25年目の邂逅 ~その1

そのキッカケはFaceBookへ届いたひとつの友人申請だった。申請者の名前を一目見た瞬間、私は彼と最後に会った日を思い返すと同時に、反射的に今日までの年月を数えていた。

・・・・・・・

「彼」とは、中学の同級生だったKである。片や常に成績が学年で5本の指に入ろうかというKと、試験範囲ナシの一発勝負で行なわれる実力テストの時だけ、たまにベスト10入りしていた私あたりとでは、そもそもの頭の作りが違っていた。

だが、越境入学同士で家が比較的近かったせいもあって、お互いによく入り浸っては音楽を聴いたりプライベートな話をしたりしていた。特にその頃好きになった同級生にどうやって思いを伝えようかと胸を焦がし、遂には二人で自転車に乗って好きになった彼女の家を探しに行ったり、代わりに手紙を渡してあげよう、なんて事もやった。ま、結局二人ともヘタレで見事に玉砕したけれど。

Kとの付き合いは高校時代にも続いて行く。

成績優秀で内申点も心配のない彼は、学区で一番レベルの高い都立高校へ無事に進学した。一方、日頃の内申点が悪いため入学試験で3科目平均90点以上を取らなければアウトと言われていた私は、国語、英語はクリアしたものの、案の定、嫌いな数学でコケて私立高校へと進んだ。

もはや時効だから書くが、その頃には二人ともしっかり未成年飲酒の常習犯だった。夏休みには木曽路を徒歩で歩く行き当たりばったり旅行などにも出掛けたりした。知らずに南木曽から中津川へのルートを選んでしまい、キツイ登り道ばかりでしんどかったのを良く覚えている。

やがて大学受験が訪れる。私は運よく薬科大学に入学できたが、公立の医学部を志したKは浪人の身となった。その当時、最高峰と呼ばれた駿台予備校の午前部に通いつつ、それでもたまに二人で飲んではストレス解消をしていた。

そしてリベンジの時は来た。合格発表の日はもちろんKと二人で行き、ビビる彼に代わって受験番号の確認をした。雌伏の蛍雪時代が報われ、Kはものの見事に合格していたのだった。これは嬉しかったね~!

私の大学は東京の西のはずれにあり、東の下町にあった実家から毎日2時間かけて東京横断通学をしていた。だから始めのうちこそ地元で家庭教師のアルバイトを始めたものの、クラブ活動とも相俟ってすぐに務まらなくなり、それ以後バイトとも無縁な日々を過ごしていた。

一方でKは医大生という看板を活かし、中学の時に通っていた塾の講師などのバイトにも精を出していた。挙句、二人で飲みに行った居酒屋も、DVDや通信などではない歌詞本を見ながらの8トラカラオケスナックも、結構な頻度でKのゴチにあずかっていた。 …これはどっかで返さにゃならんと今でも思っている。いや、ホント。

その後に一度、最初の会社の時に神奈川へ転勤した私は、横浜の精神科医療施設に勤めていたKの元へ営業社員と同行した事があったが、少しばかり仕事の話をしただけで短い面談は終わっていた。アラサーの頃である。

さらに数年後。すっかりご無沙汰のKと久しぶりに再会したのは、私が企画した地元でのクラス会だった。懐かしい顔が担任の先生を囲んで楽しいひと時を過ごしたが、結局それが彼との最後の顔合わせとなった。

・・・・・・・

それからおよそ25年の歳月を経て、KからのFB友人申請に至るのだが、実は私の会社の製品関係で時折彼の所属をチェックしたりしていた。だがその製品担当も外れたため、追跡作業も放置したままだった。気がつけば私は研修トレーナー、彼は精神病院の院長となっていた。

そして明日。銀座にある彼の行きつけの店で食事、というより飲み会をやる運びとなった。あの日以来、お互いの姿かたちも変わっているだろうか? …少なくとも私は細身のチビではなくなっている(爆)

同窓会に行くと瞬時にタイムマシンに乗ってあの頃に飛べる感覚を覚えるものだが、たった二人の間でもきっとそんな化学反応が起こるだろうと思っている。

それぞれが過ごしてきた日々の尽きせぬ話を肴に、ここは思い切り酔ってみたいね。


(つづく)





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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