患者さんが求めるのは薬剤師への相談ではなく一刻も早い自分の薬の交付であって、医者と散々やり取りした後に敢えて薬剤師とのコミュニケーションなんて望まないのは私自身も経験している。だからここは私の本意にそぐわない場なのだろう。

求めたのはもう一つの選択肢であるドラッグストアの管理薬剤師。調剤業務は扱わず、相談という目的を持った患者さんにカウンセリング販売を行なう仕事なので直接患者さんからの声が聞け、自分の対応の良し悪しが直接返って来るのがいい。お客さんからの感謝の言葉がこんなに嬉しいものだとは、大昔に実家の薬局を手伝っていた頃にさえ遭遇した事はなかった実感だった。

もちろんそれだけではなく、販売業であるゆえの管理・発注・品出し、売り場改変、推奨品販売実績などなど小売店に必須の業務もあるが、それでも患者さんとのやりとりが毎日のやり甲斐となっていた。ある意味、メーカー時代の医療関係者とのやり取りよりも充実感を覚える事が少なくなかった。

これはもう第二の天職だと言えるまでにそう時間は掛からなかった。

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薬局のOYAJIが第二の天職だと実感したのもつかの間、再発した膀胱腫瘍のTUR-Btが待っていた。最初の手術からちょうど2年後のお盆の頃の入院だった。病理診断で腫瘍の根っこが筋層に達している疑いにより、2ヶ月後にセカンドTUR-Btを受けるために2度目の入院、退院2週後の出血による急性尿閉(AUR)で3度目の入院と散々な日々を過ごして来た。

この間、仕事は休みがちとなってあまり貢献出来ず、特に薬剤師が必要な1類医薬品を中心とした販売実績が振るわなくなった事は心苦しかった。それでも11月初頭から復帰する中旬までの間、他店の薬剤師の先生方が応援に来てくれた事は何よりもありがたかった。

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それやこれやで、10月の手術後2ヶ月が経とうとしている。ものの本によれば、術創部を含めた器質的機能的リカバリー期間は8週間前後とあるが、私もそろそろその時期へ到達して来た。まだ全くの無症状とは言えないものの、歩行を妨げる痛みの襲来は消え、排尿前後の尿道痛さえ無くなれば普通の生活を送れる程度にはなったようだ。

事ほどさように人生最大の激動の一年だったが、「壊」の文字通り、壊れたのは自分の身体だけでは無かったようだ。

退職以後の前社の様子が風のウワサで聞こえて来るが、残念ながらそれは良いものではない。年に4回、営業部隊に対するFace to Faceの研修機会はほぼ無くなり、年に2回、それも大人数の営業会議にくっつけた形で実施されているという。

これは想定された事だったが、案の定、営業部員達からの評価は散々らしい。そりゃそうだ。20人前後の少人数で一日かけて行なう研修に比べて数十名~100名に及ぶ大人数にステージから一方通行で喋るだけの研修の満足度が高いわけがあるまい。「今の研修はどうしようもない」と吐き棄てる者もいたという。

それだけではない。退社後だけでも既に数品目の供給停止や販売移譲という事態が発生している。

特に供給停止は安定供給を責務とするメーカーとしてはあってはならない事である。しかもそれが実績の柱となっている製品で慢性疾患治療薬と来たから重大である。グローバルメーカーとしてあまりにお粗末だが、逆にグローバルメーカーゆえの落とし穴なのかもしれない。いずれにせよ患者さんはたまったモンではないし、同じ業界人として情けない限りである。

最近でもワクチンメーカーの一つである化血研による数十年に及ぶ不正な製造販売が明るみに出た。それが上層部の指示による組織的な隠蔽工作だったというから開いた口が塞がらない。会見での理事長の度重なる絶句がコンプライアンスとガバナンスの欠如を物語っていた。

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それでも6月の長男の結婚や趣味のアコースティックギターのラインナップが増えたり、息子夫婦や3本のギターがそれぞれ異なる個性の響きを奏でる事に生きている喜びを感じたりもした。来週からは外来でBCG膀注療法がスタートするが、まあここも乗り切ればまた一つ安心できるステージに上がれると信じている。

こんなノンビリとした死生観を抱く間もなく、今年も著名人の急逝が相次いだ。

思いつくだけでも、歌舞伎役者坂東三津五郎、上方落語の大名人桂米朝、キンキンこと愛川欽也、ワイルドワンズ加瀬邦彦、究極の個性派萩原流行、骨太俳優の今井雅之、大好きな漫才師だった今いくよ、写真集も買った川島なお美、橘家円蔵というより月の家円鏡、ひょっこりひょうたん島のトラヒゲの声優熊倉一雄、寺内貫太郎一家の加藤治子、本当に憎らしいほど強かった大横綱北の湖、豪放磊落な阿藤快、 昭和の大女優原節子。そして水木しげる先生。戦争で片手を失ったにも関わらず、その常人にはおよそ描けない精緻過ぎる画風には昔から畏敬の念を禁じえなかった。

どんな年齢まで生きようとも納得して亡くなる人なんてほとんどいないに違いないから、さぞやそれぞれに無念だったろうと思う。合掌

それに比べりゃウダウダ言いながらも生きている私あたりはまだシアワセなヤツなのだろう。良い事ばかりが続くものでもないし、さりとて悪い事だけでもなく、やはり人生の禍福はあざなえる縄の如しなのかもしれない。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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