老雄去る

今週前半、2日間の専門営業部隊の研修が終わった翌日からの2日間は、一転して全国研修ツアーのスタート。幸い会場は同じ都内だったから移動の手間はなかったが、コンテンツがまるで異なるので頭の切り替えが大変だった。

そんなツアー初日の一昨日、研修時間直前に一人の受講者から声を掛けられた。

振り返ればそこには、ダブルのスーツにベルサーチ風のハデなネクタイ、若干薄い髪の毛をオールバックにしている、いつものNさんの姿が。これまで定年延長をしていたが、どうやら今月で退職するとの事。

Nさんは、長年ひとつの大学病院を担当して来て、そこの主とも呼ばれた超ベテランの営業マンで、その実績を買われてウチの会社に転職して来ていた。独立独歩という表現がピッタリの人で、当初は研修受講態度もいい加減で必ず途中からいなくなると、その若干コワモテの風貌から異端視されていた。

同僚からそんな情報を得て、初めて研修に臨んだ日を覚えている。そういう研修の雰囲気を壊しかねない受講者には、私は積極的にコンタクトして先に言いたい事を言わせてしまうか、敢えて簡単な事で質問攻めにして黙らせるという方法を使う。Nさんの時もそうだった。

ところがそれがNさんとのいい意味でのコミュニケーションに繋がったのか、回を追う毎にいい関係になって行ったのである。面会や説明会があると言っては夕方からいなくなるのは相変わらずだったが、決して研修を壊すような態度は取らなかった。いつしか分かっていながらもNさんに「今日もアポイントが入っていますよね? で、何時に出られます?」と訊くのが、ここの研修会場の風物詩にさえ感じていた。

残った有給休暇を一切取らずに今月末まで現場に出続けると言い、この日は最後まで研修を受講したNさん。何度もガッチリ握手をして去って行った。お疲れさまでした。

・・・・・・・

芸能界では、記憶に残っているベテラン達が相次いで亡くなった。

「北の国から」のレギュラーで、最近はぶらり番組「ちい散歩」で活躍していた地井武男氏が、先月29日に心不全のため70歳で亡くなった。ちい散歩の最後に出てくる絵手紙のうまさが印象的だったが、何と言っても忘れられないのが「北の国から〜2002遺言」で見せた演技だった。長年連れ添った女房の末期ガンを田中邦衛の黒板五郎に打ち明けるシーン。涙でくしゃくしゃの顔で語る迫力に一種凄まじささえ感じたが、それもそのはず、実生活でも妻を亡くした直後だったのだ。辛い巡り合わせだったろうが、それ以上にプロフェッショナルだった。合掌

「スターどっきりマル秘報告」などのバラエティー番組の司会や俳優で活躍した元ドンキー・カルテットの小野ヤスシ氏が、28日腎がんのため72歳で亡くなった。実は彼がザ・ドリフターズの初期メンバーの一人だった事は、亡くなって初めて知った人が多かったのではないだろうか。その時代からの親友である加藤茶氏の「年の差結婚式」の司会を買って出た時は、死への覚悟すら持って臨んだという事である。彼もプロに徹した生涯だった。合掌

双子のデュオ「ザ・ピーナッツ」の姉、伊藤エミさんが先月15日、71歳で亡くなった事が分かった。私がまだ小学生あたりの頃、実家の店員達が「ザ・ヒットパレード」や「シャボン玉ホリデー」を盛んに観ていた記憶がある。子供の私にはその面白さがよく分からず、それでも一緒に眺めていたものだった。

昭和36年の怪獣映画「モスラ」では、双子の妖精「小美人」を演じて「♪モスラヤ、モスラ…」と歌い、印象的な歌詞とメロディーで話題を集めたと言うが、その頃私はまだ3歳。記憶に残っているのはこの映画の再上映で観たせいだったのだろう。ピーナッツ解散後、ジュリーと結婚したが離婚した。一切表舞台に出なかったので71歳の姿は全く想像できない。私にはいつまでも大人の魅力溢れた美女のままである。合掌

・・・・・・・

昨夜は、長年の同僚であるIさんの、今月発足したワクチン専門会社への出向壮行会だった。

集まった部署のメンバーは総勢20名。カラオケ好きのIさんのために、何と一次会からレストランカラオケボックス。記念品はIさんの名前入り中国製ゴールデンマイク! マイクのコードは予めカラオケアンプに接続済みで、記念品授与後すぐに接続して使用できるという仕掛け。これには本人もビックリたまげたようだった。

Iさんはカラオケに行ってもまず自分では曲を入れない。人が入れた曲で自分が歌えるとなると、勝手にマイクを持って立ち上がって歌うのである。特に私とは同年代ゆえ見事に好みがカチ合い、その都度紛争が巻き起こったものだった。

だが、この日ばかりは敢えてカチ合う曲を入れ、Iさんがゴールデンマイクを持って立ち上がったところで、ダチョウ倶楽部さながら「ど〜ぞ、ど〜ぞ」とおとなしく譲るという趣向に徹した。気持ち的に忸怩たるものもあったが、主役なのだから今夜だけは、いや一次会だけはしょうがないわな。

いつものアリスやハウンドドッグに加え、5月末にがんのため69歳で亡くなった尾崎紀世彦氏の「また逢う日まで」もエントリーし、Iさんが立ち上がる度に譲った2時間は瞬く間に過ぎ、一次会はお開き。続く二次会も10人位でカラオケボックスになだれ込み、今度は遠慮なく歌いまくった。

週末だったせいか、Iさんのホームグラウンドである中野のカラオケスナックは一杯で、そこまでは行けなかったが、とことん歌えたので十分だろう。

先の事は何でもアリのこの業界、この会社だ。またいつか一緒の会社になるやもしれんし、今日のところはお互いの健闘を祈念しつつ、ひとまず別れておきましょか。





関連記事

COMMENT

EDIT COMMENT

非公開コメント

Number of Access
Since 25. Dec. 2001
Time Goes By ・・・
Day by Day ・・・
My Profile

Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

Wise Remarks
Recent Comments
データ取得中...
Search
Translation
PDF Exchanger

Weather Forecast

-天気予報コム- -FC2-
Game Corner

おまけ Space Invaders
developed by 遊ぶブログ