もういい壊・・・
早期退職プログラムは40歳以上が対象となっているのだが、その年代で所帯持ちなら子供もまだ小さいだろう。50代の所帯でも自立している子供ばかりではあるまい。背負っているものが大きい者ほど悩みも大きい。なのにここまで沙汰を引き延ばしているのはまさに生殺し状態である。せめて確実にポジションが無いという者にだけでもさっさと伝えてあげれば、それだけ早く就活へ切り替えられるのだからそうするべきだというのは私もこれまで主張して来た。
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その面談の招待状が先週から同僚の管理職に届き始めた。最初は比較的若めのマネジャーたち。訊いてみれば新組織でのポジションは示されたという。大きな組織の人事というのはシャンパンタワーのようなものだと私は認識している。トップマネジメントから始まってミドルレンジへ、そして下々へと順繰りに決められる。途中で滞りがあれば、別のグラスを持って来て入れ替えて下流へと流していく、そんなイメージである。だからグラスとなる人材はそうでない人材よりも早く内示されるのは当然であろう。
そして一昨日、いよいよ私にも招待状が届き、昨日面談を済ませた。
部屋には人事部のFさんに、すでに退職を決めている我々研修部門トップのHさんが同席していた。もちろん私などは年齢的要素も含めてポジションがあるなどとは思っていなかったが、果たしてその通りだった。それを自分の仕事に関係ない人事の人間から言われるよりは、所属上長に言われる方がまだ納得もする。セレモニーとはいえ、自身も退職が決まっているHさんには辛い作業だったかもしれないが。
面談開始から、事前に用意した私なりの条件を付記した申請書を提出するまで5分足らず。中にはあれこれ抵抗する者もいるためか、面談時間は一人当たり45分用意されていたようだが私にはまったく不要。その後10分ほど雑談を交わして部屋を後にしたのだった。
新組織では研修受講者である営業部員たちとのFace to Faceの集合研修スタイルはほとんど消滅し、自己学習と所課単位で行なわれる勉強会形式がメインとなる事が確実で、研修担当部署の人数は現在の半分以下に削られ、全国研修ツアーの代わりにひたすら教材作りの日々となる事が分かっている。それなら私でなくてもいいじゃないかと既に腹を括っていたからである。
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私は自分をアーティストに例えればライブミュージシャンタイプに近いと思っている。研修というステージでパフォーマンスする事にやりがいを感じ、そのためのプロフェッショナルを目指して歩いて来たつもりだ。それがこれからはスタジオミュージシャンとしてひたすらアルバム作りに専念しろと言われても、とてもじゃないがハイそうですかとは行かない。矢沢の永ちゃんからライブを取り上げたらその輝きはどうなってしまうか想像できないのと同じである。何より長年培い積み上げてきた経験とスキルが無に近いものになってしまうという事は、自分自身の存在と価値が否定されてしまう事と同義である。
だから、世間で言う定年までの3年間はライブミュージシャンに拘っていたいと思っている。また、これまで得たものを全力投球して若いミュージシャンを育てたいとも思っている。年齢的にも次のステージがそう簡単に得られるとは思えないが、それでも求めたいと思っている。もしも天が私にその役割を与えているのなら、これまでもそうであったように何がしかの縁が見えて来るかもしれない。
行く道が決まってしまえば今までのモヤモヤもどこへやら、次のステージが決まっていないにも関わらず気分は軽くなった。なあに、縁がなければ薬局のOYAJIになって、近所のおじちゃんおばちゃん相手にあれこれ喋る日々を送ってもみるさ。
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今朝、通勤電車に揺られながらボンヤリと昨日までの日々を反芻していたら、転職エージェントの車内広告のこんな言葉が目に飛び込んで来た。
「仕事」とは。
自分以外の他人のために、何らかの価値を生み出すこと。
プロフェッショナルの生きざま。
使い古された言葉かもしれないが、今の私には不思議とじんわり染み透る言葉だった。
かくして2月25日は一つのピリオドが打たれた記念日となった。