一周忌
この日の朝は、ごく内輪だけで墓前にてお経を上げてもらっただけの簡単な法要を済ませた。偲ぶ会と名付けられた食事会は、親族や親父の友人など30数名に足を運んでいただいて、デパートの貸し切り個室で開催された。
例によって、母に代わって私が挨拶&司会進行を行ない、大学山岳部の先輩、高校時代の同級生の方達の挨拶と献杯、その後は2時間以上に渡って歓談という、堅苦しい事が嫌いだった親父の意向に沿ったフランクな感じの会となったのは何よりだった。
普段はさほどのお付き合いもしていない者同士が、故人との関係の名の下に時間と場所を超越して集まり、個人との関係を話のネタに過去と今を語り合う。ま、これも冠婚葬祭の目指すところなのかもしれない。
思えば、親父から私、私から息子と25年周期で子供が生まれた我が家だった。という事は、私の年齢の時に親父にはすでに5歳になる息子が孫として存在していたのだ。残念ながら25年周期は、前日の8日に30歳となった息子で途絶えている。
まあ、そのおかげで私は「OYAJI」ではあるけれど「JIJII」にはならずに済んでいるというワケだが、果たして親父の55歳はどんな感じだったのだろうか。単に年齢が同じというくらいでは、私にはとても計り知れない。
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昨年12月5日の中村勘三郎に続き、今月3日には市川團十郎が亡くなった。白血病の持病があったにせよ、66歳というのはこれまたあまりに若い。この春予定されている新歌舞伎座のこけら落としを待たずして、歌舞伎界は大看板を立て続けに失った。
中学時代の歌舞伎教室以来、これまでまともに歌舞伎を鑑賞する事などなかったが、ふとNHKの團十郎追悼舞台放送を観ている。演目は勧進帳、これくらいなら有名だし分かりやすいので抵抗感を持たずに見続けられた。しかし弁慶役の團十郎、一度登場したと思ったら、延々一時間以上も出ずっぱりで、最後に花道で見事な大見得を切るのには圧倒される。。すかさず大向こうから「成田屋!」の声が飛ぶ。
素人目に見ても、これはまぎれもなく名演であり、團十郎のカッコ良さがひしひしと伝わってくる。こんな事なら、両名が生きているうちに生舞台を見ておくべきだったなと、これまた素人の浅はかさ。
数え80で逝った親父はまだ長生きだったと言えるのかもしれない。