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原病の方は良いものの

さて、いたずらに長引く膀胱炎の痛みにはさらに苦しめ続けられている。

振り返れば、職場に出られた最終日は今週の月曜日。それ以降火曜は公休日、水曜と木曜の二日間は休み、金曜と土曜は公休日と有休(但し土曜は大学のクラブ関係の集まりだったがモチ延期)と、とうとう来週からの改装工事直前まで来てしまった。

しかもここ数日は痛みが夜に出たり、昼に出た痛みが夜も続いたりで、リビングのテーブルにクッションや枕を積んでソファに跪いて突っ伏して悶々と耐えている。しかも30〜40分に一度は少し溜まった尿による痛みが出るからトイレに行かざるを得ない。

ソファに尻をつけて座ったり、横になっりすれば痛みが走るからそれは叶わず、よってまともに眠れない。ソファに跪きテーブルに突っ伏した姿勢のままトイレを知らせる痛みが出て来る時までの束の間、寝落ちする事もあるがほぼオーバーナイトで朝を迎えるから寝不足も甚だしい。跪いている膝頭も痛くなって来るから時折ソファから足を下ろして立ったりしなくてはならない。

水曜日には抗菌薬の追加処方を得るため、主治医が休診日なので近医(それも耳鼻科!)に頼み込んだ。にも関わらず、痛みの出はさほど変化はなかった。

・・・・・・・

主治医診察日の金曜日も前夜からの夜通しの痛みで眠れぬ朝を迎えていた。だが、この日は朝の時間帯から不思議と痛みが引っ込み、午後からの診察に病院まで行く事が出来たのだから、我が身ながらよく分からない。

そこで聞いた尿細胞診の結果は何とclassⅢ‼️

検査入院までして探したclassⅤは、その時サンプリングした組織にも無かったし、仕切り直しのはずの今回の尿細胞診でも確認されなかったのだ。

膀胱炎が免疫を惹起して悪性細胞を叩いているという例の勝手な理屈がもしかしたら実践されているのかもしれないが。まあ、今後も月一で追跡検査は続くが、これがこの長引く膀胱炎の痛みに耐えで来た代償としたら決して悪くはない。いや、それくらいのご褒美があったって決してバチは当たらんだろ。

で、その診察の時にも抗菌薬の追加処方に加え、カロナール500mg錠も処方してもらった。カロナールはニューキノロン系抗菌薬と併用可能な鎮痛薬だが、これまではどうにも痛い時は併用注意も無視して坐薬や経口のNSAIDsを使っていたが、今回はカロナールの高用量を試してみようかと。

診察を終えて院外薬局で薬をもらって帰宅。ところが帰宅したらまた痛みが復活し始めたから堪らない。それから夜を通して痛みが続いたモンだから今日のお昼過ぎまでまたも眠れぬ時間を過ごさざるを得なかった。

・・・・・・・

今、正午を過ぎて痛みが治まりかけて来た。全くもってこの痛みの出方は理解不能だ。このスキにこのまま横になれれば睡眠時間を少しは取り戻せるのだが、うかつに横になると痛みが出始めるから安心出来ない。果たしてジクジクとはして来たものの、痛みの強さはそれほどでもないから、今のうちに寝ておこう。ま、またすぐに痛みでトイレに起こされるだろうけど。




も〜い〜かい?ま〜だだよ!

昨年の最終週に発症した膀胱炎が、実はまだ治癒せずに続いている。これも我が身の一つの記録として書き記しておく。

発症したのはクリスマス後あたり。すぐに病院は年末年始の休診というアンラッキーな期間だったので、その間はOTCの膀胱炎治療薬と多飲&多尿作戦で凌いでいた。最初は排尿頻度や排尿量も増えて菌を洗い流している感も得られたが、それでも無症状には至らなかった。

過去の経験から膀胱炎の痛みにもいろいろ種類があると知っていた。

まずは排尿時の尿が尿道を下りてくる時の痛み。閉じた道をまるでメリメリと押し広げられるような痛みは、酷い時は排尿直前にピークを迎えるから、思わず「う〜っ」と呻いてしまう。痛みの強さは別としても膀胱炎の主症状である「排尿痛」である。

対して、排尿後は膀胱の収縮に伴う痛みが生じ、ツーンとした強い痛みが走るから、それが終わるまでしばらく便座から離れられない。いわゆる「膀胱痛」である。

そして一番辛いのは、その膀胱痛の最たる痛みと言ってもいい、膀胱に針を刺されるような鋭い痛みが断続的に走る「針刺痛」である。これが出るとたちまち身体の動きが止まり、その場で堪えてやり過ごすしかない。だが、それが自宅で横になっている時にも唐突に出て来る。夜間に出ようものなら横になって寝ていられなくなる。

仕事中に出た時と同様にテーブルに両手をついて足を開いて立ったまま、数十秒毎に襲って来る飛び上がりそうな痛みを歯を食いしばってやり過ごしながら朝を迎えた日も少なくない。

いい加減にそれを繰り返していたら、だんだんそれが現れる場合の周期らしきものが分かって来た。日中は正午前後あたりから、夜間も午前0時より前から出始め、痛みが落ち着くまで数時間を要する。落ち着くまでは横になる事も出来ずに悶々とした時間を過ごすしかないから、ある意味地獄の時間帯となっている。膀胱内に尿が少し溜まると針刺痛が生じるから寝落ちもままならない。

もちろん、その時間帯以外に突発的に出現する事もあるが、この手の痛みは経験の無い人には実感としてピンと来ないと思うから、ひたすら孤独に耐えるしか無いのである。

この強烈な針刺痛は過去にも幾度となく見舞われた。それはBCG膀注療法の副作用によって強制的に惹起された膀胱炎で、その程度は確かに重症の部類に入るから、今思えばかなり強い痛みが現れてもおかしくはなかった。それだけ膀胱が痛めつけられた訳だから。その痛みのために休みがちになり、遂には休職を余儀なくされた事もあったし。

だがそれも2年前にとっくに終了し、昨年11月の検査入院でも組織的な異常は見られなかったのに「なぜ今ここで?」という気持ちで一杯だ。

例え朝方痛みも少なく調子良さそうに思えて今日こそはイケると出勤すれば仕事中に、さりとて自宅で横になって安静にしていても大抵は直前の排尿をきっかけにそれが現れると、痛みと共にそれ以上の失望感に苛まれる。「ああ、また来てしまったのか」と。これまで耐えて来た時間も報われなかった落胆、涙さえ出て来る。

こんなふうに淡い期待を抱いてはあっさり裏切られる日々を送っていると、確実に心が削られるのを実感させられると前回の記事にも書いた。

何も心配せずに時の過ぎゆくままに安静にしていられる日々を送れるならまだしも、医薬品関係の発注納品作業だけでなく薬剤師ならではの接客業務と、もはや慢性人手不足の職場への責任の狭間で少なからぬプレッシャーを感じるばかりである。

例えその日が公休日ならずとも「明日こそ行かなくちゃまた迷惑を掛けてしまう」「この症状が果たして明日は治まってるのかな」「行ったら行ったであの地獄の時間帯を過ごさなければならないのかな」と怯えつつ、一日も早く元の身体に戻って仕事に就くべきというジレンマを抱えている自分がいる。

まして今は下旬から店舗の改装工事が入り、その後のリニューアルオープンを控えている慌ただしい時期なのだ。訊けば、改装作業に入ってしまえば商品の撤去や再陳列は業者が行なうという事らしい。逆に言えばスタッフの出番はほぼ無いと言っても良いので、その期間に休みを取る事はさほど難しくはない。とはいえ、いくら何でもこんな痛みの日々をそこまで長引かせたくはない。

そんなこんなで、自分で自分の身体の状態や予後が分からない事が心の負荷の蓄積となり、遂にそれがオーバーフローしそうな予感すら覚えて来た。あ〜、いかんいかん。

「止まない雨はない」「明けない夜はない」と言われるが、一体いつまで待てばこの闇夜が明けると言うのだろうか。



ダークサイドを覗いたか

新年早々なのにこんな事を書いてみる。

TVを観て、ドラマでは俳優が悲喜こもごものストーリーを演じている。バラエティではタレントが楽しげに騒いでいる。スポーツでは選手が必死の眼差しで躍動している。

ふと部屋を見渡せば、そこに趣味のアコギや楽譜、いずれ観たいと買い込んでいた映画やライブのDVDや書籍が置いてある。

たが、今の私はそれらに対してこれまでのような興味も歓心も湧いて来ない。ただひたすらソファに横になっているだけである。

大晦日前に膀胱炎が勃発し、いったんは軽快したと思われたものの、元旦に母親宅へ行ってから痛みが大きくなり、ほうほうの体で何とか運転して帰宅した。最悪の年明けになってしまったのだ。

翌朝に至っても痛みは収まらず、遂には初出勤を欠勤せざるを得なくなった。翌日は公休日なので次の出勤日は二日後だが、それまでは痛みの再発を恐れつつ安静にしている。

ふと心が呟く。

目に入る自分以外の人達はそんな痛みなど無縁で皆楽しそうに動いている。方や自分は…。

ひたすら飲み続けるお茶と頻回の排尿、そして安静のおかげか、現在膀胱炎は沈静化しているように感じる。だが、いざ出掛けようとするとまたも痛みが勃発するという経験をこれまで何度もして来たから全く安心出来ない。体調はその時になってみなければ分からないのだ。

そんな気持ちを抱えて再び目に入って来る自分以外の人達の楽しそうに動いている姿。方や自分は…。

心が呟く。

もしかしたらこれって精神的な病み、すなわち鬱というものなのか。

かつて向精神薬を学んだ時、鬱なんてどれだけ心が折れたらなるのか、多分自分のようなキャラは一生縁はないだろうななんてうそぶいていたのを思い出す。

だが今、その入口に立たされた感触というものが分かるような気がする。最悪全摘が待っているかもしれない持病との闘いに加え、ここ数ヶ月繰り返している膀胱炎もいまだ終わりが見えない。

一方で携わっている仕事は私がいなければ出来ない業務内容があり、ただでさえ人手の足りない現状では他のスタッフに迷惑を掛けるだけ。もちろんお店を訪れるお客さん達にも。

その日にならなければ分からない体調、先の見えない持病の予後、休むほどに迷惑を掛ける職場。こんなメンタルを抱えていては見るもの聞くものに興味や歓心を抱けるはずもない。興味や歓心は自分に余裕があってこその感情なのだ。

これが高じると、きっと周りどころか自分自身さえ否定してしまうのだろう。こんな自分なんて存在する意味なんてあるのか。いや、存在すべきではないのだ、と。

今はそこまでの感情が芽生えはしないし、鬱の入口の自覚と共にそれを第三者的に観察出来ている間は鬱のダークサイドに足を踏み入れてはいないと言えよう。期せずしてダークサイドを入口から覗いてしまったかもしれないが。

逆にひとたびこの入口を超えてしまうと、おいそれとは外へ出て来れないだろうなという予感もする。ここを超えてしまう人はきっとその自覚を持つ余裕もなく気がついたらスッと入ってしまったのかもしれない。先の見えない不安は確実に人の心を削って行き、いつしか心の負荷の蓄積が許容量をオーバーフローしてしまったという事だろう。

鬱という病態が科学的には脳内の神経伝達物質の異常であるゆえ、病態が固定されてしまえば向精神薬の助けも借りつつひたすら心を解き放って休養を取る以外に回復する術もないという理屈も今なら容易に理解出来る。

私にとって今一番の問題は膀胱炎の強い痛みからの解放の時である。それがいつ訪れるのか。いつまで繰り返されるのか。おかげでいつのまにか肝心の膀胱がんの悪性細胞も何処かに行ってしまった感じだ。だがその闘いが終わったわけでは決してない。そんなこんながある限り、僅かずつであっても心は削られ続けているはずである。

ついぞ鬱なんて縁のない人間だと信じて疑わなかった私が、これほど唐突に鬱を意識させられるほどの日が来るとは思わなかったし、こうなると鬱はいつでも誰にでも口を開けている疾患だと認識せざるを得ない。まさか自分だけは、は単なる奢りに過ぎないのだろう。

とまあ、ここ最近の思うところをつらつらと書いて来たが、こんな事を書いていられるくらいだから、どうやらまだまだ私は大丈夫だ。そして切に思う。

明日は今日よりせめて少しはマシであれと。


毎月膀胱炎

検査入院の結果にはまずまずホッとしたところだが、それとは別の困った問題が起き続けている。

それは膀胱炎。しかもここ10月〜12月の3ヶ月間ほぼ毎月発症し、そのたびに仕事を休まざるを得なかった。最近ではこの7日間余り。仕事も土日の人手が少なく忙しいタイミングだったから同僚にも迷惑を掛けてしまったので心苦しい。

なぜこうも頻発するのか?

普通に考えれば、冬に向かい身体が冷えて抵抗力が低下して風邪を引くように、冷えによって骨盤内の血流量が減少し膀胱内で細菌が繁殖しやすい環境になったせいかもしれない。

カミさんによれば、暑い夏とは違って寒くなって来ると水分摂取量が少なくなって来る。すると何らかの理由で膀胱内に入り込んだ原因菌を洗い流す十分な尿量が得られず、かつ排尿回数が減るために膀胱内の残尿によって逆に菌の繁殖が促され膀胱炎を発症するという。

膀胱炎は膀胱や尿道に痛みを発生させ、強い排尿痛を伴なうからトイレを遠ざけようとついつい水分摂取を控える。その結果、ますます症状が悪化する。治療は医学書的にもカミさん的にも、細菌性膀胱炎には抗菌薬と1.5L/日以上の水分摂取による尿量で菌を洗い流す事である。但し、抗菌薬は安易に使うと耐性菌を生じさせるため、大量の水分摂取が基本だと。

だが、現実に断続的に襲って来る強い痛みに苛まれている状況で、敢えて大量に水分を摂って、これまた強い痛みを伴なう排尿を頻繁に行なうのはかなりの抵抗感がある。そんな苦行をするよりもこのまま横になって安静にしていれば、おっつけ痛みは寛解するのではと期待してしまう。

だがそうではなかった。

お守りとして持っていた抗菌薬を早めに飲み始めたものの、4日間の服薬もかなわずその後に強い痛みがぶり返した。そして公休日+2日間の休みを余儀なくされたのだった。

我ながらホントにバカだと思うが、事ここに至ってようやく大量飲水を覚悟し、昨晩からひたすらペットボトルの水を飲んでは痛みに耐えて排尿を繰り返した。それは1〜2時間おきに夜を徹して続いたが、やがて痛みが緩解して来るのが感じられた。出血が見られた時はアドナ&トランサミンで凌いだ。

そしてようやく強い痛みからは解放され、念のため今日も大量飲水を継続して明日から仕事に復帰出来るという目処が立った。

今後は職場の休憩室だけではなくBYにもペットボトルを置いて、普段からグビグビ飲んでは排尿に勤しんで膀胱炎の予防に努めなければならないと決意した次第。

結局、過去の膀胱炎でも積極的に大量飲水をしていれば辛い痛みを発生させずに終わっていたかもしれない。事ほど左様に、酷い目に遭わなければ対処を変えられないビビリの私が膀胱炎悪化の最大の原因だったというワケだ。orz




消えたぁ?

本日は検査入院の結果を踏まえた外来。

10月の尿細胞診で出たclassⅤの悪性細胞の居所を発見するべく、先日の検査入院で膀胱内から6ヶ所、左右尿管から各1ヶ所の組織をサンプリングしていた。

カミさん同席の上で主治医のT先生からのお告げを待つ。サンプリングした組織のいずれかからclassⅤが再検出されれば、今度はそれに対する治療方針が語られるはずだった。最悪、腎・尿管全摘となる。

ところが結果は、あにはからんやいずれもclassⅡ以下の判定‼️

すなわち細胞の一部異型は認められるが悪性度は認められないという、いわば「シロ判定」だったのだ。その時に観た膀胱は相変わらず綺麗なままだったそうだから、classⅤがいるとすれば尿管組織だろうとT先生も当たりをつけていたようだが、それも良い意味で裏切られた。

でもこれってどういう事?

サンプリングした組織で検出されなかったという事は、犯人はまだ網にかからず逃亡中か、はたまた何らかの理由で忽然と姿を消したかのいずれか?

実はこの結果は、決して私の想定外ではなかったのである。以前も少し書いたが、それはこうだ。

初発ならいざ知らず、二度も再発しBCG膀注療法も行なって来たプロセスの中でその度に感作されたリンパ球は、異型度の高い細胞に対して「非自己」を認識する免疫情報を獲得したのではなかろうかという仮説である。とはいえ特にエビデンスがあるわけじゃなし、言ってみれば「根拠のない自信」のようなものだけどね (^^;)

仮説を続けよう。免疫を獲得したリンパ球は、classⅣまでだと「自己」と「非自己」の区別は曖昧なため攻撃するまでには至らなかったかもしれない。だが悪性度の高いclassⅤに対しては「非自己」と認識して攻撃するようになり、その結果、まだ腫瘤を形成する前の極めて少ない細胞数であった事も幸いし排除されたという理屈だ。

・・・・・・・

私の膀胱がんは、前立腺炎を疑っていた6年前の発見時から超早期発見で、その都度TUR-Btにより外科的治療を受けていたから、芸能人が命を落としたような膀胱壁を突き破るような腫瘤が形成されるはるか手前で処置されて来たし、もちろん周辺リンパ節や多臓器への転移も生じる事はなかった。

今回も、もしこれが初発だったらそれを疑わせる症状はほとんど見られなかったから、たぶん受診にすら至っていなかっただろう。その間に密かに芽生えたclassⅤが増殖し、気づいたら腫瘤を形成し進行していたという事態になっていたかもしれない。今回のclassⅤも超早期の段階での発見に至ったのは定期的な追跡検査の賜物だと感謝している。

一方で、どこかに身を潜めていたclassⅤが、実はこの先ジワジワと増殖して悪さをするかもしれない可能性はもちろん捨てきれない。その予測は当然あり得るし、それが臨床上は普通なのかもしれない。

今後は今まで通り、定期的な尿細胞診とCT、膀胱内視鏡を淡々と行なっていくのみである。いよいよのXデーがいつ到来するのかは全く見えないが、生きていればまた何かが起こっても不思議はない。それまではこの幸運に感謝しつつ、これからの日々を送って行こう。…なーんて殊勝なセリフは今さら私らしくもないけどね (^^)




サンプリング終了

今回の手術も前回同様に眠っている間に全てが終了し、あわよくばそのまま楽にあの世に行けるマイケルジャクソンコースとはならず、またも無事にリバースし、我が身はこの世に連れ戻された。

今回は治療目的のTUR-Btではなく、手技は同じだが膀胱内部と腎に繋がる尿管の組織のサンプリングにより先日の尿検細胞診で見つかったclassⅤの異型細胞の居所をサーチする検査目的だった。もしかしたら新たに採用されたという2mm径の尿管用の極細内視鏡の試験台も兼ねてかもしれないけど。(^^;)

主治医のT先生が万一忘れているといけないので、術前日に術後の尿カテはいつものように細いものを使って下さいと念を押していたのに、実際に装着されていたのは前回までのものよりランランク太いものだったのが唯一の不満だった。きっと前回使ったケージ数を忘れたな。

それでも初めてTUR-Btを経験した病院で入れられたサイズのものよりもまだ細かったから、あの夜をまんじりともせずに過ごす事を強いられた挿入部の痛みを伴った感触と不快な違和感には遠く及ばず、まだまだ許容範囲だったから、まあ許すとしよう。(^^)

・・・・・・・

いずれにせよ片手に点滴ライン、真ん中に尿カテと、ベッドに横になっている体位にも自ずと制限がかかるため、マットの硬さとも相俟って脇腹や腰のあたりが痛くなり、ウトウトしても短時間で目が覚める。それでなくても脳外科と共有病棟なので、夜中に呻き声やナースコール無限連打などの音でも起こされるから堪らない。入院するたびに大なり小なりこういう患者さんがいたから、これは脳外科患者さんのpost stroke症状なのかもしれない。

かといって昼寝しようとしても血圧体温測定、点滴交換、食事配膳、室内清掃、主治医や薬剤師とひっきりなしに誰かが入って来るのでおちおち寝てもいられない。廊下では夜間のナースコール無限連打の婆ちゃんが大声で何か喋ってるし。実は入院生活って決してのんびり落ち着いてはいられないのだ。

結局ほぼ一日中横になってはいるものの、その実ジワジワと睡眠不足が蓄積されるというハメになるのだった。

今回は術後三日目に尿カテを抜くのでいつもよりも一日ほど早いのだが、抜いた後に身体を曲げ伸ばししてもなぜか左腰の辺りだけがシクシクとした痛みが残った。確かT先生が、左の尿管に内視鏡を入れた時、右よりも出血を見たと言っていたので、たぶんそのせいと思われるが、なまじこの部分の痛みゆえに急性腎炎か水腎症の発症かと一瞬ドキッとした。

毎回術後に入れてもらうボルタレン座薬で間も無く鈍痛は治まったので、膀胱炎の極期の強烈な針刺痛にはあまり効かなかったボルタレン座薬もこのくらいまでの痛みには十分奏功する事も改めて体感したから、今後のペインコントロールのための目安が増えたのは有意義だった。

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というわけで、今回の入院手術は検査目的だったため侵襲も少なく、予定よりも一日早く退院出来たので、職場復帰予定日の前々日と前日をゆっくり自宅で過ごす事が出来た。やはり自宅のベッドは嬉しい。病院のベッドに比べて遥かに身体に負荷がかからないから心身共に癒される。死ぬ時は自宅のベッドで死にたいという声はこんな理由もあるのかもしれない。

安心してばかりもいられない。今度は組織サンプリングでclassⅤの居所が掴めたとしても、それをどう排除するかという治療戦略が問われる事になる。T先生は膀胱は相変わらず綺麗だったと言っていたから、居所は腎に繋がる尿管かもしれない。とすれば尿管転移という事になり、良くて放射線や尿管切除&吻合、悪けりゃ腎ごと摘出となる事も考えられる。

サンプリングした組織には既にclassⅤは消滅していたなんて夢も見たが、こちらが何をどう夢見ようが、近いうちに冷酷にも断は下される。いずれにせよ膀胱全摘が免れても今度は片腎全摘の可能性が出て来たと言えるが、全ては次回の外来での検査結果を踏まえたT先生の意見を待つ事となった。

どうやら行く道にまた霧がかかって来たかな。





こうなるのかな?

検査入院前の検査外来受診。大分ツアーの最終日から始まった頻尿、排尿痛、膀胱収縮痛の3大症状は日を追う毎にじわじわと強くなり、頻尿は日中1時間毎(夜間は2時間毎)、排尿痛は思わずウッとなるほどに、排尿後に来る膀胱収縮痛はジンジンヅキヅキと断続的に継続するようになった。症状自体はBCG膀注療法の強烈な痛みのレベルではないものの、それでもいっそ入院を一週間前倒しでお願いしたいくらいではあった。

ここまで来るとさすがの私もclassⅤのがん細胞に対する生体の免疫反応の発動だろうという希望的観測よりもがん細胞の増殖による症状の現れではないかという悪い方へ思わざるを得なくなっていた。

そこで今日の外来診療時に主治医のT先生へ前回診療時以降の症状の進展を話し、もしかしたらがん細胞が腫瘤を作ったせいかもしれませんねと訊いた。そしたらT先生はこともなげに「内視鏡で見た膀胱はとても綺麗でしたからねぇ」と言ったがそれ以上は特に何も触れずに「抗菌薬は今度はこれで行きましょう」と前回とは違う処方をした。

つまりは、この一連の症状は生体の免疫反応でもがん細胞の増殖のせいでもなく、単なる膀胱炎だったというわけなのだ‼️

ならば私の話をきっぱり否定して、これは膀胱炎だとはっきり言えばいいものを、相変わらずT先生の言葉は少ない。しょうがないので「夜間の排尿をスムーズにするためにまたα1ブロッカーをください」と付け加えておいた。

さらに、まさかもう使う事もないと思っていた、1年前のBCG膀注療法の時に散々苦しめられた強烈な膀胱痛のためにガメていた鎮痛座薬が冷蔵庫にまだたっぷり残っていたのは幸いだった。

これで対膀胱炎への役者は揃った。

入院前検査として採血、ECG、スパイロ、X線を実施。珍しい男性看護師による採血は思いのほか上手かったが、若い女性のスパイロでは声掛けのタイミングが合わなかったせいか曲線がブレて何と5回もやらされたわ。その後、入院申込手続きを経て看護師による説明と申し送りのための聞き取りへ。

もはや外来のみならず入院手術に関しても常連と化した私は、特に説明を受ける必要もなくいつものように個室を予約。申し送りには「病院食はほとんど食べないけど、他で補給してますから気にしないでください。密かに入院ダイエットも目論んでますから」(^^)

さあ、これで膀胱炎を早く治して来週末に予定されている孫の2歳の誕生日会をこなして、週明けから入院手術へと突入する段取りが整った。

結局、このままで行けば膀胱全摘はまだ遠い先で、定期的に経過観察をしながら異常があれば入院手術を繰り返すという日々になるのだろうか。

その時の引導はT先生に渡してもらうようお願いするしかないだろうけど、どうやら今はまだその時ではなさそうである。





どうなる? どうする?

先月、尿細胞診でclassⅤが初めて検出された前後で膀胱炎を発症し、その3日後には軽快、24日から3日間の大分ツアーも無事に過ごせたかと思ったら、最終日から再び頻尿と排尿痛が始まった。

この症状、BCG膀注療法の時とほとんど同じなのだ。あの時も30分〜1時間間隔で尿意に襲われ、排尿痛を堪えて排尿し、終わった後は膀胱の収縮による痛みが続いた。もちろん今回は痛みのレベルは低い。BCGによる炎症が無いだけ軽く、寝込んだり休職しなければならない事はないものの、鈍痛はしっかり感じている。

さて、これをどう解釈すべきか?

一つは、がん細胞増殖による悪さ。一般的にがんの進展からすればこれが妥当とも考えられるが、それにしては症状が現れるまでの期間が短か過ぎる気がする。classⅤの時の採尿からわずか10日前後でこれほどの症状が現れて来るものだろうかという疑問が残る。以前の再発時には見られた肉眼的血尿も現在のところ全く見られない。

もう一つは免疫反応の惹起。classⅣまではスルーされていたが、classⅤの完全ながん細胞となった途端、リンパ球が反応し、一斉に攻撃した結果の炎症並びに膀胱炎症状なのか。だとすれば、この症状が治まった後に尿細胞診をすれば、少なくともclassⅤは検出されないかもしれない。

検査入院の10日前に外来受診があるので、そこで主治医のT先生に相談してみようと思っている。素人考えだと一笑に付されるかもしれないが、再度尿細胞診だけはしてもらおうと思う。それでもやっぱりclassⅤが出たらいよいよ覚悟を決める段だ。

検査入院でclassⅤの居所が判れば良いが、それが膀胱内で留まっているのであれば、膀胱切除の可能な病院へ転院して手術を受けるのみである。間違ってもまたTUR-Btとその後のBCG膀注療法による地獄の日々に耐える事はしたくない。二度に渡る再発の経験から言えるのは、耐えたところでせいぜい2年と持たないのだからご褒美にすらならない。全くもって割りに合わないという事だ。

そしてまたいずれ再発するのなら、その不安と症状に悩まされるのなら、いっそオストメイトの道を行く方がよっぽどスッキリする。人生いろいろ、それが自分とっては自然の成り行きなのかもしれない。

さてどうなります事やら。何が起きてももう驚かないし。





共存共栄は夢うつつ

昨日、尿細胞診で最悪のClassⅤが出た事をT先生から外来で知らされた。直近2回の細胞診ではClassⅣが2回続いていたから、これが何かの間違いでない限り、悪化すればClassⅤが出て来る事はある程度想定はしていた。あって欲しくはなかったが。

同時に4日前から膀胱炎症状が出始めた。短期間でいきなりがん細胞が悪さをしたとは考えにくいので、これはそれとは別件の膀胱炎なのだろう。

膀胱炎症状の頻尿は、始めこそ1〜2時間に1回程度だったが、翌日には30分に1回という頻度になり、立ち仕事の間にその都度2階のトイレに駆け込むのでは仕事にならず勘弁して欲しかった。やがて排尿時および排尿後に膀胱の疼痛を伴なうようにもなった。

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振り返るとこれは、膀胱内視鏡手術後の治療であるBCG膀注療法の時の副作用と程度の差こそあれ同じ症状だった。

つまり、BCG膀注療法は結核菌によって膀胱炎内に人工的に炎症を惹起させ、自身のリンパ球によって残存するがん細胞を叩くという治療なのだから、膀胱内は極度の膀胱炎状態となり、その痛みも相当キツかったわけである。

今回はつい先週行なった膀胱炎内視鏡による検査でも膀胱炎内部はキレイだったし、8月にやった造影CTでも異常が認められなかった。ただ尿細胞診で出ていたClassⅣさえ悪さをしなければ、騙し騙しであれ共存共栄で行くはずだったのだが、今回のClassⅤ登場によってその目論見も絶たれた。

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こうなったらこのClassⅤがどこに潜んでいるかを膀胱内視鏡手術で生検し、その結果によって今後の治療オプションを考えなくてはならなくなった。それは正常に見えた膀胱の内部なのか? それとも尿管内なのか?

いずれにせよ、予定していた家族イベントが終わる11月下旬のタイミングで1週間程度の検査入院をセッティングした。なあに、この6年間で既に何度も入院手術をして来た経験があるから慣れてるし、今回もまたいつもの事だわな。

本当の正念場はもちろんその後からである。

生検がうまく行って、ClassⅤの居所がほぼ確定したら、時期を見て膀胱全摘手術(and/or尿管摘出術)とストーマ設置に踏み切らねばならない。思い切ってやっちゃえば、限局性のがんゆえ再発リスクやBCG膀注療法の酷い副作用にも悩まされずに済むから、前々からもう一度再発したらそうしようと決めていた。

その覚悟は既にあるとは言え、いざ取ってしまうとなれば、その時期は遅い方が良いに決まっている。もちろん無症状で推移した場合であるが。検査でチェックしながら出来るだけ引き伸ばして、いよいよとなった時に踏み切ろうと思っているのだが、これまたそう上手く行くかどうかは全く分からない。

ま、あれこれ言おうとも既にまな板の上の鯉状態なんだよな。






行けるとこまで長らえよう

半月前に尿検査を行なった外来の際、その前のCTの結果、そして膀胱内視鏡を踏まえ総合判断をしたいと言う主治医のT先生。

「では、内視鏡は尿細胞診の結果が出る一週間後か、もう一週間待った二週間後のどちらがいいですか?」

と訊かれ、「一週間後と二週間後と訊かれれば、そりゃあ先の方がいいですと答えますね (^^;) 」

というワケで一年ぶりの膀胱内視鏡検査が今日。検査自体に痛みはさほどないというのは頭で分かっちゃいるけど、アソコにモノを突っ込むというのがどうにも合点がいかないのでやっぱりそこそこビビってたけど、検査自体はものの数分で終了。

そして結果発表。

内視鏡を見ながらT先生も「表面もスムースで綺麗な感じですね」と言っていたけど、改めてその画像を見ても特に問題点もなく、尿細胞診もclassⅢでまあ問題なし。

先日のCT画像も踏まえ、「これならこの先は尿細胞診で追っていけばいいかな。少なくとも全摘する膀胱の状態ではありませんから」とのホッとするT先生の言葉だった。

それでも、もし悪化が認められ治療の必要性が生じた時には、何度も悩まされたキツい痛みを経験させられるよりも、取っちゃう方を選ぶ覚悟はしていますとは言った。そうしたら「むしろその方が楽でしょうね」と。やっぱそうだよな。

まあ、この先どこまで長らえるかは知らないが、このまま完全に痛みが無くなれば楽な日々を送る事が出来そうである。

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何かにつけ良い事やお祝いがあると行く四谷のミクニから始まって、新宿の天ぷら、高島屋の小樽寿司に中華、江戸川橋の天丼、タカノのイチゴパフェ、誕生日には目白の和食(これは晩餐)、そして先日の東京タワーの麓のイタリアンと、カミさんと休日が合えば食べてる外食ランチ。

今夜はランチじゃないけどまあいい。さて、どうする? (^^)





大山鳴動

膀胱がんの初発から足掛け6年。その間に表在性から上皮内へと移行したものの、都合四度の内視鏡手術(TUR-Bt)と二度のBCG膀注療法で何とかここまで凌いで来た。

今年1月に受けた最後のTUR-Btにて上皮内がん(CIS)が判明し、もはやTUR-Btは有力な治療ではなくなり、残る治療はほぼBCG膀注療法のみとなった。

5ヶ月間も強い痛みに苛まれた前回の轍を踏まぬよう、今回はBCGによる副作用である膀胱痛などが収まるのを待って慎重に実施回数を重ねたが、8月下旬の4回目を最後に9月下旬頃から強い痛みとの闘いに突入した。痛みとの闘いは10月、11月と続き、10月は数日出勤しただけで終わり、11月は遂に丸々休職へ追い込まれた。

休職中はまるで判で押したようなひたすら安静のみの、今までの人生で経験した事のないほど単調な日々を送ったが、それでも12月には職場復帰に至り、取り敢えずリハビリを兼ねて週3日勤務体制でスタートした。

久しぶりの8時間の立ち仕事。足腰のフィジカル面に問題はなかったが、排尿後にシクシクジンジンの鈍痛が現れた。それでも仕事に大きく支障は来さない程度だったので、この調子なら年明けからは完全復帰が出来る見込みが得られたと喜んだ。

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そして先週の21日、今年最後となるはずだった外来受診で尿細胞診の結果が告げられた。BCG膀注療法の副作用である頻尿、排尿時痛、膀胱痛の三点セットはまだ少し残っているものの、いやそれがあるからこそ免疫反応が持続してclassⅡ(非悪性)をキープしているはずだった。

主治医のT先生は、いつもと違って一瞬の沈黙があったなと思った後、静かにclassⅣという結果を口にした。それは悪性細胞が強く疑われるという「クロ宣告」に他ならなかった。つい1ヶ月前までの尿細胞診ではclassⅡと安定していたのに、いきなりこれである。

瞬間、こんな時よく言われる「目の前が真っ暗になる」というのはウソで、見えている景色にボーッと白い霧のようなものが立ち込めたというのが正直なところだ。どうあれ、ショックと絶望感にガツンと殴られた感触を受けたのは違いない。

次週、転移の有無を確認するために造影CTを実施する運びとなったが、もはやそんな検査はどうでもよかった。頭の中で渦巻いていたのは「まだ痛みが癒え切れていないのに再びBCG膀注療法を始めるのは無理筋。だとすればいよいよ全摘か」という認めたくはない結論をどう受け入れるかという一点だった。

同時に、BCGによる強い膀胱炎症状が出る事が治療反応性の証拠なんだという、今まで抱いていた希望的観測が単なる幻想に過ぎなかったという現実を突き付けられた形となって大いに絶望した。

ともあれ、次週のCT検査の後に今後の治療について検討するという事でこの日の外来は終わったが、もはや実質検討すべきはどこの病院で全摘手術を受けるかだろう。

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そしてその日が来た。

カミさん同行で病院に向かい、造影CTを終え、泌尿器科外来にて呼び出しを待つ。初めての造影剤は点滴ルートで投与されたが、投与間もなく首筋から手の先、果ては肛門あたりまですぐに熱くなって来たのがわかる。

これが前社の研修の時、疾患の検査でたびたび触れて来た造影検査の感触というものか。これまたここでリアルに体験するとは思わなかった。

CTの結果は予想通り肺から腎臓までどこにも転移はなく、膀胱も滑らかな形状を保っていて浸潤なども認められなかった。例によって数値のよろしくない肝臓の一部が写ってなかったのはご愛嬌。(^^)

カミさんがいたからいつもより多弁な画像解説を終えたT先生。
「これですぐにBCGとは行けないし、次の手はどうするかですね」

「先生、今回の尿細胞診のclassⅣは、例えば検査誤差とか気の迷いとかの可能性ってありますかね?」

「まあ、膀胱はそれなりに傷んでいるでしょうから異常な細胞もあったかもしれません。次回、来年の中旬頃に尿細胞診しましょう。春までには膀胱内視鏡検査もやりたいですね」

「はあ。実は私はもう全摘も覚悟…」

「まあ、しばらくこんな風にだましだましで行ければと。はい、では今年はこれで終わりです」

…おいおいおい、せっかくそれなりの悲痛な覚悟で来たというのに。これじゃ検討も何も、悲惨でも何でもないじゃないの!

わざわざカミさんまで連れて来て、見事に拍子抜けとなった外来はこうして終わったのだった。

結局、次のステップの検討や選択はお預け。考えてみれば、T先生としてもまだこんな段階で全摘手術依頼の転院なんてさせようモンなら、逆に紹介先から見識を疑われかねないのかもしれないなんて想像もした。

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ふと気が付いたが、この病院の最終診療日である12月28日は、去年まさにこの日ここでカミさんの婦人科手術が行われた日でもあった。夫婦揃って病院の太ーい客だなと笑ったっけ。

あれからもう一年が過ぎたのか。どうにもつい数ヶ月前だったという感触しか湧かない。振り返ってみれば、昨年末から今年一杯はカミさんや私の入院手術から始まり、再びBCGの副作用に悩まされて終わった、我が家にとってまさに天中殺のような一年だったな。

結局のところ、まだ悲観したり覚悟を決めたりするには早過ぎたようだ。てんやわんやしたのは私の心の中だけだったのかもしれない。




シクシクジンジン

日々を経るごとに、徐々にではあるがお尻の奥で感じるシクシクという鈍痛も軽快しつつあるように感じる。徐々にというのが何とも歯がゆいのだが、最近はそれも歳のせいかなと思えるようになって来た。免疫力もそうだけど、若い頃の回復力とは違うのは当たり前なのだと。

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16日の外来受診は車で行く事が出来た。往きは15分程度だったが、取り敢えず運転席に座っていてもシクシク程度の感じしか出ず、外来で受診を待つ間も診察室のイスにも座る事が出来た。主治医のT先生も「入って来た時の歩き方から痛みが軽快したようで、今日はイスに座るだろうなと思いましたよ」

尿細胞診の結果も異常なし。当分は定期的に行ないつつ、これで経過観察して行く。痛みが引けば膀胱内視鏡も。

ただ、やはり歩行などの活動が加わるとシクシクジンジンして来るのは変わらない。それでも鋭い針刺し痛が出ないのは相当楽にはなったけど。

歩行以外でシクシクジンジンを感じるのは大抵排尿後の膀胱収縮のタイミングであるのもこれまでと変わらない。家にいる時のようにすぐに横になれれば問題はないのだが、外ではそうはいかない。いっそ排尿が無ければいいと思うのだが、これまたそうもいかない。今でもほぼ2時間おきにトイレという頻尿状態だから、相変わらずの排尿時痛と共に厄介なのだ。

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そして昨日は孫の一歳の誕生日会。横浜戸塚の料理屋で息子夫婦、両家の親が集って食事をしながら、一升餅まで背負わせて和気あいあいの時間を過ごした。孫には5月に初節句で会ったきりだったので、久しぶりに見ると結構大きくなった(9kgになったそうだ)気がする。つい3日前から自立歩行も出来るようになったと言うから、子供の成長には改めて刮目だな。

会場までは車で行ったが、途中少々シクシクジンジンの鈍痛を覚えたものの、まあ無事に運転出来た。横浜新道の段階では予定よりも30分以上早く着くとのナビ提示が、横浜名物の原宿交差点渋滞が新道までしっかり影響して、あっという間にその貯金を吐き出した。おまけに料理屋の駐車場が坂を100m以上登った先にあったため、結局定刻から15分の遅刻。さらに駐車場からお店までの歩行でまたジンジン。とかく時間に遅れる事が大嫌いな私にとって何とも悔しいスタートとなってしまったのだった。

到着後も頻尿ゆえ即トイレへ。その後にお決まりのシクシクジンジンが出たものの、片尻座りと笑顔で何とか2時間の食事を乗り切った。退店前にはまたトイレ。

それでもいっときの堪え難い針刺し痛を思えば、重ね重ね楽になって来たんだなぁと一人感慨に耽ったりして。

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職場復帰まで残り10日を切った。本部のS先生からの提案に甘えて復職は週3日の勤務からスタートし、以前と同じフル勤務は年明けからになる。

10月以降、ほぼ2ヶ月近く現場から離れていたので心身のなまりが心配だが、それもしっかり現場でリハビリしつつ従前のコンディションに戻して行きたいと思っている。シクシクジンジンも出るだろうが、それも仕事をしつつ身体に慣らしていかねばなるまい。

何度も書いているけど、何より食事とトイレ以外ほぼ安静という自宅入院状態はいい加減もう飽きたわ。人は動いてナンボだよ。




休職半月

正式な休職に突入して半月が過ぎ、安静時の痛みがほぼ鎮静化して来たため、家から駅のコンビニまでパンを買いに行ってみた。

片道300m足らずの距離だったが、やはり歩行によって垂直方向へ荷重が掛かるとシクシクとした鈍痛を感じ始めた。酷い時期だとこれが針刺し痛として出るので歩行が困難になってしまうのだが、さすがに炎症が鎮静化して来た今はそこまでの強い痛みは出ない。

とはいえ、コンビニで買い物を済ませて書店に寄ってから帰り道を歩くと、そのシクシクする痛みがズキズキ程度に強くなって歩く速度を落とさずにはいられなくなった。まだまだ完全消炎状態とは言い難く、今後も歩行などの活動に対するリハビリが必要なようである。

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明日は定期外来受診日なので病院へ行くが、この調子だと自分で車を運転するのはまだ厳しいかも。2週間前の受診日と同様にタクシーで往復するしかないかな。片道1000円強の距離なのは助かるけど。

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さらに来週末には孫の1歳の誕生日を祝う食事会がある。私はこんな状態なのでカミさんのみの参加と暫定的に伝えてはいるが、何せ場所が横浜西部なので、電車よりも車で行った方が便利。となると、これも私の状態次第。

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歩くと鈍痛を覚えるとなると、これまで通り、基本的にトイレと食事以外は終日横になって安静にしている日々を続け、さらに回復を待つしかない。まるで入院生活みたいでいい加減飽きたのだが、成す術もなくどうにもならない。

休職期間が始まった時は、10月も殆ど休んでばかりだったので、さらに11月も休めばさすがに回復するだろうと思っていた。だが、予想に反して回復が遅いので、逆に残り半月で回復まで持っていけるのかどうか、少なからず不安がよぎる。

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このところ、Twitterでフォローしているがん闘病者の旅立ちが遺族によって知らされる事が多い。どなたも立派に旅立たれたのだが、その人たちに比べれば私の置かれた状況は今すぐ生きるの死ぬのという切迫した話ではないだけまだまだマシなのだろう。

それを不幸中の幸いと言うのは簡単だが、今後の経過によってどう転ぶか分からないという恐さを抱え続けるのも結構シンドイ。




ある夜の出来事

昨夜もLevel4「悪魔の時間帯」がやって来た。

昨夜9時過ぎ。それまで終日シクシクしていた痛みとは異なる何やら怪しげな感じの痛みに変わり、それが時間と共に増強していく感じがした。

こりゃマズイかなと思い、横になっていたベッドを出て階下のリビングへ降り、悪魔の時間帯の時の対応姿勢を取るべく足を広げて立ち、テーブルに手をついてTVを観ていた。

果たして悪魔はやって来た。

但し、痛みの程度は飛び上がるような鋭く強い針刺し痛とまでは行かず、シクシク+強目のツーンといった感じで、思わず声が漏れるというレベルではなかった。さすがに少しはマシになって来たなと。

だが、問題はそこからだった。

午後11時過ぎにもなると、さすがに立ったままだと足も疲れ始めたので、再びベッドに戻り、これまた例の「orz」の姿勢を取って痛みが収まるのを待った。

しかしこれが、いくら待っても収まって来ないのだ。

もういいかなと先ずは足の方から伸ばしてみる。両足を伸ばした時点で明らかな針刺し痛を感じたので再び「orz」へ。

しばらくして、今度は思い切って横に倒れ、両足を畳むいつもの横寝の体勢を取ってみるが、やはり針刺し痛が出る。これも失敗。またもや「orz」に戻る。この時点で日付け変更線はとっくに超えていた。

おかしい。いつもならこのあたりで痛みが収まって横寝の姿勢で眠りに就けるはずなのに。気がつくと雨が降っている。ああ、気圧が下がっているせいなのか。

クッションの効いたベッド上とはいえ、さすがに同じ姿勢でいると苦痛になって来るので、恐る恐る片足をゆっくり伸ばし、もう片足は曲げたままで。胸の下には薄い掛け布団を折って胸当てにし、さらに枕を2つ使って頭を乗せ易い高さにした。

その姿勢が良かったのか、あまりに肉体的に疲れたのか、そこからしばし寝落ちしたようだ。

やがて痛みが強まり、それが尿意の到来を告げる。まあ、ここに至るまで起きている時でも概ね1時間に1回のペースでトイレに通っているから、今やそれは定例行事として織り込み済み。

トイレから戻ると、今度こそはと横寝の姿勢を取ってみるものの、やはり針刺し痛は消えていない。くっそー、またも「orz」からやり直し。

さらに時間が過ぎ、それでもいつしか片足を伸ばして寝落ちに至ったのだろう、時は午前4時を回ったあたり。ここでトイレに起こされた。

そしてまだ痛みが収まっていないのを確認しつつ「orz」からソロソロと足を伸ばして寝落ちに至る。しばらくしてまたトイレという繰り返しで遂に朝を迎えたのだった。

何と悪魔の時間帯がオーバーナイトで続いたのだった! 極端な痛みでないが、その代わり長く続くという、今までにない新パターンだった。

そんな一夜を過ごしたせいで完全な寝不足状態となってしまったが、このブログを書き終わったあたりに横寝の姿勢が取れるようになったら、そのスキに寝不足を取り返しておこう。

それにしてもこんな痛みに苛まれている私でさえ、コマ切れとはいえ寝落ちをするくらいなのだから、精神的に眠れないなんて言う人でも必ず寝られているはずだとの思いを強くした次第。人間、眠らなかったら死んでるから〜!

こんな寝たきりみたいな毎日を送っていると身体も省エネ状態になるのか、痛みのせいもあってあまり食欲も湧かず、朝食と昼食分を合わせてもサンドイッチとオニギリ1個程度で十分という日々。そのおかげで無意識のうちにダイエットが進み、9月中旬から5kgは減った計算になる。

人呼んで「寝たきりダイエット」。本でも書いたら売れるかな。(^^)


【追記】
ブログを書き終えてしばしうたた寝をしていたら、やがて尿意を告げる痛みを感じてトイレへ。終わった途端、強い持続痛が発生してそのままリビングのテーブルに手をついて立ち姿勢で痛みに耐える時間が始まった。

紛れもなく「悪魔の時間帯PartⅡ」だった。

やはり飛び上がるほどの鋭い痛みこそないものの、思わず「うっ」となる強い痛みが断続的に続くから、それはそれで十分地獄ではある。

この時間帯の極期には、15分も経たないうちに痛みが増大してトイレへ駆け込むという繰り返しになる。

こうして2日続きの悪魔の時間帯を過ごすハメとなってしまった。まだその終着点は見えない。

いくら免疫反応の炎症による痛みとはいえ、まだこんなに苦しまなくてはならないのか。せめて我が白血球ががん細胞を駆逐するイメージを保つのが精一杯だった。(ToT)



悪魔の時間帯

1〜2分おきに飛び上がるような強い針刺し痛が襲って来る、自称「悪魔の時間帯」がようやく深夜に終わった翌朝は、強い炎症があった事を物語るように膀胱のその部分に軽い鈍痛や重さを感じる。

今週火曜日の夜、水曜日の日中と既に2回襲われ、更に昨晩から深夜にかけて3度目が来た。

なすすべもなく数時間もの間繰り返される強い針刺し痛にリビングのテーブルに手をついて耐え続けるのは本当に辛い。しかも痛みが強まる10〜15分おき位にトイレへ行き、刺激の一因となるオシッコをごく少量でも出さなくてはならない。延々その繰り返しである。だから「悪魔の時間帯」と命名した。

一度この悪魔の時間帯を経験すると、そのあまりのキツさに二度とゴメンとなるので、まるで腫れ物に触るように動作も慎重にならざるを得ない。

特にそのキッカケになりやすいトイレには十分な時間を掛け、膀胱の緊張を解く。つまり、最初の症状であるツーンとした針刺し痛を如何に出さないように行動するかなのだが、こんなふうに気をつけていても所詮自分でコントロール出来るものではなく、大抵は無情にも始まってしまうのである。

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日中安静にしていた昨日の夕方もそうだった。それまでは比較的穏やかな状態だったのだが、トイレ後をキッカケにいきなりツーンと強い針刺し痛が始まり思わず飛び上がる。そしてそれは結局深夜まで続いた。舞台はリビングのテーブルからベッド上で「orz」の姿勢へと移り、鋭い痛みに耐えながらただひたすら沈静化するのを待つ。もちろんその間、何度もトイレと往復する。そこでは排尿痛も襲って来る。正直、死にたくなるわ。

悪魔の時間帯がやっと終わった後は肉体的にも精神的にも疲れ果てているから寝付きは良い。でも夜間頻尿は2時間おきにはやって来るから寝不足状態で朝を迎える。

朝は取り敢えず痛みはほぼ無い。だが、それで気を良くして出勤しようと歩行動作が加われば、100mも行かないうちに痛みが生じて引き返ざるを得なくなる。仮に職場へ辿り着けたとしても、おっつけ痛みが出て来るのが定番だった。そんなこんなで、特に今月はロクに出勤さえ出来ていないのだった。

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ウチの店にパート薬剤師のT先生が私の公休日に週に2日、半日ずつ来て頂いているとは言え、その他の日は要指導・1類医薬品が販売出来ない。特に需要の多いロキソニンが買えないのはお客さんにとって不便この上ない。もちろん薬の相談をしたいお客さんにとってもそこに薬剤師がいればこそ。

なので、本部のS先生へ個人的にメールを送り今後の事を相談した。S先生は私が入社して以来、色々とお世話になっている本部所属の薬剤師で、S先生本人も調子を崩した時期があるから自分の健康が一番というお考えだ。

週に何日かでも他店から応援薬剤師を得られれば、来月から差し当たり1ヶ月間休職して身体の回復を待ちたい旨を症状の説明と共にメールに書いた。

幸い、その方向で動いていただけるとの返信があり、H店長にも報告してひとまずホッとしたところである。ただでさえH店長の優しい言葉に甘えっぱなしで、このまま不安定な勤務を続ければ、結局お店やスタッフに更なる迷惑をかける事になり、ますます心苦しくなるから、ここは思い切って休職とした方が良いに違いない。痛みさえ収まれば直ちに平常運転に戻れるのだから。

そんなこんなで混沌と困惑の毎日を過ごしている。光を!





光はまだ先かな

サッカー日本代表森保ジャパンは、初陣となった9月の親善試合のコスタリカ戦(3-0)を皮切りにパナマ戦(3-0)、昨日のウルグアイ戦(4-3)と立て続けに勝利し、何と何と3連勝を飾ったのだった!

特に新戦力となった世界レベルのドリブラー中島翔哉、フィジカル十分の堂安律、そして3試合連続得点の南野拓実のMFトリオは何は無くとも覚えておくべき選手だろう。

この選手たちの動きは観ていて大変面白いし、彼らがさらに成長して戦術が完成すれば、日本代表の未来には明るい光が見えるだろう。

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さて、このところブログを書けば膀胱の痛みの事ばかりだが、これも後々のための記録となるので致し方ない。

昨夜勃発した膀胱の鋭い針刺し痛。いつもと違って痛みの波の持続時間も長かった。今までは横になっていれば和らいだのだが、今回は横になろうが中腰になろうがダメ。遂にベッドの上で「orz」の体勢を取るしかなく、こういう時は1時間に1回の頻度になる夜間頻尿と共に朝まであまり眠れなかった。

そして今朝、ほんのひと時痛みは収まったかに見えたが、しばらくして同じ痛みの波が現れた。概ね1分〜2分の間隔でツーンとした強い針刺し痛が来て身悶える。

インターバルがあるのはまだ良い方で、酷い時はその針刺し痛がインターバルなしに連続して波状攻撃が来たりする。ズキンズキン、ツーンと、まるで虫歯の強い痛みのように。こうなると数時間は地獄の時間である。もちろん鎮痛薬は効かない。

その痛みがより強くなれば、その刺激の一因を解消するためにトイレに向かうのだが、今回はトイレを済ませてもその波が続いているから厄介である。いやむしろトイレの後の膀胱の収縮(あるいは攣縮)が針刺し痛勃発の引き金になっているケースが多いように感じる。おかげで今日も仕事はお休みとなり戦力外。

挙げ句の果てに、この痛みが来た時にお店の薬カウンターで取る姿勢と同じに、テーブルに両手をつき両足を開いて中腰になった姿勢で終日過ごす事になった。それまでのように横になっていられる状況ではなく、痛みに耐えつつトイレとの往復をするだけの一日となってしまった。

もっともこの痛みの種類と発生の仕方は初体験というワケではない。前回のBCG膀注療法(全8回)をコンプリートした後、やはり強い炎症による針刺し痛が断続的に現れたので、今回もその路線だろうという想像はついていた。

ただ、ここまで強い痛みの波が長引くのは前回でもあまり記憶にない。おそらく前回が表在性だったのが、今回は上皮内(CIS)となったので、それだけ広範囲に炎症が広がったのだろうと思われる。

前にも書いたが、ここまで連日連夜キツイ痛みに晒されつつ、原病に対する不安を抱えつつ、仕事も満足に出来ない状況によくぞ自分自身のメンタルがやられないなと、そこだけは大いに感心している。普通なら多少はデプレっててもおかしくはないんだけどね。だってまだこの先の光すら見えないのだから。

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こんな、その日によって痛みの状況がまちまちな、いわば行き当たりばったりの毎日を送っていると当然仕事にもかなりの影響を及ぼす。ただでさえ人の足りないお店なのに、私が休みがちとなるだけで少なくとも医薬品の発注、納品作業、売り場のメンテナンス、接客、要指導・1類医薬品などの販売が疎かになり、その分確実に他のスタッフの手を煩わす事になるので迷惑この上ない。

これがBCGによる炎症だとすれば、今までもそうだったように時間の経過と共にいずれ収まる日が来る。そうなればウソのようにほぼ無症状の快適な日々が訪れるに違いない。

問題は、そこまでどれくらいの時間が必要なのかが、日々の症状のバラツキも相俟ってはっきり分からない事である。前回は足掛け5ヶ月だったし。このままだとその日その日の状態で出勤欠勤が決まるから不安定この上なく、今後も職場に多大な迷惑を掛け続ける事になる。

店長をはじめお店のスタッフは皆人柄が良く、欠勤を連絡するたびに「気にしないでゆっくり休んでください」「どうぞお大事にしてください」と言ってくれるからますます申し訳なく、逆にその分我が身が恨めしくなって来るのだった。

ならばいっそ1ヶ月単位で休職扱いにしてもらい、本部からの応援薬剤師を仰ぐ方がまだいいのかと思う。もちろん応援が得られればの話で、本部も人が足りないのは同じだろうが。

そのあたりを今、店長へ投げ掛けている。



何やってんだよ!

アジア大会が日本柔道のメダルラッシュに沸こうが、突然貴乃花親方が引退しようが、沖縄県知事にデニー玉城氏が当選しようが、カープが三連覇しようが、高橋由伸監督が辞任しようが、今井絵理子参院議員が橋本元市議と交際宣言しようが、オプジーボ誕生の基礎研究に対してノーベル賞受賞しようが、10日前から現れた極度の炎症による強い膀胱痛の辛さは変わらんのだよ〜! ってそりや当たり前だけどね。

そんなワケで、バイト諸氏が退職、咳で肋骨骨折、風邪などで相次いでリタイア、ダウンしてまさに野戦病院状態のウチのお店にさらに私自身が追い討ちをかける体たらくを演じるハメになってしまった。

間断なく襲われる痛みに耐えかねて早退した先月末以来、終日安静にしていても一日の半分位の時間帯に断続的に襲われる強い針刺し痛に苦しみ、仕事を休まざるを得ない日々を送っている。

本日の外来受診時に主治医のT先生へこの現状を訴えたものの、前回までの治療経緯から既に想定内だったよと言わんばかりに「久しぶりにイスに座れない姿を見ましたよ」なんて言われ、「まあ、それは治療反応性が良いとは言えるでしょうが、収まるのは時間に任せるしかありません」と、相変わらず患者の痛みには無頓着な発言。

この経過をH店長へ報告し、今しばらくの休みを願い出た。重ね重ね申し訳なく、さすがの私も精神的に弱気にならざるを得なかった。なまじ身体の他のパーツはピンピンしているから、なおさら無力感が募り虚無感に苛まれるのだった。

お前はこの一大事に何やってんだ! と。

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とはいえ、就寝時以外のほぼ全ての時間を横になって過ごしているリビングのソファー。膀胱刺激症状により概ね一時間に一度訪れる膀胱痛を伴った尿意のため、よりトイレに近い場所を陣取っているに過ぎないのだが、それも連日まんじりともせず一人で過ごしていると、さすがにマンネリ化して来る。

就寝後、2〜3時間に一度の夜間頻尿を経て朝8時前にベッドからトイレに立ってからこのソファに移動して朝食と服薬。痛みの程度によっては1個目の坐薬投入。

TVはワイドショー。これが昼の時間帯を挟んでさらに別のワイドショー。その後はニュース番組2つを経て夜7時からバラエティ番組やらスポーツ番組やら。地上波がつまらなければBSへ。そして最後もニュース番組のハシゴ・・・。

ま、いずれにしても連日BGM代わりに漫然とTVをつけている事になる。同時並行でスマホを弄るが、それもじきに飽きが来る。ホントに絵に描いたようなマンネリ、コピペし続けているかのような毎日なのである。

残念な事に趣味のギター弾き語りや買っただけで未見の映画DVDなどには手が延びない。こういう日々を送っているとどうにも興味が湧いて来ないのだ。

出た! 「興味、喜びの喪失」・・・これはうつの症状か!? www

それはともあれ、今後ともこまめな尿細胞診によってがん細胞の有無をモニタリングしつつ、BCG → 即時的膀胱刺激症状 → 遅延的炎症症状 → 症状沈静化 → BCGを適当な間隔を取りながら繰り返して行くしかないのだろう。

痛みが生じ、それに耐えている時は、せめて自身の白血球ががん細胞を一つ一つ駆逐しているというイメージを持つようにしている。

正直、まだまだこの状況を今の自分の当たり前の姿として受け入れたくはない。あくまでいっときの姿なんだと思いたい。いずれはそうせざるを得ない時が来るのかもしれないが、でももしかしたらBCGを卒業し、永きに渡って無症状の日々を手に入れられる時が来るかもしれないと期待を込めて。

人は確固たる存在には至れないのか。
心ですら、日々あれこれ揺れている。




お願いしますわ!

8月の中旬に最終兵器ボルタレン坐薬を手に入れて以来、膀胱に鈍痛を感じる事はあるものの、耐え難い鋭い針刺し痛は何とか抑えられているような日々が続いて来た。

そこで、痛みが治まって来た勢いで8月24日、都合4度目のBCG膀注療法を行なった。3回目から2ヶ月チョイ空いたので、そろそろいってみようかというタイミングになったからだった。

その後の症状発現は以前と同じ感じで、当日は強い頻尿、そして炎症による膀胱痛と排尿開始時の痛みとなるのだが、今回は炎症部位が原発巣の膀胱出口部に加えて尿道の途中にも惹起されているようだ。つまり2ヶ所に炎症が起こり、2ヶ所から別々の痛みが発生して来る感じなのである。

こうなると本命の針刺し痛の元となる膀胱痛だけでなく、排尿時以外にも痛みを感じる尿道痛(いわゆる竿の途中に感じる痛み)もそこそこキツい。何も今回2ヶ所じゃなくてもいいじゃないかとまたも我が身を怨む。

それがいけなかったのか、BCG実施後の夜、尿意がありトイレへ。尿が出る前の尿管を駆け下りて来る強い圧力は感じるものの、肝心の液体が出て来ない! 腹圧をかけてもせいぜいポタポタポタ程度。

すわ、恐怖の尿閉か⁈

初めての尿閉を経験したのは約3年前。あの時は術創部の出血によるコアグラ(凝血塊)が尿道を塞いだのが原因で、慌てて病院へ電話して駆け込み、帰宅していた主治医が病院へ取って返してカテーテルを入れてくれたというドタバタ劇があった。今回もこの二の舞かとの不安がよぎった。だが今は真夜中、何とか少しずつでも絞り出して耐える他はない。既に尿意を催す間隔は10分〜15分、それだけ排尿出来てないという事である。

幸い、頻尿のせいでもともと蓄尿量が少なかったため、膀胱がパンパンに張る事もなく、少しずつではあるけれど排尿も戻りつつあった。やがて朝になったらポタポタがチョロチョロになったので取り敢えず事なきを得たのだった。ああ、ビックリした!

次の外来で主治医にその旨を告げ、ユリーフを処方してもらった。同時に頻尿対策で飲んでいたベシケアは中止。排尿困難なのに抗コリン薬はナンセンスだからね。

で、これで痛みも日を追って軽減して来るかと言えば、現実はそう甘くはないのだった。今は尿道痛よりも膀胱痛がキツいと感じる日が多い気がしている。

事実、昨日も朝からそんな痛みに悩まされていたが、それでもまだ我慢出来て何とか勤務を全うした。今朝もそんな調子である程度時間が経過すれば痛みも和らぐと踏んでいたが、さすがに大型台風24号が接近しているためか、針刺し膀胱痛が2度目の坐薬投与でも引かない。その上に、台風接近に強迫観念を抱いたのか、午前中からお客さんが結構な数押し寄せ、痛みを堪えて応援レジや相談、接客などをこなしていたが、その活動量に伴う痛みに遂に耐え切れず、勤務前半の14:00過ぎにギブアップ。無念の早退をせざるを得なかった。

このブログにも何度も書いて来たが、私は前社の社内研修職人という仕事も天職と自任していたが、今のOTC薬剤師という仕事も職場環境を含めて大変やりがいを感じていて、第二の天職とも認識している。だのに我が身のこの体たらくが嘆かわしいし悔しくて堪らない。

還暦超えの齢から無病息災は叶わなくとも、一病や二病息災は許容範囲のはず。それは重々分かっている。だがしかし、それがよりによって身体活動の中心位置の痛みとの闘いを強いられる日々が来るとは全く予期していなかったわ。

どうせ長生きするような人間じゃないんだから、今やりたい仕事くらいは支障なくやらせてくれってんだ。お願いだから。




最終兵器「坐薬」

相変わらず続く膀胱痛。立っても座っても歩いてもツーンと来る鋭い痛みが断続的に起こった2年前よりはまだマシだが、それでもその日その時になってみないと分からない痛みの程度と頻度が仕事を邪魔しに来る。

もはや期待されたロキソニン+イブプロフェンなんて組み合わせもほぼ通用しない状態で、こうなったら最後の武器を手に入れるしかないと思い至った。

それはボルタレンの坐薬。それも術後に麻酔が切れた後の疼痛を緩和してもらった50mgのヤツ。これを外来受診時に主治医に所望。取り敢えず頓用という事で10個ほど処方してもらった。

で、早速翌朝の出勤前に本日の先発投手として投入。坐薬は滑りを良くするために基材にグリセリン脂肪酸エステルという油脂成分が含まれているため、投入後しばらくすると投入口付近がヌルヌルした感じがして来る。便通も良くなるので、必ず排便を済ませてから投入しないとオジャンになるし。(^^;)

だが、さすが麻薬を除いて最強部類の鎮痛薬ジクロフェナク、坐薬という投与経路も手伝って投入後15分〜20分で痛みの感触が薄まって来る。これなら少なくとも午前中は凌げる。実際には8:30に投入した坐薬は概ね12:30過ぎまで鎮痛効果を発揮した後、徐々に痛みの輪郭がハッキリし出すので、ここら辺りが中継ぎ投手のタイミングとなる。

ただし最初は坐薬の連投は避け、例のロキソニン120mgに中継ぎをスイッチした。坐薬連用は肛門や直腸を痛める恐れがあるからね。

すると、やはり鎮痛効果は弱くなった事が自覚される。だが耐えられないという程でもない。まあ、それも結局はその日の痛みの程度に左右されるのだろうが。

やがて夕刻。これまた概ね17:00過ぎともなると股間がツンツン疼いて来るのを感じる。鎮痛効果の強弱はともかく、その持続時間自体は坐薬も経口薬もさほど変わらないようだ。

で、ここからクローザーとして再び坐薬投入。このまま終業時間を迎え帰宅に至る。この間、もはや身体が痛みに慣れたのかどうか、特に問題なく行動出来た。

帰宅さえしてしまえば、ソファに横になっている限り重力も膀胱出口にかからず、鎮痛薬無しでも比較的平穏に過ごせる。強い排尿開始痛の方は相変わらずだが。

そんな坐薬に味をしめた私は外来受診時に主治医に増量をお願いするものの、保険の関係とかで頓用として1回に10個しか処方して貰えない。これまで2回(20個)手に入れたが、痛みのキツイ日などは先発・中継ぎ・クローザーと坐薬3連投の日もあるゆえ、当然足りなくなる。

そこでカミさんの有料ホームの訪問医のクリニックを受診して相談。腰痛(痛みを堪えて変な姿勢で立ち回ると腰に負荷が掛かり軽いギックリ腰みたいになっているのも事実)の緩和という事で2個/日×30日処方で60個の坐薬を手に入れた。これで闘いのコマは揃った。嗚呼、ありがたや! ありがたや!

そうこうしているうちに、ここ2、3日は痛みの程度、すなわち膀胱の炎症の程度が弱くなって来ているのを自覚するようになった。強い痛みがあまり出ず、シクシクとした鈍痛モドキだけになったので何とか先発投手のみで乗り切れた日もあった。ただ、2年前もそんな一時期があり、その後またぶり返したという苦い経験があるから、ぬか喜びになるのを警戒はしているが。

何にせよ、鋭く強い針刺し痛が間断なく押し寄せていた地獄の日々に比べれば、今は天国なのは違いない。だけど涙が出ちゃう、ビビリなんだもん。

加えて、鎮痛薬の種類、剤型による効果や作用時間の差異を身をもって経験出来たのは小さからぬ財産だろう。今後、痛みの相談のお客さんが来た時の言葉に自信が持て、治療提案の説得力が増すこと請け合いだから。

これからも検査結果や症状によってさらなるBCG膀注療法は続くだろう。1クール8回のうち今回はまだ3回。そして投与の都度、このような副作用に見舞われる事は想像に難くない。

CIS(上皮内がん)ともなれば、もはやTUR-Bt(膀胱内視鏡手術)も効果薄、何せ境界線が不明瞭なので削り切れないのだ。だから当面は薬物の膀胱内投与を続けていくしかない。その過程でがん細胞が無くなればこちらの勝ちとなる。負ければ膀胱全摘が待っているだろう。

不安げな私にカミさんは、「重症のがん患者を大勢診て来たT先生からすれば、あなたなんか全然軽い患者なのよ。全摘や転移がん治療の必要もない今は、多少の辛さ不自由さを抱えても生活していけるのだから、むしろ幸運と思えばいいのよ。痛みはガマンしないでどんどん鎮痛薬を使えばいいんだし、そもそも健常人のように何も支障がないなんて事は無いんだし、病気を飼い慣らすってのはそういう事でしょ」

さすがナース、おそれ入谷の鬼子母神!




明日から休養明け

ロシアW杯は、3位決定戦でベルギーがイングランドを2-0で破り、決勝戦はフランスがクロアチアを4-2で破り、ジダン以来20年ぶりの世界一に輝いた。

今大会はカウンター攻撃といい、個人のドリブル突破といい、驚異の反撃スピードがモノを言った大会だった。ベルギーのアザールしかり、フランスのエムバペしかり。

今後、この攻撃システムが世界の本流となるかもしれない。

・・・・・・・

そんなニュースを尻目に膀胱の針刺し痛が勃発した私は、先週の水曜日の早退から休養に入り、ようやく症状がやや緩和したため明日から職場復帰する事となった。休養の間はほぼ終日、横になって安静を通した。

正直、2年前のBCG膀注療法後の同じ症状に苛まれた時は症状消失まで5ヶ月を要したので、わずか9日間の休養ではさほど改善は望めないだろうと思う半面、それでも今回はひと月間隔で3回終了しただけだから前回よりまだ軽い状態だろうとの望みもあった。

結果として完全ではないものの、最も辛い針刺し痛は、思い余って編み出したロキソプロフェン+イブプロフェンの鎮痛薬ミックスで何とか耐えられるようにまでなったので、恐る恐るではあるけれど復帰に至ったというワケである。頻尿と排尿痛は相変わらずなので、かなり心もとないけど。

とはいえ、突然の欠勤続きとなり、お店のスタッフには多大な迷惑をお掛けした事を陳謝すると共に、暖かい目で休養を取らせてくれたH店長には改めて感謝したい。

・・・・・・・

それにしても横になってテレビを見たりスマホをいじったりして過ごす一日の何と儚くつまらん事よ。

休養以前から午前0時以前に寝る事はまずない。夜間頻尿のため3時から7時頃の間に2度ほど起こされる。

迎えた朝は、いつもの起床時間とほぼ同じで午前8時少し前から始まる。テレビでは朝のワイドショーが始まる時間。ネスプレッソを入れ、朝食のパンを食べた後、1回目の鎮痛剤ミックスを飲む。

やがて朝のワイドショーも終わり、昼にかけての時間帯のワイドショーにバトンタッチする。その頃になるとFBやTwitterなどのSNSチェックにも飽きて来て、ソファに横になりながら少しうたた寝などをしたりする。

午後2時あたりからは早目のニュースショーやら再放送ドラマやらの時間になるから、適当にそれらをBGM代わりにして本を読んだり軽くギターを弾いたり。遅い昼食もこのあたり。もちろん2度目の服薬も。

夕方からはニュース番組も本格的になって来る。この時間帯は結構目が冴えて、再びスマホをいじったり読書を続けたり。ネット通販をついポチったりしてしまうのもこの時間帯だった。あら恐ろしや。

そして夜。調子のいい時はカミさんや息子が帰って来る前に風呂を入れておいて、観たい番組の前に入浴を済ませる。我が家の夕飯は午後8時前後なので、食後に3回目の服薬。

さらにテレビ番組を観つつ時間が過ぎていく。就寝前には今日一日の痛みの推移や状態を振り返る。

排尿は概ね1時間半くらいの間隔でやって来るから、起きている間に10回〜12回はある計算。その都度強い排尿痛に襲われ、炎症による尿道狭窄のため尿線が細いので気持ちよく出るわけでもない。戦慄のトイレタイムである。

ああ、今日も症状寛解には至らなかったかと凹む。たまたま痛みが少ない日があろうものなら大喜び。でも翌日にヌカ喜びだったと思わされる事も。毎日、ほぼその繰り返しだから我が身ながらイヤになる。

まあ、日がな一日エアコンの効いた部屋にいるので、連日の猛暑に晒されないだけが休養の役得みたいなモンかな。

さてさて、明日から職場でのコンディションはどうなるだろうか?

痛み勃発の恐怖を抱えながらなので動きもスローモーにもなろう。シクシクした鈍痛なら持続してても耐えられるが、鋭い針刺し痛だけはカンベンして欲しい。果たしてどうなるかは運を天に任せるしかないけれど。さあ、行くぞ!




戦慄のトイレタイム

都合4回目の膀胱がん手術(TUR-Bt)を受けたのは1月23日の事だった。術後に待っている再発予防のためのBCG膀注療法は3年前のTUR-Btの時の週1×8回コースではなく、症状を見ながら術後3ヶ月後からスタート、その後ほぼ月イチ間隔で実施し、先月で3回目が終了した。

副作用として頻尿、排尿痛、膀胱痛などはその強弱の差こそあれ、ほぼ必発なので覚悟はしていた。特に3回目直後は15分に一回の極端な頻尿から始まって、長くても1〜2時間に1回と推移して来た。排尿開始時の痛みもそれ相応に感じていたが、以前のような強いものではなかった。もちろん膀胱痛も同様に強いものではなかった。

だが今月5日になってそれは突然やって来た。まさに急変!

まず、BCGによる炎症が膀胱内に留まらず尿道の途中にも勃発したせいか、排尿時の尿が通過する際の痛みの強さが増強した。それを堪えて排尿に至っても尿線が細いのであわや尿閉かと思うくらい出が悪い。おそらく尿道の炎症による尿道狭窄の影響なのだろう。だから膀胱に溜まった尿が全て排泄されない可能性もあり、残尿による刺激がまた膀胱痛や頻尿につながっているのかもしれない。‪

これで戦慄のトイレタイムとなったのは間違いない。さて、今回はいつまで続くのだろうか。

加えて、断続的に股間がツーンと来る膀胱の針刺し痛が出始めたのである。

これが出るとかなり厄介なのは2年半前のBCG療法の時に思い知らされた。あの時は歩いても立っても座っても痛みが走るから、痛みが出るたびに10数秒間、緩和するまで脂汗をかきながら耐えるしかなかった。それがおよそ5ヶ月もの間続いたのだった。今回はまだその時ほど酷くはないものの、仕事中に出ると思わずウッと唸り、集中力が切れてしまう。そのせいで、7日は遂に仕事を休まざるを得なくなってしまった。

半面、こういう副作用が出るという事は結構な事であるとは言える。すなわち、それはBCGによる炎症が惹起されたためであり、炎症によって我が身の白血球ががん細胞の残党を駆逐するという事に他ならない。したがってBCG治療が功を奏している証とも取れるが、この強い針刺し痛にはロキソニンを始めとする鎮痛薬はほぼ無力なのが恨めしい。‬また、なぜ実施後3週間も経って出現したのかもよく分からない。冗談抜きで西日本の広大なエリアに豪雨をもたらした低気圧のせいなのかもしれない。

ともあれ、こうなってしまっては本日予定されているBCG4回目は見送るしかない。それどころか、今回はここまでで一旦終了し、継続する必要があるなら完全に無症状になってから再開するよう主治医に提案しようと思っている。

こんな経験を強いられると、よく言われる「病(がん)は闘うのではなく飼い慣らすべし」の真の意味が分かって来た気がする。

飼い慣らすというのは、必ずしも健常人と同様の「無症状で過ごす日々」ではない。それは何かしらの不都合を背負いながらも己の病状をしっかり管理し、適宜先手を取って対処していくという事であり、背負う不都合の中には健常人にはない辛さも含まれている。それ故に決して無症状の日々ではないが、それでもそうしながらでも生きて行く事が「飼い慣らす」という意味なのだろう。

初めてのTUR-Btから来月で5年が経過する。私の場合は臓器内側の限局性の膀胱がんとはいえ、いわゆる5年生存率クリアは目前である。さてこの先、どこまで「飼い慣らす」事が出来るかな。





今度はCISかよ!

先月の膀胱内視鏡手術(TUR-Bt)で削った切片の病理診断は予想に反して上皮内がん(CIS)だった。

振り返れば、4年半前に初めて受けたTUR-Btの時は表在性乳頭がん。いわば膀胱がんの初期型だった。

その2年後に受けたTUR-Btは同じ表在性だったものの、粘膜下層まで浸潤の疑いありで2ヶ月後に2nd TUR-Btを受けた。浸潤は否定されたものの、その後に受けたBCG膀注療法の副作用による重度の慢性膀胱痛に数ヶ月間悩まされた。

さらに2年半後、フォロー検査で引っかかり、都合4度目のTUR-Btを受けたのが先月、還暦の誕生日の2日後だった。

疑わせるような自覚症状はまるで無かった。もしこれが初発だったらまだまだ受診すらしていないだろうから、今回はフォロー検査を受けていたからこその超早期発見だったと言える。ならばそれこそオデキのようなモンだと勝手知ったる入院手術を軽く受け入れただけに、このCISという病理診断には困惑した。

CISは乳頭状の腫瘍を作らず、膀胱上皮内に広がって増殖するタイプで悪性度は高い傾向にあると言われる。膀胱がん治療ガイドライン(GL)でも、治療法としてはBCGもしくは抗がん剤の膀注療法、あるいは膀胱全摘とある。CISを放っておけば、いずれ浸潤がんから他臓器転移を起こし、生命に関わるとも。

それゆえ、痛みに長く苦しんだBCG膀注療法のようにQOLをかなり侵害される治療を繰り返すくらいなら、多少の不便さは生じるが、いっそ全ての根源である膀胱を取っ払ってしまうのもアリかな、などとも考える。ストーマに集尿袋を付けてさえいれば、再発にも膀胱痛にも悩まされない日々が送れるのである。

そんな思いも交えながらカミさんと家族会議モドキをした。

結果、確かにTUR-Btを受けるたびに悪性度が高くなる傾向があるのは不安材料だ。だが、それについては主治医のT先生が「教科書的にはそうかもしれないが現実はさまざま。これまで良くコントロール出来ていると思う」と言っていたし、現時点ではまだ全摘に踏み切る段階ではないので、もう一度BCG膀注療法にトライすれば良い。ただし副作用がキツければ即リタイアして、十分な時間を空けて再開するならすれば良いとなった。

その旨を2週間後の外来でT先生に告げ、現在発症している術後の排尿時膀胱痛が治まってからBCG膀注療法を始めようという事になった。スタートは来月以降になるだろう。

そう決めると人間というのはゲンキンなモンで、ならば人生二度目の東京オリンピックを観てやろうとか、人生最後のクルマは何にしようかとか、孫が物心つくまでは生きてやろうとか、まさに世俗の欲が頭の中を巡ってくる。

そういえば、かねてからボンヤリとイメージしていた我が身の68歳往生説も徐々に現実味を帯びて来ているかも。だとしたら、まだここ数年では死なない運命なのかもしれない。なんてね。




そう、これはオデキみたいなモンだ

先月の中旬、いつものように外来で定期検査。

今回は尿検査のみで採尿後の診断でも特に血尿も異常も認められず一安心。これで術後丸2年以上に渡って問題はない。もちろん自覚症状も一切なく、むしろ正常な頃の膀胱機能以上で、主治医のT先生にも「これなら逃げ切りでしょうかね」などと軽口も叩けるくらい順調だった。

その培養尿細胞診の結果が2週間後の外来で告げられたのだ。

ここで予期しなかった事に、ClassⅣの細胞塊が認められたと告げられた。これはがん細胞確定とは言えないまでも疑いは濃厚という所見である。瞬間、術後のBCG膀注療法の合併症であるキツい膀胱痛や排尿痛に悩まされつつ耐えた日々が脳裏をかすめ、そんな思いをしてもわずか2年で再発を来した事に大いに凹んだのだった。

さらに今日は膀胱内視鏡検査。

すでに三たび闘う覚悟は決めていたのでT先生に「先生、もし腫瘍が見えたらモニターを見せて下さい。これから闘う敵を見ておきたいので」と言った。ところが見せられたモニターには腫瘍の塊などは写っておらず、示された狭い範囲にポツポツと赤い点々が見受けられた程度だった。本当にこれが再発像なのかと目を疑ったが、先日の尿細胞の培養結果と併せて考えれば、やはり切っておいた方が良いだろうとのT先生の判断に従う事とした。先生は「ま、慌ててやる必要はないけど」と付け加えた。

それでもやるならとっととやってしまおうと「では先生、新年初オペといきますか?」と投げかけたが、初オペの日は既に先約があった。残念! という事で21日の誕生日=還暦の日が父の七回忌法要の日なので、その後の火曜日の手術にした。何のことはない、還暦後最初の一大イベントが入院手術となったのだ。

だが今回は尿細胞診の結果を踏まえた内視鏡所見から導き出されたワケで、自覚症状が出てから受診したそれ以前とは比べものならないくらい超早期発見と言える。それゆえ手術も術後もかなり軽く済むだろう。ただし術後のBCG膀注療法は、止むなく実施したとしても合併症状が出たら即中止にするつもりだ。極端な話、あの合併症に悩まされて2年での再発なら、何もせずに1年毎に再発して手術を受ける方が遥かに楽だからである。

まあ、カミさん曰く「限局部位の腫瘍なんてオデキのようなモンだから、見つかったら切って行けばいいのよ」の精神で臨むのが正解なんだろう。なんだかそんな気がして来た。確かにがんと言ってもこれくらいじゃ死ぬこたぁないわな。





選択できること 選択したこと

「人生で一番泣いた日です」というあまりに悲しい言葉と共に市川海老蔵が愛妻小林麻央さんの死去を23日に発表した。享年34歳だった。

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私の34歳当時と言えば、サラリーマン最後の転職をしておよそ1年経った頃、そして2番目の息子が生まれた頃である。身体的にも絶好調で営業職をバリバリこなしていた時期でもあった。

それまではほとんど病院のお世話になった事は無かったが、その数年後に網膜剥離を罹患したのが最初の本格的入院手術経験で、その後の名古屋転勤時にも再度網膜剥離の入院手術を経験した。

さらにその10年後に股間の違和感を契機に膀胱腫瘍が発覚したが、幸い早期だったためTUR-Bt(経尿道的内視鏡切除術)の適応だった。もっとも、その時の病院の診療科医師達の対応に不満があったため、退院後のフォロー診療は受けなかった。

もともと膀胱腫瘍は再発しやすい。案の定2年後に別の部位に再発を来して再度TUR-Bt。ただし、今度はその診断をした開業医の後輩が部長を務めている別の病院を紹介してもらった。

そこで病理診断とガイドラインに基づいてTUR-Btを二度受け、さらにその後に術創部出血によるAUR(急性尿閉)も発症したので、短期間に都合3回も入院するハメとなった。こうなるとほとんどの病棟看護師と顔なじみになるという、決してありがたくない常連患者となっていた。

退院後しばらくして開始したBCG膀注療法の副作用による膀胱痛に悩まされること足掛け2年、今年6月の声を聞いたあたりでようやく膀胱痛も排尿痛もない無症状に至った。

まだまだ再発の不安とフォロー検診が必要な時期であるのは確かなのだが、今のところ、少なくとも発病以前の状態に戻った事は嬉しい限りだ。いやあ、ここまで来るには我ながら長く辛い道のりだったとしみじみ思うのである。

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このように私あたりの入院手術治療のプロセスを辿っても、治療継続中の転院はおろかセカンドオピニオンを求める間も無く、一般と同様のいわゆる標準治療を受ける事が既定路線だった。それが当然といえば当然なのだが。

麻央さんの場合は、今から3年半前に夫と受けた人間ドックで乳房に腫瘍が見つかったという。乳がんの確率は五分五分と言われたようだが、そこは政治家や芸能人の御用達病院で有名な赤坂山王病院。それゆえ決していい加減な見解などではなかったはずだ。

その後に受けた再検査は、セカンドオピニオンの意味もあったのか東大の主要関連病院である虎の門病院だった。彼女は授乳中だった事もあり、ここでも確定診断には至らなかったという。

2つの病院の一流の専門医がいずれも確定診断を下さなかった事が、彼女にある意味必要以上の安心感を与えてしまったのかもしれない。家業の繁忙も相俟って、指示された再検査時期を2ヶ月も超えた8ヶ月後の検査でついに乳がんの告知に至ったが、その時にはすでに転移も生じていたという。これが2年8ヶ月前の事だった。

この告知から海老蔵の会見による公表までの1年半の間、彼女はいわゆる標準治療と呼ばれる抗がん剤治療と外科治療を拒否し、それを勧めた虎の門病院を去った。そして鹿児島のクリニックでナンチャラ四次元放射線治療やナンチャラ水素水の免疫療法などを受けていたという。

1年半後、今度は聖路加病院で検査を受けた時には遂に肺転移と骨転移も併発したステージⅣとなってしまっていたのだった。

その後は緩和ケアを受けていたようだが、なぜか聖路加病院から慶大病院へ転院。治療目的は定かではないが、そこで標準治療を受けたようだが、残念ながら時すでに遅く、最期の時を自宅で迎えられるよう自宅療養として退院した。その1ヶ月足らずの後に息を引き取ったのだった。若さゆえの進行の速さだった。

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彼女のこの一種華麗とも言える治療歴は、我々のような一般人にはとても選べないし辿れるものではないだろう。普通なら最初に疑われた段階で精密検査に移り、確定診断が下されたらそれを受け入れ、直ちに標準治療を開始していたはずである。選択肢があるとすれば、せいぜい治療を受ける病院をどこにするかくらいである。

だが幸か不幸か、彼女のもとにはさまざまな情報や多方面に及ぶツテが集まって来たのだろう。それが選択肢を徒らに増やし、標準治療を勧めた専門病院などを拒否してしまえる環境を作ってしまったのではないかと思われる。

他ならぬ自分自身の事なのだから、選択肢が多いというのは必ずしも悪い事ではないはずだ。だがその半面、川島なお美さんの場合のように選択肢があるだけについつい自分の望む形に近いものを選んでしまうのも人情だろう。

「たぶんそれほど悪い状態ではないだろう」
「切らずに治せるならそうしたい」
「この治療法ですばらしい効果があったと聞いた」
「ここから奇跡が起こるかもしれない」

自らが選んだ結果だと言ってしまえばそれまでだが、初めて疑いが持たれてからたった3年半で帰らぬ人となってしまったのは本人は言うまでもなく、家族にとっても極めて不本意な転帰だったに違いない。合掌





悪魔は突然やって来る

定石からすれば遅いくらいなのだが、そろそろ我が家の外壁修繕の時期だなと思ったのは去年の事だった。同時期に建った両隣りのご主人も同じ思いで、それなら三軒いっぺんに済ませてしまえば足場の共有などでコストダウンになるメリットが生じる。

ではその線で行こうとなったのも去年の事だったが、年が明けても相見積もりはおろか、施工業者の候補すら出て来るでなし、事実上ほとんど進展がなかった。三軒とも結構のんびり路線だから、案の定、お任せで放っておいても物事が進むはずもなかった。

という事で、私の方で複数社に見積もりを依頼できるWebsiteに申し込み、先月下旬に一社、今月上旬にもう一社に実地調査に来てもらって見積もりを依頼した。二社の見積もりが出揃ったら叩き台として両隣りに提示する予定でいる。

二社目が実地調査に来た10日、その日も寒い日だったが、一社目と違い、先方が一人だったので屋上や周囲の検分に小一時間も付き合った。身体もかなり冷えたに違いないが、ま、それでもこれで修繕計画は大きく前進するだろう。

・・・・・・・

いやいや、それがいけなかったのか、その2日後から突如として膀胱炎様症状が勃発した。以前から尿道炎の症状である排尿時の痛みはあったが、膀胱自体に痛みはなかったので平和に過ごしていた。それが、排尿後を中心として膀胱の不随意収縮時に針で刺される様な鋭い痛みが発生する様になってしまったのである! 例の「ツーン」の極期の痛みだから堪らない。

思い起こせば去年のちょうど同じ頃、BCG膀注療法の最終回直後に勃発し、その後約半年間も苛まれたあの症状である。日にちもほとんど同じと来たモンだ!

BCGも終わって一年も経ったというのに、なぜ今これが?

冷静に考えた。一つは、元々くすぶっていた炎症が、寒さによって何らかの感染を引き起こして再燃した。もう一つは悪魔の腫瘍の再発である。どちらにしても悩ましい。

偶然か幸運か、去年の9月以来の膀胱内視鏡検査の予定が本日入っていた。継続受診している主治医のT先生から、尿検査だけでなく、もういい加減に中を見ないと心配だと言われ、泣く泣く入れた予定だった。でもこの際、痛みの正体を見極めてやるためにもシロクロはっきりさせてやろうじゃないかと覚悟を決めて行って来た。

前回同様に、リアルタイムにモニターを見ながらT先生から説明を受ける。膀胱内部のほとんどは綺麗だったが、やはり片側の出口部が赤くなっていて炎症を起こしている。あの針刺し痛の元凶がここだ。T先生見立てでも、ここは炎症止まりで腫瘍の再発は認められないとの事だった。

一応ホッとはしたものの、ならばこの痛みはどうする?

痛み止めを貰いたくて予定外受診をした先週、尿検査で大腸菌が確認されて抗生剤も処方された。治療はそれをもう一週間続ける事くらいしかなさそうで、痛みとの闘いは去年同様に当分続くのかねぇ。起炎菌に大腸菌が絡んでいるという事は、大腸菌が経尿道的に侵入し、尿道と膀胱で増殖し炎症を起こしているという図式だ。

だからまずは抗生剤で菌を叩き、炎症を沈静化させるしかないから仕方ないのだろうが、ソファに寝転んでいる時は比較的平和だが、店で立ち仕事をしている時は、頻尿と排尿痛と膀胱の不随意収縮による針刺し痛が、日々、程度の差こそあれ文字通り不随意に襲って来るのである。今回はBCGによる炎症が加わっていないだけマシとも言えるかもしれないが、この強烈な針刺し痛にはロキソニンが効かないのは去年も経験済みで、それがまた悲しく悩ましい。

もしもこれが悪魔の復活である腫瘍再発が原因だったとしたら、手術療法でこの症状は改善するだろう。しかし悪魔の復活こそなかったものの、それゆえ薬物療法のみしか手立てのない以上、痛みに苛まれる日々はまだまだ続くのだから、これもやはり悪魔だ。とすれば、何がラッキーで何がアンラッキーなのかも正直分からなくなって来る。





リスクファクター

まずはそのまま検査袋へ呼気を吐き出す。続いて一錠3500円也の錠剤(13Cでラベリングされた尿素)を飲んで横臥位で待つこと5分、さらに座位で15分待って再び検査袋へ呼気を吐き出す。この2つの検査袋に呼気排泄された二酸化炭素を比べてピロリ菌の有無が判定される。一昨日、主治医による定期検診を兼ねてこの呼気試験をしたのだが、本日、その結果を聞きに胃カメラ検査をしてもらった先生の外来を受診した。

この先生には過去に大腸ファイバー(CF)もしていただいた。その時も今回の胃カメラの時も苦痛をほとんど感じさせないほどウデは確かなのだが、自分の話の途中で患者が質問をするのを良しとしないタイプだという事も学習していたので、先生の話が終わるまでは相槌以外は口にせずに黙っていた。結果は、2年前の血清検査時に19.6(カットオフ値<10)だったものが、0.7(カットオフ値<2.5)と見事に除菌成功!

先生曰く、再感染する確率は極めて低いから今後のピロリ菌検査の必要はない、胃カメラの胃炎所見も治癒していくでしょうとの事。ただし胃がんについては人間ドックのバリウム検査では分からないから、年一度程度は胃カメラで確認した方が良いとも。いいえ先生、無事確認のための胃カメラなんてもう結構ですわ。

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思えば昨年から今年の前半は痛みとの戦いの日々だった。BCG膀注療法による膀胱・尿道炎のせいだが、何せ歩くのも座るのも排尿するのもいちいち膀胱痛に襲われ、仕事中でも思わず立ち止まって膝に手をついて痛みをやり過ごした日々が半年以上続いた。その苦悩の記憶が褪せていないゆえ、今度は普通に動ける事のありがたさに心から感謝する日々である。

3ヶ月前の膀胱鏡による膀胱がんのフォロー検査でも異常が無かったので、これで我が身に巣食っていたがん細胞とピロリ菌という、ヘタをすると生命に関わりかねないリスクファクターがひとまず失せたというワケだ。メデタシメデタシ。このお祝いとクリスチャンでもないのに一足早いクリマスを兼ねて外で晩飯でも食おうとカミさんが言うので、寒くもなさそうなのでそうする事にした。

そのカミさんから最近、車の箱替えの話が出てくるようになった。車なんて動けばいい主義のカミさんからそんなセリフが出て来る事自体が青天の霹靂だが、私としてはまだまだ今の愛車に乗り続けたいと思っている。乗り換えたい明確な車があるじゃなし、今の車にはナンダカンダと手を入れてるし。安易な箱替えはそれこそリスクファクターだ。

とは言うものの、せっかく財務省に提案されたからには検討しておくのも悪くない。カミさんも新車なら高価な外国車も2〜3年経てば相当安くなる事を認識したようで、そのセンを狙ったらなどとも言う。次が生涯最後の車になるかもしれないからね、とも。

私のイメージとしては、子供も独立して夫婦二人の生活というのを前提とすれば、今の車もそうだが、ここは大人のクーペスタイルを貫きたい。さりとてウチの地元の道路環境では大型車は取り回しは苦労するだろうから、せいぜい4mチョイ×1.8m程度までのサイズとなるだろう。メルセデスならCクラスクーペかSLKあたりまで、BMWならZ4か4シリーズあたりまで、プジョーなら208CCか308CC、アルファならジュリエッタ、VWならビートルターボ、国産車ならいっそロードスターRFか? まあ、純粋な2シーターでいいと割り切れるかどうかは怪しいが。いずれにせよ、結論を出すのは当分先である。

・・・・・・・

そう言えば、これまた最近、大学のクラブ(その名も何と生化学研究部、略して生研!)の先輩からFBを通じて40年振りのお誘いがあった。先輩曰く、卒業後の私の行状が何かと落ち着かないように見えたので、しばらく距離を置いていたという。そうこうしているうちに40年が過ぎ、その後、FBの投稿などを見ていて落ち着いたと判断し声を掛けようという事になったらしい。

おいおい、私ってそんな風に見られてたワケ? もっとも先輩達から見たら、現役時代から私自身がある意味リスクファクターだったのかもしれないけど。

遠いあの頃、週のほとんどを生研の部室でダベったりギターを弾いたりして過ごし、あるいは馴染みの居酒屋で酒や麻雀に明け暮れ、当時4年生の先輩宅に転がり込んでは泊まっていた。その一方で、3年生で習う生化学の教科書を先輩方が週2回ゼミ形式で解説(これが部活動のベースだった)してくれたおかげで生化学という学問に興味を持て、そのおかげで数学、物理が大嫌いな文系人間だった私は留年もせずに卒業出来、国家試験にも合格出来たのだった。私にとって生研は、まさに遊びと学びの巣窟だった。

そんな人達との正月明けの再開を大いに楽しみにしたい。





初呑み胃カメラ

前社時代から人間ドックと定期検診でお世話になっているP診療所。本日も朝イチに車で乗り付け、受付開始後に採尿、採血を済ませたところまではいつもと一緒だったが、今回はそこからが違った。

生涯初の胃カメラを呑む日なのである。実は数年前からピロリ菌が陽性と言われていたが、膀胱腫瘍のあれやこれやで除菌処置を野放しにしていた。ここへ来て、それらがひと段落したので、前回の検診時に主治医の勧めで保険適用の確定診断のための胃カメラと相成ったワケである。

そうは言っても、若い頃から自他共に認める「鉄の胃袋」の私が、おいそれと胃カメラなんかを呑むのは抵抗があるし、胃カメラだけは呑まないというヘンなプライドもあった。何より決して楽な検査ではないとの経験談も聞いていたので、当然ビビリーな私は心中穏やかではなかった。すると主治医は、つべこべ言う私に殺し文句を浴びせたのだった。

「せっかく苦労して膀胱がんが良くなったのに、この先胃がんなんかに罹りたくないですよね」

以前の大腸内視鏡検査といい、ここは人の弱みに付け込んでは搾り取れるだけ搾り取り続ける高利貸しのような診療所か!

とはいえ、言われてみればもっともなお話で、渋々ながら検査予約をしたのだった。

・・・・・・・

検査は大腸内視鏡の時と同じS先生。S先生は「白い巨塔」の大河内教授(古!)のような寡黙な研究者という雰囲気の先生だが、腕が良いのは前回の大腸内視鏡の時に体感しているから、そこは大いに安心出来る。

検査前にはバリウム検査同様にアトロピンの筋注、さらに胃内の泡を消すための消泡剤と咽喉頭部用の麻酔薬を飲まされる。麻酔薬は硬めのゼリー状で苦味を感じ飲み難い。次第に舌や喉の感覚が鈍くなって来るのを覚えた。それでも大腸内視鏡検査の下剤大量服用よりは数倍マシな検査前処置だった。

やがて検査室に呼ばれ、鼻呼吸の説明などがあって、麻酔スプレーを喉にかけられ、いよいよマウスピースを噛んで内視鏡挿入!

きっととんでもない異物感に襲われるだろう、果てしない苦痛との闘いだろうと此の期に及んでもビビッていたけど、さにあらず。喉や食道をモノが通過する感触はあったものの、痛みなどはなくカメラは驚くほどスムーズに入って行った。

その様子が目の前のモニターに映し出されるのだが、大腸内視鏡や膀胱内視鏡の時と同様、相変わらずウットリするほどに美しい器官が目の前に展開された。きれいな肌色の管で、細血管とのコントラストが映える。消化器を「管」とはよく言ったモンだと改めて感心する。

カメラは奥の十二指腸から逆行するように進み、幽門、胃底、胃角、噴門、食道へと遡って行く。モニターの映像を見る限り、素人目にも腫瘍はおろか、潰瘍痕などの異常は見られなかった。事実、組織採取は無かった。ただ、胃粘膜全体がやや紅くなっており、S先生からもそこを指摘された。

「全体に慢性胃炎のような荒れがありますな。これはピロリ菌による症状かと思われるので、除菌対象となります」

これで健康保険適用への段取りは無事整ったのだった。検査時間、わずかに5分足らず。ああ、これで全ての穴に内視鏡を突っ込まれたという事だな。

その後、主治医との各種の検査結果を挟んでの外来診療。前回の診療時にも驚いたが、いや〜、ほとんど全ての検査値がことごとく正常範囲内に収まっているじゃあ〜りませんか! 残すはなかなか下がらない難関のγGTPだが、これとて前回の500後半から300前半へと大幅改善していた。一時は2000超えの時期もあったのだから、それに比べりゃ大改善と言っていいが、もっとも、それでもまだヒトケタ高いけどね。

除菌には明日から一週間、2種類の抗生剤と1種類のPPIを朝晩服薬し、服薬終了1ヶ月以上後に呼気検査により除菌の可否を判定するそうだ。これでうまく除菌できれば、当面は膀胱腫瘍再発以外のリスクはほぼほぼ無くなると言っても過言ではなかろう。

昨夜、アウェーでオーストラリアに引き分けた崖っぷち日本代表がワールドカップ出場へ望みをつないだし、私も是非是非これにあやかりたいモンである。





魔の日の次は歓の日!

昨日、外来検査担当のナースのオバちゃんが「検査機の洗浄と消毒に5分位かかるから、もう少しお待ちくださいね」と申し訳なさそうに言うから、「いえいえ、ごゆっくりやって下さい」と答えた私。そう、この日は去年の術前検査以来の膀胱内視鏡によるフォロー検査、できれば永遠に迎えたくなかった「魔の日」である。

術後の経過、特に再発のチェックのために尿細胞診と共に定期的に行なうべき検査で、本来はBCG膀注療法終了後から開始される。概ね3ヶ月毎に5年間に渡ってチェックして行くとあるが、私の場合は2ndTUR-Btと急性尿閉の処置入院などとBCG療法の副作用である膀胱炎による膀胱痛が長引いたたため、尿細胞診のみで術後約1年のここまで延期されていたというワケである。

何せ去年の術前検査の時は、この病院は硬質ファイバーの内視鏡だったため、結構シンドい思いをした記憶があった。その時の私の悲痛な声のせいかどうかは知らないが、その後軟質ファイバーの内視鏡が採用された。だが、膀胱と尿道に痛みを抱えていた私は頑なにそれを拒んでいたのだった。

だがついにその日が来てしまった。

膀胱痛こそ消失したものの、排尿開始時の尿道痛はまだ残っている身に、軟質とはいえ内視鏡を突っ込まれるなんて想像しただけで震えが来る。だが一方で、経過良好を証明するチャンスでもある。やはりここは忍の一字だわ。

最後のBCG療法から半年間も悩まされた膀胱出口部の様を是非ともリアルに見たいと思い、主治医にその旨を告げた。T先生は「モニターを見ててもいいけど、何かあってもそのまま見えてしまうよ。私も、あっと言ってしまうかもしれないし」と半ば脅かすような事を言うが、こっちにも意地がある。後学のために一度くらい自身を長く悩ませた部位の現況をこの目に焼き付けてやりたいという気持ちが強かった。

「構いません。もしまたヒラヒラと再発していたら東尋坊へ行くだけですから」と本人は決して冗談ではないのだが、敢えて冗談ぽく返した。そしてゼリー注入。実はこれが一番尿道に抵抗を感じた。内視鏡自体はほとんど痛みすら感じさせずに膀胱へ入って行った。

そして映し出された膀胱内部の画像。

小さな臓器のはずなのにモニター越しにはかなり広い空間が広がっていた。全体的に白っぽい膀胱の内壁に細かな赤い血管が網の目のように走っていた。生物の器官って綺麗だなとつくづく思う。肝心の術部である出口部は、さすがに高度な炎症が長期間持続していたためかほんのりと赤く、だが表面は他の部位と同様に滑らかだった。ああ、コイツのおかげで私は半年間も膀胱の不随意収縮による痛みに悩ませ続けられたのか。ある意味感慨深かった。

検査終了時に少量の出血を見たが、これはまだ続いている尿道炎のためだろう。ナースのオバちゃんから女性用の生理ナプキンをもらってパンツに貼り付けて終了。

腫瘍再増殖が認められなかった事に気を良くした私は、検査後の外来診療時に、次回の内視鏡は半年後あたりでと言ってみたが「そんなのダメです。規定通り3ヶ月後です」と一刀両断された。あくまでも尿細胞診と併行してチェックしていかなくてはならないそうだ。憂鬱

ともあれ、これでまずは一安心。

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開けて翌日。

クローザー中崎の150kmを超すボールが唸りを上げてバッター亀井に向かって行った。

6-4で迎えた9回裏の東京ドーム巨人戦。M1となった広島カープはこの試合に勝てば25年ぶりの優勝である。それもこの2位巨人に15ゲームという大差をつけてのブッチギリ優勝だ。

江川事件や桑田事件、他チームの四番引き抜きなど横車を押して来た金持ち球団と親会社を持たず市民のカンパで頑張って来た貧乏球団が最後に対戦したのも何かの因縁だろうか。それゆえ40年来のアンチ巨人&広島ファンの私にとっても大きな意味を持つ試合である。

亀井の打球はショートゴロ! ボールがファーストミットに収まってゲームセット!

緒方監督が胴上げで7たび宙を舞い、涙にくれる先発黒田も舞う。待ちに待った歓の日の到来だ。さぞや感慨無量の思いだろう。

Congratulations ‼︎



ベホマかザオリクか

その日は、何の予告もなく突然やって来る。

いつもの朝、いつものように出勤時間が訪れ、これまたいつものように少し憂鬱な気分を抱えながらリビングから階段を降り、玄関でショルダーバッグを抱えて靴を履く。ドアを開けて外に出てカギを掛けるまでが第一段階。いつもならここで何かしら鈍痛を感じ始める。まるで予兆のように。

駅に向かう道、およそ250mの間でその日の膀胱痛の程度が窺い知れる。歩行中、持続する股間の鈍痛ならまだマシな方で、酷い時は膀胱が不随意収縮を起こし、思わず立ち止まる程のツーンとした針刺し痛に見舞われる。数秒も経つと痛みが沈静化するのでまた歩き出すという繰り返し。

地下鉄に乗っている間も針刺し痛もしくは鈍痛が断続的にやって来て、それを紛らわすように歩行時と同じように深呼吸を繰り返す。乗り換え駅でいくつかの階段を上る時、そこでも針刺し痛が断続的に現れたりする。それが怖くて歩行速度は極端に遅くなり、人々にどんどん追い越されて行く。ようやく乗り換えホームに辿り着き、電車を待つ間に立ち止まっていても周期的に痛みが襲って来る。「今日もやっぱりダメか」と諦めの境地に至るのもこのあたり。

今日の痛みの程度が明らかになり、職場の最寄駅から3分もあれば済むはずの店までの道に、倍の時間を掛けてチンタラ歩いて、やっとこさ到着する。白衣に着替える前にまず排尿。最後に家で排尿した時から1時間弱、このインターバルで尿意を感じるというのはまぎれもない頻尿である。

家にいる時でも、起きている間は概ね1時間に一度、就寝中は2〜3時間に一度の頻度である。排尿痛もハンパない。尿が尿道を通る際に無理やり拡げられるような痛みが急激に大きくなり、その痛みに思わず唸ってしまう頃に排尿に至る。それでも日中は服用薬の効果か、排尿痛はまだマシな方である。だが排尿が終わっても十分な膀胱の弛緩時間を置かないと不随意収縮を起こすので、しばらく便座から腰を上げられない。

かくして私の小用は5分近く要する事になる。こんな状態なので、排尿はどこでも座位が必須となってしまっていた。つまり、個室のある洋式トイレでしか用を足せないという事である。

仕事をしていても1時間も経つと尿意を覚える。仕事がいろいろ忙しいと2時間以上延長する事もあるが、そこまで経ってから排尿すると、うっすらと血尿になるようだ。ただそれは腫瘍増殖時のような酷い血尿ではないから、膀胱内の炎症による出血だと察しがつく。イスに座る時は片尻座りがせいぜい、むしろ立っている方が楽な時がしょっちゅうだった。

膀胱機能改善剤を2種類、鎮痛剤も2種類を毎朝服用し、鎮痛剤2回分をポケットに入れて家を出るのが習慣。痛みは午前中がキツく、午後以降は徐々に慣れて、夕刻以降はキツさはさほど感じなくなる。針刺し痛が出た場合は、棚の影で膝に手をついた中腰の格好でやり過ごすしかない。

ほぼこれの繰り返しの毎日だった。

いずれにせよ、頻尿と膀胱 and/or 尿道痛との闘いがもう160日に達しようとしていた。この間、全く痛みの出ない日が1、2回あったが、決まってその翌日には痛みがぶり返され、その度に切なる望みは儚く消え去るのだった。

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そしてまさに最後のBCG傍注療法から160日が経とうとした昨日、一昨日まではいつものように大なり小なりの痛みに苛まれていたのに、その日は朝から排尿後も歩行時も全く痛みに襲われなかったのである! オマケに排尿痛もそれほどでもない。もちろん、そんな事は過去にもあった。あったけれど、結局裏切られてヌカ喜びに終わったトラウマから素直に喜べない自分がそこにいた。「どうせまた明日になれば痛みが再発するに決まってるさ」と。

でも今回は不思議とそんなイヤな予兆はなかった。それよりも、本当に嬉しい一日が終えられたので、帰りに一人利久で祝杯をあげた(もちろんノンアルビール)。まあ、また裏切られるかもしれないが、とりあえず無痛の一日を過ごせた事が堪らなく嬉しかったのだ。痛みのない事がこれほどQOLを向上させるとは、経験して初めてリアルに実感出来るに違いない。痛みが無く「普通」に歩けるというのは何とありがたい事か!

果たして、開けて今日に至っても無痛の一日が終わろうとしている。今まで二日に渡って無痛状態が続いたためしがなかった。という事は・・・おいおい、こりゃ今回はホンモノか?

持続する痛みというのは、快復に向かう時には日を追う毎にジワジワと失せていくというイメージを持っていたが、これほど突然に失せてしまうものなのだろうか? ならば5ヶ月後と言わず、もっと早くこの時が訪れても良さそうなものだろうよ。オレ、何にも悪い事してないのに。

これでまだ残っている排尿痛を覚えなくなれば今度こそ完全復活である。家でひたすらソファに横になる事も、車の座席に不恰好なクッションを敷く事も、外出時に行先々のトイレの有無を気にする事も、何より先の見えない闘いの日々を強いられる事も、この調子ならもうオサラバだ。

掛け値なしに生きる喜びが湧いて来たよ。




痩せたなぁ

久方ぶりのブログエントリ連投。

ここまで泌尿器系の痛みについてあれやこれやと愚痴って来たが、辛く嫌な症状ばかりが起きているわけではない事に気付き、改めて追記しておく事にした。もちろん後から振り返るための記録のひとつとして。

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昨年8月~10月の3度に渡る入院加療(トータル入院日数30日)と1時間の休憩を挟んで1日8時間の立ち仕事の毎日のおかげからか体重が減少、今日までの間に何と軽く12Kg以上ダイエットしたようである。先日新調したヘルスメーターで測定した直近の値では体重 68.5Kg、体脂肪率 25.8、BMI 23.7、体年齢 52歳という堂々とした数値を叩き出した。少なくとも去年の入院前は玄太超え(from 池中玄太80キロ)だったというのに。

なるほど、どうりで長年の課題だった肝機能値を中心とした臨床検査値も改善していたわけである。ちなみに2月初旬に定期検診をした時には、共に100超えしていたGOT、GPTは30程度へ、脂質関係の検査値も全て正常値、下がりにくいγGTPこそ3年前の最盛期(2000超え!)の1/6程度に留まったが、それでも測る度に低値を更新している。こうなると今まで検査値にビクビクしたりホッとしたりした日々が嘘のようで、今月下旬の検診が楽しみになるくらいである。

ただし、これはいわゆるがん患者の痩せ方ではなく、あくまでも摂取カロリーと消費カロリーとのバランスの結果である。決して病的な痩せ方ではない事を断っておく。

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ネクタイをする事を前提に首周り優先で買い揃えたユニクロのワイシャツ(XL)は、首周りはおろか腹部の布が異様に余ってしまいどうにもならない。少しスリムになったからと去年買ったウエスト82cmのパンツもどれもがブカブカ。最盛期には90cmのサイズを探していた頃に比べれば、まさに隔世の感しきりである。ジャケットやスーツ類も同様だ。仕方がないので徐々に適正サイズのものに買い換えていかなくてはならない。

「あなたはわざわざお金を掛けて太っていったけど、痩せてもまたお金が掛かるのね」とはカミさんの名言。

これで膀胱腫瘍さえ片付けば健康体そのものに近いと言えるだろう。ところがこのダイエット劇にはこの病気が不可欠だったのも事実である。

もとより病院食が苦手で満足に食べたいものも食べられずに過ごした入院手術の日々はもちろん、その後の痛みと闘う日々も大きく関与している。持続する痛みは食欲を削ぐには十分である。このところ、三食のうち二食は自宅でコーヒーとパン、サイゼリヤでドリアかグラタンが定番となっている。それは10時からの早番の時も12時からの遅番の時もほぼ同じだ。日中はそれで空腹を感じない。そりゃ痩せるわな。

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昨日、去年大手家電店のドラッグコーナーへ転職した元スタッフの女性が顔を見せに来た。予想通りその店は中国人を中心とした外国人観光客がメインで、やたらスマホ画像やたどたどしい日本語などを駆使して薬を買って行くという。総合レジも担当するため、薬だけではなく家電品の知識も求められるそうだが、何とか元気で頑張っているようで嬉しかった。

その彼女から「先生痩せましたね~。でもお元気そうで良かったです」と言われ、現スタッフからは聞かれない言葉に驚いた。毎日のように見ているとその変化に気付きにくいだろうが、しばらくぶりに私を見た人はきっと同じ印象を持つんだろうなと妙に納得。

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さて、来週の月曜日はBCG療法終了後3回目の培養尿細胞診の結果を聞く。

実を言うと、一向に改善して来ないこれまでの症状の推移から、もしかしたらBCG療法の副作用である膀胱・尿道炎が原因ではなく、新たな腫瘍生成が原因ではないのかと疑い始めている自分がいるのだ。この細胞診は実にもどかしい検査で、結果がシロでも必ずしも完全否定はできないが、クロと言われた場合はクロ確定となる。前回まではシロだったが、果たして今回は?

公休日はいつもソファに横になってテレビやDVDなどを観ながら出来るだけ安静を心掛けている。そうする事がこの忌まわしい症状を少しでも改善するだろうと信じて。

でも、今のところは次の日の出勤直前に痛みが再燃するという繰り返し。その程度はその日になってみないと分からないのも一緒で、これじゃますますダイエットだけが進みそうである。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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