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ジジイの病気は実に厄介

最初は声を出すとコンコンと軽く咳が出る程度だった。それがいつしか発熱を伴うようになったが、元来発熱自体が数年振りで、しかも熱に対する自覚が薄いので熱感やらふらつきやらはあまり感じなかった。

それが2週間くらい前だった。それでも少しは異変を感じていたので、家で体温を測ったら何と38℃台‼️ 食欲も無いからそのまま横になって、時折出る咳と共に日がな一日過ごしていた。夜間頻尿が2〜3回、同時に強い口渇を覚えた。

熱と咳が症状なので、これはまた何年振りに風邪を引いて拗らせたのだなと思った。3日経って、取り敢えず近所の耳鼻科クリニックでコロナとインフルエンザの抗原検査をし、両者陰性を確認した。やはり風邪か。

ここから解熱剤カロナールと咳止めメジコン、それに抗菌薬クラビットを飲み始める。カロナールのおかげで昼間の発熱は少し抑えられたが、カロナールの切れる朝方はやはり38℃〜39℃を示す。相変わらず口渇も強いので、ペットボトルでガンガン水分を摂る。

実はこの時、コロナ禍で5年振りに開催される大学クラブのお泊まり温泉麻雀旅行の予定だったのだが、当日朝も同じような感じだったのでドタキャンせざるを得なかったのが残念だった。

1週間経とうとしているのにまだ熱が下がらないので、遂に定期受診している病院へ予約外受診。応対してくれた若い内科医は、なぜか喉を診るでなし、聴診器を当てるでなし、こちらの書いた状況シートを見ただけで、採血も画像検査も今は必要ないので、このまま数日様子を見ましょうで終わってしまった。

週が明けてもなお一進一退なので、3日後、再び耳鼻科クリニックでコロナとインフルエンザ抗原検査。再び両者陰性。しかも、ここまで発熱が長引いているのはもはや内科的疾患などがあるのかもしれない、耳鼻科診療は一応ここまでとしますと解熱剤と咳止めの処方で終了。

ならばと更に2日後、病院でかかりつけ医の泌尿器科T先生を受診。前回の内科医の話をしたら「何で何もしなかったのか。雑過ぎる❗️」と怒っていた。で、改めて採尿、採血、単純CTを行ない、尿の混濁とCRP12の所見から膀胱炎の関与が浮かび上がった。

過去の膀胱炎と違って、排尿痛などの自覚症状がなかったのでこれは私もT先生も想定外だった。T先生からは抗菌薬フロモックス、その後に受診した消化器内科医からは利尿薬ラシックスが処方され帰路に着いた。

そこからはさすがに回復に転じたようで、日を重ねるごとに熱は徐々に下降して行き、3日後にはほぼ平熱となり、カロナールの服用も中止した。ラシックスのせいで尿量も増え、少し張り気味だった腹部も楽になって来た。腹水も少しあったらしい。

フロモックスが効いたのか、尿の混濁も消え、熱は平熱を維持するようになり、食欲も元に戻った。喉の違和感と共に声を出すと咳き込むという症状だけが最後に残ったが、それも治って来た。発熱から実に16日後の事だった。

この間、仕事は有休1回、欠勤3回で職場には迷惑を掛けてしまったが、今が週2日のパート薬剤師の身で、常勤薬剤師でなくて良かったと思っている。常勤薬剤師が半月も休んだら大騒ぎで、ヘルプ薬剤師の手配もしなくてはならないからである。これは不幸中の幸いだった。

結局、症状は発熱、咳、夜間頻尿、口渇、尿混濁、CRP12など。もしかしたら膀胱炎に重複して風邪も引いていたのかもしれない。いずれにしてもジジイの罹患は、回復までにかなりの時間を要する事が痛感された。明日の出勤はいつもより特段頑張ろう‼️



昴に召されて

谷村新司が逝った。74歳、8日の事だった。かねてから腸炎療養中だったので心配はしていたが、帰らぬ人となってしまった。

彼のグループ「アリス」との出会いは高校時代でもう半世紀以上になる。大ヒット「冬の稲妻」なんて影も形もない頃である。その男らしい曲や逆に優しい曲など、それまでのフォークグループとは異色の印象を受けた。

そして青春の日々と呼応するような歌詞から、さらに人生そのものを語るような歌詞となるまでの力を彼らの楽曲が持つに至り、私の人生に欠かせない象徴となった。

「明日への讃歌」「愛の光」「青春時代」「彷徨」「今はもうだれも」「紫陽花」「つむじ風」「涙の誓い」「遠くで汽笛をききながら」「誰もいない」「チャンピオン」「ジョニーの子守唄」「何処へ」「夢去りし街角」「さらば青春の時」「それぞれの秋」「秋止符」… 挙げればキリがない。全てリアルタイムで人生を共にして来た歌たちである。

それは谷村新司ソロ活動でも同じだ。代表曲「昴」は言うに及ばず、「蜩」「冬木立」「青空」「群青」「22歳」「天狼」「玄冬記」「ひまわり」「都忘れ」「喝采」「シェナンドー河に捧ぐ」「忘れていいの」「ガラスの花」「ラスト・ソング」「サテンの薔薇」「いい日旅立ち」「三都物語」「風の暦」と、こちらも挙げればキリがないほど人生に寄り添ってくれた歌たち。

ギターを覚えた頃から弾き語りをしていた拓郎、かぐや姫などと並んで必ずアリスも含まれていた。

初めてチケットを買ってアリスのライブを観たのは改修直前の武道館だから、もう何年も前か。ファンにしては相当遅いライブデビューだったけど。

リアルタイムの憧れや象徴は自分よりも年上が多いが、彼も9つ上だったから自然であれば私よりも先に亡くなってしまうだろうとは思っていたが… 。心に穴があくというのはこういう事なんだな… 。

かくしてチャンピオンは、金木犀の咲く季節に天の昴に召されてしまった。ありがとう、チンペイ。  合掌




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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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