年末年始TO DOの最後の検査入院をした。膀胱がんでお世話になっているこの病院には何度も入院し、最後の検査入院からも3年経っていた。
外来で定期受診もしているので、もはや施設も病室も勝手知ったる状態で不安もない。案の定、トイレ付き個室は前回と同じ部屋だった。
翌日午後、オペ室に呼ばれ、手際よくバイタル装置などを装填されて行き、手の甲の静脈ラインが出来たところでセットアップ完了。
ここでいつも寝落ちできるか少し心配になるが、心配してるそばから毎回しっかり寝落ちしているから今日も大丈夫だろう。
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気が付くと病室。目覚めもしっかり。バルーンカテーテルもいつもの私の要望で通常より細いものが充填されていた。あとは回復を待つのみ。
ところが…。
術当日から翌日を経過するも、オシッコが溜まっていかない。これはいつもと異なるから、差し詰め出血で尿道が狭窄か閉塞したためだろうと構えていたが、エコーでは膀胱に全く尿が溜まっていない事が判明。
ならば、その上の腎からの尿管にカメラを入れたため、一時的に尿管が浮腫んで尿が膀胱へ降りて行かない、結果的に「水腎症」とも想定されたが、これもなさそう。
となれば、いよいよ最上流の腎そのものが尿生成を停止してしまった事となる。ここで腎臓内科へ正式コンサル。最終的に「薬剤性腎障害」となった。
おいおい、これまでの人生で腎障害を起こした事もないし今まで何度もここで手術を受けて使われる麻酔薬や抗生剤だって問題はなかったのだ。もちろん薬剤アレルギーもない。
いずれにしてもオシッコが出ないというのは由々しき事態だと私にも解る。点滴を継続しても術翌日も出ない。その次の日も出ない。
こうなると腎臓内科の先生は「透析処置」と言う。聞けば、首にカテーテルを刺して静脈血を濾過して動脈に送るという。
ガンダムやキカイダーじゃあるまいし、そんなところに太いカテーテルを刺してどうしろと言うのか‼️ 生涯一と言っていい絶望に苛まれて術後3日目の夜を迎えた。
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そうしたら膀胱炎の出血による血尿ではあるが、いきなり25ccほどオシッコが出たのだった。点滴をしているので1時間も経つと次の尿意が来るが、次は50cc、100cc、150ccと増えて来たではないか‼️ ついに尿生成が再開されたのだった。
翌朝、その話を主治医回診の時に話したら主治医T先生の喜ぶまいことか‼️ あの冷静で営業トークの一つも言えないT先生が2度も握手をして来て「良かったァァァ‼️」と叫んで壁を背にして座り込んだ程だった。
だが、3日間も尿排泄がストップしていた間のツケは大きく、血清クレアチニン値が3→5→6へと悪化していた。生涯1を超えた事すらない私にはこれもショックだった。
尿量は相変わらず順調なので、術後4日後の今朝の採血による血清クレアチニン値の変化によって透析処置となるかどうかが決まる死刑宣告がなされるのだ。
腎は透析されるとサボるから結局生涯透析が必要になるとか、ならば拒否すれば死を待つしかないとか、ますますネガティブな考えが浮沈する。
この時、人間は絶望的な結果があるかもしれない事態に直面すると、敢えてそう告げられた時の心持ちを先回りして想像し、出来るだけショックを緩和させる方向に持って行こうとするのを知った。
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そして早朝に採血した結果を元に内科の先生が来室。緊張は極限に達した。
「尿量も十分だし、透析はしないで良さそうですね」
この言葉を100年待ってたよ~‼️ 先生ありがとう~‼️
透析回避バンザーイ‼️ いっぺんで景色が明るくなった~‼️
今週末までは点滴はこの量(2L/日)で維持し、週明けから減量していくとの事。概ね1時間毎に来る排尿量測定と飲水も続けるようにと。
喜んで~‼️
それほど透析回避が嬉しかった。
具体的な退院日は明らかではないものの、この調子なら数日もあればやって来ると思う。
薬剤性腎障害も初の体験だが、これも「高齢者」ゆえのリスクだったのかな。安堵
本日、65歳の誕生日とやらを迎えてしまった。国の区分としてはここから「高齢者」にカウントされ、世間からお構いなくジジイと呼ばれ始めるのだろうが、その実感は到底湧かない。
それでもこれまで2つのがんを乗り越えたものの、かつての筋肉が脂肪に変身した肉体の方は年相応なのかもしれないが、何より精神年齢が己れの精神的未熟さとも相俟ってせいぜい40代あたりの自覚なんだけどなぁ。
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昨日は区内の年金事務所に年金受給申請書の提出に行った。
予約時間は一人45分間とされていて、なんでそんなに掛かるのかと思っていたが、最初に始まったのは受給年を遅らせると得ですよという話だった。
受給を1年遅らせると年額10数万円上乗せされるから銀行預金よりもはるかにお得ですという趣旨の事を、わざわざプリントアウトして説明される。
仮に受給を1年遅らせて年額20万円増えたとしても、今年1年間受け取れる年額分を回収するには単純計算で10年以上を要するから、受給は早いに越した事はないという理屈は、数学が極めて苦手な私にでさえ解る。
自分の寿命が解らない以上、結論としてさっさと貰った方が受給を遅らせるより遥かに得なのである。支給側の年金機構としては支払いを遅らせてくれれば万々歳なのだろうが、そうは問屋が卸さないってなモンだ。
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来週は3年に一度の膀胱内視鏡による組織サンプリングのための検査入院が待っている。
私の場合、外科手術一発で取り切った肝臓がんと違って、膀胱がん細胞はしつこく尿細胞診で検出される。時々classⅤが現れてはまた消えるというのを繰り返す。だが、膀胱内視鏡検査や造影CTをもってしてもその場所が掴めない。自覚症状もない。なので面倒くさいが検査入院なのである。
まあ、今の主治医であるT先生の病院に入院するのは2015年8月からこれで通算6度目なので勝手知ったるだし、常に個室利用なので病院にとっても上得意客だろう。
ただ、生来のビビリである私は検査であろうが全身麻酔一択だし、もしもこの先、強い痛みなどに苛まれて穏やかに過ごせないとしたら、いっそ眠ったまま楽に人生終わりになれる絶好の機会である。だから術前に麻酔医が病室に来るたびに「先生、いっそアッとか言ってうっかりボーラス投与いただいてもよろしいですよ」なんて半分本気で言うのだが、当然のように「そんな事は出来ません」と冷たくあしらわれる。
ならばと入院ダイエットを試みる。もともと病院食は大嫌いだし、消化器系の疾患ではないので食事制限はない。今までは入院後に家族にコンビニおにぎりやサンドイッチを買って来させていたが、昨今の新型コロナのせいで家族は病室に来られないので、入院時にプロテインチョコや飲み物を可能な限り持ち込むしかない。
そんなこんなで4〜5日程度の入院でも色々と覚悟と準備が大変なのであった。
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あ、そうそう、昨年10月に変わった健康保険がまたもや今年の1月から変わる。
というのは、私の職種がいよいよ今月からパート薬剤師となり、同時に今までの健康保険から任意継続保険の手続きを経て変わったからである。
その新たな保険証が本日到着した。確かに被保険者番号が変更されていた。同封されていた振り込み用紙が3枚、1月〜3月の任意継続保険料だった。その額18000円/月、これを会社と折半していたのが社員、全額負担するのが元社員の任意継続なのだった。全額負担だから今までの天引きの倍の金額となるが、まあ私の場合は保険を使うケースが他人より多いからモトは取れる(⁈)だろう。
これで検査入院が終われば、年末年始に片付けるべき事を全て終わらせた事になる。ひとまずホッ(^^)
今月の誕生日に年金受給世代となる私。先月卒寿を迎えた実家の母親のところへ元旦に行って来た。毎年恒例の事なのだが、今年は妹から元旦勤務で居ないのでよろしくとの伝言があったので、今年は母親一人である。
これまで実家では母親の作った純江戸風の雑煮(焼き餅、鶏肉、蒲鉾、小松菜のみのソップ炊き)をブランチに、遅めのランチにすき焼きが定番だった。今年もカミさんはいつもの元旦勤務だし、息子一家も来ないので私一人なので、お雑煮だけで良いと伝えていた。
妹からLINEで「例によって母親の物忘れが進んでいるから、お雑煮の出汁も作っていない可能性があるから言ってやって」とあったので、雑煮を食べるとなった時に「お雑煮の出汁はゆっくり作ればいいからね」と敢えて言った。
母親は「分かってるわよ」と言った後、「お餅は何個❓」と訊くので「3個で」、「玉子は入れる❓」「入れて」と言って、私は黙ってTVのニューイヤー駅伝を観ていた。
しばらくするとまた「お餅は何個❓」と来たから、「3個だよと」と言うやりとりを都合2回して、その後お雑煮が到着。
見ると、出汁の色こそ醤油色なものの、味が全く違う。鶏肉が入ってないから出汁も出ていない、単なる醤油味の吸い物みたいな単純な味。しかも小松菜も無く、玉子も入れ忘れていた。
代わりにおでんの揚げ物を切ったものや笹かまぼこみたいなものが入っていた。焼き餅はかろうじて3個入っていたが、これまで食べて来た母親の雑煮とは別物に変わり果てていた。
鶏肉や小松菜を入れるのを忘れたとも言っていたが、この変わり果てた雑煮の味に愕然とし、同時に哀しみを覚えた。
いくら物忘れがあろうと、長年に渡って作り慣れた雑煮すら満足に作れなくなったというのか。記憶が曖昧でも身体が覚えているはずでは❓
まあいい。それでも物忘れ以外には今のところ日常生活を送るには支障がないようなので、緊急事態に陥ってはいないようで、そこは少し安心した。
既に姉と弟を亡くし、母方一族で一人だけとなった母親だが、一方で女子大時代の同級生達はまだまだピンピンして活動的だというから驚く。もちろんどの家もダンナはとっくに亡くなっているから、やはり女の方が長寿が多いなと妙に感心したりする。
帰宅すると、また今年も中学校の担任の先生から年賀状が届いていた。不祥の教え子はそれが届くと分かっていても、年内に賀状を書くのを無精して、元旦に賀状を見て返事を書くという無礼を性懲りも無く繰り返している。
その先生も今年卒寿を迎えるそうだ。