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招待状が届いたぞ

西への長距離ドライブから無事帰還した昨日の晩、まったく反対方向の函館からも長距離郵便が届いた。中学から息子の後期試験成績と教材費についての案内だった。

その中に見慣れない紙が一枚。見ると、校長名で「指名補習の受講について」という文字が! これがウワサに聞く補習通知だった。ついに息子にも恐怖の招待状が届いたのである。

函館の中学だからだろうか、冬休みは長く4週間近くもある。寮生は通常12月16日の便で帰って来て、1月11日に戻って行く。ところが補習は最初の3日間行われるため、補習を受けると他の寮生と一緒に帰れなくなる。これは恥ずかしいし屈辱だろう。

息子は、補習対象科目のうち国語と数学は問題ない成績だったが、英語が悪かった。1科目でも不良だと3科目すべての補習となる。補習の3日間の食費も追加請求される仕組みだ。

この補習を夏休みも冬休みも受けている生徒の親の中には、いたたまれない思いでいる人もあるという。だがウチは違った。元来、息子は手抜き癖があり、そこそこの成績が取れるとなるとナメてかかり、逆に興味のないものは初めから敵前逃亡するというとんでもない事を繰り返してきた。

私は常々「指名制で3日間なんて言わず、希望者を募って1週間でも10日でもやってほしい。授業料や食費なぞいくらでも払うから」と言ってきた。息子の場合は一度、徹底的に落とさなければ、ヌクヌクとぬるま湯に漬かりっ放しで行ってしまい、後々後悔するのが見え見えだからである。

それでも偶然にもここまで補習の招待状を受け取らずに来たが、ついに「待ってました!」である。我々は大喜びだが、本人は相当応えているに違いない。これで少しは尻に火がつくだろうか。

そういえば、このところ息子からの電話がパタッと止んでいたのだが、その理由はこれだったか。航空便の変更もしなくてはならないので、近々連絡して来る必要があるだろうが、どのツラ下げて電話して来るのか楽しみじゃわい。

それこそ「北の国から」の厳しさだと知るがいい。


これぞ我が家の定例行事

「どうだ、宿題は順調か?」
「うん。もう終わった科目もあるよ」
「それなら富士山へキャンプに連れて行ってやろう」

「宿題はどんな調子だ?」
「うん。かなり余裕で終わりそうだね」
「よし、爺ちゃん家の祭りに行って来ていいぞ」

先月、夏休みで函館から帰省した息子。いつもなら青息吐息で帳尻合わせをしなけりゃならない宿題が、妙にいいペースで進んでいる。さすがに中学2年ともなれば、少しはヤル気が出てきたようだ。それとも奇跡が起きてるとでも?

…やっぱり世の中、甘くはないのである。

夏休みも2/3が過ぎたところで、宿題の方は実は1/3も終わっていない事が発覚! おまけに、とっくに終わっていると言ってたはずの理科や数学までもが途中までしか済んじゃいなかった。さあ、カミさんの怒るまいか!

「こんな体たらくなら、帰ってきて公立中学に行きなさい! 中卒で構わんから働きなさい! バカは高校だの大学だの行かんでよろしい! お金のムダ! とっとと先生に退学の電話をしなさ~い!」

ああ、やっと我が家のいつもの風景が・・・。思えば上の息子の時から休みのたびに繰り返されてきた定例行事と言ってもいい。今回はカミさんも仕事で家を空ける事が多く、息子一人で留守番状態というのが気にはなっていたが、案の定。やっぱりそう来なくちゃ、らしくないよな。奇跡なんてそうそう起こってたまるか。

で、これまたいつものように説教は深夜まで及んだ。何とか退学は回避され、あと10日間は死に物狂いで優先順位の高いものからこなしていく事で落ち着いたようだ。その上で試験順位50位以内キープが函館に残れる条件に決まったようだ。身から出たサビとはいえ、どうせバレるウソをわざわざつく事もあるまいに。

英検4級合格に続いて3級合格の嬉しい成果も、この一件ですべてチャラ。函館に帰る最後の日曜日に茨城の海にアワビを食べに行くのもおあずけ。小遣いアップどころか、MP3プレーヤーもPS-Pも取り上げられたまま。

息子の苦難の道はまだまだ続くのであった。




一万円のラケット

いよいよ禁煙10日目に突入。肉体的依存のニコチン中毒の方は1週間もあれば無くなるそうだが、やっかいなのは脳の記憶である。「一服してスッキリ気分転換。うまい!」という経験を長年続ければ続けたほど、その記憶は強く刻まれる。これが禁煙後数年経っても蘇り、再びタバコを吸ってしまう原因となるらしい。

一種の精神的依存であるが、私も一日の中で数回苛まれている。こればかりはニコチンパッチも効果は薄く、ハードミントのガムや熱いダイエット茶などで凌いでいる。逆にニコチンパッチの方は、今の時点では貼っていても貼っていなくてもさほど変わり無いようにも思える。でもつい貼ってしまうんだな。

さて、2日にゴールデンウィーク帰省とやらで、息子が帰ってきた。今年も新入生が入り、学校も寮も賑やかになってきたらしい。息子の所属する囲碁将棋部は、息子の時に部員がどっと増えたそうだが、今年はそれを凌ぐ勢いで入部者が多かったそうだ。小学校の時からの経験がモノを言う運動部と違って、経験者であろうが無かろうが楽しめる所が人気なのだろう。多少はマンガの影響もあるかも。

息子は無事に高校へ進学できたら、今度は卓球部に入りたいと言う。卓球部は中学には無く、今は同級生と学校や町の卓球センターでたまにやってる程度だが、かなり興味を持っているらしい。その証拠に、親に内緒で何と1万円もするラケットを買っていたのだ。何人かの友人が買ったので自分も欲しくなり、親が寮に預けているお金からチョロマカしたそうだ。帰宅早々それがバレて、カミさんから大目玉を喰らった事は言うまでもない。

それはともかくとして、ここまで運動関係に殆ど接してこなかった息子が初めて興味を持って取り組んでいるという事は認めてやりたい。特に卓球は体格の良し悪しによるハンデが少ないスポーツなので、ヒョロ体型の息子も十分やっていけるだろう。無事高校に進学できたなら思う存分やってくれ。と言っても勉強もかなりハードになってくるらしいので、どこまで熱中できるかは知らないが。

その前に、GW6日間にもかかわらず結構な量出されている宿題を片付ける事こそが、息子の「今、そこにある危機」だ。



それぞれのこのごろ

桜を散らす風雨の東京。気が付けばもう4月である。

息子は3日に春休みが明けて再び函館へと帰って行った。寮に戻ったら新学期からの担任が発表になったようで、担任は変わらなかったものの息子の最も恐れる国語の先生が、なんと副担任になった。これで少しは勉強グセが育ってくるか。次回の帰省は1ヶ月後のゴールデンウィーク中である。

カミさんはケアマネの仕事が始まり、川崎大師で入社式と研修、深大寺の施設で実務という毎日を送り始めた。病院の場合と違って、老人ホームの介護保険対応はすこぶる杜撰らしい。収入源となる国に提出する書類だけは何とかあるものの、本来本人と相談して決めて行くべき介護プランもほとんど作られていないとか。

おまけにケアマネどころか何の資格も持たないオヤジが、施設長だの介護長だの年功序列ポストにいてやたら威張っているらしい。制度が厳しくなった今、もはや彼の存在価値は無い。彼もそれを恐れているのかもしれない。

そうそう、仙台空港税関に勤めている上の息子も、風邪をひいたものの元気でやってると母へメールが届いた。あっちへ行ってもう2年は経つか。という事は、またぞろ転勤があるやも知れぬ。この手の職種は、1ヶ所に長くは置かないのが原則だろうから。

さて、私はと言えば、今日から福岡と大阪へ出張である。福岡では営業社員のスキルアセスメント、大阪では学会聴講とビデオ講師予定Drとの打ち合わせ。帰京は土曜日になる。せいぜいウマい物でも食べながら列島縦断の旅を楽しもう。



桜は咲いたか、宿題はまだかいな

桜は満開なのに、先週の鹿児島と打って変わって花冷えが続いている東京。

先日、中学から息子のテスト結果などが入った分厚い郵便物が届いた。入学して1年、息子の定期テストの成績は順調に右肩下がりに下降し、順位も後ろから数えた方が早いどころか、マラソンで言えば最後尾集団という位置まで落ちた。まあ、予想はしていたが…。

原因を聞けば、やはりひたすら楽しい寮生活で遊びまくっていたとの事。寮では毎晩自習室で義務自習という時間が強制的に設けられてはいるが、トップクラスの生徒は、それ以外にも時間を見つけては自己学習に励んでいる。息子などは、その事をうすうす知りつつも「他人は他人、自分は自分」とばかりにマイブームの卓球や遊びに逃げていたというワケである。

思い起こせば私の中学時代も似たようなモンだった。授業さえ終われば、放課後の部活や友人との帰り道でのおしゃべり、さらには帰宅後のテレビなどに没頭していた。宿題を含め、成績アップの定石であるはずの予習復習など、まさに「絵に描いた餅」以外何物でもなかったのだ。

案の定、宿題も遅々として進まない息子にカミさんは激怒し、今回の帰省中に勉強の習慣を植えつけようと躍起になっているが、その傍らに自分の過去を振り返ると決して強く言えない私がいる。

だが、やはり自分の息子だなと思わせる部分もある。Z会などの外部業者の模擬試験にはめっぽう強く、科目によってはトップクラスの順位を叩き出すのである。出題範囲の決まっている定期試験よりも実力テストの方が性に合っているという点は私も同じだった。定期試験は出題範囲をコツコツ勉強する連中の方が断然強いのである。

コツコツくまなく勉強だなんて、私にはとてもそんな面倒な芸当はできなかった。苦し紛れにせいぜい無謀なヤマを張るのが関の山だった。その息子も試験範囲を定めぬ実力テストが得意となれば、無差別級一本勝負派の私のDNAを継承しているに違いないと妙に納得したのだが・・・。

とは言え、私の頃の時代と今は状況もかなり違う。ましてや望んで行った私立中高、目的は最高学府への進学に他ならない。妙な納得や妥協はほどほどにしないと、なにぶんにも私立であるゆえ、そのうち向こうから「登校に及ばず」などと宣告されかねない。

…こちらの中学より幾分長く楽しいはずの春休みも、軌道修正と叱咤激励の日々が続く。



弥生3月、はじまりの春

3月に突入したものの、三寒四温を繰り返しつつもまだ暖かくなりきらない。

そんな中、1月に続いて今月もまた研修出張ツアーが始まる。と言っても、冬季は北海道や東北への出張は、雪と寒さがこの歳にはしんどいとダダをこねて避けてきた。今回も静岡、大阪、中国、四国、鹿児島などの南方中心のスケジュールである。ありがたや。

最終日の鹿児島はカミさんの故郷でもあり、現在実家には義弟夫婦が住んでいる。そこへ函館から11日に春休み帰省して来る息子を連れて遊びに行くとの事で、私も研修翌日から休暇を取って合流し、2家族総勢6名で霧島温泉までのんびりしに行くつもりでいる。実はこの2家族で出かけるのは今回が初めてである。

カミさんといえば、昨日今日とケアマネ講習の最終ラウンドを受講しに行っている。思えばこの全6回の講習の受講資格が「ケアマネジャー試験合格」であったわけだ。さっそくこの資格を利用すべく4月から新しい職場に移ると言う。取ったばかりの資格がどこまで実務で通用するか。折りしも4月は、小泉首相の唱えた医療改革の診療報酬改定などが施行開始される月である。

今度は看護師ではなくケアマネとして、病院ではなく老人施設で働く事になるが、そこにはどんなドラマが待っているのだろうか。勝手知ったる病院以外での勤務は、彼女にとって初めてである。その施設にいる高齢者たち、決して遠くはない我が身の行く末と定め、じっくりとレポートしてもらいたい。

なにはともあれ、何かが始まる、何かを始める、は春という季節が良く似合う。



あれから1年

ヒマなので、明日の日付でDiaryを書いてしまおう。

1月9日、息子の中学の合格発表があったようだ。思い起こせば、1年前に息子が合格したのもこの時期である。このDiaryのアクセスログを見ると、去年の後半あたりから検索を通じて、ここを訪れて来る人が急増した。私自身も去年、高校サッカー決勝の延長戦に入る前に合格発表をチェックしたと書いてある。もう1年経ったのですね~。

全国4会場で実施された今年の函館ラサール中学前期入試では、受験者数1300名と去年より3割増加し、合格者数に至っては840名とさらに増加している。合格率はなんと64%に達した。去年の合格率約58%よりさらに高率となったわけである。募集定員60名は変わらないのに、なぜ合格者をさらに増やすのかよくわからない。いくら「おためし受験」のための恰好のターゲット校とはいえ、実際の入学者はそれほど減ってしまうのか。

函館での寮生活は、息子にとっては非常に相性が良かったらしく、たまにカミさんが函館に行きホテルに一緒に泊まれる機会があっても、息子はたいして喜ばない。それなら寮にいたままの方が楽しいと言う。

何だか当初の私の目論見とは違ってしまったようだ。厳しくも美しい北の大地、団体生活で異なる個性とぶつかり合い、時には涙し、さまざまな葛藤を経て友情を深め、精神的にたくましく成長してゆく…。こんなふうに描いていた夢も、現実はそうはいかないようだ。

家にもめったに電話して来ないし、暴走予防のために結構制限したはずの小遣いの範囲でも、十分飲み物やら遊びやらに間に合っている。肝心の勉強では、厳しい先生の科目には必死に取り組み、そうでもないとそれなりに手を抜く。食事は冷めている事も多いが、ラーメン等の汁モノの時は暖かいので好評だとか。これは息子に限った事ではなく、大多数の生徒も同じようだ。

特別ナーバスな子供でもない限り、親の勝手な想像は、このようにいい方向で裏切られる事になる。少子化のせいかどうか、親離れできない子、子離れできない親が話題になって久しい。子供の親離れのためには、まずは親の子離れが第一歩である。

少なくとも子離れを望む親なら、この学校への選択肢はかなり太くなると思う。あなた方の手を離れた子供は、きっとあなた方の想像を超えて楽しく生きて行くだろう。



息子の冬帰り

明日、函館から息子が帰ってくる。来年1月中旬までの長い冬休みとなるが、どうやら夏休みと変わらぬ量の宿題が出ているらしい。大量のドリル類は本人にハッパをかければこなせるとしても、絵の宿題には、夏休み同様苦労させられる予感がする。

前回は「家から見える風景」がテーマで、なかなかはかどらない息子と共に屋上に上がって、都庁やら高層ビルやらのデッサンを手伝ったりした。今回のテーマは「窓から見える風景」だそうだ。結局おんなじようなモンじゃないの!

息子の中学では学力向上のために、本家鹿児島から校長を始めとして何人かの先生を入れている。息子に言わせれば、決してあなどれない厳しい先生だそうだ。それでいい。今年は今までの定期試験で赤点を取った生徒には補習を実施する。対象者は1学年30人程度だそうで、彼らは通常の帰省日には帰れず、3日遅れの帰省となる。

息子と親しいA君は、見事補習対象となってしまった。だから息子と一緒に帰れなくなった。明日の午前中には関東地区の役員会が開かれるのだが、補習の無い生徒の父母は、その後羽田空港に子供を迎えに行く。帰れなくなったA君の母親は、その代わりにウサ晴らし豪華ランチを食すると漏らしていたとか。

要領のいいウチの息子は、そういったペナルティのある事には燃えるらしく、赤点を免れるだけの勉強はしていたらしい。夏休みの時にも思ったが、夏は北海道は最高のシーズンなのに、わざわざムシ暑い東京に帰され、今度は厳しくも美しい自然を肌で感じられる時に帰される。割増し料金を払うから、少し長く寮に置いておいてほしいと思うのは私だけだろうか。

ともあれ明日からまた騒がしい毎日が始まる。



ケアマネ試験、今度は本気?

今日はカミさんのケアマネジャー試験の日である。

去年も同僚達と受験したのだが、ほとんど勉強もしなかったせいで、見事全員不合格だった。そんなわけで今年はヒマを見ては問題集等と取り組んでおり、少しは本気の受験となっているようである。今朝、早々に出かけて行った。

ケアマネジャー試験は、正式には「介護支援専門員実務研修受講試験」という。受験資格は、保険、医療、福祉に関わる15の専門職で福祉現場5年以上の経験者となっている。カミさんは看護師なので受験資格がある。試験科目は、介護支援分野、保健医療サービス分野、福祉サービス分野で、受験者の職種などの要件で多少異なる。マークシート方式とはいえ、5肢複択方式及び5肢択一方式の組み合わせなので、1問解くのに時間がかかる。

合格率は、平成9年の第1回で約44%、平成14年の第5回で約30%と年々狭き門になっている。ケアマネは、介護保険制度における「プランナー」であり「医療法版行政書士」とも言えるだろうか。多様なサービス提供主体によるケアサービスを総合的、一体的、効率的に提供する担い手といった位置づけである。

具体的な業務は、利用者一人ひとりのニーズに応じて適切なサービスをコーディネートし、要介護認定のための訪問調査、介護サービス計画の作成、サービス業者との連絡調整、再アセスメント(再評価)などだそうだ。

ともあれ、ケア人材Webサイトで解答速報が見られるので、本人が帰ってきたらチェックできるだろう。受験料もすでに2回分かかっているのだし、今回こそ合格して欲しいものである。

資格は取ってこそナンボなのだから。



What's up ?

締め切りが今日までのe-Learning用の教材作成が、なんと昨日で仕上がった。本日夕方のミーティングで最終的に完成すれば、もはや今週は何もする事がない。他の連中のように休暇にでも突入しようかな。かねてから狙っている「源泉かけ流し温泉宿」にでも行こうかな、と思っていたのが・・・。

昨日、夏休みで帰って来ている息子の英語がメチャメチャなのが発覚した。息子の中学で使ってる教科書は、中学英語で一番難しいとされる「プログレス21」である。この教科書の夏休み前まで進んだ章を見て驚いた。すでに現在進行形まできているのだ。中学1年の夏で、である。

さらに一つ一つの例文を見ても、やたら前置詞+目的語が多い。これは第1章から同じで、普通の教科書なら、
「I play tennis.」
みたいな一文一意から徐々に複雑になっていくはずだが、いきなり、
「I play tennis at school every Tuesday.」
てなモンである。今の章では、
「Shall we meet at the clubroom ?」
「No. It's a beautiful day.Let's meet outside.」
と来たもんだ。

初めて触れる英語がこれでは、英訳どころか和訳すらおぼつくまい。授業の様子を聞いても、和文が書いてあるプリントに先生の示す英文を書き写させてお終い。後は個人学習で復習して覚えなさい式らしい。こんな調子だから、最初の試験で4点しか取れなかった生徒もいたという。

という事で、私の夏期休暇はホワイトボード片手に息子に英語のレッスンをやるための時間と相成ったのである。

温泉はどこに消えたぁ~!




かるちゃーしょっく!だわ

息子の持ち帰った宿題がやっと終わったというので、夕食に焼肉を食べに中野駅近辺まで出かけた。コストパフォーマンスの良い焼肉屋で食も飲みも進み、ノリついでに腹ごなしにカラオケボックスへ行った。

息子をカラオケボックスに連れて行くのはもちろん初めてである。たいして歌える歌もないだろうとは思ったが、中学生になった事でもあるし経験させてみても良かろうというワケだ。

得意曲を何曲か歌った後に息子がリクエストしてきた。アニメか何かの歌かと思ったら、な、なんとポルノグラフィティーの歌だった! そんな歌は親も知らない。どうも今流行のラップ調の曲であるらしい。

息子は早口でおしゃべりするように歌う。結構リズムにも乗っている。もちろん我々の世代には理解不能な詞であり耳に残らない曲なのだが、息子は流暢にこなしている。どうやら函館の寮で覚えたらしい。今まで歌番組はおろか、ろくにテレビすら見せなかったのに、この1ヶ月足らずのうちに覚えたという事なのか。

も~、カルチャーショックだわ! 会社の飲み会の二次会でこんな歌を歌うヤツがいたら大ブーイングをかますところだが、息子のカラオケデビュー曲ともなればそうはできない。唖然としつつも黙って聞くしかなかった。

その後の私は、OYAJIのささやかな抵抗として「さくら」、子供への思いを託す「野風僧」を返すのが精一杯だった。


プログレス?

有休をかまして11連休にしたGWも半ばにさしかかった。特にどこかに旅行に行く予定もなく、函館から帰ってきた息子と3人でのんびりとした日々を過ごしている。

たんまり宿題を抱えて帰ってきた息子。それが遅々として進まずキレるカミさん。屁理屈で返す息子、さらに怒鳴り散らすカミさん。何のことはない、入試前までの塾通いの頃の光景がまた繰り返されているのだ。所詮どんな所に行っても日々是勉強なんだと納得。

驚いたのは英語である。我々の頃は公立中学だったためかジュニア・クラウンとかニュー・ホライズンとかの出版社系の教科書だった。最初が「I have a pen.」からか「This is a pen.」からかの違いがあった程度であった。おまけに今の文科省の基準では、中学3年間でたった100コの単語を覚えれば良いそうである。

息子のはプログレスという教科書で、どうもこれはカトリックの宣教師が英語を教えるために作成したテキストらしい。つまりアチラの人が作ったものであるゆえ最初からハイレベルなのである。これを使うとかえって英語がわからなくなると言っている先生もいるほどのシロモノだそうな。我々も初めて知った。

公立中学なら3年間で100コ覚えれば良しとされる英単語も、入学1ヶ月で早くも90コの単語を覚えさせられているという。持ち帰った単語表を見ると「pronunciation」など、高校あたりで出てくるかどうかのレベルの単語も含まれていた。しかも今月下旬には最初のテストが待ち構えている。

今後の息子の最大の試練は、たぶんこの英語との格闘であろう。


同級生のさまざま

一昨日、息子が函館から帰ってきた。1日の入学式から1ヶ月も経っていないのにもうGW帰省である。羽田に迎えに行ったのだが、ちょっとしたトラブル勃発。同じ便で帰ってきた同級生の親が迎えに来てないのだ。

その生徒はたまたま傍にいた同級生の母親の携帯を借りて連絡を取った。ところが電話した先はなぜか父親の会社で、現在会議中で不在との事。おいおい、こういう時の連絡は普通まず自宅へするだろ? 再度自宅へ連絡。自宅では迎えに来るはずの母親がいた。急用ができて迎えに来れないので、今から父親が銀座の会社から交通費を届けに来るから、その場で待っていろとの事。

その子の家は千葉県柏市との事で、我々もその場から帰るわけにもいかなくなり、携帯を貸した同級生の母親共々6人が1時間位その場にいるハメになった。

これも危機管理の無さだろう。学校の規則で携帯は持てないので、万一の場合に備えて家までの交通費位は持って出ろ、羽田に着いて迎えがいなければここへ電話しろ、と事前に言っておけばいいだけの話だ。もし同級生の父兄がたまたま傍で一緒でなかったら、彼はどうするつもりだったのだろうか。

家に帰って、息子から寮生活について訊く。机に置いた財布のお金だけが盗まれた事件があり、先生は名乗り出る事を促したが出て来ず、結局一学年全員にプリントを配り、やった生徒は該当欄に○をつけ、後日相手に匿名で謝罪文を書くという事で決着させたそうだ。

そうかと思うと、早くも感情過敏な子がいて、他人から注意されるとキレて食べ物を投げつけた事件が起こったという。すでに数回同じような事をやり、事態は校長面談にまでいっているという。だが本人は悪いという認識は持っていないという。

そもそも面接もなく入試の得点だけで合否を決めた学校にも問題はあるが、やはりこういう学校でさえも、いや寮という集団生活であるからこそ現代の子供が抱える問題心理が早々と露見してくるのだと知った。

いずれにせよこういう子は、公立と違って私学だけに退寮処分=退学やむなしとなってしまう日は残念ながら近い。



一族、函館へ

息子の中学入学式出席のため、一族郎党6名でワイワイと函館へ行った。あいにくボタン雪が降ったり、たちまち晴れたりと春を迎える前のあやふやな天候であった。

入寮式の日。学校の施設は、フローリングの床といい階段の手すりといい、木のぬくもりがふんだんに溢れた想像以上の良さである。しかも隅々まで掃除が行き届いており、すがすがしい。生徒の掃除に加え清掃業者も入れているとか。さすがに落書きひとつない。

1年生は、とりあえず二段ベッドが数十組入った大部屋と個人の机と本棚がある大部屋の自習室が割り当てられる。この自習室で「義務自習」と称する毎晩2時間の強制勉強がある。

新入生はさっそく新しい仲間たちと寮の内外でワイワイ騒いでいる。関西からの入学者も増えているらしく、彼らは特に賑やかである。その横でせっせと一人で荷解きをしている彼らの母親たち。おいおい、それくらい本人にもやらせなさいよ。初めが肝心だろうが。

一方、廊下で何やら母親と座り込んで話している子、自習室の机に向かって勉強し始める子、ベッドに寝そべってひとり本を読んでいる子などもいる。それぞれがさまざまな思いを持ってここにやって来ているのだろう。

ちょっと前までは涙のお別れ風景がそこここで展開されたというが、今回は見た限りなかったようだ。彼らのほとんどは、まるで修学旅行にでも来たような感じで、センチメンタルの欠片もなさそうである。それはそれで頼もしい限りである。

次の日は入学式。中学と高校の合同である。新入生入場に続き、外国人の校長の日本語による話の後、クラス毎に担任から名前を呼ばれ起立し、校長が「入学を許可する」と告げる。そして数名のグリークラブ員による校歌その他の披露。式といってもこれだけである。国旗も君が代もない。来賓祝辞もない。無駄な時間がない分スッキリしている。

とにもかくにも、これで息子は旅立った。といっても今度の帰京はGW前なので、一ヶ月経たずに帰って来てしまうのだが。

それでもこれからの6年間で、北の大地と寮生活はきっと心のタフな息子を作ってくれるに違いないと改めて確信した次第である。



お受験狂騒曲終演

本日、息子の中学受験のすべての結果が出揃った。

第一志望は玉砕。本人曰く、他の科目は出来たが算数を失敗したそうで、不合格も認めざるを得ないとの事。こりゃ私の都立高校受験の時の失敗と同じだな、DNAはウソつかないなと妙に納得した。

お試し受験の学校と答案に自信のあったと言っていた学校もあえなく失敗。今年はいつになく高レベルの受験生が殺到したせいだと思われる。これで通算2勝3敗となった。

受験校すべてを失敗する「全落ち」も珍しくないこのご時世で、死ぬほどの努力もせず、それゆえ心身共に不調を訴える事も全く無く、2つの合格をゲット出来た事を幸せに感じたい。また、そのどれもが決して自由奔放過ぎるのではなく、躾と勉強の指導が最低限キッチリしている学校だというのもラッキーであった。長い目で見てもどちらの学校に行ってもいいだろうと思う。

カミさんからの電話によると、息子は函館行きを選択したようだ。今後6年に及ぶ大自然と寮生活で、都会の学校よりもはるかに心が鍛えられるに違いない。思えば、そんな環境が人生のこんな所で待っているのは、息子にとってとても幸せな事なのかもしれない。

結局、私がひそかに狙っていた学校へ行く事になった。私の願いもまた叶ったのである。

ふふふのふ



TVと我が家の決勝戦

全国高校サッカーは、PK戦にまでもつれ込んだ壮絶な決勝戦だったが、鹿児島実業が市立船橋を破って初の単独優勝を飾った。

いつ頃からか覚えていないが、決勝戦はPK戦までやるようになった。それまでの決勝戦は、大人の試合と同じ45分ハーフでやり、そのかわり同点の場合はPK戦はやらず両校優勝だったのだが、やはり完全決着の要望が高かったのだろう。これで両校優勝のあるスポーツはたぶんラグビーだけになったと思う。

我が家のお受験決勝戦も始まったばかりだ。今日は、先日おためし受験した学校の合格発表の日であった。ネットでの発表という事で、ちょうど高校サッカーが延長戦に入る直前の午後4時発表なので、その合間を縫ってそそくさとアクセスしてみた。

幸いにも息子の受験番号は見つかったが、募集60人に対し、全国4会場で900人受験し、なんと500人以上の合格者を出しているところを見ると、さすがにおためし受験者ばかりで、実際に入学するのはほとんどいないのだろうと想像がつく。合格者の皆さん、あくまで本命は2月1日受験校なのだ。

でもウチは違うのである。

私の秘かな野望は、北の大地の自然の中の寮生活にブチ込む事だ。とりあえずそれが叶う中学の合格は手にした。後は2月1日受験の本命校に落ちれば、それがぐっと現実味を帯びる。本命校は息子が一途に志望していた中学でもあるので、徒に不合格を願うわけではない。が、受かった所が行く運命の所なのだという哲学は不動なので、後は息子がどういう運命を背負い、切り拓くのか次第であろう。

何はともあれ1つ合格が取れてホッとしている。そして余裕を持って、後の受験結果を楽しみたい。



お受験親子

毎週日曜日になると、我が家の定番スケジュールが動き出す。朝8時に起きて手早くコーヒーをすすり、9時までに息子を池袋まで車で運ぶ。志望校別講習の会場がそこにあるからだ。息子はビックカメラのテーマソングが高らかに鳴り響くのを聞きながら、午後5時近くまで勉強しているそうだ。

我々は帰り道がてらファミレスの朝食を食べ、買い物があればそのまま出掛けるのだが、それも午後5時前には池袋駅前の駐車場に突っ込んで迎えに行かなくてはならない。そんな日曜日が、かれこれ3ヶ月以上も続いているだろうか。それも来週の日曜日で最終回となる。やれやれだ。

大学進学までを考えた場合、東京では私立の中高一貫校に入れるのが圧倒的に有利だ。公立中高ではゆとり教育の弊害で、従来の学習量の3割減という状態だが、だからといって大学入試問題がそれに合わせてくれる訳はない。結局、国立やそこそこの大学に入れようと思えば、受験塾通いで補わざるを得ないのだ。

我々の時代は公立中学から都立高校へ進学するのが王道であった。それも学校群制度だったので、出来がいい者は、その中の最高ランクを目指す。都立高の上位は東大進学率が私立高よりも高かった。私立高の存在価値は、せいぜい有名私大の付属校に人気があった程度に過ぎなかったのだ。それが今では見事に都立高は凋落し、代わって私立高が東大進学率の上位を占めている。

たとえ東大進学までは希望していなかったとしても、他の国公立大や医学部、有名私立大への進学でも、やはり私立中高一貫校が抜きん出ている。今や私立中高一貫校は、昔のように金持ちのお坊ちゃんが受験の心配も無いのびのび教育を求めて行くのではなく、まともな大学に行かせるために選択せざるを得ない有力ルートなのである。事実、東大合格者も頭の良い苦学生は激減し、そういったルートを経て合格してくる者がほとんどとも聞く。

まともな大学ひとつ行かせるためには、相当な金銭的投資が必要な時代なのだという事だろう。それほど公立中高の内容がひどくなったとも言えよう。授業内容だけではない、教師の質も低下の一途だという。親方日の丸よりも民間優位なのは、教育も例外ではないのかもしれない。そのウラで膨大な教育費が動き、我々親世代の悲鳴も聞こえてくる。

こんな時代に誰がした?



大きな玉ねぎの下で

2日前の新潟県中越地震はついに死者20人を超え、いまだ余震が続き8万人以上が避難生活を送っている。こちらでも結構な揺れを感じたが、震源地の山間部では想像以上の被害が出ている。台風による地盤の緩みも原因とされているが、例年以上に強烈な自然からの警告もしくは報復だいう気がしてならない。

昨日の曇り空からいいあんばいに晴れた今日は、土曜出による休校となった息子を連れて九段下の暁星学園に行った。

先日学校説明会に行ったのだが、偏差値のわりにいい雰囲気の学校だったため、第二志望にさせようという魂胆である。私の頃はとても歯が立たないレベルの学校だったが、最近の下位校の進学実績追い上げを喰らい、相対的にランクダウンしているという。それでも家から30分の近さは捨てがたい。隣は女子校と靖国神社だし。

このあたりの学校の中では一番広いというグラウンドでは、ちょうど体育の時間でソフトボールに興じている生徒の姿をじっくりと見られた。和気あいあいとした雰囲気に息子もまんざらではない様子。校舎も今まで見てきた学校の中ではきれいだと言う。結局、狙い通り第一志望に落ちたらここでもいいという事になった。

後の問題は、宗教嫌いという息子に、ここがカトリックのマリア会による設立で、週に一度は宗教の時間があるという事をいつ伝えるかである。校舎の内外にも白いマリア像が設置されているが、今の所それには気づいていないようだ。なんせこの前の全国模試の会場が聖学院で、そこの派手なステンドグラスとキリストの磔像に参ってしまい、さんざんな成績になったくらいである。

帰りの下り坂から遠くに見える武道館の大きな玉ねぎを見ながら「まあ、第一志望を落ちて入らざるを得なくなったら、宗教もへったくれも関係ないわ。だったら今から言っておく事もないやね」という悪魔のささやきに耳を貸していた。



1000人の説明会

カミさんと連れ立って、息子の第一志望である武蔵中学の学校説明会に行った。校門前で塾関係者のビラ配りをかいくぐり、講堂の入口にたどり着くと、そこには100mの長蛇の列! 受付で配布資料と過去問題集をゲットし、やっとの思いで着席。

周りを見渡せば、受験生と親だけでなく4、5年生あるいはそれ以下の子供と親、塾の講師風の連中まで、総勢1000名近くがつめかけていた。さらに見渡せば、自分はサエなかったぶん「子供命」然とした親の顔が目立っていた気がした。これは気のせいかな。

だいたい、たかが160名程度の定員に対し、こんなに集まったところで全員合格できる訳でもあるまいに。それに会社説明会ならいざ知らず、学校説明会なぞ聞いたところで、入試には何の関係もあるまいに。どうせ通り一遍の説明しかされないのだろうし。

校長、各科主任そして教頭。どんな生徒に来てほしいか、どんな生徒に育成したいか等、案の定教育方針を中心とした建前的演説が続いた。エアコンもなく、ヤブ蚊は飛んで来るし、全編退屈そのものである。思えば私の受験の時でさえ、親は学校説明会なぞ聞きには行かなかった。誘われてシブシブ付いては来たものの、私も今日を最初で最後に二度と行くもんかと思った。

とは言え、ある程度以上のレベルの私立中高一貫校には、大きく分けて2つのタイプがあると説明を聞いて判った。高校の後に控えている大学入試突破、それも国公立大の合格を目標にひたすら学習を推進するタイプと受験対策よりも中高6年間の人間育成に主眼を置いているタイプである。武蔵中高は後者のタイプらしい。

息子が来年どこに受かり、そしてどこに入学するかは、当然試験の結果次第であるが、私はどちらのタイプでも良いと思っている。できれば金のかからない国公立大学に行ってほしいし、知識だけではなく知恵を身につけたタフな人間になってほしいとも思う。

どのタイプの学校に入る事になるかは、まさしく息子の運命であり、どんな結果になろうとも、それは息子にとってきっと良い選択になると信じたい。



そんなに儲かるなら、なぜ人に勧める?

わが愚息がまたドタバタを引き起こした。とある日、ウチの実家にフラっと現れたと思ったら「今までのお祝い金やらの積み立てを使いたい」と母にぬかしたそうな。

父がよくよく聞いたら、どうも友達に誘われてとあるショールームに行ったらしい。そこでPCソフトのデモを見せられた。それは競馬の勝馬予想ソフト。折りしも日曜だったので、開催されていたレースとリンクするとソフトの予想が次々当たった。最低でも年8%以上の利回りが得られ、銀行に預けるよりはるかに高利率だと聞いて舞い上がったらしい。

父からその旨電話が入り、さっそく検索したところ、有象無象の予想本やらソフト、必勝馬券伝授のメルマガの紹介などに混じってそれはほどなく現れた。

だが値段を見て驚いた。なんと一式126万円! 他を圧倒するケタ違いの高値である。月々28800円の60回ローンも可だと。JRA-VANやIPATはおろかPCや電話線すら持っていない愚息は、それらのインフラ費用まで揃えるには、さらなる出費がいる。その社員曰く「このソフトの予想から得られる利益で返済などあっという間です」

調べた範囲によれば、価格はさておき単なるソフトの販売なので、一応サギでもネズミでもなさそう。販売加盟店とやらになるには2セット購入し、1セットを商品として販売するらしい。細かいコミッションシステムはわからんが、このあたりまで行くと多分にマルチ的ニオイがプンプンする。

いずれにせよ、そもそもそんなに儲かるのなら誰が他人になんか教えるものか! 独り占めしてこそ最大の利益になるのだ。

ソフト会社の社長さん、そう思わんか? 

デモやってる社員さん、そんなことやってる場合じゃないぜ! PCの前にいるだけで一生遊んで暮らせるじゃないか。なぜお前さんはそこにいて人を勧誘してるんだ?

さて、年8%の利回りで126万円得ようと思ったら、ざっと通算1500万円分の投資に対する勝ちがなくてはならない。最低でもそれだけの金額を動かさなきゃならないのだ。そんな軍資金が安月給の愚息のどこにある。10万20万単位の投資じゃ到底追いつかないのだ。

そんな単純な理屈すらわからないほど、お前は純粋培養だったのか? それともホントに大バカ者だったのか?

そんなこんなで、我々からもいろいろメールも出したが、愚息から音沙汰は無い。たぶん今頃になって我に返ったか、素直にあきらめたとは思うのだが。



息子の里帰り?

久しぶりのオフ日。

横浜税関に勤めている長男が仙台空港に転勤になり、おととい東京に車でやってきて我が家に滞在している。仙台空港では麻薬犬の担当だそうだ。

思えばこいつは不肖の息子である。勉強したくないからと技術系高校に行き、地方公務員は落ちたくせに国家公務員になってしまった。それも専攻の電子分野とはまったく畑違いの税関をチョイス。税関がどんな仕事なのか親も知らなかったわ。

自動車免許も必要だろうと大枚はたいて教習所に通わせたものの、ろくに行きもせず、やっとの思いで卒業したと思ったら、試験場の○×テストに3回落ち、結局あきらめたという大バカ者である。金返せ!

その後、やっぱり自力で免許を取り直したというのもマヌケな話だが、なんとMPVの中古を買ったのだ。独り者のくせに我が家のプジョー206より大きな車を買ってどうするつもりなのか理解不能である。

そんな彼が今、6年生の弟の工作を手伝っている。10も歳が違う上に、性格も嗜好も両極端な二人が並んで机に向かっているさまには、なんとも不思議なものを感じた。ま、これも家族の風景のひとコマか。



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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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