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まさかまさかのトランプゲーム

誰もが投票前日まではおろか、開票に至ってもヒラリー・クリントンの勝利を信じていたのではないか。11月9日、史上最大のジャイアント・キリング(番狂わせ)が起こった。

いくら前代未聞の不人気合戦であったにせよ、ドナルド・トランプのさまざまな暴言がある意味斬新であったにせよ、最後の最後はアメリカ国民の「良識」が「よりマシな方の」大統領を選ぶだろうと私も思っていた。

結果的には総投票数ではヒラリーが上回ったものの、獲得選挙人数では大きく差をつけられ、アメリカ大統領選挙独特のシステムによってトランプの当選が決まったのだった。

トランプと言えば、不動産投資でアメリカン・ドリームを体現した成功者として、数十年前に伝記本まで出版されたビジネス界の偉大な人物である。私の本箱にもハードカバーの彼に関する本が鎮座していた。全部読んではいないけど。その彼がまさかここへ来てアメリカ大統領になるとは、まさに隔世の感、いや青天の霹靂である。

ともあれ、ここまでヒラリーが票を集められなかったとは。まして相手は常識を疑うような暴言癖の泡沫候補だったのだ。評論家は中央政府への不信が大きかったとか中流ブルーカラー層の支持が得られなかったなどと言っている。

・・・にしても、だからと言ってトランプに入れるかねぇ。これじゃまるで勢いでEU脱退に票を入れてしまって後悔しているイギリス国民に被って見えてしまうわ。アメリカの影響力はイギリスよりも遥かに大きいから、そうならなきゃいいとは思うが。

所詮は外野に過ぎない日本では、ここまでの事情を認識出来なかったのは仕方がないのかもしれないが、それほどまでにアメリカ国民のメンタリティは人種、年代、所得層、宗教などが複雑に絡み合って形成されているという事なのだろう。

さてさて、これで本当にメキシコ国境に壁が作られるかどうかはさて置き、年明けの就任後直ちに宣言するとしているTPPからの離脱は実現性が高いと見る。ならば、日本政府はもはやTPP批准の強行裁決などに必死にならず、TPP破綻後のアメリカなど主要国との二国間自由貿易協定(FTA)の推進強化に持って行く位のしたたかさを示して欲しい。

安倍首相は大統領選真っ最中のニューヨークで国連総会に出席した際、他国の首脳は保険を掛けてトランプとも会っていたのに、ヒラリーとだけ表敬訪問を受けたという外交的失態を犯している。今になって慌ててお祝い電話を掛けたり会談を申し入れたりしているが、この外務省の状況判断ミスは大きい。

トランプ勝利で昨日下がった日本の株価は、今日になって1000円近く上げている。昨年、メンドくさいからと退職金の自己運用分を「強気の日本株100%コース」にしている私としてはホッとしている。トランプもあの暴言は選挙用の炎上商法で、実はそれほど非常識な人物ではなかったとホッとする日が来る事を期待している。

あ、それと、選挙戦序盤から一貫してトランプ当選を予言していた木村太郎が、今朝からフジTVにトランプとお揃いの真っ赤なネクタイを締めてドヤ顔で出ずっぱりなのがちょっとウザい。




棚卸しと移転問題

今の仕事に就いて3度目の棚卸しが3日前に終わった。棚卸しは半年毎に実施され、同じように実施される棚替えと並ぶ、極めて面倒くさい仕事である。

棚卸し作業は、私の担当の医薬品エリアにある階段下のバックヤード(倉庫)にある在庫の整理とカウント作業から始まった。店舗に陳列してある商品は、閉店後から翌朝にかけて業者によるカウント作業があり、それまでに空箱陳列部分などをカウント除外とするようカードや紙を貼って明示させておけば良いが、バックヤードのカウントは社員スタッフが業者カウントまでに終わらせる必要があるため、前々日あたりから作業を開始する。

今回はその前に実施された秋冬用の風邪薬を中心とした棚替えによって返品対象となった大量の水虫薬や虫刺され薬がプラスチック製の折り畳みコンテナ(折りコン)で4箱以上もあり、同時に送り込まれたそれ以上の商品が商品が従来からの在庫に加わっていた。結局、折りコン20箱以上の商品を一つ一つカウントしながらハンディ端末に打ち込んで行く事になった。もちろんその間、通常の販売活動や品出し作業も行ないながら。だから極めて肉体労働の日々となる。

この時、一番頭に来るのは本部からの大量の送り込み商品である。何も棚卸し直前に送り込まなくても良さそうなモンだろが! いますぐ必要なワケじゃないのだから、せめて送り込みを一週ずらしたってバチは当たるまい。それだけでどれほど作業が楽になるか。だが誰も現場が視野に入っていない。

二番目に頭に来るのは棚替えによって生じた返品商品である。ここでカウントしても、どうせ翌月初に再度返品入力作業を行わなくてはならないから二度手間も甚だしい。せめて棚替えか棚卸しのどちらかをひと月ずらしたってバチは当たるまい。それだけでどれほど作業が楽になるか。だが誰も現場が視野に入っていない。

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小池都知事によって移転延期となった築地市場の豊洲移転問題も連日マスコミに取り上げられている。

問題の根幹は、元東京ガスの跡地だっただけにその土壌に含まれる有害物質の除去である。これを専門委員会を立ち上げて土壌の入れ替えと盛り土という手で解決する事になったものの、いざ建物が出来てみると地下に謎の空間が広がっていて、そこに水が溜まっていた。

いったい誰が、いつ、盛り土を止めて地下空間に変更させたのかが調査されたものの、案の定、その特定は出来ないようである。歴代知事も市場長も責任者は皆その詳細を把握しておらず、知事に至っては契約書にメクラ判を押していたに過ぎなかった。無責任も甚だしいが、下部組織間の横のつながりも不十分だったため、情報の共有も出来ていなかったという。まさに組織ガバナンスの欠落が招いた問題だったが、では盛り土をせずに済んだ事で浮いた工費で潤ったのは誰だ? という利権の闇も浮かんで来る。

そういった政治的な問題はあるにせよ、既に数千億円を投じてほぼ完成に至った豊洲市場をこれからどうするのか?

今日のニュースによれば、200ヶ所以上から採取された地下水のサンプルから環境基準値を超えるベンゼンやヒ素が3つのサンプルから検出されたと報じられた。今まで検出された有害物質は全て基準以下だったが、ここへ来てついに基準値以上のものが出たとマスコミも大騒ぎし、移転凍結やら築地市場改築やらの議論もかまびすしい。

だがちょっと待ってほしい。

地下水を飲料水にするというなら環境基準値は重要だが、豊洲市場でそんな事はしない。地下水は建物の地下5mに溜まっているのだから、それが階上の市場部分に影響を及ぼさないように対策すれば良い話である。ヒ素などが含まれた地下水をさらにコンクリートなどで隔離する事とベンゼンなどの揮発性物質を換気除去すれば良いのである。

有害物質の存在を食の大問題かのように言う向きがいるが、築地市場であっても地下水と食品が直接接触するような事は考えられないし、豊洲市場にしてもそれは同様だろう。そもそも東京都区内の地下水が飲料水としての基準が満たせているのなら上水道ではなく各家庭で井戸水を使えば良いが、それが望めないのは明白。つまり地下水の現状は豊洲に限った事ではなく、大なり小なりどこでもそうなのだ。

ならば築地の地下水はどうなんだ? そこは誰も指摘しない。

平屋仕立てで開放的な築地市場は、恒常的に排気ガスなどによるベンゼンなどの揮発性有害物質に晒されている。またネズミの大群やゴキブリの巣窟でもあるという。これだって環境衛生上の大問題と言えるのだが、そこも誰も指摘しない。いや、かの橋下徹氏はそこを指摘し、移転の必要性と妥当性を訴えている。この点では私も大いに共感させられている。

移転を阻むもう一つの問題は、東京都による赤字補填のせいもあろうが、放漫経営によって借金を背負った少なからぬ業者が費用の捻出が出来ずに移転反対を叫んでいるという。おいおい。

もはやオリンピック道路建設や政治的な問題も重要だがさて置き、一刻も早くそれなりの識者に環境問題に終止符を打たせて豊洲移転を開始すべきである。このままいたずらに時間をかけていると、マイナスイメージによる風評が一人歩きしてしまい、どんな解決策が施されても国内外の信頼回復が得られないという最悪の状況に陥ってしまいかねない。それだけは絶対に避けなければならない。

揮発性有害物質に晒され続け、ネズミやゴキブリの行き交う築地市場の環境衛生の方が、私にとっては遥かに大問題だと思っているが。





リオの悲喜こもごも

リオデジャネイロオリンピックが行われた5日から21日までの17日間、今まで最長の12時間という時差もあって、予想通り夜更かしの連チャンだった。だが、前回のロンドンオリンピック以上の金12個、銀8個、銅21個、計41個のメダル獲得と、日本は大きな成果を挙げた。この調子なら4年後の東京オリンピックに大きく期待が繋がったと言えるだろう。

その戦いの中で、観ていて思わず涙を誘われたシーンがあった。

一つ目は卓球女子団体の銅メダル獲得である。福原愛、石川佳純、伊藤美誠の日本チームは準決勝で敗れはしたが、相手はドイツと言いながらも、そのメンバーは何と帰化中国人ではないか! 初めて見てビックリしたが、これは卓球界ではよくあるようだ。中国が世界No1であるゆえ、代表に入れない選手は海外に流れ、そこで国籍を取得して代表となる道を選ぶというのである。だからこのドイツも3位決定戦で当たったシンガポールも当たり前のように中国人がメンバーにいる。これじゃまるでマラソンに出るためにカンボジア人となった猫ひろしと同じである。

こうなると、もはやその国の代表と言えるかどうかも怪しいが、3位決定戦で見事に勝利を収め、念願のメダルを獲得した。とりわけ個人戦一回戦負けの石川や団体の個人戦で勝てない福原の団体戦メダルへの思いは凄まじかった。監督を差し置いてまで指示を出したり激励したりしていた福原は、伊藤と組んだダブルスで勝利し、石川も安定した強さで勝利、トドメは15歳の伊藤の勝利でメダルを手繰り寄せた。ここまでのプレッシャーと責任の重さを考えたら、もはや泣き虫愛ちゃんとは呼べない。涙にくれる彼女を見ていてもらい泣きした人は数知れない。

二つ目はレスリング女子53kg級の吉田沙保里の五輪四連覇ならずだった。女子は初日から登坂、土性、そして先に五輪四連覇を達成した伊調馨の金メダル3連発で幸先の良いスタートを切ったものの、今年に入ってから敢えて実践を避けていた吉田は、その勝負勘の誤差とライバルに研究され尽くされたためか、決勝では自分のレスリングを封じ込められた感じだった。だが、どんなに強いチャンピオンでも敗れる日がいつかは来る。彼女の場合はそれがたまたまこの時だっただけである。

それなのにひたすら謝るばかりの彼女に、逆にそれだけ無責任に結果を期待してしまった我々の方が申し訳ないという思いに涙が溢れて来た。勝って当たり前とされた彼女のプレッシャーは計り知れなかっただろう。堂々と銀メダルを誇ってほしいと思う。貴女は十分頑張った。

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その他の「お見事!」な成果も記録しておく。

今から振り返ると、これが日本のメダルラッシュのキッカケとなったと言える水泳男子200m個人メドレーの萩野公介金メダルと瀬戸大也の銅メダルだった。女子も200m平泳ぎ金藤理絵の2位に1秒半以上の大差をつけた金メダル。日本選手がゴール直前でこれほど差をつけた場面をかつて見た事がなかったから気持ち良かった。

さらに圧巻は男子体操団体の執念の金メダルと個人総合の内村航平五輪二連覇の金メダル! どちらも前半出遅れたものの、最後に見事な逆転劇で勝った試合だった。「ひねり王子」白井健三は次の東京まで持ち越しとなった。

卓球も負けてはいない。女子に続いて男子も水谷準がシングルスで日本卓球界初の銅メダル獲得の死闘を演じた。団体は水谷、丹羽、吉村の日本チームがこれまた初の銀メダル! いやお見事〜!

史上初と言えば、鮮烈に瞼に焼き付いた陸上男子400mリレーの銀メダルだろ! 山県、飯塚、桐生、ケンブリッジは、日本ならではのバトンパスを磨きに磨いて、あのアメリカを実力で抑えての堂々2着だった。特に最終ランナーはあのボルトと並んでいたのだから、さぞやボルトも驚いた事だろう。前日に続くアジア新記録更新の37秒60という素晴らしいタイムだった。歴史の目撃者の一人となった事も嬉しいが、ボルト引退後の東京ではもしやもしやの期待も膨らむってモンである。

世界ランク1位というプレッシャーを強い気持ちで乗り越えて初の金メダルを獲得したバドミントン女子ダブルスの高橋&松友の「高松ペア」も凄かった。決勝第三ゲームで16-19と瀬戸際まで追い込まれたが、そこから5連続ポイントで大逆転! 見事な金メダルだった。ここまで来るともはや技術の差ではない。気持ちの強さの差が勝負を分けたに違いない。それが世界ランク1位という事なのだろう。

ロンドンで惨敗した柔道は、何と男子は大野将平とベイカー茉秋の金メダルを含む全7階級でメダル獲得〜! 女子も田知本遥の金メダルを含む5階級でメダル獲得だからお家芸復活と言っていい。ひたすら根性論の篠原監督のロンドンは惨敗、頭脳派の井上監督になったらこれ。監督が違えばこんなにも結果が違ってくるのだった。

シンクロもデュエットとチームの両方で銅メダル獲得。ここでも井村コーチの復帰がメダル復活のカギとなった。やはり指導者の良し悪しが結果に結びつく世界なのだろう。もちろん、選手達が彼女の地獄のトレーニングに耐え抜いたからこその勝利であり、喜びだった。それまで彼女が指導していた中国チームを超える事がこれから東京までの課題であろう。

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最後に、「こりゃ無理だわ!」を三つ。

男子サッカーの予選敗退。トラブルで会場入りが直前となったナイジェリアに5点取られて敗けたのが最大の失敗、コロンビアには辛くも引き分けは上出来で、ヨーロッパチャンピオンのスウェーデンに勝利したが追いつかず。最後のスウェーデン戦はGJと褒めてやりたいが、やはり実力不足だったか。

同じ事がバレーボール女子にも言えた。準々決勝で世界ランク1位のアメリカにストレート敗けを食らったが、そこまでの試合でサーブミス、レシーブミス連発ではむべなるかなである。女子サッカー共々、 敗因の大部分が長すぎた監督就任が災いしてしまったと私は見ている。

男女マラソンも惨敗だった。新進気鋭の選手が出て来ずベテラン頼りの布陣だったが、故障上がりの選手もいたりして、これでは世界のスピードとリオの暑さには到底勝てないだろう。日本人選手最高とはいえ14位に終わった福士のゴール後の軽口も勝ってこそ。ただ虚しいだけだった。

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全てが終わった閉会式。舛添要一前知事の後任となった小池百合子知事の着物姿は、帯の位置がちょいと上過ぎだった感じもしたが、日本らしさを表現できて上々だったと言えるだろう。降りしきる雨は、彼の悔し涙の雨だったのかもしれない。





普通に接するということ

26日未明に起きた、相模原市の障害者施設の介護職員だった植松聖(26歳)による死亡者19人に及ぶ殺傷事件。犠牲者数が戦後最大となる殺人事件であり、その犠牲者が施設で睡眠中の障害者という点でも特異だった。障害者をターゲットにした彼は、勤務中の2月に重複障害者の安楽死容認発言をし、措置入院時の尿検査で大麻の陽性反応が出ていた。しかし10日余りで退院していた。

その4ヶ月後の犯行は、わずか数十分の間に就寝中の障害者45人の首などを次々と刃物で刺して行くという、そこに一切の躊躇の念すら生じない機械的な蛮行だった。

ニュースでは、逮捕された車内での薄ら笑いを浮かべている顔が繰り返し映し出された。そこにはヒトラーの思想が降りてきたとのたまう金髪の異様な面構えがあった。まるでテロリストのようだと言ったコメンテーターもいた。

この事件をキッカケに改めて障害者の存在や接し方などの議論が持ち上がっている。

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思えば、私と障害者との接点は小学校時代に遡る。私の通っていた小学校には特殊学級(特別学級)と呼ばれたクラスがあった。同じ校内で同じ時間帯に活動しているため、時々特殊学級の生徒と廊下ですれ違ったりはしていたが、彼ら彼女らと積極的なコミュニケーションを取る事はなかった。自分たちとは別世界の住人という意識で、はっきりと線引きをしていたのかもしれない。

逆に特殊学級にこそ入ってはいなかったものの、自分たちとは明らかに変わったキャラクターの普通学級の生徒がどのクラスにも一人二人いた。普段はほとんど口すらきかないのに、何かの拍子にその級友にちょっかいを出したり囃し立てたりする者がいると、彼が怒ったり喚いたりするのを面白がる。興奮のあまりハナちょうちんを膨らませながら泣こうモンなら大ウケのショータイムとなった。

そんな級友に対する周りの接し方は、今で言えばイジメとも呼ばれるような部類に入るだろう。だからと言ってそれがエスカレートしたり陰湿化するという事はなく、相手もまんざらでも無い様子が見られて最後には笑い合ったり。まあ、それが善かれ悪しかれ、あの頃の小学生の日常のひとコマだった。

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障害者との日常における本格的な交流は、昨年まで勤めていた会社の同僚として盲目の女性が配属された時だったと思う。事前に本まで買って学習したはずの私からして、当初の彼女への接し方はぎこちなく、さりとて同僚としてノータッチというわけにもいかない、文字通り中途半端な感じだった。ただし、彼女は不幸な過去を経て来たイメージの、いわゆるステレオタイプの障害者とは真逆のキャラで、何とロンドンパラリンピックのゴールドメダリストでもあった。そこらの健常者が逆立ちしても太刀打ち出来ない偉業の達成者だったのである。

やがて彼女との仕事やランチタイムのコミュニケーションなどを通じて、彼女に対する接し方という事にも慣れては来たのだが、その間、私が考えていた事があった。それは視覚障害者をリードする時は手を引いてはならず(手を引かれると非常に不安になるという)、肩か腕に手を置いてもらって声を掛けながら移動するというテクニカルな部分ではなく、いかに自然に健常者同士のような関係が作れるかという事である。

多くの人々が言う、障害者も健常者と同様に接するべきだとの意見には同意出来る。しかし実際の場面に立ってみると、それは意外と難しい。我々の視覚や聴覚から窺える相手の障害の種類や程度にどうしても意識が行き、それがゆえに積極的な接し方を避けてしまうのである。そうでなくても何となく恥ずかしいような、半分腫れ物に触るような感覚がある。実はその時点で、それが即ち障害者に対する無意識の「上から目線」だという事に気が付けばまだ良い方だ。

それを乗り越え、健常者同士のような接し方、いや、付き合い方になるためにはどうするか?

まず相手に親しみを持ち、相手にも親しみを感じてもらう。初対面の相手なら、最初に交わす一言二言がポイントになる。つまり、交わす言葉によってお互いの距離感を少しでも縮める。そうすれば自ずとコミュニケーションが進み、相手の状況に影響されない普通の付き合いとなって行く。

あれ? これって、健常者同士の場合と全く変わらないじゃないか。

つまり、相手が障害者だからといって、その障害をサポートしてあげようという方向からのアプローチは正しくなく、まずは親しみを感じ合えるように距離を縮めれば、相手の持つ障害へも自然な手が添えられるに違いない。

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そんな経験が活かせる場面に遭遇した。

私の勤務しているお店には、時々盲目の小柄な女性のお客さんが来る。彼女は30代だろうか、抱っこ紐に赤ちゃんを抱いて、さらに幼稚園児の娘を連れている。その娘も片眼が不自由のようだ。そんな娘と共に彼女一人で狭い店内で買い物を済ませる事は至難なので、入口に近い場所が定位置の私が来店に気付いた時にはエスコートする。

過去の経験から肩に手を置いてもらい、声を掛けつつ移動するのはスムーズに出来た。最初に買いたい物を聞き、そこへ移動しては数種類の商品を手短に説明し選んでもらってカゴに入れる。これを繰り返し、最後にレジへと誘導し、レジが済むのを待って出口まで誘導し、段差やスロープをクリアしてお見送りする。

彼女は私の声を覚えて認識しているのだろう。2、3度目からは(彼女には私の顔は決して見知る事は出来ないが)顔見知りのようなやり取りになり、さらに何回か繰り返すうち、最初は無口だった娘も慣れて来て、最近では「バイバーイ」と手を振り合うようになった。もちろんエスコートはしているが、もはや私の意識には彼女が障害者という感覚はなく、ごく普通のお客さんの一人だった。これも今の仕事で得られた喜びの一つである。

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もう一人、お店のスタッフに軽度の知的障害者の女性がいる。

障害者雇用サポートの担当者から、彼女は記憶するという事が不得手だと聞いた。会話や行動は普通に出来るので、主に担当エリアの品出しや整頓、フロアのモップ掛けなどをやりつつ、お客さんからの担当外の問い合わせには他のスタッフへリレーしたりしている。

そんな日々が2ヶ月も過ぎた頃だろうか。彼女は時々お店を休むようになる。体調不良なら仕方ないが、母親から「ちょっと出掛けるのでお休みします」なんて電話があったりする。さらに彼女はお昼の休憩時は外食に出るのだが、その戻りが徐々に遅くなって来たりする。朝の出勤時間もそうだが、ギリギリの時間では彼女のユニフォームである前掛け型のエプロンをフロアに出て歩きながら着用する事になり、いつの間にかそれが普通の光景となった。

私はもはやスタッフの指導や育成などの管理責任のある立場ではない。自分の職責さえ全うしていれば良いとされる一人のスタッフに過ぎないから、大抵の事には目を瞑りつつ極力言行穏やかに、簡単に言えば自分を抑えて過ごして来た。だが彼女との共働時間を重ねるに連れ、彼女が知的障害者であろうがなかろうが関係なく、仕事で賃金を貰っている限り、ここは言わなくてはならないと思うようになった。でも地の私のように直球は投げない(笑)。

出勤時間ギリギリの時には、「ギリギリだと慌てて階段から落っこっちゃうよ。もうチョイ早めにね」

エプロンを着ながらフロアに出て来れば、「エプロン着ながら歩いているのをお客さんに見られたらカッコ悪いでしょ? ちゃんと着てから出て来るようにね」

手持ち無沙汰のようにフロアをウロウロしている時には、「○○さんの担当製品の陳列位置は覚えられた? お客さんに訊かれた時にスッと答えられたらカッコイイよね」

彼女の開店直後のルーティンワークである店前のホウキ掛けも、今のところ言わないとやれていないから、彼女のいる朝はしつこいくらいに毎回声を掛けるようにしている。「○○さん、オモテ、ホウキ掛けてくれた〜?」

今日などは、フロアのモップ掛けを同じルートを何往復もしているので、これまた一言、「何度も通るとお客さんの邪魔だし、しっかり一往復すればOKだからね」

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ものの本によれば、たとえ知的障害があったとしても、手を抜いたり楽な方に流れるという人間の本性は持っているという。自分はハンデがあるから、これはこれでしょうがないんだという考え方もあるらしい。彼女の場合は、担当する仕事がひと段落した後に、ルーティンワーク以外に何をすべきかという判断力がうまく働かず、手持ち無沙汰状態に陥ってしまうのだろうか。だから仕事をしているようにあちこち移動しては陳列整理をしてみたり、モップ掛けを何往復もしているのかもしれない。

「私は障害者だ。だがそんな私が普通に生活するには、この社会環境では全く不十分じゃないか。だから周りの健常者は当然自分達をサポートすべきだが、それはこちらが主張しなければ彼らは気付かないのだ」

これが高じると、例の五体不満足君や前社の別の部署の身障者君のような傲岸不遜と捉えられるようなキャラが出来上がる。これでは前提となるコミュニケーションもヘチマもあるまい。彼らが健常者であったらなおさら距離を縮めたい相手とは思えないキャラだろう。彼ら障害者側も考えるべき課題があると思う。

「普通」に接するのに健常者も障害者もない。人と人のコミュニケーションで距離が縮めれば、おのずといい付き合いになると信じている。

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本日の出勤前に投票して来た都知事選。

いつものそれとは違った展開となり、先出しジャンケンの小池百合子氏が、後出しジャンケンの自公推薦候補の増田寛也氏と野党統一ダッチロール候補の鳥越俊太郎氏を尻目に、開票瞬間に当選確実とした。マスコミは初の女性と知事と騒いでいるが、都民は今回もある意味の消去法投票を強いられたという感想を持ったのではなかろうか。

所詮、完璧な人間などいないように、完璧な候補者など現れるワケがない。だから誰でもいいはずはなく、誰でもよくないからこそ、投票という意思表示が大切なのである。

もっとも、彼女の気性とプライドから、早々と議会と揉めて不信任決議案と議会解散の応酬とならぬようには願いたい。

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ウルフが逝った。

アラ還の年代で膵臓がんを患っていたから正直ヤバいなと思っていたが、やはりダメだったか。大横綱千代の富士。53連勝を含む通算1045勝を挙げ、1991年、後の大横綱貴乃花(貴花田)に引導を渡されて引退。筋肉という鋼の鎧を身にまとい、身体の大きさで勝負するのではなく技のキレとスピードで勝負するから、彼より勝ち星の多い力士はいても、彼ほど強く見えた力士はいなかった。合掌

それにしても享年61とは。今の私の年齢であればこそ、その早さが一層身にしみる。およそ二人に一人が何らかのがんに侵されるという現代であればこそ、その切実さが身につまされる。



選挙フェス?

安倍政権、本当は2/3以上の改憲勢力にしたいというのが本音のくせに、街宣で改憲については一切言及せず、ひたすらアベノミクスの是非を争点にした参院選挙。

終わってみれば「改憲勢力2/3阻止」を訴えて32の一人区に共産党を含めた統一候補擁立という思い切った策を駆使した野党を尻目に、非改選議員も含めた改憲勢力は2/3に達した。それでもその策が功を奏したか、あの歯舞が読めなかった島尻安伊子氏と定員減となった福島の岩城光英氏の現職大臣2人が落選した。

マスコミで評論家などが、この与党圧勝からまるで明日にでも改憲動議が発せられ改憲がなされるかのような口ぶりだが、最後に決めるのは国民である。そもそも日本国民には、歴史的に確立されたものや崇高なものに安易に手をつける事を良しとしない保守的な感性があるから、なまじの議論程度では改憲賛成に票が入るのは難しいだろう。改憲を目論む自民党などが世論を喚起して、その必然性や妥当性を相当に理解させなければ否決されるだろうから、改憲への道は決して楽ではない。

だが、もしも議論が煮詰まる前に改憲ムード先行状態にでもなって、十分な思考を放棄した大多数の国民がそれに乗せられて票を投じるという状態になれば一気に改憲がなるものの、その時の国民は熱狂的にナチス党を支持した当時のドイツ国民や国民投票でEU脱退を決めたのに後悔しているイギリス国民と大差ないだろう。ムードに乗せられるのではなく、物事の本質をしっかり見極めた判断こそが取り返しのつかない結果を回避できる事を学んでおきたい。

改憲と言うと最も多くの議論を呼んでいる自衛隊の存在については、彼らの名誉と存在意義のためにも9条の該当部分のみを修正する必要はあるだろうし、集団的自衛権をどこまで定義、解釈すべきかを明確にしておく必要がある。南沙諸島や尖閣諸島に対する中国の横暴や竹島を占拠している韓国とこの先対峙していくには、その抑止力としても、万一の事態の対応力としても、今のままではロクに身動きが取れないという矛盾だけは解決しておかなくてはならない。

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さて、その余韻も冷めやらぬうちに今度は都知事選である。

史上最多の21人の立候補で、その中には常連のマック赤坂氏や「あの人は今」の牛若丸山口敏夫氏、橋下市長とケンカしたヘイトスピーチ桜井誠氏、ネットメインのジャーナリスト上杉隆氏などもいる。ま、所詮は泡沫候補だろうが。

本命候補は、いち早く立候補宣言をした、数々の政党を渡り歩き「政界の雇われマダム」と言われ、第一次安倍内閣で閣僚にいながら、先の総裁選で石破茂氏を応援して閑職に追われていた小池百合子氏。ここで最後の一旗とばかりに先出しジャンケンの無断立候補に打って出たが、その姿勢と自民党都議批判に党は推薦を与えなかった。元来プライドの高い彼女であるゆえ、当選したとしても議会と上手くやって政策を実現出来るかどうかに疑問が残る。伏魔殿の都議会と対立し、早々と不信任決議案が提出されるかも?

自民党が擁立したのは、総務大臣経験者で元岩手県知事の増田寛也氏。候補者きっての実務派とはいうものの、県知事時代には「都税を地方に還元せよ」と東京一極集中を散々批判したくせに都知事選出馬とは腑に落ちない。岩手県知事時代に舛添並みにファーストクラスで海外出張に行きまくっていただの、県の借金を倍増させて去っただのとの批判を受けている。

そしてここでも統一候補にこだわるがゆえに迷走した野党統一候補者。大本命と目された蓮舫氏は早々と回避、同じ民進党の長島昭久氏は共産党が難色、 そうこうしているうちに何を思ったか突然立候補宣言した石田純一氏を担ぐ案も浮上するわ、テレ朝出禁の古賀茂明氏に決定しかけるわのダッチロールを経てようやく到達した鳥越俊太郎氏。だがここに過去2回共産党が推薦してきた宇都宮健児氏が立ちはだかる。結局、裏でどんな力が働いたのか告示前日になって宇都宮氏は立候補を取りやめ、鳥越氏が統一候補となった。

究極の後出しジャンケンである鳥越俊太郎氏も早や76歳。がん闘病経験もあり家族は反対しているらしいが、ともあれ知名度は抜群でキャラも受け入れやすい。だが具体的な公約は出来ておらず、宇都宮氏の掲げていた公約をパクり、いや受け継ぐという。それなら宇都宮氏でいいだろ。参院選の改憲勢力大勝が立候補の動機と言っていたが、それなら打って出るべきは国政選挙だろ。

TV番組でボードに震える手で書いた字はミミズの這ったようだわ、最優先政策が「がん検診率100%」と掲げたり、「私は昭和15年生まれなので、終戦の時はハタチでした」発言に認知症を疑われる始末。それでなくてもジャーナリストとは真逆の為政者としての知識と資質には少なからぬ「?」が浮かんでいる。

何はともあれ、我々はこの立候補者の中の誰かに一票を投じなくてはならない。今回も消去法による投票となるイヤな予感もするが、今月末の投票日までまだ時間はある。これからじっくりと見ていきたいし、何よりも有権者にはより良い一票を投じる義務がある。




事実に相対する気持ち

オバマ大統領が伊勢志摩サミット終了後の今日、被爆地ヒロシマを訪れた。

先月のG7外相会合後のケリー国務長官に続き、原爆を使用した国の現職大統領として初の訪問であるだけではなく、2009年の就任直後にプラハで演説した核兵器廃絶宣言によってノーベル平和賞を受賞した彼の政治活動の締めくくりとしても、歴史的にも意味のある訪問だろう。

言うまでもないが、現在の大統領に当時の原爆投下に対する罪や責任があるわけでもない。だがその立場上、謝罪をする事は叶わない。それでもその所作や表情で哀悼の意を表する事は十分出来るし、それは本人も意識しているに違いない。大多数の被爆者もそこを望んでいるだろう。それぞれが抱く複雑な思いの先へ、前へ進むためには許すという事も大切な事だ、と。

岩国基地を経由して17時に広島入りしたオバマ大統領は平和公園へ。出迎えた安倍首相と平和記念資料館(原爆資料館)を見学し、被爆者らが出席している広場の慰霊碑に献花した。その厳粛な表情から、わずか10分前後の資料館見学でも原爆被害に対する自身の意識に少なからぬ変化を生じさせたと思われた。

そして注目されたスピーチが始まった。

「人類にはさまざまな地において争いと血の歴史がある。初めてヒロシマに落とされた原爆のキノコ雲の中に真理がある。それにより奪われた多くの人命と苦しみ続ける人々に思いを馳せ、記憶されるべきである。世界はヒロシマによって一変した。そしてこれからの人類の目覚めをヒロシマ、ナガサキが教えている」という、どちらか言えば観念的な言葉が述べられたのは、やや期待外れの感があった。やはり一国の大統領という立場ではここまでが限度だったのだろう。

現役大統領が被爆者の人達と固い握手をしたり抱擁したりして言葉を交わす光景を見て、唯一の核兵器使用国の大統領と唯一の核兵器被爆国の首相が世界初の被爆地に共に立つという機会が得られた事に意義があったのだと信じたい。

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対して、連日カンカンガクガクの話題を提供している都知事の舛添要一氏。自著の書籍を始め、選挙期間や就任時にあれほど政治とカネについて厳しく言及していたにも関わらず、就任後にはまるでそれが悪い冗談でもあったかのような体たらくを晒したのだから、見事なブーメランとしか言いようがない。

事の発端は昨年10月のロンドン・パリ出張。取り巻き20名を引き連れた大名旅行は7日間で何と5000万円! 飛行機はファーストクラス、ホテルは超一流のスイートルーム。甘利大臣のUR入札に関わる口利き疑惑や育休取得で注目された宮崎議員やゲス川谷とベッキーの不倫騒動、ショーン川上氏経歴詐称などのスクープで今年に入って鼻息の荒い週刊文春が、これが余りに過剰ではないかと指摘した。

1回目の定例会見では、トップリーダーがビジネスホテルに泊まったらサマにならんでしょとのたまい、時差による疲労を残さないためフルフラットになるファーストクラスが必要だとか、相手国の要人との面会のためのスイートルームだとか終始上から目線の答弁をした。だが識者からは、ビジネスクラスでも十分寛げるし、相手国の要人が訪問者のホテルに来る事はなく、こちらから足を運ぶのが常識だと論破される始末。

これを発端として、彼の政治資金報告書の記載事項に対するマスコミの指摘が、よくもまあこんなにあるなと言うほど次から次へと出るわ出るわ、、、。

曰く、一年のほとんどの週末に公用車で湯河原の別荘通い。その際、別荘の湯船は広いから治療した足が伸ばせるだの、公用車は動く知事室で公務の電話もしているだの、公務地からの発着には公用車使用が認められるからルールには反しないと強弁するも、実は世田谷の自宅を経由していた事が後からバレた。

また、別荘近くの回転寿し店など数軒の食事代を政治活動したと公費扱い。雑貨屋で下着やパジャマを購入したのも公費扱い。店主のコメントに依らずともどう見たって家族の個人的な支出だろうに。これを世間では公私混同という。

正月の家族旅行で宿泊したホテル代数十万円をミーティングもしたという理由で公費扱いに。自身のブログには窓から見える景色の写真をこれ見よがしにアップしている。でもミーティング相手の事務所関係者の氏名はおろか人数さえも言わない。そもそも正月から地方のホテルでミーティングなんてやっちゃいないと疑われる始末。ホテルは木更津、下関、日光などに及び、いずれも盆や正月の時期の宿泊だった。

挙げられ出せばキリがない。世田谷の自宅の一部を自身の資金管理団体の事務所にし、何と相場の倍以上の月額44万円という高額家賃を徴収し続けている。これではまるで自分から自分への公金マネーロンダリングである。その団体の所有車を資産となる100万円にギリギリ届かない99万円で購入したと計上。数百万円に及ぶ政党交付金の移動もしかり。

ある時は、自身の似顔絵の書かれた饅頭を10万円分購入。もしもこれを有権者へ配っていたらリッパな公職選挙法違反となるが、それをどこへどう使ったのかは記憶にないらしい。さらに趣味という絵画などをネットオークションや古書店などで購入し、領収書に資料代と記載させて公費計上。その中には裸婦の油彩やキース・へリングの落書きのような手紙もあり、使用目的どころかその総数すら知れない。

これを江戸っ子は「セコい」と言い、ひとたび「セコい奴」と呼ばれたら回復不能とすらされる最低の男の代名詞である。ましてや朝まで生テレビで舌鋒鋭い批判を口にし、政治とカネの健全化を訴えて知事になった男のこの変貌ぶりには開いた口が塞がらない。彼の昔を知る連中も、ケチでカネには細かかったと異口同音に語っていた。

2度目の定例会見ではそれらを精査するの一点張り。そして迎えた3度目の定例会見でいよいよ説明責任や謝罪が果たされると思いきや、今度は第三者による厳しい目に委ねたいと、記者の質問に壊れたテープレコーダーのように数十回繰り返すだけ。大方、弁護士あたりを自分で雇って、最終的に法には反していなかったという報告をさせて幕引きを図ろうという魂胆だろうが、都民が怒っているのは法的問題なんかではなく、トップリーダーの倫理観や道義的責任なのだという事が彼には分かっていない。要は人間性を疑われているのであって、セコイ男のみっともない言動に情けない思いをさせられている都民の心情が、彼にはまるで見えていないのである。

今日の4度目の定例会見でも、第三者に委ねるとの発言と今後の議会の指示にも従うという発言があったが、記者からの個々の質問には答えないという姿勢は変えなかった。第三者があれもこれも細かい調査や判断ができるとも思えない。やはり自身の言葉ですべき説明から完全に逃げている。言葉が命の政治家のはずなのに。

あの時の都知事選で彼には票を投じなかった事だけをせめてもの自分への慰みにするよ、セコ添不要一さん。





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エンブレム

3回目の細胞診の結果が出るので外来受診。このところの排尿インターバルに襲われる痛みに、もしや腫瘍再発ではという懸念を抱えながら。

「その後の状態はどうですか?」
「排尿前後の痛みに加えて、インターバルの痛みが辛いですね」
「そうですか。良い知らせとしては前回の細胞診の結果は引き続きシロ(クラスⅡ)でした」

確かにそれが一番聞きたかった事に違いない。違いないのだが、ではこの痛みの持続はどうしたものか?

ここで、長引く痛みの原因に間質性膀胱炎の可能性があると調べて来たので、
「先生、間質性という可能性は、、、?」
「無いですね。BCG療法の副作用でしょう」
「これほど長引くものなんでしょうか?」
「そういう人もいますね」

相変わらず痛みにはドライなほど頓着しないT先生。というワケで、今回は抗生剤の処方はなく、尿路改善薬のベシケアを倍量、ユリーフは同量、鎮痛薬のトラムセットとロキソニンは最大量で処方してもらった。

「ホントは内視鏡で見るのが一番だけど、、、」
「ブンブン(と首を横に振る私)」
「、、、次回、CT撮ってみましょうか」
「CTでもエコーでも、内視鏡以外なら何でもやってください!」

その後、院外処方をカミさんに取りに行ってもらってトラムセットとロキソニンを追加服用し、痛みが少し薄れたところで帰宅。受診はいつも車で行くので痛みがキツいと運転も出来ない。本当は受診後に高島屋へ行って昼飯を食べるつもりだったけど、今日のコンディションでは無理出来ないと思われた。ホトホト身体の中心の痛みはQOLを著しく低下させるな。

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東京オリンピックのエンブレムの発表会の様子をTVでやっていた。

1万5千に迫る応募作から既に最終候補4作が選ばれていたが、今日最終的に決定された。だが、虎ノ門ヒルズのホールでうやうやしく開かれた実際の発表会よりも先に、A案が選ばれた事がバレて、既にミヤネ屋やネットニュースで知らされていたのが何とも滑稽に映った。まだそれを知らないだろう森会長や宮田委員長の思わせぶりなスピーチもますます回りくどくウザいだけ。

初めからA案ありきで、他の案はそれに誘導するためのもの」という旧委員からのイチャモンとも取れる指摘もあるが、あれだけスッタモンダした後だけにもはや国民の熱はかなり冷めていたのではないだろうか。まあ、どうあれ決まってしまえば、今度はマスコミがそれにお追従するだろうし、それを見聞きした国民も踊らされるんだろうけど。





いろいろ凹むけどね

この一週間は、まあいろいろあった。

何と言っても熊本を襲った大震災。熊本県益城町で14日21時に発生した内陸直下型の地震はマグニチュード6.5で震度7を記録した。その後も震度6規模の余震が相次ぎ、さらに余震のひとつと思われた16日1時には南阿蘇村でマグニチュード7.3、震度は再び7を記録した。最初の地震で耐えた建物も続けざまの揺れで崩壊、名城熊本城も見る影もない姿となってしまった。5年前に親戚の子供の結婚式で熊本を訪れた時に観た姿が最後になってしまった形となった。

南阿蘇村では東海大学寮のアパートが潰れて学生の死者も出た。阿蘇大橋の崩落では、たまたまそこを走っていた車もろとも行方不明となった人もいる。死者は40名を超え、避難者も10万人を数えるほどになった。直下型ゆえ東日本大震災の時のような津波こそないものの、すでに数百回も発生している大小の余震は極めて異例の事で、その恐怖から避難所暮らしもままならず車中泊をしている人の静脈血栓症からの肺血栓塞栓症による死者も出ている。さぞや無念の事だろう。ご冥福をお祈りしたい。

地震の発生という観点からは、確かに九州はそれほど俎上に上がっては来なかった。だが、益城町は地形学上は2つの断層の合わさる極めて危険な地域のひとつだったそうだ。だからと言って、この時期に大地震が発生するなんて予測は到底出来ないし、逆に日本に住んでいる限り大地震はいつでもどこにでも起こり得ると認識しておくべきだ。決して対岸の火事では済まされない、明日は我が身なのだ。

1995年の阪神淡路大震災から約10年後の2004年に新潟県中越地震、その7年後の2011年に東日本大震災が発生し、その5年後に今回の平成28年熊本地震が発生した。つまり、今の日本では5年~10年に一度は大型の地震に襲われる事を想定しておかなくてはならないと言えよう。ここは是非想像力を働かせて我が町我が身に大地震に襲われた場合をしっかりとシミュレートしておく事が重要だ。心身ともに覚悟を決めておく事も必要だろう。

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相変わらず1時間に一度の頻尿とその排尿前後の痛みに加え、インターバルにも痛みに襲われ、それがその日になってみないと程度が分からないという日々が続いている。思えば最後のBCG療法からもう2ヶ月以上経過しているのに、その副作用は営々と続いている事に日々凹んでいる。

15日夜に前の会社の所属部署の解散一周年の顔合わせ宴会が新宿の居酒屋で開かれた。発起人兼幹事はグータラK。会社に残っている彼が幹事役になるのはまあ必然なのだが、それでも当時所属していたメンバーの半数以上にあたる28名が集まった。もちろん、部署トップでありながら最も早く転職して行った、まるでセウォール号の船長みたいなHセンター長殿も駆けつけて来た。

集まった28名中、現在も前社に在籍しているメンバーはたった10名だという事でもこの組織の被ったストーリーが窺い知れるというものだろう。

それにしても明日は恒例のキャンプだそうだが、主催者のHさんは一年経った今でも次の仕事に就いていないと言う。あくまで研修トレーナーに拘っているようだが、長いブランクは採用に関して決してプラスには働かないから心配である。

私は私で、この日までには余裕で副作用も終わっていると思っていたが、さにあらず。立ったり座ったりも辛く、何とか片尻座りをして痛みをやり過ごすのが精一杯だった。宴会好きのクセに二次会に行く気も起こらず、帰り際にM子に誘われてY子、もう一人のM子の4人でコムサのティールームに寄ったのがせいぜい。こんな身体にも凹みますわ。

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仕事の方は、今はシーズン変わりの棚替え真っ最中。ビタミン剤の5段組のゴンドラ(陳列棚の一単位)にメーカーから取り寄せたボードや空箱などの販促資材を駆使してデコレートする作業を終えたのが一昨日。昨日からはシーズン毎に変わる3つのゴンドラを、それまでのマスク花粉症関連薬から水虫と虫刺され薬へと本部からの棚替え図を基に入れ替えるのだが、これがまたタイヘンなのだ。

それまで陳列してある商品を全て下げる。そのうち定番陳列棚で吸収出来ないものは余剰品となるが、今回は大量に送り込まれたマスクや目薬、点鼻薬、さらに鼻炎用薬などが折畳みコンテナ7個分になった。

それが終わると今度は事前に送り込まれた水虫薬や虫除け、虫刺され薬などを予め作成した棚札を並べて位置決めをする。それに従って商品をコンテナや段ボールから出しては置いていく。中には吊り下げ什器にセットされたものもあるからバラして置く。

最後にそれぞれの商品のPOPを切り抜いて差し込んでいっちょ上がり。意外に肉体労働だ。それを健常時ならいざ知らず、今の私は痛みと戦いながら行なうので動きがスローモーになり時間が掛かる。3つ全てが終わったのは今日の就業時間ちょっと過ぎの事だった。

さらに前社でも書いていたパフォーマンスシート、いわゆる自己評価シートの記入を店長から求められた。昨年10月から今年3月までの期間が対象なので正社員である私も書かなくてはならないのだそうだ。前社時代ならいざ知らず、今となっては社内の評価などは、後ろ指さえ指されなけりゃハッキリ言ってどーでも良い。この仕事に就いたメインテーマは社内でどうこうではなく、あくまで相談客のお役に立つ事と定めているから。

ただ、昨年の三度に渡る入院加療による薬剤師不在期間が売上げの前同割れに少なからぬ影響を与えてしまった事は痛感している。それでも店長と「こんなシートだけはいっちょまえの会社ですね」などと笑いながら、前社時代に培った作文力で仕上げておいた。こういう作文は時間を掛けずにこなせるから楽である。ま、今年は実績でリベンジだな。

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つくづく、痛みに苛まれる事さえ無ければ充実した日々を過ごせているに違いないだろうこの身が恨めしい。時間が解決するはずが、今となってはその兆候すらおぼろげだ。だからと言ってこの痛みに慣れる事もない。断じて気のせいでもない。痛いものは痛い。慢性の苦痛によって精神的に異常を来す人の気持ちが分かる気もする。さりとてどんなに理不尽だろうが、納得出来なかろうが、それも含めてただ耐え忍ぶ日々しか私には無い。





70年談話の真意

安倍首相による戦後70年談話に対する賛否の評がかまびすしい。

ハタから眺めている身としては、戦後アニバーサリーの年にたまたま政権に就いていた総理大臣と内閣で決めた文言を会見で述べたに過ぎない。いわゆる所信表明とさほど大きな違いがあるとは思えないのだが、テーマがテーマだけに世界の耳目を集め、特に中韓がその内容について批判的な目を向けているのは事実である。

そして14日、記者会見という形でそれが安倍首相の口から語られた。時まさに安全保障関連法案がすったもんだの末に衆議院で可決され、現在参議院で与野党攻防の第二ラウンドが繰り広げられているのだから尚更その言葉に注目が集まったのは無理もない。

安倍政権から提出された安保関連法案に批判的なスタンスを取るマスコミは、秘密保護法の時にあれほど言論の自由を封殺するなと主張していた事がウソのように、その報道の中でことさら戦後60年の小泉談話で使われた「植民地支配」「侵略」「痛切な反省」「お詫び」という4つのキーワードとやらが出るかどうかの「逆言葉狩り」を展開していた。談話を放送している間にそれらのワードを表にして画面に写しながら○やら△を表示して行ったのには笑った。そして呆れた。

結果的にそれらのキーワードは談話に登場したのだが、今度はやれ「主語が無く曖昧」だの「自らの考えでない」だの「引用しただけ」だのと言い始めた。またも笑止。

あのなあ、今回の談話の主旨はそこじゃないだろが! 普段から言論を扱っている連中のくせに、こういう時に限って部分的な言葉という木ばかりあげつらって、文意である森を見ようとしないというのはどういう了見なんだ!

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一部間違っている部分もあるかもしれないが、私が解釈している日本が太平洋戦争へ至った経緯はざっとこうである。当時の世界情勢は強国による侵略と植民地支配は当然の事で、欧米列強はその触手をアジアへ伸ばし、東南アジア諸国をその手中に収め、植民地支配により富を搾取し続けていた。やがてそれが日本へと伸びて来るのは火を見るよりも明らかだった。

1894年、日清戦争を経て清の属国だった朝鮮半島を独立させた。これにより韓国は独立国として日本の影響下に入り、その後の韓国併合へ繋がっていく。韓国併合に際して日本は、それまでの欧米の植民地支配とは真逆の政策、すなわち日本国の同胞として福祉や教育、インフラをはじめとした莫大な投資を行なったのである。仮にも統治した国にこんな富を構築したのは日本だけである。

その後、日本は1904年、日露戦争により列強の一国であるロシアの侵攻を退けた。だが第一次世界大戦を経て1931年、満州事変を機に日中戦争への道を歩き始めるのだった。翌年には満州国を設立し、ついに1937年の盧溝橋事件で日中戦争が始まったのである。

当然、欧米列強は快く思うはずがない。たかだか極東の島国の分際で強国に逆らおうというのだから。果たしてアメリカは日本に対し石油を始めとする資源の輸出を全面禁止したのだった。これでは日本という国が立ち行かない。国際連盟などで外交努力による解決を模索したものの、列強は自分たちの植民地政策を棚に上げ、1941年、日本に対する中国大陸からの総撤退など無理難題をふっかけたハルノートという最後通牒を突きつけた。日本はもはや武力によって打って出なければ国が滅ぶという事態に追い込まれたのだった。そして太平洋戦争が始まった。

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70年談話ではこの経緯について以下の言葉で語られていた。

「欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みました。国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」

日中戦争から太平洋戦争は、日本の単なる侵略への野望の発露ではなく、欧米列強による国の存亡をも左右する経済的な攻撃が背景にあった。だからと言って武力で解決する道を選択せざるを得なかった事は誤りだったと明言しているのだ。その結果、戦争は当事国のみならず関係各国の一般市民にも多大な損害と苦痛を与えたとも。一方で国際法が禁じていた市民への無差別攻撃への批判も込めて。

「先の大戦では三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の遠い異郷の地にあって飢えや病に苦しみ亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が無残にも犠牲となりました」

「何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお言葉を失い、ただただ断腸の念を禁じ得ません」

さらに、韓国が執拗に言及している慰安婦問題も意識しつつ、弱い立場に置かれた女性達に対してはこう語った。

「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた事も忘れてはなりません」

「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去をこの胸に刻み続けます。だからこそ我が国は、そうした女性たちの心に常に寄り添う国でありたい」

そして未来への宣言。

「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国はそう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに私たちは静かな誇りを抱きながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」

たとえ主語があろうがなかろうが、引用であろうがなかろうが、これは安倍首相自身の口から発せられた言葉である事に違いはない。紛れもなく首相としての責任を伴った言葉である事に違いないのである。しかしながら、彼がこの機会に本当に明言したかった「真意」は実はそこではない。

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今回の談話の真意。それは紛れもなく「謝罪への訣別」である。

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」

この言葉、歴代の総理大臣の誰が口にできただろうか。いや、歴代総理大臣はおろか、過去に談話を語った村山氏にせよ小泉氏にせよ考えもしなかった言葉だったに違いない。中韓との関係について未来志向が重要だと口にする輩は多い。だが、如何に真摯な反省と謝罪を繰り返しても、相手は壊れたテープのように謝罪を求め賠償を求め続ける姿勢を変えようとしないではないか。本当に未来志向へ舵を切るのなら、誰かがどこかで「謝罪」の悪しき連鎖を断ち切らなければ次へ進めないではないか。

反省は深く静かに自己に持ち、謝罪は心を込めて相手へ捧げるものだとすれば、70年間もそれを続けてきた国は他にない。ナチスがホロコーストを行なったドイツでさえも社会や教育の中で「記録し、忘れない」姿勢を貫き反省を示しているが、謝罪そのものはすでに過去に決着したものとしている。

安倍首相が悪しき連鎖を断ち切った。この宣言こそマスコミは最優先で取り上げるべきだろ。私はこの「謝罪への訣別宣言」こそが今回の談話の最大の意義だったと思っている。私は決して安倍支持派というわけではないが、これはよくぞ言ったと褒めてあげたい。自虐にこり固まった言葉とおためごかしの外交辞令を語るだけだった過去の談話に比べ何と清々しいのだろうとさえ感じている。これできっと道は開け、いたづらな反日感情から脱却するキッカケにもなるだろうと期待したい。

それでも難クセをつけたい連中、かかって来なさい!




統一ドイツ初の世界制覇!

ドイツとの準決勝で歴史的惨敗を喫したブラジル、そのショックが尾を引いていたのか、オランダとの3位決定戦でも精彩を欠き、0-3で敗れ、4位に沈んだ。ネイマールの抜けた穴はそれほど大きかったのかどうかは知らないが、王国として2戦で10失点とは許しがたい屈辱だったに違いない。

一方のドイツは決勝でも攻守に抜群の力を発揮し、MFマスチェラーノの守備が光るアルゼンチンを延長後半8分、W杯最多得点のクローゼに替わったゲッツェの値千金ボレーシュートで決勝点となる1点をもぎ取って、統一ドイツとして初優勝を飾った。北南米大陸開催でヨーロッパのチームが優勝したのも初の事だった。

得点王はコロンビアのロドリゲス、最優秀GKはドイツの守護神ノイアーは納得だが、大会MVPがメッシというのには「?」というのが率直な感想だった。「走らない、守らない」と指摘を受けていたが、それも決定機には得点するエースゆえ。それなのに、決勝で何度かの決定的チャンスを生かせなかったからだ。

次回のワールドカップではふがいなかったアジアの出場枠が減らされるというウワサもあるが、それよりも何かにつけ中途半端に終わった日本代表チームをどんなチームに育て直すかが最大のテーマだろう。ドイツ、オランダクラスとは言わないまでもメキシコ位までは手が届くと思う。守りに軸足を置いたカウンター主体のチームが日本には合っている気がするが・・・。

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さて、本日は年に一度の人間ドック。いつもなら健診休暇を取って行くのだが、今回はこのリフレッシュ休暇中に設定した。ま、どうせ行くところもないし。

全ての検査が終了し、2時間近くのインターバルの後に主治医から結果を聞く。いつも指摘されている項目に関連する検査値の微減微増に一喜一憂。またいつもの繰り返しかと思いきや、今回は少し違った。

何と初の便潜血(+)。改めてCF(大腸内視鏡検査)を受けるハメとなる。さらにバリウム像から少し胃が荒れているという所見。オプション(@1080円)でピロリ菌検査もする事に。これが陽性だったら除菌やら何やらとやっかいだな。

一病息災どころか、検査のたびに新たな疑いが追加される。これが歳を取るという事なのかもしれないが、いちいち気にしたり細かな対処をしたりするのも面倒だ。おまけにすぐに死ねない疾病ばかりと来ている。

そうそう、心電図でT波平低と言われた。従来から私は不思議と血圧や心臓はバリバリに正常だったから、こりゃ初めて突然死できる可能性のある所見かと思ってワクワクして訊いたら、たぶん一過性だろうという事でAMI(急性心筋梗塞)とかの兆候ではないと言われてしまった。ちっ





ブラジルの崩壊

ワールドカップ準決勝は、準々決勝でPK戦直前に(PK戦用の)GKクルルへ交代というファンハール監督のドンピシャ采配でコスタリカを破ったオランダが、アルゼンチン相手にメッシを封じ込めた120分間に渡る鉄壁の守備を貫き通した末、再びPK戦へ。

しかし、今度はここまで交代枠の3人を使い果たしてしまっていたため、公式戦でPKを阻止した事のないというGKシレッセンのままで臨み、2-4で敗れた。

それより驚いたのが、その前に行われたドイツvsブラジル戦。ブラジルは、コロンビア戦で負傷したエースのネイマールと守備の要であるキャプテンのチアゴシウバを欠く緊急事態だったものの、ある意味事実上の決勝戦と言ってもいいくらいの好カードだった。

ところが、何と前半30分までに5-0! これが野球なら20点ゲーム、ラグビーなら100点ゲームというくらいの絶望的な点差をこともあろうに開催国ブラジルがつけられてしまったのである!

ドイツの組織的な攻防が光ったのはもちろんだが、得点王となる5点目を叩き出したミュラーに先制点を、W杯最多得点となる16点目を叩き出したクローゼに2点目を決められたあたりでブラジルの守備が完全に崩壊した。終わってみれば7-1という、王者ブラジルの歴史的な惨敗となったのだった。

これで13日早朝の3位決定戦は、まるで罰ゲームのブラジルvsオランダ、14日早朝のファイナルはアルゼンチンvsドイツと、いずれも南米vsヨーロッパとなり、現在までのW杯優勝国は開催地側の国というジンクスもあって、まだまだ興味は尽きない。

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私は先週の土曜日(7/5)から、現役最後のリフレッシュ休暇に突入したが、その目玉イベントとして6日~8日まで東北復興支援を兼ねた温泉ドライブ旅行へ行った。カミサンの夏季休暇に合わせての企画だったが、直前になって突如台風8号(ノグリー:狸)が発生し、どうやら日本上陸の様相を呈して来たのである。

奇跡的に旅行中の3日間は天気にも恵まれたものの、沖縄から鹿児島へ上陸した台風は和歌山へ再上陸し、折からの梅雨前線を刺激し、長野県南木曽町で土石流を発生させて12歳の男子の犠牲者を出した。その後も台風は関東地方へ向かい、本日未明までに千葉に上陸した後、三陸沖へと去って行った。

東京は昨日から風雨が強くなった時間帯こそあったものの、特に大きな影響もなく、本日昼頃からは台風一過の晴天が広がっている。気温も30℃超えになるようだが、午後にはゲリラ豪雨の恐れもあるらしい。今度は猛暑の到来か。

3日間のドライブ旅行記は次のエントリにアップしようと思っている。




W杯開幕とリフレッシュ休暇

全国研修ツアーに営業面談研修が加わり、ほとんど休日らしい休日もないままに6月を駆け抜けた。これでもう一年の半分が過ぎ去って行くのである。

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さて、早寝早起きでTV中継に臨んだブラジルワールドカップの日本戦。コロンビア、ギリシャ、コートジボワールとのグループリーグで、ここぞとばかりに日本中が熱狂したものの、結果的に1勝も挙げられずに敗退した。ネットでは「2006年ドイツW杯と同じ結果の繰り返しだった」「実は半年前に結果を予言したコメントがあった」などとかまびすしい。

ドイツW杯では、ブラジル、クロアチア、オーストラリアとのグループリーグ。日本代表はここで0勝1分2敗で敗退した。

今回も初戦のコートジボワール戦は本田の見事なシュートで先制したものの、後半、国民的英雄ドロクバが登場しムードが一変。おまけに暑さで足が止まり1-2と逆転負け。必勝を期して臨んだギリシャ戦は、MFカツラニスが早々とレッドカードで退場したものの、それが吉とは出ずに終わってみれば痛恨のスコアレスドロー。これで自力突破はなくなった。

取り敢えず勝つしかなくなった最終コロンビア戦。前半17分、今野がファールを取られPKでリードされたものの、終了間際に岡崎のヘッドで追いついて折り返す。後半から出場したエース、ハメス・ロドリゲスが大暴れ。勝利どころか1-4と大敗を喫してジ・エンド、グループリーグ最下位に終わった。

勝利への気持ちは誰しもが持っていたに違いないが、やはり何かが違う。一流と呼ばれる国はもちろん、日本とそれほど違わないランクの国の試合と比べても何かが違うのだ。

選手が気持ちを込めて頑張ったのは間違いない。だが、世界レベルのプロフェッショナルと戦う上で「努力」や「思い」が必ずしも「成果」につながるわけではないのは、スポーツの世界のみならず実社会でもよくある話だ。

私自身、中学時代にサッカーをかじっていたものの、その頃のサッカーはFW、HB、DFの分業制で、バックはとにかく前線にどうボールを出してFWを走らせるかが戦術の主体だった。だからいわゆる兼業制の現代サッカーの感触を知らない。

そんな素人目に見ても、ペナルティエリア前のいわゆるバイタルゾーンにボールが入るまでのスピードが遅い。そしてそこからシュートまでにも時間がかかり過ぎる。それ故かシュートが枠を捉える確率も低過ぎた。

なぜバイタルゾーンまで攻め込んでいながら味方が上がってくるのを待つ? そんな悠長な事をしていたら相手ディフェンスだって戻れるじゃないか。ここはオレが決めてやると勝負に行く姿勢がゴールにつながるんじゃないのか? 

サッカーは団体競技ではあるが、FWは個人プレーであって良い。ストライカーと呼ばれる選手は少なくともそうであるはずだ。

今後は世界レベルのストライカーの育成を何よりも重視すべきだろう。もちろんそれは言うほど簡単な事ではないのは百も承知だが、これまでの日本サッカー界で世界レベルのストライカーと言われて、未だに「釜本邦茂」の名が出てくるようでは淋しい限りだし、進歩が止まってる証左とも言えるだろう。

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さて、来月の上旬から現役最後の「リフレッシュ休暇」に突入する。これは勤続10年毎に取得できる平日10日間の特別休暇である。今回は土日祝日をつなげて実に17日間の超大型休暇となる。ただし、権利発生から3年以内に取得しなければならず、私は今年が3年目だったから、これが最後のチャンスだった。

当初は愛車と共にフェリーで北海道に渡って道内一周ドライブ旅行をした後、吉田拓郎「洛陽」のように苫小牧発仙台行きフェリーで震災復興しつつある東北を巡ってみようという結構壮大なプランを立てていた。だが、長男の結婚話やら何やらでそこまでのムリは止めておこうとなり、結局、日本三景のうち、まだ行った事のない松島経由の山形温泉巡りに落ち着いた。ま、それでも十分過ぎるほど走れるだろう。

後はどっぷり日常に没して過ごそうか。





4月1日に思うこと

4月1日と言えば世間ではエイプリルフールだろうが、我が家では何と結婚記念日である。

カミさんの誕生日が3月の末なので、少し歳の離れた我々夫婦の入籍日はその直後で、かつちょっとやそっとじゃ忘れない日にしようという目論見でこの日に決めた。

エイプリルフールだから結婚そのものも冗談だったんだよと言う気も今さらないけど、あれから早や23年。だからと言って特別な事などはせずに過ごして来た23年なのだが。

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その4月1日に消費税が5%から8%へと上がった。

前日のニュースだけでなく今朝のワイドショー(これもいくつかの局では番組改編で新番組に衣替えしていた)で、午前0時を境にした悲喜こもごもの様子を映していた。

3%のアップは100円で3円、1千円で30円、1万円で300円という勘定になる。消費者は争って日用品や食品の買いだめに走っていたが、消費税の差額よりもあんなにカサの張るトレペだの飲料の箱だのを置いておくスペースの方が問題じゃないかと思うが。

それでなくとも人は消費財の在庫が豊富であれば、ついつい使い方が雑になったり使用量が無駄に増えたりするものである。食品なら賞味期限があるから尚更だろう。デパートで冷凍カニや高級食材を必死に買い込んでいるオバちゃん、そもそもあなたの家じゃ普段はそんな高いモン食べてないでしょうが! その段階ですでに家計的に3%以上の損失が生じているだろうと思うと笑えて来る。ま、それも経済効果ならぬ消費増税効果かもね。

ガソリンも1Lあたり5円値上がりすると、昨日あたりからスタンドに行列が出来ていた。

これも良く考えると笑える話だ。私の車の燃料タンクの容量は50L。仮にスッカラカンでフル給油したとしても差額は250円程度。しかもガソリンは買い置きが効かないし、車を走らせてある程度消費するのは翌日以降。その時にはもう価格は上がっている。なのにイライラしながら順番待ちをしている連中って、いったい何に突き動かされてしまったのだろうか?

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日本は4月1日に「ハーグ条約」に正式加盟した。

この条約は、国際結婚破綻後の子どもの扱いを定めた条約で、離婚後に一方の親が国境を越えて子どもを連れ去ってはならないと定めた国際ルールである。加盟と同時に政府は「中央当局」を設置して態勢を強化するという。これは国外へ連れ去られた16歳未満の子どもを戻すよう求める海外在住の親からの申請を受け付け次第、地方自治体や警察と協力して日本国内の子どもの居場所を捜し出す組織である。

これは「(未成年の)子供の親権は原則母親が獲得する」とされる日本の文化にそぐわない。親権や養育権を父母で同等に争う外国の文化ならいざ知らず、嫁いだ先の国でDVにあって離婚した場合でも子供を母国へ連れ帰る事が出来ないのである。

ハッキリ言います。「日本女性よ、国際結婚に過剰な夢を持つのはやめなさい」と。

一説には日本人の離婚率は2組に1組だそうだ。日本人でさえこんなに高いのに、考え方や文化の違う外国人との結婚生活、最初はともかく長く続く確率は決して高くはないだろうよ。他人同士が24時間寝食を共にすれば見えなかったモノが見えて来るというのはよくある話である。

子どもの権利を親の都合でないがしろにして親から引き離してはならない、というのが条約の真意だろうが、こと別れるとなれば、国を離れる方が泣きを見るのは明らかである。

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反捕鯨国であるオーストラリアが「事実上の商業捕鯨だ」として日本の調査捕鯨を差し止めを求めた国際司法裁判の判決が出された。国際司法裁判所がハーグ条約と同じオランダのハーグにあるというのは偶然の一致だろうか。

判決は、調査捕鯨の権利は認められたが「JARPA(南極海鯨類捕獲調査)2は国際捕鯨取締条約の調査捕鯨に当たらない」という日本全面敗訴の内容だった。国際司法裁判所は一審制という事なので、これにより1987年から続けてきた調査捕鯨は中止に追い込まれる見通しだという。

古来より受け継がれて来た日本の鯨食文化の崩壊・終焉という声もある。だが私はかねてからこの「調査捕鯨」には率直な疑問を持っていた。

鯨の生存数の多寡はさておいても、捕鯨枠をミンククジラ935頭、ザトウクジラ50頭、ナガスクジラ50頭と設定(2005年より大幅増加)したのは調査としては多過ぎやしないか? しかも生態系モニタリングとしながら、なぜ殺さなければならないのか? 鯨が増え過ぎて海の生態系を破壊しているとでも言うのだろうか? そして科学調査で捕獲した鯨が食肉として流通しているという事実。

これらを総合してみると、日本の調査捕鯨の実態は限りなく商業捕鯨的であると言わざるを得ないのではないだろうか。

今後は鯨料理店や食材としたい向きは、商業捕鯨国であるアイスランドからの輸入に頼るしかない。今や5000t超が輸入されていて余りも生じていると言うからそれで十分だろう。日本の文化と言ったって、今や鯨肉を常食としている日本人なんてほとんどいないのではないか? 私もせいぜい小学校の給食で出された記憶があるくらいだ。

ただし1979年、当時のオーストラリア首相が議会で「クジラは特別で知的だ。政府は南極海を含む漁業水域でのすべての捕鯨を禁止する」との宣言した事や環境テロリストのレッテルが貼られるシー・シェパードの代表を元環境相が「世界で最も偉大な環境保護活動家の一人」ともてはやした事には断固反対する。見識が間違っている。

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相も変わらず戦時中の侵略・虐殺や慰安婦問題、果ては領土問題にまで至る中韓の歴史認識の歪み発言が続いている。北朝鮮による拉致問題も、先日横田夫妻がめぐみさんの娘と初めて会ったのを契機に日朝交渉の議題にもなったが、解決には程遠い。ウクライナ・クリミア問題も国際社会が大反発しているにも関わらず、ロシアは強引に横車を押した。

どこかにエイプリルフールらしい気の利いたジョークの一つもないのだろうか。



【追記】
今朝、理研(野依良治理事長)の調査委員会がSTAP細胞事件の調査報告会見をしたそうな。「小保方晴子研究ユニットリーダーが捏造に当たる研究不正行為を行なった」と発表した。こいつもエイプリルフールってワケじゃなさそうだ。






ソチはどっちだ?

いよいよブログが月イチ更新ペースになって来た。やっぱりTwitterやSNSでリアルタイムに呟けるのは便利で、特に画像抜きの文章勝負みたいなこのブログは、ある程度時間のゆとりが必要なのでチトキビしい。もはやブログ自体が過去のものになりつつあるのかもしれないが。

とは言っても、このブログを始めたキッカケがいろいろなテーマの意見交換と日誌としての記録だったので、更新頻度が減って来た事については懸念はあるものの、まあ、そんな時期もあるよね的に捉えている。もちろん止める気などさらさらない。

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今年の全国研修ツアーはいつもの3月からではなく、今月の最終週からスタートする。今回は定例の研修コンテンツに加え、他領域とのコラボ製品研修や新しい営業スキルを展開して行くという背景があり、手間と時間により多くを要した。そして先週あたりからMKT部門も交えての予演会が始まり、最終合意を基にして今週はラストスパートに突入するのである。

受講者へ分かりやすいコンテンツの作成はもちろんの事、それを研修の場で伝えられるプレゼンテーションスキルと受講者が行動に移そうと思えるモチベーションを湧かせるためのファシリテーションスキルが研修トレーナーには要求される。そのために発揮すべき能力を「トレーナー・コンピテンシー」として昨年まとめ上げ、今年はそれを完全に定着させるつもりだ。

機会あるたびに言っているが、研修トレーナーは職人同様、突き詰めれば個人技の世界である。職人の世界とは、黙っていても親方やベテランが手取り足取り教えてくれるなんて事はない。自ら気付き、自ら学び、自ら盗み取らなければ置いて行かれるだけである。そこをどこまで認識出来ているか? 要はこの仕事をどれだけ好きになり真摯に向き合って行くかの勝負だと思っている。だからゴールなんてないも同然、一生精進あるのみ。

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今月8日に東京で20cm超えの積雪が記録され、おかげで翌日に予定されていた親父の三回忌は参加不能者が続出し、お坊さんを呼ぶ墓前での読経も中止。我が家も電車とタクシーでやっとこさ松戸の食事会場へ直行した。親父らしい記憶に残る法事となった。

やれやれと思いきや、わずか一週間後の一昨日も今世紀最高という積雪に見舞われた。関東近県、山梨あたりでは胸まで達する積雪で孤立した地域もあり、雪害と呼ばれる状態になっているという。我が家周辺も先週よりも明らかに多い30cm近い積雪となった。もはや自然の帳尻合わせという段階を超えた異常気象と言うべきだろう。

スタッドレスのないウチは雪の日は車を出さない主義。なのでこのところの休日は引きこもりが続いている。

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ソチオリンピックが始まった。

期待とは裏腹に日本選手陣はメダル取得に苦戦を強いられている。努力精進しているのは日本選手だけではないから厳しい闘いは必至である。オリンピックの大舞台というプレッシャーもハンパではないだろうし、その中で実力を出し切るのは並大抵のメンタルマネジメントではあるまい。

そんな中、スノボ・ハーフパイプで日本人初のメダルを獲得した銀メダリスト平野歩夢選手は何と15歳!

銅メダリストの平岡卓選手も18歳である。2人のインタビューを観たらプレッシャーなんてほとんど意に介さない飄々としたキャラが印象的だった。前回のバンクーバー五輪で服装や言葉遣いで批判を浴びた国母選手がアメリカで彼らをいろいろとサポートし、テクニカルアドバイザーをしていたという話も聞き、あの国母選手の意外なキャラにも感心した。

フィギュア初の金メダルをゲットしたのは羽生結弦選手、これまた弱冠19歳!

フィギュア団体にも出場し、個人ショートプログラムでは完璧な演技でトップ。だが2位のパトリック・チャン選手との差はわずか。この19歳にもプレッシャーの重圧がのしかかる。フリーではあり得ない転倒をするなど危ない場面があったものの、チャン選手もプレッシャーの餌食となり演技にミス。深夜にも関わらずついつい最後まで見入ってしまった熱戦だった。

反対に、金メダル確実と言われた女子ジャンプの高梨沙羅選手が4位と沈んだのは、追い風という不利な条件を除いてもプレッシャーの重さが表れた結果と言うべきだっただろう。だが彼女は若い、次もその次もある。今回は試し斬りオリンピックでいいじゃないか。17歳に「期待に応えられず申し訳ない」なんて言葉を言わせてはいけないだろが!

その無念をOYAJI世代のレジェンド葛西紀明選手が見事に晴らした!

41歳の超人がラージヒル個人でついに銀メダルに輝いたのである! リレハンメル五輪のリベンジとなるはずだった長野五輪では団体メンバーから外れ、その後のルール改定にも悩まされ、それでも諦めずに努力精進した末の偉業である。しかもそのコメントがまた凄い。

「金メダルを取って、本当にレジェンドと呼ばれたいと思っていたんですけど、まだまだ、目標が出来たので。その金メダルという目標に向かってまた頑張りたいと思います!」

年齢から見てもこの銀メダルで引退してもちっともおかしくないのにこのコメント! 我々OYAJI世代は全面的に応援するからな〜! もはや41歳でも45歳でも変わらんわ、やれやれ〜!

競技はまだ続く。フィギュア女子の浅田真央選手も控えている。彼女はこの五輪で引退表明をしているようだが、団体で見事な演技をしたロシアの15歳の新星ユリア・リプニツカヤ選手にかつての自分自身を見ただろう。また、現役復帰したキム・ヨナ選手にはバンクーバー五輪のリベンジを期しているに違いない。この大舞台のFINAL・DIVAで鮮やかに燃え上がって欲しい。

あ、それと、残念ながらメダルには届きそうもない女子カーリングだが、対戦相手のスキップが美女揃いというのを記録しておこう。中でもロシアチームの美女率が高く、スキップのアンナ・シドロワ選手はダントツだ。イギリスチームのスキップ、イブ・ミュアヘッド選手も光っていた。

美女アスリートは逢えていないだけで、まだまだいるはず。天は二物を与えずは真っ赤なウソだ。





己れの意思とプライド

福島第一原発の所長だった吉田昌郎氏が7月9日、食道がんのため58歳で逝去した。

震災翌日の3月12日、1号機で水素爆発が起きた。東電幹部からの残りの事故炉への海水注入中止指示に「今から注入中止を指示するが、絶対に止めるな」と作業員に密かに命じたエピソードがマスコミに再三取り上げらた。自ら「もう死ぬと思った」という現場で発揮された強力なリーダーシップと命懸けの作業に取り組む作業員から最後まで失わなかった信頼に称賛の声が寄せられた。

「現場で詰めろ」「被曝も覚悟で頑張れ」と言い放つ「現場」を知らない東電本店や官邸の右往左往の大混乱を見切りつつ、吉田指揮官は時に怒りを爆発させながらも職務を放棄しなかった。

「これはもうジジイの決死隊でいこうか」「私はあの時、自分と一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていたんです」

報道によれば、指揮官が自分と部下達の「死」を考えていた頃、菅直人首相が東電本店に乗り込んで来たという。「撤退したら、東電は100%ツブれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」テレビ会議で言い放つ首相に、背を向けてスックと立ち上がり、ズボンを下ろし、パンツを出してシャツを入れ直したというエピソードもあったという。東工大の先輩でもある首相への無言の抗議だったのかもしれない。

だが一方で、事故の3年前に東電社内で巨大津波のリスクが試算され、到来の可能性が指摘されていたのに、担当者である設備管理部長としてその対策を見送っていた負の側面も指摘されている。これは組織の一員という立場にいる人には理解できなくもない。たとえ迫り来る最大の危機における傑出したリーダーシップの持ち主でさえも、何もない平時の企業の社内官僚体制にあっては為すべき事も出来なかったのだろうか?

この部分は直接本人から話を聴いてみたいと思ったのは私だけではあるまい。残念至極である。合掌

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参議院選挙の公示から一週間以上が過ぎた。

自公は衆参ねじれの解消に躍起になっているが、結局は大企業優遇と消費増税が目的のアベノミクス、96条を入口に9条改正を窺う議員発議1/2への改憲論議、今や交渉の主導権はおろか大幅な譲歩も辞さないTPP、安全性の確立どころか原因解明すら終わっていない原発の再稼働、そして二の次三の次にされて過去の事に追いやられつつある震災復興について、国民は自公政権の主張を手放しで支持しているのだろうか?

勢いのままに衆参共に過半数を超える議席を制したら、政権与党としては万々歳だろうが、もはやチェック機能は働かなくなる。どんな法案でも採決にさえ持ち込んでしまえば否決はされないのだから、時の権力者にとってこんなオイシイものはない。

改憲について安倍首相は言った。「国民投票があるから、1/2の議員発議になっても国民の意思を軽んじる事にはならない」 本当だろうか? 国民投票を国政を始めとする数々の選挙に当てはめてみたらいい。有権者、とりわけ無党派層の若者の投票率の低さは目を覆うばかりである。この状態で国民の総意が計れるだろうか?

おまけに国民投票による過半数の判断基準は曖昧で、安倍政権は最も母数の多い「総有権者数」にする気などさらさらなく、「総投票数」はおろか、最も母数の少ない「有効投票数」を基準にするつもりなのだ。棄権はもちろん白票や抗議票も母数から除外される。その上、投票率がいつもの選挙ような40%台だったらどうなるだろうか? 結局、支持政党の組織票と改憲で利する一部有権者の票で決まってしまう公算が大なのである!

アベノミクスの恩恵とやらが自分に返ってこないうちに消費増税に賛成する有権者はいないだろう。昨年の衆院選挙で自公のほとんどの候補者が反対と言っていたTPPも今や首相の声に乗って総員前のめり状態である。核のゴミ処理問題に全く光明が見えないのに原発再稼働やら原発輸出やらに賛成するのはどういう人種かも想像がつく。

民主主義のあるべき姿としてねじれというものは存在するはずである。かと言って、反自公票や批判票の受け皿であるべき野党の足並みも覚束ない。一票を投じる先がないのなら、いっそ棄権しておくか?

バカを言っちゃいけませんよ!

有権者が選挙において一票を投じるという行為は、この国に生きる国民としての意思表明の大きな機会であり大切な手段であるのは論を待たない。だが民主主義が個人の意思の巨大な集合体であるがゆえ、その結果が必ずしも個人の思い通りにはならないのは当然である。だから自分の投じた一票にただ結果だけを求めてはならない。

そこにあるのは国民として一票を投じた瞬間、それまでの傍観者から厳然たる当事者の一員となったという矜持=プライドなのである。選挙権を持った大人の誇りと言ってもいいだろう。

人として誇りを失ったら生きていく意味も薄れるだろう。有権者として選挙権を放棄したら国民としての存在意義も薄れてしまうのではないだろうか? 「有権者はそのまま寝ていろ」とのたまった権力者がまた笑う事になるだろう。

来る投票日には、己れのプライドに懸けて必死に投票先を見極め、必ずや国民としての意思を表明しようではないか!




戦い済んで気がふれて?

先日の衆議院解散と暴走老人のと知事辞職を受けて総選挙&都知事選挙が公示され、先日の日曜日がその投票日だった。

朝の8時過ぎに投票を済ませた後は、ここまで2週間に渡って続いて来た全国研修ツアーの合間の貴重な休日に身も心も委ね、しかしながら夜ともなれば神戸空港行きの最終便で再び研修ツアーに赴いていた。落ち着いて選挙速報を見られたのは午後10時を回った後の事だった。

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いくつかのチャンネルをザッピングしながら、徐々に明らかになる当落情報。ハッキリしていたのは民主党の壊滅にも等しい大幅議席減の惨状と予想を超える自民党の大躍進の姿だった。政権交替で盛り上がった3年半前の真逆の光景、見方によっては先祖帰りへの巻き戻しの光景だった。

民主党は政権交代時こそ308議席の大躍進をみたものの、途中で78人もの離党が生じ、結局230議席に減じた。それが今回の選挙で何と57議席(しかも全候補者が比例との重複立候補だったのでゾンビ議員を含めて)に激減した。

自民党は改選時119議席だったが、何と2.5倍の294議席に大躍進。10議席を増やした公明党と併せて325議席と、2/3超の大勢力となった。これで法案が参議院で否決されても怖くも何ともないし、場合によっては憲法改正案の議決すら可能となったのである。

話題を集めたものの、次第に馬脚を晒した形っとなって結局まとまらなかった第三極。地方議員と既成政党からの鞍替え組の「日本維新の会」は11議席から54議席に躍進したものの、直前の石原新党「太陽の党」との合体が賛否を呼び、思ったほど支持が得られなかったのは橋下徹代表代行の顔を見れば明らかである。すでに首班指名で石原慎太郎代表と見解の齟齬が出始めている。

すんでのところで合体を回避した「みんなの党」は18議席と10議席を伸ばした。それでもこれほどの自公大勢力の前では、もはやキャスティングボートすら握れない弱小勢力だろうけど。

小沢一郎党首の起死回生の一打が裏目に出た「日本未来の党」。民主党離党組の62議席がわずか9議席では、単なる読み違えでは済まされないだろう。影響力の衰退と共に小沢時代の終焉を物語っていたように思えた。彼について行って討ち死にした者の恨み節が聞こえて来るようだ。嘉田代表の言動に確固たる政策の基盤が見て取れなかった事も支持が伸びなかった一因と思われる。

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…それにしても、負けるにしても負け方というものがあるだろう。

民主党の現役閣僚で戻って来たのは野田総理を始め岡田、前原、枝野、玄葉、そして安住の6閣僚のみ。現役官房長官の藤村修、常勝を誇った田中真紀子文科相、元総理の菅直人(彼は比例復活)でさえ選挙区選挙で敗れている。

事ほど左様に小選挙区選挙は厳しいという事だろうが、野田総理が選挙戦でしきりに訴えていた自民党批判は、却って自らの首を絞めたのではなかろうか? 国民は民主党政権に批判の意を表したが、だからと言って必ずしも自民党に盲目的な支持を寄せたわけではなかったのだから。

その自民党は大型公共事業と金融緩和を経済政策の柱に据えている。また憲法改正を宣言し国防軍を認め、強気の外交政策を取ろうとしている。原発維持・推進にも肯定的だ。自民票がいくら反民主の意思表示だったとしても、大人の国民として一切の抑制を利かせる事もなく、一気に流されてしまう国民性というか民度というものに、たまらない危機感をおぼえるのである。

はたして民主党政権あらずばこれほどの流れが生じただろうか? 有権者は本当に自民党の主張を容認・支持したのだろうか? 戦後の長期政権で甘い汁を吸って来た自民党が、初代投げ出しの安倍氏が本当に変わったのだろうか?

たった一度の選挙によって2/3の勢力と権力を与えた我々国民にその答えが返される日は遠くない。




解散はしたけれど・・・

今月も12月の全国研修ツアーのコンテンツミーティングや営業スキル研修、果ては全国の薬剤師を対象とした講演会などバタバタしていたら、あっという間に上旬・中旬を通り越して下旬に差し掛かってしまった。

内閣改造で就任した直後の田中「暴走大臣」真紀子文科相による唐突な3大学認可撤回発言。ヤリ玉に挙がった札幌医療大、秋田公立美大、岡崎女子大について、正直、四年制大学の設立意義の段階で「?」がなくもないが、校舎建設や教員・生徒募集を正式認可前にやっちゃってるのも「?」である。この業界、見切り発車オーライが慣習とでも言うのか。

14日の党首討論で、野田首相は半ばエモーショナルに2日後の16日解散を言明した。慌てた安倍総裁が「16日選挙でいいんですね? 約束ですね?」と、今度はまだ公表されていない12月16日の投開票日を思わず口にしてしまうというデキレースの馬脚を晒した。もっとも、両者の間に全く事前の情報交換がなされず、完全ガチだったなどと信じて疑わない純粋無垢な人間はいないだろうが。

ともあれ、これで3年半に及んだ民主党「ガッカリ」政権の幕が下ろされた。

いつのまにかマスコミから第三極と呼ばれていた橋下「大阪維新の会」は国政進出のために「日本維新の会」と改称した。週刊朝日による出自暴露記事騒動もあったが、その超タカ派的政策にはネットを中心に賛否両論が生じ、思ったほど政党支持率が伸びて来ない。

古くは安倍に始まり、東国原、中田、投げ出し三兄弟に続けとばかり、石原「暴走老人」慎太郎も知事の職を投げ出して、立ち枯れ日本の爺さん達と合流。これで投げ出し四兄弟となった。

返す刀で今度は党名を「太陽の党」へ「改称」した。まるで万博。立ち枯れ日本を「解党」したわけじゃないので、12月分の政党助成金4000万円超はもらい逃げとなる。そして早々と維新の会に吸収合併させたモンだから、一つの政党が消滅した形となる。こりゃ不正受給そのものじゃないのか?

一方で小沢一郎の「国民の生活が第一」を軸として「きづな」「新党大地」などを巻き込んむ動きを見せ、これが別枠の第三極、いや第四極となるようだ。

解散と同時に慌ただしくなったそれらの動きに伴って、与党民主党からの脱北者ならぬ離党者が後を絶たない。

この3年半でかれこれ70名以上が離党した計算になるが、遂には単独過半数割れのところまで来たようだ。与党議員として国民の審判を受けるでもなし、離党者がそれぞれ口にする、理念や政策が党と違ったなどというセリフ、いったいどの口が言うのか! 間違いなく自分の選挙しか頭にないだろが!

自民党政治に呆れ、政権を委ねた民主党に失望した有権者は、では第三極、第四極を選択するかと言えば、それは早計に過ぎる。

論点は消費増税、TPP、原発と言われるが、どの政党も到底一枚岩ではない。それぞれのテーマに賛否両論が渦巻いている。それよりも危急の課題であるはずの震災復興を真正面から取り上げるところはもはや皆無と言っていいし、同じく危急の課題であるはずの経済政策や外交問題、果ては社会保障問題でさえトーンダウン気味ではないか! オスプレイ配備や普天間基地移設問題なんてどこへ行ってしまったのか?

聞こえてくるのは、もう総理大臣になったつもりでいる安倍の浮ついたシュプレヒコールや、二言目には前へ進むか後へ戻るかしか言わない野田、そして弁舌巧みに聞こえの良い言葉で絵に描いた餅を語る橋下ばかり。

その陰で橋下は利用したのか利用されたのかとウワサがかまびすしい、日本維新の会代表となった石原の姿。選挙後の情勢次第では、彼は安倍自民との連立をしてまでも短期の総理就任を企てていると私は見ている。

原発一つとっても主張が異なるこの合併は野合の誹りはまぬかれない。でも既存政党の面々だって出処、主張はさまざま、これとて野合と言われれば否定はできまい。

いずれにせよ、来るべき投票日には有権者は選挙を通じて意志表示をする義務と責任を負っていると思う。

もしも明確な選択肢が見つからないのなら、コイツだけには国政を担って欲しくないと思う候補者や政党以外へ意思表明としての一票を投じようではないか。今回の選挙では、いつにも増して絶対にしてはならないのは「棄権」だという事を心得ておきたい。この日本、今はそれだけ重大な岐路にある。

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訃報もいくつか。

10日は元クレージーキャッツの桜井センリ氏、女優の森光子さん。奇しくも一年前に逝去した森繁久彌氏と同じ命日だった。15日は政治評論家の三宅久之氏。諸行無常。合掌





有終の美があった!

男子サッカーの3位決定戦は、韓国に敗れて銅メダルは獲得できなかった。

全体的に選手の動きが悪く、パスの精度もイマイチだった。精神的な落ち込みに加え披露の蓄積があったのだろうか? でもそれは相手も同じだから言い訳にはならない。次世代のA代表を背負って立つ若い彼らには、ぜひこの経験を生かして精神的にも成長して欲しい。必ず明日は拓けるから。

その仇を取ったのが女子バレー。ここでも大和撫子は強かった。韓国を撃破して堂々の銅メダル! 韓国のエースのキム・ヨンギョンがけっこう可愛いかったのが喜ばしい発見だった。いやいや、そんな余裕をカマせるほど安心して見ていられる試合だったという事である。

ロンドンオリンピックも最終日、ここで日本は有終の美を飾った!

まずはボクシングミドル級の村田諒太が見事に48年ぶりの金メダル! 大接戦の末、最終ラウンドの大逆転での勝利だった。

彼の奥さんがマスコミによく取り上げられていたが、驚いたのは自宅の冷蔵庫に「金メダルを取ることができました」との張り紙をオリンピック前から貼っていた事だ。この奥さんは目標達成の有力手段である「紙に書いて貼って見る」を実践していたんだと感心した。これってリッパな成功哲学だよ。ダンナも奥さんもおめでとう〜!

そしてレスリング66kg級の米満達弘が24年ぶりの金メダルをもたらした!

彼のスゴいところは、試合を見ていても負ける気がしないほど強く安定しているところだ。組み合わせで優勝候補がことごとく彼のブロックに入り、それらを撃破しての優勝というのも金メダルの価値を高めた。事実上の最強王者である。グッジョブ!

これで日本は37個だったアテネ五輪を凌ぐ、史上最多38個、通算400個のメダルを獲得した。ただし、金メダルを予定されていた競技は、そのほとんどが銀や銅以下となってしまったのが悔やまれるが、一生懸命やった選手は立派だった。

男子マラソンは中本健太郎の6位入賞の他は惨敗と言っていいだろう。「2週目までは寝たふりをして3週目から勝負」とうそぶいていた藤原新は、序盤で力を使い果たしてガス欠の45位。女子を含めて日本のマラソン界は今、谷間の時代なのかもしれない。いみじくも、あの有森裕子は練習量の不足を指摘した。量だけでなく質にも問題があったかもしれないが、一番の課題は執念と見た。

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男子サッカーで日本に勝った韓国のパク・チョンウが、コーチらしき人物から渡された「竹島(独島)は我々の領土」とハングルで書かれたプラカードを掲げてピッチを走ったとして物議を醸している。これは、オリンピックに政治的メッセージを持ち込まないという五輪憲章の明らかな違反行為であり、不愉快極まりない蛮行である。

しかも一時は得点後のパフォーマンスもやるつもりだったというから悪質である。

内政に追い詰められた大統領の分別ない竹島上陸行為といい、どうして韓国人は感情を抑制できずに蛮行に走るのか? やればやるほど、自分達は民度の高い民族ではないと世界中にプロパガンダする事になるんだと気づかないのだろうか?

帰国した空港とその後の会見に彼は姿を現さなかったらしい。やりたい放題やっておいて、今度はIOCが調査に乗り出しメダル剥奪や追放の可能性が出て来たら、お得意のトンズラ雲隠れかい! そういうのをチキン野郎って言うんだよ!

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さて、明日からの1週間は、月末に控えている大学担当者研修のためのコンテンツ作成が始まる。これはあくまでも私の分担セッションのコンテンツであるから、まったくの個人作業である。

だから、同僚たちがお盆休みや夏休みを取り、わざわざ高い料金を払って海外旅行へ行ったり、わざわざ大混雑の道路や鉄道で帰省するのを妨げるものではないのを断っておく。ちっとも羨ましくないぞ〜!

願わくば、営業部隊も休みを取るだろうから電話問い合わせもなく、まるで図書館のような静けさの中で、一日も早く神が舞い降りて完成できる事を。





充実の一夜と不法侵入

いやぁ〜、一晩でついつい40回以上もつぶやいてしまったわ。TVにTwitterにとホント忙しい一夜だった。でも充実した一夜だったぞ!

女子レスリング55kg級の吉田沙保里、72kg級の浜口京子、そしてなでしこジャパン決勝、女子バレー準決勝と今大会最大級の盛り上がりだった木曜日の夜から金曜の朝にかけての時間帯。ここは時差など吹き飛ばす気合で応援するのが日本国民の心意気ってなモンである。

まずは吉田沙保里。昨日一足先にオリンピック3連覇を達成した伊調馨に続き、吉田も得意な高速タックルやサバキを交えた貫禄の戦いぶりで危な気なく勝ち進む。決勝の第2ピリオド終了の笛が鳴った瞬間、そこに涙はなかった。オリンピック3連覇、世界大会12連覇の偉業達成の歓びを満面の笑みと共に表わす彼女に、最高の「オトコマエ」を感じたのは私だけではないだろう。アッパレ!

浜口はプレッシャーがあったのだろうか、勝てる試合を落としてしまい、初戦敗退となってしまった。その彼女に、目に涙を浮かべながら敢えて厳しい叱責をした父親のアニマル浜口氏と情で娘をいたわる母親との公開夫婦ゲンカに溢れる愛情に囲まれている彼女が見えた。メダルよりも大切なものがある。

夜更けの大一番はなでしこの決勝戦 。相手はW杯で死闘を演じ、リベンジに燃える世界ランク1位のアメリカ。

前半早々8分にMFロイドの飛び込みヘッドで先制されたのは計算外だと思うが、FKからペナルティエリア内での相手のハンドを主審が見逃したり、反則でもおかしくない相手のラフプレーにも耐え続けるなでしこの健気さはこの日も健在だ。

だが、運命は皮肉にもアメリカに追加点を許してしまう。後半9分、先制点と同じMFロイドの鮮やかなミドルシュートだった。それでも決して諦めずに闘志を燃やすのがなでしこの真骨頂だ。全員で引いて守るアメリカに対して粘りの攻撃が続く。

そしてその時が来た。後半18分、澤と大儀見の波状攻撃がついに相手ゴールを割り、1点を返した。さあ、ここからだぞ〜!

シュートがバーに当たったり、キーパーと1対1に持ち込んだ絶好機にはGKソロのファインセーブに阻まれたりとアンラッキーもあったが、無情のホイッスルは思ったより早く訪れてしまった。

試合運びとしては悔いの残る部分もあったかもしれないが、男女を通じてのオリンピック最高メダルの銀、W杯からの大躍進には日本中が賞賛の拍手を惜しまない。堂々の銀メダルだ! おめでとう〜!

で、その頃、女子バレーも残念ながらブラジルに完敗し、韓国との3位決定戦に進んだ。そういえば男子サッカーの3位決定戦の相手も韓国という偶然。

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折りしも今日の午前、内政における求心力の衰えたレームダック、イ・ミョンバク韓国大統領が竹島に不法侵入した。他人の家に勝手に上がり込み、ここは自分の家だと主張し要塞のような建物を建てた挙句に自国旗まで掲揚している韓国。今度はそこに制止を無視して上がり込む国政の最高責任者の姿には、怒りを通り越して哀れすら感じる。

日本は島国である。そのアイデンティティとも言える大事な島々をロシアや中国、韓国などに蹂躙され、本来なら領空侵犯、領海侵犯の重罪であるはずの相手に、日本国政府はせいぜい「遺憾の意」なのも如何なものか? せめて威嚇行為でもしておかなければ、今後も空から海からやりたい放題にされるぞ!

こんなヘタレでは内政も外交もメタメタにもなろうってなモンである。日本国のメルトダウンも近いと見た。こうなったら早く海水注入して冷温停止に持って行こうじゃないか!





アッパレ! 大和撫子

何せ大和撫子たちがスゴいのである。

まずはなでしこジャパン。準決勝でフランスを2-1で下した。その結果、日本は史上初めてとなるメダルの獲得が確定。決勝はW杯と同じアメリカと金メダルを目指して戦う事となった。だが、このフランス戦はタダでは済まない壮絶な戦いだった。

ブラジル戦と同様のスターティングイレブンで臨んだ日本は、フランスに攻め込まれるシーンもあったものの、バックス陣の奮闘で抑え続ける。32分、宮間のセットプレーから大儀が詰めて日本が先制! さらに49分には、再び宮間から阪口が頭で合わせて2点目をゲット! これで万全! のはずだった。

しかし日本は、得点を奪いに来たフランスの強烈なプレッシャーに曝され、76分にて1点を返されてしまう。さらにその2分後、何とPKを献上してしまい絶体絶命のピンチを招く。だが、ここまでのGK福元のファインセーブがキッカーにプレッシャーを与えたのか、シュートが枠から外れ、日本は奇跡的に失点を免れた。

そこからのフランスの猛攻はまさにボコボコ状態。シュート数が実に27本対4本と圧倒されたものの、執念の組織力で守り切ったなでしこは遂に勝利をもぎ取ったのだった! これを死闘と呼ばずして何と呼ぶかってなモンである。アッパレ アッパレ!

卓球も負けてはいない。史上初めて進出した女子団体決勝で、日本の福原愛、石川佳純、平野早矢香は中国に0-3で完敗した。相変わらず世界一の壁は厚かったが、団体戦でガッチリ結束した3人は晴れやかに銀色のメダルを輝かせた。もちろん日本卓球史上初の快挙だ!

第1試合で福原はシングルス金メダルの李暁霞に、第2試合では石川も同銀メダルの丁寧に敗れた。第3試合で石川&平野のダブルスも力及ばず、世界一への挑戦が終わると福原は笑顔でチームメートをねぎらった。卓球で初めて見る爽やかな光景だった。アッパレ!

女子バレーも続く。準々決勝で日本が中国を3-2の大接戦で破り、ソウル五輪以来24年ぶりのベスト4進出を決めた。試合はもつれて最終セットに突入すると、ここも終盤までもつれる展開に。お互いにマッチポイントを凌ぐ接戦が続いたが、最後は中道瞳のサーブが中国レシーブを崩して、熱戦に終止符を打った。

エースの木村沙織は江畑幸子と共にチーム最多の33得点をマーク。試合後は「この1勝が本当に大きい」と振り返った。それまでの経過からみれば、これも奇跡の1勝と言えるだろう。次は世界2位のブラジルとの準決勝だが、もう一度奇跡を起こしてくれ!

大和撫子と言えば柔道とレスリングが代名詞。

63kg級では、初戦から順調に勝ち上がった伊調馨が決勝で景瑞雪を破って、オリンピック3連覇を達成した。今夜は55kg級の吉田沙保里も3連覇をかけて出陣するが、それに先駆けた偉業達成は、女子レスリングの金メダルラッシュに幸先の良いスタートとなった。

遅咲きでも、見事な大輪の花! 何と31歳でオリンピック初出場となった48kg級の小原日登美は、決勝でスタドニクを逆転の2-1で破り、悲願の金メダルを獲得した。喜びに顔をくしゃくしゃにして涙を流した彼女には波乱万丈の歴史があった。

実は世界選手権で頂点に8度も立ちながら五輪には縁がなかったのだ。かつては51kg級で戦っていて、世界選手権では初出場の2000年から同級で計6度も優勝。2004年のアテネ五輪で女子レスリングが正式種目に採用されたものの、51kg級は実施階級にならなかった。

そのアテネ五輪前、彼女は苦渋の決断を迫られる。妹のいる48kg級に階級を下げるか、女王吉田沙保里が君臨する55kg級に挑むか。結局、妹とは戦いたくない、女王を倒したいと吉田に挑んだが完敗して引退。再びマットに戻ったものの、北京五輪の選考でも無敵ロードを突っ走る吉田に跳ね返されてニ度目の引退を決めた。吉田とは実に通算17戦17敗だった。

だが、彼女はそれで終わらなかった。引退した妹に五輪の夢を託され、48kg級で現役復帰したのは2年前。新たな階級で2010〜11年の世界選手権を連覇し、今回の金メダルに繋げていったのである。レスリング人生の集大成として位置付けた夢舞台のマットを精いっぱい満喫した。アッパレ〜!

まるで柔道48kg級の福見友子と同じような万年No2に甘んじた歴史に耐え続けた執念が、この大舞台で大逆転を演じさせたのかもしれない。思い切り流した涙が絵も言われぬ美しさを放っていた。

イマイチ続きの男子を尻目に大和撫子たちがスゴいのである。

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さてさて、直前でプログラムにちゃぶ台返しが生じてしまった専門営業部隊の2日間研修も何とか終わった。

それまで15分の連絡事項だけが予定されていた私の担当製品のセッションが、先週いきなり3時間以上の研修に変更されたのだ。当然の如く十分な準備時間はなく、マーケ部門と必死にコンテンツを組み上げてようやく間に合ったという次第。もはや受講者の満足度が低いのは覚悟の上だった。

今月下旬には、2日間の大学担当者研修が東西2会場で実施されるが、そのコンテンツは来週のお盆期間を返上して取り組むつもりでいる。この期間のオフィスは、たぶん図書館並みの静けさだろう。

その前に、今夜から明日の未明にかけて女子レスリング、なでしこ、女子バレーの決戦が立て続けにある。さらなる大和撫子快挙の歴史的証人の一人となるために今夜こそ眠れない、いや眠らない覚悟である。





オリンピックに見え隠れ

どうなる事かと思わされた柔道の金メダルは、女子57kg級の松本薫が闘争心剥き出しのファイティングスタイルで見事に獲得した。日本人選手の金メダル第1号もあって全国で喝采の声が上がった。さまざまな思いを抱えて燃えた彼女のスタイルには好感が持てた。

柔道は日本のお家芸と呼ばれて久しい。だがポイント制導入や度重なるルール変更などもあり、国際試合などを見ていると武道としての面影は薄くなる一方で、むしろ形を変えたレスリングのようなスポーツ格闘技という印象を強く受ける。

そんな状況の中で、柔道発祥の国というアドバンテージがどこまで存在するのだろうか?

武道としての柔道は、試合において相手を制し「一本」を取る事を至上の目的とする。だが現実の国際試合は「効果」こそ廃止されたものの、「有効」「技あり」などの技のポイントは、一方で指導などのマイナスポイントの積算と表裏一体である。延長戦はそれらを持ち越した上でのゴールデンスコア方式となる。その意味で、武道家寄りの選手が多く参加する国内試合よりもドライな部分がある。

もはや一本か否かという単純な戦いではない。

いかにポイントを積み重ね、その一方で指導を食らわないように審判にアピールするかの戦術マネジメントが勝利へのカギとなると言っても過言ではない。一本はその延長線上にある。野球で言えば、ヒットの延長線上にホームランがあるのであって、初めからホームランを狙うのが目的ではないのと同じである。

武道家らしく闘志は内に秘め、感情を表に出す事なく試合に臨むというスタイルも考えどころである。

格闘技は人間対人間の協議であるゆえ、相手の表情や一挙手一投足は対戦相手のみならず自分のモチベーションにも影響する。マナーとしての礼儀は遵守した上で、もっとアグレッシブになってもいいのではないだろうか? 凛とするばかりが能じゃないと思うのだが。

そして何が何でも金メダルもなかろう。もはや日本は金メダルが当然と言えるアドバンテージなどないのだから。

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こちらもどうなる事かと思わされた体操も、内村航平が個人総合で金メダルに輝いた。

団体戦では器具メーカーによる仕様の違いに当初は惑わされた感もあったが、個人戦となれば落下などのミスもなく跳馬と鉄棒では着地もピタッと止めた。彼は言葉とは裏腹に結構ナイーブで、仲間に気を遣う団体戦よりも自分のみの世界で戦える個人戦の方がより実力を発揮できるタイプだったのかもしれない。

「北京五輪では中国チームの金メダルを羨ましく見ていた。ロンドンでは金メダルを欲しいと思った」と語っていたが、これで見事に言行一致が達成できた。おめでとうの言葉と共にリオデジャネイロでの連覇を早くも期待したい。

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北島康介は残念ながら平泳ぎ100m5位、200m4位と共にメダルには届かなかった。代わって200mで立石諒が北島を制して銅メダルに輝いた。年齢的なものもあったと思うが、コーチを替えて結果が出なかった北島に、マラソンの高橋尚子の姿がダブって見えた気がした。

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男女サッカーが順当に決勝ラウンドに進んでいる。

ところが、共に予選リーグの最終戦で決勝トーナメントの対戦上有利な2位通過を狙ってレギュラーメンバーを相当数入れ替えて臨んだ事にマスコミで批判の声が上がっている。奇しくもバドミントンダブルスで同じような事態が起き、無気力相撲ならぬ無気力試合として関わった4組が失格処分を受けた。

ならばいっそ、決勝リーグや準々決勝以上の試合は組み合わせ抽選でもやればいい。あるいは同ブロック同時スタートでもいい。でなければ、よりメダル獲得の可能性の高いブロックを意識的に目指すのは戦略として当然じゃないか!

ちょっと考えればわかりそうなものである。それなのに何も対策をしないからそういう試合が出るのだ。それでいて「勝たない試合」や「わざと負ける試合」に文句を言ったところで始まらないだろうよ。

オリンピックは参加する事に意義がある、なんて絵空事を未だに信じてるオメデタイ輩がいるとは思うまい。





オリンピックもオレもガンバレ!

足跡のCGや口パクなどの中国らしさで印象的だった北京オリンピックからもう4年。時の速さをこんなにも感じさせられつつ、一昨日ロンドンオリンピックが開幕した。

彼の地との時差は8時間、この先、ドイツW杯の時のように寝不足の日々が続くのだろう。

さて、ポールマッカートニーの「Hey Judo」でフィナーレを迎えた開会式に先立ってスタートした男女サッカー予選。なでしこ初戦はカナダ戦に勝利、男子は何と優勝候補スペインに勝利するという幸先の良いスタートとなった。なでしこは次戦のスウェーデン戦にも引き分け、早くも決勝トーナメント出場を決めた。女子バレーも順調なスタートを切っているようだ。

競泳でも作新学院3年生の萩野公介は、400m個人メドレーであのマイケル・フェルプスに勝って日本人初の堂々の銅メダル! 五輪三度目の正直となる女子重量挙げ48kg級の三宅宏美は、日本新記録で銀メダルを獲得した! おめでとう! アッパレだ!

半面、男子柔道60kg級の平岡拓晃は、北京五輪のリベンジに燃えて金を狙ったものの決勝で不覚を取り、惜しくもと言うより残念な銀メダルに終わった。女王谷亮子に二度も勝ちながらも代表に選ばれない10年間の末、特別な思いと共に初代表となった女子柔道48kg級の福見友子は、準決勝、3位決定戦に敗れ、これまた無念な5位だった。インタビューでの一言一言が、彼女のこれまでの思いが如実に現れていた。なあに、次もあるぞ!

あの栄光の架け橋を地で行ったアテネ五輪以来の金メダルを狙った体操男子団体戦予選。個人種目でも金メダルが確実視されている内村航平。鉄棒と鞍馬で痛恨の落下、初代表の18歳日本は団体予選3位に甘んじてしまった。個人総合と種目別のゆかで決勝進出は果たしているが、大会前の余裕の発言と結果のギャップに、バッシング好きのマスコミから批判が集まってしまうかもしれない。ここから挽回だ!

オグシオで国民を沸かせたのももう昔、戦う前から五輪後の引退を公言していたバドミントンの潮田玲子もミックスダブルスの初戦で黒星。ブログでのJリーガーの彼氏へのコメントも含め、これもツッコまれるかもしれない。

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さてさて、私にもノンビリとした夏休みなんて来そうにない。

今月初めの専門営業部隊の研修、続いて定例の全国研修ツアー11会場、途中で京都で説明会、さらに明日から中途入社社員研修4日間と続き、8月に入っても再び専門営業部隊の研修、下旬には大学担当者研修2会場が待っていて、9月初旬からは再び全国研修ツアーが始まる。

それまでの時間はひたすらコンテンツ作成&予演会に費やされる。お盆もヘッタクレもない。いや、むしろ帰省すべき田舎が無いのが幸いなくらいである。

唯一怖いのは体調を崩す事。夏バテ防止には意識的にニンニクやショウガを摂るのがコツだ。毎年この時季は黙っていても食欲は落ちてしまうが、無理してでも食べる事にしている。ニンニクはパスタやラーメンなどで、ショウガは刺身やウドンなどがいいだろう。

今日の夕方から中途入社社員研修の会場となる成田のホテルに例によって休日前泊移動する。成田と言えば、バツグンに美味い居酒屋「まちのや」がある。せめてそれをモチベーションに灼熱の日々を乗り切って行こう!





ここまで民意を無視されて

あらあらこりゃこりゃと言ってるうちに一年の半分が終了していた。

明日から始まる専門営業部隊の研修と全国研修ツアーのためのミーティング、コンテンツ作成、そして予演会などで、例によって侃々諤々の日々を過ごしていたら6月のブログエントリがたった3つで終わってしまった。mixiやFB 、Twitterなどに分かれているそれぞれの相手に、さまざまなテーマをチョイスしては書き込んでいるのが、良くも悪くも自分からブログエントリを遠ざけていたのかもしれない。

そうこうしているうちにも世の中は進んでいた。

先月26日、消費税増税法案など社会保障と税の一体改革関連法案は衆議院本会議で可決された。この結果、消費税率は来年の4月に8%、再来年の10月に10%と段階的に引き上げられる事になる。おかげで、ウチの部署のグータラKやI子のような借り上げ社宅の自己負担金が大幅に上がる連中が、本気で自宅の購入を考えなければならなくなった。消費税8%、10%ともなれば、3千万円の物件でも軽く車一台分の税金が掛かる事になるからである。こりゃタマらんわな。

社会保障との一体改革と言いながら、その部分は先送りしながらの増税決定は反発も大きい。政権交代マニフェストで4年間は消費税議論はしないと言っていた民主党は、この一点で公約違反だ。それゆえ小沢一郎をはじめ、反対票を投じた民主党衆院議員57名には大義がある。本日、そのうち38名と参院での反対者12名の計50名が離党届を提出した。党議拘束に従わず、反対の意志を示したのだから、これは当然である。堂々とすればよろしい。

逆に賛成した議員を有権者はしっかり確認して、次回の選挙の判断材料とすればいい。

消費税増税賛成者氏名

当選回数の少ない議員や選挙地盤を持たない比例当選議員などは、党からの公認や資金がないと次がないので、心で反対でも賛成票を投じざるを得ない。それよりも、マスコミで庶民の味方を装っていながら賛成票を入れた民主、自民の有名議員どもを我々はしっかり覚えておくべきである。また、反対しながらも離党を怖がる自己矛盾議員どものバカ丸出しのヘタレぶりも記憶に留めておこうじゃないか!

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昨日午後9時、大飯原発3号機は約1年3カ月ぶりに原子炉が再稼働した。これにより、5月5日から始まった全原発停止はわずか2ヶ月弱で終わった。今朝には連続的核分裂が安定した状態になる「臨界」に達し、早ければ4日にも送電が開始され、8日にもフル出力に達する見通しだという。

大飯原発再稼働問題に際して野田総理は「私の責任で判断する」と発言。仙谷政調会長代行、枝野経産相、細野原発事故担当相、古川国家戦略担当相、齋藤官房副長官の「5人組」も節電要請が始まる7月2日より前の再稼働に向け必死だった。特に、仙谷などは「全原発を停止すれば、日本が集団自殺をするようなことになってしまう」と語り、多くの国民の反発を呼んだ。

数万人に及んだ首相官邸前のデモ、再稼働現場の大飯原発での抵抗活動は、ほとんどのマスコミがスルーを決め込んでいた。これではまるで中国か北朝鮮である。東電などの電力会社の株主総会では、脱原発関連の株主提案はことごとく全否決。国から1兆円を受け取った東電が事実上国有会社となったが、この金はもちろん税金だし、その上電気料金の値上げを国民に課し、おまけに消費増税と来たモンだ。

消費税法案の採決では、増税の暁には財政がプラスではなく安定するだろうというだけの思惑で、200兆円に及ぶ公共事業を始めとする社会保障以外への使途を可能にする法案文書が記載されていたのである。見事にドサクサ紛れの霞が関文学の完成である。

2010年の参院選で民主党は、輿石幹事長、蓮舫前行政刷新担当相、田中直紀防衛相、北澤元防衛相、江田五月前参院議長、柳田元法相、福山哲郎元官房副長官ら47人が電力総連が応援する候補者として機関紙に顔写真入りで取り上げられ、ほぼ半数の24人が当選している。こいつらも忘れないように。

有権者よ、こんな政党に政権を預けたままでいいのか、国民の多数が自ら選択したこの結果を肝に銘じて考えてみようではないか!





またも首のすげ替えだ

1月の内閣改造時に野田首相が豪語した「最善かつ最強の布陣」だったはずが、たった5ヶ月後の昨日、早くも2度目の内閣改造に踏み切った。この改造により交代するのは、問責された2人の大臣を含めた5人の大臣で、残り13人の大臣は留任する。問責大臣を更迭する決断力もなく、いわば更迭隠しの改造劇である。

問責大臣の1人である前田武志前国交相は、4月の岐阜県下呂市長選で、特定候補への支援を求める文書を事前配布したとして問責決議を突きつけられた。これは公務員法違反の疑いが濃厚で、本来は更迭すべきだった。そうこうするうちに、自民党時代に凍結されたはずの新名神高速工事を再開する愚挙にも出た。

後任にはバカボン首相と言われた羽田孜氏の息子羽田雄一郎参院国対委員長という事だが、この御仁も今まで全く無名の存在だったから良く分からん人材だ。

民主党政権になっていつの間にか6人目の法相となっていた小川敏夫法相法務大臣は、国会で競馬サイトを閲覧していた件が有名だが、昨日の退任会見で、小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件の捜査報告書に虚偽記載したとして告発を受け、検察当局が進める地検特捜部の田代政弘検事に対する捜査が消極的だとして、今年5月に指揮権発動を検討したが、首相の了解が得られず断念したと曝露した。

7人目の法務大臣にはすでに引退宣言をしている滝実法務副大臣が昇格するという不思議人事。冥土の土産、いや最後の花道のつもりか?

在日中国大使館一等書記官によるスパイ疑惑に関わって機密文書漏洩疑惑が取り沙汰されている鹿野道彦農水相と筒井信隆農水副大臣が退任し、農水相には郡司彰元農水副大臣が起用される。自民党が徹底追及の構えを見せているというが、そうでなくてもワキが甘すぎる。スパイからすれば日本なんて情報取り放題の天国のような国だろう。

さて最大の問題はここだ。

問責大臣2人目の防衛大臣には、森本敏・拓大大学院教授が任命された。防衛担当の大臣の民間からの任命は異例である。民主党内では「一川保夫氏、田中直紀氏と2人続けて『素人閣僚』が失態を演じたのだから、即戦力の専門家に頼るのは仕方ない」との声があると言うが、世間的には評論家かせいぜい学者という認識でしかない。国家防衛上の問題が勃発した時に責任が負えるのだろうか?

森本氏は元々は航空自衛隊出身で、集団的自衛権の行使を主張して来た改憲論者である。その起用は、彼の主張に近い自民党に対して明らかに秋波を送っているように映る。また名うての新米派(新米ポチ)で、こじれた日米同盟の強化、その象徴である普天間基地問題を進められる専門家というポジショニングである。

さらに彼の起用には中国ははじめとする東アジアを牽制する意味もあり、返す刀でTPP参加も推し進めようとしているのが透けて見える。とはいえ、総選挙は近いので彼の任期も短かい。したがって今、彼がどんな能書きを垂れようが、所詮はいつか書くだろう彼の著書にネタを提供するだけの事である。

政権交代当初、「4年間は上げない」と約束した消費税引き上げ。その舌の根も乾かぬうちに3人目の首相が、反対する小沢一郎氏との2度の会談という、いわば「儀式」を終え、自民党と手を組んでまで実現しようと血道を上げている。まるで妖怪の如く現れては影響力を発揮する輿石東幹事長の存在も不気味である。

福島原発事故の総括も終わっていない、避難者援助や被災地復興は遅々として進まない、不正確な汚染情報や曖昧な許容基準の下でのガレキ広域処理、必要な理由を首相自ら説明する事もなく、コロコロと論点がすり変わった挙句に決定される原発再稼働。

こんな暴走を黙って許すほど国民はオメデタくはないだろう。次の選挙こそが国民の審判を下す最大のチャンスに他ならない。ここでどうにかしないとこの国は本当に終わってしまうだろう。





原発利権はシャブなり!

国内の原発の中で唯一運転している北海道電力泊原発3号機が定期検査のため午後5時に停止する。これで国内の原発が全て止まる、いわゆる「原発ゼロの日」となる。

今、大飯原発を始めとする原発再稼動論議が盛り上がっていて、報道でも特集を組んだりするので否が応にも耳目に接する機会が増えている。同時にツイッターでも、特に反原発派から再稼動反対の声が大きさを増している。

そして昨日のTBSニュースの特集。

その泊原発のある北海道郡泊村大字堀株(ほりかっぷ)村の状況と村民へのインタビューで構成されていたが、その中には驚くべき事実が描かれていた。

原発開始以来、村が受け取ってきた原発関連の交付金は590億円に及び、現在でも村の年間予算50億円の70%が交付金によるものだという。そのカネのおかげで村には一年中滑れるスケートリンク(維持費8000万円 /年)、ゴルフ場、ケーブルTVシステム、PC貸出し制度などがあり、村民は全て無料。さらに老人への弁当ケータリングサービス(負担100円!)やプレミアム商品券(1万円で1万3千円相当!)まで至れり尽くせりである。

さらに驚くべきは年間予算50億円というこの村の人口はたったの1900人! 70%を占める交付金(35億円)をその人口で割ると、何と一人当たり180万円にもなるのである! これじゃ原発反対なんて口が裂けても言えんわな。いわんや村民以上に利権を得ている首長をや。

全国各地の原発設置町村だって多かれ少なかれここと似たり寄ったりだろう。この現状を見るにつけ、例えが悪いのは百も承知で言うが、これは官業癒着を背景とした国家による「麻薬漬け」どころか「シャブ漬け」じゃないか! と。

過疎という弱みを持っているところに原発利権という甘い言葉に乗って味をしめたら最後、逃れる事の出来ない蟻地獄の始まりである。今後も多額の交付金を受け取り続けるためには、新しい炉を次々と増設し続けなければならない。そうしなければ今の裕福な生活を維持できなくなるからである。結局、弱者はされるがままでしか生きられない立場に追い込まれる。

しかし、それにも限界が来る。永久に増設し続けるのは不可能だからである。

その時には浮かれて作った箱物施設は廃墟と化し、生き残った少数の高齢者が細々と暮らす寒村が残るのみ。だが、そうなったらそうで電力会社はもっけの幸いと喜ぶだろう。人がいなくなれば生活補償も汚染の心配もなくなるからである。権力者に根回しさえしておけば、もはや誰に遠慮する事もなく原発を存続させられるのだ。

シャブ漬けで廃人になってしまった哀れな人と陰でほくそ笑んでる売人の姿にカブって見えないだろうか?

イメージだけではない。事実、泊村の3年間のがん死亡率は2500人/10万人と北海道内でダントツに高い。安全であるはずの原発の存在によって、まぎれもなく村民の身体そのものも蝕まれているのである。

かつて炭鉱で栄えた村にはその後の産業が育っていない。ニシン漁もとっくに廃れている上に原発誘致により漁業権は放棄させられている。それゆえ若者の村離れは深刻な問題だ。彼らは原発があるがゆえ村には戻りたくないという。そんな先行きの見えない未来に不安を漏らす村民がTV画面に映し出される。だがそれは少数派だろう。心で思っていても言葉に出せない村民がほとんどなのではないだろうか?

ならば、それを立ち直すのは政治の力に他ならない。今のうちに多額の交付金をゼイタク施設の代わりに産業と雇用を生み出す投資に回すべきである。そしてできるだけ早く原発シャブと手を切るべきなのだ。

ところがどっこい、すでに利権構造にまみれた為政者はそうもいかないらしい。

昨年6月の道議会定例本会議にて、共産党議員からの質問に対して高橋はるみ知事は「2008年以降も北海道電力の役員の方々から寄附を頂いているところでありますが、これらの寄附については、それぞれ個人のお立場で御支援を頂いたものと理解いたしております」「また、お尋ねのあった、お二人の役員からの寄附についても、あくまでも個人のお立場で、私の政治活動や考え方に賛同され、御支援を頂いたと理解いたしております」と答弁した。ダメだこりゃ!

もっとも、彼女の経歴を窺えばさもありなん。父や弟と同じようにエネルギー分野に進もうと通産省に入省。後に、自民党の町村信孝氏に誘われて北海道知事選挙に出馬、2003年4月、6人目の北海道知事に就任した。

選挙の時は原発慎重派の態度を取っていたが、今回の泊原発を巡っては、今までのイメージをかなぐり捨てて、一転して原発推進派の素顔をさらけ出した格好だ。要するに頭の先からつま先まで「原発推進派」だったというわけである。原子力ムラの社員と言ってもいいだろう。

おまけに、運転停止によって原発が稼働していなくても交付金を支払う特例を国が定めるというではないか! その金額は自治体によっては稼働時以上になるという。おいおい、それって国家公認のシャブ増量ってこと?

こうなったら後は有権者の選択に委ねるしかないのだが、残念ながら原発地域の市町村単位の選挙は期待できないだろう。何せ有権者のほとんどが原発利権と交付金のシャブ漬けになっているのだから。

残ったマトモな有権者達よ、さあどーする?





あの日から・・・

愛車との64日ぶりの再会の場所は、車屋Yのオフィスだった。

事故直後、ディーラーよりも彼に連絡する事を選んだのはつくづく正解だった。彼の提携工場はBMWに加え、ベンツやポルシェなども手掛けるプロフェッショナルと聞いていたが、その仕上がり具合はまさに一流の仕事と言っていい出来だった。これで塗装が固まってガラスコーティングを施せば完全復活である。

このまま高速を一回りして久々のデートを楽しみたかったが、夜は息子の進学祝い第二弾のちょっとリッチな天ぷら食事会が予定されていたので、ここはおとなしく帰宅し、事故前にオーダーしていたKAROのフロアマットを敷いてやった。改めて「お帰り!」てなモンである。長かったな~。

雨も上がった今日、本当は遠出の一つもしたいところだが、今日も今日とて夕方の便で札幌移動があるので、それもおあずけ。いずれにしてもこの研修ツアーが終わらなければ精神的にも落ち着けないわ。

・・・・・・・

名古屋ウィメンズマラソンと衣更えした名古屋国際女子マラソン、女性のみ1万5千人のスタートはギネスブック記録だとか。

私の名古屋勤務時代は瑞穂競技場からのスタートだったので、自宅マンションのすぐ下の環状線をランナーが走って行くのが見られた。今回からナゴヤドームの発着と聞いて心配したが、ぐるっと回って同じ道を走って行ったので、懐かしい街並みも楽しめた。

優勝はロシアのマヨロワ、日本人最高位の2位に尾崎好美が入り、ロンドン五輪の切符を手中にしたようだ。才能がありながら一度も五輪出場が叶わなかった32歳の渋井陽子は4位、アテネ五輪以来1500日以上のブランクの野口みずきは6位だった。

研修トレーナーの同僚にマラソン大好き女子のW子がいる。実は彼女、幸運にも2度目の当選となった先日の東京マラソンに出場し、見事完走したそうだ。この名古屋は完走するとティファニーのアクセサリーがもらえるそうで、彼女も参加を検討していたらしいが、さすがに研修ツアー中という事で断念したらしい。

終わったら這ってでも研修会場にくる覚悟なら遠慮せず走ったらいいのに。

・・・・・・・

そして今日は、あの 東日本大震災から1年が経ったその日である。

この前後にマスコミがこぞって特集番組を放送するのは当然と言えば当然だろうが、そんな中、先日心臓手術を行なったのの決して経過が順調ではない天皇陛下が、追悼式典に強い気持ちで臨席賜わる事に国民の一人として心から敬意を捧げる。まさに命をかけたお言葉を発せられるに違いない。

一方で遅々として進まない復興計画。特に瓦礫の処理が、受け入れ自治体の市民の反発にあって頓挫しているという事実に愕然とさせられる。これが放射能汚染に関する単なる誤解からならまだしも、サヨク系プロ市民による脊髄反射的な反対運動だとしたら情けない限りだ。

アレルギー的な過大評価をしても無意味だが、逆に過小評価をし過ぎてもならない。たとえ宮城、岩手などの瓦礫の放射能は問題ないレベルだとしても、福島原発を中心とした地域の汚染状況は深刻であり、そこに情を挟むような判断をすべきではない。それがごちゃ混ぜにされているからいたずらに誤解が生じ、いらぬ反発を生む。

あの日から日本中で声高に叫ばれた「絆」ってのはいったい何だったのだろうか?

経済大国で先進国を自認するこの日本で、1年365日も経ったというのにこんな有様でいいのだろうか? 世界に対して恥ずかしくないのだろうか?

翻ってこの私も、いくばくかの寄付といくつかの現地訪問で少しばかり経済協力をさせていただいたに過ぎない。

せめて今日は、理不尽にも未来を奪われてしまった人々といまだ未来の見えない人々を思って過ごしたい。









感情と秩序7 ~最後の判決

あれから13年か。本当に長かった。ブログの最後のエントリからでも4年近く経っていた。

山口県光市で1999年4月に起きた母子殺害事件で殺人と強姦致死などの罪に問われ、差し戻し控訴審で死刑を言い渡された元少年の差し戻し上告審判決で、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は20日、「被害者の尊厳を踏みにじった犯行は冷酷、残虐で非人間的な行為だ。被告は殺害態様などについて不合理な弁解を述べており、真摯な反省の情をうかがえる事はできない」と指摘。

その上で、「犯行時少年であったことや、更正の可能性もないとは言えないこ事など酌むべき事情を十分考慮しても、刑事責任はあまりにも重大」と述べ、死刑判決はやむを得ないとした。

1審山口地裁、2審広島高裁は、年齢や更正可能性などを理由に無期懲役としたが、最高裁は「犯行時の年齢は死刑回避の決定的事情とまでは言えない」として、審理を広島高裁に差し戻した。2008年4月の差し戻し控訴審は「極刑回避の事情はない」として死刑を言い渡していた。

死刑が確定するのは当時18歳1カ月だった光市の元会社員大月(旧姓福田)孝行被告(30)。最高裁に記録の残る66年以降、最も若い犯行時年齢での確定となる。

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この痛ましい事件については、このブログで直接的に過去6回書いてきた。

感情と秩序」(2006年4月19日)
感情と秩序ふたたび」(2006年6月21日)
何度でも『感情と秩序』」(2007年6月27日)
感情と秩序4 ~セカンドレイプ」(2007年7月27日)
感情と秩序5 ~心の底の言葉」(2007年9月21日)
感情と秩序6 ~散るべき花と咲くべき花」(2008年4月22日)

事件後の状況について産経新聞の記事(2/20付)にまとめられてあったので、以下に引用(一部改変)しておく。

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事件は1999年4月14日発生した。残業して自宅に戻った本村洋さんは、妻の弥生さんの変わり果てた姿を発見。長女の夕夏ちゃんは、押し入れの天袋の中で遺体で見つかった。その4日後、近くに住んでいた元少年が逮捕された。

1999年8月に山口地裁で公判が始まり、凄惨な犯行状況が次々と明らかになった。弥生さんは殺害後に凌辱され、生後間もない夕夏ちゃんは床に叩きつけられた上、紐で首を絞めて殺害されていた。

だが、本村さんを苦しめたのはそれだけではなかった。被害者や遺族は、傍聴席で被告の主張に耳を傾けるしかないという現状。妻子の遺影を持ち込もうとして職員に制され、「ふざけるな!」と声を荒らげた事もあった。

そんな中、仕事上の逆恨みで妻を殺害された岡村勲弁護士と出会い、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の活動に参加。被害者の権利が保障されていない現状を訴えるため、全国を講演などで飛び回った。

その声は時の首相の心も動かし、小渕恵三元首相から「犯罪被害者やその遺族の気持ちに沿えるよう対処していかなければならないと、痛感しました」という内容の手紙が届いた。2000年に犯罪被害者保護法などが成立し、被害者の法廷での意見陳述などが可能に。2004年には犯罪被害者等基本法が成立し、被害者への支援制度が大きく前進した。

裁判では、元少年に「極刑」を求め続けてきた。年齢と更正可能性などを理由に無期懲役とした1審判決後には「司法に裏切られました」と語り、「判決は加害者だけのものではない。少年への憎しみを乗り越えていくためには、死ぬほど努力しないといけない」と判決に怒りをぶつけた。

2審の「無期懲役」、最高裁の「破棄、差し戻し」を受けて、求めていた「死刑」を聞いたのは2008年4月の差し戻し控訴審判決。4度目の判決、事件から9年が経っていた。その時の心境を、雑誌の手記で「裁判長の声が耳に入った時、あまりにも多くの思いがこみ上げ、目を開ける事も声を発する事もできなかった」と綴った。

これまで積極的に社会に訴えてきた本村さんだが、5度目の判決を前に「沈黙」を貫いている。産経新聞の取材には、こうメールで返信があった。「13年も経過していますのに、事件に関心を寄せて頂けて下さる事に深く感謝致します。ただ、ご依頼の件なのですが、判決当日までご取材は受けないようにしております」

元少年は1、2審で殺意を認めていたが、最初の上告審の途中から殺意を否認している。弁護団によると、20日の判決を前に特段変わった様子はなく、「重大な結果を生じる事をした」と反省の言葉を口にしているという。

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被害者遺族の本村洋さんにも13年という月日が流れていた。

被告には死刑反対論者の弁護士団が付き、主張を転々とさせつつ月日が流れて行った。

だが、被害者の弥生さん、夕夏ちゃん母娘には生きるべき時間を理不尽にも奪われ、その時計は永遠に止められたままである。

私は意趣返しという意味での「刑罰」には必ずしも賛成するつもりはないが、社会から永遠に退場させるに値する「犯罪」は存在すると思う。

現在の日本において永遠に退場させられる「手段」は死刑しかない。






だんしがしんだ

談志が死んだ」と昨晩のニュース速報から今朝のワイドショーまでトップニュースとして報道された。

実は月曜日には亡くなっていて、すでに親族によって荼毘に付されたという。特に亡くなるまでのがんとの闘病は、家族の目からも見るに堪えないほど壮絶なものだったと弟子の談笑が語っていた。

談志にあこがれて落語家になったという芸人は多い。その中の一人のヨネスケは、訃報を発表しなかったり早々に親族で荼毘に付させた事を、自分が良しとしない姿を弟子や他人に見せてたまるか、というダンディズムを最後まで貫いたからだろうと評した。

16歳で柳家小さんに師事し、27歳で真打となり「五代目立川談志」を襲名。五代目がどうのこうのと言うよりも、初代から四代目までの「立川談志」の記憶なんてない。後にも先にも「立川談志」とはまぎれもなく談志その人の事である。

談志の75年の人生は、落語協会脱退や立川流家元制度設立という波乱の落語家人生に留まらず、政治家としての活動もあった。今から見れば横山ノックだの青島幸夫だのの芸人に政治の舵取りなんて出来るはずはないのだが、あの頃は高度成長期で時代が良かった。選挙は人気投票であって、知名度が高ければ誰でも当選する可能性があった。挙句、沖縄開発政務次官に任命された談志はたった36日で辞任に追い込まれた。

談志の落語は、そのキャラクターと共に好き嫌いが大きかったと思う。言い方を変えれば、談志落語は聴き手を選ぶ落語だった。それはなぜか?

談志は(失礼ながら)落語家にしては頭の回転が速く、普段から口にする語彙も豊富だった。その才能は「現代落語論」などの論文的な著書に集大成される。それまで落語家の著書と言えば、自伝的な内容に落語に対する思いみたいなものをくっつけたのがせいぜいだったから、これには世間も驚いた。かの昔、それを手に取った私は迷わず買って夢中になって読んだのを思い出す。

だから笑いの方向性も深さも常人とは異なっていた。有体に言ってしまえば、談志の物言いやギャグはバカにはピンと来ない。談志の思考回路に付いて行くのは大変である。底の浅いギャグで笑いを取ってる芸人なんてのは、談志に言わせりゃ「ありゃあ芸なんかじゃない。だからあの連中は芸人じゃない」となる。

談志落語のCDやDVDは我が家にもいくつかある。その大部分は去年から今年にかけて購入したものだったので、早晩この日が来る虫の知らせだったのか。

談志自身は、自らの到達点を六十代に見据えていたと言われる。が、多くのファンを唸らせた、いわゆる「絶頂期」は昭和40年代から50年代にかけてだと思う。江戸下町言葉の「べらんめぇ調」のキレはこの頃が最高だからである。立て板に水の如く流暢で、それでいてムダなフレーズや言い直しがほとんどない。ここが志の輔や談春ら今の弟子達に感動を覚えさせ、「師匠は談志が全てで談志しかいない」と言わしめた所以だろう。

「落語とは人間の業の肯定である」

この世の人間は立川談志を忘れない。

だからとっととあの世でみんなを笑わせやがれってンだ、コンチクショーめ! 合掌



(追記)
「談志が死んだ」ってタイトル、こりゃ見事に回文になってるじゃんと今朝気がついて嬉々としたんだけど、これって落語の世界じゃとっくにネタにされてたんだと。てぇことは、私もけっこういいセンスを持ってるってこと?





TPPを考えてみる

いよいよ結論を出さなくてはならなくなって来たTPP(Trns-Pacific Partnership)への参加・不参加問題。

与党・民主党内でも推進派と慎重派に分かれて議論し合っているようだが、どうも一部に自分達の利権なども見え隠れするため、純粋な国益論議と言い難いようだ。

最近では政治家以外の論客のマスコミ露出によって、中野剛志氏や三橋貴明氏などの論調が目立っている。その論調は総じて参加慎重論というより参加否定論と言っていい。

だが、TPPにおける検討議題の種類が多すぎる事や、それが日本の国益にとってどういう意味を持つのかといった事がイマイチ良く判らないというのが本音だろう。大多数の一般市民がイメージしている工業製品の輸出vs農産物の輸入という単なる二極分化の議論でもなさそうである。

そこで、このTPP問題を少々乱暴だが出来るだけ単純明快な見方をしてみたいと思う。

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まず、このTPPにアメリカがなぜ参加したか?

経済不況下のアメリカにとって唯一の打開策は、外に打って出る事である。すなわち自国の産物を大きな需要の見込める国に有利な条件で輸出し市場を広げるのである。そのためには環太平洋諸国とのパートナーシップ協定という大義名分で市場を形成したい。それによって経済を回復基調にさせられれば、オバマ大統領の再選も確実となるだろう。

ところが、TPP加盟予定国は大量にモノを買える国ばかりではない。むしろ貿易弱小国が寄り集まって助け合いたいという意味合いが強かった。それが証拠に、日本を除いたGDPの割合はアメリカがダントツで90%以上を占めている。有力国のはずのカナダは、農産物を除外するという条件が認められないという理由で参加しない。

という事は、このままではアメリカにとって決して美味しい市場とはならない。そこでアメリカは日本へ参加要請をして来たのである。アメリカにとって期待できる貿易相手国は日本だけと言っていいだろう。

では、日本の国益から見てTPP問題はどうだろうか?

日本はこれまでASEANなど11ヶ国とFTA(Free Trade Agreement:自由貿易協定)を締結して来た。FTAでは農産物の重要品目を除外しているが、例外品目がわずかしか認められない可能性の高いTPPは、これまでのFTAとは根本的に異なっている。また、工業製品や農産物だけではなく、金融や医療、サービスや労働力など多岐に渡る項目について、原則として例外なく関税撤廃や規制緩和となる可能性が高い。

ならば、日本も韓国のようにアメリカとFTAを締結すれば良さそうなものだが?

韓国はGDPに対する輸出の割合は40%を超えていて、もはや経済成長を輸出に頼るしかない。北朝鮮との国際事情によるアメリカとの同盟強化の意味合いもあり、国内で大きな批判が出るような不利な条件を敢えて呑んでまでアメリカとのFTAを合意したのである。これはこれで苦しいながらも国益を考えた韓国政府の決断だったのだろう。

一方、一見輸出大国のイメージのある日本のGDPに対する輸出の割合は20%未満である。日本は工業製品の輸出大国というより、自国内での消費が高い内需大国と言った方が良い。最大の貿易相手国であるアメリカとの関税はもともと低水準だし、わざわざこちらからアメリカへFTAを持ちかける理由はない。

そんな事をしたら、さらに安い農産物の輸入によって少なくとも国内の市場の一部は占拠されるだろうし、加えて金融・保険・サービスなどの規制緩和問題などもクローズアップして来る事が予想される。

逆に日本の工業製品の輸出量が増えるかと言えばそうとも言えないだろう。デフレに襲われるアメリカにそこまでの購買力は望めないからである。FTAはおろか、TPPによっても輸出量は増えないとの見方が強い根拠がここにある。

結論。

このままでは、TPPは多国間協定と言いつつも、実質アメリカの日本に対する市場開放戦略にハマってしまうかもしれない。しかも二国間のFTAではなく多国間協議であるから、日本の事情を押し通そうとしても、それぞれの国の事情によって認められないという事も起こり得る。いったん決まった条件もおいそれとは変えられないだろう。

くれぐれも「参加ありき」などではなく、しっかり考えて覚悟を持って決定しておかないと、「平成の開国」どころか黒船襲来時の不平等通商条約の二の舞となってしまうかもしれないぞ、野田さん。





ツアースタートと巨人の逝去

昨日の雨と寒さとは打って変わって秋晴れの今日、ここ幕張の地から全国研修ツアーは始まった。

今回の私の担当は、ここを皮切りに浜松町、水道橋、仙台、盛岡、秋葉原、長岡、横浜、札幌、高松、岡山、広島と12ヶ所となる。実はそれが終わった後、成田のホテルで11月初旬まで4日間の中途入社者研修が待っている。全国をあっちフラフラ、こっちフラフラとまるで寅さん状態で、平日は家にもロクに帰れない。

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昨日、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が56歳で亡くなった。

長年に渡って膵臓がんとの闘病を続け、今年の8月に「もはや職務と期待を果たせなくなった」としてアップル最高経営責任者(CEO)を退いていた。そして、まるで後任を託したティム・クックCEOのジョブズ氏には遥かに及ばないプレゼンによって発表された「iPhone4S]」を待っていたかのように逝ったのだった。

1984年に発売された「マッキントッシュ」は、当時企業指向だったコンピュータをいきなりパーソナル指向にした。だがその頃、社会人駆け出しだった私は、たまたまコンピュータに詳しい同期Mがいて、彼にしょっちゅう秋葉原に連れて行かれては「これからはコンピュータの時代だ」と吹き込まれていた。

話題の中心はもっぱらNECのマイコン(PC-80●●だったか?)で、やれ8ビットだのもうすぐ16ビットが出るだのと言っていた時代である。店にはマックもあったが、値段がヒトケタ違って文字通り高嶺の花だとMが言っていた。

私は私で、新しい道具と時代の到来を予感してワクワクしたものだが、肝心のコンピュータを何のために使いたいのかさえ皆目分からなかった。当時は会社に出勤してもデスクの上は何も無く、事務作業などの日常業務は肉筆紙媒体と電話だけのアナログ時代そのままだった。それぞれのデスクの上には自分専用の灰皿さえ置いてあったくらいだった。

それから30年も経たないうちに時代はどう変わっていったかはここに記すまでもなかろう。

ジョブズ氏の残した業績はダ・ビンチに匹敵すると賞賛され、その言葉は経営者を通り越して哲学者とも賛美される。ビル・ゲイツ氏と並んで20世紀の大天才とも称えられている。

だが、私には彼のそんな面よりも、唯我独尊のジョブズ氏が同僚と衝突する事も多く、86年には権力争いの末にアップルを退社したとか、カリスマ的な存在感でファンを熱狂させる一方、社内では人使いが荒く、商品の細部にまでこだわって、気に入らない試作品は容赦なく退けるやりにくい上司との評判も確立したといった話の方に惹かれる。

だって、天才は真似できないけど、そこなら少しはマネできそうじゃないの。納得できないなら絶対に譲らない。その代わり、携わった仕事の成果はその分クオリティアップする。そんなベテランがいても楽しいじゃないか。

・・・・・・・

時は流れて、別の会社で別の同僚から勧められたノートPCをキッカケに、少しはコンピュータがなんぞのモノかを知った時、時代はMS-DOSからWindows3.1へと移って行った。それもやがて大ブームになったWindows95の時代を迎えた。

初めて秋葉原で見たコンピュータから現在に至るまで、興味は抱きながらもついぞマックには無縁だった。遠いあの日、言い知れぬワクワク感を感じたくせに、結局私にはPCは単なる道具の範疇でしかなかったのかなと、もっと違う捉え方もできたんじゃないかと、ふと寂しさを感じさせられる巨人の逝去だった。

「iPhone4S = iPhone for Steve」 合掌





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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