振り向けばお達者クラブ
会社OB&OGの親睦会なんて今時なかなかやってないだろう。ましてや粉飾決算事件によって消滅した会社の会である。毎年春秋に開催されていたようで、今回で何と55回だそうだ。これは一度くらい顔を出しても良さそうだとばかりに昼過ぎ、銀座ライオン6Fにあるクラシックホールへと向かった。
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毎回50名を優に超える参加者がいるそうだが、今回は50名ギリギリだった。クラシックホール貸切りの円卓が並んだ会場には、当時のお歴々の顔が。当時の面影を残している方や全く様変わりした方など多士済々。気がつけば私あたりが最年少という、まさにお達者クラブの集団のような景色に唖然茫然。
入社当初の配属だった本社の同じ部署の方が今回は一人も出席されなかったのが寂しかったが、それでも名前を覚えている人とは昔話に花が咲いた。こういう会には付きものの没故会員の発表と黙祷、そして初回参加者の自己紹介スピーチと続く。かくいう私めも壇上に上がって、ひとくさり思い出話を語らせていただいた。後で聞いたら、若くして鬼籍に入られている方もいて、さまざまな人生模様はここでも描かれていたんだなぁとしみじみ。
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90歳を筆頭にした先輩方といろいろ話をしていると、皆さん異口同音にこの会社で仕事に従事して来た事に満足していたり、誇りにさえ思っていると言う。地位や報酬に固執して短期間に会社を渡り歩いたり、会社と自分との関係をドライに割り切ったりという、ともすれば外資系企業に見られるメンタリティはまるで無い。古き良き内資企業の愛社精神がかえって清々しい。私も最初はそんな一人だったんだけどねぇ、どこでこんな軌道修正をされてしまったのだろうか?
私が入社した1980年は業界で営業関係者に対する年間100時間の自主研修がスタートした時で、なんと新卒ペーペーのこの私が毎月全国の支店を回ってエラそうに研修なぞをさせてもらっていた。それが今の会社での研修トレーナー業務に繋がっているとしたら、ある意味スゴイ事だろうと思う。
研修関係業務はそれだけに留まらず、中途入社者研修の手配や新人研修では新人と一緒に泊まり込みで実施(3ヶ月!)したりと、いつしかUさんと同じ業務にも手を染めていったのだった。これも現在の業務に確実に役立っている。
その他、新製品のパンフレット執筆や雑誌広告の企画デザイン、パッケージデザインなどにも携わらせていただいた。各製品の営業販促物の選定や大日本印刷と連携してロゴマーク作成などもさせてもらったりと、およそ新入社員ふぜいがタッチできる仕事ではない分野へも参画させていただいた。もちろん、それらの経験がその後の私のさまざまな業務に大いに役立った。K社というのはそんな会社だった。
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次回は来年4月下旬だそうだ。今度はもう少し若い世代のメンバーも参加して欲しいし、機会があれば私の方からも誘っていきたいと思っている。参加者の年齢や都合もあってか、特に二次会などの企画は無かったが、あっという間の2時間は実りの多い時間だった。
歩行者天国の中央通りを来た道を引き返して家路に向かう。家を出て来た時よりも気持ちが爽やかに満ち足りていたのは言うまでもない。
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