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海岸通のなごり雪〜大分旅行 その3

最終日は次女夫妻のお宅へご挨拶を兼ねて訪問。そこは山と緑に囲まれた日本の原風景のような景色に包まれていて、隣と超接近している我が家から見れば、なんとも羨ましいロケーションだった。本来人が住む場所とは、便利さだけの都会の息苦しい場所ではなく、こういう地であるべきなのだろう。

会食時の続きのようにひとしきり話が弾んだ後、名残り惜しい気持ちを抱えて空港へと向かう。途中、再び津久見ICで降りて、今度はもう一つのお伊勢参りの場所である津久見港のつくみん公園へ。

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ちょうど地元のお祭りのようなイベントをやっていて賑わっていたが、私の目指す地はそこではない。その喧騒の外にある、伊勢正三の名曲「海岸通」のモチーフとなった海辺に最も近い道路である。果たしてその海岸通りにはほとんど人影は見えなかったから、すぐに歌の世界観に入って行けた。目に入った桟橋の船は保戸島への小型船だけで、歌に出て来るような大型のフェリーの姿は無かったけど。

♫あなたが船を選んだのは 私への思いやりだったのでしょうか〜

桟橋の横にある埠頭の先端まで歩いて、お約束の「海岸通」をスマホから二度流しながらしみじみ感じ入った。

♫夜明けの海が悲しいことを あなたから教えられた海岸通〜

思ったよりも整備されていて、決してひなびた港という感じではない。だけどこの場所を心象風景にして正やんが「海岸通」を作ったのだと思えば感慨もひとしおである。やはり来て良かった。

♫まるで昨日と同じ海に波を残して あなたを乗せた船が 小さくなってゆく〜

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最後の晩餐は空港にある寿司屋。回転寿司で食べ損ねた関アジもあり、これで豊後の海の幸はコンプリート‼️ 帰りの飛行機が約1時間遅れたので、お土産を買ったりカボスケーキを食べたりして時間を潰した。

振り返れば、大分での3日間は景色、温泉、人に恵まれたとても良い旅となった。今生と言わず、また是非訪れたい。ただし、次はレンタカーをアップグレードして‼️ (^^)

おしまい


海岸通のなごり雪〜大分旅行 その2

二日目は雨も上がっていい天気。今日は別府お上りさんとなって、お約束の地獄めぐりへ。でも7つ全部は面倒なので、特に面白そうな海地獄、坊主地獄、血の池地獄の3つを廻る事にした。

昔見た裏磐梯の五色沼の熱々バージョンみたいな海地獄、まるで妖怪人間ベム(古っ!)のオープニングのようなボコボコが来る泥状の坊主地獄、その名の通り血の色が広がっている血の池地獄とそれぞれ特徴的なものが近い距離に存在している事に驚く。それにしても周りは欧米系外国人だらけってのは今や観光地では普通の風景なんだろうな。

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‪お昼は友人のオススメの地元で大人気という亀正くるくる寿司を目指す。ところが、ナビの精度のせいか、住所表示の不備からか、いくら走っても着かない‼️

あちこち迷って正午過ぎにやっと到着したので、不覚にも既に行列となってしまっていた。並ぶこと40分、関サバ(関アジは入荷無しで普通のアジで)、サザエ、中トロ、アナゴなどを美味しく頂きました。下手な海鮮店よりも回転寿司が正解の法則はこの地でも健在。(^^)‬

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湯布院へは下道でワインディングを楽しむはずが、上りはパワー不足の上にどうにも足が覚束ず、まるで面白くない。おまけにちょっと攻めるとすぐに「急ハンドルを検知しました。安全運転を心掛けてください」と言うモンだから興醒めもいいところ。どうやら予めナビに組み込まれているようで解除不能、出来たのはアイドリングストップの解除だけだった。何度も言うが、こんなクルマに乗って楽しい人がいるのか? 3日間の総走行距離400kmを共にするには完全にミスキャストだわ。

別の友人から阿蘇の絶景が望める久住高原を勧められていたけど、残念ながらそこまで足を伸ばす時間的余裕は無かった。それでも少し時間の余裕があったので湯の坪街道〜湯布院フローラルビレッジなる所へ寄る事にした。

来てみて驚いた。まるで原宿竹下通りか旧軽銀座のような小洒落たエリアが出現したのだが、面白いのはそれぞれの店の外観だけで、よくよく見ればどこにでもあるようなコレクトショップやドリンクスタンド、お土産物屋が並んでいるに過ぎなかった。まあ、ここも観光外国人だらけだったけど、湯布院駅周辺といい、近年湯布院がエラく観光地化されたと揶揄されているのはこういう所なんだなと納得。

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さて、着いた旅館はセールスポイント通りに由布岳一望の位置。とはいえスタッフによれば、由布岳が上まで全部見えるのは珍しいとの事で、今日も上の方は雲に覆われていたが、思っていたよりは低い山だったからほぼ見えていると言ってもいいだろう。

部屋の掛け流し露天風呂は何と70℃‼️ こりゃとても入れないので、適宜栓を開けて加水して入るようだ。ところがこれがなかなか難しい。油断するとすぐにぬる過ぎになってしまう。陶器製の湯船は小さめのところが多いが、ここのは通常よりも大型なのでゆったり入れた。別府の湯に比べて硫黄臭は無く、でもお肌スベスベは一緒だった。(^^)

ニ日目はここまで。(さらに続く)



海岸通のなごり雪〜大分旅行 その1

「‪体調が良いうちにいつもより遠出して、せっかくなら日本トップクラスの温泉に浸かりに行くか。となれば、別府と湯布院(正式には由布院と書くらしいが、温泉場の雰囲気でこちらにする)が筆頭だろう」と言い出したのが実は3年ほど前だったか。

‪その後、夫婦揃ってオペ入院だの何だのとバタバタして、遠出はせいぜい車でいける範囲の温泉ドライブくらいだった。そんな3年越しのプランがやっと実行出来たのは先週木曜〜土曜の3日間だった。

夫婦2人旅なので、荷物はカミさん荷物のゴロゴロキャリーと私荷物のリュック、大分のカミさんの親戚宛てのお土産の大型紙袋などそこそこのボリュームとなった。そこでモノを言ったのがSFCの優先搭乗権。前社で飛行機による出張を通じてこの資格を得たものの、今では全く飛ぶ事も無くなっていたのだが、この日のためにその資格を更新し続けてて良かった‼️ 特に大型でない飛行機のオーバーヘッドコンソールは少ないので、優先搭乗でガラガラのうちに置けたのは大助かりだった。

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関東地方は週末に向けて激しい雨が予想されたが、大分は普通の雨模様で、翌日からは天気が回復する予報だった。空港からレンタカーを借りて、まずは一路親戚の待つ佐伯へ。地方の高速は車が少ないというのはここでもその通りで、道路も直線が多く走りやすかったのだが、借りたクルマがダメダメだった。

車種はトヨタ◯ッソ。このクラスのコンパクトカーに見られるひたすらライトフィールが災いし、ハンドル越しに路面の感覚があまり伝わらず逆に不安を抱かせる。追い越しをかけようとアクセルを踏み込むとウワーンというエンジン音の割に加速が追いつかず、そこが上り勾配でもあろうものなら音だけ番長状態。

さらに座って1時間も経たずにお尻が痛くなって来る恐るべきシート‼️ これじゃご近所用がせいぜいで、とてもドライブなんて楽しめるシロモノではない。何でこんなモノ売ってるんだ?

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それでも何とか100km以上を走って佐伯の会食会場へ1時間前には到着。我々とカミさんの親戚計10名の賑やかな会食。以前からFBで繋がっていた次男Tさん夫妻とも再会し、三男夫妻、次女夫妻、宮崎から駆けつけた長男夫妻という、こんな機会でもなければなかなか集まれないというメンバーだった。食事と談笑の後、記念写真を撮って、次はTさんの息子さんのKさんが校長先生をしているという中学校を訪問。

素朴な田舎の分校みたいな風景を想像していたのだが、これが大間違い。何と豊後二見ヶ浦(夫婦岩を綱で結んだ名勝)の真ん前の、まさにオーシャンフロントの立派な校舎の学校だった‼️

しかも全校生徒はわずか37名とか。私の中学時代は1クラスが約40名、1学年7クラスあったから全校生徒は800名超だったので、当然他学年はもちろん、全く接触する事なく卒業した同級生もいた。この中学なら同じ地域に住む同世代が一瞬にして顔馴染みになれ、それが一生の絆となるだろう。風光明美な景色と共に羨ましい限りである。

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今日はこれで別府まで戻ってホテルにチェックインする予定だったが、雨も少し弱まったので、途中の津久見ICで降りて、この旅のもう一つの目的だった津久見駅の「なごり雪の碑」を見に行く事にした。

高校時代からファンだったかぐや姫のメンバーである伊勢正三が津久見の出という縁から、彼のメッセージと代表曲の「なごり雪」の一節を彫った碑が設置されている、ファンにとっては一つの聖地でもある。これがホントのお伊勢参りだ。本当はこの碑の前でなごり雪の弾き語りをしたかったけど、ギター持参が叶わなかったのは残念。

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別府の位置を知るにはナビなど不要。車に入り込んでくる硫黄の臭いがそれを知らせてくれるから。

今回はいわゆる温泉街を外してオーシャンフロントのホテルをチョイス。もちろん贅沢にかけ流しの露天風呂付きで。42℃という絶妙な温度に調節された露天風呂はお肌スベスベで、別府湾の渚の波音が耳にも心地良く、心身共に寛げる時間が流れて行った。

これにて第一日終了。(続く)



共存共栄は夢うつつ

昨日、尿細胞診で最悪のClassⅤが出た事をT先生から外来で知らされた。直近2回の細胞診ではClassⅣが2回続いていたから、これが何かの間違いでない限り、悪化すればClassⅤが出て来る事はある程度想定はしていた。あって欲しくはなかったが。

同時に4日前から膀胱炎症状が出始めた。短期間でいきなりがん細胞が悪さをしたとは考えにくいので、これはそれとは別件の膀胱炎なのだろう。

膀胱炎症状の頻尿は、始めこそ1〜2時間に1回程度だったが、翌日には30分に1回という頻度になり、立ち仕事の間にその都度2階のトイレに駆け込むのでは仕事にならず勘弁して欲しかった。やがて排尿時および排尿後に膀胱の疼痛を伴なうようにもなった。

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振り返るとこれは、膀胱内視鏡手術後の治療であるBCG膀注療法の時の副作用と程度の差こそあれ同じ症状だった。

つまり、BCG膀注療法は結核菌によって膀胱炎内に人工的に炎症を惹起させ、自身のリンパ球によって残存するがん細胞を叩くという治療なのだから、膀胱内は極度の膀胱炎状態となり、その痛みも相当キツかったわけである。

今回はつい先週行なった膀胱炎内視鏡による検査でも膀胱炎内部はキレイだったし、8月にやった造影CTでも異常が認められなかった。ただ尿細胞診で出ていたClassⅣさえ悪さをしなければ、騙し騙しであれ共存共栄で行くはずだったのだが、今回のClassⅤ登場によってその目論見も絶たれた。

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こうなったらこのClassⅤがどこに潜んでいるかを膀胱内視鏡手術で生検し、その結果によって今後の治療オプションを考えなくてはならなくなった。それは正常に見えた膀胱の内部なのか? それとも尿管内なのか?

いずれにせよ、予定していた家族イベントが終わる11月下旬のタイミングで1週間程度の検査入院をセッティングした。なあに、この6年間で既に何度も入院手術をして来た経験があるから慣れてるし、今回もまたいつもの事だわな。

本当の正念場はもちろんその後からである。

生検がうまく行って、ClassⅤの居所がほぼ確定したら、時期を見て膀胱全摘手術(and/or尿管摘出術)とストーマ設置に踏み切らねばならない。思い切ってやっちゃえば、限局性のがんゆえ再発リスクやBCG膀注療法の酷い副作用にも悩まされずに済むから、前々からもう一度再発したらそうしようと決めていた。

その覚悟は既にあるとは言え、いざ取ってしまうとなれば、その時期は遅い方が良いに決まっている。もちろん無症状で推移した場合であるが。検査でチェックしながら出来るだけ引き伸ばして、いよいよとなった時に踏み切ろうと思っているのだが、これまたそう上手く行くかどうかは全く分からない。

ま、あれこれ言おうとも既にまな板の上の鯉状態なんだよな。






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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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