あれれと言ってる間に晩秋だ
そんなこんなを抱えながら、時はいつしか晩秋の11月へと移って行った。今年ももう残り2ヶ月を切ったのだ。
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プライベートのイベントも盛りだくさん。先月14日には長男の企画で家族ランチ会。私の母親、妹、カミさんや息子達をメンバーとして不定期ながら私が声を掛けてやっていたのだが、いきなり彼からやりたいと言い出したのだった。
こりゃ何か企んでるなとピンと来たが、その理由はあえて聞かなかった。母親づてに聞けば、どうやら紹介したい女性がいるらしい。といってもまだ本格的に結婚云々というところまで進展しているワケでもないという、いかにも長男らしい中途半端な状態。いちいち私と母親の両方の家へ連れて行くよりも食事会で紹介すれば手間も省けると思ったのだろう。
場所は日本橋の再開発ビルの天ぷら店。着いたらカウンター席仕様の個室があつらえてあり、雰囲気的にもちょうど良い塩梅。彼女は息子の1歳年下で、和気あいあいの感じで食事が進んでいった。まだ本決まりじゃないから結婚の「け」の字も言わないでくれと言っていたらしいが、なんのなんの、両人ともすでにその気満々のオーラ十分じゃないの。こりゃ年明けあたりからいろいろと忙しくなりそうな予感。
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26日には、およそ7年振りに中学の同窓会が江戸川区船堀のホールで開かれた。今回は同窓会に先立って、分校として開校した中学の55周年記念会も開かれたようだが、我々の生まれた年に開校したという事は、その会に集う卒業生も我々の親かそれ以上の世代の人達が多いと思われ、私は同窓会の部から出席した。
すでに鬼籍に入られた先生や同級生の名前が告げられるというのもこの年代ならではの宿命と言えなくもないが、その名を聞くたびに思い出と共に悲しみが込み上げて来る。ホント、ここまで来たら生きてるだけで儲けモンである。
我々の中学時代は今では信じられないくらい厳しい校則に縛られていた。男子は坊主頭、女子は肩より短い髪形が必須。ひとたび校内放送のチャイムが鳴れば、何をしていてもその場で直立不動で聞く。これが卒業後もだいぶ長い間、デパートなどの館内放送チャイムに反応し思わず直立不動になってしまう副作用を生んだ。私はPTSDと呼んでいるが、同窓会で決まって出る笑い話である。
交通機関を使う外出は父兄同伴、学区外まで出る時には制服制帽。都民にも関わらず、それまで一度も乗ったことのなかった山手線に休日に同級生と初めて乗って周回しただけで職員室に呼び出されてビンタを食らった。当時流行ったボウリングや喫茶店に行った事がバレた時は全員職員室に正座させられて長時間の事情聴取の末、やっぱりビンタ。
それを今さら先生方が詫びるのである。「今だったら首がいくつあっても足らない。あの時はすまない事をしました」
とんでもない! あの頃はモンペなどいなかったし、必要な体罰は認められていたのだから。何より父兄から先生への信頼が厚かった。私の両親なども「悪い事をしたら死なない程度にひっぱたいて結構です」とPTAのたびに言っていたくらいである。体罰は良い意味で教育であり躾でもあった。だから生徒は(ほぼ)真っすぐに育ったのだ。だってそれが今、リッパな笑い話になっているんだから。
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11月2~3日はウチの部署恒例の春秋キャンプ。今回も一番高いけど一番設備の良いPICA山中湖。いつもは土砂降りの時もあったくらいの雨模様なのだが、不思議に天気には恵まれた。
内勤職から営業職まで20名弱の参加者で、今回も大いに盛り上がった。久しぶりに参加した個性派の女性営業部員の超絶な体験談が夜のBBQ宴会を大いに盛り上げた。消灯時間が来てコテージに移ってからの脱衣UNO大会もね。もちろん私はひたすらウーロン茶だったけど、酒が入らなくても楽しさは変わらなかった。
短縮講習からさほど経っていなかったのが玉にキズだが、高速では、トラックとバンとプリウスしかいない事を前後左右しっかり確認し、今回ピックアップした女性2人を乗せたまま思い切り踏んでみた。いつもより重かったにも関わらずスンナリとぬよわkmあたりまで加速し、新鮮な刺激も味わえた。やっぱこれがなくちゃね。
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仕事の方はボチボチ12月の研修ツアーのためのコンテンツ作成に拍車がかかって来る頃である。こうなると休日と言えども宿泊を伴うイベントはやりにくくなるが、日帰りイベントならまだまだ予定は入っている。ON/OFFを上手に切り替えながら、残り少ない年末までどちらも楽しんでいきたいね。
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