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希望の終焉ふたたび

さまざまな研修にスケジュールを塞がれつつ、やっぱり十分な準備期間を得られないまま、5日の大阪会場を皮切りに定例の全国研修ツアーが始まった。

今週はこの大阪と翌日の福岡の2会場のみ。ぶっつけ本番色の濃い状況に加え、マーケ部門からのオブザーバーもいる中での半分プレッシャーと半分メンドクサイ気持ちを抱えての試し斬りならぬ筆下ろしだった。

初日はトレーナー総掛かりで大阪へ出向き、各コンテンツの作成者によるプレゼンを行なった。その場である程度あらわになった受講者の反応を踏まえ、福岡会場では速攻でコンテンツの修正を行い、前日チクチクと文句を言っていたパラノイアならぬウルサ型のマーケ部長Mが思わず絶賛する仕上がりを示してやった。ザマミロ

帰京後の本日は、トレーナー間の振り返りミーティング。各会場の状況報告と修正事項を確認し、これでほぼ研修コンテンツが固まったと言っていい状態までたどり着いた。販売施策の関係で、この後約10日間、研修ツアーはお休みとなるが、私の担当会場は全部で15会場、まだ2会場が終わったに過ぎない。本当にキツイのはこれからである。

・・・・・・・

さて、振り返りミーティングも終わった午後の事。

私の担当製品Aのマーケ部門の担当者Nから「ちょっと遊びに行っていいですか?」というメールを受け取った。彼のメールに添付されていたファイルには、先日の会議で発表されたある事実が記されていた。それは製品Aにとって極めて悲観的な来年度への方針だった。そして死刑宣告に等しいものだった。

要は 、来年度から製品Aに関してマトモな販売活動は行わないというのである。命にも関わる手術後の合併症の予防薬として、画期的なメリットを持った製品Aが日本で産声を上げたのは今から5年前の事だった。私も発売前から組織された専門営業部隊の研修部門として積極的に参画し、気が付いたら製品Aに社内で最も古くから関わって来た人間となっていた。

大きな期待を持って発売されたはずだったが、その行く手は決して平坦ではなかった。

新規分野へ踏み出す新製品には、ことさら有効性と安全性が問われる。しかしながらこの製品Aは予防薬であるがゆえ有効性は体感しにくいが、安全性は目で見て分かるのだ。我々が発売前に描いていたイメージと使用現場からの反応とのギャップに大きな戸惑いを覚えたのがその始まりだった。無理もない、日本では今までまともに使われる事のなかった分野の製品だったのだから。

絶対に必要な高付加価値の製品であるはずなのに、その売り上げがなかなか伸びない。

一時は専門営業部隊のみならず、製品Aが使われる施設の担当営業部隊がコラボレートする施策が取られた。彼らにとっても本格的な入院患者用の製品を担当する良い機会となった。だが、営業部隊全体に及ぶ大きな組織変更のあおりを受けて、1年を待たずしてコラボは解消されてしまったのである。

その間、遅れて発売された競合品Eにも徐々に押され、コラボ解消によるマンパワーの減弱もあって、発売1年後に新たな適応追加があったにも関わらず製品Aの販売は伸び悩んだ。海外ではNo1の売り上げを誇る競合品Eの販売会社は、早々と日本市場に見切りをつけて他社へその販売権を譲渡した。

やがて専門営業部隊も組織合体が行なわれ、上り調子の別分野の製品B、Fと一緒に担当する事となる。

この時点で、発売初期から製品Aを担当して来て思い入れのあるメンバーと全くその思いを持っていないメンバーとの混成部隊が同じ専門営業部隊として活動する事となり、それゆえメンバー間に温度差が生じたのは必然だった。計画がキツくなるに従い、売り上げ単価の高い製品Bや製品Fに活動の比重が傾くのも必然だった。

製品Aが、術後合併症の予防だけでなく治療にも適応を拡大したのは昨年だったが、もはやメンバーに予防分野で競合品と戦いながら治療分野での使用を拡大して行くだけのパワーは残されていなかった。会社もそんな余裕を与えているわけにいかない状況にもなっていた。かくして製品Aへの注力は目に見えて減少して行ったのだった。

思えばこの製品Aは、統括部門やマーケ部門などのメンバーが短期間に入れ替わり、それに連れて販売方針の方向性もコロコロ変わった。時が経つに従い、独善的で現場感覚の乏しい中途入社社員がその中枢に座るという信じられない現象も起きた。そして発売前から私とタッグを組んで来た、マーケ部門で最もこの製品Aに熱い思いを抱いていたKが会社を去ったのが決定的だった。

それら全てが今日の負のスパイラルへの道のりだったと言えるのかもしれない。

私は製品Aが大好きだった。足掛け7年に及んでこの製品に注いで来た情熱も、ここに至ってさすがに消えかかっている。こんな終わり方をするような製品ではないはずだという思いと裏腹に、会社は決して慈善事業ではないのだという現実を何とか受け入れようとしている。極めて苦くてしょっぱい味を噛みしめながら。

このエントリを書くかどうかも最後まで悩んだが、ここは製品Aに長年に渡って付き合って来た私に免じて記録しておく事を許していただきたいと思う。

ここに一つの素晴らしい製品が静かに歴史の片隅に去ろうとしている。いや、まだ去ってしまったというわけではないが、もはや時間の推移と共に明らかになって来るのを待つだけの状況であるのは変わらない。

今こそ、製品Aに携われた事への感謝と共に万感の思いを込めて告げよう。

さよなら○rixtra。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

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