最後の出張、最後のサシ
我々の同僚に、8月末で定年退職を迎えるYさんがいる。したがってYさんには、次回予定されている9月の研修ツアーはない。今月の研修ツアーが最後の出張の機会となる。Yさんの希望により、同じ領域のトレーナー全員と一度ずつペアを組むスケジュールが組まれた。そして私とのペアが仙台会場なのである。
言うまでもなく、重要なのは研修日そのものよりもその前夜である。仙台と言えば、ウチの部署のマイブームは「みのむし」だ。出される魚介類の品質は言う事なしの高レベルで評判も良い店なのだが、いささか値段が高い。少人数よりも5~6人のグループの方がコストパフォーマンスの面で圧倒的に有利なのだが、そんな事は承知の上で予約を入れた。今夜はYさんとのサシの場なのである。
・・・・・・・
チェックインしようとフロントへ向かった私の後ろから「お疲れさま!」の声。そこにはすでに松島観光を終えたYさんがスタンバッていた。部屋に荷物を放り込んで直ちに合流し、店へ。通された席は予想通りカウンターだった。
いつもの定番で注文した刺盛りの中身がスゴかった。殻に入ったままのウニが2つ。それをスプーンで掬い取り塩水に漬けていただくという、文字通りの塩水ウニである。形を保つ事が要求される箱ウニのようにミョウバンを加えるのではなく、海水に漬けただけのウニがウマいのは知っていたが、生ウニを塩水に漬けていただくという食べ方は、私の知る限り他にない。もちろん、ワサビ醤油でもウマかった。
それ以上にこの店でスゴいのは、三陸で獲れた毛ガニの甲羅に、ほぐした身をまるでおにぎりのように固めた上に足肉を並べたものだった。こんなカニの姿はこの店以外に見た事がない。
実は、この夜はこれらを凌駕するネタがあったのだ。
仲居さんは何気にさらりと言う。「今日はいい赤貝が入りました」と。ところが、その赤貝こそ日本一の品質を誇る閖上(ゆりあげ)産の赤貝だったのである! 以前からTV番組で知ってはいたものの、こんな高レベルでかつ稀少な赤貝は、一生食べる機会はないと思っていた。例え銀座の一流鮨屋あたりでさえもそうそうお目にかかれるものではないだろう。
見た事もない身の厚さ、そのくせ柔らかい身を一噛みすれば、豊かに広がる穏やかな甘みが実に堪らない。人は本当にウマいものを食べると笑ってしまうものだが、これはそれを通り越して涙が出てくるようだった。まさに「日本人に生まれて良かったコース」最大のネタである。
それやこれやの刺身盛合わせ以外は、肉厚のアナゴ焼とかカレイ唐揚げなどの加熱料理を注文したのだが、カウンターに陣取った我々にはまだサプライズが待っていた。
目の前で調理しているマスターから、新鮮そのもののホヤや赤ナマコの酢の物が供される。もちろんサービスで。これはカウンター席で、かつマスターに気に入られた客に対する特権だったのだろう。座敷のグループ客ではその恩恵にはあずかれない。それらを含め、Yさんとの最後のサシ場である今夜ばかりは、私は何がどうなっても全てOKの思いでいた。
結局、日本酒の四合瓶2本を空けながら、ここまでさんざん食って飲んだにも関わらず、@諭吉1枚とちょっとの予想以下の値段で終わる事ができた。、その後、ホテルのメインバーでカクテルを飲みながら、Yさん自身、初めて語るという本音トークが始まった。
それを要約すると、YさんもYさんの奥さんも、息子に対して折々に触れて厳しさを通せなかった事が、結果的に息子の自立を遅らせる事につながったという認識を持っているという話だった。端的に言えば、息子の育て方において、ついぞスパルタに徹し切れなかったという事である。ならば、遅ればせながらでも現役社会人の我々との会話の機会を与えればいいのである。という事で、私の独断で来月の部内キャンプ旅行in初島に連れて来ようという事になった。
来れば、そこはタダじゃ置かないつわもの連中揃いだ。おためごかしなどは一切なく、いい意味でYさんの息子殿にカルチャーショックを与えられるだろう。まるで「北の国から」で、都会ズレした純が里帰りした時に、地元のOYAJIたちから有無を言わさず髪を黒く染め直されたように。それでも今のYさんの息子殿には、それが必要だと思う。ぜひ実現を期待したい。
私も他人の事は言えない。高校に上がった途端に平気で赤点を取ってる息子をどうしてくれようか。いずれにせよ何かしらの刺激を与えるためにも、愚息も連れて行く予定でいる初島旅行は大いなる意味を成すと思っている。ま、これで少しは変わるだろうけどね。