OYAJI、城崎にて
これまで、メンバーの寄る年波のせいなのか、はたまた息子娘を持つ親の人生イベントなどが邪魔をしたのか、年一度の開催もままならない年もあったり、開催してもわずか数名の参加に留まったりと、けっこう逆流にも揉まれて来たPOOB総会だった。
で、今回の秋の総会in城崎(11/15-16)。城崎と言えば、ちょっと前に号泣県議のカラ出張先として全国に知れ渡った温泉地であるが、もちろん私はカラ出張ではない。はるばる東京から600km以上も運転して駆けつける単なるヘンタイOYAJIである。
この時季の城崎と言えば松葉蟹、それもつい2週間くらい前に解禁されたばかりである。そうなれば、普段ならせいぜい1諭吉ちょっとの宿代の温泉宿が一年で最も調子に乗る季節となって、マトモな旅館のマトモな蟹コースだと、最低でも3諭吉は下らない強気の宿代を軒並み覗かせる。
その間隙を縫うように、企画途中から幹事同然のようになったジモティの芳氏がツテを辿って射止めた、設えこそ旧いものの、それなりの地元産松葉蟹のコースが味わえるH旅館だった。お代は3人部屋で@2諭吉ちょっと。十分でしょ!
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まず目指すは第一集合場所の舞鶴赤レンガパーク。念には念を入れて、所要時間7時間弱と見積もり3時30分出発。実は前の日を休暇にしていたのだったが、急遽降ってきた仕事のために出社し、帰宅して寝付いたのは11時を回っていたのだった。さすがにこの歳ともなれば肉体的にしんどいが、そこはそれ、遠足当日のあの心境で、睡眠不足なんて感じない。
遥か西を目指すドライブは、これまで鳥取カニ食いオフの前泊で天橋立まで走ったのが2006年11月(by PEUGEOT206XS)、最も遠い距離を駆け抜けた岡山オフが2012年12月(by BMW120iCoupe)だった。これらを経験してしまえば今回のチャレンジもそう苦にはならない。ただし今回は「股間がツーン」の状態ゆえ、シートヒーターなんてない愛車のシートにホカロンを貼っての旅路となった。
紅葉シーズンの土曜日とはいえ深夜、首都高から東名への全くストレスフリー走行、さらに走りやすい新東名に入れば巡航速度も20kmはおのずと上がってくる。例によって右車線貸切状態で最初のトイレ休憩の静岡SAへ。午前5時、まだまだ暗い。
車は長い静岡県を抜けて愛知県へ入った。いつしか夜明けを告げるドーンパープルに包まれていた。すると、前方に突如としてゴキ○リのような物体が! よく見るとそれは黒いプリ○スだった。それも右車線をチンタラ走行、じゃなかった安全運転走行中ではないか。これはイカンなぁ、高速道路の追い越し車線は追い越すためのもので、定速走行だったらキープレフトって習わなかったのか?
それをしっかり教えてあげようとアオる、じゃなかった後ろについてあげたら、ようやく車線を変更した。ところが、このゴキ○リ、じゃなかったプリ○スが次から次へと出現するではないか! そう、ここはト○タのお膝元だった。このパイロンを大型トラックともどもパスしていくうちに、幸いにも名古屋周辺の渋滞にも遭わず、一気に岐阜県へ突入した。
養老SAにて朝食兼トイレ休憩を取り、一路舞鶴へ。途中の一車線時々追い越しゾーンでのペースカーにヤキモキさせられつつも、予定より1時間早く目的地の駐車場に到着。メンバーの到着を寝ながら待つ事にした。家を出てからざっと6時間、600km。う~ん、さすがに眠気を感じるなぁ。
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ほどなくして全員集合。
まずは幹事のしげドン夫妻がアマガエル色の206CCで到着。続いて群馬から風酔亭夫妻が206RCで登場。大阪から206XTで参加のおふらんぷ氏に約束通りLPレコードの束を進呈し、ジモティ雅氏のラッピングではなく塗りのマットブラック仕様の106を拝んでいたら、ジモティのくせに道を間違えた芳氏の206XTが到着。名古屋からシトロエンC3参加したルル&おおで一家の1歳の娘、莉菜ちゃんにご挨拶して、横須賀モドキの海軍カレーなるものを食し、舞鶴港クルーズで数隻のイージス艦や輸送艦を間近に臨んだのだった。
目指す城崎温泉は、ここからさらに80km以上離れた場所。先頭のしげドン号に無線を渡し、シンガリの私と交信しながら計6台(PEUGEOT4台、シトロエン1台、BMW1台)の下道トレイン走行は、例によって信号と地元ペースカーに阻まれながらも、トレイン走行自体が久しぶりなだけに爽快だった。
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蟹だけで腹一杯になったのはいつ以来だろうか。
蟹刺に姿茹で、焼き蟹に蟹しゃぶと来れば、文字通りのフルコース! しかも地元産のタグ付きなので偽りナシ! 蟹のサイズこそお値段なりだったが、それでも十分大満足! 久しぶりの御馳走に一同大はしゃぎの賑やか、いや蟹だけに静かな宴会の時間が流れてゆく。
「おっ、カニ味噌たっぷり! こりゃあ日本酒だなぁ」というメンバーの声を尻目に、私はカニ味噌ですらノンアルビールで流し込んだ。〆の雑炊でさえもはやロクに食べられないほどボリューム十分だった。寝不足に加えて満腹せいか、今回も温泉街の昭和の香りプンプンのワケアリスナックへ繰り出してのカラオケ大会もナシ。せっかく持ってきたギターも出番ナシ。
こりゃ次回からはカラオケが同じ旅館内にでもなければ、このオフ会の3本柱(露天風呂、宴会、カラオケ)の一角が崩れてしまいかねない重大な局面となってしまったのだった。やっぱ歳なのかもね。
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こうなれば部屋へ戻ってグダグダするしかない。既に酔っ払い状態となった論戦バトル相手の芳氏が、シラフの私相手にいつものように挑みかかって来る。お互いに酔っ払っていれば支離滅裂トークにもなるが、今夜はシラフの私、冷静に相手の急所を突ける。酔っ払いってつくづくアフォだななんて観察したりして。笑
翌日は20kmちょい足を延ばして出石の皿そばへ。5皿が一人前だそうだが、朝食たっぷりの我々でも物足りないくらい。蕎麦は平打ちでやや濃いめの色だが、コシはしっかり。だから江戸のもりそばの如く、シンプルにつゆに潜らせて吸い込むのが良い。追加でさらに3枚ほど手繰って終了。気がつくと周辺は駐車場への大渋滞。こんな所でもスゴイ観光地となっていたのはビックリ!
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さて帰路。当然ながら行きよりもテンションが低い事に加え、帰京渋滞も織り込み済みなので、敢えて大阪・京都エリアを避け、舞鶴経由で来た道を戻る事にした。ま、今日中に帰れればいいや、と。
案の定、この時点で東名は御殿場から町田まで50km渋滞。中央道も大月から八王子まで30km渋滞。行ける所まで行って、渋滞エリア前のSAで食事&仮眠でもすれば良い。で、立ち寄ったのは行きと同じ静岡SAだったのは偶然。でもその先のSAは全部混雑の表示だったから、これはラッキーだったかも。
結局、22:00過ぎに無事帰宅。通販で買っておいてしげドン氏に交換してもらったBLITZのエアクリ(これが純正品のスポンジではなく、金属の網目構造だった)の高速で踏んだ時の吸気音を楽しみつつ、往復1300kmの一泊ドライブが完了した。これはひとえに(PEUGEOTもBMW共に)優秀な車とシートのおかげと言わざるを得ない。見てくれだけの国産車だったら、とっくに身体にガタが来ていた事だろう。
あ、それとシートのホカロンの威力もバツグンだった事も付け加えておく。少なくとも運転中、股間は無事だった。
(追記)
今月10日、名優の高倉健が亡くなった事が昨夜明らかになった。悪性リンパ腫、享年83歳だった。
若い世代にはピンと来ないかもしれないが、健さん=ヤクザ映画という世代に育った私には、着流しにドス(断じてピストルじゃない!)、相手(大抵は敵対する組の親分)の理不尽に耐えに耐え、いよいよ我慢の限界となって殴り込みを掛けに行く。その道中に現れ、健さんと行動を共にするのが、これまた渋い池部良や鶴田浩二だった。
健さん主演のヤクザ映画(ほとんどが昭和残侠伝シリーズ)のDVDが手元に5枚ほど。間髪入れずにあと2枚をポチっていた。ヤクザ映画全盛のあの時代も、渋い現代劇の近年も、健さんに影響を受けなかった男は誰一人としていなかっただろう。
巨星墜つ。ありがとう健さん、そしてさようなら。
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