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そろそろ日常へ

3月中に桜が咲いて満開になり、連日の雨で散る寸前ともなっている今日、カミさんの誕生日が来たので、彼女チョイスのニューオータニ「ベッラ ヴィスタ」でランチへ出掛けた。

予約時間30分前に到着したのでホテル自慢の日本庭園で桜などを鑑賞。さすがに一部葉っぱが出始めていたけど、遅咲きの八重桜共々しばしのんびりとお花見(^^)

コロナ後に復活して来た外国人観光客は、やはり中国人が多く闊歩していたけど。

さて、入店したら窓際の席へ案内された。窓からはかつてのサントリー本社の跡地と鹿島建設本社ビルが見え、その向こうに私が社会人デビューした会社の本社が入っていたビルがあった。さらにその向こうには豊川稲荷。何だかあの頃にタイムスリップしたような感じだったな。

パスタランチ(+サラダバー、パン、デザート、コーヒー)4900円のメインを江戸前蛤の和風パスタ(+550円)にしてオーダー。

サラダバーは種類も豊富で、お替わりしてお腹も丁度良い塩梅となったところでメインのパスタ登場。

江戸前の蛤が3~4つとドライトマトなども併せた、まさに和風+イタリアン(❓)的なパスタです。鰹節ならぬ鮭節が上にかかっている。これが意外に良い風味に一役買っていた。ポーションは少なめだけど味わい深い、春爛漫という印象。美味し‼️

パンはピザとパンの中間的な感じで、外はピザ生地のようにパリパリ、中はパンのようなフワフワでほんのりピザ生地の香りが口に残る。これは初めての食感だな。

デザートの甘王のジェラートは甘王そのものの味がしっかり味わえてレベル高しでグー‼️

これはお酒を飲まない私にも満足度の高いランチとなった。

さて、ニューオータニといえば、踏み込んだら沼が待っているので、今まではウォッチャーに徹していた「パティスリーSATSUKI」がある。

通常のケーキよりも大きいとはいえ、たった2個でホールケーキが買えそうな3000円オーバー(‼️)の甘王ナポレオンパイ&スーパーチョコレートミルフィーユを買った。

一瞬目眩がしたけど、まぁ誕生日特例ということで(^^;)

最後に六本木のけやき坂を回って桜並木を観ながら帰って来た短い都内ドライブだった。

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これもコロナ後に再開された大学のクラブの在京組4人の集まりが、去年の10月以来明日に開催される。集まりと言っても麻雀と夕食を共にする単純な先輩後輩の集まりである。

一番下の私でも65歳を迎えて年金受給の高齢者となったが、卓を囲めば学生時代のあの頃へひとっ飛びという感覚は今も健在だ。そういうタイムスリップが出来る会というのは同窓会とか会社OB会とかが定番であるが、まだまだコロナの余波のせいか開催の知らせは届かない。

それでも5月には中学時代の担任の先生の卒寿祝いの会、6月には結成20年になるカーオーナーの会でのお泊まり総会が予定されている。

そんなこんなで、少しずつでもコロナ以前の日常に戻りつつはあるのかもしれない。




初めての食事会

前社を退社後、セカンドステージとしてOTC薬剤師となって足掛け8年。今の勤務店のスタッフと初めての食事会を昨夜開催した。

ただでさえシフトの関係でスケジュールを合わせにくい職場なのだが、常勤薬剤師のK先生、社員スタッフのF子、パートスタッフのM子とは話(ほとんどは店長の至らなさがメイン)が合い、自然と食事会でもしようという流れになった。今の会社に8年もいてやっとこの機会が得られたのは遅過ぎかもしれないが。

会場はK先生に任せたが、女性スタッフの自宅からの距離を考慮して、いかにも地味だが巣鴨駅近辺の居酒屋になった。集合時間は女性スタッフは2人とも休日だったため、K先生の勤務時間が終わって巣鴨まで移動する時間を想定して、少し遅いが20時前となった。

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居酒屋に着くと、すでにK先生は到着していた。M子は腰痛のため欠席との事。そういえば先週の土曜日もレジに座りながら仕事をしていたから、その時から痛めていたのかもしれない。

しばらくしてF子到着。生ビール(私はノンアル)から宴は始まった。お互いのこれまでの仕事や家庭環境、そして今の店舗の現状などの話が続き、あっという間に2時間近くが経過。

最後に禁断の締めラーメンを食べようと近くの高評価ラーメン店へ移動し、例によってこだわりの能書が書いてある店内で、鶏スープをメインとした900円以上もするのにポーションの少ないラーメンを啜ってお開きと相なった。

こういう会はお互いの理解と親睦を深めるために非常に有用だと改めて実感した。また開催したいと思う。

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漫画家の松本零士氏が13日に亡くなった(85歳)。作品としては「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などが有名だが、私はそれ以前に少年マガジンに連載されていた「男おいどん」をリアルタイムで読んでいたのを思い出す。

「男おいどん」はペーソスを含んだギャグ漫画。上京して一人暮らしの大山昇太が主人公で、彼の4畳半の下宿を舞台として押入れの中の大量の縞パンツ(サルマタ)とそこに自生するサルマタケが印象的で、大きなカラスに似た鳥さんもいたっけ。

昇太の毎日が淡々と過ぎてゆく中で、楽しげな事よりもガッカリさせられる事の方に多く遭遇するが、1日が終わって明日に希望を託しながら眠りに就くという1話完結のような物語だったと記憶している。

その後のヤマトや999などへの作品の展開は「四畳半から宇宙へ」と言われ、どちらも宇宙空間へ続く作者の広大な世界観が讃えられた。 合掌

さらに私とほぼ同い年の笑福亭笑瓶氏も22日に逝ってしまった(66歳)。

年金受給の高齢者となり、病気を抱えつつも取り敢えず健康的に過ごせている自分を見るにつけ、同じ世代の人が重病と闘ったり亡くなってしまうニュースに触れると、何ともいえない悔しさを感じる。 合掌




ついに「高齢者」‼️

本日、65歳の誕生日とやらを迎えてしまった。国の区分としてはここから「高齢者」にカウントされ、世間からお構いなくジジイと呼ばれ始めるのだろうが、その実感は到底湧かない。

それでもこれまで2つのがんを乗り越えたものの、かつての筋肉が脂肪に変身した肉体の方は年相応なのかもしれないが、何より精神年齢が己れの精神的未熟さとも相俟ってせいぜい40代あたりの自覚なんだけどなぁ。

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昨日は区内の年金事務所に年金受給申請書の提出に行った。

予約時間は一人45分間とされていて、なんでそんなに掛かるのかと思っていたが、最初に始まったのは受給年を遅らせると得ですよという話だった。

受給を1年遅らせると年額10数万円上乗せされるから銀行預金よりもはるかにお得ですという趣旨の事を、わざわざプリントアウトして説明される。

仮に受給を1年遅らせて年額20万円増えたとしても、今年1年間受け取れる年額分を回収するには単純計算で10年以上を要するから、受給は早いに越した事はないという理屈は、数学が極めて苦手な私にでさえ解る。

自分の寿命が解らない以上、結論としてさっさと貰った方が受給を遅らせるより遥かに得なのである。支給側の年金機構としては支払いを遅らせてくれれば万々歳なのだろうが、そうは問屋が卸さないってなモンだ。

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来週は3年に一度の膀胱内視鏡による組織サンプリングのための検査入院が待っている。

私の場合、外科手術一発で取り切った肝臓がんと違って、膀胱がん細胞はしつこく尿細胞診で検出される。時々classⅤが現れてはまた消えるというのを繰り返す。だが、膀胱内視鏡検査や造影CTをもってしてもその場所が掴めない。自覚症状もない。なので面倒くさいが検査入院なのである。

まあ、今の主治医であるT先生の病院に入院するのは2015年8月からこれで通算6度目なので勝手知ったるだし、常に個室利用なので病院にとっても上得意客だろう。

ただ、生来のビビリである私は検査であろうが全身麻酔一択だし、もしもこの先、強い痛みなどに苛まれて穏やかに過ごせないとしたら、いっそ眠ったまま楽に人生終わりになれる絶好の機会である。だから術前に麻酔医が病室に来るたびに「先生、いっそアッとか言ってうっかりボーラス投与いただいてもよろしいですよ」なんて半分本気で言うのだが、当然のように「そんな事は出来ません」と冷たくあしらわれる。

ならばと入院ダイエットを試みる。もともと病院食は大嫌いだし、消化器系の疾患ではないので食事制限はない。今までは入院後に家族にコンビニおにぎりやサンドイッチを買って来させていたが、昨今の新型コロナのせいで家族は病室に来られないので、入院時にプロテインチョコや飲み物を可能な限り持ち込むしかない。

そんなこんなで4〜5日程度の入院でも色々と覚悟と準備が大変なのであった。

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あ、そうそう、昨年10月に変わった健康保険がまたもや今年の1月から変わる。

というのは、私の職種がいよいよ今月からパート薬剤師となり、同時に今までの健康保険から任意継続保険の手続きを経て変わったからである。

その新たな保険証が本日到着した。確かに被保険者番号が変更されていた。同封されていた振り込み用紙が3枚、1月〜3月の任意継続保険料だった。その額18000円/月、これを会社と折半していたのが社員、全額負担するのが元社員の任意継続なのだった。全額負担だから今までの天引きの倍の金額となるが、まあ私の場合は保険を使うケースが他人より多いからモトは取れる(⁈)だろう。

これで検査入院が終われば、年末年始に片付けるべき事を全て終わらせた事になる。ひとまずホッ(^^)



やっておくこと(改)

先週、年内〜来月中にやっておく事項を書き出してみたけど、その後よくよく考えたら当初よりも増えていた。

①免許証更新用レンズ新調
②マイナカード作成
③免許証更新
④オミクロン株ワクチン接種
⑤健康保険任意継続申請
⑥乱視矯正レンズでメガネ新調
⑦年金支給申請
⑧検査入院

なぜか免許証更新の2〜3ヶ月前になると違反をしては更新期間が3年になり、その都度前歴ありの2時間講習を鮫洲の試験場まで行って受けていた。

今回も前回の更新から3年目なのでまた鮫洲かと思っていたら、何と優良運転者で都庁の30分講習でゴールド免許交付とな‼️ うん、確かに最近違反の類はしていない。

免許取得45年にしてやっと「普通の人」になったわ(^^)

さて、ならば最近見えづらくなったメガネを新調して視力検査を乗り切る秘密兵器を作らねば。いつものメガネ店に行って視力検査したら「加齢による視力低下で、これ以上度を上げても改善しない」などと言われてしまった。だったらもうメガネを新調する意味もないって事❓ それを言ったら顧客を一人無くしたも同然じゃないか。

とはいえ、このままでは更新が危ない。そうまで言われたので別のメガネ店で検査したら、初めて乱視が入ったのが判った。どおりで細かな数字がブレると思った。もちろん遠近両用ではなく単焦点で乱視矯正と度を強くしたレンズを使っていないメガネのフレームに入れて無事作成終了。

その数日後、スマホからマイナンバーカードの作成申請を行なった。写真は履歴書用のものを転用。後は受け取りの連絡を待つのみ。

マイナカードについてはSNSなどで「国家に個人情報を管理されるから作らない」だの「作ったけど返納しに行って来た」などと必ずアンチが湧いて、アホ丸出しのコメントがあがるが、作らなかろうが返納しようが、既にナンバーは割り振られていて消える事はない。カード自体に個人情報も存在していないし、国民であればすべからく国家に何らかの管理をされているのは当然である。

それどころか今後の公的手続きには必須になるし、持っていないと相当な不便を強いられる事は間違いないだろう。保険証やSNS、クレカなどではとっくに個人情報を晒しておいて今更マイナカードはイヤというのもアホ。もとよりアンタの個人情報なんて誰も興味ないわ。

メガネのおかげで更新時の視力検査もパスし、「更新に都庁へ行くならワクチン3回目接種しなさいよ」というカミさんの指示に従い接種も済ませた。世間では5回目だとか言ってるが、私は3回目。でもこんな感じで良いと思っている。

帰宅後、会社のPCからプリントアウトしておいた健康保険任意継続申請書に記入。実は年明けからカミさんの扶養に入ろうと目論んでいたが、仕事を減らしてもまだ収入が多すぎるとの事で断られてしまったのだった。←今ココ(^^)

さて、残すはメガネ新調と年金支給申請、それに来月下旬を予定している3泊4日の検査入院(3年に一度程度)だ。

フォロー検査やCTは定期的に受けているが、肝臓の方には全く異常は出ないものの、膀胱の方は尿細胞診で忘れた頃に異常が出るため、膀胱以前の尿管からの尿摂取と組織サンプリングのための検査入院(もちろん私は全麻)である。

今年は幸いにもまだ膀胱痛などは出ていないので、このまま平和な春を迎えるためにもサッサと片付けてしまおう。



秋、この頃

10月にもなっても未だに真夏日を記録するなど、季節は秋なのにまだまだ衣替えに至らない日々が続いている。

菅義偉総理総裁の不出馬を受けて、岸田文雄氏、河野太郎氏、高市早苗氏、野田聖子氏の4名で争われた自民党総裁選は岸田氏の勝利。続く国会での首班指名選挙でも首班に指名され、ここに岸田内閣が発足した。

「人の話を聞く事が私の強み」と岸田氏は言っていたが、党役員や内閣の顔ぶれを見ると話を聞いたのはどうやら安倍氏と麻生氏からだったと早くもツッコまれている。

新政権発足に対する株価の御祝儀相場もさほど無かったし、支持率も50%台半ばと低調である。岸田氏本来の性格からも協調路線の色合いが濃く映るので、このまま曖昧模糊とした状態が続けば、早晩、マスコミあたりから「聞くだけ内閣」などと揶揄される予感がする。

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さて、先月中旬から手をつけ始めた棚替えも、日常業務の合間などに少しずつ進めた結果、全25区画のうち1区画を残すのみとなった。

本来なら作業を分担するはずのパート薬剤師は棚替えに対してやる気もなく、やったとしてもミス連発で戦力にならないのが分かっていたので、今回は私一人で取り組んで来た。ま、ここまで来れば今週中に完了するから一安心である。

それにしても私より5つほど年上のパート薬剤師のU先生、このところすこぶる調子が悪い。

用もないのに店内をウロウロするのは日常茶飯事で、他のスタッフが昼食を取っている休憩室に入っては長々と雑談して嫌がられるわ、休憩時間外に一人で休憩室でスマホをいじっているのをスタッフに目撃されるわ。

さらには薬相談カウンターで居眠りをしているのを複数のお客さんから指摘されたり、女性のお客さんの腰にサポーターを巻いて売りつけようとしたと本部に電話クレームをされたり。そのお客さんが、もう一人の薬剤師は親切で良いと言っていたと(^^)

U先生はメーカーでOTC製品の研究開発職だったので営業経験が乏しく、接客に対する認識のギャップが悪影響しているのかもしれないが。

こんな事もあった。

月一回あるワンデーコンクールの売上数字が少し足りない時には、その対象製品が自分のライフスタイルに合えば協力方々私も買ったりする事があるが、先月のコンクールの日にひょっこり店に来たU先生に1000円ばかりの栄養ドリンクの協力をお願いしたら、あろう事かレジ横のお米の上にそれだけを置いて、自分の他の買い物のレジを済ませて何も言わずに帰って行ったのだった。

一流企業OBでお金に困っているわけじゃなし、その仕打ち以来、私は自分から彼には一切コミュニケートしようと思わなくなった。メーカーのくれるサンプルは喜んで持ち帰るくせに、このセコいドケチジジイめが‼️

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肝臓がんの開腹手術から早や7ヶ月が経過した。術前の画像ではあれほど縮こまっていた肝臓が、術後にみるみる大きくなって健常人と同等にまで再生したのは最大の収穫だった。

それに伴って、禁酒してなおなかなか低下しなかったγGTPも200台まで来た。もちろん一般の正常値から見ればまだまだ異常値なのだが、一時は自覚症状もなく2000まで叩き出していた(それが酒をやめたキッカケだった)頃からすれば、200台はもう立派に自己正常範囲である。

膀胱がんの方も今のところ再発なども見られず、平和な日々が続いている。新型コロナワクチンも済ませているので、この隙に紅葉の時季を待って温泉に浸かりに行きたいと思っている。お腹の逆L字型の切開跡も消え切れていないし、もちろん露天風呂付き客室一択だぜい‼️

… 有休まだ残ってたかな?




デマと金メダル

ワクチン接種対象の低年齢化に伴って、相変わらず解熱鎮痛薬を求める若い世代のお客さんが多数来るが、その知識の低レベルさと偏りに閉口している。

「カロナール(それは医療用の商品名だよ?)はどこですか?」に始まって、「アセトアミノフェンしか効かないと聞いた(いつから特効薬になったの?)」「ロキソニンと一緒に飲めばもっと効く(胃に穴開けたいの?)」だの「カコナール(それ葛根湯だよ?)が良いと書いてあった」などなど、ネットで拾ったデマ情報を鵜呑みにして来るからたまらない。

先日などは遂に反ワクチン思想の30代女性が来て、接種しないつもりだったが職場での接種が決まったからイヤイヤするんだと。ワクチンによる世界人口削減計画だの日本でもワクチン接種が進んでいるのに感染者数は減っていないのがおかしいだの。

最近では、治療薬として評価の分かれる駆虫薬イベルメクチンと全く成分の違うOTCの駆虫薬パ●キサンとを混同して、「イベルメクチンが薬局で手軽に買える」だの「麻黄湯と一緒に飲んだら2日で治った」だのというデマも飛び交っているらしい。イヤハヤ

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おかげでタイレノールなどのアセトアミノフェン製剤は早々と姿を消し、今はイブプロフェンとの合剤のバファリンプレミアムが消えた。私が見ていない所ではアセトアミノフェンと書いてあれば総合感冒薬すら買って行くようだ。ロキソニンも普段よりもかなり動くようになった。

そしてワクチンの副反応をいたずらに怖がって、解熱剤に冷えピタやアイスノン、OS-1にビタミンゼリー、カップ麺までまるで籠城するが如く一揃えを買って行くのだった。

それに比べれば、少し前に押し寄せた高齢者の方がむしろ肝が据わっていたくらいである。

ネットに溢れ返るデマを訂正しつつ、ワクチンによる発熱の正しい認識や適切な薬剤の適切な使用の説明&提案を解熱鎮痛薬コーナーの前で何十人にして来た事か。家に解熱鎮痛薬の飲み残しがあるなら不要なものは買わなくて良いと何人帰した事か。

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57年ぶりの東京オリンピックが8日に閉幕した。

57年前の1964年は、かっぱえびせんやガーナチョコ、サントリーレッドなどが新発売されたのを皮切りに、ホテルニューオータニや東京プリンスホテルの開業、夢の超特急新幹線やモノレール、首都高速が開通し、まさに高度経済成長真っ只中のアジア初のオリンピックだった。

それでも当時小学生だった私には、いつも観ていたマンガ番組などがオリンピック中継ばかりになったので嫌気がさしていたという印象ばかり。記憶に残っているのは重量挙げの三宅、男子マラソンのアベベと円谷くらいだった。東洋の魔女なんてのは後年になって知ったものだった。

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今回の東京オリンピックでの日本選手の金メダルは27個。アメリカ、中国に次ぐ第3位は立派だった。印象に残った金メダルをざっと挙げてもこんなにあった。

体操では内村航平の後継者として個人総合と種目別鉄棒でダブル金メダルの橋本大輝。

水泳では、こちらも女子メドレー200m&400mで史上初のダブル金メダルの大橋悠依。

ダブルと言えば、卓球の新種目の男女混合ダブルスで水谷準&伊藤美誠ペアの初代金メダル。

柔道では阿部一二三、詩の兄妹同日金メダル、大野将平の他を寄せ付けない無双の強さ。喜友名諒に見た空手の形の美しさと力強さ。

女子レスリングでも、妹のために階級を上げた川井梨紗子、友香子の姉妹金メダル。

フェンシング男子エペ団体では誰もが驚かされた史上初の金メダル。

13年ぶりに復活した女子ソフトボール日本代表の上野由岐子の健在ぶりと若き後藤希友の神リリーフで堂々の二連覇。男子野球も悲願の金メダル獲得。

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コロナ禍に於ける開催の是非も侃々諤々議論されたが、これだけのドラマを観られた事は有意義だった。地元開催なのに無観客は残念だったとはいえ、やはり開催して良かったなと思う。




生生流転

またまたあっという間に年の瀬がやって来た。

思い返せば今年は膀胱痛に悩まされながら迎えた最悪のスタートとなった。

去年のクリスマスの頃から痛み出し、元旦は実家に行ったはいいけど動けず、勤務店舗のリニューアル工事期間も自宅療養、遂には2月に初めて病院のペインクリニックを受診するまでになったが、結局痛みの原因も分からず、有効な治療は得られなかった。痛みを堪えて出勤出来ても、ただひたすら痛みに耐えながら時間の過ぎるのを待ったものだった。

4月の声を聞いたあたりでようやく寛解して来たものの、その前後は新型コロナ騒動の煽りを受けてマスク欠品、消毒薬欠品、そしてトレペ&ティシュ欠品の嵐に苛まれた。

半ば感情的に品物を求めるお客さんと満足な量の納品など望めない現状との間で板挟み状態になりながら、DgSスタッフは皆心身をすり減らした日々が続いたのだった。

今年の前半はこんな具合になんだかなぁ〜で過ぎて行った。

だから痛みが治まった今は、普通の体調でいるという事がどれほど有難い事なのかが身に染みて感じられる。

これも人生経験の収穫と言えるのかもしれないけど、正直あの日々だけはもう二度と繰り返したくない。

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夏はマスクとの戦いだった。

会社からスタッフのマスク着用指示が出ても、小学校の給食の時以来マスクなんて着けた記憶のない私は最後まで抵抗を試みていたが、スタッフだけでなくお客さんの殆どが着用するに至り、最後は同調圧力に負けて着用する事にした。

毎日の事だから使い捨てタイプは面倒だし、不織布の肌触りも不満だったので、通気性の良い布マスクを色々試してみたが、折からの品不足もあってこれというものがなかなか見当たらない。

遂にはカミさんオススメのスポーツウェアメーカーが作ったという2000円超の高価マスクに辿り着いたものの、それでも暑い季節にはそのマスクを着けていても不快この上なかった。

そんな日々にあって、6月に車を替えた事と8月に二人目の孫が生まれた事くらいが喜ばしい出来事ではあったな。

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秋は人間ドックで肝腫瘍が見つかり、そのまま大学病院で検査、入院手術の手続きを行なった。まさかこの身に2つもがんを抱えるとは思わなかったけど、肝臓にがんが出来る可能性はそれとなく覚悟はしていた。

今回も膀胱の時と同じく早期発見だったので切除術で完治が見込めそうなのが不幸中の幸いだった。なあに、入院手術なんて膀胱がんで何度も経験して来たから慣れたモンだわ(^^)

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そして心もしんみりして来る年の瀬を迎える。

最近常々思うのは、連日新型コロナ感染症による死者だけでなく、事故死や自死のニュースも流れるのを観ながら、人には必ず死が訪れ、その理由が病気であれ、事故であれ、それがその人の寿命なんだと妙に納得している。

そして死んだらその人の生命活動はそこで一切が終わり。未練も悔いも何も残らない。あれこれ思うのは残った人達だけである。

だから人は徒に死を恐れるのではなく、どうせいずれ来る終わりの時までは生き続ける事さえ意識していればいいと思っている。

毎日が最後の日と思って一生懸命に生きるなんて聖人君子のように構える必要はない。ただただムダな時間を過ごして終わる日もあっていいし、時には生きてて良かったと思える瞬間に出会う日もあっていい。

それらをひっくるめて人生なのだから。





今年の8月15日前後

8月14日は定期受診日だった。先月採尿した尿細胞診の結果はまたもclassⅡ。これでここ5ヶ月の結果はⅤ、Ⅴ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅱという経緯を辿り、主治医T先生をして順調と言わしめた。だったら最初のⅤ、Ⅴは何だったんだ?

実はまだ排尿10分後あたりから、立ったり歩いたりしている時に膀胱痛が生じる。その程度こそ弱いものの、痛みの出方としては例の激痛の時と同じパターンだ。まあ、その原因やメカニズムは今もって謎なのは変わらないが。

今後これが徐々に消退していくのか、冬になるとまた増悪するのかは分からないが、今季は膀胱にメスを入れていないので増悪だけは起こさないで欲しいものである。

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その夜。15日への日付変更線間際に長男のところに孫2号が生まれた。またも男の子。送られた写真を見て、お兄ちゃんソックリとはカミさんの弁。私にゃ新生児は皆赤いサルにしか見えない。

そのお兄ちゃんは11月23日、勤労感謝の日生まれなので皆に覚えられやすかったから、今度も予定日が8月15日前後だったので、こりゃまた覚えられやすい日の誕生を期待していた。

ワクワクしながら誕生の知らせを待っていたのだが、あに図らんや。あと数十分頑張ってくれたら8月15日生まれで忘れられる事もなくなったのにと独り悔しがったけど、そんな禍々しい日が誕生日じゃなくて良かったのよとは、またもカミさんの弁。8月15日は決して禍々しい日ってワケじゃないんだけどね。しかも75年という節目でもあったのに。残念。

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渡哲也が10日に逝去していたとマスコミが報じた。

故・渡瀬恒彦を弟に持ち、兄弟以上に慕った故・石原裕次郎のために石原プロに入社し、映画並みの爆破シーンで視聴者の度肝を抜いた「西部警察」で石原プロの窮地を救い、片や「くちなしの花」で大ヒットを飛ばす歌手としても活躍した。

直腸がんの術後からストーマ(人工肛門)を装着したと聞き、もう少し後の時代だったらストーマに代わる技術も開発されたから、そこまで苦労しなくても済んだのにと思った事も。

私にとって最も印象的だったのは彼のあの眼だった。

どんなに怒った表情をしても、どんなにハードな男を演じても、その眼はいつも優しい眼差しだった。大震災時の炊き出しや普段の人柄からもそれを象徴するエピソードには事欠かない。

だから彼は大門団長のようなシリアスな役を演じる時はサングラスが欠かせなかったのだと勝手に思っている。どうしても隠せないあの優しい眼が演技には邪魔だったに違いないと。合掌





新型コロナな日々

新型コロナウイルスによる非常事態宣言の緩和も当初の予定だったGW明けには叶わなかった。残念ながら引き続き今月末を目処に延長された。とはいえ私などは家と職場の往復の日々だから、コロナ禍以前と日常生活は何も変わっていない。職場で息苦しいマスクを強いられる以外は。

最近の私の公休日はカミさんの公休日と重なる事が何回かあったので、遂に今週火曜日はどうしても美味しい寿司が食べたくなって、ドライブがてら出掛ける事にした。目指すは回転寿司クオリティの遥か上を行く木更津のやまと寿司。かねてからアウトレットとセットでよく訪れているお店である。

外出自粛と県外への移動のどちらも破る事にはなってしまうが、自宅と寿司屋のドア・ツー・ドアだし、移動は車という不特定多数との接触リスクのない手段なので、ここはひとつご勘弁願う事にした。

いつもは渋滞必至の首都高山手トンネルもまるで貸切り状態で通過、湾岸もスムーズ、そしてアクアラインもノンストレスで駆け抜けられた。平時からこんななら大歓迎なんだけどね。

寿司屋ではテーブル席に座り、2人で好きなだけたらふく食べて@3000円ほど。皿数で20数皿か。いつもながら驚くべきコスパだから、昼過ぎともなれば駐車場もほぼ埋まるほどの人気なのもうなづける。

帰りに寄った海ほたるも店舗は全て休業中で人もそれほど多くは無かったが、最上階のテラスは格好の日向ぼっこのスペースだった。いつも家と職場の中にしかいないので、熱いくらいのお日様が嬉しかった。

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私のワークスケジュールは原則として3日勤務して1日公休、2日勤務して1日公休の繰り返しである。だから1週間の経つのがやたらに速い。思えばOTC薬剤師となってもう足掛け5年になる。

そんな昨日、お世話になっている本部所属の薬剤師のS先生が来店。ちょうど休憩時間の終わり頃だったのでそのまま休憩室にて最近の体調などを報告した。

S先生の本題は、年と共に少なくなる常勤薬剤師の問題とそれ故に手の回らなくなった店舗にいる若手(と言ってもせいぜい30〜40代か)薬剤師へのサポートの提案だった。

そんな人手不足の現状から、親会社から登販社員や薬剤師が出向して来てくれているこの間に、手の回らないお店と薬剤師業務を手伝って持ち直させたいという狙いだ。それにはまだ動ける60代前半あたりまでの薬剤師がそのお店に2〜3ヶ月程度入って、そこの店長の協力を得ながら薬剤師と一緒に医薬品の状態全般を立て直す。

目処がついたらまた別の店舗へ行くという遊軍システムである。それほど中途採用の薬剤師は現場でとっ散らかっていて、ましてや週2〜3日勤務のパート薬剤師複数で回している店舗ならなおの事だそうだ。

そんな事言ったって、私だってまだたかが5年目だし、入社時の半日研修&1ヶ月の店舗研修で一人薬剤師として現場に出された人間である。ベテランなのは歳だけで、ドラッグストアでの経験値も知れているのにとS先生の話に笑ったが、そんな人間でももう少数派になっているとの事。

30代以降の薬剤師をせっかく中途採用しても、ともすれば初めてのOTCの接客に対して馴染めず短期間で退職したり、親の介護などで退職せざるを得ないケースも生じているそうだ。また昨今は現場に出るプレッシャーに加えて新型コロナ感染リスクも負いたくないから中途入社辞退を申し出て来るケースもあるというから驚きだ。

さりとて70代前後の超ベテラン薬剤師では常勤から週2〜3日のパートへ勤務を減らしたい人ばかり。なので身体も動かないし改善意欲も乏しい。でも会社は要指導・1類医薬品販売許可維持のためにその人達を切るわけにもいかないと。高齢化はここにも確実に来ていたのだった。

S先生が現場の薬剤師にこの話をするのは私が最初との事だが、環境が整えばこの夏から実施に移したいらしい。

私からは一つだけ条件を付けさせてもらった。それは通勤時間。身体の状態もそうだが、通勤時間で徒らに体力を消耗したくはない。体力は現場で使いたいから通勤時間はせいぜい40分前後までの店舗にして欲しいと。

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そんな私も二度に渡る尿細胞診でclassⅤが出てしまった。だが造影CTでも全く異常が認められない。次回は膀胱内視鏡で中を見る予定だが、主治医のT先生も、細胞診でがん細胞を認めるも組織的な異常は認められないという患者はそれなりにいると言っているから、何らかの異常が出るまではこのまま観察し続けるしかないだろう。それががん細胞との共存共栄というものかも知れない。





今のあれこれ

あれこれあった7月。ダラダラ長かった梅雨もようやく明けたようだ。

明けた途端に強烈な30℃超えで、ようやく虫除けやら冷却グッズやらが動き始めた。5月に棚替えをしてからかれこれ3ヶ月近くにしてやっと夏らしくなったというところか。やはり異常気象化は進んでいる。

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7月9日に逝去したジャニー喜多川氏。

多くの国民的男性アイドルを育て上げたジャニーズ事務所の社長として連日その功績と思い出を振り返るとしてアイドル達の懐かし映像がテレビに映し出されていた。

光あれば影あり。

そのジャニー喜多川氏と所属アイドルとの性的な関係(今で言えばパワハラの一種か?)を暴露本「光GENJIへ」で告発したフォーリーブスの故・北公次氏の件は、当時もごく一部の報道に抑えられ、現在も取り上げられる事はない。

事務所から独立したタレントに対するテレビ出演規制問題も、なぜかこのタイミングで公取協から注意を受けた。これはジャニーズ事務所に限らず、業界の暗黙のルールとして周知の事実である。

強大な権力が周囲の過大な忖度を生むというのは何も政治の世界だけの話ではない。

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暗黙のルールと言えば、宮迫博之、田村亮らの芸人の反社会的勢力とのギャラ飲みに端を発した闇営業問題から吉本興業の会社としてのあり方にまで発展した一連の騒動が連日マスコミに報道されている。

新人発掘の名目で立ち上げたNSCで多数の若い才能を囲い込むというビジネスモデルは大したもの。

その裏で、契約書ではなく口約束による所属契約、ワンステージ数百円からという実績による極端な報酬体系などで会社が甘い汁をすすっていた事も事実であろう。

いかにも大阪らしい浪花節的手法。その功罪についてはそれぞれあっただろうが、現代社会ではもはや前世の遺物だと言わざるを得まい。

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参院選は予想通り自公の過半数議席を確保して終わった。

投票所で個別の立候補者の一覧表を見て、いつになくこれだと思える候補者のいない事に戸惑った。参院候補とは言え、いかにも人材がプアなのかアピール不足なのか、その場で1分近く逡巡してしまった。

話題になったのは山本太郎氏の「れいわ新選組」の比例2議席(特定枠)をALS患者と重度身体障害者が獲得した事だった。

被選挙権資格さえ有していれば選挙に立候補できるのは当然の権利。だが今回の結果は、その議員が議員としての活動がどれほど出来るのかという課題を浮き彫りにした。

本来、社会的弱者に属する難病患者や障害者などの声を代表して国会に届け、それに対する法律を立法する事が議員の役割である。その社会的弱者自身が議員になるという前代未聞の事態となったのである。

すでに大型の車椅子が通行出来るよう議事場の改修工事が始まったという。ALS患者の舩後靖彦氏はカナボードを介して介護者へ意思を伝える事しか出来ない。重度障害者の木村英子氏共々日常生活には介護者を必要とする。

さて、彼らは立候補したのか、させられたのか? 今後の2人の議員としての活動と国会のありようを注目したい。

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世間あれこれよりも自分の事はもっと重要である。

定期的な検査外来で、数ヶ月に一度受けている膀胱内視鏡検査。実はその前の尿細胞診で久しぶりにclassⅣか出ていたので、その疑いを持って入念に見たけれど、どこにも異常が見受けられないとT先生。

そういえば尿検査の少し前、一度だけ少量のコアグラが尿中に認められた。異形細胞の存在はその影響と思われるが、念のためこれまた半年ぶりCTを来月受ける事にした。

さて「騙し騙し長らえよう作戦」はどこまで奏功しているか。再発や痛みのない今のうちにやりたい事をやっておくのがいいだろう。いよいよ懸案の別府湯布院ツアー企画を進めるとしようか。




騙し騙しでリフレッシュ

風薫る五月にしては大雨は降るわ真夏日になるわで、まるでどこの熱帯地方だと言わんばかりの気候が続いている。仕事の白衣も昨日からケーシー型の半袖に一足早い衣替えをしたところである。

時代は変わり「令和」が始まった。もちろんだからといって特段日常生活が変わったわけではないが、去年の痛みに苛まれた日々から約半年が過ぎ、ようやく落ち着いたと言える日常を迎えられるようになったのは本当に喜ばしい。

まだ完全に無痛状態とは言いがたいものの、長く続いた排尿後の疼痛もほぼ無くなり、定期検診の採尿でも実にキレイな尿だそうで、尿細胞診もclassⅢで推移している。これは採取した尿中に異型細胞が認められるが悪性と断定出来ないという判定で、主治医T先生曰く「BCGで膀胱をかなり痛めつけて来たからこういう判定もありますね。これだけで良し悪しは言えないし。総合判断だからこの後も尿細胞診と内視鏡検査のチェックはして行きましょう」

このまま騙し騙しでも構わないのでがん細胞との共生状態が続く事を願うばかりである。

とはいえ、未だに基本2〜3時間で尿意を覚えるし、夜間頻尿も午前4時前後に一度やって来る(これを私は午前4時の壁と呼んでいる)。昼間の尿意は仕事が忙しいとなぜかインターバルが延長し、気がつくと前回の排尿から4時間位過ぎている時もあり、あれだけ頻回だった尿意も今やそこまで正常に近づいて来たのかな、でもまだ痛めつけた膀胱は完全に正常には戻っちゃいないだろうから、まぁそんなモンだわなと捉えている。

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自覚症状が安定しているスキにとばかりに、我が家恒例のストレス解消&リフレッシュ企画である温泉ドライブ旅行も順調に実施に移せている。

3月は千葉県南房総の小湊へ、今月は軽井沢経由で嬬恋村へと、去年はほとんど出掛けられなかった仇を取るかのように動いている。もはや病みつきとなり定番化した露天風呂付き客室はもちろん、行き帰りのランチも少しリッチな気分で選んでいる。今回は旧軽井沢の音羽の森ホテルのフレンチランチ。敢えてド定番の万平ホテルを外してみたが、これがまた大正解で、味もコスパも大満足! こりゃリピート確定だとほくそ笑んだ。

リピートと言えば、これまで露天風呂付き客室の温泉宿には20ヶ所近く行って来たが、温泉地のリピートはあったものの、そう言えば温泉宿のリピートはまだ無い。紹介サイトのユーザーレビューには何度もリピートしましたなんて記載もあるが、その人はどういう理由でリピートしているのかが不思議だったりする。

昔、スキーなどで利用したお馴染みの旅館はスキー場へのアクセスや予約の取りやすさなどの利便性の面でリピートするというのは分かるが、固定の場所へ行くのが目的ではなく、車であれこれ自由に動く前提であれば話は別だろう。

私などは、たとえ満足出来たとしても同じ宿に再度行くのなら、まだまだ良さげな未訪問の宿がいくらでもあるから、まずはそこを訪れてみたいと思うのである。そもそもそのエリアの観光スポットをあれこれ忙しく廻るよりも、宿に早目にチェックインして客室露天風呂でノンビリ過ごしたいと考えている。ま、そこは歳取ったせいかもしれないが。

今後も出来れば季節毎には温泉に出掛けたいとカミさんは言うが、それは意外に的を射ているのじゃないかと思う。すでにこの先、何が起きてもおかしくない年代に足を突っ込んでるし、先々に楽しみを作る事でともすれば単調になりがちな日常のモチベーションとするのは大事な作業である。

さて、このまま騙し騙しが続けられてるうちに、いよいよカミさんの親族がいる大分県の温泉巡り企画を真剣に考えてみようかな。




休職明けから1週間

休職明けと言っても勤務は今月2日が初日、後は4日と5日の週3日で、少なくとも今月は日曜、水曜、木曜のローテーションとなっている。

欠勤だらけだった10月から休職とした11月一杯までひたすら判で押したような自宅安静を保って来たおかげで、安静時であれば排尿後の余韻となる鈍痛を引きずる事はあっても強い痛みが出る事は無くなった。だが、まだ歩いたり立ち仕事を続けているとシクシクジンジン、あるいはズキズキレベルの痛みが断続的に生じるので、そこは少々キツかった。

それでも2日連続のインターバル(公休日)はありがたい。前社での週休2日は多分に習慣化した「惰性」と言っても良いものだったが、今の職場での1日×2/週の公休日ではその1日の休日がことさら貴重な1日と感じられるようになった。だから再び2日間の休日体制となれば、なおのこと貴重なリカバリーの日となるのである。

このまま12月が過ぎて行き、来月の勤務予定を立てる下旬までには、1月の勤務体制を今月同様に週3日のままで行くか、完全に週5日に戻すかを決めようと思っている。本部のS先生は1月も今のままで行ったら良いのではと言ってくれているけど、そのためにいつまでも応援薬剤師を頼ってもいられまい。

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昨年6月の東名死亡事故をキッカケに、あおり運転がさらに世間の注目を集めているが、こちらもいつ加害者、もとい被害者になるか分からない。その時の強力な証拠となるのがドラレコの映像だそうだ。

そんなワケで、今まで半分威嚇を目的として適当に付けていたフロントカメラのみのドラレコから前後カメラに駐車中監視機能付きの最新型に替えた。おかげで配線キット、外車取付け料込みで6諭吉が飛んで行ったが、まあこれで安全安心が増したと思えば。

その次の日、エンジン始動時に今まで見たことのないアラート表示が出た。黄色い四角のアイコンだがバッテリーでは無さそう。取説を見たら、どうやらクーラントが不足したらしい。慌てて近所のGSへ飛び込んで補充。これが結構な量が入ったのでビビった。(^^;)

昨日はさらにオイル交換へ。板橋の自動後退でいつもより上位のモービルワン(5W-40)&フィルターで1諭吉チョットが飛んで行ったが、カミさんを連れて行って、その足で久しぶりのコメダランチ。コメダと来ればデザートのシロノワール(今回は小枝バージョン)を忘れちゃいけない。(^ ^)

さて、ここまで来れば残るはクルマ購入時にサービスで取り付けてもらったカーナビ。以来、足掛け9年ともなるとさすがに機能に不足を感じ、メーカーによるマップのバージョンアップも早晩終わる頃だろう。

BMWには通常メーカー純正ナビが付いているが、私の車種はそれがオプション扱いだったので、ディーラーが地デジTV付きの社外品を付けてくれたのだった。だから純正品にはないTVがいつでも見られるからとても便利だった。

当時そのナビはカタログ上で30諭吉もしたが、最近はそれ以上の機能がありながら価格は1/4〜1/5まで下がっていると知った。ならばマップのバージョンアップをすると思えば、いっそ付け替えもアリかなと。

問題は工賃だが、色々調べた結果、関東地区ローカルなカーショップが一番安い事が分かったので、次の休日にでもドライブがてら行ってみようと思っている。

それにしてもここまであれこれ金を掛け手を加えてしまえば当分の間はこの車を乗り続けざるを得ない事になるが、もちろんその覚悟である。

車のサイズも含めて、今乗り換えたいと思う候補車が実は見当たらないのだ。今後長生きでもして乗り換えの必要が生じたら、きっと時代はEV主流になっているだろうから、その時はその線で考えたい。それまではこのBMW120iCoupeを精一杯可愛がって行きたいと思っている。






プチ物欲が

徐々に痛みの発生が収まりつつある。特に3日から4日に襲われたLevel4「悪魔の時間帯」以降は安静にしている分には穏やかに過ごせている。頻尿の間隔も長くなって来て、排尿開始時痛も以前ほど強烈な痛みでは無くなって来たようだ。

ただ、歩行などで振動が膀胱に伝わると痛みが発生する部位がまだシクシクジンジンする。これが無くなって初めて痛みから解放されるのだろうから、そこまでにはまだ時間が掛かるのかもしれない。

そうは言っても、このところの状態はだいぶ楽になったと実感している。安静時なら概ねLevel2「断続的な鈍痛」あたりで推移している。

例の「悪魔の時間帯」は鳴りを潜め、昼間はもちろん夜間ですら2時間おきに増強する痛みに急かされたトイレも3時間程度には延びたようだ。トイレ後の膀胱収縮も針刺し痛を惹起するまでは無くなったものの、さすがにまだ気は使うけど、以前よりは安心して横になってTVも観ていられる。

ソファに普通にしばらく座るとまだシクシクジンジンして来るので、これでいつ座っても痛みが出なくなれば電車だろうが車だろうが安心して乗れるだろう。

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症状が和らいで来ると、日々の生活も変わるというモンだ。

痛みに耐えながらの生活だと、活動量の減少も相俟って食欲も出ない。勢い、寝たきりダイエットとなって軽く一回りは痩せた。常に痛みを伴うからギターどころかTVを観る気も本を読む気も萎える。

逆に痛みが解消の方向に向かうと、今度はTVで観るもの聴くものに要らぬ興味をおぼえるから面白い。同時にストレス解消のための代償行為なのか、プチ物欲が頭をもたげてくるのである。

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例えば、ラグビーの世界No.1ニュージーランド代表オールブラックスの試合を観ようモンなら、あの強さの底に流れるマインドを知りたくて「オールブラックス・プライド(齋藤龍太郎著)」をポチったり、オールブラックス仕様のフーディージャケット(by adidas)をポチったり。

例えば、TBS「プレバト‼︎」の俳句コーナーで鶴太郎が大好きだと浮世絵版画家の名を挙げれば、すぐにググったら気に入った画風だったので「川瀬巴水作品集(清水久男著)」をポチったり。

例えば、Twitterでがんサバイバーのコメントを目にすれば、ふと自分の病気について更なるトピックスを知りたくなって「臨床泌尿器科(膀胱癌診療の最前線)」なんて専門誌をポチったり。返す刀でTwitterで話題沸騰の百田尚樹の歴史書「日本国紀」の予約をポチったり。

例えば、朝のネスプレッソを飲むためのマグカップを大好きな備前焼を含めた和洋陶磁器を織り交ぜて4つほどポチったり。

突然、高校時代に初めて聴いた「僕の胸でおやすみ」で一躍ファンになった「かぐや姫LIVE」のCD(当時は当然LPレコード)を懐かしさのあまりポチったり。

あ〜あ、しょうもない物欲だわ。



6月あれこれ

ワールドカップがロシアの地で始まった。

前回王者ドイツや常勝ブラジル、さらにはメッシのアルゼンチンまでもがグループリーグで躓いているのを横目に、我が日本代表は引き分けでも大成功とまで評された強敵コロンビアに見事に初戦勝利した。

開始3分でPKで早々と先制点! ハンドを犯した相手選手のレッドカードで数的優位に立つという、これ以上ない美味しい展開が味方したとはいえ、文字通りジャイアントキリングを成し遂げた事には惜しみない賞賛の拍手を送りたい。

特に、開催前に何かと批判を受けていた海外ベテラン組の香川がPKを決め、本田のコーナーキックが決勝点のアシストをしたのは良い意味で裏切られたな。決勝のヘッドを決めた大迫もワントップに起用され続けた意味とその価値を見事に体現した。まさに「半端ねぇ〜!」

この調子で次の強敵セネガル、最終戦のポーランドも撃破して堂々一位通過で決勝トーナメント出場と皮算用をしておこう。今のうちは。

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3回目のBCG膀注療法から10日が経過した。

2回目直後にも現れた副作用は、この3回目終了後からも15分毎の極端な頻尿、排尿時の強い痛み、膀胱収縮によるツーンとした痛みの三拍子揃って出現した。その前のTUR-Btでの削り具合が浅かったために、2年前の全8回が終了した後から始まった地獄の膀胱痛の日々ほどではないのは仕事への影響の面でもラッキーだが、やはりBCGは抗がん剤同様なんだな、だからそれなりの副作用には必ず見舞われるんだなと再認識した次第。

10日経った今も昼間でも1〜2時間おきに尿意を知らせるチクチクした痛みは生じるし、夜間頻尿も2回はある。排尿までの強い排尿痛は続いたまま。やっと排尿に至っても尿道にも炎症が生じているのか尿線がやたら細く勢いがない。思わず尿閉になるのではないかと不安になるほど。だが残尿感は感じない。

来週の外来では主治医のT先生にしっかりとその旨を伝えて、今回はここまでにしてもらうようお願いしようと思っている。

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そうそう、今月9〜10日に参加した大学のクラブの先輩達とのコテージお泊まりツアーは無事に終わり、当時たった一人の最上級生だった先輩にも40年ぶりに再会出来た。これが一番嬉しかった。

コテージ到着早々、案の定、コールマンのテーブルに麻雀マット、そして年季の入った象牙製の麻雀牌も持参していて、組み立てるやいなや計6名で2、3位抜けでやりまくった。

抜けてる間は私の持参したTaylor GSminiで、70年代フォークを弾き語り。周りのコテージには宿泊客もなく、音漏れを気にする必要もないから何でも演れる。気分は瞬時に100%あの頃にワープしたのだった。

麻雀は数十年ぶりに先輩達に誘われて新宿で2回ほど打って以来だったが、その時からのヒキは衰えておらず、何と役満(国士)まで上がるという絶好調!

結局、半荘6回でトップ4回。レートは安いものの、私のコテージ代と食糧代はロハになったのだった。

この旅は2年に一度、2泊3日で企画されているという。今回初参加した私は仕事の関係で1泊のみで帰京したが、最後までいたらきっと高速代もガソリン代もロハになっていたような勢いだった事はしっかり記しておこう。満足、満足!



三十三回忌!

11日にBCG膀注療法の2回目を行なった。先月の20日がスタートだったから、3週間のインターバルが取られた事になる。

初めてBCGをやった2年半前は週1回、全8回という教科書通りのスケジュールだった。しかしながら最終回終了後から地獄の膀胱痛の日々が始まり、セカンドTURによるダメージも重なって5ヶ月もの間苦痛に苛まれた。だからBCGはもう二度とやりたくはなかった。

だが主治医T先生は「今回は前回のようにキッチリやらなくてもいい」という方針だと聞いて少し安心した。1月に受けたTURによるダメージも早期だったゆえ軽かったので気持ちもだいぶ楽になった。

だが、そううまくはいかないのが生身の難しさ。

今回はこの2回目の時点で15分間隔の極端な頻尿に始まり、その後ほぼ1時間は保つようになったものの、少しでも膀胱に尿が溜まると疝痛が生じるようになった。それでも前回の立っても座っても歩いても針やキリで刺されるような断続痛に見舞われるというレベルではないのは大きな救いである。

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そんな中、昨日は母方の祖父母の三十三回忌で埼玉県深谷まで往復160Kmのドライブとなった。もちろん途中のPAでトイレ休憩を取りつつ。

祖父母は生前は蔵前の鳥越神社の近くでハンドバックの製造業をしていて何人もの職人を抱えた大所帯だった。加えて高度成長期の波もあって作れば作るほど利益になった時代を生きて来た。一時は袋物協会の会長や横綱吉葉山の後援会長も務めたほどだった。ある意味業界の名士だったのかもしれない。

その葬儀からもう33年も経つ。本当に時が経つのは早い。菩提寺の住職二代目による読経を聞きながら目を閉じれば、祖父母との思い出がいくつもいくつも浮かんでは消えていく。こうして故人を忘れないという事が何よりの供養だと思う。

それにしても齢80超えの三兄弟が親の三十三回忌の日に健在なのはある意味驚異だ。祖父が亡くなったのは享年86歳だったから、その子供もまだまだ行けるのかもしれないが、施主の叔父によればお墓はこれを区切りに畳んで都内の納骨堂施設に移すと言う。

いくら健在とはいえ、さすがに全員が五十回忌を迎えるのは難しいだろう。ましてやそれぞれ千葉や神奈川に住んでいるので、そうそうこの深谷へも来れない。都内の集合型納骨堂なら遥かに行きやすいので賢明な判断だと思う。

法事後の食事はいつもの鰻屋だったが、前回から6年経つ間に随分と味が劣化した気がした。この鰻重、焼いて冷蔵したものをチンしたかのようにただただフニャフニャ。ベトついた白飯と相俟って久しぶりに不味い鰻重を食した。思わず佐原の山田の絶品鰻重を思い出した。

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不味いと言えば、最近発売されたア●ヒの「クリアラテ」なる飲料。カフェラテ味の透明な液体なのだが、先日ウチのお店にもこれが納品された後、事もあろうに担当SVから「これは不味いので追加発注はせずに売り切りにすること」という極めて異例のLINEが届いたのである。

自店の新商品をそれほど蔑むのはどうなのかとスタッフが試飲してみたら、異口同音に「不味い!」と切り捨てたではないか。この時私は飲まなかった。もともと色彩も味のうちと思っているから、こんなヘンテコリンなものは推して知るべし。

サントリー「ヨーグリーナ」から始まった透明飲料だがなぜかヒットした。さらに紅茶味も出ていて好調なようだ。その二匹目のドジョウを狙ってのア●ヒの攻勢なのだろうが、最初からこんな評価だったらお先真っ暗じゃないの?

というワケで、私も法事へ行く途中のコンビニにあったので飲んでみた。もはや怖いもの見たさの心境だったけど。

「飲み残して氷で薄まったアイスコーヒー」が第一印象だった。コーヒー本来の香りも少なく、透明だからただの砂糖水に見えるのがまた何とも言えずマイナスイメージだ。CMやってる米倉涼子もチョイとマズったかもしれないな。

ア●ヒの上層部はよくぞこれでゴーサインを出したなと逆に感心した次第。

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今日は、ひと月前に狭いT字路で一時停止違反で飛び出して来たオバちゃん自転車を避けたはずみで側面を電柱に擦り付けてしまった愛車を修理に出す日である。

本当は中学の同級生のクルマ屋に出すはずが、彼の体調が思わしくないからかずっと放置されてしまったため、止む無く過去2回の車検で世話になっている所へ頼む事になった。

来月上旬に予定されている大学のクラブ関係のお泊りツーリングには間に合うようだが、当分車なしの生活になる。代車が黙って出てくるなんてのはお高いDラーは別にしてなかなか無いからね。





三月記

ウッカリしてたらもう3月も過ぎていた。3月は仕事もプライベートもいろいろあったので、遅ればせながら記録しておこうと思う。

プライベートではやはり体調。相変わらず術後の合併症である膀胱刺激症状による排尿開始時の強い痛みは継続中。ほとほと自分の身体が自分でイヤになる。いったいいつになったら元に戻るのか。

それでもまあ、今回は排尿時の痛みの他は過去に味わわされたキツい針刺し痛は無く、せいぜいシクシクと来る程度なのは幸いだが、そのためにBCG膀注療法はまだスタート出来ていない。スタートしたらしたで、どうせまたキツい膀胱炎を生じるのだろうから、それはそれで地獄のスタートでもあるわけだけど。

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30日はカミさんの誕生日で4月1日は結婚記念日である。わざわざエイプリルフールを選んだのは誕生日直後で覚えやすい日付けだという事と後で揉めた時に「あれは冗談だったんだよ」と言い訳出来るためである。

彼女の誕生日は私もたまたま公休日だったので、お気に入りの天ぷら店で初めて一番高いコース(と言っても@1諭吉)を予約した。彼女はワインのハーフボトル、私はノンアルビールがせいぜいだから料理代プラスアルファは微々たるものなのはいつもながら安心材料である。

才巻き、鮑、白魚などなど天ぷらが9品、間に和食系の小料理が3品、シメに土鍋で炊いた蟹飯、デザート2品と来れば、さすがに腹一杯。正直、この歳になってここまでのボリュームはtoo muchだな。もちろん味は文句なしに美味だった。

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昨年9月から広島の本社研修を受けていた二男が帰って来た。

広島では、会社から徒歩2分の家具付きの部屋が3万5千円と東京では信じられない位リーズナブル。広島という街も会社の雰囲気も気に入ったようで、なかなか楽しい日々を過ごしていたようである。

彼が特に驚いたのがマツダスタジアムの熱気だと。まるで球場全体がカープファン一色の如く揺れていたそうだ。フランチャイズの熱がこんなにダイレクトに表現されているのを初めて見たと。さすが我がカープの地元。食べ物といい、事ほど左様に広島はいい街なんだから、いっそそのままいれば良かろうに。

だが予定より半年早く、入社時から言われていた東京進出のための要員として帰され、いよいよ正規配属メンバーの一員となったのだった。初出勤先は直接クライアントの会社で、そこは藤原竜也のCMでおなじみのあのIT関連会社だそうだ。

まあ、ここからが本当のスタートなので、せいぜい頑張ってくれ。

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仕事では、いい結果が出た月だった。

推売コンクールとなっているアレ●ラのプライベートブランド品(PB品)の売上げが、今月中旬に遂に西地区第1位(全店でも第2位)となった。

医薬品売場やレジでアレ●ラを手にしたお客さんに「こちらのお薬はアレ●ラと主成分が同じで、CMをしてないから一錠あたり20円も安いですよ。これ一箱でひと月持ちますよ」とスイッチする作戦が功を奏し、今シーズン通算300箱近くを売り上げた。

同じPB品の現物をレジ前にも展開して、売場で見逃したアレ●ラを手にしたお客さんにレジスタッフが声掛けをするという連携作戦が、まさに勝利の方程式だったと実感した。

そのせいもあって、タマ数が足りなくなって欠品のピンチに陥った事態が勃発し、今月二度ほど古巣のお店に頼んで回してもらったりもした。古巣のお店は人手不足もあってPB品の売上げは芳しくなく、ウチとは逆に棚に山積みになっていたのは残念な光景だった。

この仕事に転じた最大の理由は、製薬メーカーの営業や研修トレーナーで培った知識を、立場上当時は叶わなかったエンドユーザーである患者さんのために直接活かしたいという思いだけだった。だからかつての仕事で意識し続けていた売上げなどの業績や会社からの評価だのは今や関心が無かった。

ただ、お店で扱っているOTC医薬品を武器として、ある意味医師的な立場となって相談に来るお客さんに有益な治療提案をするという日々に喜びを感じているのである。

そんな中で、医薬品の処方の優劣のみならず、コスト面でもお客さんのメリットとなるものがあれば推奨販売をするのは当然の事で、今回はアレ●ラのPB品がそれに該当したのだった。会社の方針とも一致していたし。

花粉が飛び始めた2月こそ第4位あたりをキープしていたが、H店長の指示のもと、売場とレジの二方面作戦で着々とスイッチが進行し、その成果が3月中旬に身を結んだ第1位獲得だった。私はその実績表に感謝の言葉を添えて休憩室に張り出したが、数字的な結果よりも、むしろコスト面のメリットを享受したお客さんがその数だけ出来たという事に満足感を覚えたのだった。

この勝利の方程式が確立すれば、来年の花粉症シーズンも期待できるし、花粉症のみならず風邪薬など他のPB品のコンクールでもきっと良い結果を残せるに違いない。

やはりチームワークは個人技を凌駕するという事である。





誕生の日に

日本時間の21日未明、海の向こうでは大統領選で大方の予想を覆しヒラリー・クリントン氏を破ったドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任した。一方、ここ日本では坂口敦朗というOYAJIが還暦秒読みとなる59歳の誕生日を迎えた。

ドナルド・トランプという名前は、もともと私の記憶に刻まれてはいた。今から30年ほど前だろうか、彼は不動産ビジネスの大成功者として時代の寵児となり、彼に関する幾多のビジネス書が書店に並んだ。そのうちの一冊を私も購入した。内容はもう忘れたが、当時のバリバリ現役ビジネスマンにとって、ある意味バイブルとも位置付けられていた書籍だった。

そんな人物が紆余曲折があったにせよ、まさかアメリカ大統領になるとは思わなかった。就任直前の支持率では何と不支持が支持を上回るという現象も起きている。民主的なシステムで選ばれた大統領なのに認めないと言ってみたり、反対デモまで行うとは、アメリカもとんだ民主主義国家である。ま、突き詰めれば民主主義なんて所詮こういうモンなのだろうな。

さて実際のところ、私が還暦直前を迎えるなんて、誰より私自身がイメージを持てなかった。今でもそうである。だって来年赤いチャンチャンコなんだぜ? 一体どんなジジイになっちまうんだってんだ!

今の仕事に就いて一年半が過ぎた。膀胱がんの入院手術などで出足は少々躓いたものの、何とか今日まで大過なく、そしてここが重要なのだが、仕事に関してほとんどストレスフリーの日々を過ごして来れた事が嬉しいのである。つまりは抱いていたイメージ通りの仕事だったという事である。

言い方を変えれば、前社までの営業やオフィスワーク&研修ツアーなどの日々は、必ず目的達成のためのプレッシャーが付いてまわり、特に研修職人時代はそれが天職と感じつつも、周りからもあらゆる意味でプロフェッショナルを求められ、自分で自分にかなりプレッシャーを掛けていた。

それが一転、自分で自分のみを管理しつつ、ひたすら顧客志向で対応すれば自ずと結果が付いてくるという日々。自分の言動に対してエンドユーザーからダイレクトな感触を得られる単純さが良いのだ。

もちろん1日8時間の立ち仕事や品出しや棚替えなどの肉体労働的な側面もあるが、それを補って余りある顧客とのコミュニケーションが楽しかったりする。多分、数あるドラッグストアの中で、ここが一番いい意味で泥臭い地域密着型の営業形態だからだろう。

それでも親会社の毛色の異なるスタイルが日々迫りつつはあるが、ま、今のところは天職になりかけていると言えるだろう。

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さて、およそ30年ぶりにFBを介して再会した元同僚のN君から、今朝誕生日祝いのメッセージが届いた。出勤時間まで余裕があったのでしばらくやりとりしていたが、そこで驚くべき事実が伝えられたのだった。

これまた30年ほど会っていないN君と共通の友人であるTさんが、何と先週スキー場で雪崩に巻き込まれて亡くなったという。そのスキー場ではバックカントリー走行も可能らしく、それゆえ毎年のように遭難事故が起きているというが、Tさんはスノボによるバックカントリー走行にこのスキー場へ年に何度も通っていて、万一のためのビーコンなどの装備を万全にし、バディを組んで滑っていたそうで、決して安易に考えていたわけではなかったそうだ。

だが、このところの大寒波による降雪とそれによる大雪崩は予想外だった。突然の雪崩に飲み込まれて消息を絶ってしまったという。捜索も限界に達し、遂に打ち切りとなってしまったそうである。

思わず「諸行無常」という言葉が浮かんだ。

自営業に身を転じていたTさんは、経済的余裕と時間的自由を手に入れていたはずである。だから勤め人がいなくなった10日過ぎから悠々とスキー場入りしたのだろう。降ったばかりの新雪に勝手知ったるバックカントリー、さぞや爽快だったと思う。

物事は回数を重ねればそれだけ事故に遭う確率が上がる。これは一つの不幸な偶然だったのかもしれない。そうであったにせよ、とても理屈で割り切れるものではない。残された家族や友人にとって、それはどんなに悲しい偶然だっただろうか。

Tさんを偲んで、大好きな「風」の歌をここに捧げたい。



「あいつ」 詞曲 伊勢正三

雪の中 一人の男が 山に還って行った
ただそれだけの話じゃないか 慌しい季節の中で
花束投げたあの娘の言葉が こだまして帰って来るけど
雪解け水の音に消されて また静けさが訪れる

だからもう忘れちまえよ あんなやつのことは
こんな可愛いひとを残して 一人で逝くなんて
あいつがたとえ思い出ひとつ なにも残さなかったのは
あいつにすれば精一杯の 愛だったんだね

春が来たら去年と同じように また山で迎えよう
それまでにきっと あいつの得意だった歌を覚えているから
それまでにきっと あいつの得意だった歌を覚えているから



Tさん、どうか安らかに 合掌





恩師は90歳!

前回から一体何年ぶりだろうか。軽く10数年は経っているだろう。

今日は、そんな久方ぶりの大学卒論研究室の同窓会が品川PHで開催された。O先生が研究室の教授となられた時が52歳頃、そこから65歳の定年退職までの12、3年間の卒論生のうち、今回は実に100名近いメンバーが集まった。卒年度毎にテーブルを囲んだが、私らの年代は八王子移転後の入学1期生だったので上から2つ目のテーブルだった。

そのテーブルを筒井康隆とシュールレアリスムが好きなA、都内で手広く薬局をやっていたS、私大の薬学部教授となったK、薬学系公務員の出世頭のN、茨城から駆けつけたIの男性陣、浅草で薬局経営をしているM子、芝で薬局経営をしているS子、そして調剤薬局勤務のO子の女性陣が囲んで昔話に花が咲く。特に実習をサボって相模湖ドライブに出かけて大目玉を喰った話が盛り上がった。研究室の先生方には迷惑を掛けたけど、それまで真面目一筋の研究室にあって今でも良いガス抜きになったと思っている。卒業して36年経っても強烈な思い出として蘇って来るのだから。

そうこうしているうちにO先生とのテレビ電話が会場のスクリーンに映し出された。実はO先生、退官後は日野市から倉敷市へ転居され、さらに宇治市の息子さん宅に転居していた。御歳90歳、さすがに足腰が弱って上京はしんどいとテレビ電話越しの再会となったのだった。

それでも電話越しの顔は白髪頭の他はあの頃とさほど変わらない風貌で、その声はとても90歳とは思えない滑舌の良さ、まさにあの頃そのままという印象さえ受けた。会場のメンバーは皆、瞬時に「バカですね〜」などと怒られたあの頃にタイムスリップしたに違いない。やっぱり持つべきものは何はなくても健康体ですな。

私らが卒論生になった当時、大学院へ進学して実験に精を出していた1級上の先輩方との思い出話にも花が咲いたが、そろそろ定年を迎えた方もいて、そこはやっぱり薬剤師の集まりらしく、私のように第二の人生に薬局勤めを選んでいる人も少なからずいた。

あっという間に3時間が過ぎてお開きとなった後は、同級生で近くのティールームで二次会。さらにプライベートな話が披露され、私自身のこれまでの話もいろいろと語った。持病の話あり、親の介護話あり、息子の留年話あり、薬局の苦労話あり、それぞれの立場こそ違えど、そのお悩みには共通点が多かった。ここで少しでもガス抜きが出来れば、また明日からの活力も湧いて来ようってモンだろう。

We are not alone !





今日は穏やかな休日

昨日までの温かさから一転、花冷えの今日、身体の調子も少しずつ春に向かっているかなと感じられる。まだ頻尿と排尿開始時の痛みは残るものの、排尿終了時の痛みはほとんど生じなくなって来たから。

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そんな午後のひととき。しばらく延期していたコンサートDVDを観ながら一緒にギターを弾いて歌うセッションを再開した。本日のアーティストはさだまさし。コンサートは2009年に開催した「カウントダウン ソロプレミアム in 国技館」。彼のコンサートはプラチナチケットという事もあってまだ行った事はないが、このDVDでも十分に歌の味わいと彼一流のトークの妙を堪能出来る。

このコンサートはバンド編成はなく、ほぼ全編アコースティックギター一本という私好みのもの。懐かしいグレープ時代の「19才」「紫陽花の詩」「殺風景」をコンビの吉田政美のスタジオギターと合わせて歌って時の流れを感じさせ、「奇跡 ~大きな愛のように~」も曲が出来た当時のデモデープに入っている生演奏のようなギターのみのバージョン。それだけに逆に歌詞の意味が深く胸に染みて来る。

それまではじっくり聴き入っていたけれど、「フレディもしくは三教街」と「主人公」あたりでは、やはり思わずギターを手に取り一緒に弾きながら歌っていた。

国技館開催らしく彼の歌に番付をつけた番付表が作成されていて、東の横綱はこの「主人公」だったが、その座にふさわしく何度聴いても歌っても私の学生時代の心象風景と見事に重なって行く。そして西の横綱が「風に立つライオン」だった。改めて聴くとその歌詞が耳から入って来るたびに様々な感情が湧き出てくる。やはりさだまさしは「言葉」のアーティストなのだ。

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さて、仕事の方は半年に一回行われる恐怖の棚卸しを今週迎える。売場に陳列してある商品や棚の上下に収納されている在庫は業者が入って徹夜でカウントするのだが、問題はディスプレイや空箱展示品を間違えてカウントしないように除外して、翌日元に戻す作業が必要なのである。

今回、私はこの棚卸しが半年前と同様に初旬に行われると踏んでいた。ところがグループ会社の関係からか、今回は下旬に行われる事になったというのだが、私の方はすでに10ヶ月ぶりの温泉ドライブ旅行をセッティングしてしまっていた。だから棚卸し当日はいるものの翌日は不在となり、撤去した空箱などの復旧作業は他のスタッフにお任せしなければならなくなった。

さらに階段下にある在庫倉庫は業者ではなく自ら整理してカウント&封印しなければならない。これらの作業を明日明後日で完了させるしかないのである。しかも正確無比に。面倒くさいけど。

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息子夫婦がマンションを買いたいと言う。聞いて驚いたのだが、エリアは横浜市戸塚区辺りで最寄りの駅から徒歩10数分、広さは70平米もないというのに何と4000万前後もするという。同じエリアで一戸建ては区画も広めなのだろうが6000万円以上が相場だという。周りは殆んど山林や畑だというのに、だ。信じられん状況である。

公務員のお前さんと事務職の嫁さんの安月給二人掛かりで抱えるにせよ、ローン金額が大き過ぎやしないか? 我々だって未だローンを抱えているからさほどの援助も出来ないぞ。そりゃあ銀行サイドは商売だし公務員相手なら大丈夫なんて言うだろうけど、マンションはローンの返済金に加えて管理費や修繕積立金、駐車場代が持っている限り支払い続けなければならない。固定資産税も掛かるから想像以上の出費になるんだぞ。公務員宿舎の使用料の5~6倍の金額だぞ。

さらに子供でも生まれた日にゃ、保育園から成人するまでに3000万円掛かるという試算もあるぞ。何より結婚してまだ1年経っていないんだから、もう少し公務員宿舎のメリットを生かして蓄えておくべきじゃないのか?

物件を見に行ったカミさんが話を聞くと、息子よりも嫁さんの方が購入に前のめりらしいが、綺麗な新築マンションを見てしまえばその気になってしまう気持ちはよく分かる。我々も不動産が安いと言われる名古屋時代に同じくらいの価格のマンションを購入寸前まで行った経験があるから。でも東京のマンションもそれほど変わらないという事実を知ってすぐに我に返ったけどね。

いずれにしても住宅ローンは経済的に大きなリスクではある。検討し過ぎていけないということはないのだから。





リセットの新年となれ!

独特の切迫ムードに乗せられたお客さんが押し寄せた年の瀬から打って変わって静かだった年明けのお店。それも三が日だけの現象かと思いきや、とっくに松が取れた昨日になっても主婦の買い物や会社帰りなどの一部の時間帯のみに賑わいを見せるものの、全体としての来客はまだまだ少ない。これでは年末に売上げの先食いをしたに過ぎないとは店長のボヤキ。年始の地域小売店あたりはこんなものなのか。

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元旦は全ての店舗が年に一度の休業日。カミさんは元旦は毎年仕事始めで出勤となったので、私はおせちの宅配便を受け取った後に母の家へひとっ走り。山梨の旅館に嫁さんの親戚が集まって年を越すという恒例イベントから帰った息子夫婦と合流し、4人で夕食を食べてそのまま泊まって行くという息子夫婦を残して帰宅。私は翌日も公休日だったので昨年と同じに箱根駅伝を観ていた。展開されたのは一区から青学の驚異的なブッチギリ。そのままトップをキープして往路優勝。こりゃたぶん復路もそのままの完全優勝は確定だと思ったらその通りになった。連覇はスゴイが手に汗握る接戦もなく、ある意味、面白くはない結果だな。

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仕事始めとなった3日が無事に過ぎ、最初の公休日となった4日は、年末の回をスキップしたBCG療法の4回目を実施。今回は実施後にお決まりの排尿痛もあり、いよいよ効果が出始めたかと勝手に判断したが、同時に歩行時のツーンとした刺激も感じるようになった。寒さのせいでもあるのだろうが、一方で過去にもあった再発の合図と取れなくもない。いずれにせよ、今は決められた治療を粛々とこなすのみ。後は天命を待つだけである。

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カミさんを加えた息子夫婦との新年ランチ会が開かれたのは11日。お店はカミさんチョイスの銀座「アルジェントASO」。かなりフレンチ寄りのイタリアンだそうだ。料理は色彩豊かで見せる工夫あり、スープを後掛けしたり、ラップに香りを閉じ込めたりする遊びゴコロありで全員の満足度は高かったようだ。13%という異例(?)のサービス料は2人一組でサービスするシステムゆえか。それでも休日で賑わう銀座にあって、極めて静かな3時間を過ごせた対価と考えればむべなるかな。

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今の仕事は一日8時間の立ち仕事なので、思った以上に強制運動状態になっているのだろうか、家に帰ってソファに寝転がった後に立ち上がると足が痛いという症状が続いている。いや、仕事中でも残り2時間を切ったあたりから身体的なキツさを感じる。それでも目の前の仕事をこなしているうちに終業時間がやって来るという感じである。

お客さんからの相談に応じている部分は確かに頭脳労働なのだろうけど、朝の品出しや補充作業、レジ応対とそれを支え続ける身体はリッパに肉体労働だろう。かつての研修ツアー以外のオフィスワークの日々がまるでウソのように労働による疲労感に毎日包まれている。

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ああ、これが本来の労働の姿というものかもしれない。今ではむしろこのリズムの方が馴染んでいるが、それなら新卒の時から定年までこれを続けるかと言われればウンとは言えない。私にはこのステージでこの業務内容を数十年も続ける根性はない。それでもこの仕事を第二の天職と言えるほどに思えるのは、全く違うステージを歩んで来た中で運良く第一の天職に出会えたからである。

第一の天職を楽しみながらも不意に訪れた早期退職からの転職。やり切ったとは言えないタイミングだったものの、これが第二の天職に出会うキッカケになったのは紛れもない事実だ。年齢柄、もはや収入や地位を気にしても意味のない今だからこそ、余裕を持ってチャレンジ出来るという部分も大きかった。

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願わくばそんな有難い出会いから今の距離感を保ちつつ、今後訪れるであろう会社や身体の変化による悪影響を出来るだけ受けずに一日でも長く添い遂げたいと思うのが、激動の昨年にピリオドを打ってリセットするはずの新年を迎えた私の贅沢な願いである。





「壊」の一年

師走。私にとっておそらく人生最大の激動を味わわされた一年がもうすぐ終わろうとしている。

1月から「早くも決定! 今年の漢字は「壊」」で始まる一連のエントリを書いたが、はたして見事にその通りとなった。

早くも決定! 今年の漢字は「壊」
やっぱり壊!
この憤りは何だろ壊?
もういい壊・・・

平和だったのは10日間にも及んだ年末年始休暇の終盤、ノンビリと箱根駅伝中継を観ていた時までだった。思えば注目すらしていなかった青学が初優勝したのがその前兆で、ここからが思ってもみなかった事が起こる一年の始まりだったのだろう。

年始の社長メッセージで早期退職制度の実施が伝えられた。第一段階として管理職を対象とするものだが、考えてみればウチの部署の大多数は管理職職階だったからタイヘンである。さらに50代はほぼ退職勧告は免れないという話。

前年に相次いだ海外での不祥事に加え、そろそろ結審に向かうと目される集団訴訟などで多額の資金を必要とされる半面、海外では次々と後発品による売上げ減少と、非常に厳しい台所事情が背景にあったのは事実である。

こういう場合の常套手段である、出るを制すの経費削減はまず我々学術研修部門に向けられるのが常道だ。営業部隊の資質向上のためには研修という手段は不可欠なのだが、いかんせんそれ自体は外貨を稼がない。すなわち非生産部門と見做されて削減の象徴となったのだった。

これまでも合併に伴なう早期退職が行われて来た経緯はあった。その度に多額の割増退職金を手に去って行った先輩達を残った我々は羨ましく見ていたものだったが、いざ自分の番となったら割り切れない思いばかりが募って来た。

そもそも研修トレーナーという仕事が大好きで、天職と公言して憚らなかった私である。それが定年まで後3年という中途半端な時期に、事前の想定も覚悟もなく一方的に辞めさせられる事には大いに怒りを覚えたものだった。

転職エージェントを通して他社の学術研修業務を求めたものの、やはり年齢などがネックになり不調。折悪しく去年から早期退職を実施していた大手数社の人材が市場に溢れている中、トントン拍子に転職が決まった同僚などほとんどいなかった。未だに決まっていない者もいる。

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ならばと私は原点回帰を考える。今まで営業職では医療関係者、学術研修職では営業部員を相手に活動して来たものの、真のユーザーである患者さんへダイレクトに接する事は立場上ご法度だった。それは製薬メーカーの宿命とも言えるのだが、患者さんの疾病を治療する薬剤を販売しながら、それを実際に使う患者さんにはアンタッチャブルというのはまさに隔靴掻痒と言っていい現実だった。

それなら次は直接患者さんに相対せる職に就こうではないかと考え方を方向転換したのだった。薬局の薬剤師である。だが選択肢の一つとなった調剤薬局は、患者さんが求めるのは薬剤師への相談ではなく一刻も早い自分の薬の交付であって、医者と散々やり取りした後に敢えて薬剤師とのコミュニケーションなんて望まないのは私自身も経験している。だからここは私の本意にそぐわない場なのだろう。

求めたのはもう一つの選択肢であるドラッグストアの管理薬剤師。調剤業務は扱わず、相談という目的を持った患者さんにカウンセリング販売を行なう仕事なので直接患者さんからの声が聞け、自分の対応の良し悪しが直接返って来るのがいい。お客さんからの感謝の言葉がこんなに嬉しいものだとは、大昔に実家の薬局を手伝っていた頃にさえ遭遇した事はなかった実感だった。

もちろんそれだけではなく、販売業であるゆえの管理・発注・品出し、売り場改変、推奨品販売実績などなど小売店に必須の業務もあるが、それでも患者さんとのやりとりが毎日のやり甲斐となっていた。ある意味、メーカー時代の医療関係者とのやり取りよりも充実感を覚える事が少なくなかった。

これはもう第二の天職だと言えるまでにそう時間は掛からなかった。

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薬局のOYAJIが第二の天職だと実感したのもつかの間、再発した膀胱腫瘍のTUR-Btが待っていた。最初の手術からちょうど2年後のお盆の頃の入院だった。病理診断で腫瘍の根っこが筋層に達している疑いにより、2ヶ月後にセカンドTUR-Btを受けるために2度目の入院、退院2週後の出血による急性尿閉(AUR)で3度目の入院と散々な日々を過ごして来た。

この間、仕事は休みがちとなってあまり貢献出来ず、特に薬剤師が必要な1類医薬品を中心とした販売実績が振るわなくなった事は心苦しかった。それでも11月初頭から復帰する中旬までの間、他店の薬剤師の先生方が応援に来てくれた事は何よりもありがたかった。

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それやこれやで、10月の手術後2ヶ月が経とうとしている。ものの本によれば、術創部を含めた器質的機能的リカバリー期間は8週間前後とあるが、私もそろそろその時期へ到達して来た。まだ全くの無症状とは言えないものの、歩行を妨げる痛みの襲来は消え、排尿前後の尿道痛さえ無くなれば普通の生活を送れる程度にはなったようだ。

事ほどさように人生最大の激動の一年だったが、「壊」の文字通り、壊れたのは自分の身体だけでは無かったようだ。

退職以後の前社の様子が風のウワサで聞こえて来るが、残念ながらそれは良いものではない。年に4回、営業部隊に対するFace to Faceの研修機会はほぼ無くなり、年に2回、それも大人数の営業会議にくっつけた形で実施されているという。

これは想定された事だったが、案の定、営業部員達からの評価は散々らしい。そりゃそうだ。20人前後の少人数で一日かけて行なう研修に比べて数十名~100名に及ぶ大人数にステージから一方通行で喋るだけの研修の満足度が高いわけがあるまい。「今の研修はどうしようもない」と吐き棄てる者もいたという。

それだけではない。退社後だけでも既に数品目の供給停止や販売移譲という事態が発生している。

特に供給停止は安定供給を責務とするメーカーとしてはあってはならない事である。しかもそれが実績の柱となっている製品で慢性疾患治療薬と来たから重大である。グローバルメーカーとしてあまりにお粗末だが、逆にグローバルメーカーゆえの落とし穴なのかもしれない。いずれにせよ患者さんはたまったモンではないし、同じ業界人として情けない限りである。

最近でもワクチンメーカーの一つである化血研による数十年に及ぶ不正な製造販売が明るみに出た。それが上層部の指示による組織的な隠蔽工作だったというから開いた口が塞がらない。会見での理事長の度重なる絶句がコンプライアンスとガバナンスの欠如を物語っていた。

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それでも6月の長男の結婚や趣味のアコースティックギターのラインナップが増えたり、息子夫婦や3本のギターがそれぞれ異なる個性の響きを奏でる事に生きている喜びを感じたりもした。来週からは外来でBCG膀注療法がスタートするが、まあここも乗り切ればまた一つ安心できるステージに上がれると信じている。

こんなノンビリとした死生観を抱く間もなく、今年も著名人の急逝が相次いだ。

思いつくだけでも、歌舞伎役者坂東三津五郎、上方落語の大名人桂米朝、キンキンこと愛川欽也、ワイルドワンズ加瀬邦彦、究極の個性派萩原流行、骨太俳優の今井雅之、大好きな漫才師だった今いくよ、写真集も買った川島なお美、橘家円蔵というより月の家円鏡、ひょっこりひょうたん島のトラヒゲの声優熊倉一雄、寺内貫太郎一家の加藤治子、本当に憎らしいほど強かった大横綱北の湖、豪放磊落な阿藤快、 昭和の大女優原節子。そして水木しげる先生。戦争で片手を失ったにも関わらず、その常人にはおよそ描けない精緻過ぎる画風には昔から畏敬の念を禁じえなかった。

どんな年齢まで生きようとも納得して亡くなる人なんてほとんどいないに違いないから、さぞやそれぞれに無念だったろうと思う。合掌

それに比べりゃウダウダ言いながらも生きている私あたりはまだシアワセなヤツなのだろう。良い事ばかりが続くものでもないし、さりとて悪い事だけでもなく、やはり人生の禍福はあざなえる縄の如しなのかもしれない。





だましだまし

4日に退院し、それから10日間ほど自宅療養。後半は少しずつ活動量を増やしながら様子を見つつ、遂に今週から仕事に復帰した。

とはいえ、まだまだ試運転状態と言っていいだろう。今回は歩行を妨げるような痛みこそ生じないものの、歩行による振動が膀胱周辺に伝わって違和感を覚えるのは以前とさほど変わらない。加えて一日の立ったり座ったりの仕事に対応すべき足腰がなまってしまっていて、仕事が終わる頃には背筋痛まで覚える始末。排尿前後の尿道痛は相変わらずだし、若い時の回復力とのあからさまな差を否が応にも痛感させられている。そんな我が身を恨みながらの闘いはまだまだ続くのだろう。

それでも今月から応援に来ていただいた他店舗の先生方のおかげで、結構な時間と労力を要する本部指示の複数の棚替えもほとんど完了、気になっていた1類医薬品の販売も滞る事もなくなった。店長を始めとするお店のスタッフ共々、本当にありがたいサポートに感謝しきりである。まさに今や大人気となったラグビーの精神「ALL FOR ONE」を思い起こさせてくれた。

また、私のリタイアを聞いたお客さんからも労いの言葉をいただいた。このお店でまだまだ駆け出しに過ぎない私を覚えてくれていた事が何より嬉しかった。こういうお客さんのためにも可能な限り頑張り抜こうと気持ちを奮い立たせている。

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心身共に満たされないと人は物欲に走るのかもしれない。少なくとも私はそうらしい。膀胱に負荷をかけないようにソファに身体を横たえながら、ついつい覗いてしまう通販サイトとヤフオク。大抵は途中で我に返ってポチッとするのを躊躇うのだが、先日はよせばいいのにヤフオクで気になっていたエレアコ(珍しい材料で作成されていて現在は生産終了品)の現在金額があまりに安かったため、半分冷やかしで入札を始めてしまった。いつもなら想定金額以上に釣り上がると自然に手を引くのだが、思いがけずその金額で落札に至ってしまったのである。

しかも驚くべき事に、出品者は自宅から車で10分位の場所に住んでいて私の休日との都合も合い、直接手渡しが可能になった。相手は梱包と発送の手間が省け、私は送料の負担と受け取りの手間が省けるのでお互いWin-Win、こんな事はもちろん初めてのケースだったが無事に終了した。オークションにおけるトラブルは決して少なくなく、私も過去に苦い思いをさせられたが、今回は全くそれは無かった。要は当事者の人間性の問題であって、両者が邪な気持ちを持たずに誠実に対応すれば良いだけの話だ。私は落札後には可及的速やかな連絡と入金を心掛けている。

さてその運命的出会いすら感じさせるブツだが、実はかねてより取り回しのしやすいコンパクトなエレアコが一つあったらいいなとあれこれ探していた。そして価格との兼ね合いも含め、最終的にアイバニーズというブランドの胴厚の薄いシリーズに当たりをつけていた。その旧モデルが今回落札した「Ibanez EW30 PDE」だった。現行モデルよりも胴厚はあるものの、ボディはパドゥークというアフリカ原産のカリン(果実がなるカリンとは別種)製で、珍しい赤みを帯びた色合いと独特のデザインが気に入ってしまった。その音色は中~高音域に特徴があり、まさにチャラリ~ンと鳴るところから「チャラリン・アイバニーズ」と命名した。

これで我が家のフルサイズのアコースティックギターは3台となり、同じようにその音色から名付けられた長男の「ドンシャリ・マーティン(Martin D28M)」、二男の「シャラーン・フェンダー(Fender CD-220 CE)」と共にアコギ三兄弟体制となった。もちろんカミさんにはヤフオクで落札しちゃったなどと口が裂けても言えないので、知人から譲って貰ったと言っている。なぜなら返す刀でこれまた気になっていたエレアコ専用のコンパクトアンプ(YAMAHA THR5A)も落札していたからだった。こちらは普通に購入した事にしている。というワケで、支払いは必然的にエレアコ代はポケットマネー、アンプ代はカード払いとなった。ま、今回の入院でも保険金が結構出るからいいか。入院してても私はしっかり稼いでいるのだ。爆

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だましだましの毎日はまだ当分続くだろうし、来月からBCG膀注療法がスタートする。ネットの経験談によれば、BCGにより膀胱内に炎症を起こして自己免疫を賦活させて腫瘍細胞を撃退するがために、個人差はあるものの発熱や頻尿、排尿痛などの副作用を生じるというから悩みの種は尽きない。症状が無くなり普通の生活が送れるまでには優に年を越してしまうだろう。だがまだ絶望に浸る段階ではなくチャレンジすべき段階であるのは間違いない。

だましだましであったにせよ・・・。






振り向けばお達者クラブ

その話を聞いたのは同僚のUさんからだった。このUさん、35年ほど前に私が新卒で社会人デビューした、日本で名前を知らない人はいない有名な会社、K社の薬品部門の新人研修担当で、「我々で会社を盛り上げよう!」なんて言っておきながら、その後サッサと他社へ転職し、紆余曲折を経て私が転職した会社と合併した時に17年ぶりに再会したその人である。

会社OB&OGの親睦会なんて今時なかなかやってないだろう。ましてや粉飾決算事件によって消滅した会社の会である。毎年春秋に開催されていたようで、今回で何と55回だそうだ。これは一度くらい顔を出しても良さそうだとばかりに昼過ぎ、銀座ライオン6Fにあるクラシックホールへと向かった。

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毎回50名を優に超える参加者がいるそうだが、今回は50名ギリギリだった。クラシックホール貸切りの円卓が並んだ会場には、当時のお歴々の顔が。当時の面影を残している方や全く様変わりした方など多士済々。気がつけば私あたりが最年少という、まさにお達者クラブの集団のような景色に唖然茫然。

入社当初の配属だった本社の同じ部署の方が今回は一人も出席されなかったのが寂しかったが、それでも名前を覚えている人とは昔話に花が咲いた。こういう会には付きものの没故会員の発表と黙祷、そして初回参加者の自己紹介スピーチと続く。かくいう私めも壇上に上がって、ひとくさり思い出話を語らせていただいた。後で聞いたら、若くして鬼籍に入られている方もいて、さまざまな人生模様はここでも描かれていたんだなぁとしみじみ。

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90歳を筆頭にした先輩方といろいろ話をしていると、皆さん異口同音にこの会社で仕事に従事して来た事に満足していたり、誇りにさえ思っていると言う。地位や報酬に固執して短期間に会社を渡り歩いたり、会社と自分との関係をドライに割り切ったりという、ともすれば外資系企業に見られるメンタリティはまるで無い。古き良き内資企業の愛社精神がかえって清々しい。私も最初はそんな一人だったんだけどねぇ、どこでこんな軌道修正をされてしまったのだろうか?

私が入社した1980年は業界で営業関係者に対する年間100時間の自主研修がスタートした時で、なんと新卒ペーペーのこの私が毎月全国の支店を回ってエラそうに研修なぞをさせてもらっていた。それが今の会社での研修トレーナー業務に繋がっているとしたら、ある意味スゴイ事だろうと思う。

研修関係業務はそれだけに留まらず、中途入社者研修の手配や新人研修では新人と一緒に泊まり込みで実施(3ヶ月!)したりと、いつしかUさんと同じ業務にも手を染めていったのだった。これも現在の業務に確実に役立っている。

その他、新製品のパンフレット執筆や雑誌広告の企画デザイン、パッケージデザインなどにも携わらせていただいた。各製品の営業販促物の選定や大日本印刷と連携してロゴマーク作成などもさせてもらったりと、およそ新入社員ふぜいがタッチできる仕事ではない分野へも参画させていただいた。もちろん、それらの経験がその後の私のさまざまな業務に大いに役立った。K社というのはそんな会社だった。

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次回は来年4月下旬だそうだ。今度はもう少し若い世代のメンバーも参加して欲しいし、機会があれば私の方からも誘っていきたいと思っている。参加者の年齢や都合もあってか、特に二次会などの企画は無かったが、あっという間の2時間は実りの多い時間だった。

歩行者天国の中央通りを来た道を引き返して家路に向かう。家を出て来た時よりも気持ちが爽やかに満ち足りていたのは言うまでもない。





昨日の明日が今日になり

今までで一番速く駆け抜けて行った印象だった一年が終わって新しい年を迎えたら、ほどなくして一番迎えたくない日がやって来る。それが誕生日である。

今日で56回目の誕生日。昔は遥か先にあるんだろうけれども全く見えなかった「還暦」という節目にも、あとわずかオリンピックインターバル1回分の時間となってしまった。もっとも明治時代の日本人の寿命はせいぜい50代だったというから、これでも人並みの時間は生きて来られたという事なので、それはそれでメデタイと言えなくもない。

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肉体的な衰え以外は歳の割には若いと自負している。特に精神年齢は実年齢マイナス20歳くらいで留まっているなと感じる事が多々あるのだ。

人間関係はロジックよりもエモーションで反応する、モノを言う時はヒネリの一つも効かせず直球を多用する、人の言葉は良くも悪くも額面通りに受け止めてウラ(真意)を読まない、議論では必ず自分の考えを述べてから結論を求めたがる、などなど。

こうして論ってみると、精神年齢が若いと言うよりも多分にガキのまま停滞していて大人になりきれていないとも見える。どっちみち、この人格はもはや変えようもないと達観しているあたりは大人かも。

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死生観という言葉がある。

人はどう生き、どう死ぬのか。生き方は人それぞれ、人生いろいろなのだが、ひとつ言えるのは、生きて行く先の事は分からず、生きて来た過去は変えられないという事。だから人は未来の人生に希望を抱き、過去の人生から成長する。

過去によって人が成長する限り、後悔のない過去なんてあり得ないだろう。「青空」という私の好きな歌がある。作詞作曲は谷村新司。

雨は空からあざけるように 心の中に降りしきる
雨よお前は知らないだろう 傷つき悩む人の心を

昨日の明日が今日になり 今があるから夢を見る
雨よお前に負けはしない 雲の彼方はいつも青空

もうひとつ言えるのは、人は必ず一度死ぬという事である。実はこれが今、自分自身に一番刺さる言葉だったりする。

誰しもいつかは終わりの時を迎えるが、私は長生きという事に拘りを持たない。ただ願う事は、出来ればあっさり穏やかに終わりを迎えたいという一点である。普段から周りに言っている、前の晩にドンチャン騒ぎをして眠りに就き、翌朝になったら死んでいたという終わり方が理想だな。

苦痛に耐えながら息をしているだけの毎日は生きているとは思わない。動かぬ身体に辛酸を舐めさせられながらの毎日も同じだ。無責任な自殺以外なら死因なんて何でもいい。日本人の2人に1人は罹るという癌なら、治療なんて一切せずに緩和ケア直行でいいし、脳出血や急性心筋梗塞でもいいし、極端な話、事故による即死でもいい。免罪符は「昔ならこれで死んでいた」である。

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さて、今夜は珍しくカミさんから誕生日祝いの食事をと言うので、それならまた新規開拓とばかりに彼女のセレクトで荻窪のフレンチへ。それが分かっていながら、会社の前にあるイタリアンのランチ(バーニャカウダorグリーンサラダ、パスタ、パン、コーヒー)をパンお代わりで平らげてしまったダメな私・・・。





12月最初で最後のエントリ

年を追う毎にスピードアップして過ぎ行く一年。今年も生涯で最も速く大晦日に辿り着いた感で一杯である。

と言いながらブログの更新頻度が確実に低下しているのはどうしたものか? 私自身は現在、所属カークラブや登録メンバー・友達の違いなどによりmixi、FB、Twitterと3つのSNSを使い分けているが、これがともかくオンタイムにつぶやきや写真がアップできるモンだから堪らない。お手軽そのものにその時々のエネルギーが発散できてしまうから、ある程度構えてPCに向き合うブログの方はつい疎遠になって行く。

昨年あたりから月の更新回数がひとケタになり、今年はついに月イチという時もあった。しかしながら、日記を兼ねた記録や自分の考え・感想などを文字数の制限なく綴っていけるのがブログのメリットである事に変わりはない。来年もそういう意識を持って書き続けていきたいと思っている。

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スマホ(わずか2年でiPhone4sから5sへ機種変更!)のスケジューラーを確認してみたら、会津若松の大病院での製品説明会から今年が始まっていた。これは病院挙げての術後の合併症予防対策がスタートしたためだった。雪に埋もれた鶴ヶ城が今もはっきり蘇る。

そしてベテラン営業部隊の研修に本格参戦したのも1月だった。現役をリタイアした営業経験豊富なオジサンと子育てが一段落した営業経験のある主婦のメンバー達からは、研修トレーナー業務を通してたくさんの刺激と学びを受け取った。

過去、何度も企画されては定着に至らなかった我々の本業である研修トレーナーのコンピテンシーを今度こそ定着していこうとTCプロジェクトが発足した。何度も推敲を重ねた末にTCが明文化され、これまでの研修を通して相互フィードバックやリフレクションを経て定着が見られ、いよいよ年初の部会で成果発表というところまで漕ぎ着けた。ま、本来は個人個人が自ら意識して習得・実行すべきものだけど。

今や神奈川最大規模の精神病院の院長となった中学の同級生Kと20数年振りに再会したのも、同僚のグータラKが何と帝国ホテルで結婚式を挙げたのも2月の事だった。

今年最初の全国研修ツアーは3月にスタート。同時に生涯初の禁酒に踏み切ったのもこの時だった。人間ドック以外にも定期的に検診に通ってはいたが、ついにγGTPが2000超えし、さすがの私も大人の値だと笑ってもいられなくなって断酒を覚悟した。以来、本日に至るまで約9ヶ月間、そこにどんな宴会があろうともアルコールはびた一滴口にしていない。おかげで検査値は半分以下にはなったけど、そのあたりでまだ停滞中なのがチト残念。

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私にとって最も似合わない節制が禁酒だという事は自他共に認めるところだが、思えばそれが全ての始まりを暗示していたのかもしれない。今年はとにかく身体に過酷な年だった。

まずはやたら気になってきた夜間頻尿と排尿時の違和感の治療に泌尿器科のKクリニックを受診。当初疑われた前立腺関係は検査値に異常なし、最もよくある前立腺炎の疑いという診断で植物製剤を服用開始。かねてから研修の場では、この薬剤の効果は「?」と言って来た私だったが、いざ患者の立場となれば弱いモノ、朝晩かかさず2錠ずつを100%服用、だがやっぱり症状は改善せず、α1ブロッカー併用でようやく治まりが見られた。

返す刀で、10年以上ダマシダマシ引きずっていた胸部の粉瘤の除去手術を受ける事を決断した。形成外科といえばおあつらえ向きに定評のあるK病院があった。だが、内部の腫れが引くまで数ヶ月通ってオペに至ったのはすでに7月に入った頃だった。

ところが今度は処方箋を取りに行ったKクリニックで尿細胞診で異常があったと言うではないか! イヤイヤ膀胱内視鏡検査を受けたら見事に腫瘍発見! 再びK病院の今度は泌尿器科へ。お盆の週に入院手術が決まり、全麻のオペからその後の地獄の日々については以下にブチまけた。

「手術は尿カテとの闘いだった!」
「術後に苦痛が待っていた!」

ついでにこの顛末は、患者の気持ちを知る題材の一つとして研修ツアーで披露させていただいた。

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今年になって最も顕著に顕われた身体に関する災難はこれでほぼ通り過ぎたと信じたい。

大好きなツーリングもマトモな身体あっての事である。恒例のPOOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)の総会こそなかったものの、私の所属しているオーナーズクラブであるBMWメタボ会、マッキナ、CB1のツーリングには研修ツアーに重ならない限り参加できたように思えた。

特にマッキナの恒例イベント、ガラガラの平日に箱根をバビューンする通称「ガラ箱」は今回「ガラ富士」となったが、思い切って月曜日に休暇を取って初参加した。この会はなぜか雨の事が多かったが、この日は天気に恵まれた。最大のウリは、車載カメラで参加車のバビューンを撮影し、映画のように編集して上映会を催すというもの。速さはともかく、自分の走っている姿が自分で見られるのは貴重な機会だった。

もうひとつの初参加はCB1のお泊り忘年会 in 西伊豆。この会の朝は早い。この日も早朝7:00に海老名SA集合というので、松本の研修ツアーから帰郷翌日にはせ参じたものの、どうやら腹風邪を引いたらしく、夕方から微熱と食欲不振と下痢。翌日の午前中でリタイアとなってしまった。次回はしっかりリベンジするぞ!

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数年前のジム・ホール来日コンサートが本人の体調不良で延期になった(チケットは払い戻した)のを最後に、自ら進んでチケットを買って会場に足を運ぶという事がなかった私とカミさんが、ひょんな事からポール・マッカートニーのチケットをゲットし東京ドームに同級生K夫妻と待ち合わせたのが11月。

正直、これを逃すと生きたポールが二度と拝めない(事実、ジム・ホールは今年亡くなった)という思いからだったが、演奏に涙を流しながら一緒に歌うという今まではない経験となった。40曲を水も飲まずに歌い上げたポールのプロフェッショナル魂にも感銘を受けた夜だった。

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こうして一難を振り返ってみれば、確かに365日分の人生イベントは起こっていた。それでもクリスマスや大晦日を迎えたのはついこの前の事で、たぶん明日言うだろう「おめでとうございます」も今年初めの光景と共にハッキリと覚えているから、やっぱりこの一年は速かったと断言できる。

来年は少しは良い年が来ますよう。なお、イベントに登場するイニシャルがKばかりというのは単なる偶然である。






あれれと言ってる間に晩秋だ

伊豆大島に死者35人超という未曽有の災害をもたらした台風26号。いまだ復興中途の東北に、設立9年目にして初のリーグ優勝&日本一という歓喜をもたらした楽天イーグルス。その間に93歳の大往生を遂げた打撃の神様川上哲治氏。

そんなこんなを抱えながら、時はいつしか晩秋の11月へと移って行った。今年ももう残り2ヶ月を切ったのだ。

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プライベートのイベントも盛りだくさん。先月14日には長男の企画で家族ランチ会。私の母親、妹、カミさんや息子達をメンバーとして不定期ながら私が声を掛けてやっていたのだが、いきなり彼からやりたいと言い出したのだった。

こりゃ何か企んでるなとピンと来たが、その理由はあえて聞かなかった。母親づてに聞けば、どうやら紹介したい女性がいるらしい。といってもまだ本格的に結婚云々というところまで進展しているワケでもないという、いかにも長男らしい中途半端な状態。いちいち私と母親の両方の家へ連れて行くよりも食事会で紹介すれば手間も省けると思ったのだろう。

場所は日本橋の再開発ビルの天ぷら店。着いたらカウンター席仕様の個室があつらえてあり、雰囲気的にもちょうど良い塩梅。彼女は息子の1歳年下で、和気あいあいの感じで食事が進んでいった。まだ本決まりじゃないから結婚の「け」の字も言わないでくれと言っていたらしいが、なんのなんの、両人ともすでにその気満々のオーラ十分じゃないの。こりゃ年明けあたりからいろいろと忙しくなりそうな予感。

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26日には、およそ7年振りに中学の同窓会が江戸川区船堀のホールで開かれた。今回は同窓会に先立って、分校として開校した中学の55周年記念会も開かれたようだが、我々の生まれた年に開校したという事は、その会に集う卒業生も我々の親かそれ以上の世代の人達が多いと思われ、私は同窓会の部から出席した。

すでに鬼籍に入られた先生や同級生の名前が告げられるというのもこの年代ならではの宿命と言えなくもないが、その名を聞くたびに思い出と共に悲しみが込み上げて来る。ホント、ここまで来たら生きてるだけで儲けモンである。

我々の中学時代は今では信じられないくらい厳しい校則に縛られていた。男子は坊主頭、女子は肩より短い髪形が必須。ひとたび校内放送のチャイムが鳴れば、何をしていてもその場で直立不動で聞く。これが卒業後もだいぶ長い間、デパートなどの館内放送チャイムに反応し思わず直立不動になってしまう副作用を生んだ。私はPTSDと呼んでいるが、同窓会で決まって出る笑い話である。

交通機関を使う外出は父兄同伴、学区外まで出る時には制服制帽。都民にも関わらず、それまで一度も乗ったことのなかった山手線に休日に同級生と初めて乗って周回しただけで職員室に呼び出されてビンタを食らった。当時流行ったボウリングや喫茶店に行った事がバレた時は全員職員室に正座させられて長時間の事情聴取の末、やっぱりビンタ。

それを今さら先生方が詫びるのである。「今だったら首がいくつあっても足らない。あの時はすまない事をしました」

とんでもない! あの頃はモンペなどいなかったし、必要な体罰は認められていたのだから。何より父兄から先生への信頼が厚かった。私の両親なども「悪い事をしたら死なない程度にひっぱたいて結構です」とPTAのたびに言っていたくらいである。体罰は良い意味で教育であり躾でもあった。だから生徒は(ほぼ)真っすぐに育ったのだ。だってそれが今、リッパな笑い話になっているんだから。

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11月2~3日はウチの部署恒例の春秋キャンプ。今回も一番高いけど一番設備の良いPICA山中湖。いつもは土砂降りの時もあったくらいの雨模様なのだが、不思議に天気には恵まれた。

内勤職から営業職まで20名弱の参加者で、今回も大いに盛り上がった。久しぶりに参加した個性派の女性営業部員の超絶な体験談が夜のBBQ宴会を大いに盛り上げた。消灯時間が来てコテージに移ってからの脱衣UNO大会もね。もちろん私はひたすらウーロン茶だったけど、酒が入らなくても楽しさは変わらなかった。

短縮講習からさほど経っていなかったのが玉にキズだが、高速では、トラックとバンとプリウスしかいない事を前後左右しっかり確認し、今回ピックアップした女性2人を乗せたまま思い切り踏んでみた。いつもより重かったにも関わらずスンナリとぬよわkmあたりまで加速し、新鮮な刺激も味わえた。やっぱこれがなくちゃね。

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仕事の方はボチボチ12月の研修ツアーのためのコンテンツ作成に拍車がかかって来る頃である。こうなると休日と言えども宿泊を伴うイベントはやりにくくなるが、日帰りイベントならまだまだ予定は入っている。ON/OFFを上手に切り替えながら、残り少ない年末までどちらも楽しんでいきたいね。




もう10月ですよ~!

ようやく全国研修ツアーが終わったと思ったらもう10月。定例にしているツアー翌月上旬の営業スキルアセスメントで今回は大阪に来ている。その3日間の最終日、ふと気づけば先月のブログエントリはついに1回のみとなっていた。

ツアーの忙しさに加え、別の領域の営業部隊研修の企画、専門知識とスキルを備えた営業部員育成のための認定制度の策定や研修トレーナーに求められるコンピテンシープロジェクトなどの業務が目白押しで、とてもブログと向き合うヒマもなかった。おまけにMixi、FB、TwitterなどSNSでのやり取りがそれに拍車をかける。ま、ブロガーのはしくれとしては言い訳にもならないけどね。

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先月8日の早朝、56年ぶりとなる2020年の東京オリンピック開催が決まった。

あの時の私は小学校1年生、楽しみにしていたアニメや特撮番組が次々にオリンピック中継に差し替えられてしまった悔しい感情を今でも覚えている。

さっそく最終プレゼンで飛び出した滝川クリステルの「お・も・て・な・し」が流行語大賞の最有力候補と騒がれた。冒頭の高円宮妃久子さまの流暢な英仏語による格調高い挨拶や竹田招致委理事長の笑顔溢れるスピーチも素晴らしかったが、何と言っても私にはパラリンピック走り幅跳びの佐藤真海選手のプレゼンが極め付けだった。

スポーツに熱中していた大学時代、突然襲われた骨肉腫によって片足を切断。同時に彼女の夢と希望もその瞬間に切断された。その時の絶望感は想像して余りある残酷なものだったろう。それを努力で乗り越え、なおかつ東日本大震災を乗り越え、彼女はパラリンピアートとして輝きを取り戻したのだった。

こんなに凄まじい人生経験を背負った人間のスピーチは、聞く者すべてに圧倒的な迫力を感じさせたに違いない。明るく話す彼女の笑顔に隠された凄さをひしひしと感じたに違いない。GJ!

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そんな9月の月末近い29日、カミさんが職場にやり残した緊急の仕事がある言うので、車で送って行く事にした。

その日はバカに陽気の良い日曜日、いつのも山手通りも車が少なくスムーズだった。送ってひと仕事済ませた後はランチにでも行こうかとアクセルを踏む足にも力が入った。

目白通りに近づいたあたりで信号待ち。ふと見ればその先に旗を持った警官がこちらを見つめているではないか! ネズミ取りに捕獲された事を悟るには十分だった。

ここはアップダウンはあるものの、信号以外には何もないストレート。左側車線を走っていた私は確かに急いではいたが、歩道には歩行者はもちろん、前後にも車の影さえなかった。普段は必ず渋滞が発生するこんな道で、なぜに今日、スピードの取り締まりをする必要があるのか? 秋の交通安全週間という理由だけでは納得いかない。

測定では36kmオーバーだと。こうなったら何を言ったって、どうせ赤切符である。腹立ちまぎれついでに思い切り悪態をついてやった。民間の月極駐車場を間借りした取り締まりスペースには男性警官2名、女性警官2名がいた。

「こんな信号しかない危険でもない道で取り締まりをやる必要なんてないだろ!」
「少なくともアンタらは市民に信頼される警察官とは対極の存在だな!」

今月下旬に錦糸町の裁判所へご招待され沙汰が決まる。過去にいつ頃行政処分を受けたかは覚えていないくらいだが、最近の道交法によると7諭吉+30日免停らしい。こりゃリッパな高額納税者である。

そして5年前に続いてまたもゴールド免許目前での違反、いつもこれ。かれこれ10数年もおあずけ状態である。昔の営業職時代から優等生免許にはとんと縁がなかったから、きっとそういう運命なんだろな。





いろいろと変化が

9月度の全国研修ツアーの担当は全13会場とやや少なくなった。今回からKJ君がトレーナーデビューし、チームメンバーが5名体制になったため、若干負担が減ったからである。パートナートレーナーの構成が変化するのは良くも悪くも刺激的だ。

だが、いつにも増してコンテンツの仕上がりが不十分という感を受けている。MKT部門との合意、スライド作成、チーム内の予演会などが遅れ、研修スタート後もいろいろと微修整が必要だった。その過程で、コンテンツ作成者との意見の齟齬やスタンスのブレが明らかになったりと、今後への課題も浮き彫りとなった。

また、部署内プロジェクトで作成されたトレーナーコンピテンシーの目標設定&フィードバックも試みられる。プロフェッショナルを目指す研修トレーナーのスキルアップは、とかく個人技が重要視される職人的な世界であるがゆえ、本来自分で意識して自分で向上させるべきもの。気付いて学んで盗めば良い。

ま、そうは言ってもレベルには少なからぬ個人差もあり、ただ放っておいていいものでもなかろう。そのために目指す指針としてトレーナーコンピテンシーを設定して、それを部署内に定着させて行こうというのである。

ともあれ、今月3日からスタートした研修、私の担当会場は前半は東京、千葉、静岡、横浜などの近場から始まり、先週末は研修初開催で高校の修学旅行以来およそ40年ぶりとなる松江市でひと段落ついた。今週からは高松、三宮、神戸の関西ラウンド、来週は盛岡、仙台、大宮の東北ラウンドで千秋楽を迎える運びである。

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術後の排尿痛との闘いは、ここへ来てやや沈静化を見せた。と言ってもまだ消滅に至ったわけではないが、一時とは比べものならないくらい楽にはなって来た。トイレに行くのが怖くなってしまった私にとっては嬉しくも大きな変化だが、それでもすでに手術から1ヶ月も過ぎている。

研修ツアーで私がこの分野の製品研修を担当する会場では、一患者の経験談としてオペ好きDrへの処方提案時の話題として使っていただければいいと考え、5分位しゃべらせていただいている。Patient Focusを推し進めている会社の方向性もあって、受講者の反応は概ね良さそうだった。

こんな話が少しでも現場の役に立てば本望である。

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台風18号が大きくスライスがかかって関東地方に向けて接近中のため朝から大雨が降っている。そんな中、明日に卒検を控えている息子が効果測定のために教習所へ出かけて行った。何せ3週間程度で免許を取りたいと言ったために教習所にガッチリとカリキュラムを組まれた手前、おいそれとは休めない。それよりこんな天気でも教習やってるのかね?

いずれ息子が乗るかもしれない愛車の内外装のプチモディファイ、名付けて「白車黒化計画」が少しずつ進行中。少しずつでも車が変化して行くのは大いなる楽しみである。

先日イタズラで剥がされてしまったカーボンアイラインは取り除いたが、敢えて塗装をせずにマットブラックのままで装着したボンネットスポイラーを始めとして、ボンネット&トランクエンブレムをオールブラックデザインに、ホイールセンターキャップもブラックデザインに、さらにキドニーグリルをマットブラック仕様に交換した。

返す刀でサイドマーカーをLED内蔵の派手めのデザインに交換したが、こういうものはガラが悪くなる一歩手前で寸止めするのが粋と心得ている。

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さて明日の夜便で高松へ前泊移動移動するが、心配される台風は明日の午後には房総沖以北に抜けて行くだろうから、まあ大丈夫と踏んでいる。その意味でも3連休というのは貴重でありがたい。




連休つれづれ

例によってGWはあっという間に過ぎ去り、5月も中旬に差し掛かって来た。前回のエントリがGW突入前後の記録だったので、その後の日々を記録として残しておこう。

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4月28日
ウチの会社も利用しているケアネットが主催するイベントで、Drによるショート・プレゼンテーション大会が開催されるというメールが少し前に届いていた。ちょうど私の部署で研修トレーナーのレベルアップのためのプロジェクトがスタートしたところで、何か参考にできるものがあればとエントリーしておいた。で、会場である新宿にある未来都市みたいな建物のホールへ昼前に出掛けた。

今話題の「TED」を意識したスタイルで、プレゼンターは自分の症例や医学的見解を7分〜10分で語る。業者による撮影も行われた。参考にしたいプレゼンスキルもあったが、私はむしろ紹介された症例の方により興味をそそられるという思わぬ展開となってしまった。

4月29日
所属するBMWオーナーズクラブの一つ「メタボ会」の車なしのオフ会。上野駅不忍口に参加予定者11名が集合し、一見普通のチェーン居酒屋にも見える「伊勢ろく」にて大人気の親子丼や鳥そぼろ丼を堪能。タップリ味わえる肉倍量バージョンがオススメ。

かの昔、須田開代子や中山律子などの女子プロボウラーが一大ブームを築いた「レディズ・チャレンジボウル」というTV番組があった。その試合中継でおなじみだった「田町ハイレーン」でボウリング大会をするのが今回のオフ会のメインテーマだった。

胸部粉瘤の治療中の私は出場辞退したが、参加メンバーは100点前後の争いでいい意味でドングリの背比べ。初参加の筆者さんなどは足を骨折をしていても杖をつきながらの片手スロー! その中でも2ゲームトータルのアベレージで余裕の100点超えだったナツコさんが優勝! 予定調和となってご機嫌ナナメにならずに済んでメデタシメデタシ。

ボウリングが終わっても外はまだ真昼間の明るさ。私はここでお別れしたが、残ったメンバーは飲みに行ったらしい。一部ヘベレケになったメンバーもいたらしい。そりゃ~イかんたろう!

5月1日
仕事が休みだったカミさんを乗せてイザ鎌倉。ちょうど富士山が世界遺産認定確実のニュースがあった直後で、落選した鎌倉の残念賞ドライブツアーとなった。学生時代に友人と初日の出を見に来た鶴岡八幡宮、小学校の遠足以来の鎌倉大仏を回って、ランチに選んだのが「アマルフィ・デラセーラ」。

駐車場から江ノ電の線路を跨いで渡り、長い石段を登った山の上にあるイタリアンレストラン。景色とピザがGoodとモヤさま2でも紹介されていたので、いいチャンスとばかりに行ってみた。GW中とはいえこの日は平日のはずなのに我々の前にはすでに10組以上のエントリーがあった。ノンアルカクテルとパスタ、ピザのランチコースをシェアしたが、CPの面から言えば景色込みと思えれば納得レベル。

食後、テラスから見えた江ノ島を最後の目的地としてさらに車を走らせた。心配された天気は曇り止まりで、少々寒かったものの、雨に祟られないだけマシだった。

5月2日
カミさんは仕事なので一人でウダウダ。ふと美味しいつけ汁うどんが食べたくなって検索してみる。すると埼玉県吉川市に評判の良いうどん屋がある事が判明し早速出掛ける。「風布うどん」は周りには何もない街道沿いのお店だった。オススメの肉汁つけうどんとクーポン提示で貰える竹輪天をオーダー。豚肉&長葱&油揚げタップリのつけ汁は、思ったよりも薄味でやや甘め。コシのあるうどんとの相性バツグンで美味しくいただけた。来て良かった、こりゃ再訪確実だな。

その足で「足利フラワーパーク」へ。実はここ、前夜のTV番組で女性樹木医が丹精込めて育てた600畳に及ぶ大藤があると知った。今日も世間では平日、さほど混んではいないだろうと読んで一気にバビューンしたのだった。

東北道は順調だったものの、目的地付近はやっぱりそれなりに駐車場行列だった。無料駐車場まで続く行列に並んで停まっていたら、ふとそこに一日500円という施設駐車場が! お姉さんもおいでおいでしているじゃないの! 速攻で入ったのは言うまでもない。そう言えば、先日の鎌倉大仏の時も直近まで車で突っ込み、2時間800円の駐車場に飛び込んだな。忍耐や手間をお金で解決しちゃう悪いクセだわ。

百花繚乱とはこの事だろう! 例の大藤の大棚が3ヶ所、八重藤の大棚が1ヶ所、その他、園内の至る所に白や黄色の藤を始め、藤以外の花々が競うように咲き乱れていた。入場料1600円はチト高いと思うけど、たまには花の色に癒され、花の香りに惑わされるひと時というのもいいモンだった。

5月3日〜4日
家でウダウダ。たまに近場を彷徨。そろそろ飽きて来た?

5月5日
所属するもう一つのBMWオーナーズクラブ「CB1」の夜のウダウダオフ会に顔を出す機会が得られた。思えば去年7月の名古屋お泊まりオフ会以来、何と10ヶ月ぶり! 不思議とイベントと仕事のスケジュールが合わなかったからだった。

他のクラブだと3シリやZ4などが主流なので、何となく肩身が狭い思いもするが、ここに来ると1シリが大多数なのでホッとする。それだけにメンバーの年齢層も若干若めで、それが新鮮な刺激となる。こういうクラブの使い分けもいいな。

5月6日
連休最後は殊勝に親父の墓参り。母親と長男を乗せて八柱霊園へ。暖かいけれど風は強い日だった。




西へ北へと

4月の第一週も忙しかったが、先週も西へ東へ北へとめまぐるしかった。

まずは約2週間の錦秋の成果を確かめるべく火曜日の朝イチに検診に赴き、少しばかりだったが検査値の改善にホッと胸をなでおろしたのもつかの間、すかさず2週間後のフォロー検診の予約を取らされたのだった。もちろんそれまで禁酒は続行されるハメとなった。

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続いて木曜日は3年振りとなる新卒採用試験官 in 大阪。前回の入社試験は福岡で人財部のメンバーと2人一組で短い個人面接を通して、次のステップに進ませるか否かのジャッジメントを約20名に行なった。その際、パートナーS子のある意味ドライな目利きに唖然とさせられ、こりゃとてもじゃないが私なんざにはムリと思わされたのだった。

今回は一転、1グループ8名程度でグループディスカッション形式で試験すると言うので、それなら私も新卒当時受験した会社の採用試験でやらされた事があったので、個人面接よりはいいかなと引き受けた。もっとも、私の時代のグループディスカッションは結構いい加減で、討議するテーマは当時流行った映画のキャッチコピーだった「オオカミは生きろ、ブタは死ね」だった。これを大真面目に話し合ったのだから、今となっちゃ笑える話だわね。

さて時代は移り、今やグループディスカッションの素材も業者から購入する時代となったようだ。それも詳細なデータを載せた冊子が配られ、プロモーションしていく上で俎上に上がった複数の製品の中からどの製品が良いかについて、個人発表とグループ討議を行なうという仕掛けである。我々はそれをチェックし、合否をジャッジするというわけである。

だが彼らは大学の最終学年になったばかりの学生だ。こんな実践的な課題で十分な分析や討議が出来るとも思えないが一生懸命に取り組んでいた。もし私の時代にこんな内容の試験がされていたら、少なくとも私は受かってはいなかっただろう。

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明けて金曜日は中途入社者研修。今回中途入社した男女2人を相手に、朝9時から午後6時近くまで一人で喋りまくる肉体的にハードな一日だった。

それと言うのも、今回研修したこの製品は今年から積極的に打って出ない方針となったため、本来4日間で行なう内容をわずか1日に無理やり凝縮させたインプットオンリーのコンテンツで、約300枚のスライドで構成されている。だから丸一日、枝葉の話も含めて喋り通して一杯イッパイなのである。

受け身で対応すればいい製品の研修なんて、聴く方だってテンションは上がらないよな。

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土日はいよいよ待ちに待った恒例のキャンプかと思っていたが、これが大きな勘違いで実は一週間後だったと気付いたのが金曜日だった。

CB1初の関西オフを別件バウアーと参加表明できなかったのが悔やまれたが、もうひとつのメタボ会のイベントが残っていた。それが「三春滝桜ツーリング」。まさにドタ参だった。

滝桜周辺の大渋滞が予想されたため、メタボ会のオフミにしては珍しく午前5時45分までに常磐道守谷SAに集合。そこには、アフロヘアのヅラをかぶり、背中に「ドエム、時々ドエス」と書かれたジャージを着た隊長が待ち構えていた。このノリは他のオーナーズクラブにはまず見られない貴重(?)なものである。

SAにも関わらずアクセル全開モードで現れた裏番長のナツコさん(♀)親子、出発時間にギリギリ間に合った表番長のペコさん(♀)を含めて、今回は総勢10台、17名の布陣。午前6時過ぎにトレイン走行で出発した。

ところがこのクラブ、B型人間が多いせいかトレイン走行なんて最初だけ、たちまちペコさんやおいちゃんのZ4が右車線を時速ふわわkm近い速度で駆け抜けていくではないか! そしてあっという間に見えなくなったと思ったら、各車を撮影するはずのKOUMORI幹事を載せたなーさんのBRZも最初に写真を撮ったきり去って行ったのだった。

私もスプリントブースターを全開の赤設定にして追走するも全くのムダ足と化した。所詮、4発2000ccには限界があるわな。

このまま滝桜へ直行すればまだ良かったが、何と中郷SAでノンビリと朝食タイム。おまけに磐越道船引三春ICからの混雑を避けるために降りるはずだった小野ICを事もあろうにペコ号がまたもふわわkmでスルーしてしまい、行方不明になるという事件も起きた。ノンビリし過ぎて滝桜周辺はすでに大渋滞勃発。仕方がないので4km近く離れた山あいの桜の公園に車を停めて往復8kmの道を延々歩くハメになったが、風も爽やかでこれはこれでいい運動になったようだ。

去年のGWに葉っぱだけの滝桜を見てリベンジを誓った私だったが、見事に八分咲きの滝桜をこの目で見る事が出来た。葉っぱの頃とは雲泥の差の人出だったけど、前回も食べた滝桜ソフトでソフト部活動も新入部員の空蝉さんや久美さんと共にしっかりやった。

それにしてもこの人出の中を、背中に「ドエス」「ドエロ」「ドエム」と書かれたショッキングピンクのジャージを着たまま歩き通したナツコさん&空蝉さん&久美さんの熟女、もといOBAN、もといレディースの面々の根性には頭が下がる。通り過ぎる周りの観光客から二度見されるわ、「あの人たち、絶対カタギじゃないよね」などとヒソヒソ囁かれるわ。

ところで行方不明だったペコさんが機転を利かせてランチの予約をしてくれた。おかげで大人気のブッフェレストランに17名ものメンバーが大行列の客を尻目にスンナリ入れたのはGJ! 一同、大変美味しくたらふく頂きました。

再び桜の公園に戻り、車とメンバーの集合写真を撮り、そしてしばしウダウダ。やがて友部SAまで一気に戻ろうという事になり、ここで一次解散。友部に着いたらこの先3ヶ所で事故渋滞との知らせ! ならばと一同腹を括って夕食を食べながら時間調整。だからと言って隊長&ネコさん、ドンブリ4杯は食べ過ぎじゃないの?

家にお子さんを置いて来ているというapolloさんご夫妻、E46ALPINA乗りのhiroさんご夫妻、シゲさん&ぴらさんの異色コンビともここでお別れ。事故処理も収まって来た午後8時過ぎ、隊長号の後ろについて行くはずがいつしか追い越し、今度はナツコさんに煽られ続けて右車線を巡航ぬえわkmでひた走って午後9時半前に無事帰還。あー怖かった(爆

総走行距離およそ550km、久しぶりの長距離でアクセルを気持ち良く踏み続けた爽快なツーリングだった。





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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