選択できること 選択したこと

「人生で一番泣いた日です」というあまりに悲しい言葉と共に市川海老蔵が愛妻小林麻央さんの死去を23日に発表した。享年34歳だった。

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私の34歳当時と言えば、サラリーマン最後の転職をしておよそ1年経った頃、そして2番目の息子が生まれた頃である。身体的にも絶好調で営業職をバリバリこなしていた時期でもあった。

それまではほとんど病院のお世話になった事は無かったが、その数年後に網膜剥離を罹患したのが最初の本格的入院手術経験で、その後の名古屋転勤時にも再度網膜剥離の入院手術を経験した。

さらにその10年後に股間の違和感を契機に膀胱腫瘍が発覚したが、幸い早期だったためTUR-Bt(経尿道的内視鏡切除術)の適応だった。もっとも、その時の病院の診療科医師達の対応に不満があったため、退院後のフォロー診療は受けなかった。

もともと膀胱腫瘍は再発しやすい。案の定2年後に別の部位に再発を来して再度TUR-Bt。ただし、今度はその診断をした開業医の後輩が部長を務めている別の病院を紹介してもらった。

そこで病理診断とガイドラインに基づいてTUR-Btを二度受け、さらにその後に術創部出血によるAUR(急性尿閉)も発症したので、短期間に都合3回も入院するハメとなった。こうなるとほとんどの病棟看護師と顔なじみになるという、決してありがたくない常連患者となっていた。

退院後しばらくして開始したBCG膀注療法の副作用による膀胱痛に悩まされること足掛け2年、今年6月の声を聞いたあたりでようやく膀胱痛も排尿痛もない無症状に至った。

まだまだ再発の不安とフォロー検診が必要な時期であるのは確かなのだが、今のところ、少なくとも発病以前の状態に戻った事は嬉しい限りだ。いやあ、ここまで来るには我ながら長く辛い道のりだったとしみじみ思うのである。

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このように私あたりの入院手術治療のプロセスを辿っても、治療継続中の転院はおろかセカンドオピニオンを求める間も無く、一般と同様のいわゆる標準治療を受ける事が既定路線だった。それが当然といえば当然なのだが。

麻央さんの場合は、今から3年半前に夫と受けた人間ドックで乳房に腫瘍が見つかったという。乳がんの確率は五分五分と言われたようだが、そこは政治家や芸能人の御用達病院で有名な赤坂山王病院。それゆえ決していい加減な見解などではなかったはずだ。

その後に受けた再検査は、セカンドオピニオンの意味もあったのか東大の主要関連病院である虎の門病院だった。彼女は授乳中だった事もあり、ここでも確定診断には至らなかったという。

2つの病院の一流の専門医がいずれも確定診断を下さなかった事が、彼女にある意味必要以上の安心感を与えてしまったのかもしれない。家業の繁忙も相俟って、指示された再検査時期を2ヶ月も超えた8ヶ月後の検査でついに乳がんの告知に至ったが、その時にはすでに転移も生じていたという。これが2年8ヶ月前の事だった。

この告知から海老蔵の会見による公表までの1年半の間、彼女はいわゆる標準治療と呼ばれる抗がん剤治療と外科治療を拒否し、それを勧めた虎の門病院を去った。そして鹿児島のクリニックでナンチャラ四次元放射線治療やナンチャラ水素水の免疫療法などを受けていたという。

1年半後、今度は聖路加病院で検査を受けた時には遂に肺転移と骨転移も併発したステージⅣとなってしまっていたのだった。

その後は緩和ケアを受けていたようだが、なぜか聖路加病院から慶大病院へ転院。治療目的は定かではないが、そこで標準治療を受けたようだが、残念ながら時すでに遅く、最期の時を自宅で迎えられるよう自宅療養として退院した。その1ヶ月足らずの後に息を引き取ったのだった。若さゆえの進行の速さだった。

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彼女のこの一種華麗とも言える治療歴は、我々のような一般人にはとても選べないし辿れるものではないだろう。普通なら最初に疑われた段階で精密検査に移り、確定診断が下されたらそれを受け入れ、直ちに標準治療を開始していたはずである。選択肢があるとすれば、せいぜい治療を受ける病院をどこにするかくらいである。

だが幸か不幸か、彼女のもとにはさまざまな情報や多方面に及ぶツテが集まって来たのだろう。それが選択肢を徒らに増やし、標準治療を勧めた専門病院などを拒否してしまえる環境を作ってしまったのではないかと思われる。

他ならぬ自分自身の事なのだから、選択肢が多いというのは必ずしも悪い事ではないはずだ。だがその半面、川島なお美さんの場合のように選択肢があるだけについつい自分の望む形に近いものを選んでしまうのも人情だろう。

「たぶんそれほど悪い状態ではないだろう」
「切らずに治せるならそうしたい」
「この治療法ですばらしい効果があったと聞いた」
「ここから奇跡が起こるかもしれない」

自らが選んだ結果だと言ってしまえばそれまでだが、初めて疑いが持たれてからたった3年半で帰らぬ人となってしまったのは本人は言うまでもなく、家族にとっても極めて不本意な転帰だったに違いない。合掌





悪魔は突然やって来る

定石からすれば遅いくらいなのだが、そろそろ我が家の外壁修繕の時期だなと思ったのは去年の事だった。同時期に建った両隣りのご主人も同じ思いで、それなら三軒いっぺんに済ませてしまえば足場の共有などでコストダウンになるメリットが生じる。

ではその線で行こうとなったのも去年の事だったが、年が明けても相見積もりはおろか、施工業者の候補すら出て来るでなし、事実上ほとんど進展がなかった。三軒とも結構のんびり路線だから、案の定、お任せで放っておいても物事が進むはずもなかった。

という事で、私の方で複数社に見積もりを依頼できるWebsiteに申し込み、先月下旬に一社、今月上旬にもう一社に実地調査に来てもらって見積もりを依頼した。二社の見積もりが出揃ったら叩き台として両隣りに提示する予定でいる。

二社目が実地調査に来た10日、その日も寒い日だったが、一社目と違い、先方が一人だったので屋上や周囲の検分に小一時間も付き合った。身体もかなり冷えたに違いないが、ま、それでもこれで修繕計画は大きく前進するだろう。

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いやいや、それがいけなかったのか、その2日後から突如として膀胱炎様症状が勃発した。以前から尿道炎の症状である排尿時の痛みはあったが、膀胱自体に痛みはなかったので平和に過ごしていた。それが、排尿後を中心として膀胱の不随意収縮時に針で刺される様な鋭い痛みが発生する様になってしまったのである! 例の「ツーン」の極期の痛みだから堪らない。

思い起こせば去年のちょうど同じ頃、BCG膀注療法の最終回直後に勃発し、その後約半年間も苛まれたあの症状である。日にちもほとんど同じと来たモンだ!

BCGも終わって一年も経ったというのに、なぜ今これが?

冷静に考えた。一つは、元々くすぶっていた炎症が、寒さによって何らかの感染を引き起こして再燃した。もう一つは悪魔の腫瘍の再発である。どちらにしても悩ましい。

偶然か幸運か、去年の9月以来の膀胱内視鏡検査の予定が本日入っていた。継続受診している主治医のT先生から、尿検査だけでなく、もういい加減に中を見ないと心配だと言われ、泣く泣く入れた予定だった。でもこの際、痛みの正体を見極めてやるためにもシロクロはっきりさせてやろうじゃないかと覚悟を決めて行って来た。

前回同様に、リアルタイムにモニターを見ながらT先生から説明を受ける。膀胱内部のほとんどは綺麗だったが、やはり片側の出口部が赤くなっていて炎症を起こしている。あの針刺し痛の元凶がここだ。T先生見立てでも、ここは炎症止まりで腫瘍の再発は認められないとの事だった。

一応ホッとはしたものの、ならばこの痛みはどうする?

痛み止めを貰いたくて予定外受診をした先週、尿検査で大腸菌が確認されて抗生剤も処方された。治療はそれをもう一週間続ける事くらいしかなさそうで、痛みとの闘いは去年同様に当分続くのかねぇ。起炎菌に大腸菌が絡んでいるという事は、大腸菌が経尿道的に侵入し、尿道と膀胱で増殖し炎症を起こしているという図式だ。

だからまずは抗生剤で菌を叩き、炎症を沈静化させるしかないから仕方ないのだろうが、ソファに寝転んでいる時は比較的平和だが、店で立ち仕事をしている時は、頻尿と排尿痛と膀胱の不随意収縮による針刺し痛が、日々、程度の差こそあれ文字通り不随意に襲って来るのである。今回はBCGによる炎症が加わっていないだけマシとも言えるかもしれないが、この強烈な針刺し痛にはロキソニンが効かないのは去年も経験済みで、それがまた悲しく悩ましい。

もしもこれが悪魔の復活である腫瘍再発が原因だったとしたら、手術療法でこの症状は改善するだろう。しかし悪魔の復活こそなかったものの、それゆえ薬物療法のみしか手立てのない以上、痛みに苛まれる日々はまだまだ続くのだから、これもやはり悪魔だ。とすれば、何がラッキーで何がアンラッキーなのかも正直分からなくなって来る。





リスクファクター

まずはそのまま検査袋へ呼気を吐き出す。続いて一錠3500円也の錠剤(13Cでラベリングされた尿素)を飲んで横臥位で待つこと5分、さらに座位で15分待って再び検査袋へ呼気を吐き出す。この2つの検査袋に呼気排泄された二酸化炭素を比べてピロリ菌の有無が判定される。一昨日、主治医による定期検診を兼ねてこの呼気試験をしたのだが、本日、その結果を聞きに胃カメラ検査をしてもらった先生の外来を受診した。

この先生には過去に大腸ファイバー(CF)もしていただいた。その時も今回の胃カメラの時も苦痛をほとんど感じさせないほどウデは確かなのだが、自分の話の途中で患者が質問をするのを良しとしないタイプだという事も学習していたので、先生の話が終わるまでは相槌以外は口にせずに黙っていた。結果は、2年前の血清検査時に19.6(カットオフ値<10)だったものが、0.7(カットオフ値<2.5)と見事に除菌成功!

先生曰く、再感染する確率は極めて低いから今後のピロリ菌検査の必要はない、胃カメラの胃炎所見も治癒していくでしょうとの事。ただし胃がんについては人間ドックのバリウム検査では分からないから、年一度程度は胃カメラで確認した方が良いとも。いいえ先生、無事確認のための胃カメラなんてもう結構ですわ。

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思えば昨年から今年の前半は痛みとの戦いの日々だった。BCG膀注療法による膀胱・尿道炎のせいだが、何せ歩くのも座るのも排尿するのもいちいち膀胱痛に襲われ、仕事中でも思わず立ち止まって膝に手をついて痛みをやり過ごした日々が半年以上続いた。その苦悩の記憶が褪せていないゆえ、今度は普通に動ける事のありがたさに心から感謝する日々である。

3ヶ月前の膀胱鏡による膀胱がんのフォロー検査でも異常が無かったので、これで我が身に巣食っていたがん細胞とピロリ菌という、ヘタをすると生命に関わりかねないリスクファクターがひとまず失せたというワケだ。メデタシメデタシ。このお祝いとクリスチャンでもないのに一足早いクリマスを兼ねて外で晩飯でも食おうとカミさんが言うので、寒くもなさそうなのでそうする事にした。

そのカミさんから最近、車の箱替えの話が出てくるようになった。車なんて動けばいい主義のカミさんからそんなセリフが出て来る事自体が青天の霹靂だが、私としてはまだまだ今の愛車に乗り続けたいと思っている。乗り換えたい明確な車があるじゃなし、今の車にはナンダカンダと手を入れてるし。安易な箱替えはそれこそリスクファクターだ。

とは言うものの、せっかく財務省に提案されたからには検討しておくのも悪くない。カミさんも新車なら高価な外国車も2〜3年経てば相当安くなる事を認識したようで、そのセンを狙ったらなどとも言う。次が生涯最後の車になるかもしれないからね、とも。

私のイメージとしては、子供も独立して夫婦二人の生活というのを前提とすれば、今の車もそうだが、ここは大人のクーペスタイルを貫きたい。さりとてウチの地元の道路環境では大型車は取り回しは苦労するだろうから、せいぜい4mチョイ×1.8m程度までのサイズとなるだろう。メルセデスならCクラスクーペかSLKあたりまで、BMWならZ4か4シリーズあたりまで、プジョーなら208CCか308CC、アルファならジュリエッタ、VWならビートルターボ、国産車ならいっそロードスターRFか? まあ、純粋な2シーターでいいと割り切れるかどうかは怪しいが。いずれにせよ、結論を出すのは当分先である。

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そう言えば、これまた最近、大学のクラブ(その名も何と生化学研究部、略して生研!)の先輩からFBを通じて40年振りのお誘いがあった。先輩曰く、卒業後の私の行状が何かと落ち着かないように見えたので、しばらく距離を置いていたという。そうこうしているうちに40年が過ぎ、その後、FBの投稿などを見ていて落ち着いたと判断し声を掛けようという事になったらしい。

おいおい、私ってそんな風に見られてたワケ? もっとも先輩達から見たら、現役時代から私自身がある意味リスクファクターだったのかもしれないけど。

遠いあの頃、週のほとんどを生研の部室でダベったりギターを弾いたりして過ごし、あるいは馴染みの居酒屋で酒や麻雀に明け暮れ、当時4年生の先輩宅に転がり込んでは泊まっていた。その一方で、3年生で習う生化学の教科書を先輩方が週2回ゼミ形式で解説(これが部活動のベースだった)してくれたおかげで生化学という学問に興味を持て、そのおかげで数学、物理が大嫌いな文系人間だった私は留年もせずに卒業出来、国家試験にも合格出来たのだった。私にとって生研は、まさに遊びと学びの巣窟だった。

そんな人達との正月明けの再開を大いに楽しみにしたい。





初呑み胃カメラ

前社時代から人間ドックと定期検診でお世話になっているP診療所。本日も朝イチに車で乗り付け、受付開始後に採尿、採血を済ませたところまではいつもと一緒だったが、今回はそこからが違った。

生涯初の胃カメラを呑む日なのである。実は数年前からピロリ菌が陽性と言われていたが、膀胱腫瘍のあれやこれやで除菌処置を野放しにしていた。ここへ来て、それらがひと段落したので、前回の検診時に主治医の勧めで保険適用の確定診断のための胃カメラと相成ったワケである。

そうは言っても、若い頃から自他共に認める「鉄の胃袋」の私が、おいそれと胃カメラなんかを呑むのは抵抗があるし、胃カメラだけは呑まないというヘンなプライドもあった。何より決して楽な検査ではないとの経験談も聞いていたので、当然ビビリーな私は心中穏やかではなかった。すると主治医は、つべこべ言う私に殺し文句を浴びせたのだった。

「せっかく苦労して膀胱がんが良くなったのに、この先胃がんなんかに罹りたくないですよね」

以前の大腸内視鏡検査といい、ここは人の弱みに付け込んでは搾り取れるだけ搾り取り続ける高利貸しのような診療所か!

とはいえ、言われてみればもっともなお話で、渋々ながら検査予約をしたのだった。

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検査は大腸内視鏡の時と同じS先生。S先生は「白い巨塔」の大河内教授(古!)のような寡黙な研究者という雰囲気の先生だが、腕が良いのは前回の大腸内視鏡の時に体感しているから、そこは大いに安心出来る。

検査前にはバリウム検査同様にアトロピンの筋注、さらに胃内の泡を消すための消泡剤と咽喉頭部用の麻酔薬を飲まされる。麻酔薬は硬めのゼリー状で苦味を感じ飲み難い。次第に舌や喉の感覚が鈍くなって来るのを覚えた。それでも大腸内視鏡検査の下剤大量服用よりは数倍マシな検査前処置だった。

やがて検査室に呼ばれ、鼻呼吸の説明などがあって、麻酔スプレーを喉にかけられ、いよいよマウスピースを噛んで内視鏡挿入!

きっととんでもない異物感に襲われるだろう、果てしない苦痛との闘いだろうと此の期に及んでもビビッていたけど、さにあらず。喉や食道をモノが通過する感触はあったものの、痛みなどはなくカメラは驚くほどスムーズに入って行った。

その様子が目の前のモニターに映し出されるのだが、大腸内視鏡や膀胱内視鏡の時と同様、相変わらずウットリするほどに美しい器官が目の前に展開された。きれいな肌色の管で、細血管とのコントラストが映える。消化器を「管」とはよく言ったモンだと改めて感心する。

カメラは奥の十二指腸から逆行するように進み、幽門、胃底、胃角、噴門、食道へと遡って行く。モニターの映像を見る限り、素人目にも腫瘍はおろか、潰瘍痕などの異常は見られなかった。事実、組織採取は無かった。ただ、胃粘膜全体がやや紅くなっており、S先生からもそこを指摘された。

「全体に慢性胃炎のような荒れがありますな。これはピロリ菌による症状かと思われるので、除菌対象となります」

これで健康保険適用への段取りは無事整ったのだった。検査時間、わずかに5分足らず。ああ、これで全ての穴に内視鏡を突っ込まれたという事だな。

その後、主治医との各種の検査結果を挟んでの外来診療。前回の診療時にも驚いたが、いや〜、ほとんど全ての検査値がことごとく正常範囲内に収まっているじゃあ〜りませんか! 残すはなかなか下がらない難関のγGTPだが、これとて前回の500後半から300前半へと大幅改善していた。一時は2000超えの時期もあったのだから、それに比べりゃ大改善と言っていいが、もっとも、それでもまだヒトケタ高いけどね。

除菌には明日から一週間、2種類の抗生剤と1種類のPPIを朝晩服薬し、服薬終了1ヶ月以上後に呼気検査により除菌の可否を判定するそうだ。これでうまく除菌できれば、当面は膀胱腫瘍再発以外のリスクはほぼほぼ無くなると言っても過言ではなかろう。

昨夜、アウェーでオーストラリアに引き分けた崖っぷち日本代表がワールドカップ出場へ望みをつないだし、私も是非是非これにあやかりたいモンである。





魔の日の次は歓の日!

昨日、外来検査担当のナースのオバちゃんが「検査機の洗浄と消毒に5分位かかるから、もう少しお待ちくださいね」と申し訳なさそうに言うから、「いえいえ、ごゆっくりやって下さい」と答えた私。そう、この日は去年の術前検査以来の膀胱内視鏡によるフォロー検査、できれば永遠に迎えたくなかった「魔の日」である。

術後の経過、特に再発のチェックのために尿細胞診と共に定期的に行なうべき検査で、本来はBCG膀注療法終了後から開始される。概ね3ヶ月毎に5年間に渡ってチェックして行くとあるが、私の場合は2ndTUR-Btと急性尿閉の処置入院などとBCG療法の副作用である膀胱炎による膀胱痛が長引いたたため、尿細胞診のみで術後約1年のここまで延期されていたというワケである。

何せ去年の術前検査の時は、この病院は硬質ファイバーの内視鏡だったため、結構シンドい思いをした記憶があった。その時の私の悲痛な声のせいかどうかは知らないが、その後軟質ファイバーの内視鏡が採用された。だが、膀胱と尿道に痛みを抱えていた私は頑なにそれを拒んでいたのだった。

だがついにその日が来てしまった。

膀胱痛こそ消失したものの、排尿開始時の尿道痛はまだ残っている身に、軟質とはいえ内視鏡を突っ込まれるなんて想像しただけで震えが来る。だが一方で、経過良好を証明するチャンスでもある。やはりここは忍の一字だわ。

最後のBCG療法から半年間も悩まされた膀胱出口部の様を是非ともリアルに見たいと思い、主治医にその旨を告げた。T先生は「モニターを見ててもいいけど、何かあってもそのまま見えてしまうよ。私も、あっと言ってしまうかもしれないし」と半ば脅かすような事を言うが、こっちにも意地がある。後学のために一度くらい自身を長く悩ませた部位の現況をこの目に焼き付けてやりたいという気持ちが強かった。

「構いません。もしまたヒラヒラと再発していたら東尋坊へ行くだけですから」と本人は決して冗談ではないのだが、敢えて冗談ぽく返した。そしてゼリー注入。実はこれが一番尿道に抵抗を感じた。内視鏡自体はほとんど痛みすら感じさせずに膀胱へ入って行った。

そして映し出された膀胱内部の画像。

小さな臓器のはずなのにモニター越しにはかなり広い空間が広がっていた。全体的に白っぽい膀胱の内壁に細かな赤い血管が網の目のように走っていた。生物の器官って綺麗だなとつくづく思う。肝心の術部である出口部は、さすがに高度な炎症が長期間持続していたためかほんのりと赤く、だが表面は他の部位と同様に滑らかだった。ああ、コイツのおかげで私は半年間も膀胱の不随意収縮による痛みに悩ませ続けられたのか。ある意味感慨深かった。

検査終了時に少量の出血を見たが、これはまだ続いている尿道炎のためだろう。ナースのオバちゃんから女性用の生理ナプキンをもらってパンツに貼り付けて終了。

腫瘍再増殖が認められなかった事に気を良くした私は、検査後の外来診療時に、次回の内視鏡は半年後あたりでと言ってみたが「そんなのダメです。規定通り3ヶ月後です」と一刀両断された。あくまでも尿細胞診と併行してチェックしていかなくてはならないそうだ。憂鬱

ともあれ、これでまずは一安心。

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開けて翌日。

クローザー中崎の150kmを超すボールが唸りを上げてバッター亀井に向かって行った。

6-4で迎えた9回裏の東京ドーム巨人戦。M1となった広島カープはこの試合に勝てば25年ぶりの優勝である。それもこの2位巨人に15ゲームという大差をつけてのブッチギリ優勝だ。

江川事件や桑田事件、他チームの四番引き抜きなど横車を押して来た金持ち球団と親会社を持たず市民のカンパで頑張って来た貧乏球団が最後に対戦したのも何かの因縁だろうか。それゆえ40年来のアンチ巨人&広島ファンの私にとっても大きな意味を持つ試合である。

亀井の打球はショートゴロ! ボールがファーストミットに収まってゲームセット!

緒方監督が胴上げで7たび宙を舞い、涙にくれる先発黒田も舞う。待ちに待った歓の日の到来だ。さぞや感慨無量の思いだろう。

Congratulations ‼︎



ベホマかザオリクか

その日は、何の予告もなく突然やって来る。

いつもの朝、いつものように出勤時間が訪れ、これまたいつものように少し憂鬱な気分を抱えながらリビングから階段を降り、玄関でショルダーバッグを抱えて靴を履く。ドアを開けて外に出てカギを掛けるまでが第一段階。いつもならここで何かしら鈍痛を感じ始める。まるで予兆のように。

駅に向かう道、およそ250mの間でその日の膀胱痛の程度が窺い知れる。歩行中、持続する股間の鈍痛ならまだマシな方で、酷い時は膀胱が不随意収縮を起こし、思わず立ち止まる程のツーンとした針刺し痛に見舞われる。数秒も経つと痛みが沈静化するのでまた歩き出すという繰り返し。

地下鉄に乗っている間も針刺し痛もしくは鈍痛が断続的にやって来て、それを紛らわすように歩行時と同じように深呼吸を繰り返す。乗り換え駅でいくつかの階段を上る時、そこでも針刺し痛が断続的に現れたりする。それが怖くて歩行速度は極端に遅くなり、人々にどんどん追い越されて行く。ようやく乗り換えホームに辿り着き、電車を待つ間に立ち止まっていても周期的に痛みが襲って来る。「今日もやっぱりダメか」と諦めの境地に至るのもこのあたり。

今日の痛みの程度が明らかになり、職場の最寄駅から3分もあれば済むはずの店までの道に、倍の時間を掛けてチンタラ歩いて、やっとこさ到着する。白衣に着替える前にまず排尿。最後に家で排尿した時から1時間弱、このインターバルで尿意を感じるというのはまぎれもない頻尿である。

家にいる時でも、起きている間は概ね1時間に一度、就寝中は2〜3時間に一度の頻度である。排尿痛もハンパない。尿が尿道を通る際に無理やり拡げられるような痛みが急激に大きくなり、その痛みに思わず唸ってしまう頃に排尿に至る。それでも日中は服用薬の効果か、排尿痛はまだマシな方である。だが排尿が終わっても十分な膀胱の弛緩時間を置かないと不随意収縮を起こすので、しばらく便座から腰を上げられない。

かくして私の小用は5分近く要する事になる。こんな状態なので、排尿はどこでも座位が必須となってしまっていた。つまり、個室のある洋式トイレでしか用を足せないという事である。

仕事をしていても1時間も経つと尿意を覚える。仕事がいろいろ忙しいと2時間以上延長する事もあるが、そこまで経ってから排尿すると、うっすらと血尿になるようだ。ただそれは腫瘍増殖時のような酷い血尿ではないから、膀胱内の炎症による出血だと察しがつく。イスに座る時は片尻座りがせいぜい、むしろ立っている方が楽な時がしょっちゅうだった。

膀胱機能改善剤を2種類、鎮痛剤も2種類を毎朝服用し、鎮痛剤2回分をポケットに入れて家を出るのが習慣。痛みは午前中がキツく、午後以降は徐々に慣れて、夕刻以降はキツさはさほど感じなくなる。針刺し痛が出た場合は、棚の影で膝に手をついた中腰の格好でやり過ごすしかない。

ほぼこれの繰り返しの毎日だった。

いずれにせよ、頻尿と膀胱 and/or 尿道痛との闘いがもう160日に達しようとしていた。この間、全く痛みの出ない日が1、2回あったが、決まってその翌日には痛みがぶり返され、その度に切なる望みは儚く消え去るのだった。

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そしてまさに最後のBCG傍注療法から160日が経とうとした昨日、一昨日まではいつものように大なり小なりの痛みに苛まれていたのに、その日は朝から排尿後も歩行時も全く痛みに襲われなかったのである! オマケに排尿痛もそれほどでもない。もちろん、そんな事は過去にもあった。あったけれど、結局裏切られてヌカ喜びに終わったトラウマから素直に喜べない自分がそこにいた。「どうせまた明日になれば痛みが再発するに決まってるさ」と。

でも今回は不思議とそんなイヤな予兆はなかった。それよりも、本当に嬉しい一日が終えられたので、帰りに一人利久で祝杯をあげた(もちろんノンアルビール)。まあ、また裏切られるかもしれないが、とりあえず無痛の一日を過ごせた事が堪らなく嬉しかったのだ。痛みのない事がこれほどQOLを向上させるとは、経験して初めてリアルに実感出来るに違いない。痛みが無く「普通」に歩けるというのは何とありがたい事か!

果たして、開けて今日に至っても無痛の一日が終わろうとしている。今まで二日に渡って無痛状態が続いたためしがなかった。という事は・・・おいおい、こりゃ今回はホンモノか?

持続する痛みというのは、快復に向かう時には日を追う毎にジワジワと失せていくというイメージを持っていたが、これほど突然に失せてしまうものなのだろうか? ならば5ヶ月後と言わず、もっと早くこの時が訪れても良さそうなものだろうよ。オレ、何にも悪い事してないのに。

これでまだ残っている排尿痛を覚えなくなれば今度こそ完全復活である。家でひたすらソファに横になる事も、車の座席に不恰好なクッションを敷く事も、外出時に行先々のトイレの有無を気にする事も、何より先の見えない闘いの日々を強いられる事も、この調子ならもうオサラバだ。

掛け値なしに生きる喜びが湧いて来たよ。




痩せたなぁ

久方ぶりのブログエントリ連投。

ここまで泌尿器系の痛みについてあれやこれやと愚痴って来たが、辛く嫌な症状ばかりが起きているわけではない事に気付き、改めて追記しておく事にした。もちろん後から振り返るための記録のひとつとして。

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昨年8月~10月の3度に渡る入院加療(トータル入院日数30日)と1時間の休憩を挟んで1日8時間の立ち仕事の毎日のおかげからか体重が減少、今日までの間に何と軽く12Kg以上ダイエットしたようである。先日新調したヘルスメーターで測定した直近の値では体重 68.5Kg、体脂肪率 25.8、BMI 23.7、体年齢 52歳という堂々とした数値を叩き出した。少なくとも去年の入院前は玄太超え(from 池中玄太80キロ)だったというのに。

なるほど、どうりで長年の課題だった肝機能値を中心とした臨床検査値も改善していたわけである。ちなみに2月初旬に定期検診をした時には、共に100超えしていたGOT、GPTは30程度へ、脂質関係の検査値も全て正常値、下がりにくいγGTPこそ3年前の最盛期(2000超え!)の1/6程度に留まったが、それでも測る度に低値を更新している。こうなると今まで検査値にビクビクしたりホッとしたりした日々が嘘のようで、今月下旬の検診が楽しみになるくらいである。

ただし、これはいわゆるがん患者の痩せ方ではなく、あくまでも摂取カロリーと消費カロリーとのバランスの結果である。決して病的な痩せ方ではない事を断っておく。

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ネクタイをする事を前提に首周り優先で買い揃えたユニクロのワイシャツ(XL)は、首周りはおろか腹部の布が異様に余ってしまいどうにもならない。少しスリムになったからと去年買ったウエスト82cmのパンツもどれもがブカブカ。最盛期には90cmのサイズを探していた頃に比べれば、まさに隔世の感しきりである。ジャケットやスーツ類も同様だ。仕方がないので徐々に適正サイズのものに買い換えていかなくてはならない。

「あなたはわざわざお金を掛けて太っていったけど、痩せてもまたお金が掛かるのね」とはカミさんの名言。

これで膀胱腫瘍さえ片付けば健康体そのものに近いと言えるだろう。ところがこのダイエット劇にはこの病気が不可欠だったのも事実である。

もとより病院食が苦手で満足に食べたいものも食べられずに過ごした入院手術の日々はもちろん、その後の痛みと闘う日々も大きく関与している。持続する痛みは食欲を削ぐには十分である。このところ、三食のうち二食は自宅でコーヒーとパン、サイゼリヤでドリアかグラタンが定番となっている。それは10時からの早番の時も12時からの遅番の時もほぼ同じだ。日中はそれで空腹を感じない。そりゃ痩せるわな。

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昨日、去年大手家電店のドラッグコーナーへ転職した元スタッフの女性が顔を見せに来た。予想通りその店は中国人を中心とした外国人観光客がメインで、やたらスマホ画像やたどたどしい日本語などを駆使して薬を買って行くという。総合レジも担当するため、薬だけではなく家電品の知識も求められるそうだが、何とか元気で頑張っているようで嬉しかった。

その彼女から「先生痩せましたね~。でもお元気そうで良かったです」と言われ、現スタッフからは聞かれない言葉に驚いた。毎日のように見ているとその変化に気付きにくいだろうが、しばらくぶりに私を見た人はきっと同じ印象を持つんだろうなと妙に納得。

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さて、来週の月曜日はBCG療法終了後3回目の培養尿細胞診の結果を聞く。

実を言うと、一向に改善して来ないこれまでの症状の推移から、もしかしたらBCG療法の副作用である膀胱・尿道炎が原因ではなく、新たな腫瘍生成が原因ではないのかと疑い始めている自分がいるのだ。この細胞診は実にもどかしい検査で、結果がシロでも必ずしも完全否定はできないが、クロと言われた場合はクロ確定となる。前回まではシロだったが、果たして今回は?

公休日はいつもソファに横になってテレビやDVDなどを観ながら出来るだけ安静を心掛けている。そうする事がこの忌まわしい症状を少しでも改善するだろうと信じて。

でも、今のところは次の日の出勤直前に痛みが再燃するという繰り返し。その程度はその日になってみないと分からないのも一緒で、これじゃますますダイエットだけが進みそうである。





やっとやっと春が来た!?

BCG膀注療法の最終回実施後から苛まれている痛みとの闘いも1ヶ月を超えた。痛みの原因はBCGによる膀胱炎と尿道炎である。よりにもよって最終回実施後に最も強烈な副作用に見舞われた事になる。後学のためにその痛みについて記しておく。

痛みは4種類ある。まずは排尿開始時の通尿による尿道の痛みである。要は尿が尿道を通る時にメリメリと引き裂かれるような激痛が走り、思わず「・・・痛てェ」と唸ってしまう段になって排尿に至るのである。

続いて排尿終了時の膀胱収縮による痛みである。これは尿道ではなく膀胱出口部が震源地で、膀胱が弛緩するまでの間に生じる。もともと副作用として膀胱刺激症状があるので、昼間は1時間に一度、夜間は1~2時間に一度トイレタイムがやって来る。その都度、この2つの痛みとの闘いが始まるのだった。だから一回の排尿に5分近く掛かる事になる。もちろん座位で。

排尿が終わっても不随意的に膀胱出口部の収縮が起こる事がある。その際、ツーンとした針で刺されるような鋭い痛みが走る。これが第3の痛みで、排尿のインターバルに起こるから厄介だ。これが起こると仕事の手を止めて手を膝に当てて中腰になってやり過ごすしかない。排尿開始時と同等以上の痛みのレベルだから仕事へのモチベーションはおろか、心まで折れそうになる。なぜか自宅から出勤しようとする時に見舞われる事が多かったので、緊急に予定外受診に切り替えた日もあった位だった。

そして歩行時の股間の持続的な鈍痛と違和感。これはかつて前立腺炎や膀胱腫瘍の時にも自覚したが、思わず呻いてしまう鋭い痛みではないものの、持続する鈍痛も辛いものがある。それゆえ歩幅は狭くなり、歩く速度も遅くなる。ここに第3の痛みが重なると最悪となり、しばしその場で立ち止まらざるを得なくなる。

ただし、これらの痛みの状態は前立腺炎や膀胱腫瘍を抱えていた時とは明らかに感覚が異なるので、それらの再発によるものという懸念はなかった。あくまでBCGによって惹起された炎症によるものなのだが、ここまで酷いとBCGは抗がん剤だと書かれたブログの体験者の気持ちがよく分かる。半面、ここまでの副作用が出れば腫瘍細胞の残党を叩く効果も大きいという主治医達の経験談にも頷ける。

だからこの炎症と痛みは再発抑制効果が上がっている証拠と無理やり自分を納得させながら、ひたすら耐える毎日だった。

・・・・・・・

そうこうしているうちに、今週の月曜、最終回実施後二度目の尿検査を迎えた。

一度目の尿検査後の細胞診では「異型細胞を認めるも悪性の所見はなし」だったが、今回はその異型細胞も認められなかったとあった。もちろん正式な判定は細胞培養後となるが、取り敢えずはもう一つ山を越えたと言えるのかもしれない。

これは非常に喜ばしい成果なのだが、毎日の激痛との闘いにほとほと疲れた私にとっては「その報酬として考えれば至極当然だろうよ、そうでなければとてもやってられんわ」というのが正直なところだ。

全くいつまでこの闘いを続ければいいのだろうか。

・・・・・・・

これらの痛みに対してロキソニンあたりではほぼ無効である。主治医と相談して鎮痛薬として最初トラマールを処方してもらったものの効果がイマイチだったので、自分でアセトアミノフェンを追加して私製トラムセットとして服用していた。二度目の処方からはトラムセットに変更してもらったけど。

それから一週間が過ぎた今朝、排尿前後の痛みは相変わらずだったものの、不思議な事に出勤時間になっても針刺し痛は出現せず、歩行時の鈍痛も殆ど感じないまま職場まで辿り着いた。勤務中も鋭い痛みに襲われる事もなく、排尿も1時間以上のインターバルに延びていたのだった。実に気持ちよく仕事が出来た一日だった。

これはどういう事なのか?

鎮痛薬の効果? 気温のせい? それとも遂に快復へ?

今日の今日なのでハッキリとは分からないし、いつかのようにまた痛みがぶり返すなんて事になると凹むから軽率に喜べないが、事実としてそうだったという事は記しておく。それでも明日以降どう変貌して行くのかを楽しみにはしたい。

つらいつらい冬の果てにやっとやっと春が来たと信じたい。





極楽見えた事もある、地獄が見えた事もある

BCG膀注療法の最終回は今月8日の事だった。昨年の12月から8回の予定でスタートしたが、初めの数回は大した副作用は出なかった。だがそれも4回目以降には、体験者のブログにあった通りに極端な頻尿や排尿痛などがはっきりと現れ、回を追うに連れ日常生活への支障も大きなものとなっていった。幸い、感染が疑われる発熱はなかったが。

そして最終回が予定された外来診療。一週間前にやった7回目後も頻尿や排尿痛に見舞われていたが、外来当日は何とか耐えられる状態だった。それでもやや躊躇した私に「その状態ならやってしまった方がいいですね。最終回でもあるし」と言う主治医T先生の言葉に促され、もう一度だけ副作用に耐えればゴールなんだという思いでBCGの膀胱注入を受け、いつも通りに帰宅し、1時間後に次亜塩素酸溶液の入ったビニール袋へ排尿。

この日はたまたまカミさんも休みだったので、そのまま車で昼食兼買出しへ出掛けた。排尿から15分も経っただろうか、いきなり尿意を催したのは昼食に入ったラーメン屋だった。店外にあるトイレで用を済ませ席へ戻ったあたりで注文したラーメンが運ばれ、気もそぞろに食べ終えた時、再び尿意が。やはり前回から15分経っているかいないかのタイミングだった。慌ててショッピングセンターへ戻り、トイレへ駆け込んだ。典型的な重度の頻尿状態である。

それはその後も続く事になる。尿意の間隔こそ30分、1時間と延びたものの、それが昼間も就寝中も変わらず襲って来る。起きている間ならまだしも、就寝中も1時間毎に尿意で目覚めさせられては階下のトイレへ往復する繰り返し。これが夜間頻尿の悲惨さで、よくぞ睡眠不足に陥らなかったモンだと感心するほど。

そのうち解消するだろうという期待も虚しく、注入後およそ一週間で明らかに尿道炎の症状が出始めた。そうなると何が起きるか?

排尿開始時のメリメリと引き裂かれるような激痛に加えて排尿終了時の収縮による激痛、終わった後もその痛みが沈静化するまで数分間耐え続けなければならない。スッキリするはずのトイレが苦痛にのたうつ場と化したのだった。しかもそれは昼夜を問わず1時間毎に繰り返され、時には尿意のインターバルの間に股間を針で刺されるような鋭い痛みに10秒間隔で襲われる。これはかなりシンドく、尿道炎のみならず膀胱炎も共存しているような感じだ。文字通り最悪の時期だった。

BCG療法終了後の最初の検尿を兼ねた外来が二週間後だったが、最悪期がその3日前から始まっていたので気分はそれどころではなかった。それまで透明だった尿の色は濁り、薄く血液も混じっていた。T先生は抗生剤を処方してくれたが、3日経ってもほとんど効果を感じず、遂に週末に予定外受診をするに至ったのだった。

その日は遅番の勤務だったが、家を出る直前から痛みが悪化したため、病院へ電話し外来受付時間ギリギリに飛び込んだ。すぐに採尿と残尿量測定を行ない、尿中に細菌が存在しなかったため非細菌性尿道炎となり、やはり抗生剤は無効だったと判明。残尿量4ccだったため、膀胱と尿道の緊張緩和のために抗コリン作用のあるベシケアとユリーフが処方された。門前薬局で交付を受け、早速服用し1~2時間ほど外来ソファで様子を窺う。鎮痛剤ではないので特に痛み改善の実感は得られなかったが、頻尿の閾値は上がったような感じがしたのでひとまず帰宅。その後職場へ向かったが、到着した時は既に17時前になっていた。

確かに頻尿の間隔は幾分延びたような気がしたが、抗コリン作用のためやたら口が渇く。一方で排尿のインターバルを襲う痛みや不快感は続いたが、何とか大量の品出しを終え、お客さん対応とレジをこなしつつ、どうにかこうにか閉店時間の21時を迎えた。予定勤務時間の半分しか勤務できなくてお店には迷惑を掛けてしまったが、この日ばかりは勘弁してもらうしかない。

翌日の日曜日は何とか予定勤務時間を乗り切ったが、何せ尿意が1時間毎、1回の小用に5分近くも掛かる身、その間に薬剤師を必要とする薬剤を求めるお客さんが来れば3連ブザーで呼ばれる事が何より怖かった。その瞬間、痛みの緩和に至って無かろうとお客さんを待たせるわけにはいかないから脱いだ白衣に袖を通しながら階段を駆け降りて行くのだ。インターバルの鋭い痛みが出れば棚の陰で中腰になってやり過ごす事も相変わらずである。

だがそれも僅かずつだが軽くなって来ている気もする。これが非細菌性の炎症である限り特効薬はなく、炎症の自然消退を待つしかないから、ひたすら時間の経過を刻み続ける事が治療となる。辛い日々だがそれは致し方ない。耐え続けるのみである。

・・・・・・・

良い知らせもあった。

予定外受診の際、尿細胞診の結果も出ていた。それは「高度の炎症を認めるも悪性の所見なし」という記載だった。具体的には「クラスⅡ:異型細胞は認められるが悪性の疑いはない」という事で、入院手術時の「クラスⅣ:悪性の疑いが極めて濃厚な異型細胞」からすればまさに雲泥の差で、事実上の陰性化宣言に等しい。

本来なら喜びが爆発するところだが、過酷な副作用の日々が一瞬その認知を遅らせ、少し遅れてじわっと喜びが込み上げて来るといった塩梅だった。もちろん今後の追跡検査が必要なのは言うまでもないが、何よりこの結果が得たくてBCG療法を続けて来たのだから、それが空振りに終わらなかった事が幸いだったと言えよう。

もしもこれで悪い知らせだったら、掛け値なしに世を儚んで生きる気力も失せていたに違いない。実際、入院手術を繰り返していた時には、ヒマに飽かせて楽な自殺方法ついてググっていたほどだった。こんな苦痛の日々を送りつつ、やがて膀胱を失い転移の恐怖に怯えつつQOLを著しく低下させて生きながらえる事に殆ど意味を見出せず、そうなる前に自分の人生には自分でカタをつけるべきだと思っていたから。でもそれも杞憂に終わりそうである。今のところは。

先日の同僚Sの葬儀の際、顔を合わせた元同僚のOに「Sはあまりに早過ぎだよ。まあ次はオレだろうけどね」と呟いたら、間髪入れずに「それはないでしょ。憎まれっ子世に憚ると言いますから」と返された事を思い出した。




BCG療法始まる!

「ああ、またカテーテルを突っ込まれるのか」

今週の月曜日、私は外来処置室のベッドで看護師の指示に従って仰向けになり、こればかりは絶対に慣れる事はないよなとボヤキながら主治医を待っていた。

やがてT先生登場。先っぽをアル綿消毒した後、おもむろにカテーテルが挿入された。覚悟はしていたはずが、注入用の細いものだったせいか、膀胱入口で抵抗感を感じた以外はスムースに入った。あっという間にBCG液が注入され引き抜かれた時には、逆に呆気ない感じすら覚えたほどだった。これなら2回目以降も耐えられるな、と。

そして院外薬局で薬を受け取ったりしながら1時間ほど院内でウダウダした後に次亜塩素酸溶液の入ったビニール袋に排尿し、第1回目のBCG膀注療法が完了した。

さて、問題はこの後出現が予想される副作用だ。ネットの経験談によれば、極度の頻尿、排尿痛、血尿、発熱、倦怠感などなど。それが個人差はあるが概ね翌日以降に起こるらしい。ま、BCGで無理やり膀胱内に炎症を惹起させるのだからむべなるかな。

そして翌日を迎えた。排尿前後の尿道の痛みは退院後から継続していたものだから別として、意外にもその他には特にこれといったイベントは何も起こらなかったのだった。それは4日経った今日に至っても同様である。どうやら私の場合には第1回目では副作用らしきものは発現しなかったようで、おかげで心配していた仕事への支障もなく、ひとまず安心した次第。

人によっては2回目以降から副作用が発現したという経験談もあるので無条件には喜べないものの、もはやそこをあれこれ思案するよりも、我が身のマクロファージが膀胱内の腫瘍細胞の残党を食い尽くしてくれる事をイメージして行きたいと思っている。

治療結果は神のみぞ知るところだろうが、それも天性の楽観主義に従って都合の良いエンディングを迎える事を信じて行きたいと思っている。

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前社を早期退職して今の仕事に就き、その後二度の手術と三度の入院を経て今日を迎えているのだが、日々のライフスタイルは前社時代と明らかに異なっている。

まず、職場への行き帰りはスタッフそれぞれの勤務時間に違いがあるために原則単独行動。それゆえ、仕事の帰りにチョイとメシでも行こうかという話は皆無。カミさんとの外食の時以外は、ものの見事に自宅と職場間の伝書鳩状態となっていた。だから昼食代以外の支出は殆ど無く、財布のお金がやたら長持ちするのである。外食してもアルコールを飲まないから余計な加算は生じないし。

そんな毎日を振り返った時、さらに何らかの変化が加わっていた事に最近になって気が付いた。

実は、ここ数ヶ月でマンガ雑誌を読まなくなったのである。振り返れば、私はマンガと共に育ってきたと言っても過言ではない子供だった。少年マガジン、サンデー、チャンピオンなどは小学生時代から読んでいるし、少年ジャンプは電車とバスを乗り継いで千葉県市川市まで越境入学していた時に創刊号を手にして以来、欠かさず読み続けていたものだった。

社会人になってさすがに少年マンガ誌は卒業したものの、ビックコミックなどの青年誌は依然として数冊読み続けていた。何より一流漫画家の質の高い作品が大好きで、それらから学んだ事や興味の入口となったテーマが数限りなくあったからだった。おかげで、いい歳した大人のクセにマンガに人一倍詳しい事で周りからヘンなヤツと思われた事も多々あった。

そんな長く良い付き合いだったマンガ雑誌を一切買わなくなったのは、それまでの私にとっては文字通りあり得ない事件だと言っていいだろう。たとえそれがコンスタントに入手出来る環境で無くなった入院手術の日々がキッカケとなったにせよ。

今、手元にあるのは既に蔵書となった大量の単行本の類と今年の前半から夏過ぎまで買い置きしていた未読のビックコミック誌などだけである。今後はゆっくりとこれらに目を通すまでがせいぜいだろう。

とはいえ、そういう環境に至った事に特段大きな喪失感を伴っていないのは不思議と言えば不思議だが、一度は自らの人生の終焉などを考えさせられた身には、マンガとの離別あたりはたいした問題ではないと言えるのかもしれない。

・・・・・・・

そしてまた日々が過ぎて行く。激動の一年ももう残り20日。相変わらず仕事は満足、身体は不満足の毎日だが、過ぎ行く時に刻まれる過去の蓄積がいずれ何かを語って来るだろう。それを受け流すのも自分、受け止めるのも自分である事は間違いない。





また一つ山を越え

あっという間に10月が過ぎ去り、暦は早や11月。今年も後2ヶ月を残すのみとなり、ますます月日の経つ速さを感じている。季節ももう晩秋かとしんみりしていたら今日は雨。最高気温は13℃、何と12月の気温である。とは言ってもここは病院なので空調管理は万全、外の寒さを感じる事もなくベッドの上でウダウダ中。

TVでは先月末のハロウィーンの渋谷での巨大な群衆を何度も伝えている。ハロウィーンを仮装大会と捉え、その宗教的意味を飛び越えて祭り化してしまうところが日本人のアレンジDNAの顕われだな、などと観ていたが、よく考えたらこれは関連業界やマスコミによる喧伝の成果に他ならない事に気付いた。参加者は乗せられているに過ぎない。なのにTVのコメンテーター達は口を揃えてここ数年でなぜか盛り上がったなどとのたまう。お前らもリッパに片棒担いでいるじゃないか。

かつて自分の国を属国化しようとした中国に未だにへつらい、片や軍事同盟のアメリカへもいい顔をしたい韓国で、日中韓首脳会議が開かれた。時まさに、南シナ海の暗礁を勝手に埋め立てて領土化するという中国の暴挙にアメリカがイージス艦を航行させて牽制するという緊張状況の中で、いち早く同盟国アメリカに賛意を示した日本に比べ、どっちつかずという信じられない態度を取る韓国。日本に対しても市場と経済力をアテにしているのに、片方で慰安婦問題などで国民に反日を植え込む。こんな相手にいくら日韓首脳会議をやったところで、山積みの課題問題をキチンと解決出来るとも思えないけどね。

・・・・・・・

そして先程、先週火曜日の夜に装着した尿カテが抜去された。今回のカテーテルはかつてK病院で地獄を見た3ウェイの太いヤツ、あの時は抜去の苦痛に悶絶した忌まわしい思い出がある。外来に呼ばれ、T先生が何度か膀胱洗浄をして、いよいよ抜去の時を迎えた。バルーンの生食をシリンジで抜き、「じゃ、1、2、3」の掛け声と共にカテーテルが上方へ引っ張られた。ここで激痛が走るはずが、あにはからんやニュルニュルとした感触はあったものの、ほとんど痛みを感じる事なく抜けて行ったではないか!

ああ、やっぱり我が身はカテーテル慣れしてしまっていたのだった。こんなモンに慣れたくもないのだが。

この後は排尿状況などの経過観察をし、問題が無ければ明後日退院となるそうだ。一時は再発も含めて人生の限界線も垣間見たが、今回もどうにか一つ山を越えられそうである。でも、手術こそしていないがこの段階に至って初めて術後のカテーテル抜去時にプロセス上で合致した事になる。ものの本によれば、削られた術創部が粘膜まで再生するのは血尿や排尿痛などの症状解消も含めて7~8週間以上を要するという。私の場合は今日で術後4週間だから、自宅療養後も症状が続く事が予想される。

思えば、一昨年8月に受けた初TUR-Btの時は退院後の血尿と排尿痛に1ヶ月以上苦しめられた。再発による今年8月のTUR-Bt後もその症状を引きずって来たが、病理検査の結果によるセカンドTUR-Btを受けたのがおよそ8週間後、さらに今回の処置入院はそこから3週間しか経っていなかった。回復までに消化しなければならない時間はまだまだ残っている。

恐るべき尿閉の再発も含めて、ここはまだ慎重を期すべき時期であるのは間違いないが、いずれ時間さえ経過すれば元通りになる事を信じて一日一日を過ごして行く事にしよう。ああ、温泉までひとっ走りしたーい!






AURの恐怖

今振り返ると、その前兆は確かにあった。

先週の日曜日の深夜、トイレに立つといつもの排尿痛と共に排尿が始まった。さて今回は白ワインかはたまた赤ワインか? と目を落とすと、どうやら赤ワインっぽい。ま、出て見なければ分からないのはいつもの事だったが、ただ違ったのはその勢い。尿意の割りにあまり出て来ない。せいぜいチョロチョロ程度で終了。あれ、変だな? と思ったが、いかんせん今は深夜、とりあえず寝る事にした。

しばらくするとまた尿意。再度トイレに立ってみると、やはり先程と同じようなチョロチョロの尿勢。だが次の瞬間、大きめの凝血塊(コアグラ)が放出され尿勢も通常に戻った。こういう排尿の展開は今までにもあったので正直やっぱりなと思ったが、それにしては今までよりも最初の尿勢が弱かったしコアグラも大きかったな。まあそんな事もあるだろうよ。

翌日は尿色も白ワインで尿勢も普通の勢い。昨夜の一件はたまたまだったのだろう。何せ一進一退で回復するのだろうから仕方ないわな。今日は公休日だからこのままおとなしくしていれば、明日の出勤は問題ないだろう。その予感通り、就寝時まで排尿痛以外は問題なかった。

出勤日の朝。寝起きのトイレでまたも日曜深夜の再現が。赤ワインのチョロチョロ尿勢から始まったが、途中で尿道筋を締めるとさらに排尿が出来、やがて尿意も収まった。コアグラは出ず。それでも赤ワインの色がタバスコ色になっていたため、たまたま休みだったカミさんを乗せて主治医のもとへ。こんな時には外来患者が少ない診療科はありがたい。程なくして診療を受け、様子見という事で止血薬を処方してもらって帰宅。

だが夕方、ついにその時が来た。

チョロチョロどころかタバスコが一、二滴。そして排尿筋を締めようが、ガンとして出て来ないのである。頭をよぎったのは「尿閉」の二文字。それでもまさかここへ来てそんな事が起こるとは俄かに信じがたいという思いも。でも次の尿意を感じてもやはり同じ。そして膀胱が張って来た。マジヤバである!

カミさんに「ヤバそう。AUR(急性尿閉)かも」と言い、すぐに病院へ電話した。ところが主治医はすでに帰路に就いたので、今夜の当直医では対処出来ないので他院へ行ってもらうしかないなどと信じられない言葉を言われる始末。「何じゃこの救急外来ナースは!」 と文句を言っても始まらないので、ダメもとで主治医へ連絡を取ってもらい連絡を待つ事に。そして、主治医は30分後に戻って来るからそれまでに来院してくださいとの回答があったので、入院装備を整えタクシーを呼んで病院へ向かったものの、尿意と張りはますます強くなって行った。それにしても一日に病院へ二度も行くハメになるとは。

・・・・・・・

救急外来の処置室のベッドに横にされて、ナースがバイタルやらエコーやらをしていると主治医のT先生登場。やはりコアグラが尿道口を塞いだためのAURだった。私が尿カテ大嫌いだという事をご存知だったからか、「今回は大きいヤツじゃないとまた詰まるからガマンして」と言い、かつてK病院で地獄を見た3ウェイカテーテルを挿入した。これは前2回のオペ後に挿入されたものより3サイズも太いらしい。本来なら私にとっては気絶モノの処置なのだが、もはやガマンの限界に近い膀胱の張りと鈍痛のせいか、挿入時の痛みもそれほど感じずに意外とスンナリ入って行った。そしてタバスコ色の尿とコアグラが排泄され、苦しかった張りも治まったのだった。

排出が終わると、続いて膀胱洗浄。カテーテルに繋いだシリンジから生食液を入れシリンジを動かして洗っては抜き取る。この繰り返しだが、出入りする生食液の感触が実に気持ち悪い。でもこれで膀胱内に形成されたコアグラが除去されるのだから、ここもガマンである。全てが終わり、止血薬と抗生剤の点滴を受けつつストレッチャーのまま勝手知ったる病棟へ運ばれ、今回の入院がスタートしたのだった。

・・・・・・・

それにしてもAURの何と恐ろしい事よ。

前社の社内研修で何度も喋っていたが、それは進行した前立腺肥大症の合併症としてであって、まさかコアグラによって自らが体験するとは思いもよらなかった。今まで生物として当たり前のように繰り返していた摂食と排泄。その重要性はそれが出来なくなって初めて身に滲みる。尿閉は命にも関わる事態だと口では言っていた私だったが、実際に我が身が遭遇するといかに言葉が足りなかったか痛感した。その意味では貴重な体験と言って良いだろう。

T先生も「カテーテル慣れしたんでしょ」と笑っていたが、装着後も不思議と大きな不快感を感じる事なく推移している。今夜で装着後4日目の夜となったが、その間に膀胱洗浄を病室で3回行なった。また、ナースが繋いだチューブの途中に停滞した尿をチューブを持ち上げて蓄尿パックに入れると、途端に圧力が変化して膀胱内に溜まっていた尿がチューブに出て来るのだが、それが出て来る時と出切ってコツンというショックを生じて止まる時に瞬間的な痛みを生じる。これも苦手だ。

それでもAURの恐怖を知ってしまった身には、ここはじっくり腰を据えて掛かりたいと思っているから、尿カテを抜去するのはさらに2、3日先だろう。その後も十分な自宅療養期間を取って職場復帰するつもりだ。万一にも職場でAURなんて事態になったらシャレにならんし、またもスタッフや顧客に大迷惑を掛ける事になるから。

そんなワケで、手術入院の時よりも長くなりそうな処置入院生活はまだ続くのだった。





思案しどころ

昔とは異なりTVもネットも充実しているせいか、入院している時も世間から隔絶されているという感じがあまりしない。とは言っても、チューブに繋がれてほとんどベッドに寝ていると自ずと行動範囲が制限されるため、ほどほど隔離されている感はある。

そのチューブも術後3日で点滴のラインが、(今回は大事をとって敢えて長めにしたが)6日後に尿カテが抜去されると精神的なものは別としても少なくとも身体的自由は得られる。それが昨日だった。特に術後最大の緊張イベントとなる尿カテ抜去は、前回にも増してほとんど痛みを感じないスムーズなものだったのは幸いだった。2年前のK病院の時のあの悶絶は何だったんだろうか?

・・・・・・・

術翌日に一本の電話があった。

相手は元同僚で上司だった同年代のSさん。私と同じ時期に早期退職し業界の営業部隊派遣会社に転職した人で、今でも私の家の近所にいる。最後に地元で食事をして以来、実に7ヶ月ぶりだ。

入院手術直後と言うとびっくりしていたが、実は前社の子会社に当たるA社に販売移管した製品の研修トレーナーの依頼だった。その製品は前社で私が学術研修部門で担当し、それこそ発売前準備から専任営業部隊の研修に携わっていた思い入れの深い製品だった。だがその製品の真価が認められ使用されるには日本ではまだ時代が追いついておらず、売り上げは芳しくなくいつしか主要製品からも外れて行った。それから月日が流れ、時代が追いついてニーズが高まった頃には、皮肉な事に社内の各部門にその製品の担当者すらいなくなっていた。学術研修関係で私一人と言って良い状態だった。

その製品をA社に移管し、そこの営業部隊が販売すると言ってもおいそれとはいかないだろうし、もちろんキチンとした研修を行なえる人間は親会社にもいないだろう。私が退職する時は当然その懸念があって、このままではA社も含め大変な事になるのではと心配した。だが会社が私をいらないと言った限りは心配した事すら無用だったと割り切った。それが今、まさに現実となった形だ。今のままでは使用得意先に対してマトモな情報提供すら出来ないだろう。それはメーカーとしての義務違反ともなる。

そんな折、Sさんの転職先の上司がA社の要職に就いたらしい。そこで元の会社である営業部隊派遣会社のSさんに相談があり、Sさんの頭には当然の事ながら私が浮かんだというワケである。もちろんボランティアなどではなく、外部研修委託として正式に契約を結んで実施するというビジネスの話だった。

親会社には製品の全てを話せるトレーナーはいない。また、研修をやろうにもスライドの一つもない。何せ製作3年以降のスライドは再審査を受けなければ使ってはならず削除対象になるという社内規則があって、この製品の研修スライド(ほとんど私が作った)も該当したため、仰せの通り退職前にサーバーからバッサリ削除してやったから。爆

課題問題は少なくない。改めて研修を実施するのであれば、少なくともA社のニーズを踏まえた研修計画の作成、その後発売されたり適応拡大された競合品情報も含めた研修スライド(たぶん数百枚)のリバイスは必須である。その膨大な作業が今の仕事をしながら出来るのだろうか?

他ならぬSさんからのオファーだから前向きに考えたいとは思っている。

・・・・・・・

尿カテの無痛抜去がなされた昨日、今度は元同僚で上司のHさんからメッセンジャーに「今から顔を出します」との連絡があり、わざわざ病室にお見舞いに来てくれた。Hさんもほぼ同時期に退職し同業他社へ転職していたので、これまた半年以上ぶりの再会だった。

早期退職したメンバーのその後の就職状況や私が知らなかったコアなプライベート情報などで盛り上がった。本人はウッカリ私なぞに喋った事を後悔していたようだが、もう聞いちゃったモンね~。

Sさんからのオファーについても相談した。これはキチンとしたビジネスの依頼なのだから、かつて実施した専任部隊に対するあのレベルの研修を行うのであれば、世間相場並み(彼曰く50~60万円/日!)の報酬を受けるべきだと。その代わり相手の求める研修目的を達成し、資料やスライド作成なども文献に基づいて作り込まなければならないと。

前社の子会社のよしみで半分ボランティア感覚もあって、まあアゴアシ程度でも貰えればいいやなんて思っていた私だったが、こりゃあ結構ハードル高そうだわ。そうなるとますます今の仕事の合間で出来るのかどうか疑わしくなる。実施は11月頃だそうだし。

・・・・・・・

さて、抜去後から恐れていた排尿痛は今の所は無い。それでもあの痛みが出ない事を祈りつつ恐る恐る便器に向かうのだ。術創部痛もほとんど感じないが、これはいつでも寝転んでいられるこの環境ならではと思っている。この後の時間経過と共に、実際にそれなりの距離を歩いたり仕事をしている時にどうなるかは今回も未知数だ。願わくば前回は腫瘍を全て取り切れなかったがために出現した症状だったという事であって欲しい。

このままの経過なら明日退院し、明後日から現場復帰したいと思っている。それでも当初の予定から3日も遅延し店にも迷惑を掛け通しなのだが、これまでの症状経過からどうしても慎重になってしまうのだ。人は御身大事にと言うけれど、そうもいかないのが世の常だったりする。





膀胱全摘?

今朝、いつものように朝の回診で病室を訪れた主治医のT先生、
「今度、奥さんはいつ来ます?」
「昼頃来ると言ってましたが」
「月曜日はどうかな?」
「仕事の予定次第でしょうが、今はわかりません」
「じゃあ今日でもいいかな」
「何でしょう?」
「病理検査結果についてです」

おいおいおいおい~!

そんな風に言われたら良い結果とは思えないじゃないの~!
いくら私がビビリだからって、そんな重大な事をカミさんだけに伝えようっての?

悪い結果といえば、今回切除した組織が恐れていた通りに筋層まで浸潤していたから残された治療は膀胱全摘しかないの一点である。そうなったらストーマ(排泄口)をダイレクトに出すか、回腸で人工膀胱を作るかなどの尿路変向術を選択しなければならない。また全摘は膀胱のみならず前立腺にも及び、骨盤のリンパ節を郭清しなければならないから、10時間以上にも及ぶ大手術となるだろう。術後も絶対に避けたい化学療法を受けなければならないだろうし、日常生活も少なからぬ制限を受け、その質(QOL)も大幅に低下する。そこまでして生きながらえたいか?

そんな悶々とした思いで将来像をイメージしていたらカミさんがやって来た。その旨を伝え、悪い結果という事はそれはすなわち自分の運命の限界だから、このまま何もしないで終活に向かうつもりだと告げた。まだ体力もあるのだから、やるだけやってダメなら諦めればいいじゃないと彼女は言ったが、これまで以上に辛い思いをしながら少しくらい長く生きたところでさほどの意味はないというのが私の信念である。人生五十年はとうに過ぎたのだからこれでも十分だ。

・・・・・・・

やがて外来を終えたT先生がやって来た。

「結論から言うと、前回の病理診断で膀胱全摘も止むなしと思っていたけど、どうやら筋層までは達していなかったようですので、今後の治療の選択肢は増えました」

と言って、例のNCCNガイドラインのコピーを出して、膀胱全摘以外にBCG膀注療法を示した。

おいおいおいおい~!

良い結果なんだったら朝の段階で言ってくれたって良さそうなモンでしょが~! 悶々と過ごしたここまでの時間は何だったんだよ~!

というワケで、取り敢えず最悪の展開までには時間の猶予が与えられた形になった。それでもBCG膀注療法には極端な頻尿や排尿痛といった、私が今まで散々悩まされた症状が副作用として高い確率で出現したという体験記が多い。それが週一投与×6~8回の期間苛まれるという。そうなると当然仕事はままならないだろうから休職せざるを得ないかもしれない。また、この療法による再発防止率は50~60%前後らしいが、ならば副作用と天秤にかけてこのまま経過観察でもいいとも言える。

いずれにせよ今回の手術の傷が癒えてからの話なので、まずはじっくり構えよう。ひとまずホッとした事だけは確かだった。

セカンドTUR

2nd TUR-Btのために5日からK病院へ入院した。だが仕事の現場にはそれまでに済ませておくべき事があった。

2日に実施される棚卸しのための在庫に対する入力作業、これが軽くコンテナ10数箱分の量だった。さらに棚卸しの翌日は、その在庫の中から期限切迫品や棚からの除外品を伝票と共に荷造りをして返品しなければならない。その量、ざっとコンテナ7箱分以上。ここはベテラン女性スタッフの力を借りて何とか完了させる事が出来た。後は私が留守をするので通常よりも多めの発注を済ませ、どうやら入院前日までの仕事が終わったのだった。

・・・・・・・

前回同様に入院受付で手続きを済ませ、しばし迎えを待って病棟へ。受付では前回の隣りの部屋番を告げられていたが、行ってみると前回と同じ部屋になっていた。部屋の設えも窓から見える景色も2ヶ月前と全く同じ、看護師も見た顔ばかり、まるでこうなる事が予知されたデジャヴのようだった。そうでなくても勝手知ったるとはこういう状況を指すのだろうが、少なくともこんな場所で言いたくもないわ。

翌日の午後、いよいよオペの時間が来て、歩いてオペ室へ向かう。そこまでの冷たく閑散とした印象しか受けない通路は、どこの病院だろうが何度目であろうが一種異様な緊張を隠せない。

麻酔担当のI先生も前回と同じだったので、前回の退院後からの歩行時と排尿時の痛みに苛まれた日々がまた続くのなら、いっその事「マイケルジャクソンコース」をお願いしたいと言ってみた。先生が「いけね !」とでも叫んで盛ってくれたらそのまま安らかに逝けて苦痛の日々から解放されるのですが、と。「私は良くても周りが大変な事になっちゃうから」と笑ってかわされてしまった。こっちは結構本気だったのに。

手術は前回削った3ヶ所のうち、病理診断で根が深い可能性のある1つを深めに削るという、NCCNガイドラインに則った2nd TUR-Btなので、やはり数十分落ちている間に全てが終わっていた。TURという内視鏡手術は腰椎麻酔で行なう病院もあるが、私のようなビビリには全身麻酔でつくづく良かったと思う。術後、麻酔が切れる頃の痛みも予想されたので早めに座薬投入し大した事はなかった。

主治医のT先生によれば、今回は深く削ったので前回よりも尿カテを抜くまで日数が掛かるようだ。前回、極力早めに抜いて欲しいと私がリクエストした経緯を知った上でクギを刺した形だが、私は私で退院後からの痛みが十分あっての上での再手術なので、言われなくても事を慎重に進めたいと思っていた。膀胱のみならず尿道もさらに痛めつけられているだろうから、安易に抜去を早めるとさらに痛みに苛まれると思うから。

という事で、本当の闘いは尿カテを抜去した退院後である。これはこれまでと変わらないだろう。けれど歩行時や排尿時の激痛だけは再来して欲しくない。何より痛みと闘いながらの仕事は心身共に消耗が激しい故に楽しめないし、決して満足の行く成果が得られないからである。

それにしても病院食だけは何度入院しても慣れないものだ。食事制限のないのをいい事に、カミさんに頼んでサンドイッチやらおにぎりやらヨーグルトやらをこっそり差し入れさせているのがせめてもの救いだ。今回も尿カテが付いているまま歩き回る気も起きないのでベッドでダラダラする日々だが、それでも退院後にはさらに数キロ痩せているはずだ。入院手術ダイエットは最強である。

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とにかく、この手術は今回でピリオドを打ちたいと思っている。この先どういう推移を示すかは神のみぞ知るのだろうが、今のところはBCG膀注や抗がん剤などの治療をするつもりはない。仮に悪化という推移を辿るならば、そこまでが自分の宿命で限界だったんだと静かに受け入れるつもりである。そしてゆったりと終活へ向かう事だろう。不自由な体を引きずって痛み苦しみに耐え続ける毎日なんて御免被る。

ま、今はしばし明かりが見えるはずの方向へ歩いていると信じていよう。





At the end of summer

主治医のT先生がおもむろに机上に出したのは海外のがん治療ガイドラインであるNCCNガイドラインのコピーだった。そして目の前のモニターには切除した組織の病理診断の結果が映し出されていた。

「信頼性の高いこのガイドラインによれば、切除した組織の浸潤が疑われる場合は再切除か膀胱全摘とあります。状態からは全摘するまでもないと思うけど、病理診断からは筋肉層までの浸潤が疑われるため、再度削る必要はあるね」

どうやら、前回削った3ヶ所のうち少なくとも1ヶ所の腫瘍の根っこが残っている可能性があるという事らしい。

NCCNガイドラインは学術研修トレーナー時代に何度も見た事がある。エビデンスに基づいているかもしれないが、患者にとっては一見非情にも思える治療指針が記載されていると認識している。提示される患者もこりゃ大変だなと思っていたが、あにはからんや今度は私自身に向けられたのであった。

赴任直前に入院加療し、ようやく下旬に新天地へ赴任したばかりの身にその宣告はキツい。一人薬剤師業務と店舗事情による業務にまずは慣れ、来月からは月間コンクールの達成も狙った販売戦略も立てなければならない。エンドユーザーである地元のお客さんにカウンセリング販売を通じてお役に立つ事で顧客を獲得するという初志に加え、営利企業である会社のニーズにも応えていかなくてはならないのは社員として当然である。そのためには何より時間が欲しい。こんな所で戦線離脱するワケにはいかないのである。

「再手術(リオペ)を選択するも、まずは転移(メタ)の有無を見ておかなくては」というので早速単純CTを撮った。ここまでが21日の外来。そしてその結果が出たのがさらに一週間後の先週金曜日だった。ちなみにCT撮影は、閉塞的でやかましいMRIに比べて開放的で短時間だった。ただ頭の上で手を組んで寝ていれば機械が往復するだけ。

医学ドラマに出てくるような輪切りの連続画像で、自分自身の肺から骨盤内までを見る。最もメタの可能性が高いという肺に異常な白い影はなく、その他の組織にも認められなかった。肝の一部が硬いような所見があったが、それはとうに織り込み済みだから問題ない。

という事で、無事(⁉︎)にリオペの適応となったが、それじゃ何時やるの? 今でしょ! ってワケにもいかないので、10月上旬にスケジューリング(カレンダリングってか?)してもらった。そういえば、前回の退院の朝、ナースに「また2年位のうちに戻ってくるかもね」などとうそぶいていたが何の事はない、2年どころかたった2ヶ月で出戻るハメになったのだった。トホホのホ。

せめてもの救いはT先生による手術の予後については経験済みで、それほど悲惨な目に遭わずに済んだという前例の存在である。あれならナントカカントカ耐えられるレベルだ。それでも退院10日以上経った今も、歩行の刺激で膀胱の術創部にツーンと来るし、仕事で動いていると赤ワインも出た。さらに毎度の強い排尿痛。まるで前立腺炎の極期の症状そのもので、もしかしたら前立腺炎だと思っていた症状は、実は膀胱腫瘍の再発によるものだったのかもしれない。前立腺が腫れていたのも事実だったから、どっちのせいでもあったのかも。

いずれにせよ、前日入院、翌日オペ、経過良好なら4日後に退院という基本路線は前回と同様だという。その顛末をF店長に報告し、ちょうど棚卸しの翌週から戦線離脱の了解を得たものの、やはり再度迷惑をかける事に面目ないという気持ちばかりが先行する。実際、この現実が自分でもまだ消化しきれない。

いっその事、前々回のようにこのまま放っておいてまた腫瘍が出てきたら手術すりゃいいのではともT先生に言ってみたが、冷たい目で却下されたのは言うまでもない。ま、今回までは受け入れて再チャレンジしてみるとするか。正直な話、仕事のジャマにしかならない今の症状が消えてくれればいい。そう出来ないなら、とっとと余命宣告状態になってもいいとさえ思っている。

何度も言うが、生物は必ず一度死ぬ。個体によってそれが早いか遅いかの違いがあるだけ。あれこれあるのは残った側の話、死んだ本人にとってはそこで無になるだけ。未練があろうともその瞬間に終わりが来て無になるだけ。物理的反応による生命活動が止まるだけ。それは人間であろうが虫であろうが変わらない。いつか必ずやって来る。

私はそのように捉えているから、死を迎えるという事に特に恐怖というものを感じない。ただ、今はやれるだけの事をやっておきたいと思い、今ならまだそう出来ると思われるから、そう出来る身体への回復を願うばかりである。





スキルレベルの差だな

8日の土曜日に入院、明けて10日の月曜午後に手術、そして終戦記念日の土曜日に退院。

クリニックの膀胱エコー検査で入院手術が必要となった時には、こりゃ2年前の悪夢の再来かと相当落ち込み、悲壮な思いで覚悟を決めた。悪夢を味わわされた中野区のK病院と異なる杉並区のK病院にしたのは吉と出るだろうか。この病院も去年の10月に移設された新しい施設なため、その個室はまるでシンプルなビジネスホテルのようだったのはせめてもの救いか。

オペは月曜日なのに2日前の土曜日から入院となったのは病院側の都合なのだが、やがて我が身を襲うであろう数々の苦痛に対して気持ちを整えるためには、それは決して長い時間ではなかった。事実、クリニックのY先生には「どうにか手術をせずにやり過ごせないか。もしそれで命に関わる事態になっても構わないですから」と言ってみたが、Y先生の「維持療法という手もあるが、あなたはまだまだ若い。今は積極的治療を選択するべきだと思う」という言葉に無理やり自分を納得させていた。それほど前回の入院手術とその後の苦痛がトラウマだったのである。

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さて、オペそのものは前回と同じで、30分ほどの全身麻酔で終了したため何も覚えていない。この病院ではオペ室のBGMを患者のリクエストに応えて流せるというので、一発景気良くアリスのチャンピオンでもやってもらおうかと思ったが、モチロンそんな余裕などあろうはずもない。今回もあっという間に落ちて行ったのだった。

病室に戻ったら、例によって静脈ラインと尿カテはそのまま。血栓予防のために術前から履かされた弾性ストッキングもそのままだったがIPC(フットポンプ)は既に外されていた。やっぱこの程度のオペの血栓予防はこの病院でも適当だった。それでも普段は横向きに寝ている私だが、腕とアソコにチューブを繋がれていると仰向けに寝ているしかなかった。頭をよぎるのは「ああ、これから尿カテを抜くまでの数日、鈍痛を伴う不快感に日夜苛まれるんだな」という、決して大袈裟でない絶望感だけだった。

やがて麻酔が切れて行くに従って膀胱や尿路から痛みを感じるようになったので、すかさず看護師さんにお願いしてボルタレンの座薬を挿入してもらった。幸い20分ほどで痛みは穏やかになって来た。ここまでは前回も同様の経過だった。

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前回と大きく異なったのはここからだった。

尿カテによる鈍痛を伴う不快感が一向にやって来ない。恐る恐るアソコを見ると、挿入されていたカテの太さが前回よりも明らかに細く、素材も柔らかそうだった。尿カテによるトラウマはクリニックのY先生にわざわざ紹介状にも書いて頂き、今回の執刀医T先生にも訴えたからだろうか。それとも初めからこの病院ではこのカテを使っているのかは定かではないが、いずれにせよ鈍痛どころか不快感すらほとんど感じないのである。これは嬉しかった。この調子なら何日でも耐えられる。

同時に驚いたのは蓄尿パックの中の尿の色だった。前回は初めから血尿バンバンで、尿の色が普通になるまでが尿カテの設置期間と言われたのだが、今回は何と何と血尿などなく初めから尿の色は濃い目の黄色だったのである。という事は、術後は必発だと思っていた術創からの出血が今回は無かったという事である。しかも今回は1ヶ所ではなく3ヶ所も削ったというのに、である。

その他の違いは、前回は翌日には静脈ラインが外されて尿量確保のためにひたすら水分を口から飲まされたが、今回は静脈ラインからの点滴だったという点。だからラインは3日間入っていた。尿カテほどではないが、これはこれで生活自由度が低下した。

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尿カテの抜去は3日後の朝だった。今回は不快感をほとんど感じなかったので楽にその日を迎えられた。ただし問題は抜く時の痛みである。私のトラウマの大きな要因となった抜去時の激痛を思い出したが、「これさえ済ませば自由になれるんだ、仕事に復帰できるんだ」と必死に自分を鼓舞した。

果たして、深呼吸と共に引き抜かれた20㎝ほどのカテは激痛なぞどこへやら、意外なほど軽い痛みを伴っただけだった。これなら尿道もさほど傷つかず、その後の排尿痛や出血にも苦しめられないだろうと瞬時に思えた。たかだかカテの太さや素材一つで患者の苦痛は天国とも地獄ともなる事を身を持って知ったのだった。

予想通り、その後の排尿も赤ワインを激痛を伴って絞り出した前回とは大違い。初めから白ワインだったし、排尿痛も軽かった。それでも排尿の最後に少しの痛みと尿道からの出血を見たが、それも翌日にはほぼ治まった。前回と比べると予後はすこぶる快適と言って良い。何せ前回はここから約1ヶ月もの間、排尿前後の激痛が続いたのだから。

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こうして入院から7泊8日、終戦記念日の朝に退院に漕ぎ着けたワケだが、改めて振り返ってみると、前回と今回のこうまで異なった経過の理由は何だったのだろう。

答えはもう出ている。それはひとえに治療に携わった医師のスキルレベルの差と言わざるを得ない。術後の血尿は術創の止血如何で決まるだろうし、使用する尿カテで術後の患者のQOLは大きく影響される。止血が不十分で術後の出血リスクが高ければ血栓による尿管閉塞が起こりにくい太い尿カテを使用せざるを得ないだろうし、止血十分で出血リスクが低ければ細いカテで十分である。

「今回は腫瘍3ヶ所を切除し、プラス疑わしい部分は焼いておきました」というT先生のコメントがカミさんにあったらしい。術後の経過が前回よりも数段楽だと言った私に「特別な事はしてないよ」と涼しい顔で返したT先生は、初診で見た大柄の日焼け顔に赤い革ベルトの腕時計からは想像出来ないレベルのスキルの持ち主だったという事である。良い意味で意外性のある、信頼に足る先生だったんだと。

そうそう、この病院の病棟看護師さん達は皆いい感じで接してくれ、ホスピタリティ満点だった事も付け加えておきたい。

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退院後は3日間の自宅療養を経て、19日からいよいよ新勤務地への初出勤を迎える。ようやくここで先月から1ヶ月以上の期間を研修させて頂いた西新宿店からの旅立ちとなる。指導薬剤師のY先生に頼んで撮らせてもらった40枚以上に及ぶ店舗の陳列レイアウトの写真プリントも出来上がった。向こうで着手すべき課題もたくさんあるだろう。正式着任寸前にも関わらず待って頂いた会社と新天地のF店長のためにも全力で取り組む所存である。

あ~、早く仕事がしたい!  ←こんな気持ち、前の会社ではあんまり出なかったけど(爆)





いまふたたびの・・・

7月から指導薬剤師のY先生の下で始まった現場研修は、あっという間に1ヶ月が過ぎて行った。

さすがにここまで来ると一日のルーティン業務にもすっかり慣れた。まずはその日の朝の出勤メンバー数人による開店10分前の朝礼から一日がスタートする。昨日の売上実績と本日の売上目標、取り寄せ品の顧客情報などの共有の後に、Y先生からスタッフへ医薬品のワンポイント紹介。それが終わる頃には開店時間を迎える。ま、ここまでは黙って聞いていれば良い。

開店直後は、前日に店内に設置しているⅠ類医薬品販売に関する告知プレートを回収ながら医薬品ゾーンへ。この店ではそれが20ヶ所以上設置されているので、最初の頃は設置はおろか全てを回収する事すら覚束なかったが、今ではそれもすべて把握した。医薬品ゾーンには、事前に発注し配送された商品や本部からの割り当てで送品された商品がダンボールや折り箱に入って置かれている。

それを仕分けし、高額商品などには万引き防止のためのセンサーシールや転売防止のための店名シールを貼り、適宜品出しする。陳列する時は使用期限の新しいものを後ろに、古いものを前に置く「先入れ先出し」。陳列スペースによってはそれが面倒な場合もあるが、これは小売業の鉄則だから必須である。また、購入されて凹んだ先頭のスペースに後ろの商品に手を突っ込んでグッと前に押す「前出し」の動作も同様。今やこれも無意識に目が行き、自然に手が伸びるようになった。

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主要なOTC医薬品には、いわゆるナショナル・ブランド(NB)と呼ばれるものとプライベート・ブランド(PB)がある。NBは大手メーカーの製品でCMでもお馴染みのもの、一方PBは同じ成分を含む製品をドラッグチェーン独自のブランド名で売る製品である。PBではない単なる後発品も含め、それらはいわゆる「ジェネリック」とも呼ばれている。

だが、OTC医薬品のジェネリックは医療用医薬品のそれとは少々異なるという事実を知った。

ジェネリックといえども製造販売の全てが無名の製薬会社とは限らず、特にPBの中には大手製薬会社とのタイアップ品というものもある。さらにNBよりも主成分の含量が多かったり、副成分が追加されてより効果的な処方となっているものもあったりする。もちろん価格もNBよりお得。これは医療用とは異なる規制の緩さに起因していると思われるが、OTC医薬品のジェネリックは単に安かろう悪かろうではないのである。

だから私は医療用医薬品を扱っていた時の考え方を百八十度切り替え、たとえジェネリックであってもより効果的であったり、リーズナブルな場合はそれが即顧客の利益となるので、自信を持ってそれを推奨販売している。健康保険による3割負担ではなく全額自己負担のOTC医薬品の購入には当然顧客の目も厳しくなる。一方で成分や価格よりも有名なNBを信望するという顧客ももちろん多いから、それはそれでいい。

それに加えて小売店ならではの「粗利率」という考え方が出てくる。商売なのだから売上向上はもちろんだが、単に見た目の売上額が上がっても粗利率が低ければ利益は低い。店の業績アップのためには粗利率の高い商品を売る事も必要だ。1ヶ月間の研修を通じて、主だった領域の医薬品の粗利率の順位は概ね頭に入ったが、これらの兼ね合いも販売の面白さである。

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思えば、昔の私の実家も含む小売薬局では医薬品はカウンター兼用のガラスケースの中や背後の大棚に並べられ、顧客の指名や相談を受けて商品を取り上げるスタイルだった。それが今では顧客の手の届くところに商品があり、顧客のほとんどは自ら商品を選択して黙って買い物かごへ入れて行く。時代の変遷だと言うのならそれもいいが、そんな中でも敢えて薬剤師へ相談して来る顧客との出会いの時こそが我々の存在価値を示す勝負の時でもあり、顧客ニーズが満たされた時に頂く感謝の言葉こそが勲章だと思っている。

今はそんな緊張感満載の日々が楽しくてしょうがない。やっぱ第二の天職なのかもしれないな。

先日、8月1日付けで公示される私の正式配属店を事前に知らされた。研修店よりも距離的には遠くなるが、通勤時間は希望の30分以内で大型の店舗ではなさそうである。1日は休日なので、取り敢えず先方の店長と薬剤師に挨拶へ向かうつもりでいる。

おっと、例のストーカー対策のため、これ以上の情報は言わないでおこう。

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さて、いまふたたびの・・・。

1週間ほど前、それまで薬だけもらっていた泌尿器科クリニックで行なった膀胱エコー検査で、何と膀胱腫瘍の存在が見つかってしまった。あの悪夢の日々からわずか2年での再発。たとえ検査で見つかっても二度と入院手術なぞするまいと決めていたのだが。

尿細胞診ではクラスⅢで悪性のガンというカテゴリーではないらしいが、さりとて良性でもないという中途半端なところで、やはり放置せずに切除すべきという主治医の見解だった。現状を鑑みてうなづくしかなかった。

ならば今度は2年前に忸怩たる思いをした中野のK病院は御免被り、主治医の後輩が部長という杉並のK病院の戸を叩いた。ここも昨年リニューアルしたらしく、あのK病院同様に施設が新しいのはせめてもの救いかもしれない。だが、またあの地獄の日々が始まると思うとホント凹むわ。

とりあえず会社関係者には8月上旬から下旬にかけて10日間前後の休暇を願い出た。もちろん入社初年度の有給休暇の日数では足らず、欠勤扱いとなって給料が減額されるというが、そんな事はどーでもいい。前の会社から正規退職金と早期退職割増退職金にボーナスを加えた金額が月末に振り込まれたし。それでも支給総額の2割以上も税金で持って行かれてた。つくづく日本は税金地獄だな。

それよりも、こんなに仕事がしたいのに入院しなければならなくなった我が身が何とも悔しい。先方にも多大な迷惑をかけてしまうので本当に申し訳ない気持ちで一杯だが、ここはひとつ臥薪嘗胆、改めて捲土重来を期すしかない。トホホのホ。





前立腺炎考

4月28日の最終出社日翌日から始まった有給休暇消化の日々。

その日々も1ヶ月が過ぎたが、正直ぼちぼち飽きが来始めた。始まる前は最終在籍日までの2ヶ月にも及ぶ連休もしくは毎日が日曜日の過ごし方にあれこれ想像力を働かせて楽しみにしていたのだが、イベントがない日などは判で押したような一日の連続なのである。特に月初からまたも疼きだした前立腺炎による股間のツーンが積極的な活動(まさにADLやQOL)を阻害する。寒い季節ならいざ知らず、こんなに暖かい季節でも症状が出てくるのはなぜだ?

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そこで(慢性)前立腺炎についていろいろ調べていくうちに、発症に関する確固たる原因こそ不明なものの、発現する症状の原因についてはある程度のアタリがついて来た。

すなわち、前立腺炎の病態は前立腺における細菌感染よる炎症を発症の端緒とする見解が多い。その症状は多岐に及ぶが、主として前立腺及び下部尿路周囲の疼痛、頻尿及び尿意切迫感などの膀胱機能異常である。その頻度や程度は個人差が少なからず存在する。

だが、その治療法となると一筋縄にはいかない。原因が感染症であれば抗菌薬が有効なはずだが、新規抗菌薬と言えども前立腺の外層までは薬剤が移行するものの、内層にまでしっかり届く薬剤はない。それゆえ数週間~数ヶ月に及ぶ抗菌剤の投与を試みても症状寛解は得られても完治に至るケースは多くない。激しい疼痛を伴う場合は、椅子に座る事も歩く事も出来ない日々が続く。

一方で、炎症の持続は疼痛と共に排尿・蓄尿症状を主とした膀胱機能異常を来たす。重症例だと昼夜20回を超える頻尿に悩まされる。その治療として、排尿筋や膀胱括約筋の緊張を緩和する薬剤が投与される。また時に抗不安薬の併用も試みられる。これらの薬剤は即効性は期待できるものの、長期連用による効果減弱や依存性の問題を生じる場合がある。認知機能低下や性機能低下などの副作用の発現リスクもある。もちろん効果には個人差がある。

前立腺炎における排尿・蓄尿症状は前立腺肥大症(BPH)と類似する。症状の原因となる尿路狭窄や膀胱機能への影響は、前立腺の炎症によるものか前立腺の腫大によるものかの違いはあっても、その原理は同じだからである。

いよいよとなれば、膀胱出口部狭窄改善のための外科手術という選択肢もあるが、これとて患者侵襲度の高い割に完治に至るケースは決して多くないようである。

こうして、発症原因不明に加え症状の多様性、有効性な治療法の不確立という現状により、最終的には泌尿器科専門医ですら「前立腺炎は気のせいである」とすら宣告する。つまりは心因性の疾患だというワケである。だがこれは断じて気のせいなんかではない。なぜならこの私が発症したからである!

日本人男性のおよそ半数が生涯に一度は発症するという疾患なのに、がんなどと異なり直接生命に関わる疾患でないゆえ、医師の関心も決して高くない。前立腺炎の患者はそれほど売り上げに寄与しない面倒な患者にされかねないのである。だが、この疾患の煩わしさと治療効果の低さに心身を患い、自殺さえ考える患者もいるというから看過できないのではないか。

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これまでの経験から、私自身も前立腺炎は完治に至りにくいと感じている。という事は、この疾患は徒らに完治を求めるよりも、疼痛の極期の発現を抑えつつ寛解期をいかに長く維持させるか、すなわちいかにこの疾患を飼い慣らすかという事が肝要だと考えるのである。

前立腺炎の多彩な症状のうち、私にとって最も辛い症状は前立腺周囲(会陰部)の痛みである。極期には立っても座っても耐え難い痛みに襲われ、そのせいで食欲もなくなり、抗菌薬を飲んでひたすら寝ている事しか出来なくなるのだ。血尿を伴う場合もある。これが短くても数日、長ければ半月も続くのだから堪ったモンじゃない。

最近は前立腺炎の病因の一つとして骨盤内うっ血という知見がある。うっ血が炎症の発症や持続に関与し疼痛を引き起こし、神経系や膀胱機能に悪影響を及ぼすという考え方である。

これは私も同感だ。なぜならこれまでの極期は主に寒さに襲われた時にやって来たからである。言い換えれば寒さによって骨盤内のうっ血が進行した後に会陰部痛が現れ、湯船に浸かるとそれが著しく緩和されたからである。それはすなわち前立腺周辺の血行状態による影響に他ならない。もちろんその部位で感染症が再発している事も考えられる。

それ以外にも私の症状は頻尿や排尿痛などがあるのだが、それはトイレでの一時的な症状だと割り切っている。疼痛ほど苦痛ではなく前立腺肥大も認められないので、今のところ疼痛緩和よりも治療プライオリティは低い。

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私の治療戦略をまとめると、まず寛解期に常時服用するのはうっ血を改善する漢方薬(桂枝茯苓丸)と抗炎症薬(セルニルトン)とした。セルニルトンは前立腺炎の初期に処方される代表的な薬剤であるものの、漢方薬と共にその効果は定かではない。だが長期服薬を考えた場合は安全性、忍容性の高い薬剤が優先されるからこれで良い。

さらに骨盤内うっ血の予防・改善のために往復5kmのウォーキングを日課とした。これは7月から始まる立ち仕事のための体力トレーニングを兼ねている。それ以降は終日立ち仕事中心となるので、敢えてウォーキングまでする必要性はなくなるだろうと思われる。

そして極期の到来を思わせる前兆(会陰部痛の増強)を感じた際は、躊躇せず抗菌薬(クラビット)の併用を開始する。併用期間は強い疼痛が収まるまでの2~3週間を目安とする。この間はできるだけ横になって安静にする。

今月中旬以降は寛解期に入り、常用薬を服薬しつつウォーキング(2.5km先の公園を目指し、公園でゆったりした後に帰路に就く)をルーチンとして2週間が経過した。今のところ寛解期が継続し会陰部に違和感は覚えるものの強い疼痛は出現していない。気候のせいもあろうが、意外に効果が得られているのかもしれない。このまま飼い慣らせればいいが。

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早期退職予定者のうち、5月末が最終出社日または最終在籍日となるメンバーから個人携帯に挨拶メールがチラホラ届いている。研修部門のフロアも別のフロアへ引っ越すという。

そんな事よりも気になるのは、P社によるウチの会社との合併案が浮上しているという報道である。当然これはいずれあるだろうと予想されていた事だが、その相手が違った。今回の合併報道では、同じP社が去年企てたAZ社との合併が破談に終わった次の一手とされているが、実はそのAZ社こそがウチの合併相手として本命視されていたのだ。

AZ社であれば英国同士、その企業規模からもまだ対等合併の目も残ると思われたが、P社となればほぼ吸収合併となるだろう。事実上、会社消滅の危機である。やはり残るも地獄、かな。




ああ春なのに・・・

東京の桜も開花し、世の中がパッと桜色の春に染まりつつある。本当なら気分も華やいで嬉し楽しの毎日になるところだが、今年ばかりはそうもいかない。

結局、私の部署の20数名の管理職のうち、これまで新組織でのポジションを得られた者はわずか数名に留まり、ほとんどは早期退職を申請したという。未だ保留の者も申請の締め切りが今月末なので決断を迫られている状況だ。私のように定年までの残り期間が少ない者はまだ良いのかもしれないが、10年以上残している者にとってはいくら割増退職金をもらってもペイしないだろうし、50歳台ともなると転職さえ容易ではない。

来月にはこれが一般職にまで拡大されるようだが、すでに業界各社でも同じようなリストラをしているため、巷には人材が溢れ大幅な買い手市場となっているので、そうそう簡単に手を挙げるというワケにもいかないだろう。果たして会社の描いた絵の通りに推移するかは予断を許さない状況である。

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それはともかくとして。

すでに意思表示を済ませて承認も降りている私なのだが、いささか困った状況にある。実は先週から持病とも言うべき前立腺炎が再発し、排尿痛を伴う頻尿と立っても座っても痛む排尿筋痛に悩まされ、抗菌薬と鎮痛薬を飲みながらほとんど自宅療養を強いられているのである。幸か不幸か、早めに消化しないといけないと思っていた5日間の四季休暇はおかげでさっさと使い切れたけど。

それでも症状が治まると喜び出社してみるのだが、仕事中に再び症状が出て来て、やがてそれが耐えられなくなって退社を余儀なくされる。折しも最後の担当となった新製品が昨日承認され、営業部隊の活動も全国でスタートしているというのに。それなのに今朝になって、またも排尿筋痛に苛まれ、ほうほうの体でようやく主治医の元へ辿り着いたのだが、その行動自体がいけなかったのか、尿検査で赤血球、白血球が出まくりとなってしまった。

あれこれ主治医に症状を訴え、自分で考えられる治療薬の提案を試みたものの、結局別の抗菌薬の処方を受け、今日も自宅療養を指示された。こんな事では製品担当者であるにも関わらず、現場からの質疑応答もできない。同僚にも大迷惑な戦力外人間となってしまった。ホント、申し訳ございません。この通り、アタマと上半身は至って健康なんですが。

私は1年7ヶ月前に膀胱腫瘍の切除手術を受けている。主治医からも、定期的な膀胱内視鏡検査を受けたほうが良いと言われているものの、あの時の尿カテ地獄のトラウマからアソコにモノを入れる事をどうしても避けてしまうのだ。それでも昨年11月、非侵襲的検査である膀胱のMRIとエコー検査だけは受けて、特に異常が認められないと聞いて安心していた。

今回の前立腺炎再発は昨年12月下旬以来だが、前回はそれほど長引かなかったのに、今回は1週間以上続いている。ここを主治医に指摘され、症状寛解後の膀胱内視鏡検査を勧められている。最悪、膀胱腫瘍の再発も覚悟しなくてはならないかもしれない。

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少々物騒な話のような展開になって来たが、このブログを始めた理由の一つが日記兼用の記録書だった。元々そういう側面を持っているので、私自身に関する重要な出来事は敢えて記録しておく必要がある。

幸い、今のところ応募した企業各社から面接の打診はない。すでに年齢や年収の面から書類選考で落とされた先はあったが、いずれも現職と同様な学術研修職に絞って応募しているので、天命がなければ縁も生じないだろうと比較的ノンビリ構えている。

同僚達、特に薬剤師免許を持っている連中が、失業保険を貰いながらしばらくゆっくりしてから探そうかなどと言っているのを聞くと 、私だけが現役年齢に拘ってあくせくするのもナンだかなぁという感じがしている。彼ら同様、しばらく経ってから薬局勤務でも探せばいいのかもしれないな、と。

今後の病状推移と検査結果によっては、文字通り腰を据えて掛からなくてはならなくなるかもしれない。このまま転職先が決まらなければ、5月から最終在籍日となる6月末までの2ヶ月間は有給休暇の消化で過ごすので、その期間をじっくり治療に充てればいい。6月上旬に予定されている息子の結婚式にも支障は出ないだろう。

問題は4月! こんな状態になるとは思わずに部署の解散パーティー、恒例のキャンプ、研修ツアーでお世話になったお店への行脚などなど、自ら企画したお楽しみテンコ盛りなのだ。だからこの期間だけは何とか症状を抑え続けておきたいと切に願っている。これが誰かの呪いや祟りでないのなら、あとは例によって私自身のヒキの強さの勝負だ。

だから今はひたすら臥薪嘗胆の日々、鮮やかな復活を期すことにしよう。





MRIと細胞診

去年受けた膀胱腫瘍の再発チェックを兼ねて、定期検診ついでにMRI検査を受けた。CTやMRIなどの画像検査は研修などではしょっちゅう喋るものの、これまで自分自身受けた事はなかった。ましてや、あの術後尿カテによる地獄の日々を味わわされた身には、あそこに何かを挿入する検査は金輪際拒否だから、侵襲の無い検査ならばいい機会とばかりに体験してみたのである。先月22日の事だった。

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想像通り、検査は至ってシンプル。呼吸センサーを付けて装置のベッド部分に仰向けに寝ればOK。ベッドごと測定部分に吸い込まれていくような感覚だが、ここで気になる事態が! 身体が半円形の筒に覆われて行くのだが、その天井高が非常に低く身体スレスレに迫って来るため、かなりの圧迫感を覚えるのである。これは閉所恐怖症の人はもちろん、そうでない私にも恐怖を感じてしまうレベルだ。異常を知らせるブザーのようなものを持たされた意味がこれで分かった。私はすぐに目をつむってうたた寝態勢に入ったけど。

やがて撮影が始まった。医学書にあったように確かに音がやかましい。そのために予めヘッドホンをしているのだが、それでも音は漏れて来る。やがて呼吸センサーが呼気を検知すると撮影をするという事に気付き、時折息を止めて遊んでみたりした。検査時間はおよそ30分、訊いてみると頭部の場合は20分足らずで終わるそうである。その後、診断精度を高めるために尿が貯まった頃を見計らって膀胱超音波検査もやって検査終了。

いったん帰宅し、午後3時に再来院して画像診断の説明を受ける。MRIとエコー画像からはいずれも腫瘍の影は認められないとの事で、結果はシロ。ただし、尿細胞検査で異型細胞らしきものがあったとかで、がんセンターへ病理診断を依頼したと。その結果が先日郵送されて来たが、結果はClassⅡ、異常を認めないと判定されていた。これでひとまず再入院、再手術という最悪のシナリオは回避された。後はいまだに股間を悩ませている前立腺炎の鎮静を待つばかりである。股間のツーンは寒さで勃発するため、最近は小型の使い捨てカイロを下着に貼っている。ああ情けなや・・・。

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今年最後の全国研修ツアーが2日からスタートしている。ところがこれが結構タイヘンな事態になっている。通常、初日の研修はコンテンツ作成者がそれぞれの製品研修をやり、研修終了後にトレーナー全員で修正ミーティングなるものを実施してアジャストするのだが、今回はそれが3時間近くに及んだ。修正したものを翌日からの2会場で実施したものの、なお受講者の反応が芳しくない。で、全員オフの昨日夕刻から、さらに3時間以上を掛けて2つのコンテンツに再度見直し修正をしなくてはならなくなったのだった。

既に2ペアのトレーナーでトータル5会場以が終わった時点で、このような状態にある事は極めて異例だ。もっとも、当該プロモーションに新しいデータやトピックスも無く、いわば素材に新鮮味が少ないという事も原因の一つではあった。いずれにせよ、これでは作成担当者自身もそれを受けて実施する方もコンフュージョンしてしまう。いつもなら、3会場も終わる頃にはトークもギャグも出来上がっているのだから。

修正案は出るものの、トレーナー間でもなかなか合意に至らない。ミーティングの時間だけが刻々と過ぎて行く。終いにはトレーナー個人のエモーショナルな発言も飛び出す。かなり切迫した雰囲気となったが、結果としてはこれまで鬱積したものを吐き出せた、良い意味のガス抜きになったと思う。お互い確認すべきことはしっかり共有して、ここからまた進めば良い。




股間がツーン、ふたたび

昨年の8月に受けた膀胱腫瘍除去手術のキッカケとなったのは、それより数ヶ月前から違和感を覚えていた前立腺炎の治療で通っていた泌尿器科のKクリニックでの尿細胞検査だった。

手術とその後の尿カテによる悪夢の日々をどうにか潜り抜け、年が明け、春が来て、夏を過ごしたあたりで、それまで鳴りを潜めていたあの違和感が再び蘇って来たのである。

前立腺炎はいったん治まっても再発する事は良く知られている。私も先月あたりから股間の違和感、いわゆるツーンとする痛みが歩行時にまで及び、ドック&定期健診をしている別の診療所の内科医に尿道括約筋の緊張を抑える薬(α1ブロッカー)を処方してもらったのだが、今回はそれでは治まらなかった。

お風呂に浸かるとこれが気持ちよく治まってくるから、やはり炎症性の病変があるのだろう。できる事なら、このまま湯船に浸かりながら出社したいくらいである。いよいよとなったら抗菌薬の処方もお願いしようと思っているが、このまま寛解すれば、それもまた良し。

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先週末こそ、恒例のPICA山中湖キャンプに参加したものの、まあそれはしょせんレクリエーション、どうなっても自己責任なのだが、日常業務となると話は違う。

来月からスタートする全国研修ツアーのためのコンテンツ作成がすでに始まっているのだが、例によってこれがなかなか思ったように進捗できない。特に今回は来春発売予定の新製品の初回研修があり、その事前学習e-Learning教材や研修時のスライド作成で、文字通りテンテコマイ状態なのである。

一つの教材や資材を作成するためには、社内の実に7つもの審査関門を通過させなくてはならない。それぞれで差し戻しでも食らおうモンなら修正して再提出を繰り返さなくてはならない。時にはあまりの細かさに「オマエは役所か!」と叫びたくなる事もある。

同時並行で進むトレーナーチーム内での予演会。ここでもより分かりやすく、行動に移しやすくをテーマに微修正が加えられる。今回も12月2日の初日直前まで侃侃諤諤が続くんだろうな。

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そんなこんなで休日はイベント参加か休日出勤研修にほとんど費やされる日々が続いている。無病息災が一病息災、一病どころか二病、三病と増えていき、気がつけば30代半ばまで医者一つかかった事のなかった我が身が満身創痍状態になっていた。いつしか、どう生きて行くかよりも、どう死に行くかを意識するようにもなった。

不治の病に侵され、11月の初めの安楽死を自ら予告敢行したアメリカの女性の話が盛んにニュースで取り上げられたが、もちろんこれは他人事なんかではない。私自身が常に自問し続けている、人生の終焉を自らが選択するという生きざまそのものだったからである。







今度は後ろから

3日からスタートした9月度全国研修ツアーだったが、大きなトラブルもなく無事に高松会場で千秋楽を迎えた。高松と言えば讃岐うどん、実はこれがおあつらえ向きだった。

研修ツアー終了翌日の金曜日は出張清算処理の後、研修全体のAAR(After Action Review、いわゆる振り返り反省会)や明日から始まる別の研修コンテンツの検討などであっという間に日が暮れた、どころか21時を過ぎてしまった。早く家に帰って下剤を飲まなければ! 土曜日はCF(大腸内視鏡)検査が待ち構えているのである。

思えば去年の夏は、前立腺炎から膀胱内視鏡検査、さらには膀胱腫瘍切除手術(TUR-Bt)を受け、思い出すだけでもおぞましい尿道カテーテル地獄に晒された。その傷も癒えぬうちに今度は人間ドックで便潜血が見つかったためにCFを入れられるハメになったというワケである。去年は前から、今年は後ろから、前から後ろからって、これってどーなんだ?

検査の説明書には前夜21時から下剤を飲んで絶食となっていたが、いかんせん帰宅できたのが22時近く。前々日からは消化の良いもの限定だったので、高松では昼夜とも讃岐うどんで楽勝クリア。帰京した次の日の朝はパン、昼は東京の立ち食いうどんで凌いで来たものの、夜は何か食べなくては本番が持たない。で、パンを2つ3つ買って帰って慌ててかきこみ、2種類の下剤を飲んだ。

翌朝、診療所へ行くと、看護師さんの簡単な説明の後に小部屋に案内され、1.8リットルの液状下剤パックと紙コップ、それにタイマーが目の前に置かれた。ここから1時間、5分ごとにコップ一杯の下剤をついでは飲んでください、検査までの目標排便回数は10回です、などと無慈悲な宣告を受ける。

スマホや雑誌を見ながら過ごしつつ、タイマーで5分経過するとポカリ味の液体をコップについでは飲み干すのだが、これがなかなか上手く行かない。つい雑誌に夢中になるとあっという間に5分が経過してしまい、慌てて飲むの繰り返し。 いやぁ、5分って時間は短いんだと思い知らされたわ。でもね、いくらポカリ味だと言っても、一升瓶1本分を1時間で飲み干せるかっての!

もともと下剤の効きにくい私、10回なんてハナから無理、せいぜい6回で時間が来た。看護師さんは「じゃあ、あと2回、8回出たら検査に行きましょう」とまたまたご無体な宣告!

実はCF検査はここまでがツライのだった。いざCFが入ってくれば、検査時間はものの10分かかるかどうか。ただし、腸を膨らませるためのガス注入はチト苦しいかも。やがてCFは最奥の盲腸へ到達した。そこから肛門へ戻る間にDrと一緒にモニターで見て行くのである。自分の内蔵、特に消化管を見るのはもちろん初めて、これが意外に綺麗に見えて愛おしくなるから不思議だ。

心配された腫瘍らしきものは見えて来ないのだが、横行結腸に差し掛かると、そこに肌色のポリープがいた! Drはこれは便潜血の原因ではないけど、切除して病理検査へ出すと言う。その様子もモニターで見られる。ハサミであっけなくチョキン、血がちょっと出た、てなモンである。大腸内側には知覚神経がないので痛みはない。物理的な感触がわずかに伝わっただけだった。

結局、潜血の原因となるような病変は認められず、Drからの「こんなケースもあるんですよ」の言葉にひとまず安堵を覚えた。大腸がんは膀胱がんとは違って深刻度がまるで違うからね。結果は2週間後。

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今日は朝から自主休日出勤。研修の前後に行なったテストの採点が終わらないからだ。

早急に結果を現場にフィードバックしなければならず、同時に新しいコンテンツ作成に取り掛からなくてはならないため、採点と結果入力作業が平日の業務時間では間に合わないからである。2〜3ヶ月に何度かそういう事態が訪れるので慣れたモンだが、期限までに仕上げなくてはならない仕事は、ここ一番、自分でオトシマエをつけるしかない。もちろんノーギャラ上等。

まあ、過ごしやすくなったこの季節ならエアコンレスのオフィスでも何とかなる。電話もなく、誰もいないから自分のペースオンリーで作業が捗る。この休日出勤、私は決して嫌いではないのである。

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御嶽山が大噴火! なまじ秋晴れの休日だったから大勢の登山者がいたらしい。一時は頂上付近に200人以上も取り残され、数十人が高熱の火山灰に襲われたという。まさかこの時期にこれほどの噴火が起こるとは誰も想像だにしなかっただろう。

だが、こういう大災難の被災者は、我々と同じに家族や友人と共に生きて来た歴史をそれぞれが持っている。これだけの事故なら不幸にして犠牲になった登山者も少なくないだろう。それぞれが歴史を抱えている人間である限り、これまでの報道のように犠牲者数として一緒くたに語られるのは大いなる違和感を感じるが。

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自主休日出勤後に帰宅したら、今度は新聞の集金が来た。

親父の代から数十年に渡って我が家の新聞としてとって来た朝日新聞。もはやカミさん共々、紙の新聞をほとんど読まないのに漫然と購読して来たので、新聞紙の束が溜まって行くばかりで困っていた上に今回の不祥事。ついに私は集金人に購読停止を通告した!

契約担当の者から再度連絡を、などと戸惑っていたが、あなたから伝えればいいでしょと突っぱねた。彼から手渡された朝日新聞本社の詫び状を見てみたら、通り一遍の詫び口上の後に、吉田調書記事と慰安婦記事について第三者機関に委ねるだの委員会を立ち上げますとの文面に再度怒りを覚える。

私は新聞は社会の公器と習った。それは事実を事実として伝える事を旨とするのと同義のはずだ。だが新聞は人間が作っている以上、時として誤報が生じてしまうのはある意味当然だ。万一誤報が判明したならば直ちに謝罪、訂正すれば良い。社会から指弾されるとしたら、そのミスに対してのみだろう。

許せないのは捏造である。捏造が誤報とは根本的に異なるのは、そこに作者側の、大抵は邪な意図が存在するからである。伝えるべき事実を伝えずに、伝えたい意図を事実として伝えてしまうのが捏造じゃないのか?

新聞などのマスコミは、大衆や社会に対し誤った事実を植え付けたり、偏った認識で世論操作を企てたりする事が可能なほど強力な力を有している。それを意図的に操ったらどういう事態が生じるか? だからそれに携わる人間は高い倫理観が求められて然るべきなのだ。

それをないがしろにして、何度も捏造に手を染め、なかんずく国益を喪失させるほどの事態を放置した事は許し難い犯罪と言ってもいいだろう。第三者機関や委員会なんぞよりも己の自浄努力をトコトン明示する事が先だろが! そんな輩に言論の自由を語る資格もへったくれもないわ!

何度も言う。誤報ならば謝罪と訂正で許されもしよう。だが捏造は犯罪である。





病理診断が下ったぞ

偶然にも終戦記念日の15日に退院して半月が過ぎたというのに、肉眼的な血尿は収まったものの、排尿終盤から直後にかけての痛みとの闘いは続いている。相変わらずトイレがイヤだの毎日なのである。

一方で、来月3日からスタートする9月度全国研修ツアーのコンテンツ作成&予演会も大詰めを迎えてなお議論沸騰、侃々諤々の毎日。それでもここに至ってようやく神が降りて来たようで、瀬戸際の魔術師よろしく何とか良い方向にまとまって来た。

というワケで、文字通り公私に渡ってドタバタしているのだが、今日はいよいよオペで切除した膀胱組織の病理診断の判明する日という事で、K病院を受診した。並行して胸部粉瘤切除後のフォローで形成外科を受診しているが、この診療科の外来患者数は少ないので、ほぼ予約時間通りに完了した。

ところが泌尿器科は違う。土曜日という事もあるのだろうが、外来待機席に溢れんばかりの患者がいて、結局私の予約時間から1時間半近く遅れてようやく診察室に呼ばれたのだった。

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最悪も含めた悪い結果が知らされた場合の受け答えのシミュレーションも済ませ、いよいよ結果発表の時は来た。

担当医から日本語と英語で記された病理診断結果を示され、それを見ると「低異型度」の文字と「非浸潤性」という文字が見て取れた。要するに悪性度の低い腫瘍だったという診断。まずは一安心。

だがこのケースであっても30%程度は再発を見るという。そのチェックのため、今は想像すらしたくもない膀胱内視鏡検査を3ヶ月に一度程度は続ける必要があるとのこと。同時に、この日までペンディングにしていた再発予防のための低用量抗がん剤の服用はせず、肝機能の回復を優先する事をこの診断結果を受けて決定した次第。

ま、これでひとまず膀胱がんによる余命宣告は回避された。少なくともいずれ訪れるであろう自分の死因の選択肢が広がったというワケである。

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夏休みで帰って来た二男が、今週から本格的に自動車教習所(MTコース)に通い始めた。我が家には過去、免許取得の意欲の低かった長男が、教習所を卒業しながらも試験場の○×テストで勝手にリタイアし、その後、結局自費で一から教習所に通って取り直したという苦い歴史がある。

今度は大丈夫だなんていう保証はどこにもない。なんせ彼の免許取得の目的は身分証明書だとのたまったくらいだから。今の若者にとって車の運転なんて所詮その程度のモンなのかね。


術後に苦痛が待っていた!

経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-Bt)との闘いは手術そのものではなかった。全身麻酔手術に伴なう尿道カテーテルこそが闘うべき真の敵だったのである。

術後にすでに挿入されていた尿カテは、その後の私から活動の自由を奪い、その不快極まる違和感、圧迫感により熟睡を妨げ食欲を減退させた。足掛け3日間、心身の消耗度は著しく、もはやどうなっても構わないから、一瞬でも早くコイツを抜去して欲しいと心から願っていた。

だが、いざ抜去となるとその痛みはネットでググったコメント以上の激痛で、抜去後も続く痛みにウメキ声を上げ続けるほどだった。検査、手術、尿カテと尿道を散々いじめまくったせいだろうが、膀胱還流用のより太いカテだったせいでもあった。

その後は排尿のたびに血尿、排尿痛、排尿後痛に悩まされた。抜去後、たまに尿閉を起こす人がいたり凝血によって排尿が妨げられたりする事があるという。その場合はこの地獄の尿カテ再挿入にもなりかねない。だから水分を多く摂り、尿量を増やさなければならないと言うナースの言葉にはモチ二つ返事で全面服従!

水分多量摂取は尿量だけでなく排尿回数も増える。排尿痛もさることながら、排尿後に押し寄せる膀胱痛が収まるまでの数分間が特に辛い。これがおよそ90分周期でやって来るトイレのたびに見舞われるから、もはやイベントと言ってもいい。便器を染めた血尿を眺めながらトイレの壁に両手をついて痛みに耐えるOYAJIの姿と来たら、実に情けないの一言である。こんな有様だから大きい方をする気も失せ、完全に便秘状態。

ここへ来て、尿カテ挿入の意味を遅まきながら私は察知したのだった。そう、尿カテによる排尿は膀胱の収縮や尿道の刺激が不要である。それは即ち手術で傷ついた膀胱の安静が保たれ、膀胱痛を感じる事もないというメリットをもたらしていた。術後に膀胱や尿道の痛みを感じなかった理由はそれだったのである。

排尿および排尿後痛。程度や長さが多少変化しつつもそれは今も続いている。だからわずかでも尿意を催して来ると恐怖を覚える。かと言ってギリギリになってトイレに駆け込むと、今度はこらえがきかなくなっているので大慌てになってしまう。そして数分間の排尿後痛との闘い。抜去後からはこの繰り返しだった。

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再発しやすい膀胱腫瘍だが、その予防のための抗がん剤UFTの低用量服薬が退院後からルーチンに課せられると聞き、肝機能とも闘っている私にとって、そのリスクベネフィットを慎重に判断したいと薬剤師に告げた。今日になって執刀医(実はこの時まで執刀医は知らされていなかった!)の一人のDrとその件についてしばし質疑した。

まずは切った時の腫瘍の状態を訊き、再発予防のUFT服用の実施状況とそのエビデンス(エビデンスが乏しい事は調査済みだったが)、私の検査値と副作用とのリスクなどについて私の考えを伝え、取り敢えず月末の病理診断結果を踏まえて総合的に服薬の選択を判断したいという要望を了承してもらった。

手術から3日、この間朝晩に10秒足らずの入室だけの回診(それもDrからの短いコメがあるか無いか、投げかけは一切ない)だけで、キチンとしたムンテラなどが一切なく、こちらから要望して初めて対応がなされるという姿勢はやはり大いに疑問を抱く。この診療科だけなのかもしれないが。

Drだけではない。毎日替わる病棟担当ナースにも同じ事が言える。患者目線で接しようとする人もいれば、患者をコントロールしようと見える人もいる。どちらも入院加療を効果的・効率的に送らせるためには必要だろうが、昨日までのナースには状態を告げながら血圧を測っていたのに、今日のナースは話そうとしたら口に指を当てて喋るなのサイン。喋ると値に影響すると言うが、私ゃ高血圧患者ではない、喋ったくらいで変動する値にそれ程の意味は無かろうよ! 昨日まで個室の消灯など言われた事がなかったのに、今日は消灯時間ですとメインの照明を消しに来る。個室なら誰の迷惑にもならんだろが!

がんや腫瘍の手術をした患者の不安は想像以上なのだと同じ身になってみて初めて痛感した。普段の研修で語っている患者像やマインドはまだまだ甘かった、分かったつもりになっていただけだったんだと深く反省した。術後の苦痛との闘いも含め、今度の研修から受講者へ率直に伝えたいと思っている。

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入院が一日延長したが、とにもかくにも苦労した4泊5日だった。ちなみに、支払った医療費の自己負担分(DPC、個室代、食事代)は20万円強、DPCの保険点数は約45000点だった。

私も大方の患者同様、自分だけは軽症でたいした事はないと思いたい。辛かったこの入院手術さえ終われば元通りになるんだと思いたい。だが、調べれば調べるほど、膀胱腫瘍を極めて楽観視していただけだったという事実にブチ当たった。

今度ばかりはいつものように、帰れるんだ、これで、帰れるんだ~! ライラ、ライラ、ライラライ~! という気分には程遠い。予後にある程度の覚悟も必要だと実感している。

昨日のエントリにも書いたが、今後尿カテを挿入するあらゆる手術を拒否したいという気持ちが強いから、もしかしたら将来、私の死因は再発もしくは進展した膀胱がんが原因となっているかもしれない。もちろんそうならない可能性もある。でも人はいずれ必ず死ぬ運命にあるのだ。違いがあるとすれば、死ぬまでの時間と死に方だろう。

今回の一連の出来事は、自分はどうやって死んで行くかなんて事をしみじみと真剣に考えざるを得ない機会となったと思っている。その意味では貴重だったと言えたかな。





手術は尿カテとの闘いだった!

「全身麻酔は眠ってるうちに終わっちゃうよ」

経験者の誰しもが口を揃えて言うものの、全麻手術初体験で生来ビビリの私は、それでも十分過ぎるプレッシャーを感じながら日曜日に前日入院した。病棟にはさほど入院患者もいなく、個室の病室は建物が新しい事もあって居心地は良さそうだった。

翌日の昼過ぎ、ナースに連れられてオペ室へ。手術台に寝そべるや否や、オペ室ナース達が手慣れた手つきで検査機器を装着していく。ただ、血管がうまく浮いて来ない私だから仕方がないのかもしれないが、静脈ラインを取るナースが事もあろうに手の甲の小指の下の血管にシリコン針を刺した。そこ痛いだろ! せめてもっと別の場所にやってくれよ!

で、いよいよ麻酔。少しボンヤリしたかと思っていたら、あっという間に落ちたらしい。リバースしたらすべてが終わっていた。確かに過去にやった局麻手術と違って楽だなとは感じた。

ストレッチャーで病室に運ばれたのがほぼ2時間後だったから、経尿道的膀胱腫瘍切除術(TUR-Bt)は短時間のお手軽手術だったのは間違いない。

ふと気がつくと、手には点滴、足には血栓予防の間欠式空気圧迫装置、そしてアソコには尿道カテーテルが装着されていた。術後の患者はそんなモンだと理解しつつ、手術の疲れも手伝ってしばし眠りに落ちた。が、やれ食事だ服薬だ体温だ血圧だとナースがひっきりなしにやって来るからおちおち眠れやしない。こんな時くらい、お願いだから放置プレーにしておいてよ。

夜になってやっと眠れる態勢にはなったものの、手、足、アソコの3点が繋がれているから、仰向けのまま寝返りも打てず身体も動かせずで背中が痛くなり熟睡出来ずに朝を迎えた。尿カテはツーンとした痛みのようなものをたまに感じるが、それよりも圧迫感がハンパじゃない。ましてや男性にとって一番デリケートなところに管を挿入されているから動こうったってそんな気も起きない。まるで首っ玉押さえつけられたサル同然である。

ところで以前、血栓予防薬を担当していた際、術後の理学的予防法で最強はこの間欠的空気圧迫装置だが、欠点はその強い圧迫感と動作音で眠れないほどに辛いと言っていた。ところが、これはこの診療科のやり方なのかも知れないが、ほとんど圧迫感も音もなく、足が固定されていること以外に不快感を感じなかった。もっと言えば、こんなやり方で肝心の血栓がきちんと予防できるのかと疑うほどだった。

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さて一夜が明け、点滴ラインと空気圧迫装置が外されて手と足の自由を得た。だがこれで外せると思っていた尿カテの方は回診時にDrから冷たくもう一日延期と告げられた。実はこれが一番きつかった。初日にやっていた膀胱還流も終わり、排尿パックを連れてなら歩ける状態になったはずが、やはりその不快な圧迫感からそんな気にもならない。

そこから次の朝を迎えるまでのなんと長かった事か。

鈍痛にも似た圧迫感は時間と共に増し、とても2日間も我慢できそうにもないが、でもどうする事も出来ないもどかしさ。抜去のためには尿を綺麗な色にする必要があるため、ひたすらペットボトルのお茶を飲む。ただでさえ無味乾燥な病院食、食欲なんて湧くはずもないからほとんど口にする事もなく寝ているばかり。せいぜい両足を交互にくの字に曲げるのが精一杯、だから今度は足が痛くなって来る。確実に消耗しているのが分かる。

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やっと、本当にやっと、空が白々と明けて来た。カテーテルが抜去できる朝が来た。

排尿チューブの中の尿の色はまだ赤味がかっていたが、何とかDrから抜去のOKが出たようだった。それにしてもこの病院、入院患者への回診がいつも10秒前後、一言コメントで終わってしまうのは如何なものかと思う。今まで入院した病院でこんなに短い回診なんてなかった。内視鏡で切除した病巣の大きさや程度の話や今後の治療戦略の話も一切ない。ま、今は私の方もじっくり聞ける状態にはないのだが。

朝食後の回診、今朝は部長以下4名のDrがうち揃って来室したのでこっちがビックリ。でも相変わらず一言コメント「後ほどカテーテルを抜去します」

いよいよ抜去の時が来た。ヒマに任せてググってみたところ、結構な痛みを伴うとの事。でもこの状態から解放されるのなら、その瞬時の痛みにも耐えようってモンだ。まずは膀胱で膨らませていたバルーンの中の水を抜去、これは痛みなどない。そしてカテ抜去。この痛みを何と表現すべきか私は知らない。灼けるような痛みとはこういうものを指すに違いない。「あっ痛、痛、痛〜!」と叫んだのは言うまでもない。

後からナースに訊いたところ、他の手術ではもっと細いカテーテルなのだが、膀胱還流が必要な場合はそれができる太いカテーテルとなるそうだ。私は膀胱腫瘍なのだから還流は必至、いきおいその圧迫感も抜去の痛みも別物という事になる。

不幸な事にその痛みは抜去後も続き、この後排尿できなければ退院出来ないと言われ、またお茶を飲む。いよいよ尿意を催したが排尿は激痛を伴ない、ホウホウの体で血尿50ccを絞り出した。これでいいんだろってなモンである。

ナースに報告していたら、今度は薬剤師の女性が来て、いきなり「退院後飲んでいただくUFTについて説明に来ました」と言うではないか! 「ええっ! UFTを飲むんですか?」「あれ、先生からお話がありませんでした?」「切除の状況も含めて一切ないよ。抗がん剤を飲むって事は本チャンの膀胱がんだったって事?」「いえ、これは再発予防のためで、飲んでいる人も結構いますよ」「そういう事じゃなくて、それ以前にインフォームド・コンセントの問題だよね?」「では先生に確認しますね」

痛み止めにボルタレン坐剤を入れてもらって少し落ち着いたと思っていたら、そこへナースが薬を持って来た。抗生剤と今日から飲む薬ですと2包差し出す。1包はUFTだった。速攻で薬剤師とのやり取りを告げて服薬を保留したのは言うまでもない。説明もなくハイそうですかと飲める薬じゃないだろが!

どうやらもう一度排尿を確認出来たら退院が決まり、その際Drから説明がなされるようだ。いずれにせよ、もはや単なるポリープのような腫瘍ではないらしい。切ってお終いとはならないようだ。だが、尿道カテーテルだけはもうカンベンだ。医学がこんなに進歩しているのに、なぜこんな患者侵襲度の高い処置が存在するのか? いや、これは処置というよりもはや拷問である。頼むからコンドーム型の外付けカテをもっと開発普及させてくれ!

今後、再発や進展を見たとしても、私はこれをやられるくらいなら切らずに維持療法、やがて緩和療法からホスピスへの道を選ぶだろう。大抵の事はガマン出来た私でも、それくらい尿カテはシンドかった。涙




こりゃあ 出口なしか?

Kクリニックの膀胱内視鏡検査で膀胱腫瘍が見つかり、紹介状を持ってK病院泌尿器科を受診。ちょうど形成外科の抜糸後の状態確認受診があったため、一挙両得とばかりにこの日に初診予約を入れていたので、予定通り朝の9時過ぎに病院到着。

まさかここから診療地獄が始まろうとはこの時は思いもしなかったが。

カミさんの有料老人ホームの入居者もかかった事があるという泌尿器科は、想像以上に高齢患者(のみ!)で混んでいた。男女それぞれいるものの、他科で見られる若い女性患者などは見事に一人もいない。研修で言ってる通りの患者年齢層そのものだった。

待っているうちに形成外科の予約時間が迫って来たので一旦移動する。形成外科はいつものように外来患者が少ないので術後の確認受診は何なく終了。再び泌尿器科へ戻ったが、相変わらずの混雑、私の予約時間なんて既に1時間以上も過ぎていた。

やっと順番が巡って来た。診療室で私を迎えたのは予想していた部長先生ではなく、比較的若いDrだったのでチョット期待外れ感。だが自信に溢れ理路整然としたムンテラを受けて信頼度は高まった。やっぱり信頼というものは言葉や態度の裏付けが重要だと再確認。

手術は4、5日の入院となるようだが、私としては最低でも全国研修ツアーのスタートする9月までには完了しておかなければならないという事情があった。ちょうどお盆の時期の8月中旬が空いていたのでそこを手術日と決め、HIVなどの血液検査、心電図、レントゲン、呼吸器などの術前検査を今日のうちに済ませるという事になった。

だがこれが地獄の始まりだった。

検査室で待たされ、ようやく戻った外来でも待たされ、気がついたら病院へ来て既に4時間が経過していたのだった。その間、渡されていた手術の説明書を読んでいたら、そこにはエラい事が記されていた。

膀胱腫瘍や膀胱がんには3つのパターンが存在するという。Aパターンは腫瘍が粘膜止まりで生命に影響しないが、高率で再発するらしい。Bパターンは筋肉層まで浸潤した腫瘍で、今回の手術では根治しないらしい。そしてCパターンは上皮内がんと言われ、悪性度が高いがんだという。さあ、どのパターンがいいでしょうか?

おいおいおい〜! これってどのパターンでもヤバイんじゃないの〜!

長年育てて来たフォアグラ由来のヘパトーマなら十分想定内だけど、まさかここで膀胱がやられるとは文字通り想定外だった。もはや肝機能もヘチマもないわな。ところどころで私が公言してる68歳往生説はあながち空想でもなかったのかも? いや、この調子だと往生はもっと早い?

それでも、取り敢えず切除すれば道が開けるのだから内視鏡による手術の初体験をしてみよう。おまけに麻酔は腰椎麻酔かと思っていたら全身麻酔だという。こちらの方も初体験なので、研修の時に語れるネタが増えるのは楽しみと言えば楽しみだが、生来のビビリから言えばそれはそれで恐怖である。

おかげで5日間の四季休暇がこれで終わってしまうが、こうなったら今年を「悪いモノ出まくりイヤー」と覚悟して、いっちょ行けるとこまで行ったろか!




一難去って・・・

K病院で行われた胸部粉瘤除去手術の経過は順調だ。あれほど圧迫痛を感じていたケロイド状の患部は、5cmくらいの縫合跡を残してきれいに無くなった。術後の痛みを感じる事もなく、先週土曜日に抜糸して今週土曜日に最終確認のための外来受診を経てフィナーレを迎える。

さあ、次は前立腺炎に終止符を打つ番だ。そういえば植物製剤のCにα1ブロッカーのFを加えて飲み始めたのがひと月前からだった。そのおかげか、あれほど悩まされていた股間のツーンという痛みが失せ、頻尿や排尿痛も姿を消し、今や非常に快適な毎日となっていた。やっぱオレ名医?

もっとも、治療には長いスパンが必要な前立腺炎だけに、治療開始から2ヶ月以上も経過したあたりで、そろそろ寛解期に入ったというだけかもしれない。ちょうど薬も飲み終えたので、昨日、処方箋を貰うために1ヶ月ぶりにKクリニックを受診した。

このところの快調さを告げ、あとは処方箋を書いてもらうばかりと思っていたら、先生から意外なコメントが告げられた。

「そういえば前回の尿細胞疹の結果が来ましてね。それによるとちょっとヘンな細胞があるみたいです」

「前立腺炎のせいで尿に血液が混じっているくらいですから、少しはイレギュラーな細胞もあるでしょうね」

そう答えた私だったが、瞬間的に一抹の不安も抱いていた。

「これは膀胱内視鏡検査で中を視てみる必要があるかな?」

泌尿器科の内視鏡検査や手術って、内視鏡をどこから挿入するか? そう、答えは一つしかない。男性なら想像だにしたくない場所から入れられるのである! 胃カメラすら飲んだ事のない私には、アソコからモノを入れる検査なんて到底受け入れられるはずがない!

「大丈夫ですよ。痛みもないし5分くらいで済みますから」

ウジウジしている私に、先生から悪魔の判決が下される。

「別の日というのもナンだし・・・ よし! 今やっちゃいましょう!」

下半身スッポンポンで外来の診察台に寝かされる。それも産婦人科の内診をするような格好で。今さら恥ずかしさなんてモノはないものの、これから始まる処置を考えると自然と身体が強張って来る。何せアソコにナニを入れられるのだから!

麻酔を塗られて痛みこそ感じないが、内視鏡が入ってくるおぞましい感触は伝わって来る。続いて膀胱を膨らませるために生理食塩水が注入。カーテンで仕切られてその場面は見えないが、想像は簡単につく。

内視鏡で一通り覗き終わったのだろう、今度は注入した生理食塩水が排水される。力を入れていないのに勝手に排尿していく感覚がまたヤバい。先生の言った通り、5分程度で検査は終了した。

その後、再び外来診療室。先生はおもむろに言った。

「膀胱の中に腫瘍が見つかりました」

「がんですか?」

「視たところ早期で悪性度も高くないようですから、病院で内視鏡手術をすれば除去できます」

という事で、家からも近く駐車場も広いので通院に便利なK病院への紹介状を書いてもらった。またもK病院、形成外科から今度は泌尿器科のおかかり患者さま一丁上がり~!

後で分かったが、この膀胱内視鏡検査、膀胱内に結構空気が入るようだ。麻酔が切れるあたりから頻繁に尿意が襲い、あわててトイレに駆け込む。まともに尿が出ているうちはいいが、やがて先っちょから「プッ、プッ」と空気が漏れて来るのだ。その違和感ったらない。血尿こそ出ないが、排尿痛も感じる。まるであの前立腺炎をぶり返したかのように。

CMで、男性は8の倍数の年齢で身体に変調を来たすと言ってるけど、それに近い年齢の私は今まさに変調のド真ん中にいるみたいである。CMの通りに養命酒を飲んでなかったのがいけなかったのかな?

ともあれ、一難去ってまた一難、なかなか憂いの数は減ってはくれないようだ。





10年来の厄介モノといよいよ勝負!

私の粉瘤はまるでケンシロウのように胸の中央にある。

かれこれ10年くらい前から気にはなっていたものの、いきなり病院→手術というのはかなり気が引けたので、皮膚科の開業医を訪ねては、外来で切開して腫れを引かせるという姑息な処置を繰り返していた。ただでさえ出張が多い身なので、腫れを完全に引かせて除去するには時間的な余裕が無かったというのも言い訳の一つだったけど。

結果的にはそれがいけなかった。

初めはただ皮膚がこんもりしていただけだったものが、数度に渡る切開で周囲がケロイド状になって、まさにケンシロウのような派手なアザと化してしまっていた。もちろん定期的に腫れもするし痛みも来る。

粉瘤というのはちょうど皮膚の内部に袋状に別の皮膚組織が存在する形状のため、時間の経過に従って表皮のように老廃物が排泄され溜まっていく。そこに細菌感染を起こすと腫れて痛くなる。だからその部分をバッサリ除去しない限りはその繰り返しとなるだけなのだ。

この歳になって身体のアチコチに故障が出るようになるに連れ、いい加減に一つずつ厄介モノを片付けてしまおうと一念発起。その舞台を昔から形成外科領域に定評がある東京警察病院と定め、形成外科外来受診からスタート、3ヶ月近く経過した本日、ようやく外来手術とあいなった。何せ病院は患者が多いゆえ、手術許可が出てから1ヶ月以上も待たされたけどね。

しかも手術予定日の前日午前10時〜11時に確認の電話をかけないと、自動キャンセルになってしまうというではないか! そうなると次の予約はいつ取れるか全くわからない。そんなトンデモ事態にならないよう「電話忘れるなプレッシャー」の毎日がキツかった。院内のコンビニでディスポの手術用キャップも早々と購入し、ま、そんなこんなで今日という日を迎えられたのだった。

・・・・・・・

再診受付マシンで手続きを済ませ、9時5分前に外来手術受付で待機。やがて名前を呼ばれ、担当看護師さんから説明を受け、手術着に着替えて再び待機。

診察室に呼ばれて執刀医とご対面〜。それが女医さんだったのはラッキーなのか? 一通りの術前面接を終え、いよいよ手術室へ。外来手術室と言っても、普通の手術室と全く変わらない設備、そして威圧感もバッチリ!

手術台に仰向けに寝て看護師さんたちと雑談を交わしていると主治医登場。助手は研修医と思われる若い男性医師。麻酔注射はちょっと痛いと言われたが、これは以前から切開の時に体験しているし、もはや十分想定内である。

4、5ヶ所注射した後、「痛みの確認をしますね〜。痛かったら麻酔を追加しますので〜」

来た〜! 念願の麻酔大盛り発注のチャンスはここしかない! ちょっとでもチクリとした場所をすかさず指摘し、さらに2、3ヶ所、追加で盛ってもらった。ここまで盛ってしまえばもうどこにも痛みは感じないぞ。よっしゃ〜!

確かに痛みはないものの、血液の吸い込まれる音や何やらゴリゴリガリガリやられている感触が伝わって来るので、決して気持ちがいいとは言えないが、時折微かに腕に触れる女医さんのフトモモの感触は気持ちがいい。術中ひたすらそっちに意識を持って行く事だけは忘れなかった。

やがて縫合へ。だがここで研修医へ女医さんのOJTが始まった。
「針は皮膚にまっすぐ入れて... 2針目なるとテンション緩くなってるよ... そこで手首返して... じゃあもう一度縫い直そうか... 」

私のタテマエ「こんなOYAJIでよければ、遠慮なく踏み台にしていいぞ。将来リッパなメッサーとなっておくれ」
私のホンネ「チンタラやってないでサクサク縫えっての! こっちは我慢してるんだからとっとと終わらせてくれよ!」

・・・・・・・

緊張の手術スタートからおよそ90分を経て、無事に手術は終了した。麻酔注射以後、全く痛みを感じなかったのは現代医学の賜物と、改めて大感謝! こんな楽な手術でもう腫れや痛みに悩まされなくなると思うと、なぜもっと早く手術を受けなかったのかと大後悔! とにもかくにも厄介モノを一つやっつけたゾ〜!

帰れるんだ、これで、帰れるんだ〜!ライラ、ライラ、ライラライ〜!




トリプル・コンサルテーション

創立記念日やら全社一斉有休取得だので、幸いな(?)事に10連休のGW。それも早くも前半を終わろうとしているが、ウチの会社の特に女性社員は、北欧やら欧州やらアフリカ大陸やらと派手に旅立っているようだ。その若さと行動力に感心するのと同時に、それが出来てしまう会社環境に改めて感謝したいところだろう。

・・・・・・・

一方、身体のあちこちにガタが出て来た私は、海外旅行はおろか関東近辺の日帰りドライブあたりがせいぜいである。それよりもこの機会に、身体のガタのうち少なくとも3ヶ所の治療を優先する事を覚悟せざるを得ないのだった。

まずは上から。胸のド真ん中に長年抱えている粉瘤が一つある。その外観はまるで北斗の拳のケンシロウさながら。だからアタタタタ〜! と痛いんだけど。

最初は皮膚が少し盛り上がっていただけだったが、いつしかそこへバイ菌が入り腫れてきた。何度か皮膚科へ行って切開してもらうのだが、いつも中途半端な治療中断で完全除去に至っていなかった。だから数年も経つと再び腫れてくるという繰り返し。仕事柄なかなか集中して治療が継続できないのもネックだった。

だが今回は一念発起して区内のK病院の形成外科へかかり、完全除去を目指す事にした。まずはいつものように抗生剤で腫れを引かせる。風呂でどんどん石鹸で洗っていいよと主治医には言われたが、そんな痛い事なんてとても出来ないので、せいぜいシャワーを当てるくらいなのだが、徐々に腫れが引いては来ている。このまま切除OKまで行けばゴールは近い。

続いて真ん中の肝臓。3月にγGTPの自己新記録を叩き出して以来、さすがにヤバイと観念して禁酒生活に突入して今日で33日。禁煙の時よりは遥かに楽なのが未だに不思議だが、数々の飲み会の席でも苦にならない。後は6月の検診日にどこまで数値が改善できているかが楽しみである。受診は人間ドックでもお世話になっている渋谷のPクリニック。

そして下。今年に入って妙にトイレの頻度が増すと同時に尿路に違和感を覚えるようになった。すわ、前立腺肥大症(BPH)かと思ったが、たぶん水分の摂り過ぎだろうと。半分、歳のせいとも。

ところがこれが日を追う毎に違和感が高まり、ついにはそのあたりが歩いていてもツーンと痛むようにもなって来たのである。私の担当製品の一つにBPH治療薬がある事からも、こりゃ実体験を得るにはチャンスとばかりに東中野のK泌尿器科を受診した。上中下それぞれの受信医療施設を変えてみたのはもちろん興味本位である。

普段、研修で分かったような事を喋っているが、実際に泌尿器科の検査を受けてみると、その微妙な違いが良く分かる。初めは尿検査、まあこれは一般的。独特なのは次の触診。肛門に指を入れられるのだが、その目標は検診によくあるような直腸ではなく、その向こうにある前立腺である。

だから触られる感触がチト異なる。何か奥の方でクリクリ撫でられるような妙な感覚。もちろん他人に前立腺を触られたのは初めてだ。特に腫れは感じられないとの事でBPHでは無さそうだが、同時に私の担当製品の出番も無さそうだ。

続いて残尿量の測定。排尿直後の膀胱をエコーで捉え、映った膀胱内の影(残尿)を測定する。これも正常だった。別に撮ったX線写真と見合わせても膀胱内や腎臓内に結石も見当たらないとの事。

結局、初診時では確定診断がつかず、採血してこの日は終了。改めて本日再診に行った。ここで再びエコーを行ない、画像をクリックして前立腺容積(PV)を測定するも、その数値はBPHに遥かに及ばない8mL少々。血液検査でPSAが低値だったのでバッドエンディングの前立腺がんが否定され、ひと安心。

さて、こうなるとこのツーンとする痛みの原因は何だろう?

下された結論は私の予想と一致していた。前立腺炎だろうとの事。だとすれば治療は薬物療法で、ファーストチョイスの薬剤はこれまた予想通りのCだった。このCは生薬成分の製剤で、実は研修ではBPHの主治療薬に併用される事も多いが、その効果は「?」だと散々差別化していた薬剤だった。

でももしかして、これと粉瘤治療で飲んでいる抗生剤でツーンが治まるのなら喜んで飲もうじゃないの! と、素直に思えた。普段は歯牙にもかけない薬でも、いざ患者の立場となったらゲンキンなモンだわな。ま、どっちにしても2週間後に再診だけどね。

もとより病気自慢なんて気はサラサラない。自分の記録としてここに書いておく。

・・・・・・・

ウクレレ漫談家の牧伸二が29日深夜、多摩川に身を投じて亡くなった。子供の頃から観ていた「大正テレビ寄席」は彼をメインにした長寿番組だった。「あ〜あ、やんなっちゃった〜、あ〜あ、おどろいた〜」のフレーズに繫がる社会風刺や時事ネタのセンスが抜群に良く何度聞いても新鮮だったが、それもそのはず、持ちネタは1500に及んでいたという。

でもその最後が自殺じゃコメディアンとしてシャレにならんよね。享年78歳、亡くなった親父のわずか2つ下の世代。合掌



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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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