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無知蒙昧

ある日の終業時間の直前、ただでさえ遅れている棚替えの準備として新規採用品目表と棚落ち品目表をチェックしていたら、ふと、女性のお客さんが声を掛けて来た。年の頃は30代後半だろうか。

「あのー、D糖の無い虫除けはあります?」
「ABCDのD糖ですか? 、、、聞いた事がありませんが、D糖って何でしょうか?」
実は、虫除け薬なんて数十年使った記憶が無い。だからその成分なんて知らなかった。
「D糖がストッキングに掛かると溶けちゃうんですよ」

目の前の棚にズラっと並んだ虫除け薬の一つを手に取って成分を確認すると「D糖」ではなく「ディート」の文字が。ミスト式やスプレー式の製品を片っ端から手に取っては確認してみるも、そのどれもにディートが使われていた。ディートこそ虫除け薬の本体なのだから当然である。

「申し訳ないですが、どうやらここには無さそうですね」
「ネットで調べたらキンチョーから出てるってありましたよ」
「ここにあるキンチョーの製品はみんなディートって書いてありました」

で、彼女は再びスマホをいじって、その製品の写真を示した。
「ほら、これですよ」
示された写真がかなり小さかったので、
「すみません、老眼なので写真を大きくしてもらえますか?」
指でスクロールして拡大してくれた写真を覗き込むと、それはキンチョー製品ではなくフマキラー製品だった。ピンクのスプレー缶に「天使」の文字が見て取れた。それは棚に並んだ製品の一つで、まだ成分を確認していなかった製品だった。慌てて確認すると唯一のディート不使用品だった。

「あ、これがそうでしたね。すみません」
「あるじゃないですかー! それなら薬剤師の方に代わってもらえます?」
これは効いた〜!

「度々すみません。薬剤師はワタシなんです」
と自らの無知さ加減に赤面と反省を自覚しつつ、ピンクのスプレー缶を差し出した。

それを受け取った弾みに、彼女の手からスマホが滑り落ちそうになった。私はとっさに両手を出し彼女の抱えたバッグの辺りでキャッチし、危うく落下を阻止出来た。
「危ない、危ない。良かったですね」
と言った私に、次の瞬間、
「イヤ、イヤ、イヤ〜」
と唐突に奇妙な声を上げるではないか!

その様子に異様な違和感を覚えた私は少なからず困惑し、踵を返してレジに向かう彼女を黙って見送る事しか出来なかった。

もしかしたら彼女は極度の潔癖症なのではないだろうか?

過去にも、レジ会計で女性客が差し出した店のカゴから商品を一つ取って、バーコードを読ませた後にカウンターに置こうとしたら、
「止めてください。そこに置かれるのはイヤなんです!」
と言う。紛れもない潔癖症で、不思議と店のカゴならいいらしいが、買ったものがレジカウンターに触れるのはイヤらしい。しょうがないのでビニール袋を広げておいて、バーコードを読ませたら直接そこへ入れるようにしたという事があった。

今回も彼女のスマホに他人の手が触れたのがイヤだったのかもしれない。

いずれにせよ、終業後の帰路で早速「ディート」を検索した。虫除け薬として日本でも使用され続けていて安全性はあるとされているが、人によっては重度の皮膚炎などを引き起こす場合があり、粘膜や幼年者には使用しないとの注意喚起がなされている云々を頭に叩き込んだ。そもそも虫すら嫌がる物質の安全性が高いわけが無い道理である。

薬剤師として情けなかったが、今回もいい勉強になったと思った。

・・・・・・・

それから4日後、店の外線電話が鳴ったのでたまたま私が出ると、相手は本部のお客様係の担当者で、言われるままに店長に取り次いだ。お客様係からの電話なんて十中八九、お客さんからのクレームの連絡である。一瞬、イヤな予感。電話が終わった店長に訊くと、果たしてビンゴだった。

あの彼女は何と親会社の対応部署へ直接メールでクレームを入れたらしい。 そこからウチの本部に連絡が行って、そこからお店に連絡が来たというわけである。

そのメールには、
「年配の薬剤師がカウンターで作業していたが、絶対に私の存在を分かっていたはずなのに声を掛けて来なかった」
「薬剤師はD糖(原文まま)を知らなかったし、不使用のものはここには無いと言い張った」
「薬剤師は老眼で見えないと言って、いきなり私のスマホを叩き落そうとした。私が落下を防いだから良かったけど、、、」
「薬剤師は、それに対して全く謝罪の言葉を言わなかった」などなど。

店長には上記の顛末を詳細に話し、改善策として「製品知識の充実」と「お客様への声掛け強化」を作文して本部に報告してもらった。

相談などで直接対応するお客さんだけでも一日20人前後、月に数百人のお客さんの中には世間一般のメジャーでは測れない人も当然いると頭じゃ分かっちゃいるけど、良好なコミュニケーションが構築出来なかった上に、いざこういう展開になると気持ちがドーンと沈む。言うまでもなく自分の不勉強さが今回の顛末の最大要因なのは理解している。それでも正直「何なんだろな」と思ってしまう。





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ハロー・グッバイ!

「異動になりました。先生サヨナラ」

5月27日の金曜日。この日は公休日だったけど、例によって痛みとの闘いの日々なのでリビングのソファに寝転びながらテレビを見ていたら、ふとスマホにLINEの着信があり、そこにF店長からのこんなコメントが届いたのだった。訊けば着任日は6月1日、わずか5日前の突然のメールによる人事発令だったという。いくら転居を伴わない異動でも、こりゃあまりに拙速過ぎないか? せめて内示くらいはあっても良さそうなモンだろ。

異動先は世田谷区で、今のお店の2.5倍くらい広い店舗だそうだ。しかも開店時間は10時と今と同じだが、閉店時間は今より1時間遅い22時なので、ワークスケジュールで閉店後まで勤務した日は、彼が川崎の自宅に帰り着く時間は午前0時に近い時間帯になるという。広い店舗ゆえ扱い品目数も多くなるだろうし、当然スタッフの人数も多いから運営管理の面でもかなり大変だろうとは容易に想像出来る。でもイヤだと断るワケにはいかないのだから頑張るしかない。

彼は今の店での勤務は1年程度だが、異動先の店長は何とその店に4年間も勤務していて、オマケにPCスキルが無いので月間勤務表や日々のワークスケジュールは全て手書きだったそうな。イマドキそんな人もいるんですな。

さて、後任の店長は何処から?

店長の中には、かなり変わったキャラがいるという話はよく聞く。スタッフとのコミュニケーションもうまく取れない店長もいるし、ハラスメント問題などを起こした輩もいたらしい。F店長とは20歳以上も歳が離れていたが、偶然同じ中学出身という事もあって妙にウマが合い、3度に渡る入院加療中もねぎらいの言葉をいただいたり、不在時の仕事でもいろいろとお世話になった。それゆえ後任者については私のみならず、全スタッフの関心事でもあり心配事でもあった。

冗談半分に、唯一キャラも含めて知っている入社後実地研修でお世話になった西新宿店のS店長あたりなら面白いなと想像していたら、何と何と~! その通りになったのだった~! つまりは世田谷、西新宿との三角異動だったのである。120店舗もある中からこんな偶然はもはや奇跡と言っていいだろう。相変わらずここ一番の私のヒキは強かった。

29日には後任のS店長が引継ぎのために西新宿店からやって来た。久しぶりに顔を合わせたが、雰囲気はあの時のままだったので安心した。そしてF店長勤務最終日の31日、これまでを噛みしめるかのように一日の時間がじっくりと流れて行った。夕刻、心ばかりの品を進呈し、固い握手を交わして、私は一足先に職場を引き揚げた。これ以上顔を合わせていたら余計辛くなるから。

一期一会はどこの世界にもある。私自身いつまで勤められるかは分からないが、先日の薬剤師研修でのアンケートには調剤薬局への異動の希望について「断固拒否」の選択肢にしっかり丸印を付けたから、少なくとも定年までの2年間に異動は無いだろう。逆にF店長が2年以内にまたこの店に戻って来る事もあるまい。だからこれが今生の別れとなる可能性は極めて高い。彼にはもっと昇進してもらい、今の本部の連中と違って現場の声を汲んだ効果的な施策を実施できるポジションに是非とも就いてもらいたいと思っている。

そう、「踊る大捜査線」の室井慎次のように。





初めて見た大晦日の風景

去年までだったら10日間前後ある年末年始休暇の一日に過ぎなかった大晦日。今年は19時過ぎまで店に立ち、来店するお客さんを通して世間一般の景色を体感した一日となった。

こんな事は学生時代はもちろん、社会人となった後も初めての経験だと思う。少なからず夜更かしをした遅めの起床の後、TVでも観ながらウダウダと過ごしていつしか迎えていた年の瀬。それが一転、朝から何でそんなに買い込むのと思わせるお客さんが一定数は来るものの、やがて陽が落ちて紅白の時間が近づくに連れて飲み物とポテトチップスを買うお客が増え、遂に紅白が始まった頃から閑散としてくる店内。それらのお客を捌きながら伝わって来る一種独特な空気感。これが大晦日のドラッグストアの風景なのだった。

買い物に行く側の風景は毎年大なり小なり見て来たが、逆に定点観測のような立場は初めてだ。それにしても、三が日はどのお店も閉まっていた昔ならいざ知らず、今はコンビニを始めとして元旦も開けているお店があるのだからそんなに買い込む事もあるまいにとつくづく思うのだが、きっとそれをさせてしまう掴み所の無い強迫観念めいたものこそ年の瀬の空気感なのだろう。

そんな今年ももうすぐ終わるが、長い会社勤めから転身した薬屋のOYAJIの日々もあっという間に半年経った事になる。そしてそれは幸運にもこの職種に対して望んだ通りの毎日だった。会社勤めの頃とは全く違って社内評価などをいちいち気にする事もなく、ただひたすら相談客とのやりとりが楽しくて仕方ない。感謝の言葉をいただく事や顔見知りになったお客さんが増えて来た事も大きな歓びとなった。

ただ失敗もあった。

記憶に刻みつけたのは二つ。一つは期限切れののど飴をお客さんが買ってしまった事。前任者の残した在庫を半額処分にしたまでは良かったが、事もあろうにその一部の賞味期限が既に切れていたのだった。もちろん店頭に出す前にチェックはしていた。だがまさか同じ箱の中に異なる期限のものが混在しているとは思いもしなかったというのは言い訳にならない。期限チェックは薬剤師業務の基本なのだから、一部で全てを憶測でもって判断した私の完全なミスである。

店から徒歩15分位の購入客の自宅へ店長と二人で訪問して返金しお詫びしたが、わざわざ電話で知らせてくれたお客さんの気持ちと自分の不甲斐なさに苛まれつつ、再び店へと帰って来た事をはっきりと覚えている。

もう一つはつい最近の出来事。いつものように朝の品出し、台車に乗せられた7~8段の折りコンや段ボールを押して移動させようとした時の事だった。古い店舗のフロアの欠けた溝に台車が躓いた拍子に、積まれていた段ボールが雪崩を打って倒れたのだった。その中にドリンク剤が含まれていたから堪らない。2種類のドリンク剤が破損し内容液が漏れ出て来た。それは同梱してあった他の商品を濡らし、慌てて拭いたもののいくつかが販売不可状態となってしまった。文字通り横車を押した形になったのが敗因だったが、慣れに乗じて迂闊だったのは免れない。

自分のミスでまたもや店に損害を与えるのは許されないなと判断しかけた時、すかさず店長が「先生、それは私もやらかした事がありますよ。破損廃棄処分しますから買っちゃダメですよ」と声が掛かった。さすが店長、こちらのハラはすぐに読まれていた。

・・・・・・・

先週の月曜日まででBCG膀注療法は3回実施した。特に大きな副作用に苛まれる事もなく、だから逆にその効果に一抹の不安を抱きつつ、次回は年明けとなった。

前回の尿検査では混在する赤血球数は減少したものの、依然として異形細胞は確認されているので、まだ膀胱腫瘍に勝てた訳ではないという主治医の判断に異論はない。勝負は年越しとなった。

ともあれ、激動と破壊に揺れた一年が終わろうとしている。職場では今までと変わりなく「良いお年を」という挨拶を交わして帰って来た。「良い年だったかどうかは来年の今日にならなきゃわからんだろが」と思いつつ、これまで半分惰性で発して来た言葉の重みが今年だけは違っていた事に気付く。

そう、過去には無かった激動と破壊だったからこそ、来年こそは少しはマシな年であって欲しいと。





復帰の第一歩

6日がオペ日だったから術後2週間目となった今日、ようやく職場までたどり着く事が出来た。それまでは公休日を除いて毎朝出勤を試みるものの、自宅から徒歩3分の最寄駅に着く頃になると膀胱術創部から痛みが発現し、その先へ歩を進める事が出来ずに家へと戻っていた。そして店長にその旨を報告し、欠勤にしてもらって一日安静にするという繰り返しだったから、強い痛みに襲われる事もなかった今朝はヨッシャ~ッ!てなモンである。

「おはようございます~!」という声に真っ先に反応したのは近くで品出しをしていた店長だった。入院後からこまめに連絡を取り、その都度いたわりの言葉を頂いていたから、「おお~!」という一声で十分だった。この瞬間から、このまま終業時間まで持ってくれればいいが、ダメなら早退も止むなしという一日が始まった。

・・・・・・・

久しぶりのお店の空気はとても新鮮で清々しい思いがした。医薬品コーナーには幾つかの段ボールと共に折り畳みコンテナが3つずつ台車に乗せられていた。先週の金曜日から今週の日曜日まで販売した医薬品に対する補充発注が届くのが今日。だから火曜日の配送がボリューム的に一番大きい。その品出しから棚への陳列をして隙間だらけの棚が埋まって来ると、なんだかとても良い気持ちになって来る。やっぱりこの仕事(決して全ての業務とは言わないが)は大好きなんだと再認識した次第。

今は風邪のハシリの季節なので、相談される内容も風邪薬に関するものが多い。そのやりとりも実に気持ちが良い。このために今日まで何度も出勤を試みて来たんだよね。やっぱりこれ、私の第二の天職なのかもしれない。

さて、気になっている事が一つあった。

それは私が入院から今日に至るまで薬剤師の存在が必須とされる1類医薬品の販売が全くできなかったという事である。特に鎮痛剤や消化器用剤、AGA用剤などにはリピーターがいる。私が不在という事は即ち初購入のお客さんはもちろん、リピーターという顧客が求める医薬品を手に出来ない日々が続いたという事に他ならない。それが実に申し訳ないのだった。

店長から聞いた話では、医薬品全体の売り上げは前同比100%はクリアしているが、1類医薬品を求めるお客さんには私の入院加療の事情を言って理解してもらっているとの事。今朝確認したら1類医薬品の売り上げは前同比50%にも届いていなかった。私がいなければ売れないのに私の在店日数は今月20日間の内たったの4日間だったのだから当然と言えば当然なのだが、ますます迷惑を掛けてしまったという思いを強くしたし、何より率直に悔しかった。

・・・・・・・

そんな一日もあっという間に終わり、幸い大きな痛みにも襲われる事もなく発注業務まで終えられた。本日の発注分が納品されるのは明後日だから、たとえ明朝再び痛みに苛まれて出勤を断念したとしても大きな支障にはならないだろう。が、やはり1類医薬品が売れないという事態にまた陥るので、痛みの出現はその日にならなければ分からないと言ってもここは頑張るしかない。

まあ、前回のオペ後から今回のオペまでの間も股間の痛みと排尿痛には悩まされていたワケだから今後の症状の推移はほぼ予想がつく。きっとこうやって一進一退を繰り返しながら僅かずつ回復していくのだろう。

だが私には治療第二弾としてBCG膀注療法が待っている。今月末の外来でそのスケジュールを詰めるのだろうが、副作用の頻尿や排尿痛の発現を考慮すると可能な限り遅めにスタートして貰えるよう依頼するつもりでいる。そのどちらも既に出ているからで、これ以上症状が増悪されても困るから。

まだ手探りの毎日が続く。世間を歩いて普通に歩いたり座ったりしている人を見ていると、今更ながらそれが当然の如く出来る健康というものを考えてしまう。出来ていた事が出来なくなった時に、人は初めて出来て当然だった日々に疑問を投げかけ、しみじみ振り返って思いにふける。そして健康の価値とありがたさが骨身にしみて来る。





白衣の下は脂汗

本日、安保法制案が参議院の委員会でも可決された。まずは昨日理事室に閉じ込められた委員長である鴻池氏が最初から委員会室にいて、そこで理事会を開くという奇策に出た。すかさず野党から不信任動議が出されると、それを見越していたかようにすぐさま後任を指名。

不信任案は当然否決されて鴻池氏が再登壇。与党から審議打ち切り動議が出た直後、そうさせまいとする野党が委員長席へ怒涛のように詰め寄った乱闘状態の中、それでも可決に至ったのだった。

やり方として結局は強行採決と映る形となった。国会の外では反対派のデモ隊が連日気勢を上げているが、国会内では肉体派の乱闘状態。

その道のりは法案提出側である中谷防衛大臣のダッチロール答弁からついには安倍首相の前言取り消し方向転換答弁によって議論は見事に空回り。重箱の隅をつつくような野党の質問とも相俟って、審議を尽くすとはほど遠い、極めて中身の薄い時間だけが過ぎて行った。

法案の是非はともかく、これほど言葉の重みが感じられない審議にはただ唖然とさせられるばかりだ。挙句が言葉ではなく肉弾戦に突入とは、言論の府が聞いて呆れるわ!

・・・・・・・

さて、先月の入院手術から退院して今日でおよそ一月。なのに我が身が恨めしい。

その日の調子はその日にならないと分からない。仕事に向かう日の朝、駅までの数分間の徒歩の振動に呼応するかのように早くも股間にツーンとする痛みが走る時は最悪の一日の予感に襲われる。電車内で立っている間はほぼ無痛の事が多いので、この間に沈静化してくれるのを願うのである。

乗換え駅に着くと再び徒歩で目的のホームに向かうのだが、階段の上りなどでまたも股間に痛みが走る時がある。ますます最悪の予感に襲われる。これまでは人よりも早足で歩いていた自分が、今では人に追い越されながらゆっくりと歩かなければならなくなった事が我ながら哀れになる。

真に最悪の日ともなると、最寄駅から店に向かう数分間の徒歩の時にも痛みが発生する。痛みの本体は膀胱の収縮が原因であるのは明白だが、特に膀胱の出口付近に起こる収縮刺激に関連する痛みが殆んどだと自覚出来る。お尻の穴を締めるような緊張が走るとそれが痛みとして伝達される感じなので、痛みから解放されるためにはひたすら弛緩させるしかない。一番いいのは横になるか湯船に浸かる事なのだが、日中はそんな事は叶わない。

こうして職場に着き、白衣を纏うと品出しからその日の仕事が始まる。先入先出の徹底のため納品された一つ一つを丁寧に棚へ陳列するのだが、当然立ったりしゃがんだりの繰り返しとなるので、気がつくとまたもや股間の痛みに襲われる。その際はしばらく立ったままで痛みの沈静化を待つ。

やがて開店時間。品出しは続くのだが、不思議とお客さんへの応対時に痛みに襲われる事は殆んどないが、その前後に来る事はあるから油断はできない。

昼食休憩になっても、食べに入った店で座っている時に痛みが走る時があるのでここでも油断は出来ない。膀胱に負荷が掛からないように片側の尻だけで座るようにしているが、それでも一定時間が過ぎると痛みを感じたりする。本当に辛い時は食欲もゼロとなる。だからドリアやグラタンなどの少量の流動食系で十分だ。おかげで立ち仕事と相俟って自動的にダイエットが出来ていたりする。

何とか夕方頃になると不思議に痛みが消える事もあるが、逆にそれまで殆んど痛くなかった日の夕方から痛みが発生したりもする。そういう時は棚の陰でしばし両膝に手をつき中腰になってやり過ごす。

そんなワケで、痛みが頻発する最悪の日などは白衣の下で常に脂汗をかいている事になる。仕事帰りに痛みに襲われた時などは、途中の駅からタクシーで帰宅した事もあった。

だから痛みが走る日とそうでない日とでは、私にとって掛け値なしに天国と地獄なのである。この痛みから解放されるなら悪魔と命の契約をしてもいいとさえ思うくらいだ。

おっと、排尿痛を書くのを忘れていた。排尿時の症状は退院後からいろいろ変化したが、最近はこうだ。尿の出始めは灼けるような尿道痛から始まり、膀胱の収縮による痛みで排尿が終わる。つまり初めと終わりに痛みとの闘いが待っている格好だ。特に終わりの痛みは膀胱収縮が十分弛緩するまで感じるから、本当はこの時すぐに横になりたいくらいなのだが。つくづくトイレがイヤになる。

ただ、これらの事は店長をはじめとする同僚には内緒にしている。ただでさえ前回の入院で着任が遅れ、あまつさえ来月再手術と迷惑の掛けっぱなしの身、通常業務時まで心配させる事はまかりならんと心得ている。股間の痛み以外は至って健全なのだからハタから見たら私はごく普通の人に映るに違いない。せめて今はそうありたいと思っている。

おそらく再手術後にも同じような症状が襲って来るだろうが、それでも大元の病状進行リスクが限りなく無くなると期待するからこそ耐えようと覚悟している。今回のような術後症状は時間の経過と共にやがては治まるだろうと。

以上、自身の記録の一つとして記載しておく。

・・・・・・・

そんな中、今日は薬剤師研修だった。全店のOTC薬剤師の2/3以上が参加したが、まさに老若男女の集合体だった。私の隣りは70代のベテラン薬剤師で、長年調剤薬局をやっていたが閉店、それでも自宅近くのドラッグストアの求人に応募して現場復帰したそうだ。まだまだお元気である。

まずはメーカーの製品説明が2つ。かぜ薬の新製品とOTC初承認となるフッ素洗口薬だった。ついこの前まで同じ立場にいたせいか、ついつい説明会スキルのアセスメント視線で見たり、ヘンな事を言おうモンなら言葉に出さずにツッコミを入れたりして聴いていた。私がやっていた喋るメーカー側の気持ちはもちろん、聞く側の薬剤師はきっとこんな感じだったんだろうなと、両者の立場になって初めて実感出来る事もある。

それが終わるとまるで営業会議のごとく本部の担当者の話が続く。そう、数字の話である。もちろん営利企業である限り利益向上は当然なのだが、相手は売上げの責任者である店長とは違う専門職の薬剤師だ。むしろその特色を生かすスキルを学ばせる場にして欲しいと思った。

隣りのベテラン先生は、入った頃の数年前までは独自の特色を持っていたこの会社が、段々と親会社色に染められて行く事を嘆いていた。それはともかく、久しぶりに指導薬剤師のY先生や先日店舗に指導に来て頂いたS先生に再会出来たのは有意義だった。終了後は店舗に戻って一仕事をして本日終了。まだまだやるべき事が山積みだが、取り敢えず明日は公休日なのだった。





新天地にも早や3週間

今年も早や9月に入った。配属店舗における勤務が始まったのは、7月〜8月初旬の研修後から入院手術を経た8月下旬からだったから、ほぼ3週間が経過した事になる。結構あっという間という感覚だった。

手始めに取り掛かった薬剤師業務の基本である医薬品の期限チェックで、何とショッピングバスケット5杯分もの期限切迫品及び期限切れ品、破損品が陳列棚の奥から遺跡発掘のように出現して来たのにまず驚かされた。前任の薬剤師とは公示後の挨拶を交わした程度で、私の入院のせいで彼の異動と入れ違いに着任となったため定期的な期限チェックが行われたのかは分からない。改めて業務記録を見ると7月実施となってはいたけどね。

また、それとは別に製品リニューアルや棚替えなどによる季節商品の予定返品がバックヤードに折畳みコンテナ(折りコン)に5、6個もストックされていた! よって返品期限の10日まで伝票作成&段ボール梱包作業に追われたのだった。これは医薬品だけの話ではなく、化粧品や雑貨に至る全商品が対象となっているため、店全体では段ボール数十個に及ぶ作業となる。店舗運営は品出しと販売だけじゃないんだと思い知る。

さらに明日からは夏場の虫除け&虫刺され薬中心だったメイン棚を今度は冬季に向けた風邪薬を中心としたものに作り変える作業が待っている。ここで意志ある薬剤師は、本部指示の仕様に並べた棚割りの写真をいったん本部へ送った(これルールらしい)後、自分の考えたストーリーに沿った棚割りを作成するという。私も風邪の症状や補助薬を踏まえた治療戦略のストーリーを考案し、そのような棚作りをしたいと思っていたのでそうするつもりでいる。

それにしても、本部の指示もありきたりの棚割りではなく売れている薬剤師のアイデアを吸い上げて、それを生かした仕様を最初から指示すれば全店規模でもっと売上向上が図れると思うんだけど。ま、会社組織はどこでも見えない隔たりや担当者のプライドなどが邪魔してしまうモンなんだろうな。もったいない。

・・・・・・・

愛知県知多半島に上陸した台風18号と17号とのダブル台風に加え梅雨前線の影響で、関東から東北にかけて南北の方向に発生した線状降水帯による未曾有の大雨で河川が氾濫し、まるで津波に襲われたように広域に及ぶ洪水被害が続出している。東京もかなりの雨が降ったが、幸い私の家や職場は被害と言える被害はなかった。電車の遅れもほとんどなかったが、やはりここ数日の客足は芳しくなかった。

少ない中にもカウンセリングを求めてくるお客さんはいる。目立つのは最近の気温の変化でノドをやられたというケース。熱の有無を訊けば今は無く、咳や鼻水もそうでもない。となると、大人の場合はノドの症状改善にフォーカスを当てた治療戦略で行くか、今後他の症状が出て来る事を予測した治療戦略で行くかを提案する。子供の場合は他の症状が出てくるケースが多い事を伝え、飲みやすい液剤を中心とした総合感冒薬による治療戦略を提案する。

治療薬は新薬(西洋薬)成分と、その対極にある漢方薬、そして両方を含むハイブリッド処方薬の特徴をそれぞれ説明し、相手のニーズに応じた薬剤を選んでもらう。薬剤が決まれば基本的にはここまでで「お大事にしてください」と終わるのだが、本来ならさらに免疫力増強のためのドリンク剤を併用すると治りがより早まりますよと奨めるべきところだ。でも、ついつい押し売りになってはいけないという心のブレーキが掛かって言えない場合が多いのだった。未熟なんだよね。

そんな中、推奨販売力No1との呼び声も高い他店の薬剤師S先生が私の指導のために来店。S先生とは過去に研修店舗に来られた時に挨拶しただけだったが、指導薬剤師のY先生も太鼓判を押す先生だったので、来て頂けたのは千載一遇のチャンスとばかりに日頃の疑問や推売の工夫点などを率直に訊いた。予想していた以上にS先生は推奨販売に対する着眼点やアイデアが豊富で、かつ売上げや利益率向上もしっかり意識している。短い時間だったが、私はその言葉を聞きながら新しい視点やノウハウをいろいろと知る事が出来た。「プロフェッショナルは期待を超える存在」の言葉通りの方だった。

私はひたすら直接ユーザーに接する事でそのお役に立てれば良い、売上げや利益率などによる社内的な評価などは二の次三の次というスタンスでこの仕事に就いた。だが、一小売販売業者としてはそれだけでは勤まらないという事もこれまでの研修や業務を通じて実感した。当たり前と言われればまさにその通りなんだけど、薬剤師のカウンセリング販売を自分なりに勝手にイメージしてしまっていたんだろうな。

Y先生とS先生の二人を目標に、いつか両先生に肩を並べられる存在になってやろうと密かに企んでいる。




ここが次のステージか

連日のブログ更新なんて実に久しぶりだが、着任を待たずに入院するハメになってしまったので、本日の休日を利用して正式配属店舗へ挨拶に行った事を記録しておく。

その店舗は古い住宅エリアの旧道沿いにある。周りの風景は、不思議と昔どこかで見た事のある風景と重なった。そう、今から25年ほど前に入った会社で初配属された営業所があった場所の風景と道幅も町並みもそっくりだったのである。なんだか懐かしい思いを抱えつつ、ゆるりと店の中へ足を踏み入れた。研修中の今の店舗と同じマンションの1階スペースだが、一回り小規模にした感じだった。

開店から既に1時間ほど経っていて店内に客はチラホラ程度だったため、医薬品ゾーンをざっと眺めた後、薬剤師の白衣を探した。すると中程の棚で品出し中。早速名乗って店長のもとへ連れて行ってもらう。その店長も品出し中だったが、まずは挨拶と入院による着任遅延のお詫びを申し上げた。F店長から店内やバックヤードの案内を受けつつ、私の経歴などを紹介したところ、江戸川区出身と言う彼は何と私の出身中学の遥か後輩だという事が判明。私は越境入学だったけど、これも縁なんだねぇ。

私が入院している頃には転勤先へ異動しているという薬剤師のN先生。この店に着任して2年(入社2年だったかも?)の想像以上に若い先生だった。この店舗における彼の業務守備範囲は、今の私の店舗における薬剤師の守備範囲とは少々異なっていた。担当は医薬品に加えサプリなどの健康食品、オムツなどの介護用品や衛生用品など多岐に及んでいた。いきなり私がそれら全てを担当する事はなさそうだが、何せここはメンバーの規定人数が足りていないようで、彼はレジ打ちやデリバリーの応援までやっているそうだ。

ドラッグストアにおける薬剤師の本来の役割はカウンセリングによる医薬品販売実績の向上である。レジ打ちなどの作業よりも如何にそれらの業務に手間と時間を割けるかが勝負だと言って良い。だから私の指導薬剤師Y先生は医薬品販売以外の業務はまずタッチしない。それは25年以上のキャリアを誇るベテランゆえの主義主張なのかもしれないが、それがなければ薬剤師が販売スタッフよりも高い給料を頂く意味がないのも確かである。

この店舗の500mほど離れた場所にキレイでスマートな競合店が出来たため、現在苦戦中とのこと。私の研修店舗よりも歴史が古いせいか、店舗の2階や道の反対側の倉庫など収納庫は実に豊富だ。そこには医薬品の常駐在庫に混じって本部から送り込まれて売れずに残っている品なども置かれていた。だから発注も毎日ではなく週に2〜3回程度だという。でもその割には商品棚のあちこちに欠品が目についたな。

倉庫だけではなく、店内の医薬品ゾーンにも余裕を感じた。風邪薬コーナーは2ヶ所設置されているし、ドリンクコーナーも二手に分けて陳列されている。入口横のドリンク冷蔵庫も水抜き不要のタイプらしい。デジカメプリント受付機まであった。ただ、陳列の配置(棚割り)はさほどメリハリを感じず、どの商品を売りたいのかという意図があまり感じられないという印象を受けた。何より入口から医薬品ゾーンへの動線を塞ぐかのようにペットボトルのダンボール箱が山積みされていたのは実にもったいない感じがした。

結論として、「地元に密着し信頼を得られるお店」という企業コンセプトを強化するにはまだまだやれる事、やるべき事がある。特に高齢者を含む、この地域に長く住んでいる人達には、近代的な店よりも昔からあるドロ臭い店の方が却って安心できるという心理も働く。顧客ニーズにしっかり応えられれば必ずや顧客満足度は向上し、固定客はさらに増えるに違いない。

着任したら様子を見つつ、改善できるところはこまめに見直し手を加え、店全体のメリットにつながる部分は店長へ提案をして行こうと考えている。今は一日も早く役に立ちたいと思うばかりである。

ともあれ明日は全店で年に一度の大特売日。レジへ長蛇の列が出来ると聞く。もちろんこの店舗もその日を迎えるが、そのための準備は万端だろうか。短い訪問時間だったが、もはや我が身のように可愛い店舗という気持ちになったゆえ老婆心も芽生える。

心ここに在り。





進撃の三人

先週の日曜日から木曜日まで、初めての5連勤を無事クリア。日常のルーティン業務に加え、イレギュラーで発生する業務などにも関わり、さらに会社独自の携帯端末やPC操作を含め、覚えるべき事ややるべき事などがさらにボリュームアップして来た。立ち仕事の5連勤にフィジカルが悲鳴を上げるのではという心配もあったが、これが意外にもトラブルなく過ぎて行ったのだった。前立腺炎による頻尿は別として。

薬剤師だのカウンセリング販売だのと言っても、我々の出勤時間はせいぜい開店時間である10時の20分前くらいだ。実は早番のスタッフなどは開店2時間前の8時には出勤して開店準備をしている。そういう店長を始めとする正社員スタッフやアルバイトスタッフの総合力で一つの店舗がつつがなく回っている事に気付いたのは最近の事だった。

ある時は、台車のゴム車輪の跡で黒く汚れた床を無水エタノールを含ませたティッシュでゴシゴシ擦り、ある時は薬品のみならず雑貨や缶ビールの面を揃えてみたり、場所柄中国人や欧米人観光客が来ればカタコト英語で悪戦苦闘、改めて医学用語をおさらいしてみたり、子供が来ればカゴに入れたギミックを差し出したり、マイナーな雑貨などの置き場所を訊かれて慌ててスタッフにバトンタッチしたりと、間違っても薬剤師でございなどという感覚なぞ持つ事はなく、あくまで基本は一商売人という自覚を植え付けられる毎日である。

でも、そんな事がことさら楽しいのだ。そして心身共に充実するのである。

やはり製薬メーカーの時は、直接関わる相手は自社の営業部隊のメンバーや医師・薬剤師など医療関係者までで、その先にいる本当の意味での顧客(患者)までの距離は決して短いものではなかった。顧客満足度とか患者さんの気持ちとか言いながらその実、そこへのアクセスもそこからのレスポンスも極めて乏しく、とてもとてもリアリティを伴っていたとは言えなかった気がしてならない。

だが今は違う。私の応対一つが顧客満足度に直結するという緊張感、これが堪らないのだ。もう少し経験を重ねたら、きっと病みつきの快感となってしまうかもしれないほどに。もしかしたらこれは学術研修業務に次ぐ第二の天職との出会いかも?

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金、土曜の公休を経て、さあいよいよ2回目の5連勤に突入した昨日、その日も19時に無事に終わりを迎え、後はバックヤードへ着替えに向かうだけとなった時の事だった。いつものように店内パトロールを兼ね、あえて最短ルートではなく迂回ルートを通って化粧品コーナーへ来た時、ふと160cm以上ある商品棚の上に何やら見慣れた横顔を覗かせて移動して行く物体が目に入った。

それは紛れもなくあのグータラKではないか! お前は進撃の巨人か! いや、そもそも何でお前がそこにいるんだ!

慌てて商品棚の裏側へ回れば、さらにそこには見慣れたM子とN子がまるまっちい姿でつっ立ってるじゃないの!

お前らなんでここにいるんだ~! 会社はどーしたんだ~! と思わず口走ったが、よく考えればこの日は世間では日曜日だった。だからグータラKなどはTシャツ一枚のグータラスタイル。しょうがないから急遽近くの居酒屋へ。

そこでこれまでの行動を訊くと、私のブログからあっという間にOJTをしている店舗を特定。私にヘンテコな商品を持って行って商品説明とレジ打ちをさせようと画策し、3人で集まって来たらしい。何とグータラKとN子は2時間近く前に集まり、特定した店舗に私がいるかどうかを近くのマックを前進基地にして、まずはN子が偵察へ。Y先生と打ち合わせをしている後ろ姿で私の存在を現認、遅れて合流するM子を待ったそうだ。

3人揃ったところでこっそりと入店。いきなり薬品コーナーへ行くとチョンバレなので、長身のグータラKは終始中腰で化粧品コーナーに身を隠しつつ白衣姿の私を盗撮していたらしい。で、中腰に耐えられなくなって体を伸ばしたところを私に発見されたのだった。アホかっての!

グータラKがたった1ヶ月で元のセクションに出戻っただの、営業部と一緒のフロアへ移ったがために9時過ぎには来なくてはならなくなっただの、フロアに大勢のメンバーがいるため冗談の一つも言えなくなっただのと実態を語っていた。別の部署のN子も異口同音。転職したM子も担当業務の立ち上げに色々と苦労している様子。な~んだ、余裕かましてんのは私だけ?

この連中、今度は正規配属になった来月以降、さらにメンバーを増やしてその店に進撃してくると言う。

金輪際、教えてなるモンかっての!




The new stage has started!

7月を迎え、いよいよ私の新しいステージが始まった。

まずは初日。これも一つのご縁なのか、奇しくも私が25年間生まれ育った下町の新小岩にある店舗の研修センターにて中途入社者研修が始まった。ドラッグストアも小売業であるゆえ、接客を含む社内外への「接遇」というスキルが重要となる。ましてや競合の激しい中にあって、接遇の質は他社との差別化に欠かせない戦略とP社では位置付けているとのこと。

だがこれは意外に難しい。自分が客の立場に立って想像してみると解りやすい。例えば私の場合、デパートなどの売り場で品物を見て歩いている時、必ずと言ってほど店員からあれこれ投げかけられる。店員からすれば客とのコミュニケーションを取るという接遇スキルの実践かもしれないが、少なくとも私には迷惑でしかない。訊きたい事があれば尋ねるから、眺めている間はそっとしておいてくれというのが私のニーズだからである。

頭が痛い、腹を下して辛いという場合に、いくら明るく挨拶をしましょうといっても傍で大声でやられたらたまったモンじゃなかろう。相手の状況を読み取って臨機応変の対応が出来るのがプロフェッショナル。そしてそれは相手に間違いなく良い印象を残すからリピート率が上がるに違いない。限られた商環境の中で限られた顧客を獲得するためには、プロフェッショナルな接遇が決め手となるという戦略には大いに賛同する。

さて、集合研修というスタイルは2回目との事だが、今回の受講者は私と同じ7月入社が4名、6月入社が4名の計8名。私と同じ薬剤師職は1名のみで、それ以外は全て販売職か調剤事務職だった。それよりも、私以外の受講者が全て女性だった事が最大のモチベーションだった。爆

挨拶、表情、姿勢、動作、身だしなみ、言葉遣いなど、思えば営業職にも全く同じように当てはまる原則なのだが、実はこれまでの長いサラリーマン人生で面と向かって一から学んだ事がほとんど無かったので、実際に接客用語を口に出し、来店挨拶や案内の所作を身体を使って行なうトレーニングはとても新鮮だった。トレーナーによると、実際の店舗でも機械的にしか出来ていないスタッフもいるという話だが、私の場合は商売人の家(薬局)に育った過去があるため、こういう事にことさら抵抗を感じないのはラッキーだ。

午後からは人事評価や組合などの話に移った。ところが、人事部長なる人の京都弁混じりの籠った話し方や緊張のためかメモ棒読み状態の組合長の話には、それまでのトレーナーTさんやNさんのクリアな声と話し方に慣れていた受講者はかなり聴き難くそうな表情に。やはり声と話し方は伝えるために極めて重要なファクターなんだと再認識。内容はもはや私あたりにはどうでも良い部分なのでほとんどスルー。

7月入社メンバーはこの後、レジ打ちトレーニングへ。いやぁ、知らなかったけど最近のレジスターってのはカラフルで高機能なんですなぁ! 今回は時間の関係から担当者登録、バーコード読み取り、支払い方式の分別、万札への対応、領収書発行などの基本的操作のみだったが、これをマスターするにはまだまだ実践経験が必要である。

これで研修は全て終了。実質6時間ほどだったのでトレーニングとしては物足りない。が、翌日から店舗でのOJTスタートなので、ここは当たって砕けろだろう。

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梅雨空の下、傘を差しつつ白衣やノートを入れたカバンを手に開店前の店舗へ。といってもここは家からたった一駅。歩いても行ける距離なのだが、立ち仕事への体力温存のために敢えてここは電車で移動した。

店内のスタッフルームに指導薬剤師のY先生がいた。さあ、今から実践トレーニングのスタートである。PCでタイムカードを押し、朝礼で挨拶をして開店。

結論から言えば、ここから昼食休憩1時間を挟んで前半3時間、後半5時間を立ちっぱなしで過ごす事になった。水の一滴も飲まずひたすら業務とメモの繰り返し。何しろ朝の品出し一つとってもどこにあるのかすら覚束無いのだから。薬品の場所や名前はもちろん、推奨販売ブランドやPB、症状別の選択基準などなど余りにも覚える事が多過ぎて、とても悠長に座ってなどいられない。

その途中で、薬剤師の説明がなくては販売できないⅠ類医薬品であるガスター10を売ったり、検査で医者からカリウムが低いと言われた人がサプリで補給をしたいと言って来たけど、その程度ならナッツや枝豆、冷奴などのツマミで十分補えると説明し、それでも低かったらサプリを考えればいいと何も売らずに終わったりと、半分テンパりながらも一日が過ぎて行った。

とはいえ基本的には不明な時はY先生にバトンタッチし、推奨品目や患者の症状による薬剤選択基準をY先生の応対を見ながら教わったり訊いたりしてメモる繰り返し。果てはドリンク冷蔵庫の水抜き作業まで守備範囲だいうからビックリ。担当製品に関わるあらゆるものが業務対象なので、カウンセリングだナンだと言う前に、我々の基本は小売業だと良い意味で思い知った次第。う~ん、先は長いぞ。

初日が終わり19時に退社。さすがにノドが乾いたので近くのマックでコーラ補給。気が付くと下手なウォーキングなんかよりも足はパンパン! ふと院内や医局で立ちっぱなしの一日だった大昔の営業時代を思い出す。労働とはこれほどの労力を費やす行為だったんだと痛感。同時に、疲労と共にそこにある心地良さも。デスクに座ってりゃ時間が過ぎたオフィスワークって何とユルかったのだろうとも。

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私の勤務スケジュールは指導薬剤師のY先生に合わせて組まれているので、この1ヶ月間は金・土曜日が休みとなる。次の勤務は日曜日となるが、初日の復習は必須。正直、前立腺炎の調子はまだまだだが、致命的な悪影響を出さずに共存していければいいし、折を見て漢方の大家でもあるY先生に相談してみたいと思っている今日この頃である。





ある知らせ

10を超える関連部署で上市プロジェクトを組織して取り組んでいた、とある新製品があった。

私も学術研修サポートとして昨年のプロジェクト発足時から参画し、学術資材の作成や研修などを行なって来た。私自身、新製品の立ち上げに参画したのは抗糖尿病薬、抗血栓症薬に続いて3つ目で、事実上これが最後に担当する新製品だろうと思っていた。

今年になって組織再編による早期退職制度がいきなり実施された。そのために新発売を見届けることなく4月末の最終出社となったのは、私にとって後ろ髪を引かれる思いだった。こうなったら離れた場所から新発売を祝ってあげようと。

先月、その新製品の薬価収載があり、通常なら収載即発売のはずが、なぜか発売延期という知らせがあった。

こういう場合の予想される理由としては、初期在庫数量が不足したため発売に至れば欠品の恐れがある、あるいは何らかの不都合が見出されたため急遽修正の必要が生じた、などだろう。

とはいえ、ただでさえ競合品が一足先に発売されている状況下、一刻も早い上市が望まれているはずなのに一体何をやっているのかと忸怩たる思いでその知らせを聞いたのだった。

ところが今朝になって、この新製品が他社へ売却されるのではないかというショッキングな情報を耳にした!

現在のところ真偽のほどは定かではないが、発売を遅らせた理由としてそれならアリというところである。これまで少なくとも自社発売のために上市準備を進めて来たのだから、もしこの決定が為されたのだとすれば、それはごく最近の話だろうと思われる。

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この新製品プロジェクトの中心メンバーはマーケ部門のG子とTの二人である。特にG子は若手女性プロジェクトリーダーとして、プレッシャーに苛まれつつも持ち前のポジティブ思考で積極的にプロジェクトを牽引していた。彼女にとって新製品はまさに我が子同然の愛着を持っていたに違いない(彼女は独身だが)。もちろんそれはTにしても私にしても、あるいはプロジェクトメンバー全員同じだったはずだ。

それがこういう事態になって、彼女はどんな気持ちでいるだろうか。また、発売からできるだけ速やかに採用に持って行こうと頑張っていた現場の営業部隊にとっても。組織再編とのダブルパンチでモチベーションの激減は避けられまい。

実は売却が取り沙汰されている相手は、偶然にも学術研修業務を募集している転職先として私がピックアップしていた企業の一つだった。

ところが、かなり早い時期にエージェントを通じて応募書類を出していたものの、相手都合で採用選考を2ヶ月、3ヶ月と一方的に延期されてしまった。最初は余裕で待っていたが、退職日も迫って来る中、もはやこの企業とは縁がなかったと見切りをつけ進路変更をしたという経緯があった。

もしも私がその会社へ行っていたら、この新製品をこともあろうに古巣から受け取るという事になっていたのである。G子を始めとした担当メンバーの気持ちを考えるとそれはあまりに切ないではないか。甘いと言われようがビジネスという言葉では到底割り切れない。

結果論とはいえ、そんな辛い巡り合わせを回避できただけでも私のヒキはまだ強かったと思いたい。

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かつて担当した新製品の一つは製造承認直前で当局から無理難題を課せられ消えざるを得なかった。もう一つは製品の有用性に時代が追いつく速度が遅すぎて伸び悩んだという苦い経験があり、今度こそ大きな花を咲かせたいと思っていた。

多くの人の思いが詰まっているこの新製品、誤報であって欲しいと願うばかりである。



(追記)
その後の情報によれば、社内への通達および社外への通知文書も作成されているとの事で、これは事実だったと確認した。

仮にも力を入れると言っていた領域に関する新製品を発売前から他社へ導出(売却)するのは明らかに尋常ではない。

去年から上市成功のために準備して来た事も全て水泡に帰した。合掌




最終出社、そしてGM!

いよいよ迎えた最終出社日。

別に遠足の日の子供というワケじゃないけど、いつもより早く目覚めた朝。たまたま休みだったカミさんが「長い間お疲れ様でした。いってらっしゃいませ」と三つ指ついて送り出すなんてのはドラマの世界だけ。現実の世界ではしっかり寝こいてる。ま、そんな扱いは慣れてるから、そそくさと準備を終えて家を出たのだった。

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で、会社のビルやら玄関などをスマホカメラに収め、デスクのPCや思い出深いアイテムなども撮った後、SNS用にフォトフレームに並べてみた。そうこうしているうちにPCが立ち上がり、いつものようにメールチェックをしたら、何とそこには数十通ものレスメールが! そう、昨日送信した退職ご挨拶メールに全国からこれほどのレスが寄せられていたのだった。驚いたのなんの!

そこには、「とても分かりやすい研修でした」「あなたの研修が楽しみでした」「現場に即した話が役に立ちました」などなど、嬉しい言葉の数々が寄せられていた。その一つ一つのメールに返信しながらしみじみ思った。ああ、私の仕事は受講者の役に立っていたんだな、そういう言葉に励まされ支えられてこそ、どうにかここまで歩いて来られたんだなと。ただただ感謝あるのみ。

その後、現場から新たに研修メンバーになった旧知のMを始め、かつて同じ部署で一緒に仕事をしていたSや新製品のマーケ部門のG子やTがわざわざ挨拶に来てくれた。新組織スタートでバタバタしている他部署の人達には、敢えてこちらから挨拶に行くのを遠慮したのだが、こういう事はとても嬉しいモンである。最後に担当した新製品の発売に立ち会えなかったのは残念至極だけど。

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今回の退職者の人数は多かったので、いつものようにフロアでの挨拶セレモニーは出来なかった。なぜなら退職者と異動者の人数の方が残った人数よりも多いから、景色としてかなりの違和感が漂う事になってしまうのだ。また、なぜかこの日が新組織スタートの日にもなってしまっていたため、午後からはそれぞれの新組織でミーティングが招集されていて時間的余裕も無いからである。どこまでもチグハグな会社だよな。

さてランチタイム。いつもの早飯メンバーとの最後の晩餐ならぬ最後のランチは、あれこれ悩んだ挙句、一番のお気に入りだった会社前にある満腹イタリアンに決めた。そこにグータラK、H親方、金メダルA子、賑やかしのN子、そして来月で退職の決まっているY子の6人が集合した。するとしばらくして今回のリストラ、もとい組織再編の首謀者である人事部のY子女史が入店して来たから思わず叫んでやった。「世も末だわっ!」

午後は、我々退職者宛てにbccで届いていた変テコな招集メールのセッションがあった。そのセッション名が問題で、よりにもよって「新組織Day1営業会議」と来たモンだ。おいおい、辞めていく人間に今さら営業会議ってナンだよ? 実は退職者に対する組織トップの面々からのメッセージという趣旨だったらしいのだが、いかんせん表題があらぬ誤解を生んで出席を敬遠される始末。実際、40数名の対象者のうち参加したのはわずか3名、予定時間30分のところが実質10分足らずで終わったそうな。それならそうと、最初からちゃんと明示すりゃいいものを、これじゃ意味不明な上にデリカシーもないわな。

ま、こんな会社だったんだよな。

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やがて本物の新組織ミーティングの時間になり、該当者が三々五々フロアを去って行く。退職者も午前中の早い時間帯から帰って行った者もいて、それでなくても歯抜けのような寂しさのフロアがますます閑散として来た。

会社貸与のノートPC、iPad、iPhoneを返却するにも面倒なWeb手続きをさせられ、ヤレヤレこれで帰れるかと思いきや、一番肝心の退職金の受取方法など退職関係の書類一式がまだ手元に届いていない事に気が付いた。あわてて訊いてみたところ、メール便で自宅に送られる寸前のパックごと渡されたのだった。今日最終出社の人間に重要な書類を事前に渡せない会社って何なのよ!

午後3時過ぎ、いよいよ帰ろうかと数人で連れ立ってフロアを出た。その時送り出してくれたのは昔の会社が一緒だったY子や最後のマネジャーとなったK達だった。来月退職するY子からはひまわりの花束を頂いた。昨日一足先に赴任地へ趣いたYやOなどは大勢の賑やかな拍手の中で送られて行ったから、よっぽど目立ってたよな。

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これで24年に渡るこの会社の日々が終わった。うん、本当に終わったのだ。

You're King of Kings! 
帰れるんだ~、これでただの男に~、帰れるんだ、これで、帰れるんだ~! 
ライラ・ライラ・ライラ・ライ、ライラ・ライラ・ライラ・ライ、ライラ・ライラ・ライラ・ライララ~イ!

で、待っているのはゴールデンウイーク(GW)なんかではな~い! 毎日が日曜日のゴールデンマンス(GM)なのであ~る!

まずはオーバーホールを兼ねてじっくりとスローダウンする、これまで買いためた雑誌や本を読破する、名画DVDも全部観る、閖上の赤貝に去年のリベンジをしに行く、ついでに福島の温泉ドライブに行く、次の仕事のためにOTC製品の知識を習得する、カウンセリングスキルを学ぶ、立ち仕事の覚悟を決める、とやるべき事も目白押し。そうそう、愚息の結婚式も控えていたんだっけ。





退職ご挨拶メール

明日の最終出社日を控え、社内ではそろそろ早期退職者などの最後のご挨拶メールが飛び交い始めている事だろう。いつもならパラパラと届く程度の挨拶メールだが、何せ今回の退職は数百人規模であるゆえ、これまでにない数になっているに違いない。ご他聞に漏れず私もそのうちの一人である。

これだけの数の社内メールであれば、うっかりすると読み飛ばしたり未読削除なんて事もあるかもしれない。このブログは私自身の日記や記録という側面もあるので、とにもかくにも足掛け24年お世話になった会社への感謝も込めて、ここに再掲しておきたいと思う。(固有名詞はイニシャル表示)



お世話になりました皆様へ

明日(28日)が最終出社となりますので、失礼ながら本メールにて退職のご挨拶をさせていただきたいと存じます。

私事、1991年にNW社に中途入社以来、GW社、GSK社に至るまで営業現場から学術・研修業務へと歩いてまいりました。
中でも、2000年より学術研修トレーナー業務に携わった事が印象深く、掛け値なしに天職との出会いだったと感じている次第です。
以来、足掛け15年に渡りプロフェッショナルの研修職人を目指し「わかりやすい研修」と「行動につながる研修」に微力を注いでまいりました。
また、AD、AX、DUなどの新製品上市プロジェクトにも学術サポートとして参画させていただきました。

しかしながら今般、道半ばにしての幕切れを迎えざるを得なかった事は、率直に心残りを感じております。
これからはこれらの経験を生かし、直接患者さんへ関わりつつお役に立てる道を歩いてゆきたいと考えております。

MRの皆様は、ぜひ先生方よりさらなる信頼を勝ち取れる強いMRとあらせられんことを。
研修に携わる皆様は、これまで培ってきた良き研修文化を継承発展させられんことを。

多くの皆様に研修のみならずさまざまな業務を通して関わりを持たせていただき、
同時に私自身も大変勉強させていただきましたこと、心より御礼申し上げたいと存じます。

末筆ながら、今後の皆様のさらなるご活躍を祈念致しまして退職のご挨拶とさせていただきます。

本当にありがとうございました。  一期一会




ドタバタ就活狂騒曲 長文御免

早期退職制度による退職を決めてから2ヶ月、28日の最終出社まであとわずかとなったここいらで、これまでの就活についてまとめておこうと思う。何せ、私の人生最初の就活からこれまでの転職では何かしら周囲の人脈が前提にあっての話だったので、今回のように身近な人を介さずに身一つで始めた就活は初体験だったからである。

就活の方向性として、まずは求める職種に優先順位を付けた。その結果、当初は今の職種と同じ学術研修職で探そうと決めた。この時点で昨年から大手製薬会社などで同じような早期退職リストラ策が実施されていたのを知っていたので、市場には営業職を始めとした人材が溢れているだろうとは覚悟していた。それでももしこの仕事を継続せよとの天命なんてモノがあるとしたなら何がしかの縁が生じるだろうと思っていた。

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まずは探りを入れるために転職エージェントにでも登録しておこうかと思い立ち、そのうちの一つだったP社の担当者と初めて電話面談を交わして簡単な履歴書などを提出したのが1月中旬だった。

そうこうするうちに私の会社PCに1通のメールが届いた。それは外資系の転職エージェントからで、学術研修職の求人情報があれば欲しいと返信すると、青山のオフィスまで面談に来て欲しいとのこと。行ってみればやはり外資系、外国人エージェントと通訳が私を待っていた。そこで話が出た会社はG社だったが、そこは既にウチの会社の連中が(問題児も含めて)相当数移っていたのでお断りした。その後、履歴書や職務経歴書を作って提出したものの、それっきりナシのつぶて状態だった。

外資系エージェントといえば、その後に届いたメールがキッカケでもう1社の虎ノ門のオフィスへ面談に行った。そこでは女性のエージェントが迎えてくれたけど、なぜか彼女はウチの会社の組織図らしきものを持っていて、いろいろと訊いてきた。どうせすぐに新組織になって意味のないものになるのにと思いつつ、適当に当たり障りのない受け答えをした。後日、彼女からオーファンのAX社やGZ社に紹介するからと英文の職務経歴書の提出を求められたので、TOEIC満点の同僚に英訳させて提出した。だが、ここもそれっきりノンレスポンダーだった。しょせん情報が欲しかっただけだったのかも。

それはともかくとして、やはり外資系会社の内勤職への転職には職務キャリア以上に英語力が重要なのだろう。事実、求めるスキルの一つにビジネスレベルの英語力と記載されている会社は多い。さらに私の年齢もネックとなった可能性も高いだろう。でもね、若くて卓越したキャリアやスキルを持ち、英語力も抜群なんてスーパーマン、少なくとも私の周りにはいなかったぞ!

面談ではいい顔しながらも、コイツは売れるか(すなわちエージェントの売上げになるか)どうかドライに値踏みしていたのだろうな。そもそもホントに応募したのかどうかも怪しいといえば怪しいし、経過や結果の連絡すらないというのは仁義にもとるだろうよ。

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同時並行的に会社OBのYさんへ連絡し、Yさんが再就職した人材派遣会社APのトレーニング部門の求人を打診してもらったものの、私の年齢では正社員雇用は難しいとの回答。会社の同僚S子からも人材派遣会社QTのトレーニング部門のトップの方を紹介してもらったものの、先方が今欲しいのはがん領域のトレーナーというのでこれも合致せず。P社を通して応募していたサプリメントメーカーF社からは年齢・年収を考慮した結果、見送りという回答が届いた。

国内エージェントのSJ社からは、国内ジェネリックメーカーPP社の学術研修職を紹介された。これから営業部隊の研修に力を入れたいという意向があるとの事でさっそく応募、これが2月上旬の事だった。しかし、ここもその後のレスがない。1ヶ月も経った頃、思い余って問い合わせると、先方の都合で選考は4月からに延期されたと言うので待つ事にしたが、今日に至るまで結果どころか経過報告もないというありさま。同時期に同僚Y子からの情報で応募したジェネリック最大手のN社も年齢を理由に見送りとなっていた。

一口に国内の転職エージェントと言っても、その対応には結構な差があるのだと思い知らされると当時に、企業の学術研修職との縁はなかったのだと事ここに至って私は判断した。それでなくてもウチの会社で行われて来たFace to Face型の研修を取り入れようという企業はコスト面からも難しいはずで、運良く面接に漕ぎつけたところで、いざ確認すると単なる学術業務止まりだったという確率は高いだろうとは容易に想像出来る。ま、ここらが潮時か。

とはいえ、一方ではこれまで培ってきた知識、経験、スキルを直接の職務として発揮できる舞台はもう失われたのだという一抹の寂しさと悔しさを感じたりもした日々だった。

そして、取得から35年もの間、全くと言っていいほどその恩恵に預かる事のなかった薬剤師という資格を生かす道へと舵を切ったのである。

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さて、薬剤師の資格を生かす道となるとそれは薬局勤務を意味する。薬局勤務には処方箋による医療用医薬品の調剤をメインとする「調剤業務」と薬局用医薬品のカウンセリング販売をメインとする「OTC業務」とに大別され、その両方を担当する場合もある。

私はOTCの個人薬局を家業とする家に生まれ育ったせいで、店番の手伝いを通じて接客という事には慣れている。「いらっしゃいませ」「申し訳ございません」「ありがとうございました」「お大事に」など、若い世代が言い難いとされるフレーズも抵抗なく口に出来るし、こう見えても一枚の包装紙で商品を包む技も身に着けている。

思えば、疾病治療薬を扱っている企業にも関わらず、これまでの職種における直接のビジネスパートナーは医療関係者か社内ステークホルダーであり、エンドユーザーである患者さんへはルール上ほとんどタッチ出来なかった。果たして我々のプロモーションは患者さんのニーズを満たしていたのか、扱う薬剤の治療効果は患者さんに喜びを与えられたのか等について直接確認する事はかなわなかったのである。

もちろん、医療関係者との仕事で得られたものはたくさんあったし感謝もしている。でもここ数年、今度は患者さん(顧客)と直接向かい合ってそのお役に立ちたいという思いが強くなって来たのも事実である。ならば、その世界に思い切って飛び込んでみようか。ではどちらの業務を選択するか?

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その答えは簡単だった。それは私が医療機関を受診し、院外処方箋を貰って自宅近くの薬局で薬を受け取った時の体験によるものだ。

医師に対して自分の症状をさんざん訴えて診療を受け、わざわざ薬局に寄って薬を受け取って帰ろうかという時に、今度は薬剤師からあれこれ質疑応答を求められるのである。さっき医師に説明して来た内容が重複したりしようモンなら、何度同じ事を言わせるのかとイラッとする。その煩わしさったらない。リスク予防のためとは分かっちゃいるが、こっちはとっとと帰りたいのだ。四の五の言わずにさっさと薬を渡してくれればいいんだよ! と心の中で何度呟いた事か。

対してOTC医薬品等を自ら買い求めにやって来るお客さんはスタンスが違う。風邪であろうが腹下しであろうが、自分や家族の病気を治すための最良の薬を選びたいと思っている。そのために必要な情報が欲しい。だから相談したい。そして勧められた薬で治れば喜び、相談相手には感謝の気持ちすら生まれるかもしれない。

だから私は、都市部を行き交うフリーの買い物客ではなく、その土地に生活している人々を相手にどんな相談にも乗れて信頼して貰える存在を目指したいと思ったのである。今さら狭い調剤室の中にいて、かつてある薬局でボランティアでやらせていただいて挫折を味わった調剤を勉強し直すには年齢を重ね過ぎたし、商売人の家で生まれ育った血が顧客とのより多くのコミュニケーションを求めていた。

目指すはカウンセリング販売の「OTC業務」だ。

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企業の求人を探していた頃からの付き合いとなっていたR社のエージェントに連絡し、薬局の求人へ方向転換した旨を伝えたところ、ドラッグストア10社へ一気に打診すると言う。いくら薬剤師と言えども、正社員雇用ともなるとやはり年齢的に敬遠される場合もあるので、面接に至った会社からプライオリティを付けて考えるのが正解だろうと。

私も候補となった会社のWebsiteなどを見ながら自分の目指す方向性に合う職場環境の会社の見立てをしていた。私からエージェントに伝えた条件は2つ。勤務開始は7月からという事と勤務地は都市部は避けて住宅エリアの店舗にして欲しいという事だった。

そして面接第1号となった会社がP社だった。P社は業界トップのMK社のグループ企業で都内をメインに150店舗以上を展開しているドラッグストアチェーンで、MKを調剤&OTCおよび化粧品・食品・日用雑貨などを幅広く扱う大型スーパーマーケット的な店舗とすれば、PはOTCをメインとする雑貨店的な店構えというところか。

薬剤師のポジショニングも、MKではカウンセリング販売に留まらず、品出しやレジ打ちも薬剤師の業務に含まれる(その分給料はPよりも高めらしい)が、Pではレジ打ちはせず、会計カウンターと別に設置された相談コーナーが主戦場となるのでよりカウンセリングに集中しやすいようだ。

顧客のカウンセリングに力を入れたい私が、薬剤師と一般販売業スタッフの2ラインを店舗内で確立させているS社(ここはこの時期に通勤可能と思われる店舗の求人がなかったため断念)の次に、このP社にプライオリティを置いたのは言うまでもない。面接第1号がそのP社だったので、断る理由は何もない代わりに多少プレッシャーを感じた。

・・・・・・・

一昨日の夜、用意した履歴書、職務経歴書、薬剤師免許証のコピーを先方に渡して面接は始まった。

採用担当のYさんから面接と言うよりほとんど会社や業務の説明を受けたのは、面接想定質問に対する回答を練って来た私にとって意外だった。なので、それらの説明が一段落してから志望の動機、目指したい薬剤師業務などについて私からの質問と要望という形で語った。勤務地などの要望も伝えた。一点、給与に関して製薬企業との格差を心配する言葉もいただいたが、その点は全く気になさらぬようにと伝えた。そんなのは業態が違えば当然なのであって、ハナから了解済みである。

面談は終始和やかに進み、私も日頃鍛えたトレーナーコンピテンシーを発揮しつつ、押しつけがましくない話し方を心掛けた。Yさんは雇用形態については定年までは正社員で検討してくれるようで、職場環境もほぼ私のイメージするものだったため、最後に「ぜひ御社でお世話になりたいと思いますので、よろしくお願い致します」と結んだ。

これで内定の一つでも出れば気分も楽になるけどなぁ。まして優先順位の高い会社であればなおの事だよなぁ、などと考えながら独り家路に就いた。勝手知ったる製薬業界ではなく、ドラッグストア業界への初めてのチャレンジとあっては、いささか弱気の虫も起きようってモンである。

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面談から一夜明けた昨日、カミサンと前々から気になっていた地元のトリッパメインのイタリアンで夕食を食べていたら電話が鳴った。R社のエージェントK子さんからだった。店の外へ飛び出て受けたところ、早速P社から内定が出たと。先方は私を高く評価していただいたらしく「お考えが会社の目指す方向性としっかりマッチしているのでぜひウチで活躍して欲しい」「勤務地については7月から着任となるため現段階でははっきり出来ないが、ご要望通り通勤時間に負担を掛けない範囲で考えます」との回答だったと。採用担当者の熱い思いが伝わるには十分な言葉だった。

回答期限は今月末までなので、一応家族にも相談してから返事をすると伝えたものの、反対する声などあろうはずもない。何より熱い気持ちには熱い気持ちで応えるのが仁義ってモンである。私の中で瞬時に答えは決まった。

同じエージェントでこの後に予定されているU社の面接とGW明けに別のエージェントが設定したMK社との面接が残っているのだが、それを待っていては回答期限を過ぎてしまうのでどちらもキャンセルしようと思う。会社に限らず、最初に会って気持ちの通じた相手に感情移入し判断してしまうのは、これまでの私の流儀の一つだとも言える。

送られて来たP社の採用条件通知書を見ると、給与は年収レベルで今の半分弱だが、この業界の水準から言えば中の上である。逆に、未経験のOYAJIに対してよく頑張ってくれたと理解出来る。考えてみれば、今の会社に6月末まで在籍すると定年まで2年半となり、早期退職の割増退職金がおよそ2年分の年収相当額。とすれば、残り半年分の収入をこの2年半で稼げればツーペイだから、これは十分過ぎる待遇とも言える。事実、私と収入がわずかに逆転する事になったカミさんも全く同じ事を言っていた。

もはやお金じゃなかろう、これでいいのだ。

・・・・・・・

というワケで、これで安心して5月~6月末は有給休暇の消化で過ごし(ああ、これが毎日が日曜日ってヤツなんだな!)、7月から心機一転、およそ3000品目の取り扱い商品と格闘する日々にチャレンジする事になったのである。

これまで足掛け24年に渡ってお世話になった会社へは、こんな幕引きとなってしまったけれども心から感謝したいと思う。天職と思える学術研修業務に私を引き合わせてくれたSさん、その私を本社へ引っ張ってくれたAさんあっての今である。これからは地域の寅さん(人の世話を焼く時の寅さんは誰からも慕われる)と呼ばれるような薬局のOYAJIになりたいと思う。

最終出社日までいよいよ後5日、心の火を静かにたぎらせよう。





往く道さまざま

本日は、我々の部署トップのHさん(キャンプ幹事のHさんではない)の最終出社日。今回の組織再編で解体同然となったこの学術研修部門、気が付けば24名の管理職のうち15名が去る事になった。その先陣を切って最も早く去って行くのがHさんで、さっそく明日から次の会社へ赴くそうである。そこは社員が150名というから、今の20分の一の規模の会社となるそうだ。でも彼は英語が堪能だから、オーファン領域の外資系製薬会社でも苦にはならないだろう。

彼とは今から10数年前、名古屋勤務時代に訪れた二度目の合併時に一瞬だけ上司部下の関係になってからのつきあいだ。すぐに彼の本社異動があり、彼と私の環境や仕事に対する指向性は異なってはいたものの、私の本社異動以来10年以上同じ学術研修部門で過ごして来たから、上司と言うよりもむしろ同僚に近い存在だった。

このご時世において50代後半にもなる人間が転職できただけでもラッキーなのだろうが、敢えてこの部署を沈みゆく一隻の船に例えるとすれば、彼はその船長である。それが真っ先に去るというのもナンだかなぁ、と思わずツイートしてしまったけど。

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さて夕刻、フロアでHさんのメッセージを聞いて花束贈呈。集合写真を撮り、これで一つの歴史にピリオドが打たれたと思いきや、別の部署から駆けつけたかつての部下でもあったK子(例のグータラKではない)が私のところへやって来て、「実は私も辞めるんです」と囁くではないか!

彼女はこの部署から新たなプロジェクトのために本社内異動をし、それを見事に立ち上げマネジャーとなった優秀な人材。そんな彼女の所によそからマネジャーを持って来たから別の部署へ行けと言わんばかりの内示では、モチベーションは消滅し気力も萎えるのも無理はない。幸い、転職先も決まったようで何よりではあるけれど、ここでもまた遺恨を残しつつ優秀な人材が流出してしまった形だ。つくづくウチの会社は愚かと言わざるを得ない。

余談だが、彼女にどこの会社へ行くのかを尋ねたら、何とそこは私が同じ職種で応募していた会社だった。もっとも私の場合は、少々怪しげな外資系エージェントに委託していたので、本当に応募されたのか、あるいは応募はされたがまたも年齢がネックとなり書類選考で漏れたのかはウンともスンとも言って来ないので分からない。でも彼女だったらプロフェッショナルな研修スキルも身に付けているし、何より私より一回りも若いのだから適任に違いない。ぜひ頑張って欲しい。

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それにしても、どうやら私には現職と同じ職種では縁が生まれなかったようである。これも天啓だろうか。ま、いずれにせよここらでぼちぼち薬剤師免許そのものを活かす道へ舵を切って行こうかと思い始めている。実際に今日もその方向でエージェントを増やしてみた。

正直、今までのようにヒッチャキになって企業の中で立ち回る必要もないのかなとも思っている。収入は二の次として、今度は地域に根ざしつつエンドユーザーとゆったり関わってお役に立って行くのも悪くないかなと。

そう、あの寅さんのように「よう、おばちゃん、今日はどうした? どっか調子でも悪いのかい?」てな毎日を。





解散会の夜

さあ、いよいよ4月。お楽しみ月間の始まりだぁ~!

とはいえ、気になるのは前立腺炎だが、今週に入って少し変化が見えて来た。朝起きた時は痛みなどの症状がなく、歩いても痛まないので普通に通勤出来る。オフィスでも普通に座って仕事が出来る。ところが、ランチタイムも終わって午後の時間帯に入ると、なぜか針で刺すようなツーンとした痛み(尿道筋の過緊張)が股間に現れて来るのである!

朝から調子良かったはずがなぜここで? もしかしたら天気が下り坂になって来た気圧の変化のせいか? それとも男性更年期のホルモンバランスによる崩れが起きた? などという事まで考えてしまうのだった。しばらく横になっていれば寛解し、家で一晩眠ればまた無症状へ戻る。こりゃ一体何なんだ?  

これまでかかっていた泌尿器科クリニックの先生は超保守的。診療机にPCはなく、カルテも手書き。前立腺炎の治療もせいぜい抗菌薬と漢方薬で、効きが悪いからと筋緊張を和らげるα1ブロッカーとか過活動膀胱治療薬とかの治療提案を私からしてもスルーされて処方していただけない。症状が出続けるのであれば、この週末にでも積極的な薬物治療を行なっているクリニックへドクターショッピングしてみようかなと思っている。

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お楽しみ企画の第一弾は、昨夜開催された部署のお疲れさま会。

しかしてその実体は解散会なのだが、このご時世で直球は差し障りがあるのではと「お疲れさま会」という無難な名称にした。会場となった新宿住友ビル49Fの貸切パーティルームには我々現役メンバーに加え、他部署へ異動したメンバー、関連会社などへ転籍したメンバー、既に定年退職したメンバーなどなど50名以上が集まった。司会進行は例のグータラK。この日までに一般職への内示面談も終わっていて、それぞれが微妙な面持ちを持ち寄ったような空気に満ちていた。

そんな雰囲気の中、既に関連会社へ転籍しているIさんはリストラの心配もなく、ウチの会社では死語となった定年後再雇用まで勝ち取っているらしく、散り散りバラバラにされた我々を文字通り高みの見物をしている。いつもならカラオケで他人の入れた歌を平気で横取りしまくる人間なのに、この日はいるのかいないのか分からないくらいおとなしかったな。

直近で定年を迎えたNさんやUさん、今もウチからの業務委託が続いている会社へ定年後再就職したYさん、定年後2年くらい遊んだものの、遊ぶのも飽きたので再就職したというTさんなど、すでに退職している人たちは皆ハッピーな顔をしている。そう、ウチの会社は去って行く人がハッピーで、残されるメンバーがそれを羨ましがるというヘンな会社だったが、今回の騒動で一層その色が濃くなった。実際、定年2年半を残して去る私でさえ羨ましいと言われるのだから。

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グータラKによる司会も順調に進み、沈みゆく船から一番先に出て行く船長、いやセンター長のHさんの挨拶、過去の我々の写真のスライドショー(なぜか仕事の写真はほとんどなく、宴会や遊びの写真ばかりだった)や歓談も進み、定年を迎えた人のメッセージなどが終了し、いよいよ私の出番が来た。

出番と言っても、自作の歌を歌うだけの3分間のコーナーなのだが、この時のために自前のエレアコ、アンプ、譜面台などを持ち込んでセッティングし、それなりに気合を入れたつもりである。確か去年の12月の全国研修ツアー期間中だったか、ふと神が降りて作れた歌だった。フザケた内容どころか大真面目、ゆくゆくは我々研修トレーナーのテーマソングに出来たらという願いを込めた歌だった。それが年が明けたらこんな形で組織の終わりを迎えてしまい、せめてこの歌に一度くらいは日の目を見せてやりたいと今回自ら申し出たのである。

もうすぐ、今の会社の研修部門発足から15年に渡る歴史に幕が降ろされる。コンテンツ作成や予演会の侃侃諤諤の日々、コンビを組んで全国を飛び回った研修ツアーの日々、一流の研修職人を目指してもがき悩んだ日々が、脳裏に走馬灯のように浮かんでは流れて行った。


「 思いを届けに -研修ツアーのうた- 」

期待と不安を 胸にしまって 
長い旅へと足を踏み出す
たどり着きたい あの頂きは 
はるかに高くまだ道半ば
どれほど悩んで考え抜いても 
答えがあるとは限らないのさ
僕らの言葉は伝わるだろうか 
思いは届くだろうか

出会えた顔がふと懐かしく 
旅に疲れた心も癒えて
超えるべきは彼等の期待か 
それとも自分の壁だろうか
迷い立ち止まり背中向けても 
あいつの笑顔は裏切れないのさ
僕らの言葉は伝わるだろうか 
思いは届くだろうか

その場凌ぎの裏ワザよりも 
残していきたいものがあるのさ
僕らの言葉は伝わるだろうか 
思いは届くだろうか

思いは届くだろうか





もういい壊・・・

早期退職プログラムがスタートしてあっという間に40日が過ぎた。だが、対象となっている管理職の新組織におけるポジションの有無についての内示がいまだに行なわれていないゆえ、中には再就職への活動開始はおろか、早期退職の申請を躊躇している者もいる。申請を出してしまえば自分のポジションは確実に無くなるが、出さなければもしかしたら新組織に居場所があるかもしれない、という微かな望みが捨て切れないからである。せつない逡巡ではないか。

早期退職プログラムは40歳以上が対象となっているのだが、その年代で所帯持ちなら子供もまだ小さいだろう。50代の所帯でも自立している子供ばかりではあるまい。背負っているものが大きい者ほど悩みも大きい。なのにここまで沙汰を引き延ばしているのはまさに生殺し状態である。せめて確実にポジションが無いという者にだけでもさっさと伝えてあげれば、それだけ早く就活へ切り替えられるのだからそうするべきだというのは私もこれまで主張して来た。

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その面談の招待状が先週から同僚の管理職に届き始めた。最初は比較的若めのマネジャーたち。訊いてみれば新組織でのポジションは示されたという。大きな組織の人事というのはシャンパンタワーのようなものだと私は認識している。トップマネジメントから始まってミドルレンジへ、そして下々へと順繰りに決められる。途中で滞りがあれば、別のグラスを持って来て入れ替えて下流へと流していく、そんなイメージである。だからグラスとなる人材はそうでない人材よりも早く内示されるのは当然であろう。

そして一昨日、いよいよ私にも招待状が届き、昨日面談を済ませた。

部屋には人事部のFさんに、すでに退職を決めている我々研修部門トップのHさんが同席していた。もちろん私などは年齢的要素も含めてポジションがあるなどとは思っていなかったが、果たしてその通りだった。それを自分の仕事に関係ない人事の人間から言われるよりは、所属上長に言われる方がまだ納得もする。セレモニーとはいえ、自身も退職が決まっているHさんには辛い作業だったかもしれないが。

面談開始から、事前に用意した私なりの条件を付記した申請書を提出するまで5分足らず。中にはあれこれ抵抗する者もいるためか、面談時間は一人当たり45分用意されていたようだが私にはまったく不要。その後10分ほど雑談を交わして部屋を後にしたのだった。

新組織では研修受講者である営業部員たちとのFace to Faceの集合研修スタイルはほとんど消滅し、自己学習と所課単位で行なわれる勉強会形式がメインとなる事が確実で、研修担当部署の人数は現在の半分以下に削られ、全国研修ツアーの代わりにひたすら教材作りの日々となる事が分かっている。それなら私でなくてもいいじゃないかと既に腹を括っていたからである。

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私は自分をアーティストに例えればライブミュージシャンタイプに近いと思っている。研修というステージでパフォーマンスする事にやりがいを感じ、そのためのプロフェッショナルを目指して歩いて来たつもりだ。それがこれからはスタジオミュージシャンとしてひたすらアルバム作りに専念しろと言われても、とてもじゃないがハイそうですかとは行かない。矢沢の永ちゃんからライブを取り上げたらその輝きはどうなってしまうか想像できないのと同じである。何より長年培い積み上げてきた経験とスキルが無に近いものになってしまうという事は、自分自身の存在と価値が否定されてしまう事と同義である。

だから、世間で言う定年までの3年間はライブミュージシャンに拘っていたいと思っている。また、これまで得たものを全力投球して若いミュージシャンを育てたいとも思っている。年齢的にも次のステージがそう簡単に得られるとは思えないが、それでも求めたいと思っている。もしも天が私にその役割を与えているのなら、これまでもそうであったように何がしかの縁が見えて来るかもしれない。

行く道が決まってしまえば今までのモヤモヤもどこへやら、次のステージが決まっていないにも関わらず気分は軽くなった。なあに、縁がなければ薬局のOYAJIになって、近所のおじちゃんおばちゃん相手にあれこれ喋る日々を送ってもみるさ。

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今朝、通勤電車に揺られながらボンヤリと昨日までの日々を反芻していたら、転職エージェントの車内広告のこんな言葉が目に飛び込んで来た。

「仕事」とは。
自分以外の他人のために、何らかの価値を生み出すこと。
プロフェッショナルの生きざま。

使い古された言葉かもしれないが、今の私には不思議とじんわり染み透る言葉だった。

かくして2月25日は一つのピリオドが打たれた記念日となった。




この憤りは何だろ壊?

トップマネジャーに続いて、営業現場のマネジャーの公示が先週末にあった。ただし、誰がどこの配属になるかというのは新組織の細部がつまびらかにされていないので流動的だが、とりあえず現場に残(れ)る営業マネジャーの顔ぶれが揃った形となった。

翻って、本社組織は未だに不明の部分が多い。決まっているのは、現場同様に人員の大幅削減である。我々研修部門はコールセンターを除いても40名以上を擁する組織なのだが、最終的には半分以下に削減されるとの見方が濃厚だ。新組織編成といえば聞こえはいいが、要はリストラである。その青写真を外部コンサルタントに委ねているとなれば、業界でもトップクラスの組織となったこの研修部門が真っ先にターゲットになるのは必然だろう。

新組織で想定される人数に絞り込むためには、まずは年齢というラインで切る。特に50代のベテランはロックオンされ、半ば強制的にでも早期退職制度を勧められるだろう。続いて、若手の営業資格認定保持者。これも営業現場へコンバートしやすいだろう。

ベテランでも薬剤師免許を持っていたりすれば、年収は半減するが最後は薬局勤務という道もある。それを持たないベテランは厳しい。もともと転職が難しい年齢層である上に、昨年から大手の製薬企業が同じような早期退職制度やリストラを行なっているため、この業界は完全な買い手市場と化している。巷には同じように転職を求める業界の人間で溢れているのだ。

ましてや我々のような学術研修トレーナーは、同じように経費節減を行なっている企業ばかりの中で新規の求人などそうそうあるはずもない。プロモーションの成果向上や営業部隊のレベルアップのために研修の持つ重要性は揺るぎないとはいえ、無い袖は振れまい。何せ研修は先行投資であり数字に表れ難い、すなわち利益として目に見え難いという性格ゆえ、研修に投資するというのは、企業にそれだけの余裕があってこそ。

結果、研修効果の高いFace to Face形式の研修スタイルからデジタルコンテンツによる一方通行的な研修手段となるだろう。その方が会場費や出張費が掛からず、はるかに安上がりだから。もちろん効果などは二の次。必然的に研修部門はコンテンツ作成とWeb研修のナレーターが主業務となり、来る日も来る日もその繰り返しとなるだろう。

企業にそれだけの余裕が無くなったのだから方向転換する。それはそれで仕方がない。だが、そういう後ろ向きの方向転換や削減策は、同時に今まで積み上げてきたトレーナーのスキルやコンテンツ作成のノウハウなどの財産が途切れるか消滅してしまう事をも意味する。

ここへ来て、私がふつふつと憤りを感じるのはこれだった。

今まで必死に自身を高め、それを研修の場で発揮してきたものがあっという間に水泡に帰し、去って行く人と共にそれは二度と戻らない。そもそもそれを発揮できる場も残されない。

ならば、これまで長い時間をかけて作り上げ培ってきたのは、いったい何だったのだろうか? 業界トップランクになるための大いなる戦略の一つだったはずだ。リストラしたらハイそれまでよってか?

そして未だに新組織のメンバー配置すら示されないのはどういうつもりなのか? 遅れれば遅れるほど社員の不安は増加する。良くも悪くも早くはっきりしてあげないと動くに動けないだろう。

こういう時こそ会社の良心というものが垣間見えるものである。ああ、ここはそういう会社だったんだ。





やっぱり壊!

私は現在までに同じ業界の転職を2度経験し、3社目の会社へ。その会社がこれまで2度合併して今の会社に至った。在籍23年余り、気がつけば赤いチャンチャンコまであと3年となっていた。

それでも今の会社の今の業務は、中学時代に国語の授業で相当シゴかれた恩師の影響もあって、願わくば「教える」という仕事をしたいと思っていた希望に合致し、とてもやりがいのあるものだった。多少はその資質にも恵まれていたのかもしれないが、数十人いる研修トレーナーの中でもトップクラスという評価もいただいて来た。言いたい事も言い、やりたい事に邁進して来られたこの10年余り。このまま後3年、いや、定年後の再雇用までも見通せていたはずだった。

先日の早期退職制度の発表に続いて、昨日、営業の新組織が公示された。

大方の予想通り、営業組織はかなりスリム化され、得意の領域別営業部隊も統廃合されるようだ。もっとも、その目的があればこその早期退職制度や組織再編なのだから、スリム化は当然の結果と言える。それが同時にこの会社の現状をよく表しているとも言えるが。

新組織になると我々の学術研修部門は事実上解体されるのだが、問題はそのトップのHさんを始めとする管理職の誰一人として新組織の責任者に任命されていなかったという事実である。仮にも本社内では50名以上の大型組織なのに、である。

これは多分に新組織における社長直下の3人の本部長の意向によるものだろう。特にその中で今一番影響力のあるNさんの意向、すなわち自分の考えに異議を唱えないイエスマンおよび自分よりも経験のある年長者以外のメンバーを選択した結果だろう。事実、新組織の研修担当と思われる部署のトップはこれまで会った事も話をした事もない人物だった。おまけにその下のマネジャーは新組織の営業マネジャーに入り切れなかったメンバーのコンバートで埋められていたのだった。

これが意味するものは、これまでの研修部門の在り方の否定と今後の研修方法の変更である。という事は、私が大好きだったFace to Faceの集合型研修が今後はバーチャルな手法にとって代わるかもしれないという事である。少なくとも集合型の研修の機会は激減するだろう。今後は研修担当者のメイン業務はトレーナーからコンテンツ作成に移っていくに違いない。そうなってしまえば、それを手掛けるのは必ずしも私である必要もないという理屈になる。

私の今までの転職の理由は、その都度新しく魅力的なステージや環境が現れたからであって、決してその時の現職に大きな不満や不安があったからではない。でも今回の状況は違った。私は初めて落胆し、呆れ、憤りさえ感じたのである。前向きの変革ならばいかようにも受け入れるし、これまでもそうして来た。だがこれではあまりに個人商店的な好き嫌いが前面に出過ぎた人事ではないのか。

今朝、Hさんが私のところへ来てポツリと「相当嫌われていたのかなぁ」と呟いた言葉がすべてを語っていた。

正直、早期退職制度が発表されて以来、割り増し退職金をもらって新天地を探すか、後3年なのだからこのまま頑張ってみようかという思いが交錯していた。そもそもこの年齢で転職しても思ったような職種に出会えるかどうかもわからないし、収入はおそらく半減するだろう。だから、今後多少の不自由さが生じても、出来ればこの仕事を全うしたいとも思って来た。

人はパンによってのみ生きるにあらず。なのかもしれない。





早くも決定! 今年の漢字は「壊」

その長さがせいぜい半年ちょっとの感覚しかない2014年があっという間に過ぎ、いつものようにグダグダ過ごした正月休みも終わり、5日から仕事が始まった。

その初日。ランチタイムで同僚のグータラKが「重大発表がある」と言う。すかさず「別れたか?」と返すと、何とビンゴ! 

周囲からあれほど止めておけという声を振り切って、嫁さんの「友達の誰も式を挙げてないホテル」というだけの理由で分不相応なT国ホテルでウエディング。新婚旅行もこれまた「友達がうらやむところ」という嫁さんの意向でメキシコ・フロリダ旅行。超アクティブな嫁さんは早朝から深夜まで行動スケジュールビッシリ。一方、グータラなKはノンビリ寝ていたいのに連れ回されたモンだから、帰国した途端「アー疲れた」。この一言が嫁さんの逆鱗に触れたのがケチのつけ始め。

以来、土日はお茶にテニスにと忙しく動き回る嫁さんを尻目にグータラ過ごすKとは相容れない、とても新婚夫婦とは思えぬ生活が続き、ついに耐えられなくなった嫁さんから離婚を切り出されたという。わずか半年余り住んだだけの新築の家は、嫁さんの両親がローンごと引き取ってくれ、結婚前と同じに身軽になったKは家賃全額自己負担のため、家賃の安い埼玉県から通っている。 ・・・これが「壊」その1。でもこれはど〜でもいい。

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そして翌6日。新年恒例の社長スピーチでそれは告げられた。

管理職を対象とした早期退職制度が発表されたのである! 去年あたりから予想はされていたものの、いよいよ現実となった格好だ。同時に営業部隊を中心とした組織の大幅変更。6領域あった営業部隊を大きく再編成するという。これにより進行中の各領域の研修はすべて凍結され、我々は一転して新規担当製品メンバーの基礎知識習得のための動画教材作りに注力せざるを得ない状況となったのだった。

今月下旬の誕生日が過ぎれば還暦まであと3年となる私。当然このままその時を迎えると思っていたのに、ここへ来てこの荒波襲来。この仕事が大好きで天職とも思っていた研修トレーナー業務が、もしかしたら今後は教材配信がメインとなり、営業メンバーと直接関わるFace to Face研修は一切出来ないようなシステムになってしまうのかもしれないのである。そうなってしまえば、もはやそこに私がいる意味はない。さあど~する?

割り増し退職金(と言っても威張れる金額ではない)と共に新たなステージを探して動くか、それともこのまま心中覚悟で踏ん張るか。こういう事に割と頓着しないカミさんあたりは「やりたい方に行ったらいいじゃない」なんてのたまってるが、明確な状況が見えない中での決断は容易ではない。粛々と早期退職の受け付けだけが来週スタートする。

管理職の次は、営業部隊を含む一般社員の番である。彼らとて新組織に配属された後は、現担当製品に加え新規担当製品が相当数増えるだろう。加えて個人の評価基準も大きく変わる。現場は予想以上に混乱すると思われるが、彼らはそれぞれ何をどう選択するだろうか? ・・・これが「壊」その2。これは重大。

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見えてくるのは現状の厳しい変化ばかりである。まさかこの歳になってこうなるとは。新年早々だが、もはや今年は「壊」でしかないだろが!

せめて11日に行なわれる長男の結納だけがホッとできる一瞬なのかもしれない。否、ホッとはできない。結納の口上はこちらが用意して言わなければならないので、明日はその準備と稽古に明け暮れるだろうから。





敗北宣言

今年最後の全国研修ツアーは、最後の週に思わぬ事態が待っていた。最終週の今週は火曜の岡山会場、水曜の広島会場、そして木曜、金曜の福岡会場で千秋楽を迎える予定だった。

列島を大寒波が襲来した朝を広島で迎えた。前夜は何もなかったのに朝になったら一面の銀世界で、しっかり雪も降っている。会場へ行こうにもホテルからはタクシーが捕まらないので駅前のタクシー乗り場へ。当然そこは長蛇の列。風雪に晒されながら並ぶこと40分。ようやく会場へ移動できたが、どうやらこれがいけなかった。

研修が終わる頃から股間にツーン以上の痛みを感じ始めた。それは立っていても座っていても自覚出来るほどになった。新幹線で博多へ移動しホテルへ向かう道中もそれは悪化して来て、ガラガラを押しながらゆっくりと歩を進めるしかなかった。チェックイン直後にバスタブに浸かり温浴療法。痛みは楽になったが、バスから出ると症状は戻って来た。

翌朝、会場へは徒歩で到着したものの、今度はやたら尿意を催す。そのたびにトイレへ行くから当然尿量は少ないが、そこに血尿が認められた。排尿痛もキツい。ついに研修パートナーとの分担セッションの1つが終了したところで、泌尿器科専門営業部隊のメンバーSから紹介された天神にある泌尿器科クリニックへの受診を決め、ホテルへ戻る事になってしまった。

前立腺痛と尿道痛という自覚症状は確定的なので、触診と経腸エコーを受ける。経腸エコーは前立腺の様子を撮る超音波検査で、直腸に棒状の端子を入れて体の内側から前立腺を診る。過去には腹部側からのエコー検査を受けた事はあったが、これは初めて。また一つ研修ネタが増えたが、今はそれどころじゃない。

画像では前立腺の左側がより腫れていて、血尿を絞り出した尿検査で感染が判明した。紛れもなく細菌性の急性前立腺炎だ。前立腺への移行が良い抗菌薬をもらって終了。今後発熱の恐れもあるので明朝まで安静にという指示を受けホテルに篭った。

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あれほど辛かった痛みが抗菌薬一つでこんなにも楽になるものなのか。ベッドに寝たきり状態で過ごしているせいもあるが、痛みもあまり感じない。その代わりに下痢が来た。日頃悩まされている尿意切迫感による頻尿は鳴りを潜め、今度は便意切迫感による頻便に悩まされた。うっかりすると切迫性便失禁にもなりかねない。Drからは水分は摂るようにと言われていたのでペットボトルを買って飲んでいるが、それでもここまで直通で出るものかと思うほど次から次へと。

そして最終日、チェックアウトして前日とは別の研修会場へ。思えばここまで前々日の昼食以来一日半、ヨーグルトとワッフル以外口にしていない。どうにも食欲が湧かないのだが、当然体力も落ちているはずだ。体力のあるうちにと午前中の2セッションを担当したが、受講者にそれまでの顛末を披露しつつ千秋楽に相応しいテンションで終える事が出来た。でもそこまでだった。

股間のツーンとした痛みに排尿痛。下痢も未だ完治しておらず、体力も消耗している。やっと食べたうどんの昼食後、パートナーのI子に後を託して(帰京後に埋め合わせに食事をゴチする約束をして)、予定より早い便で帰京した。福岡空港までのタクシー、羽田空港までの飛行機、新宿までのリムジン、そして再びタクシーと乗り継ぐこと3時間半、羽田空港の混雑と都内の渋滞で時間がかかったものの、ようやく帰宅。入浴後、体重を測ったら案の定2kg以上痩せていた。どうせまたリバウンドするだろうが、これはちょっと嬉しい。

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局所的といえど持続する痛みはこんなにも人を弱くするものか。これがもし、全身を襲う痛みや麻痺に苛まれ続けるとしたら。私ならとっとと生きる気力を失ってしまう事だろう。難病で苦しむ人が生きる事を諦めない姿を目にする度に、それがいかにすごい覚悟なのか、レベルは全く違うものの今回の経験でさらにヒシヒシと感じられた。

理研のチームと小保方さん自身によるSTAP細胞の検証実験の結果報告会見があり、双方で実験期間を通じて一度もSTAP細胞が作製できなかったとの結論だった。STAP細胞発見と共に小保方リケ女がマスコミに華々しく取り上げられたのは今年の1月だったか。あれからあっという間の奈落。難病に苦しむ人への新たな希望の光はついに照らされる事はなかった。患者さん達はさぞ無念だったろう。

無い事を証明するのは有る事を証明するよりも難しいので、これを持って完全否定には至らない。至らないだろうが、それならば、ここに至るまでの論文投稿の顛末や小保方さんの成功話は何だったのだろうか。200回も成功したというコメントは何だったのか。彼女を管理していたはずの上司や支えてたはずの共同研究者は何だったのか。笹井氏にしても、STAP細胞が実在するならなぜ自殺する必要があったのか。

会見での理研側の訳の分からぬコメントや会見が終わったのに相沢顧問とやらが一人のたまった彼女を犯罪者扱いしたなどとの詫び口上は一体誰に向けたものなのか。監視カメラや立会人など、再実験のやり方を決めたのはそもそもアンタらだろが!

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いずれにせよ、本業である研修中にリタイアするという事態に至ったのは私の不徳の致すところだ。少なくともこの仕事で報酬を得ているプロの研修トレーナーとしては敗北以外の何物でもない。何よりも受講者に要らぬ心配と迷惑を掛けてしまったのだから。




Gone with the Wind

高い専門知識と類い稀なるトレーナースキルを持ち併せていたZ子。彼女が中途入社して来たのは去年の1月の事だった。それまで長く携わって来た専門分野の研究業務から、今度は研修トレーナーという業務に経験を積みたいというのが転職の動機だったという。

それ以降、定期的な研修のトレーナー業務を通じて、受講者から非常に良好な反応を得、周囲の期待通りにレベルの高いトレーナーとして、また家庭においては2児の母として精一杯歩み続けて来た。今年に入り、新規適応を取得した製品の集合研修の機会があり、まさにオンステージ状態で100名近い受講者を前に堂々の研修をやり遂げた事も記憶に新しい。

・・・・・・・

そんなZ子が退職する事になった。それも今月上旬に表明し下旬には最終出社日を迎えるという慌ただしさだった。

昨夜は遅ればせながらの送別会を開催したのだが、メンバーは敢えて彼女の所属チームや組織全体に呼び掛ける事は避け、公私に関係のあった有志限定とした。そのワケは彼女自身の退職の理由にあったからである。

実は2ヶ月ほど前、Z子と同じチームの同僚2名が突然退職した事がきっかけだった。ただでさえ幼い子供を抱えた主婦業とフルタイムの仕事との両立をギリギリのバランスでこなしてきた彼女にとって、メンバー減による業務負担の増加は、その限界を容易に超えるものとなってしまった。もはやこれ以上、幼稚園児を放ったらかして仕事と心中するワケにもいかない。退職を決断せざるを得ないのは明白だった。

退職を表明しようと思っていたのと同時期、Z子のチームにさらに過酷な現実が襲い掛かった。現場の営業部隊の退職により、急遽彼女のチームメンバーが臨時営業部員として現場に出るハメになったのである!

Z子は激怒した。激怒したのはその決定に際し、自分の上長がチームの現状を知ってか知らずか上層部の依頼に簡単にOKを出した事に対してだった。これで担当メンバーは5名から2名となってしまう。そうなれば研修業務一つ取っても大変な負担になるからである。それを上長に申し出たら、「ならば研修をやらなければいい。それにもう決まった事だから」という、とても研修部門の長とは思えぬ回答だった事が、さらにZ子の怒りを増幅させたという。

かくしてもはや何の躊躇も感じなくなったZ子は速攻で退職を申し出た。慌てた上長は必死に引き留めの言葉を投げたそうだが時すでに遅し、覆水盆に返らずだった。

残されたチームメンバーとしても、Z子を理解しつつも自分たちの負担増を思うと複雑な気持ちになった。今回の送別会がチームや組織全体に声を掛ける事を避けたのはそういう理由からだった。

そしてZ子は文字通り、風のごとく去って行ったのだった。

・・・・・・・

実は送別会の前日になって、Z子から「実は、明日オペが決まったのでお酒をあまり飲めなくなりました」というショッキングなメールが届いていた。改めて会の席で事情を訊いたところ、先月の定期検診で乳がんの疑いが出、精密検査の結果、急遽オペが決定したとの事。本来なら、のんびり送別会なんてやってる場合じゃないけど、彼女は至って元気に立ちまわっていた。

稀有な資質を持った研修トレーナーとして、研修部門の同僚として、Z子がいなくなったのは返す返すも残念である。だがそれ以上に、彼女を襲った疾病とその転帰が気掛かりなのは言うまでもない。幼い2人の子供達のためにも、あの明るく押しの強い関西弁を聞ける日が一日も早く戻って来て欲しいと願うばかりである。

もちろん、その日がすぐにやって来るのを信じて疑わない。

次回の飲み会は彼女のホームグラウンドでちゃんこ鍋大会をするって約束したのだから。

Good Luck, Zeniko!





またひとり・・・

話は10年ほど前に遡る。

当時、営業現場のマネジャーをしていたTは、年の瀬も押し迫っていたある日、今年も忙しさに追われて人間ドックには行けそうもないなと思っていたという。ところが、その支店の女性事務員からどうしても今年は受けてくださいとしつこく言われ、仕方がないので予約を取ったら何とクリスマスの夜だけが空いていた。

そのドックで撮った胸部レントゲン写真の肋骨の隙間にそれがいた。肺がんの影だった。あと少しズレていたら肋骨の影で見つからなかったらしい。奇しくもあの吉田拓郎に肺がんが見つかった時期と一緒だった。しかも拓郎よりも小さなものだったのでまだラッキーなのかなとも言っていた。

直ちに摘出手術を受け、大好きだったタバコも止めた。そこから数年間に再発を来たしながらも、闘病生活と共に本社の内勤業務に勤しんだ日々があった。このところ顔を見ないなと思っていたら、先週突然訃報が流れたのだった。私自身が最後にTの顔を見たのは1ヶ月前だった。転移による急変だったそうな。

Tとは合併前の会社からの同僚で学年は一つ違い、かれこれ20年余りの付き合いだった。仕事上の付き合いとはいえ同世代の友人が亡くなるというのは、特に50代も後半に差し掛かった今、とても他人事とは思えない。それでなくても学生時代の同級生達をもう何人見送って来ただろうか。Tの二人の息子はすでに社会人となっていたのが不幸中のせめてもの幸いだった。合掌


通夜の夜には不釣り合いなほど 空一面の銀の星
黒い喪服の弔問客が 今日だけは明るい路地を抜けて

出逢える人の数よりもなお 別れる人の数が増えて来た
いつかは来ると今日という日が いつかは来ると知っていた

谷村新司『玄冬記』


・・・・・・・

恒例の休日研修の福岡出張から帰宅したら、保険組合の社内報が届いていた。

そこにはかねてから寄稿していた私の去年の闘病記が掲載されていた。改めて読むと、あの時の悪夢の日々が蘇る。これからの自分は、こんな風に何があっても病気と闘ってひたすら生を選ぶべきなのか? それとも死は必ず訪れるものと諦観し、楽しめる生のみを選ぶべきなのか?

決して遠い先の事ではないだけに 思い悩むものの、来る日来る日に生きる事をこなしているだけの自分がいたりする。





Philosophy

いよいよ6月度研修ツアーのコンテンツ作成も終盤を迎え、予演会を通じて仕上げの段階に突入している。

実は、研修に使用する資材は社内審査を通過させなければならないというルールがある。その審査は大きく3つの部署があり、データなどがエビデンスに基づいて使用されているかをチェックする部署、コンプライアンスに則った表現が用いられているかをチェックする部署、そして総合的に専門家がチェックする部署である。要は、これら全ての段階でOKが出ないと、手塩にかけたスライドやテキストも作り直しとなってしまうのだ。

ところが最近、これらの部署の承認基準が俄かに変化している。去年までOKだった部分が今年はNGなんてのは茶飯事、極端な事を言えば、先月OKだったはずが今月はNGだなんて事も珍しくない。

これでは作成側としてはたまったモンじゃなく、タイムスケジュールが大幅にdelayしてしまうのだ。これを我々は「チャブ台返し」と呼んでいて、極めてやっかいであり、ある意味恐怖すら覚えている。今回もNGが出たためにVTRを丸々撮り直したほどだった。

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さて、その審査もどうやらこうやら通過し、いよいよトレーナー間での予演会に漕ぎ着けた。ところがここでも議論百出。

社内研修とは、会社の定めたプロモーションを成功させるために、営業部隊に必要な「知識とスキル」を提供し、それを現場で行動に移す「モチベーション」を付与するための場と心得ている。私が拘るのは、当然の事ながらその視点に立ったコンテンツかどうかという点である。

研修コンテンツ(主にパワポスライド)は原則として当該製品の担当者が、マーケ部門などのプロモーションプランを受けて作成する。だから作成者がそのコンテンツの一番の当事者であるはずだ。コンテンツの完成までには、企画原案の段階で検討する会議、たたき台のスライドベースから検討する会議、そして実際に予行する予演会と進んで行く。

担当製品のコンテンツ作成に直接関わらないトレーナーなどは、そういう段階になって全貌を目にする場合が多い。不思議なのはそれまで散々検討して来たはずなのに、新たに気になる点などが見えて来るという事。だからと言って、いい加減なコンテンツのままでハイ終わりというワケにはいかない。

そんな時、私はまず作成者へその理由を訊く。当事者意識を持って作成しているのならその意図(philosophy)をすぐに説明できるはずだ。意図が明確に伝わって来ない場合や安易に作ったなと判断された場合は遠慮なく異議を唱え、場合によっては作成者を問い詰めながら代替案を導き出す事もある。

いっそ、こちらが引き取って考えた方が時間のムダにならないという意見もあるかもしれないが、それでは作成者に当事者意識を放棄させる事になり、いつまで経っても本人に実力が付かない。時間は掛かるかもしれないが、これもOJTの一環だと考えている。

受講者が「知る歓び」を満足させるためには、まず「解りやすさ」があっての話。だから研修コンテンツは、伝えたい意図を伝える側である作成者の視点で検討し、同時に伝えられる側である受講者の視点でそれを捉える必要がある。

送り手の意思が受け手に理解されてこそ目的は達成される。送り手とは言うまでもなく作成者も含めたトレーナー全員である。だからこそ、ここに妥協をしたくないのだ。

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研修の中には、受講者にテーマを与えて考えさせ、グループ討議などでまとめてもらうという「演習セッション」がある。そんな時は、同じテーマの参考例などを予めこちらで用意しておいて、演習の最後に受講者へ提示し持ち帰ってもらう場合がある。

ここでも私は拘る。持ち帰ってもらう、即ちそれは「お土産」であり、そこには現場活動のヒントとなるクオリティが要求される。それが演習で簡単に導き出される程度のものや通り一遍のものだったら誰が喜ぶだろうか?

仮にもお土産として作成したからには、「視点の意外性(アイデア)」と「現場で使える感(リアリティ)」に満ちていなければならない。だから大いに考えて作成しなくてはならないが、これがかなり難しい。

私はよくメンバーに「死ぬほど考えろ」と暴言を吐く。昼となく夜となく必死に考えているとある時、ふと閃く瞬間がある。それを私は「神が降りた」と表現するが、その経験が次の機会に生きて来る。その蓄積が実力となる。

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こんな事をここで書いてみたところで、ウチのメンバーがこれを読む事はまずないだろう。

時々、敢えて嫌われてまでもトレーナーを育成するなんて事が辛くなって来るし、そもそもトレーナーはそれぞれがindependentな存在なのだから、自ら気付き、自らレベルアップして行くべき職種だろうと思っている。

けれども、研修の向こうには受講者がいる。そのためにだけ今日も鬼になってるバカがいる。自嘲





研修は続くよどこまでも

営業部隊のメンバーは、各製品のプロモーションを成功させるために知識やスキルをさまざまな機会に習得し、現場で実践している。

その中には、我々のメイン業務である全国研修ツアーや営業スキルアセスメントなどもあるが、もうひとつ、リアリティと緊張感を追求するために、何と実際のプロモーション相手を招聘し、そこでロールプレーを行なって、その相手からフィードバック&アセスメント受けるという研修がある。名付けて「プラクティカル・ロールプレー・トレーニング」、まさに実戦さながらの企画である。

去年までは特定の製品のみを対象として、全国からプロモーション相手を東京に招聘するという形式を取っていたが、今年からは全国の支店所在地単位で数回ずつ開催する事になった。その第一番目の開催地が札幌というわけだ。

だが、この時期の札幌はまだまだ春とは言えない気候。前日も雪が降ったらしい。だから、とうに片づけたはずのコートを持ちつつ、すでに暖かくなった東京から寒冷の地へと赴かなければならないのだった。これは研修であるゆえ、我々の主管業務でもあり、かつ両者への説明係とオブザーブ・アセッサーという役割なのだからそれも仕方がない。とはいえ土日を潰しての業務は、この歳になっては身体的負荷が大きいのも事実である。

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今回招聘した方は7名、アセスメントを受けた営業部隊のメンバーは述べ14名。それぞれ10分~15分のロールプレーの後、相手から口頭でフィードバックを受け、さらにアセスメントシートに評価が記入される。我々を含む社内オブザーバーも同席し、シートに評価を記入する。

当日は思ったよりも順調に進み、中には二日酔いで来た方もいたが、招聘された全員から積極的なフィードバックをいただき、参加した営業部隊のメンバーは予想以上に大きな収穫が得られただろう。また、招聘された方の中で、ご自分の専門外の製品情報などをじっくりと聴ける貴重な機会と捉えていたという意見も聞かれた。総じてお互いがWin-Winの企画で、成功だったと言えよう。

ところで、件の二日酔いで参加された方の席でオブザーブしていたら、突然、受講者に代わって応対の指名を受けるというハプニングが生じた。場面は、受講者の提案に対してあまり良いリアクションをしなかった直後だった。

「じゃ今度はこちらの人に聞こう。あなたならこの後、どう対応する?」

突然のご指名はもちろん想定外だった。研修が始まって何回目かのロールプレーだったから慣れも生じていただろう。おまけに二日酔いも一段落したのか、口調は滑らかそのもの。でも私は受講者ではないから、あまり深入りする事も出来ない。

ならば、どうせこれっきりの一期一会とばかりに、受講者とは真逆のキャラを演じてみた。まるで掛け合い漫才のように少々ズケズケ気味に対話を進め、最後にお互いが笑い合ったところでちょうどタイムアップ。

これが事のほか好印象だったらしく、その後のオブザーバー達に私に対するおホメの言葉を語っていたそうだ。ま、私はそういうキャラの相手はキライじゃないけど、たまたま今回のアドリブがうまくハマったに過ぎないと心得ている。

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こんな具合に、ちっとも休みにならなかった土日が明け、今週は新規領域製品の2日間に及ぶ集中研修が行なわれた。こちらの研修も述べ700名超にの受講者に対して6回予定されている研修の第1回目となる。私は会場のサポート係兼受講者として参加した。

トレーナーのZ子は、今話題の小保方氏も真っ青のがん領域の研究所出身のクレバーな女性で、時折十分なインターバルを取りつつ分かりやすい言葉で滑舌良く語るわ、受講者からの矢継ぎ早やの質疑への対応もバッチリこなすわの優秀なトレーナー・コンピテンシーを発揮していた。研修トレーナーとしての彼女は初めて目にしたが、久しぶりに頼もしいトレーナーの登場だった。

この後5回の研修でも、彼女のトレーナーぶりが楽しみになって来たな。





一対多の大一番

12日の手術のための術前検査も終わり、予定通り11日入院、14日退院というスケジュールが固まった。後は俎板の上の鯉ならぬ手術台の上のOYAJI状態で、いよいよ全身麻酔手術初体験のカウントダウンが始まったというワケである。

手術と言っても、単なる内視鏡による経尿道的膀胱腫瘍除去術なので、術式に伴なうリスクはほとんどない。あるとすれば全身麻酔からの目覚め(リバース)がかからずそのままという事態だが、これも考えようである。仮に膀胱腫瘍の悪性度が高く、すでに転移を起こしていて余命数ヶ月という状態なら、そのまま逝ってしまう方が楽ってなモンである。どうせ人間、どこかで一度は死ぬんだから。

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そんな中、ベテラン営業部隊の定期研修が実施された昨日は、奇しくも昭和88年8月8日だった。

この部隊のメンバーは、自他社で定年退職した営業マンと子育てがひと段落したあたりの女性営業マンが9:1の割合で組織された混合部隊で、いずれも会社との個別契約を結んでいる個人事業主という立場にある。その名もヴィンテージと名付けられたその営業部隊メンバーがほぼ3ヶ月に一度、全国から60名超集結して自身の認定証更新も兼ねた研修を受講するのである。

彼ら彼女らがなぜヴィンテージと呼ばれるかと言えば、主力販売製品の国内発売は1969年、なんとアポロ11号の月面着陸の年なのだ! 以来、45年経過した今でも年間100億円を売り上げている超ロングライフ製品、すなわちヴィンテージ製品という事である。もちろん男性メンバーが還暦越えのヴィンテージという意味も含まれている。

いざ研修となると、このメンバー達は皆、豊富な知識と経験を持ったベテランばかりで、ヘタな若い営業メンバー達よりも遥かに熱心に、アグレッシブに研修を受講する。彼らの琴線に触れるや否や、たちまち質問の嵐にもなる。とてもとても年寄り扱いなんて出来ない。

こういう人達に対し、プロモーションに関わる営業トークを一方的にこちらから提示しても、ハイわかりましたと実行してくれる確率は低い。実行するからにはキチンと納得したものをというプライドをしっかり持っているからである。彼らのヒストリーからすれば当然の事だろう。

そこで今回は、前に立った私と60数名のメンバーとがマイクをリレーしつつ順番にやり取りを行ないながらトークを作り上げていくという研修スタイルをとる事にした。これならメンバーが納得の上、現場で実行に移せるトークとなるからである。

言うのは簡単だが、彼らの考え方や意見をこちらが想定しているストーリーにファシリテートするのは簡単ではない。一人ひとりから発せられる言葉と想定したトークフレーズをシンクロさせながら、時には質問や反論に対処しつつゴールへ導く必要がある。うっかり道を外そうモンなら反論の嵐も起きかねない。

特に一家言持った大人を相手に研修を行なう際は「アダルトラーニング」という考え方を意識する必要がある。子供の教育とは異なり、大人の学びというのはさまざまなメンタリティが存在するからである。

だがこれが成功すれば、もともと強力なポテンシャルを持っているメンバーのパワーがプロモーションに最大限に発揮される事となる。というワケで、私も相当腹をくくった上でこの研修を企画し臨んだのだった。

導入部分は慎重に言葉を選びながら受講者へ投げかける。受講者から返される言葉をキッチリと受け止めつつ、ストーリーラインを外れないよう適宜修正を加える。時々前回までの研修内容の復習となる質問を投げかけてみたり、トンチンカンな回答にはギャグに変えて和らげる。提案は十分に熱意を込めて訴求する。

予め大筋のやり取りシナリオを決めてはあったものの、実際に始まってみるとほとんどアドリブのやり取りだった。それでも地声の大きさからか、はたまた必死の迫力のせいからか、ほとんどスベる事もなく順調にストーリーがなぞられて行った。

前半の丁寧な進行が祟って時間が押し、後半が若干駆け足になってしまったのは残念だったが、受講者の理解度と満足度は概ね及第点が得られたと感じた。評価で最も困難な、研修に対する受講者の期待上回り度までは自信を持てないけれど。

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本日はフロア引っ越し後、夏の節電のための今年初めてのフロア閉鎖の日だった。知り合いも多く、比較的空いているフロアを探したら、偶然にもそれまでいたフロアだった。

今日は梅雨明け以降何度目かの猛暑日。フロアも決して涼しくはないけれど、昼食に外へ出たら猛烈な熱気で誇張ナシに死にそうになった。こりゃ早々に切り上げて撤収した方が良さそうだわ。





ツアーやプロジェクトやメンテナンス

気がつけばもう6月も終わり、一年の半分が過ぎる事になる。おまけに今月の全国研修ツアーのためのコンテンツ作成や予演会などで5月下旬あたりからバタバタしつつ、身体の不具合の治療を継続しつつで、ブログの更新も1ヶ月以上放ったらかしとなっていた。

過去を遡ってとなると、またも記録主体のエントリとなるけど、ま、それは仕方ないわな。

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今月の全国研修ツアーの担当は14会場だった。その合間の日をやり繰りしながら、人間ドック&フォロー検診のP診療所、胸部粉瘤治療のK病院、そして前立腺炎治療のKクリニックへ。まったく、身体の上から下までトラブルのオンパレードだわ。

まずはいい話から。禁酒2ヶ月経過時点で肝機能値は半減した。と言ってもまだ4ケタ(爆) まあ、この調子なら来月のドックで3ケタ突入もあり得るな。もっとも正常値は2ケタ以内なんだけどね。今は復活の一杯をたしなめる日が来るのを楽しみにしている。

続いて胸部粉瘤。抗生剤などで腫れも引いたので、いよいよ除去手術の日が告げられた。私としてはさっさと済ませたいところだが、そこは総合病院のサガ、空いているのは1ヶ月後だと。来月中旬を予約した。言うまでもなく注射も手術も大嫌いな私だけど、ま、これで鬱陶しい粉瘤とおさらばと思えば気持ちも軽くなるというモンだ。

あんまり良くない話。前立腺炎治療のためにCを飲み始めて2ヶ月になろうとしているが、例のツーンとした痛みの頻度はさほど変わらない。研修ツアーでそんな話をすると、前立腺炎で同じ薬を飲んでいるご同輩がチラホラいたのが意外でもあり嬉しかったり。中には数年に一度、激痛と共に高熱を発するという人もいて、それに比べりゃ私などはまだマシかと安心したり。

先日の受診時に、痛みの頻度が変わらないので、前立腺肥大症ではないけれど症状寛解のためのα1ブロッカーの併用をDrへ提案してFの併用を始めてみた。これが意外にも奏功したのか、痛みの頻度が減少している感じである。もしかして、オレって名医?

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今回の研修ツアーは、コンテンツによっては受講者にマイナスのモチベーションを与えかねないものや、途中でネガティブな外的要因が発生したりとかなり気を遣わなくてはならなかったため、いつもにも増して長く感じたり精神的な疲労度が高くなったりした。

そんな研修ツアーも何とか無事に終わり、昨日は半年に一度の部署会議。ここで兼ねてより私も参画していた「トレーナーズコンピテンシー プロジェクト(別名TPP : Trainers on the Pole Position)」の発表および検討会が行なわれた。

コンピテンシーとは「発揮すべき能力」と解釈され、我々研修トレーナーのレベルアップにどういうコンピテンシーが必要で、それをどう習得、発揮するかを整理し実践しようというプロジェクトである。実は過去にも数回、検討され作成されてはいたものの、それらが実践されるまでには及ばず、机の引き出しの肥やしと化していた。

今回ばかりは肥やしにはさせまいと、出来るだけシンプルで実践しやすいたたき台を作成し、この会議の場で全トレーナーでディスカッションを通して仕上げるという手法を選択、実施した。

ディスカッションの進行役をしていて気づいたが、コンピテンシーはうっかりするとToDoリストと紙一重で混同されやすく、その習得・発揮のためのノウハウはうっかりするとマニュアルと紙一重で混同されやすいという面が浮かび上がって来た。このままでは単なるマニュアル集にもなりかねない。というワケで、グループ毎に出された改定部分を踏まえ、再度コンピテンシー集としてまとめ直す作業が不可避となったのだった。

マニュアル集とは一線を画するとなればその難易度はかなり上がるので、一筋縄では完成しない。うまく完成すれば書籍化も可能だろうし、値付けして売れるシロモノにもなるだろう。

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一昨日は愛車の初めての車検。いつもなら中学時代からの友人Yのところに出すのだが、今回は発進時にリア付近に違和感を感じる事があったので、メンテナンス保証期間終了間近という事もあって敢えてディーラーに出した。

先日、ランチタイムとしては初めて行ったいつもの御苑イタリアンのシェフSさん達の話から、今までメンテナンスやリコールで気軽に出していた私の家からも近い整備工場は、実はあまり評判が宜しくないという事が判明し、ディーラーには別の整備工場にしてもらった。同じメーカーの整備工場でもそんな事があるんだなと。

その修理工場から昨日電話連絡があり、違和感の原因はマフラー関連の部品の緩みによる干渉と判明。別途修理代は発生せず、基本工賃のみだと。それでも約8万円也! ちなみに現在までの走行距離が2万5千km超だったのでブレーキパッド交換の必要性を訊いたが、フロント1万7千km、リア2万6千kmの猶予があるから不要との事。パッドの寿命も伸びたもんだなと。

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さて、来月あたりから本社の営業関連部門が固定デスクを廃止してフリーアドレスになるという。我々の部署もそれに該当する。

フリーアドレスになればお互いのコミュニケーションが促進されるというお題目はあくまでタテマエ。増員により固定デスクを配置するスペースに限界が来たが、さりとて本社移転の余裕はないので、フリーアドレスにすれば8割方のデスクで済むというのがホンネと見た。

そうでなくとも、少なくとも我々の部署のコミュニケーションは良好であるからそんな必要はない。それどころか、我々はじっくり腰を落ち着けてコンテンツを作成したり、現場からの電話やメールによる問い合わせ対応をしているため、手元にそれ相応の種類と量の資料や書籍を必要とする。フリーアドレスになるとせいぜいPCとわずかな資料しか持ち運べず、満足な仕事が出来なくなる可能性が大なのである。

フリーアドレスを決定した動機もさることながら、決定したトップもこんな現状を知らないのだろう。自由で働きやすい環境をアピールしている裏ではこんな不自由がまかり通ろうとしているのはある意味滑稽でさえある。コミュニケーション促進どころか、フリーアドレスを逆手に取って本社内行方不明者が続出する事も考えられる。

かくいう私もじっくり腰を据えて取り組みたい仕事の時は、どこか図書館のように静かなフロアに雲隠れかますかもしれない。





スキルとアルコールのアセスメント

4月に入り、さっそく営業スキルアセスメントのために1日の夕刻便で福岡に飛んだ。

この営業スキルアセスだが、従来までは我々のような非レギュラーメンバーは製品説明会のプレゼンスキルのアセスのみを担当して来た。もうひとつの面談スキルのアセスは相手役をこなしながらアセスを行なうという、やや複雑なワザが要求されるため、これまでは専任メンバーの担当だったのである。

その面談スキルのアセスメントを少なくとも今年中に20数名の非レギュラーメンバー全員が出来るようになるという目標が部署内で掲げられ、その中でもこういったスキルに造詣が深いと認識されていた(らしい)私にまずはお鉢が回って来たのだった。

3日間のうち、初日はまず相手役のみを私が行ない、仕切りやフィードバック、アセスは専任メンバーが行なった。2日目は相手役をしながら同時にアセスやフィードバック、仕切りまで行なう。正式なアセスは専任メンバーが行なうものの、わずか2日間で面談アセス業務のほとんどをやらされるハメになった。

これを促成栽培と言わずして何と言おう。当然、頭に「無茶な」も付くだろう。

残念ながら最終日は、マンパワーの事情から従来の説明会プレゼンアセス業務に戻ったが、ここまでの率直な感想を言えば、終盤までずっと黙ったままのプレゼンアセスよりも受講者とのやり取りをしながら行なう面談スキルアセスの方が面白い。少なくとも退屈はしなかった。

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さて、さすがに私でもビビった肝機能検査値を突き付けられ、次回の検診日まではびた一滴の酒も飲まないと決めて1週間以上が経過した。来週の火曜日がその日なのでもうしばらくの辛抱には違いない。違いないのだが、ここまで何回かの酒席(福岡出張では毎晩)をウーロン茶だけで凌いで来て実感した事があったので、アルコールについてもアセスメントしておく。

1.飲んでも飲まなくても話の質、量ともにあんまり変わらない。

まあ、これは私自身のキャラに寄る部分が大きいとは思うが、酔っ払わなければ弁舌が滑らかにはならないというのはウソだった。話の質も決して酔っ払ったから下がったワケじゃなかった。

2.飲み会の記憶が最後まで残っている。

これまでは飲み会の後半の記憶はほとんど消滅していた。だがそれは決して認知症が発症したのでもアルツハイマーが勃発したのでもなかった。単に酒の飲み過ぎだったのである。

3.飲み会のウーロン茶、いくら飲んでも安心プライス。

安いところでは@200円以下。この圧倒的なCPなら安心してガブ飲みできる。今までのお勘定は如何に酒代が大きかったかが良くわかる。確かにお勘定の半分は酒代だったんだよな。これなら高級なお店でも怖くないわ。

4.シメラーメンの必要がなくなった。

アルコールには食欲増進作用がある。ただでさえ酒はハイカロリーなのに、それをしこたま飲むから 、しっかり料理を食べた後でもラーメンが食べたくなるのは必然だった。最近はどこにも寄らずにまっすぐお帰り。

5.翌朝のお目覚めスッキリ、朝食が美味い。

出張などでホテルに朝食付きで泊っても、前夜の酒と食事の影響で朝食が食べられずに出向く事が多かった。二日酔いやアルコール臭さとは無縁の生活は自然と朝食が食べられるようなるモンなんだなぁ。

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禁酒してもうひとつ分かった事。酒はタバコと違って、飲まなくても精神的な苦痛がほとんど起きない。ま、これは取りも直さず私がアルコール依存症ではなかった証左だが、これを続けろと言われればたぶん出来ると思うが、目指すはオール・オア・ナッシングではない。

ニヤリと笑ってこう言うのである。「お酒? たしなむ程度です」





仕事の質の違い

営業現場のヘッドとして長年リーダーシップを発揮して来たTKさんが、ウチの部のヘッドとして赴任したのが去年の10月だったか。昔から大の酒好きだったというTKさん、私あたりとは一番多く酒席を共にし、その馴染みやすいキャラも奏功して今やすっかり溶け込んでいる。

もともとウチのH部長殿がセンター長へと昇進したため(するため)に敢えて下に2つの部を新設したのがキッカケで、今年還暦を迎えるTKさんが我々の研修領域の部長として異動して来たというワケだ。

これまで再三言っている事だが、我々トレーナーは職人の集団であり、営業組織のようなピラミッド型の組織は必要ない。ましてや、既に各研修領域のトレーナーチームには若きマネジャー達がいるからそれで十分だ。事実、間に人が入れば入るほど指示命令系統や連絡依頼事項、さらには意思疎通がやり難くなるのである。

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心配した通り、その弊害というべきものが最近見え始めて来た。

旧組織の時代からH部長殿とマネジャーによる月イチ会議があったが、それに加えてTKさんとその配下のマネジャーによる部会議が追加された。1つの部署で会議を2つも持つのは明らかに非効率的で、さほど変わらぬその内容をいちいち別個にフィードバックされるこちらにしても鬱陶しい限りである。

さらに、今年最初の全国研修ツアーとなる3月度研修初日から3領域の研修会場にTKさんは積極的に顔を出している。それ自体は結構な事なのだが、問題はせっかく旅費を掛けて来たというのに、メッセージひとつ言うわけでもなくオブザーブに徹しているのである。おいおい、あなたの時給は一体いくらなのよ? ただいるだけじゃもったいないでしょ。

さらに東京に単身赴任で関西に家があるTKさん、スキあらば帰宅を兼ねて週末は西の会場主体に行くというのも何ともセコい。逆に週明けに西の会場があろうモンなら間違いなくそこへ行くという感じである。

で、そこで見聞きした印象や意見を我々トレーナー宛てにメールで送って来るのだが、これがまた教科書に書いてあるような分かりきった内容だったり、こうすれば受講者アンケートの評価が上がります的な本末転倒と言うべき内容だったりするのである。

おまけにそれらのメールには必ず上司のセンター長へCCされているから、こりゃ一体何のアピールなんだ? と勘繰りたくもなるじゃないの。あながちハズレではないと思うけど。

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ある時、こんな事があった。

TKさんも参加した、とある研修終了後の食事を兼ねた飲み会でのこと。いつものようにハイペースで盃が空いて行ったその時、ふいにTKさんが言った。

「営業現場からこっちへ来てから、現場の仕事に比べると本社はずいぶん緩い職場だと感じている。例えば、朝の10時近くに出社して夜の6時には帰って行くヤツなどはロクに仕事をしていないんじゃないかと。オレはそんなのは評価しない」

営業現場と本社では仕事の質そのものが異なっているし、同じ本社でも部署によって仕事のタイムテーブルが異なっているのは他の会社でも同じだろう。まして我々研修部門は研修前後とそのインターバルにあたる期間とでは大きく仕事の様相が変わって来るのである。

また、人によって仕事のスピードも異なるし、直接の相手となる各領域のマーケ部門との進捗度合いも異なるので、早く仕上がる人間もいれば、ことさら時間がかかる人もいる。それを一律に出退社時間で測ろうというのは極めて乱暴な話である。

かくいう私は、朝のラッシュで人あたりした事もあって、出来るだけ時差通勤を心掛けている(もちろん会社はフレックスタイム制なので問題ない)し、一度スイッチが入れば仕事を仕上げるのは人一倍早い方である。だから就業時間が過ぎればムダに残る事もしない。逆に研修直前期ともなれば準備作業も加速して日付変更線を超える事もあったし、毎度のように予演会でカンカンガクガク、個人作業のためには休日出勤も辞さないでいる。

要はメリハリが重要なのだ。職種が変われば仕事の質もやり方も変わって来るのは当然の事だろう。

それを指摘すると、「なら、早く仕上がるヤツにはオレが別の仕事を与える」などとムチャクチャを言い出す始末。挙句に、「自分の研修領域の全ての製品に関するあらゆる問い合わせには全員回答出来ないといけない」とまで言い出した。

一つの製品について、あらゆる問い合わせに回答できるためには、その製品情報や関連疾患から始まって、関連文献や資材、競合品情報に至るまでの全てを把握していなければならないのである。それが難解な事ゆえ、各製品にはそれぞれメイン担当者を置いているのである。オールマイティーは理想ではあるが、軽々に口に出せるほどやさしい事ではないのである。

普段から口数が少なく、同僚からはダンディと呼ばれているHがすかさず口を開いた。「そんな事、簡単に言いますけど、それなら自分はやれるんですか?」珍しくキレ気味の口調だった。彼がそこまで言及するのは、かつて全国の支店数名ずつ在籍していた学術研修部員が組織の合理化の名の下に解散させられ、本社に縮小集結させられた苦い過去による。

その際、優秀な学術研修部員が大勢退職を余儀なくされたのを目の当たりにしたHや私などは、製品が増え続ける一方でオールマイティーであれなどと言われると、それならばなぜ一方的に学術研修組織を合理化したのだと反発したくなる。

残った学術研修部員は、本社で問い合わせ対応部門と研修部門とに分かれた。だが、途中で数名の人員がこちらへ異動して来て、研修部門でも問い合わせ対応業務の一部を扱うようになったのだが、今ではその人員のほとんどがいなくなり、対応業務だけが残った。これには何かハメられたような気がしたものだった。

そのあたりの経験のないTKさんあたりが当然のような口振りで言うからHは余計にカチンと来たのだろう。その考え方は、各支店に学術研修部を配置していた頃ならいざ知らず、それを放棄した今の組織では正に先祖返りそのものだと言う。確かに今の布陣と製品数から見ても無理ある話ではある。

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その後もTKさんと酒を酌み交わす機会はあったが、それに関する話は彼の口から二度と出て来なかった。いつも酒席での議論などは覚えていないと言う彼でも、さすがにあの夜の事は頭の片隅に残っているに違いない。いささか極論を言い過ぎたと認識しているのかもしれないが、私はTKさんの素のキャラ自体は好きである。

営業部隊をリードされて来た長い経験から、研修の場でこういう言い方、やり方ならば彼らがよりモチベートされたり、明日から行動に移したいと思うようになるんだというようなアドバイスが貰えたら助かります、とメールには返信した。

(追記)
上記の件について、TKさんより丁寧な返信をいただいた。こういうやりとりならもとより大歓迎! 今回の研修ツアーが終わったら、またじっくりと語り合いたいと思う。





気温差30℃!

今月5日から今年初の全国研修ツアーが始まった。いつものように準備期間は極めてタイトで、前日まで予演会でカンカンガクガクの調整が続けられたのだった。

今回の私の担当会場だが、第1週は両国を皮切りに水道橋、立川、上野とたまたま全て都内の会場だったので研修ツアーという感じがしない。宿泊の必要がないとはいえ、プレゼンに使うPCと演習に使うiPadにそれぞれの周辺機器などを詰めた、本来なら1泊用の大きなショルダーバッグを抱えて通勤ラッシュ時間の都内を毎朝移動するのは、それはそれで地方出張の前泊移動よりもしんどい部分がある。

ともあれ、今回は数ある担当製品のうち3製品に絞り込んで実施するので、受講者にとっても研修に集中しやすいプログラムだろうと思う。

その研修ツアーも2週目に入った今週、いよいよ地方出張がやって来た。日曜移動で向かったのは札幌。実はこの日、東京では観測史上最短となる夏日が記録され少なくとも日中は半袖のTシャツで十分過ごせるバカ陽気だった。一方の札幌は前日から暴風雪が吹き荒れるわ、月曜日の最高気温は-4℃だわと、まるで赤道を挟んだ真逆の国のような世界と来たモンだ~! 

しょうがないから、もう使わないだろうと思っていたダウンコートを引っ張り出してキャリーバッグに括り付けた。さすがに夏日にこれを着て都内を歩く勇気は無いモンね。

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目指す新千歳空港は積雪に対する対策は十分だろうが、強風に対しては如何ともし難く、最悪羽田に引き返す事態にもなりかねない。事実、秋田便や庄内便などではそんなアナウンスがラウンジ内にも流れていた。その頃、私よりも早い便で札幌入りした同僚KWのFBに、札幌までのJRに遅れが生じているとのつぶやきが!

う~ん、こりゃあ夜に向かって暴風雪が収まるだろうと読んだ私の判断ミスかもしれない。だが、こういう時の私のヒキは結構強い。案の定、大きな遅れもなく無事に新千歳に到着、JRにも遅れはなさそうだった。ただし気温は-3℃! もちろん一面の銀世界。

半年ぶりの札幌へ無事に到着しホテルまでの地下街を歩く。敢えてここは観光客の気分に浸ってやろうと950円也の特製札幌みそラーメンを食らう。麺もスープも美味しかったが、具のジャガイモやアスパラやワカメまではいらなかったな。それにモヤシやコーンやチャーシューまで乗って、まさに観光客用のムダな盛りだった。

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今週からパートナーとなったW子は、受講者アンケートにわざわざ「次回もW子さんにお願いしたい」と書かれるほど、ここ札幌の受講者に大人気である。ホームグラウンドと言ってもいいだろう。そういうわけで研修のオープニング&オリエンテーションのセッションを彼女に振った。より早く会場の雰囲気和ませるために。

受講者の知識レベルと研修への参加意識の向上のために毎回行なっている朝のテスト。今回は設問の事前開示方式ではなく、関連書籍の範囲を指定して事前学習してもらうやり方にしたが、これがいけなかったのかもしれない。

穴埋め記述式の問題にスラスラと答えを書けていた受講者は半分以下なのはいつもの光景だとしても、驚いたのはすでにテストの解答を表にしたものを手にしている不届き者がいた事だった。あらかたどこかの会場の同期の受講者あたりから入手したと見られるが、今回はどの会場も同じ設問としていたので、これでは知識レベル向上の意味を成さない。

もっと驚かされたのは、誰かの解答用紙を写メしたものをプリントアウトして持っていたバカスケがいた事である! いずれこの営業部隊にマスター制度を導入し、知識・スキル・パフォーマンスなどに卓越した人材を育成したいと思っているのだが、この体たらくではとてもおぼつくまい。驚きを通り越して情けない思いに浸らされるのにさほど時間は掛からなかった。

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札幌を訪れた時には必ずと言っていいほど食べに行くお店がある。

そのお店は札幌中心街から少し外れたエリアにあって、中で鮨や魚介類を出すお店と中華料理店が合体している世にも珍しいお店である。だがこれがいい。新鮮でボリューム満点の刺身や魚介類をまずはビール、お次は氷結酒(通称シャーベット)、そして焼酎ボトルかぬる燗と続く。途中で中華風のウニの卵とじを経由する事もあるが、最後は本物のカニがタップリのカニライス(炒飯)と本マグロのネギトロ巻きで締めるのが定番。ほぼ地元の人だけで約100席は予約で連日満杯という、知る人ぞ知る大人気店である。

ところがそのお店は日曜定休なため、日曜移動した夜には行く事が出来ない。それでもぜひここで食べたいという気持ちが抑えられない時には、予約を入れて研修終了後に行くのである。もちろん帰京は最終便に設定、家に着く頃にはとっくに日付変更線を超えているが、それでも食べたいと思わせるお店である。

この無茶っぽい強行軍を我々は「90分一本勝負」と呼んでいる。昨夜もそうだった。

大将、女将もそんな事情を良く知っていて、黙っていても美味しいものをジャンジャン出してくれる。この夜もいつものようにてんこ盛りの刺身から始まった。さらに今回は大きな器に盛られた生牡蠣と白子と生ワカメのポン酢和え。まるで昼食時に牡蠣が食べたいねと言っていた我々の気持ちが通じたようで嬉しかった~!

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これでいつものように羽田に到着すれば、最終にリムジンバスに乗れるのだが、この夜は出発が15分も遅れたためアウト。京急と山手線の最終を乗り継いで1時半頃にやっと帰る事ができた。23区内に住んでいるW子はともかく、遥か郊外に住んでいる同僚のMは帰宅もままならずビジネスホテルに泊まる事になってしまったのだった。

でも一同大満足! これで今週を乗り切るエナジー注入完了~!





こりゃ〜、春から嬉しや嬉しや!

2日間に渡った全国営業会議が終わり、先ほど横浜から帰宅した。

昨日は専門営業舞台の会議だったが、もはや研修セッションすらなくなった担当製品Aのトレーナーとして自らにケジメを付けるために敢えて出席した。多分これが最後の会議参加となるだろう。会議後の懇親会では雑談を交わしながら、発売前から足掛け7年の歳月を思い返していた。

やたら切なくなってしまい、いつものようにお開き後に連れ立って二次会に行く気力も失せて、早々とホテルにチェックインしたのだった。

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一夜開けた今日は、営業部隊全メンバーと本社関連スタッフ総勢2,600名がパシフィコ横浜大ホールに集結して本会議が開催された。

本会議のメニューにはお偉方のプレゼンや表彰などもあったが、その中に「プロフェッショナルとは?」というテーマのセッションがあり、各部門の大きな成果を挙げたメンバーのディスカッションなどが行なわれた。彼らのサクセスストーリーが動画仕立てにして披露された。それは何とあの「情熱大陸」のナレーター窪田等氏にナレーションをさせるというリッパな作品だった。

誰もが認めるすばらしい成果を挙げた者は、まず目に光がある。そして自らの信念に基づいた具体的なゴールを設定している。それは必ずしも年齢や経験年数によらない。彼ら彼女らこそプロフェッショナルと呼べる人間達だろう。いやぁ〜、上には上があるもんだなと素直に脱帽した。

実は事前に、参加者全員へこんなアンケートが求められていた。

「あなたにとってプロフェッショナルと思える人を一人挙げて、その理由を記してください」

私は元同僚の名前を書いたが、通常はこういったアンケートには自分の属する所課の同僚や先輩、あるいはサラリーマンの習性から上司などの名前を書いておくのがせいぜいだろう。

その結果が書かれたカードが、参加者それぞれのシート前のポケットに封筒に入れられて備えられていた。指示に従って開封してみると、そこには2つのコメントがあった。周りを見ると何も書かれていない白紙の者もいる。どうやら名前とコメントが書かれた者のみカードに印刷されているという事らしい。

そのコメントを読んだら素直に嬉しさが込み上げて来た。あんまり嬉しかったので原文のまま記しておく。

「トレーナーとしてプロだと(素直にすごいと)思えるため」
「プレゼンテーション力、話題性(全方位)、人として一番尊敬しています」

無記名だから何とも言えないが、少なくともこういうコメントを書いてくれるような人は私の周りには思い当たらない。とすれば、研修受講者である営業部隊の誰かなのかもしれない。だが誰であったにせよ、その人が身内の誰かではなく、敢えて他部署の人間である私を選んでくれたとしたら、これほどトレーナー冥利に尽きる事もないじゃないか!

このコメントをくれた人は受講者に違いないと勝手に信じる事にした。今日の会議はこのコメントに出会えただけでもう胸が一杯だ。だけど「人として一番尊敬しています」はホメ過ぎだわ。私がそんな人間ではないのは自分でよ〜く分かってるからね。

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今の自分を変えるのではなく(たぶんそれはもはやムリ)、今の自分に何かをプラスワンしてみようと年頭に思ったが、今日のプロフェッショナル達を見ていて、何となくそのヒントが得られたように感じた。

これまでの研修業務に、自らの信念に基づいたゴールを決めていたか? そしてそれに向かって目を輝かせて取り組んでいたか? トレーナースキルやテクニックを磨く前に気がつくべき事ではなかったのか?

まずはここから始めてみようか。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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