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T先生、お大事に

膀胱炎の症状が出たので泌尿器科の主治医の病院を臨時受診。今日の診療も主治医のT先生ではなく、初めての先生だったからかも知れないが、受付で膀胱炎だと言ってるのに、診療前に採血、採尿、残尿測定までされて、まるで初診扱いだったのには閉口した。

この病院は春から大学附属病院に衣替えするため、その大学より偏差値の高い大学出身である主治医のT先生は、副院長兼診療部長にも関わらず(いや、役職者ゆえか)他院へ異動せざるを得ない状況となっていた。なので先月の定期受診日に今後の私の診療をどうしていくかを相談するはずだった。

ところが先月の予約日に受診してもT先生の姿はなく、代理の若い先生の診療となった。その先生の口ぶりから、どうやらT先生の身に健康上の何かが生じて休養が必要な事態になったようだった。

それが何かを詳しく聞くために、今日の臨時受診時を担当した先月とは別の先生にそれとなく聞いてみた。

それによれば、T先生は大動脈解離を発症したが手術は回避出来て、現在は自宅療養中との事。解離の場所が胸部か腹部かも含めてそれ以上は時間がなくて聞く事は叶わなかったが、安静第一でとても仕事どころではないだろう。まだ60歳前なのに、私自身もそうだが本当に一寸先は闇である。

結局お礼の挨拶は出来そうも無いが、10年近くお世話になったT先生の快復をせめて祈るのみである。



苦労しました

さて、食道静脈瘤硬化療法(EIS)の効果判定の25日。いつもと同じように予定時間に遅れてスタート。これまたいつも通りに鎮静剤にて即落ち。

目覚めた時は食道部に明らかなシコリというか腫れを感じた。

「検査で良好なら3回目の注入なしで退院へ」

なんて言ってた若手Dr、退院どころか3回目の注入もしっかり(多分1、2回目よりも多量に)入れたに違いない。

おかげでその夜はゲップが出せない、時折吐き気(二日酔いの時のような)はするが何も食べてないから何も出ない。食道部の鈍痛も加わって、ほとんど眠れない夜を過ごすハメになった。熱も出てカロナールと制吐剤も落としてもらった。

明けて昼から摂食開始だが、当然固形物はおろか液体を飲み込む時も鈍痛と引っかかりを感じる。2回目までならこの日で治まって通常食も食べられたものが、今回は治らない。

2日目の朝までメイバランスと買っておいた牛乳などで済ませていたら、昼食にあれだけ嫌がっていたお粥が出た。当然食べずにメイバランス。ただでさえ固形物はまだ無理だっての‼️

ついに栄養士登場。メイバランス、ヨーグルト、プリン、ジョアなどを組み合わせたメニューを考えると言う。最初からそれでいいんだけどね。

で、この食道狭窄は日にち薬で改善するだろうと、取り敢えず月曜日に採血して問題なければ退院となるようだ。

しかし、普段何も思わず当然のように使っていた食道という器官の重要性が骨身に染みて分かった。ゲップの通らない辛さ、嚥下時の鈍痛と引っかかりなど、なってみなきゃ分からなかったな。

にしても出血を起こしたわけでもない予防的治療なのに3週間という時間と摂食の苦労を強いられるとは。これも超早期発見の代償なのかもしれないけどね。


穏やかじゃなかった正月

大晦日はこれといった裏番組もなかったので、普段は観ない紅白をBGVにして過ごした。そしてお決まりのゆく年くる年で年が明け、しばしうたた寝。

明ければカミさんの作ったお雑煮や買っておいたおせち料理とは言えないようなオードブル的なものをつまみながらノンビリと。

おそらく日本全国がこうやって同じように元旦を迎えていた事だろう。

そこを襲った能登半島地震。犠牲者はすでに200人を優に超えている。帰省して正月を迎えた家族も多かったろう。中には一度に10人もの家族を失くした人もいたという。よりによって元日に起きるとは。

つい先程まで私と同じように穏やかな元日を過ごしていたはずなのに。被災者は正に天国から地獄に叩き落とされたに違いない。犠牲者の方々には心からご冥福をお祈りします。

そして次の日は、羽田空港で災害支援の為の海上保安庁機が着陸して来た旅客機と衝突炎上事故が起きてしまい、海保隊員5名が殉職した。何という年明けなのか。

この方達も少なくとも正月までは穏やかに過ごしていた事だろうに。合掌

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さて、私も穏やかな正月ばかりではない。先月発見された食道静脈瘤硬化療法(EIS)のために10日から入院生活に突入した。

思えば40歳過ぎ辺りから、大なり小なり検査を含めた入院が待っていた。

それまでは病院とは商売以外無縁だったのに、気付けば網膜剥離2回、膀胱がん関係で6回、肝がんで1回、そして今回の食道静脈瘤というありさまである。

とはいえ今までの入院治療は手術や検体のサンプリングなどが終われば体調回復を待って退院した、言わば一本勝負だった。ところが今回のEISは、静脈瘤の大きさなどにより、内視鏡で硬化剤の注入を週1回、最大4回まで行なうという長期決戦である。

1回注入して1週間後に同じ手技で患部を診て、必要なら2回目の注入をする。また1週間経ったら同じ事を行ない、効果判定OKなら注入は行なわず退院に至る。外来通院でも出来そうなのだが、万一破裂が起きないよう術後の管理などが必要で、入院が必要との事だった。

なので1週間のうち、手術日以外は暇なのである。暇以上に私にとって切実なのは病院食の存在。入院するたびにあの大嫌いな病院食をいかに回避するかに悩まされる。

消化器系に関係ない場合は医師も看護師もそれほどアレコレ言わないので、おにぎりなどを売店で仕入れてくれば良いのだが、消化器系となると途端に食事にもやかましくなる。当たり前だが。

今回もそれが予想されたので、必死に考えた対応策が特に苦手な重湯やおかゆをメイバランスにスイッチするという策だ。入院初日に取り敢えず10個ばかり持ち込んで看護師や医師に交渉し、何とかOKを取り付けた。ただし、通常食の白飯になったらそちらを優先して食べるという交換条件だった。

通常食になったらこれ幸いと売店でおにぎりやサンドイッチを買って来ようと目論んでいたが、さすがに消化器系、そこまで甘くはなかった。白飯はふりかけで凌ぐ事にした。もちろんオカズは適当につまむだけ。入院ダイエットこれにあり❗️

さて、そんなこんなで一昨日に2回目のEISを行なった。1週間後に3回目注入が必要なければ数日後には退院できるだろうが、3回目注入されるとまた1週間延長となる。こればかりは読めない。ま、予防的治療なのだから仕方なかろう。

次回の効果判定は25日。21日の誕生日がとうに過ぎた頃である。



早期発見はいいけれど

定期検診だった火曜日、肝臓がん術後のフォローをお願いしている消化器内科の主治医から胃カメラ検査を勧められ、躊躇する暇もなく半ば強引に今日に決められ、朝イチで呑んで来た。

胃カメラは7年前、人間ドックを受けていた別の病院でピロリ菌除去のための確定診断に必要だからと受けた事がある。以前から胃カメラは苦しい、気持ち悪い、二度と受けたくないなどの感想を経験者の同僚達から聞いていたので、実施日までどよ〜んと落ち込んでいた。

ところが、実際に受けてみるとほとんど苦しさもなく、気持ち悪くもなく、むしろ不味い造影剤を飲んで台の上でのたうち回されるバリウム検査よりよっぽど楽だと実感した位だった。

それは機器の進歩によるものか(その割にはその後も同僚からは辛いという感想が聞かれたが)、いや多分にDrのウデの差ではないかと思っている。それほど抵抗感を感じさせない初胃カメラだった。

だから今日も割と楽な気持ちで臨んだのだが、Drに加えて技師が背中をさすりながら解説したり、カメラが食道の前あたりを通過すればウッとなり、胃に入るまでも長く感じられ、やっと十二指腸に届いたと思ったら、ガスも入れられで腹が張り、トータルの検査時間が初胃カメラの時よりもだいぶ長く感じられた。

何とか耐えたものの、これは辛いと感じる人も多いだろうなと実感。別にDrのウデが悪いとは思わなかったが、その時のコンディションにもよるのかなと納得。でも出来るならやりたくないという気持ちにはなった。

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さて、その後の主治医の診察で結果がフィードバックされると、何と何と食道静脈瘤が数本映っているではないか‼️

主治医からは、赤変が見られないから緊急性はないけど治療はした方が良いと。それには内視鏡的食道静脈瘤硬化療法(EIS)で間隔を開けて月に4回硬化剤の注射を行うため、1ヶ月の入院が必要との事だった。

また入院❓ 年初の膀胱検査入院に続いて2度目だぞ❓ 今回は多分年明け以降になるだろうけど、いい加減凹むわ。この病院だけでも通算何回目の入院になるか。全く太い常連客だわな。

でも考えてみれば、膀胱がんも肝臓がんも、定期検診での検査があったからこそ早期発見が叶ったのは事実である。特に肝臓がんは全く無自覚だったので、放置すれば進展し、見つかった時にはStageⅣなんて事にもなっていたかもしれない。早期に治療を受けたから予後も順調だと言えるだろう。

その肝臓がんや肝硬変に好発するのが食道静脈瘤である。それがまんまと発生していたのだが、今回も早期発見だった。これまでやはり全くの無症状だったから、気がついた時には破裂して大出血に至っていたかもしれない。よく冗談で言っている「血を吐いて死ぬ」そのものである。

その点からすれば、主治医による無理やり胃カメラはやった甲斐があった。その主治医は続いて大腸内視鏡検査も勧めて来たが、さすがにEIS入院を告げられてメンタル的に凹んでいる私は静かに拒否した。

また乗り越えるべき壁が現れた。




ジジイの病気は実に厄介

最初は声を出すとコンコンと軽く咳が出る程度だった。それがいつしか発熱を伴うようになったが、元来発熱自体が数年振りで、しかも熱に対する自覚が薄いので熱感やらふらつきやらはあまり感じなかった。

それが2週間くらい前だった。それでも少しは異変を感じていたので、家で体温を測ったら何と38℃台‼️ 食欲も無いからそのまま横になって、時折出る咳と共に日がな一日過ごしていた。夜間頻尿が2〜3回、同時に強い口渇を覚えた。

熱と咳が症状なので、これはまた何年振りに風邪を引いて拗らせたのだなと思った。3日経って、取り敢えず近所の耳鼻科クリニックでコロナとインフルエンザの抗原検査をし、両者陰性を確認した。やはり風邪か。

ここから解熱剤カロナールと咳止めメジコン、それに抗菌薬クラビットを飲み始める。カロナールのおかげで昼間の発熱は少し抑えられたが、カロナールの切れる朝方はやはり38℃〜39℃を示す。相変わらず口渇も強いので、ペットボトルでガンガン水分を摂る。

実はこの時、コロナ禍で5年振りに開催される大学クラブのお泊まり温泉麻雀旅行の予定だったのだが、当日朝も同じような感じだったのでドタキャンせざるを得なかったのが残念だった。

1週間経とうとしているのにまだ熱が下がらないので、遂に定期受診している病院へ予約外受診。応対してくれた若い内科医は、なぜか喉を診るでなし、聴診器を当てるでなし、こちらの書いた状況シートを見ただけで、採血も画像検査も今は必要ないので、このまま数日様子を見ましょうで終わってしまった。

週が明けてもなお一進一退なので、3日後、再び耳鼻科クリニックでコロナとインフルエンザ抗原検査。再び両者陰性。しかも、ここまで発熱が長引いているのはもはや内科的疾患などがあるのかもしれない、耳鼻科診療は一応ここまでとしますと解熱剤と咳止めの処方で終了。

ならばと更に2日後、病院でかかりつけ医の泌尿器科T先生を受診。前回の内科医の話をしたら「何で何もしなかったのか。雑過ぎる❗️」と怒っていた。で、改めて採尿、採血、単純CTを行ない、尿の混濁とCRP12の所見から膀胱炎の関与が浮かび上がった。

過去の膀胱炎と違って、排尿痛などの自覚症状がなかったのでこれは私もT先生も想定外だった。T先生からは抗菌薬フロモックス、その後に受診した消化器内科医からは利尿薬ラシックスが処方され帰路に着いた。

そこからはさすがに回復に転じたようで、日を重ねるごとに熱は徐々に下降して行き、3日後にはほぼ平熱となり、カロナールの服用も中止した。ラシックスのせいで尿量も増え、少し張り気味だった腹部も楽になって来た。腹水も少しあったらしい。

フロモックスが効いたのか、尿の混濁も消え、熱は平熱を維持するようになり、食欲も元に戻った。喉の違和感と共に声を出すと咳き込むという症状だけが最後に残ったが、それも治って来た。発熱から実に16日後の事だった。

この間、仕事は有休1回、欠勤3回で職場には迷惑を掛けてしまったが、今が週2日のパート薬剤師の身で、常勤薬剤師でなくて良かったと思っている。常勤薬剤師が半月も休んだら大騒ぎで、ヘルプ薬剤師の手配もしなくてはならないからである。これは不幸中の幸いだった。

結局、症状は発熱、咳、夜間頻尿、口渇、尿混濁、CRP12など。もしかしたら膀胱炎に重複して風邪も引いていたのかもしれない。いずれにしてもジジイの罹患は、回復までにかなりの時間を要する事が痛感された。明日の出勤はいつもより特段頑張ろう‼️



メンテナンスの日

昔から、床屋などで人に肩を揉んでもらうと肩が凝ってますねという声を聞く。だが、肩の重さや痛み、緊張型頭痛の発症などの自覚症状を感じる事は一切無かった。

これも昔の話だが、とある飲み屋でたまたま話をした整形外科医が、「肩こりが本当に解れると死ぬほどの快楽が訪れる」なんて言っていたのが少しばかり頭に残っていた。

時間に余裕が出来た今、それならば凝っていると言われる肩をマッサージでもしてもらって解したら、また世界が変わるかなと思ってググってみると、いくつかのマッサージサロンが出てきた。

その中から車で行けてお試し割引のあるストレッチサロンを選び、8月1日にその門を叩いた。その時持っていたイメージは、気持ち良く屈伸したり揉んでもらったら身体が軽くなるから、ほったらかして来た老体に良いメンテが出来るなという程度。マッサージとストレッチの違いなんてほとんど理解していなかった。

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用意されていたウェアに着替えて、問診で今までの経緯と動機を伝え、早速スタート。

上半身は、まるでチキンウィングアームロックのような縦横左右に関節技を極められて伸ばされる感じ。それを5秒×3回ワンセットで耐える。キツイぞこりゃ。

続いて肩甲骨の奥に指を突っ込まれて筋やスジをグリグリ。これはどこが固まっているかが自分でも分かる。かつて五十肩をやった右側の肩甲骨の奥に固まりがあった。これが肩の可動域を狭めていた原因の一つだった。

下半身は、寝たままで行う左右の脚と股関節の股割りにアキレス腱引き伸ばしと、これまたツラい。5秒を必死に耐える連続である。それもこれも身体のためや❗️と何とか耐えている。

思わずギブと叫んだのは、ふくらはぎをトレーナーの足に乗せてゴロゴロ転がされた時❗️ ただでさえ筋肉の減少しているふくらはぎが転がされる痛さは一番ツラかった。

仕上げの頚部や肩を伸ばすのは楽だったが、だいたいこんな感じで60分が終了した。

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ともあれメンテナンスしたなという感触は得られたので、しばらく繰り返してみようと思い、月会費会員に登録し、週一回通う事にした。ちなみに月会費は1諭吉、毎回0.5諭吉なのだが、トレーナーのJob Gradeによって500円〜2000円程度の指名料がかかる。なんだかんだで月3諭吉くらいかかるから、ストレッチサロンは思ったよりお金がかかるんだなと少し驚いた。

私はお試しの時に担当した500円クラスのトレーナーだが、彼がランクアップするためには相応の経験を積まなければならないだろうから、私がその実験台になってもいいという思いと、指名料が4倍も違うトレーナーまでは必要ないだろうという思いだった。

こうして毎週木曜日はまずはストレッチでフィジカルケアへ。夕方はグラグラした親知らずを抜いた後にそのまま虫歯の治療を続けている歯医者で、これまた長年ほったらかしにして来たデンタルケアへ。

というワケで、木曜日は勝手にメンテナンスの日と決めている。


春の訪れ?

前回の地獄の針刺痛から2年ぶりに昨年12月あたりから発症した股間の針刺痛。初めに少し違和感を憶えたのは9月だったから、そこから数えればかれこれ半年間の闘いとなった。

前回の膀胱内視鏡検査で、膀胱内は全く異常なしだったので、ずっと膀胱炎と思っていたこの痛みは膀胱炎ではなく前立腺炎の痛みと判明した。道理で治療薬も無く鎮痛薬も効かないワケである。救いは痛みの程度が前回より軽かった位か。

この痛みは気圧や気温によっても変化するのだが、それなら神経痛みたいなものかと思えばそうでもない。現に強めの針刺痛後の排尿ではうっすら血尿を観察する事もあるから、そこに炎症や出血があるはずで、神経だけの問題だけではなさそうだ。

いずれにせよ、今回は立っても座っても歩いても耐えられない痛みでは無かったため、仕事を休まざるを得ないという事態は回避された。ただし、職場で最初の排尿後に痛みが現れるのは同じだった。その刺激による頻尿を含めても、今回は何とか終日耐えられる程度だった。それでも公休日には一日中横になって過ごす事が多かった。

さほど効果は期待出来ないと知りつつもついつい期待を込めてベシケア&ユリーフ(頻尿&排尿痛の寛解)やボルタレン座薬、ロキソニン、トラムセットなどの鎮痛薬を手放せなかった。また、寒い時期には股間に低温カイロを貼ったりして涙ぐましい努力もして来たが、ひたすら痛みに耐える日々には変わりなかった。

泌尿器科の主治医T先生はそんな痛みの訴えにも(前立腺炎に効果のある治療薬はない事を知っているためか)相変わらずロクに共感してもらえず、せいぜい私の要望通りに処方箋を書いてくれるだけ。

ただ、定期受診している別の病院の主治医S先生は前立腺炎の痛みをご存知のようで、自身も尿路結石や膵臓炎の地獄の痛みを経験されたと。私の前立腺炎のキツい針刺痛にも共感してくれた。患者としては治療効果云々よりも主治医の共感が嬉しい時があるんだよね。

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それが昨日からほぼ無痛になった。

とはいえ違和感から6ヶ月、針刺痛発症から4ヶ月も苛まれて来た身では、ここですぐに安堵する訳にもいかない。「待て待て、油断は禁物だぞ。この後にまたぶり返すかもしれないし」と一瞬一瞬をビクビクしながら過ごしたのだった。

それが今日に至っても継続している(排尿時痛はあるものの、特に排尿後に現れる針刺痛が失せた)のが最高の手応えだった。取り敢えず少しは安堵しても良さそうだ。

このどうにもならない痛みが暖かい春になると寛解するのも前回と同じなので、私にとって春の訪れはこれが一番嬉しい。




またしてもジワジワと

先週受けたCT&膀胱内視鏡検査は異常なし。肝臓の方はともかく、膀胱がんの再発が見られなかったのはホッとした。ひとまず無事に年を越せそうだ。

そう思って安堵していたのだが、例の膀胱痛がさらに顕著になって来たから厄介である。断続的に強い針刺痛が股間を襲うのは以前苦しめられた痛みとほぼ同じである。あの時も重度の膀胱炎だと思っていたが、今回の検査の結果から膀胱炎は否定された。そうなるとこの痛みはその近くの前立腺という事になるだろう。いわゆる前立腺炎による痛みであるのは今回初めて認識した。

思えばこの痛み、かつてオールナイトで苦しめられた地獄の痛みと色々な点で共通しているから、やはりあの時の痛みの元凶も前立腺炎だったのかもしれない。ただしあの時の痛みよりは頻度も程度も軽いから今のところ仕事には行けている。とはいえ、仕事中に予期せぬタイミングで頻繁にツーン!とした強い針刺痛に襲われるのは勘弁して貰いたいのだが。

まあ、膀胱炎じゃないならいくら抗菌薬を飲んでも効果は期待出来ない。また、前立腺炎は細菌性のものとそうでないものとがあるので、抗菌薬が効かないとなるとコイツは細菌感染によるものではなさそうである。

非細菌性なら今度はそれはそれで有効な薬剤があるわけじゃないのでまた厄介である。ロキソニンのような消炎鎮痛剤もこの強い針刺痛には効果薄なのである。

結局、これまでもそうであったように炎症が自然消滅する温暖な季節が来るのを我慢強く待つしかないのだろう。症状が軽い分だけその日が来るのも早い事を祈りつつ。

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そんな痛みと付き合っているうちにも、私の周りではバカ1号と4号が異動し、メンタルを抱えたベテランパートのY子も退職した。その分がバイト募集ですぐに埋まるワケもなく、店の人手不足にはさらに拍車がかかっている。

昨日は子供の頃からよく一緒に遊んだ従兄弟の一周忌だった。正確には来月の私の誕生日と同じ日なのだが、繰り上げて営まれた。私の誕生日が彼の命日というのも、彼と殊更親しかった因縁というヤツかもしれない。

天気は昨日の雨天や夜来の強風がウソのような雲一つない晴天だった。その代わり今季の最低気温で寒かったけどね。





予期せぬ展開

新型コロナウイルスワクチンの接種は医療関係者から高齢者へと進み、最近は職域接種も開始されている。

一時心配されたワクチン不足も懸念に終わった。ここは、遅ればせながらもメーカー各社に渡って手配した政府を素直に評価したい。

それでもアストラゼネカ製のワクチンは血栓症の副反応情報などで敬遠され、一部台湾に寄付されてもなお余剰状態らしいけど、本日内閣不信任案を出した野党を始めとしてここを責める論調は完全に後出しジャンケン、結果論に過ぎない。

世界が混乱し、ワクチンの承認・供給も定かでなかった時点で、誰が初めから当たりくじだけを引けるというのか。これは立派なリスクマネージメントである。

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さて、私の居住区では高齢者に関わらず接種券が発送され、まだ高齢者手前の私の元へも届いた。本来なら今日から区内の個別接種対応医療機関で予約が開始されるのだが、ここで突如として予期せぬ展開が‼️

実は本日、カミさんの勤めている有料老人ホームで2回目の接種があるのだが、キャンセル者が出たために急遽私が呼び出され、余剰分の接種をする事になったのである。ホームのある新宿区はたとえ1回分でも廃棄はNGと言ってるらしいので、あれこれ手を回した結果の窮余の策だとか。

ワクチン接種は、インフルエンザなども少年時代の集団接種以来していない(代わりに治療薬は常備)し、周りにワクチン接種者が増えれば自動的にバリアが張られるようなモンだから、大の注射嫌いの私としてはまあゆっくり構えていればいいやくらいに思っていたのに(^^)

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夕刻、指定された時刻にホームへと接種券セットの入った封筒を手に車を走らせた。

この老人ホームの中に入るのは初めてだが、さすが高額入居金を取っているだけあってなかなか立派である。ミニホールにはドラムやギターなども置いてあった。高齢者にどれだけ訴求出来るかは知らないけど。

予診票に記入して医師の問診を受け、そのまま接種。文字通りあっという間に終わって、15分待機した後に帰宅。発熱はもちろん、今のところ接種部位の痛みも無い。

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かれこれ1年半も続いているコロナ禍。やれ蔓延防止措置だの緊急事態宣言だのと国民の生活に我慢を強い、経済を低迷させてはいるが、ここで冷静に事実を見ると… 。

一昨日までのデータによれば、日本全国の累積感染者数は約77万4千人、累積死亡者数は約1万4千人である。

これは人口1億2千万人として計算すると、何と総人口の99.3%は未感染、99.9%は少なくとも新型コロナ感染症で亡くなっていないという事になる。感染者数を母数に置いても死亡率は1.8%である。

新型コロナのおかげで全く鳴りを潜めたインフルエンザでさえ、毎シーズン1000万人が感染(総人口の8%)する。また、国内では何らかの原因で毎日3千人以上が亡くなっている。それらに比べて新型コロナ感染症は桁が少な過ぎると言えないだろうか。

確かに欧米などでは桁違いの感染者数、死亡者数が出ているから、世界的な危機と捉える事は出来るものの、こと日本国内に限れば所詮この程度の規模である。

突然クローズアップされたECMOにしたって、従来から一部の重症肺炎患者には適用されてはいたが、ここまで表に出てくる事はなかったはずである。そもそも肺炎を直接の死因とした死亡者数は国内第3位である。つまり大多数の人間は最後は肺炎で亡くなるという事である。

さらに政府によれば、この秋までに大多数の国民へのワクチン接種が完了するというので、その時点で改めて一連の新型コロナ禍というものを振り返ってみる必要があるだろう。



復活間近

退院2週間後のフォロー外来にて、それまで創部を繋いでいた32本のホチキスが抜去された。

抜去後は物々しい金属は無くなってスッキリはしたものの、まだ所々がくっついていないように見えて不安になり主治医に確認したら「しっかり着いてますから大丈夫ですよ」と言われ一安心(^^)

血液検査もほぼ術前の値に戻っているようで、後は私自身の体力加減で仕事復帰は可能との診断だった。大事をとって今週末まで自宅療養を続け、4月4日の日曜日から出勤すると会社側に連絡した。

これでようやく復活となる。

やはり開腹手術は多かれ少なかれ身体のあちこちに負担がかかる事には違いない。特に筋肉は、その量も質も減少したという自覚があるので、今後の仕事を通じて少しずつでも戻して行きたい。一方で肝疾患に付きものの脱力・倦怠感などはさほど感じられず、生来の強肝臓(?)に感謝した。

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今回切除した組織標本の写真を見せてもらった。実測約3.5cmで、2cm以上だったからStageⅡとの事だった。他部位の発症や転移などは認められなかったから取り切れたと言って良いようだ。それでも昨年のCTでは2cm程度だったので、ここ3ヶ月の間にここまで増殖したのかもしれない。そう考えると、全く自覚症状が無いだけにもしあの時発見されていなければ将来的にどうなって行ったのか、想像するほど実に恐ろしいと思った。

特に肝がんで何らかの症状が出た時にはかなり進行して、すでにリンパ節や他臓器に転移を起こしていても不思議では無い。その時に「末期がんですね」と言われるだけである。オペ不能となれば抗がん剤か緩和ケアを選択するしかないだろう。

それからすれば、早期発見された私はまだ運が良かったと言える。膀胱がんの時もそうだったが、臓器内に腫瘍が限局している段階で発見され切除出来たから、再発は別として他臓器への転移によって生命そのものが脅かされるという事は無かった。

それもこれも面倒くさいと思いながらも続けていた人間ドックのお陰と思っている。少なくとも血液検査と画像診断は早期発見のためには絶対だと確信した。

世にはドックや検診不要論などもあると聞くが、こと早期発見から治療にかかれるタイミングを知る手段はこれを置いて他には無い。特に中年期からは見つかったら「末期」だったとか「手遅れ」だったとならないためにも定期検診は不可欠だと声を大にして言っておきたい。

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これでがんを2つ経験した身となり、ダブルがんサバイバーを自認する事となったが、まだお前は何かしらの役に立てとの天の思し召しと良い方に解釈して仕事に邁進したいと思っている。




ダブルがんサバイバー

目が覚めたようだ。

また戻って来ちゃったな。いっそリバースしなけりゃマイケル・ジャクソンのようにスーッと逝けたのに。

まだ生きて役に立てとの思し召しかな。

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これが2週間前、場所はICUだった。

すぐに腹部に腹筋酷使後みたいな違和感を感じたので、やはりラパロ(腹腔鏡手術)では術野が確保出来ず、開腹手術に移行したなと悟った。

直ぐに撮られた造影CT。担当医師が造影剤ラインのための針刺しが下手の何の。両手に4ヶ所も刺し直すモンだから、思わず「…ヘタクソ」と言っちまった。

ICUで一泊した後、元の病室へ戻る。開腹手術体験記などでは初日の夜などは痛みで眠れないなんて書いてあったけど、黙って寝てれば痛みはほとんど感じないのは嬉しかった。肝機能のせいで血小板数が基準以下だったので、硬膜外麻酔が回避され術後のエピはない。代わりのIV-PCAがよく効いたので安心だった。

翌日は歩行練習。さすがに腹筋痛でなかなか歩けないが、これも血栓予防なのだから仕方ない。前後を看護師さんに支えられながら病棟を一周。明日からは自分で少しずつ歩く事になる。

3日目に術創部のテープが剥がされ、そこにフランケンシュタインかターミネーターかというホチキス止めが現れた。正中線18cm✖️右腹側23cm、ホチキスは32個だった。

この時点で身体に繋がれているラインはIV-PCAの他にメインのIVライン、ドレーン2ヶ所、そして尿カテだった。この尿カテについては、過去の経験から術前に細いものにしてくれと懇願していたのが叶って、違和感もなく実に快適だった。

また、ラインではないがパルスオキシメーターを指に着けているが、その値が90台前半とか90を切るとかになり、なかなか上がって来ない。息苦しさは感じないが、腹筋痛もあって深呼吸も出来ないから肺がまだ広がりきっていないのかもしれない。これも侵襲の一つだろう。

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このまま回復に向かえば良いと思っていたが、ここで問題が。

一つは栄養補給のための医薬品「アミノレバン」。毎食時に水に溶かしたものを200ml飲むのだが、これがなんとも言えない不味さ‼️ 2杯飲んでギブアップ‼️ ついに栄養士さんに別の栄養ドリンクに替えてもらった。

もう一つは術後の血栓予防のための抗凝固薬。何とこの病院は14年も前に発売された皮下注製剤「クレキサン」だったのである‼️ 前社で競合品として戦って来たこの製剤が、経口薬もある現在でもいまだに現役で使われているとは‼️ 朝晩打たれ、しかも痛い。これが一番厄介だったわ。

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術後4日で2本のドレーン抜去。初便通あり。5日でIVライン抜去。この頃から腹部が何かに圧迫されている感じがして食欲が湧かない。Drは術後の腹水のせいだろうと言うが、これが腹水による圧迫感なのか消化器の膨満感によるものかがハッキリしない。仕方ないので、喉を通りにくい固形物を避け、売店で買って来たヨーグルトやゼリーを食べるようにした。

結局この圧迫感は、程度こそ軽くなるも退院まで続いた。元々病院食が超苦手で、それでも入院ダイエットになるからと空腹を我慢する入院生活だった私。今回の入院でも食事量が少ないことを気にする看護師さんに、食事以外に食べた物を伝えつつ、いかに誤魔化すかに苦心した。なあに、退院すればちゃんと食べますから(^^;)

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最後の2〜3日は毎日ほぼ変わらないルーティンで食事、服薬、昼寝、回診などで過ぎて行った。痛みも殆どなく、ほぼ予定通りの術後2週間の退院となった。外はいつの間にか桜が咲く季節となっていた。

お腹にはまだホチキスが残り、月末のフォロー外来にて抜去するので、それまではまだ腹部に違和感を感じて元に戻った気にはなれない。その日までは「日にち薬」第二幕なんだろうな。

それにしても、これまでの網膜剥離や膀胱がんでの外科手術とは異なる本格的(?)な開腹手術は、術創部だけでなく全身に様々な侵襲を及ぼす事が分かった。医学書に、外科手術は高齢者には負担が大きいと書かれている意味も実感した。

ともあれ、世にも珍しい(かどうかは知らないけど)膀胱と肝臓の2ヶ所の原発がんを抱えた「ダブルがんサバイバー」が誕生したのであ〜る‼️




知らせは唐突に

病院からの入院手術が3月上旬頃との回答により12日から職場復帰して2週間。

今週も早や金曜日を迎えて「ああ、今週も連絡は来なかったから、3月の第一週の線も消えたのかな」と思いながら昼食休憩。いつものようにロッカーからスマホを持って来たら、何とそこに着信履歴が‼️

番号が入院予定の病院のものだったから慌ててコールバックすると主治医のK先生に繋がった。

「奥様には連絡しましたが、来週の月曜日に入院、水曜日に手術の予定になりました。ご都合よければそれで確定したいのですが…」

いやぁ先生、待ちくたびれましたよ〜‼️ ってなモンである。

予定が確定すれば、月曜朝に受付後PCR検査を行ない、その結果が出る昼までに再度造影CTとな。ま〜た検査かよとは思ったけど、まあ、前回の撮影から3ヶ月近く経っちゃっているから、これは仕方ないだろう。

とはいえ、病院は手術日の1週間前には連絡をくれると言ってたよね❓ これじゃ1週間どころか3日前連絡じゃないの。いくらコロナ騒動でバタバタしていると言っても、つくづく大学病院てのはオレ様商売だよな。

さて、そうと決まったら6日に予定していた修理&メンテナンスに出していた車の引き取りとその後に出席するはずだった従兄弟の納骨式の欠席を連絡。何とか入院前日までに車を引き取れればいいが。

そしてすぐに本部のS先生とパートのU先生にLINE連絡。休憩後に店長へ報告。その後、余裕を持って売れ筋のありったけの医薬品の発注をこなし、バックヤードから出せるだけの品出しを済ませた。

明日は公休日で明後日は夕刻まで勤務して、車が受け取れればディーラーへ。ホント、バタバタしてるのは病院だけじゃないわ。

でも、結果的に上旬頃の手術予定が初旬へと少し繰り上がったとも言えるので、術後の経過が順調であれば自宅療養も含めて3月中の職場復帰も見えて来た。

今度の手術は内視鏡手術という事もあって、イメージ的には肝がんとはいえ表面に出来た小さなオデキを切り取るのだから、気分的にもさほどプレッシャーは感じていない。全麻だって膀胱がんで何度も経験済みで、寝落ちしている間に全てが終わってるだろうし、万一リバースしなかったらそれが寿命だろうし。

ま、それもこれもこれまでの経験が生きるというのは結構な事には違いない。




仕切り直しだわ

待てども待てども連絡は来ず。そんな日々を過ごして遂に1ヶ月が経とうとしている。

何か進展はないのかと、思い余ってまたも病院へ問い合わせ。「今日まで一月仕事を休んで待っていたが連絡は無い。せめてこの先の見込みを教えて欲しい」と告げたところ、先程連絡が来た。以前までは「調整中なので連絡をお待ち下さい」止まりの回答だったけど、今回は「コロナ禍の影響で遅れてますが、概ね3月上旬辺りに実施予定です」との回答を得られた。

多分そうだろうなという想定内の回答だったものの、取り敢えずでも先の見込みが得られたのは大きい。店に迷惑を掛けているという申し訳無さを抱えつつ、今日か明日かと悶々とした気持ちで連絡を待ち続けた日々からはひとまず解放された。

ここまでの約1ヶ月は本当に人生で最もムダな時間だったような気がしている。病院からの連絡さえあれば事態はすぐに動き始めるのに、それが無い。何日経っても無い。たまに気分転換でもとドアtoドアで外食したところで、なまじ身体はピンピンしているのに仕事を休んでいる後ろめたさが常に付き纏って楽しめない。

日用品の買い物があっても近くのスーパーと通販で済ませて、後は家に篭っているばかり。根は図々しいからメンタルをやられる事は無いけど、何とも言えない社会からの疎外感を感じずにはいられなかった。世間で「コロナ鬱」になった人も出ているというのも納得である。

そんなワケで、少なくとも今月中は事態は動かないと見て12日から月末まで通常業務に復帰する事にした。

今まで以上にコロナを拾って来ないようマスクや手洗いに気をつけていれば、不特定多数とそれほど濃厚に触れ合う職場でもないのでこのまま乗り切れるだろうと踏んでいる。

心身共に今更ながらの仕切り直しだな。




まぁだだよ〜

いやぁ〜、参った参った。

先月、主治医に会社へ休職の手続きがあるためオペ日がどの辺りに来るかを訊いたら、概ね1月18日〜22日の週になるでしょうとの回答を得ていた。その電話連絡は主治医から1週間前位に入るとも。

オペ日が決まればその2日前に入院、そのまた2日前に新型コロナのPCR検査を受けるため、準備期間も含めて13日から休職する手続きを取っていた。

ところが13日の週が終わる頃になっても連絡が来ない。このままでは18日の週のオペは無いという事になる。どうなっているのか病院へ問い合わせても、調整中なのでお待ち下さいとの回答。

オペ日の連絡がいつ来るかも定かじゃなく、さりとてここで職場に戻ってコロナに感染でもしたら一大事なので、結局悶々とした日々を過ごさざるを得ないという状況である。

オペを予定している大学病院は従前から新型コロナ感染患者を受け入れているから、受け入れ拒否をしていた大学大病院に対して国が受け入れ勧告をしても今さらアタフタする事もないだろう。あるいは急変患者の緊急オペが入った可能性もある。

それにしても休職期間に突入してもう10日も過ぎ、予想していたオペ日をスルーして誕生日の方が先に来てしまった。このままではオペ日は月跨ぎになってしまう可能性が高い。大学病院様のご都合があるにせよ、もう少し待機患者への情報提供があってもいいのではないか。職場への申し訳なさを抱えて過ごす日々は針のムシロの日々と言ってもいいのだから。

・・・・・・・

従兄弟のYが亡くなったという連絡をYの姉から受け取ったと、私の母親から昨日電話があった。

Yは私の母親の姉の子で、私とは学年違いの同年代。子供の頃からよく遊んだ仲で、親戚揃っての旅行などにも毎回一緒に行った仲である。高校生の頃に沖縄〜奄美大島への船旅&民宿の旅に一緒に行ったものの、台風の影響で沖縄〜与論島まで移動したところで足止めを食らってそのまま1週間ステイした事が印象に残っている。観光客もあまり訪れない、ほとんど自然のままの与論島だった。

ところがYは大学生の頃に精神疾患を患ってしまった。以来、病状の変化により時に入退院を繰り返し、近年も入院中だった。そうでなくても私と会う機会もほとんど無くなり、せいぜい冠婚葬祭の時くらいになっていた。

夜になってYの姉から電話があった。Yは病院でも最近は調子が良く、数日前にもお菓子の差し入れを美味しそうに食べて彼女と話していたらしい。その後、自室で倒れているのを発見され、そのまま息を引き取っていたそうだ。いわゆる急性心不全との事だった。

Yの母親も認知症で施設に入っていたから、見た目にも健常なYだけがいずれ残っても姉一家も含めた周りは相当大変だったに違いない。精神疾患以外は見た目健常だったYが先に逝ったのは、ある意味親孝行な息子だったと言えるだろう。

来週に告別式が予定されているが、通常なら勤務日に重なってしまうところだったが、私がこんな状況にあるから(今のところ)家族を乗せて参列出来るというのは、もしかしたらYの導きなのかもしれない。





後は年明けを待つのみ

ここまで、何度も通院してはこれでもかといういろいろな検査を受け、今日はその集大成として麻酔科と口腔外科の術前評価(検診)を受けた。

大学病院だからか、初診時の消化器内科から始まってメインの消化器外科、付随する血液、尿、超音波、X線、造影MRI、造影CT、肝シンチ、ICGの各検査、そして麻酔科に口腔外科検診と、それぞれ個別に受診しなくてはならないため、時間も費用もそれなりに掛かる。気が付けば紹介状を持って初診に来てから55日が経っていた。それでも順調にプロセスを踏んで来られたと思うが、膀胱がんでかかっているK病院とは違って小回りが効きにくいのは仕方のないところか。

で、今日の外来で腫瘍が確認出来るかどうかの超音波をやり、何とか脂肪肝をかい潜ってラパロ(腹腔鏡)で行けそうとのK先生の言葉でホッとした。開腹だと後がとても痛そうだから、痛みに人一倍弱い私としては正直言って開腹手術を避けられるかどうかが生命線だった。よし、まだヒキは強いぞ。

それでもオペ日が確定するのは1週間くらい前なんだと。概ね来月の中旬〜下旬あたりだそうだから、その数日前から1ヶ月間ほど休職する予定でいる。何せ一部とはいえ肝臓を切り取っちゃうんだから、退院後の自宅療養もしっかり必要なのでこれはしょうがないな。

さらにWi-Fi環境と周りに気を遣わずじっくり休むために個室を希望したが、料金が1泊3万数千円とまるでシティホテル並み。確かにロケーションならシティホテルと遜色はないけどね。もっともこれは一般病棟の個室料金で、ドラマに出てくる特別病棟の最上級だと1泊13万円超‼️ いやいや、一般患者用の案内にはなかったけど、上級国民用の更に豪華な部屋もあるに違いない。

とまあ、後はこれでオペ日の連絡を待つのみとなった。

さあ、勝負は年明けだ‼️





オペ可能です

今日は肝予備能(ICG)と肝シンチと造影CTの3本立て検査を受けに行った。

受付を済ませ、例によって人間牧場のようにズラッと並んだ採血ブースで1回目の採血。次に外来処置室にて試薬を静注し、リクライニングチェアで15分待って再び採血。都合3回の注射は痛みこそなかったが、注射嫌いの私には苦行だった。

処置室で試薬を静注したのは若手の医者(研修医?)で、その手技もおぼつかない様子で隣のナースに指示を受けながらどうやらこなした感じだった。もっとも、昔のように口やかましく若手医師に指示するナースではなくなったけど、ま、若手なんてのはこんなモンで、こうやって経験を積んで行くんだろうなと微笑ましく見ていた。

続いて前回同様に外来の呼び出しを待っていたが、これまた前回同様に待てども次の検査の時間が迫っても呼ばれない。前回はそれでもムダに待っていたが、今回は受付に申し出て検査を先にした。やはり積極的に動くべきなのだ。

・・・・・・・

核医学検査室にて肝シンチ。本日4回目の静注だわ。検査機械は手前に平べったい板と奥にCTみたいなトンネルがあり、さすが大学病院、ついでにCTも撮れちゃうのかと期待したけど、結局造影CTは別だった。

主治医K先生の説明によれば、ICGの結果からオペは可能だと。予定では来年1月の4日〜22日あたりまでの実施となるようだ。どうせなら早めにしてもらおう。

オペ可能との判定なのでこの後、肝血管の走りを把握するための造影CTを撮って終了となるのだが、何と本日5回目の注射が待っている。打たれた造影剤は今までの中で一番身体があったかくなった。大盛りだったのかな?

いやぁ、今日の午前中に色素、RI、造影剤と続け様に注入されたが素朴なギモン、果たして肝臓に悪影響はなかったのか。まあ、現代医学の進歩で安全な試薬が開発されてるのだろという事にしておこう。(^^;)

会計は2諭吉強。今までの外来診療料で一番高い支払いだったわ。

・・・・・・・

今日に先立って先週の土曜日に膀胱の方の主治医T先生を受診。前回の尿細胞診の結果がclassⅣと出た。

あれ❓「原発がんは2ヶ所で暴れない」という私の理論は間違っていたのかな。

とはいえ、当然今の肝がん治療を優先させるため、オペ後の回復を待っての再受診となった。オペは来年1月と予想されるので、受診は2月頃になるだろう。その頃にはまた以前のようにclassが下がっているかもしれない。

いろいろ賑やかだが、そうやって人は死に近付いて行くんだなとボンヤリ思ったりして。





治療プロセスが見えて来た

先月撮った肝エコーと造影MRIの結果を訊きに外来へ。

まずは初診時と同じ消化器内科。MRIに写った腫瘍を測定したらおよそ2.5cmだったと‼️

あれ❓ 10月のドックの時は1.5cmだったはず。こんな短期間に成長したのか❓ 「超音波画像は境界が不鮮明なので誤差が大きい」と担当医師。

「発生部位が肝表面なので、ナノナイフなどの穿刺療法では出血リスクが大きいから切除手術になります」とは次に受診した消化器外科の教授先生。おそらくラパロ(腹腔鏡)手術となるでしょうと。

・・・・・・・

その次は准教授先生の外来に回ったはずが、なぜか私の番号が表示から外れた。いよいよ大学病院の長待ちが始まったかと待ってても再表示されない。田舎の食堂じゃあるまいし、まさか忘れてるなんて事はあるまいと更に待つこと2時間。我慢できずにカミさんが受付に申し出ると慌てて別の先生の診察室へ。おいおい、やっぱ忘れられた存在になってたのか❓

結果的にその先生がオペまでの担当医となった。肝硬変の影響もあるので肝予備能の検査の予約をして、今日はそのまま心電図と胸部X線を撮って終了。

手術入院の必要日数を訊いたら、2週間程度だと。その後の自宅療養を含めたら1ヶ月程度の休職を余儀なくされそうだ。手術は来年1月あたりが予想されるが、またまたお客さんやスタッフ達に迷惑を掛ける事になるのは忍びない。

まあ、腫瘍マーカーも高値を示していたので悪性は明白だったため、短期とはいえ入院しなければならないと心配した肝生検をスキップ出来たのにはホッとしたけど。

・・・・・・・

それにしても膀胱がんといい、製薬会社勤務時代に研修などで散々喋って来た事が次々に我が身に降りかかって来るのはどういう巡り合わせなのだろうか。

もちろん肝臓や膀胱の疾患治療薬を扱っていたのだから当然と言えば当然だが、実際に治療プロセスを経験するとあの時喋っていた事柄に如実に実感が加わる。ああ、患者はこういう気持ちを持ってこういう侵襲に耐えながら治療に臨んでいたのかと。

今、もし同じ内容を喋らせてもらえたら、もっともっとリアルな話が出来るだろうなと苦笑しつつ、リアルに治療に挑みましょうか。




いよいよプロローグ

紹介状と画像CDを持って大学病院へ。

受付開始時間を目指して早めに家を出たものの、電車で一駅なのでわずか15分で到着。新装開店の施設はさすがにキレイだ。玄関フロアには新装大学病院お約束の広い吹抜けや大型エスカレーター、カフェ、コンビニも備え、まさにシティホテルのロビーのような佇まいだ。

それでも初診受付には既に20人くらい座っていた。数十年昔、営業で大学大病院を回っていた頃は、患者たちは早々と病院に来て我先にと順番を取るためにごった返していた。今はその時代に比べてよほど整然としている。

8時の受付開始後15分で呼ばれ、さらに15分後に作成されたカルテや診察券を持って診療科へ。

・・・・・・・

消化器内科外来受付で問診票を記入して自分で血圧を測り、初診用診察室の前で待機。この時の初診患者は10人くらいか。

程なくして呼ばれて診察に入ったら、そこには「初診は教授先生が診る」という昔の風景はどこにもなく、若手の先生が一人いるだけ。看護師すらいない。

問診票に基づいて既往の概要を話し、造影MRI検査とその後の外来の予約をして採血室へ。検査受付は自動販売機で券を受け、2分後に呼ばれた採血室の中は何と12ものブースがあって次から次へと作業が進んで行く。まるでオートメーションか人間牧場かという眺め。

・・・・・・・

そんなこんなで受付から会計終了までたったの1時間半足らず。新型コロナの影響もあるとは思うが、大学病院の受診は一日掛かりなんて話はどこへやら。ヘタな中小病院や開業医の方がよっぽど時間を要するかもしれない。これなら仕事前にも通院可能だわ。いやあ、時代の進化ってのは凄まじいね。

ともあれこれで肝がん治療ドラマのプロローグとなった。これからどんな検査をして、どんな治療が選択されるストーリーが待っているか。さまざまな期待や不安を抱えつつここに通う事になる。





驚きはしません

今の勤務先の保険事情の影響からか、前社時代から20年近く人間ドックを受診していた医療機関が、今年からその対象施設を解除された。

ドックとしては基本コースでもそれなりのお値段だった事が解除理由だろうが、ショボいと愚痴ったところで仕方がないので、泌尿器科で通院している病院に変更して受ける事にした。施設も平凡な造作でコンシェルジュのオネーちゃんも付かないのが寂しいけど(^^)

それが先週の火曜日だったのだが、受診を終えて昼食を食べに来ていたデパートで携帯が鳴った。

相手は泌尿器科の主治医T先生。少し慌てた声色で「超音波検査の結果が来て、肝臓にオデキのようなものがあるようで、それは以前に指摘を受けていた事はあったか?」という問い合わせだった。

毎年のドックでは肝硬変所見やら肝嚢胞所見やらの指摘は受けていたけど、検査値異常の他は無症状であったので特に治療はせずにいた。でも今回は、その所見とは異なる腫瘤像が指摘されたという。一週間後に消化器内科の部長先生への予約も取ったという事で、本日両科への受診と相成ったというワケである。

・・・・・・・

泌尿器科T先生によれば、先日のドックの超音波像を読影した消化器内科から指摘を受けて驚いたが、現在の膀胱がんの状況から見ても、いきなり肝転移を起こしたとは考えづらいと。さらに、ここで5月に撮ったCTにその影が写っていた事を実はスルーしてしまったとも(^^;)

まあ、5月から腫瘤の大きさは変わっていなかったし、その時点で分かっていたとしても、あのコロナ禍の最中にスムースな治療を受けられる施設が確保出来たとも思えないから、逆に今で良かったのかもしれない。

消化器内科の部長先生(元教授)は専門家だから当然詳細な読影が出来る。その見立てによれば、腫瘤は肝細胞がんと思われ、大きさは1.5cm程度なのでオペによる除去以前に穿刺療法で十分叩けるだろうとの事。教え子の教授がいる大学病院へ画像データと紹介状のセットを作成してくれる事になった。

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まあ、私の肝臓に関しては、小学生時の予防接種によるHBV感染(40代で自然消滅)から始まって、その後の暴飲暴食による脂肪肝、7年半前に無症状ながらもγGTP>2000となって禁酒の道を歩んで来たので、一部が線維化していようが、そこから腫瘤が生じようが、T先生と違って今更驚きはしない。いずれ自分の死因は肝臓になるだろうと既に覚悟はしていたから。

それにしても膀胱がんといい肝臓がんといい、私はよくよく早期発見に縁があるなと妙に感心している。そして再発や痛みに苦しめられた膀胱がんがほぼ無症状となったタイミングで、今度は肝臓にがんが見つかるのだから上手く出来ているモンだなと。面倒くさいけれど定期検診は貴重だったなと。

治療にしても、膀胱のように知覚がデリケートな臓器ではない分、その予後も痛みに関しては辛くはなかろう。受診予定の大学病院では、最先端の穿刺療法の保険適用に向けて臨床治験を行なっているらしいので、仮に私がその症例となればさらにメリットの大きい治療を受けられる事にもなる。

問題は痛みには悲しいほど弱い私、治療法を決めるための前段階として行われる肝生検が痛くない事をひたすら祈るばかりである(^^;)




また出た!

「尿細胞診の結果ですが… classⅤが出ました」

瞬間、意外にもその言葉を淡々と受け止めている自分がいた。

「ふぅ… また出ましたか。いよいよ年貢の納め時ですかねぇ」

「あれだけ画像や生検をしても見つからないのに細胞診で出て来る。がん細胞はどこに潜んでいるのか分からない、そういう患者さんはいますよ」

確かに去年、尿細胞診で初めてclassⅤが出た後に、入院までして膀胱内だけでなく尿管まで組織を採取して検査したのに見つからなかった。その後の尿細胞診でもclassⅢまでしか出なかったのに。

前々から、今度再発したら膀胱全摘も止む無しと腹を括っていたので、T先生にその旨を告げた。

「今後の再発のリスクや長引くこの痛みから解放されるなら、いっそ取ってしまう覚悟は出来てます」

T先生はそれを即否定するかのように少し軽い口調でこう言った。

「いやいや、まだそんな段階ではないでしょうね。何か明確な組織像が出るまでは引き続き尿細胞診やCTなどで追っていきましょう」

という事で、来月に再度尿細胞診を行なう事になった。その時にはまた引っ込んでいるかも知れないが、少なくとも今日の段階では、自分で勝手に想像していた「痛みと引き換えのリンパ球などによるがん細胞攻撃説」は当てはまらなかったようだ。

とすれば、ここ数ヶ月間悩まされている排尿後の針刺痛の正体はいったい何なのだろう。

先日、ペインクリニックのK先生も見当がつかないと言っていた。もしこれががん性疼痛の類いだったらあるタイミングで痛みが出て来るような事はないし、精神的要因もなさそうだし、もちろん細菌性の膀胱炎なんてとっくに終わってるし。

そのK先生の今度のレシピはトラムセット+ボルタレン坐薬。常時ある痛みではないため神経ブロックを適用するのも妥当ではないので、当面は鎮痛薬で試行錯誤していくしかないと。私も同意だった。

朝、1回目のトラムセット服薬後にボルタレン坐薬を入れて家を出る。職場に着いて最初のトイレまでは順調に仕事が出来る。

新型コロナ禍が増大している東京都で、ようやく小池都知事が週末の出歩き自粛を宣言した。そのおかげで昨日のウチの店は開店後から丸3時間も3つのレジがフル回転してもお客さんの列は途切れない大混雑だった。周りのスーパーもまるで暴動が起きたかのように多くの買い物客が押し寄せていたようだ。この時間帯のスタッフは私も含めて3人しかいなかったので、当然応援レジに入ったが、ひと段落するまで3時間もトイレに行けず、2回目の服薬も定時に出来なかった。

が、遅れてもトイレ後から痛みが出るのは変わらない。その痛みの程度が気候のせいもあるのか、やや弱くなった感じはするものの、医薬品相談カウンターで基本姿勢をとって痛みが治まるまでやり過ごしている日常は変わらない。

原病も現状もまだまだ落ち着いてくれないな。





次の一手を

神通力が衰えたトラムセット。今日のペインクリニック受診でK先生に状況報告して次の一手を相談した。

・・・・・・・

【記録】現況

トラムセットは起床後の午前8時に1回目の服薬となる。夜間頻尿は仕方ないとしても、前夜から夜間は痛みが出ないから睡眠には支障がない。

朝の服薬の前後で当然トイレで排尿をするが、痛みが出る事は原則的に無いが、たまに出れば治るまで安静にして、定刻に遅れはするが痛みが落ち着き次第出勤するようにしている。

問題は職場に着いた後の最初のトイレの後である。時間的には1回目の服用から1時間半を経過したあたりであるが、その排尿後から針刺痛が発生するようになってしまった。トラムセットの神通力が衰えたと感じ、ロキソニンを追加してみたけれど痛みは治らなかった。

逆に針刺痛の強さについてはトラムセットのおかげかもしれないが、以前のBCG膀注療法の副作用の針刺痛よりはやや弱いという印象だ。だがこれが20秒に一度の頻度で襲って来るし、歩くのも辛く、その痛みは長いと終日続く場合もあった。

だから極力動いたりせずに相談カウンターに身をかがめて耐え続けるしか無かった。これが痛みが出た時の勤務中の耐痛姿勢(基本姿勢)となった。

トラムセット2回目の服薬は昼休憩時の午後2時。仮にそれまでの間に痛みが緩解していたとしても、それまでの間に当然トイレには行くからその後の痛みの発生は止められない。相談カウンターでの基本姿勢を休憩室でも継続しながら昼食を食べ、終了時間までじっと過ごすのみ。

やがて日が暮れて来る頃には針刺痛が緩解して弱い鈍痛のみになる事もあり、その時は心底ホッとする。ダメな場合は終業時間まで丸一日続く事もあるので、日によって運ツキがあるのかもしれない。

帰宅して午後8時に3回目を服薬するが、それ以降は翌朝まで強い痛みはほぼ出る事がない。それもまた理屈が通らないのだった。

公休日は終日おとなしくしているから、シクシクした鈍痛はあっても強い痛みが出る事はない。そんな勤務日と公休日、最近はこれの繰り返しである。

・・・・・・・

さて、K先生に相談したのは、トラムセットの服薬回数を添付文書通りの1日4回に増量するか、ドラマドールのみの製剤に変更するか、はたまたここで神経ブロックをするかだった。

先生からは、取り敢えず後2週間は1日4回で様子を見ましょうと。勤務中の痛みの状況と自宅での状況がまるで異なる原因については、やはり説明がつかないとも。

また、これが原病の膀胱がんの再発による癌性疼痛なら痛みは出続けるだろうから、時間によって場所によって痛みが出たり治ったりなんて事もないだろうとも言われた。その追跡検査は新型コロナ感染騒動明けの主治医の病院で13日の金曜日に受ける予定だ。

帰宅後、処方箋を持って近くのいつもの調剤薬局へ。顔馴染みの薬剤師にもこの状況を伝えたところ、彼女自身の強い肩こりなどの経験から、弱目の筋弛緩剤も意外な効果があるとの話を聞いた。以前からこの針刺痛は、何らかの炎症に加え膀胱の収縮あるいは攣縮(スパスム)が関連しているのではという感触は持っていたし、痛みの発生に自律神経がかなり影響しているはずから理屈は通ってはいる。

それでも筋弛緩剤や抗うつ薬の類いの効果について俄かには信じられないという感想も持ったが、今は選り好みをしている余裕はない。この後2週間の状況を見て、もし改善が認められなければK先生に提案してみようと思う。

藁にもすがるとはこういう事態なんだろうな。


【記録】これまでの服薬結果
①2/5初診 デパス+牛車腎気丸2W →3日目で痛み発生
②2/11前倒し再診 トラムセット1W →ドンピシャ効果
③2/18再診 トラムセット継続3W →5日後から勤務時針刺痛
④3/10再診 トラムセット増量2W ←今ココ




ドンピシャ!

久々の悪魔の時間帯に見舞われて土日を過ごし、月曜日を待ってほうほうの体でタクシーに乗りペインクリニック外来へ前倒し受診。

私の公休日の関係で、初診のO先生から再診はK先生へと替わるのは承知していたが、K先生もさすが痛みの専門家で、私の訴える痛みの履歴や現状について共感を持って聞いて頂けた。

結論としては、デパスから別の薬剤にスイッチして様子を見て1週間後に外来を受診する。痛みが治まらない場合は神経ブロックを実施するという方針だった。

K先生の処方薬が何だかは院外処方箋の印字が細かくて見えなかったが、受診後に確認したら何とトラムセット‼️

この薬は2年前にBCG膀注療法による強い痛みに悩まされていた時、それまでのボルタレン座薬やロキソニンなどのNSAIDsでは十分な効果が得られなかったため、トラムセットの存在を独自に調べて、たまたま主治医のT先生の外来日以外の日だったので別の先生に処方してもらった事があった。しかしその効果もイマイチだったので、もしこの時処方箋の字が見えていたら別の薬剤をリクエストしていたかもしれない。

だがもはや処方されてしまったので、近所の調剤薬局で薬をもらい取り敢えず飲み始めた。ところがこれがあにはからんや、最初の服用2時間後までに痛みが和らぎ、それから6時間後の2回目服用後の夜は朝まで痛みが出なかったのだった。

トラムセットがドンピシャ‼️

翌朝も服薬後1時間少々で痛みが薄らぎ、30分遅れながらも5日ぶりに出勤出来た。仕事中はさすがに鈍痛が続いた時間帯もあったが耐えられないものではなく、それよりも強い痛みが出る事は無かった。

これは嬉しかった。あの痛みの苦しさが和らいだ事に涙が出るほど嬉しかった。

その後1日3回の服用を続けているが、K先生が処方日数を1日間違えたようで次の受診日まで3錠足りない計算になり、今日の公休日は1日1錠に節約せざるを得ない事態となってしまった。まあ、公休日はほとんど安静にしているから、痛みさえ出なけりゃそれでいい。

トラムセットは非麻薬性のオピオイド系鎮痛薬トラマドールとアセトアミノフェンの合剤で、NSAIDs系よりも鎮痛作用が強力な代わりに眠気や吐気などの副作用も出やすいのだが、私に限ってはそのどちらも出ていない。これは2年前に飲んだ時も同じで、痛みに弱い私のせめてもの強みなのかもしれない。

器質的な要因はほぼ無いにも関わらず強い痛みが出るのはまるで「ジジイの神経痛」なのだが、このまま気候も暖かくなれば気圧や気温の変化による影響もなくなり、また去年の春〜秋までのように平穏な日々が戻るだろう。その日が来るのを楽しみにしたい。

そんな事を目論んでいると、忘れかけていたがん細胞が目を覚ましたりするかもしれないんだよね、これが。

まあ人生、そうそう甘くはないよな。


またも悪魔の時間帯

半信半疑ながらもペインクリニックで処方されたデパスと牛車腎気丸の服用を始めた次の日は、仕事中に強い痛みもほぼ無くて、これは意外に効くのかもしれないなどと期待を抱いた。

それが淡い期待だったと思い知らされたのは、痛みのために延期していた免許証の更新にいつに無く寒いこの日に鮫洲試験場へ出掛けた時だった。

かつて二度ほど網膜剥離の手術を受けた右眼は矯正視力があまり出ないため、通常は左眼か両眼の視力検査に加えて視野検査を受けている。いつもなら問題なく終わるのに、この日の係員は何故かやたら厳格そうに結果にダメ出しをし、1時間眼を休めて再検査をすると言い出した。

おいおい、ただでさえ前歴1回で2時間も教習を受けなくちゃならない身、オマケに股間に痛みも抱えている身にそんな悠長な時間は無いぞと近くで立ったまま逡巡していたら、別の係員が声を掛けて来た。事情を話したらすぐ再検査をして無事合格。そりゃそうだろ、ゆっくり動かしてくれさえすれば見失うわけないのだから。

教員に訳を話してドアの近くに席を取り、狭い椅子に半ケツ座りで痛みを我慢しつつ何とか講義時間をやり過ごし、ようやく新免許証を手にして、これまた半ケツ座りで慎重に運転して帰宅したのだった。

・・・・・・・

ところが悲劇はその夜起こった。

かつて定義した痛みのレベル、
Level 1 : 排尿時痛のみ
Level 2 : 断続的な鈍痛または針刺し痛
Level 3 : 強い鈍痛+針刺し痛
Level 4 : 悪魔の時間帯(強い針刺痛の連続)
このところは仕事中でも悪くてもLevel 3止まりだったのに、何としばらく忘れていたLevel 4の悪魔の時間帯が夜半から不意に訪れたのだ‼️

断続的に襲われる強烈な膀胱の針刺痛。こうなるともはや横になる事も眠る事も叶わず、ただひたすらテーブルに突っ伏して痛みが過ぎ去るまで夜を徹して耐え続けるしかない。その間、20〜30分おきに少し尿が溜まって来ると別の痛みが出てそれを知らせるからトイレへ急ぐ。

運が良ければ途中で少し寝落ち出来るか、明け方以降に痛みが和らげば横になる事もできる事もあるが、この日は夜が明けようがダメだった。定期的なトイレとひたすら痛みに耐えて朝を迎え、さらにそれは日中も続き、遂には一度延期して貰った大学時代のクラブメンバーの会合へもドタキャンせざるを得なくなってしまったのだった。

こんな事態が来るのだったら、せめて前日に免許更新に行っておいて正解だったと思うのがせいぜい。今日からまたこの眠れない日々とどう闘っていくのか、ロクに戦力として貢献出来ていない仕事をまたまた休まざるを得ない。もちろん痛みが和らいだタイミングでペインクリニックを前倒し再診するつもりではあるけど、次の一手は期待に応えられる効果を示せるのか。

いずれにしても悪魔の時間帯の二日目がもうすぐやって来る。もう何度こんな日を迎えた事か。泣きたくなって来るわ。





覚悟を決めてペインクリニック

ボルタレン座薬、ロキソニンそしてカロナール。過去にトライしたトラムセットも含めて、経口鎮痛薬は残念ながら長引く強い膀胱痛に対してことごとく十分な効果は示さなかった。

痛みの発症には気圧の変化や気温の変化も少なからず影響があるだろうが、今はまだ低温日もあれば低気圧も来る冬季なので、自然回復にはしばらくかかると思われるので、ここで何とか次の一手を打たなくてはならないと切実に思った次第。

そして遂に今日、意を決してペインクリニックのある病院がちょうど外来日だったので仕事を休んで受診する事にした。でも今日はウチの店の新装開店後に初めて社長が訪店する日だという。私もヒキが良いんだか悪いんだか。

ペインクリニックの医師と言えば麻酔科医で鎮痛の専門家。この期に及んでこの痛みを鎮められるのなら本格的な神経ブロックも厭わない覚悟だった。もちろん今朝も持続的な痛みがあって運転は出来ないからタクシーを呼んだ。

主治医から紹介状はもらっていなかったのでまっさらな初診の手続きをして外来へと案内された。ここでも痛みのため座れず、立ったまま書類に記入しつつ順番を待つ。隣の耳鼻科は結構な患者が待っていたが、ペインクリニック外来は2〜3人程度だったのですぐに名前を呼ばれた。

予め調べていた通り、部長のO先生は必死にこれまでの経緯や痛みの状態を訴える私に穏やかに共感の言葉を言ってくれて、痛みにさほど関心を示さないT先生に比べてさすが痛みの専門家だと感心した。

「実は上下腹神経叢ブロックも覚悟して来ました」と言う私に、O先生が取った処置は経口薬物療法だった。まあ、最初から神経ブロックにはいかないだろうなと予測はしていたが、出された処方薬がデパスと牛車腎気丸だったのはいささか拍子抜けだった。せめてオピオイド系鎮痛薬くらい出しても良さそうなのものだが、よりによってデパスとは! でもそれがこの先生のセオリーなんだろうな、「まずは2週間飲んでみて下さい」と言われて頷かずにはいられなかった。

デパスが出されると言うことは、私のこの膀胱痛は器質的なものよりは多分に精神的な素因が影響していると言っているのと同様だ。とはいえ、これまでの長く辛い痛みがデパスごときで治まるとは私自身とても信じられなかったのも事実だ。

ともあれ、取り敢えず処方薬を2週間服用して再診となる。私の公休日の関係で次回は副部長のK先生に替わるが、カルテに「必要に応じブロック施行」と記載してもらったから、その時の状況次第で選択されるかもしれない。

ペインクリニックの門を叩いたのも初めてだし、神経ブロックは五十肩の時に軽いものを施行した程度。背中にしっかり針を通すような本格的なブロックは経験がない。だけど、この長い日々悩まされ続けた痛みから解放されるなら、いくら注射が嫌いな私でもそれを回避する理由はないだろう。

抗うつ薬を扱っていた前社時代に、長期投与による依存症のリスクであれほど敵視したデパスを自ら服用する事になるとは思いもしなかった。それでなくても添付文書上の効能・効果のほとんどに精神疾患に伴なう睡眠障害と記載されていて、鎮痛に関する明確な記載はない薬剤なのだから。

さて、そんなデパスがどこまでこの痛みに効果があるのかを確かめるためには、まずは騙されたと思って飲んでみるしかなかろう。なんだかんだ言っても、こう見えて私の服薬アドヒアランスは過去から現在までもほぼ100%なのだから。




原病の方は良いものの

さて、いたずらに長引く膀胱炎の痛みにはさらに苦しめ続けられている。

振り返れば、職場に出られた最終日は今週の月曜日。それ以降火曜は公休日、水曜と木曜の二日間は休み、金曜と土曜は公休日と有休(但し土曜は大学のクラブ関係の集まりだったがモチ延期)と、とうとう来週からの改装工事直前まで来てしまった。

しかもここ数日は痛みが夜に出たり、昼に出た痛みが夜も続いたりで、リビングのテーブルにクッションや枕を積んでソファに跪いて突っ伏して悶々と耐えている。しかも30〜40分に一度は少し溜まった尿による痛みが出るからトイレに行かざるを得ない。

ソファに尻をつけて座ったり、横になっりすれば痛みが走るからそれは叶わず、よってまともに眠れない。ソファに跪きテーブルに突っ伏した姿勢のままトイレを知らせる痛みが出て来る時までの束の間、寝落ちする事もあるがほぼオーバーナイトで朝を迎えるから寝不足も甚だしい。跪いている膝頭も痛くなって来るから時折ソファから足を下ろして立ったりしなくてはならない。

水曜日には抗菌薬の追加処方を得るため、主治医が休診日なので近医(それも耳鼻科!)に頼み込んだ。にも関わらず、痛みの出はさほど変化はなかった。

・・・・・・・

主治医診察日の金曜日も前夜からの夜通しの痛みで眠れぬ朝を迎えていた。だが、この日は朝の時間帯から不思議と痛みが引っ込み、午後からの診察に病院まで行く事が出来たのだから、我が身ながらよく分からない。

そこで聞いた尿細胞診の結果は何とclassⅢ‼️

検査入院までして探したclassⅤは、その時サンプリングした組織にも無かったし、仕切り直しのはずの今回の尿細胞診でも確認されなかったのだ。

膀胱炎が免疫を惹起して悪性細胞を叩いているという例の勝手な理屈がもしかしたら実践されているのかもしれないが。まあ、今後も月一で追跡検査は続くが、これがこの長引く膀胱炎の痛みに耐えで来た代償としたら決して悪くはない。いや、それくらいのご褒美があったって決してバチは当たらんだろ。

で、その診察の時にも抗菌薬の追加処方に加え、カロナール500mg錠も処方してもらった。カロナールはニューキノロン系抗菌薬と併用可能な鎮痛薬だが、これまではどうにも痛い時は併用注意も無視して坐薬や経口のNSAIDsを使っていたが、今回はカロナールの高用量を試してみようかと。

診察を終えて院外薬局で薬をもらって帰宅。ところが帰宅したらまた痛みが復活し始めたから堪らない。それから夜を通して痛みが続いたモンだから今日のお昼過ぎまでまたも眠れぬ時間を過ごさざるを得なかった。

・・・・・・・

今、正午を過ぎて痛みが治まりかけて来た。全くもってこの痛みの出方は理解不能だ。このスキにこのまま横になれれば睡眠時間を少しは取り戻せるのだが、うかつに横になると痛みが出始めるから安心出来ない。果たしてジクジクとはして来たものの、痛みの強さはそれほどでもないから、今のうちに寝ておこう。ま、またすぐに痛みでトイレに起こされるだろうけど。




も〜い〜かい?ま〜だだよ!

昨年の最終週に発症した膀胱炎が、実はまだ治癒せずに続いている。これも我が身の一つの記録として書き記しておく。

発症したのはクリスマス後あたり。すぐに病院は年末年始の休診というアンラッキーな期間だったので、その間はOTCの膀胱炎治療薬と多飲&多尿作戦で凌いでいた。最初は排尿頻度や排尿量も増えて菌を洗い流している感も得られたが、それでも無症状には至らなかった。

過去の経験から膀胱炎の痛みにもいろいろ種類があると知っていた。

まずは排尿時の尿が尿道を下りてくる時の痛み。閉じた道をまるでメリメリと押し広げられるような痛みは、酷い時は排尿直前にピークを迎えるから、思わず「う〜っ」と呻いてしまう。痛みの強さは別としても膀胱炎の主症状である「排尿痛」である。

対して、排尿後は膀胱の収縮に伴う痛みが生じ、ツーンとした強い痛みが走るから、それが終わるまでしばらく便座から離れられない。いわゆる「膀胱痛」である。

そして一番辛いのは、その膀胱痛の最たる痛みと言ってもいい、膀胱に針を刺されるような鋭い痛みが断続的に走る「針刺痛」である。これが出るとたちまち身体の動きが止まり、その場で堪えてやり過ごすしかない。だが、それが自宅で横になっている時にも唐突に出て来る。夜間に出ようものなら横になって寝ていられなくなる。

仕事中に出た時と同様にテーブルに両手をついて足を開いて立ったまま、数十秒毎に襲って来る飛び上がりそうな痛みを歯を食いしばってやり過ごしながら朝を迎えた日も少なくない。

いい加減にそれを繰り返していたら、だんだんそれが現れる場合の周期らしきものが分かって来た。日中は正午前後あたりから、夜間も午前0時より前から出始め、痛みが落ち着くまで数時間を要する。落ち着くまでは横になる事も出来ずに悶々とした時間を過ごすしかないから、ある意味地獄の時間帯となっている。膀胱内に尿が少し溜まると針刺痛が生じるから寝落ちもままならない。

もちろん、その時間帯以外に突発的に出現する事もあるが、この手の痛みは経験の無い人には実感としてピンと来ないと思うから、ひたすら孤独に耐えるしか無いのである。

この強烈な針刺痛は過去にも幾度となく見舞われた。それはBCG膀注療法の副作用によって強制的に惹起された膀胱炎で、その程度は確かに重症の部類に入るから、今思えばかなり強い痛みが現れてもおかしくはなかった。それだけ膀胱が痛めつけられた訳だから。その痛みのために休みがちになり、遂には休職を余儀なくされた事もあったし。

だがそれも2年前にとっくに終了し、昨年11月の検査入院でも組織的な異常は見られなかったのに「なぜ今ここで?」という気持ちで一杯だ。

例え朝方痛みも少なく調子良さそうに思えて今日こそはイケると出勤すれば仕事中に、さりとて自宅で横になって安静にしていても大抵は直前の排尿をきっかけにそれが現れると、痛みと共にそれ以上の失望感に苛まれる。「ああ、また来てしまったのか」と。これまで耐えて来た時間も報われなかった落胆、涙さえ出て来る。

こんなふうに淡い期待を抱いてはあっさり裏切られる日々を送っていると、確実に心が削られるのを実感させられると前回の記事にも書いた。

何も心配せずに時の過ぎゆくままに安静にしていられる日々を送れるならまだしも、医薬品関係の発注納品作業だけでなく薬剤師ならではの接客業務と、もはや慢性人手不足の職場への責任の狭間で少なからぬプレッシャーを感じるばかりである。

例えその日が公休日ならずとも「明日こそ行かなくちゃまた迷惑を掛けてしまう」「この症状が果たして明日は治まってるのかな」「行ったら行ったであの地獄の時間帯を過ごさなければならないのかな」と怯えつつ、一日も早く元の身体に戻って仕事に就くべきというジレンマを抱えている自分がいる。

まして今は下旬から店舗の改装工事が入り、その後のリニューアルオープンを控えている慌ただしい時期なのだ。訊けば、改装作業に入ってしまえば商品の撤去や再陳列は業者が行なうという事らしい。逆に言えばスタッフの出番はほぼ無いと言っても良いので、その期間に休みを取る事はさほど難しくはない。とはいえ、いくら何でもこんな痛みの日々をそこまで長引かせたくはない。

そんなこんなで、自分で自分の身体の状態や予後が分からない事が心の負荷の蓄積となり、遂にそれがオーバーフローしそうな予感すら覚えて来た。あ〜、いかんいかん。

「止まない雨はない」「明けない夜はない」と言われるが、一体いつまで待てばこの闇夜が明けると言うのだろうか。



ダークサイドを覗いたか

新年早々なのにこんな事を書いてみる。

TVを観て、ドラマでは俳優が悲喜こもごものストーリーを演じている。バラエティではタレントが楽しげに騒いでいる。スポーツでは選手が必死の眼差しで躍動している。

ふと部屋を見渡せば、そこに趣味のアコギや楽譜、いずれ観たいと買い込んでいた映画やライブのDVDや書籍が置いてある。

たが、今の私はそれらに対してこれまでのような興味も歓心も湧いて来ない。ただひたすらソファに横になっているだけである。

大晦日前に膀胱炎が勃発し、いったんは軽快したと思われたものの、元旦に母親宅へ行ってから痛みが大きくなり、ほうほうの体で何とか運転して帰宅した。最悪の年明けになってしまったのだ。

翌朝に至っても痛みは収まらず、遂には初出勤を欠勤せざるを得なくなった。翌日は公休日なので次の出勤日は二日後だが、それまでは痛みの再発を恐れつつ安静にしている。

ふと心が呟く。

目に入る自分以外の人達はそんな痛みなど無縁で皆楽しそうに動いている。方や自分は…。

ひたすら飲み続けるお茶と頻回の排尿、そして安静のおかげか、現在膀胱炎は沈静化しているように感じる。だが、いざ出掛けようとするとまたも痛みが勃発するという経験をこれまで何度もして来たから全く安心出来ない。体調はその時になってみなければ分からないのだ。

そんな気持ちを抱えて再び目に入って来る自分以外の人達の楽しそうに動いている姿。方や自分は…。

心が呟く。

もしかしたらこれって精神的な病み、すなわち鬱というものなのか。

かつて向精神薬を学んだ時、鬱なんてどれだけ心が折れたらなるのか、多分自分のようなキャラは一生縁はないだろうななんてうそぶいていたのを思い出す。

だが今、その入口に立たされた感触というものが分かるような気がする。最悪全摘が待っているかもしれない持病との闘いに加え、ここ数ヶ月繰り返している膀胱炎もいまだ終わりが見えない。

一方で携わっている仕事は私がいなければ出来ない業務内容があり、ただでさえ人手の足りない現状では他のスタッフに迷惑を掛けるだけ。もちろんお店を訪れるお客さん達にも。

その日にならなければ分からない体調、先の見えない持病の予後、休むほどに迷惑を掛ける職場。こんなメンタルを抱えていては見るもの聞くものに興味や歓心を抱けるはずもない。興味や歓心は自分に余裕があってこその感情なのだ。

これが高じると、きっと周りどころか自分自身さえ否定してしまうのだろう。こんな自分なんて存在する意味なんてあるのか。いや、存在すべきではないのだ、と。

今はそこまでの感情が芽生えはしないし、鬱の入口の自覚と共にそれを第三者的に観察出来ている間は鬱のダークサイドに足を踏み入れてはいないと言えよう。期せずしてダークサイドを入口から覗いてしまったかもしれないが。

逆にひとたびこの入口を超えてしまうと、おいそれとは外へ出て来れないだろうなという予感もする。ここを超えてしまう人はきっとその自覚を持つ余裕もなく気がついたらスッと入ってしまったのかもしれない。先の見えない不安は確実に人の心を削って行き、いつしか心の負荷の蓄積が許容量をオーバーフローしてしまったという事だろう。

鬱という病態が科学的には脳内の神経伝達物質の異常であるゆえ、病態が固定されてしまえば向精神薬の助けも借りつつひたすら心を解き放って休養を取る以外に回復する術もないという理屈も今なら容易に理解出来る。

私にとって今一番の問題は膀胱炎の強い痛みからの解放の時である。それがいつ訪れるのか。いつまで繰り返されるのか。おかげでいつのまにか肝心の膀胱がんの悪性細胞も何処かに行ってしまった感じだ。だがその闘いが終わったわけでは決してない。そんなこんながある限り、僅かずつであっても心は削られ続けているはずである。

ついぞ鬱なんて縁のない人間だと信じて疑わなかった私が、これほど唐突に鬱を意識させられるほどの日が来るとは思わなかったし、こうなると鬱はいつでも誰にでも口を開けている疾患だと認識せざるを得ない。まさか自分だけは、は単なる奢りに過ぎないのだろう。

とまあ、ここ最近の思うところをつらつらと書いて来たが、こんな事を書いていられるくらいだから、どうやらまだまだ私は大丈夫だ。そして切に思う。

明日は今日よりせめて少しはマシであれと。


毎月膀胱炎

検査入院の結果にはまずまずホッとしたところだが、それとは別の困った問題が起き続けている。

それは膀胱炎。しかもここ10月〜12月の3ヶ月間ほぼ毎月発症し、そのたびに仕事を休まざるを得なかった。最近ではこの7日間余り。仕事も土日の人手が少なく忙しいタイミングだったから同僚にも迷惑を掛けてしまったので心苦しい。

なぜこうも頻発するのか?

普通に考えれば、冬に向かい身体が冷えて抵抗力が低下して風邪を引くように、冷えによって骨盤内の血流量が減少し膀胱内で細菌が繁殖しやすい環境になったせいかもしれない。

カミさんによれば、暑い夏とは違って寒くなって来ると水分摂取量が少なくなって来る。すると何らかの理由で膀胱内に入り込んだ原因菌を洗い流す十分な尿量が得られず、かつ排尿回数が減るために膀胱内の残尿によって逆に菌の繁殖が促され膀胱炎を発症するという。

膀胱炎は膀胱や尿道に痛みを発生させ、強い排尿痛を伴なうからトイレを遠ざけようとついつい水分摂取を控える。その結果、ますます症状が悪化する。治療は医学書的にもカミさん的にも、細菌性膀胱炎には抗菌薬と1.5L/日以上の水分摂取による尿量で菌を洗い流す事である。但し、抗菌薬は安易に使うと耐性菌を生じさせるため、大量の水分摂取が基本だと。

だが、現実に断続的に襲って来る強い痛みに苛まれている状況で、敢えて大量に水分を摂って、これまた強い痛みを伴なう排尿を頻繁に行なうのはかなりの抵抗感がある。そんな苦行をするよりもこのまま横になって安静にしていれば、おっつけ痛みは寛解するのではと期待してしまう。

だがそうではなかった。

お守りとして持っていた抗菌薬を早めに飲み始めたものの、4日間の服薬もかなわずその後に強い痛みがぶり返した。そして公休日+2日間の休みを余儀なくされたのだった。

我ながらホントにバカだと思うが、事ここに至ってようやく大量飲水を覚悟し、昨晩からひたすらペットボトルの水を飲んでは痛みに耐えて排尿を繰り返した。それは1〜2時間おきに夜を徹して続いたが、やがて痛みが緩解して来るのが感じられた。出血が見られた時はアドナ&トランサミンで凌いだ。

そしてようやく強い痛みからは解放され、念のため今日も大量飲水を継続して明日から仕事に復帰出来るという目処が立った。

今後は職場の休憩室だけではなくBYにもペットボトルを置いて、普段からグビグビ飲んでは排尿に勤しんで膀胱炎の予防に努めなければならないと決意した次第。

結局、過去の膀胱炎でも積極的に大量飲水をしていれば辛い痛みを発生させずに終わっていたかもしれない。事ほど左様に、酷い目に遭わなければ対処を変えられないビビリの私が膀胱炎悪化の最大の原因だったというワケだ。orz




消えたぁ?

本日は検査入院の結果を踏まえた外来。

10月の尿細胞診で出たclassⅤの悪性細胞の居所を発見するべく、先日の検査入院で膀胱内から6ヶ所、左右尿管から各1ヶ所の組織をサンプリングしていた。

カミさん同席の上で主治医のT先生からのお告げを待つ。サンプリングした組織のいずれかからclassⅤが再検出されれば、今度はそれに対する治療方針が語られるはずだった。最悪、腎・尿管全摘となる。

ところが結果は、あにはからんやいずれもclassⅡ以下の判定‼️

すなわち細胞の一部異型は認められるが悪性度は認められないという、いわば「シロ判定」だったのだ。その時に観た膀胱は相変わらず綺麗なままだったそうだから、classⅤがいるとすれば尿管組織だろうとT先生も当たりをつけていたようだが、それも良い意味で裏切られた。

でもこれってどういう事?

サンプリングした組織で検出されなかったという事は、犯人はまだ網にかからず逃亡中か、はたまた何らかの理由で忽然と姿を消したかのいずれか?

実はこの結果は、決して私の想定外ではなかったのである。以前も少し書いたが、それはこうだ。

初発ならいざ知らず、二度も再発しBCG膀注療法も行なって来たプロセスの中でその度に感作されたリンパ球は、異型度の高い細胞に対して「非自己」を認識する免疫情報を獲得したのではなかろうかという仮説である。とはいえ特にエビデンスがあるわけじゃなし、言ってみれば「根拠のない自信」のようなものだけどね (^^;)

仮説を続けよう。免疫を獲得したリンパ球は、classⅣまでだと「自己」と「非自己」の区別は曖昧なため攻撃するまでには至らなかったかもしれない。だが悪性度の高いclassⅤに対しては「非自己」と認識して攻撃するようになり、その結果、まだ腫瘤を形成する前の極めて少ない細胞数であった事も幸いし排除されたという理屈だ。

・・・・・・・

私の膀胱がんは、前立腺炎を疑っていた6年前の発見時から超早期発見で、その都度TUR-Btにより外科的治療を受けていたから、芸能人が命を落としたような膀胱壁を突き破るような腫瘤が形成されるはるか手前で処置されて来たし、もちろん周辺リンパ節や多臓器への転移も生じる事はなかった。

今回も、もしこれが初発だったらそれを疑わせる症状はほとんど見られなかったから、たぶん受診にすら至っていなかっただろう。その間に密かに芽生えたclassⅤが増殖し、気づいたら腫瘤を形成し進行していたという事態になっていたかもしれない。今回のclassⅤも超早期の段階での発見に至ったのは定期的な追跡検査の賜物だと感謝している。

一方で、どこかに身を潜めていたclassⅤが、実はこの先ジワジワと増殖して悪さをするかもしれない可能性はもちろん捨てきれない。その予測は当然あり得るし、それが臨床上は普通なのかもしれない。

今後は今まで通り、定期的な尿細胞診とCT、膀胱内視鏡を淡々と行なっていくのみである。いよいよのXデーがいつ到来するのかは全く見えないが、生きていればまた何かが起こっても不思議はない。それまではこの幸運に感謝しつつ、これからの日々を送って行こう。…なーんて殊勝なセリフは今さら私らしくもないけどね (^^)




サンプリング終了

今回の手術も前回同様に眠っている間に全てが終了し、あわよくばそのまま楽にあの世に行けるマイケルジャクソンコースとはならず、またも無事にリバースし、我が身はこの世に連れ戻された。

今回は治療目的のTUR-Btではなく、手技は同じだが膀胱内部と腎に繋がる尿管の組織のサンプリングにより先日の尿検細胞診で見つかったclassⅤの異型細胞の居所をサーチする検査目的だった。もしかしたら新たに採用されたという2mm径の尿管用の極細内視鏡の試験台も兼ねてかもしれないけど。(^^;)

主治医のT先生が万一忘れているといけないので、術前日に術後の尿カテはいつものように細いものを使って下さいと念を押していたのに、実際に装着されていたのは前回までのものよりランランク太いものだったのが唯一の不満だった。きっと前回使ったケージ数を忘れたな。

それでも初めてTUR-Btを経験した病院で入れられたサイズのものよりもまだ細かったから、あの夜をまんじりともせずに過ごす事を強いられた挿入部の痛みを伴った感触と不快な違和感には遠く及ばず、まだまだ許容範囲だったから、まあ許すとしよう。(^^)

・・・・・・・

いずれにせよ片手に点滴ライン、真ん中に尿カテと、ベッドに横になっている体位にも自ずと制限がかかるため、マットの硬さとも相俟って脇腹や腰のあたりが痛くなり、ウトウトしても短時間で目が覚める。それでなくても脳外科と共有病棟なので、夜中に呻き声やナースコール無限連打などの音でも起こされるから堪らない。入院するたびに大なり小なりこういう患者さんがいたから、これは脳外科患者さんのpost stroke症状なのかもしれない。

かといって昼寝しようとしても血圧体温測定、点滴交換、食事配膳、室内清掃、主治医や薬剤師とひっきりなしに誰かが入って来るのでおちおち寝てもいられない。廊下では夜間のナースコール無限連打の婆ちゃんが大声で何か喋ってるし。実は入院生活って決してのんびり落ち着いてはいられないのだ。

結局ほぼ一日中横になってはいるものの、その実ジワジワと睡眠不足が蓄積されるというハメになるのだった。

今回は術後三日目に尿カテを抜くのでいつもよりも一日ほど早いのだが、抜いた後に身体を曲げ伸ばししてもなぜか左腰の辺りだけがシクシクとした痛みが残った。確かT先生が、左の尿管に内視鏡を入れた時、右よりも出血を見たと言っていたので、たぶんそのせいと思われるが、なまじこの部分の痛みゆえに急性腎炎か水腎症の発症かと一瞬ドキッとした。

毎回術後に入れてもらうボルタレン座薬で間も無く鈍痛は治まったので、膀胱炎の極期の強烈な針刺痛にはあまり効かなかったボルタレン座薬もこのくらいまでの痛みには十分奏功する事も改めて体感したから、今後のペインコントロールのための目安が増えたのは有意義だった。

・・・・・・・

というわけで、今回の入院手術は検査目的だったため侵襲も少なく、予定よりも一日早く退院出来たので、職場復帰予定日の前々日と前日をゆっくり自宅で過ごす事が出来た。やはり自宅のベッドは嬉しい。病院のベッドに比べて遥かに身体に負荷がかからないから心身共に癒される。死ぬ時は自宅のベッドで死にたいという声はこんな理由もあるのかもしれない。

安心してばかりもいられない。今度は組織サンプリングでclassⅤの居所が掴めたとしても、それをどう排除するかという治療戦略が問われる事になる。T先生は膀胱は相変わらず綺麗だったと言っていたから、居所は腎に繋がる尿管かもしれない。とすれば尿管転移という事になり、良くて放射線や尿管切除&吻合、悪けりゃ腎ごと摘出となる事も考えられる。

サンプリングした組織には既にclassⅤは消滅していたなんて夢も見たが、こちらが何をどう夢見ようが、近いうちに冷酷にも断は下される。いずれにせよ膀胱全摘が免れても今度は片腎全摘の可能性が出て来たと言えるが、全ては次回の外来での検査結果を踏まえたT先生の意見を待つ事となった。

どうやら行く道にまた霧がかかって来たかな。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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