誕生の日に

日本時間の21日未明、海の向こうでは大統領選で大方の予想を覆しヒラリー・クリントン氏を破ったドナルド・トランプ氏が第45代アメリカ大統領に就任した。一方、ここ日本では坂口敦朗というOYAJIが還暦秒読みとなる59歳の誕生日を迎えた。

ドナルド・トランプという名前は、もともと私の記憶に刻まれてはいた。今から30年ほど前だろうか、彼は不動産ビジネスの大成功者として時代の寵児となり、彼に関する幾多のビジネス書が書店に並んだ。そのうちの一冊を私も購入した。内容はもう忘れたが、当時のバリバリ現役ビジネスマンにとって、ある意味バイブルとも位置付けられていた書籍だった。

そんな人物が紆余曲折があったにせよ、まさかアメリカ大統領になるとは思わなかった。就任直前の支持率では何と不支持が支持を上回るという現象も起きている。民主的なシステムで選ばれた大統領なのに認めないと言ってみたり、反対デモまで行うとは、アメリカもとんだ民主主義国家である。ま、突き詰めれば民主主義なんて所詮こういうモンなのだろうな。

さて実際のところ、私が還暦直前を迎えるなんて、誰より私自身がイメージを持てなかった。今でもそうである。だって来年赤いチャンチャンコなんだぜ? 一体どんなジジイになっちまうんだってんだ!

今の仕事に就いて一年半が過ぎた。膀胱がんの入院手術などで出足は少々躓いたものの、何とか今日まで大過なく、そしてここが重要なのだが、仕事に関してほとんどストレスフリーの日々を過ごして来れた事が嬉しいのである。つまりは抱いていたイメージ通りの仕事だったという事である。

言い方を変えれば、前社までの営業やオフィスワーク&研修ツアーなどの日々は、必ず目的達成のためのプレッシャーが付いてまわり、特に研修職人時代はそれが天職と感じつつも、周りからもあらゆる意味でプロフェッショナルを求められ、自分で自分にかなりプレッシャーを掛けていた。

それが一転、自分で自分のみを管理しつつ、ひたすら顧客志向で対応すれば自ずと結果が付いてくるという日々。自分の言動に対してエンドユーザーからダイレクトな感触を得られる単純さが良いのだ。

もちろん1日8時間の立ち仕事や品出しや棚替えなどの肉体労働的な側面もあるが、それを補って余りある顧客とのコミュニケーションが楽しかったりする。多分、数あるドラッグストアの中で、ここが一番いい意味で泥臭い地域密着型の営業形態だからだろう。

それでも親会社の毛色の異なるスタイルが日々迫りつつはあるが、ま、今のところは天職になりかけていると言えるだろう。

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さて、およそ30年ぶりにFBを介して再会した元同僚のN君から、今朝誕生日祝いのメッセージが届いた。出勤時間まで余裕があったのでしばらくやりとりしていたが、そこで驚くべき事実が伝えられたのだった。

これまた30年ほど会っていないN君と共通の友人であるTさんが、何と先週スキー場で雪崩に巻き込まれて亡くなったという。そのスキー場ではバックカントリー走行も可能らしく、それゆえ毎年のように遭難事故が起きているというが、Tさんはスノボによるバックカントリー走行にこのスキー場へ年に何度も通っていて、万一のためのビーコンなどの装備を万全にし、バディを組んで滑っていたそうで、決して安易に考えていたわけではなかったそうだ。

だが、このところの大寒波による降雪とそれによる大雪崩は予想外だった。突然の雪崩に飲み込まれて消息を絶ってしまったという。捜索も限界に達し、遂に打ち切りとなってしまったそうである。

思わず「諸行無常」という言葉が浮かんだ。

自営業に身を転じていたTさんは、経済的余裕と時間的自由を手に入れていたはずである。だから勤め人がいなくなった10日過ぎから悠々とスキー場入りしたのだろう。降ったばかりの新雪に勝手知ったるバックカントリー、さぞや爽快だったと思う。

物事は回数を重ねればそれだけ事故に遭う確率が上がる。これは一つの不幸な偶然だったのかもしれない。そうであったにせよ、とても理屈で割り切れるものではない。残された家族や友人にとって、それはどんなに悲しい偶然だっただろうか。

Tさんを偲んで、大好きな「風」の歌をここに捧げたい。



「あいつ」 詞曲 伊勢正三

雪の中 一人の男が 山に還って行った
ただそれだけの話じゃないか 慌しい季節の中で
花束投げたあの娘の言葉が こだまして帰って来るけど
雪解け水の音に消されて また静けさが訪れる

だからもう忘れちまえよ あんなやつのことは
こんな可愛いひとを残して 一人で逝くなんて
あいつがたとえ思い出ひとつ なにも残さなかったのは
あいつにすれば精一杯の 愛だったんだね

春が来たら去年と同じように また山で迎えよう
それまでにきっと あいつの得意だった歌を覚えているから
それまでにきっと あいつの得意だった歌を覚えているから



Tさん、どうか安らかに 合掌





恩師は90歳!

前回から一体何年ぶりだろうか。軽く10数年は経っているだろう。

今日は、そんな久方ぶりの大学卒論研究室の同窓会が品川PHで開催された。O先生が研究室の教授となられた時が52歳頃、そこから65歳の定年退職までの12、3年間の卒論生のうち、今回は実に100名近いメンバーが集まった。卒年度毎にテーブルを囲んだが、私らの年代は八王子移転後の入学1期生だったので上から2つ目のテーブルだった。

そのテーブルを筒井康隆とシュールレアリスムが好きなA、都内で手広く薬局をやっていたS、私大の薬学部教授となったK、薬学系公務員の出世頭のN、茨城から駆けつけたIの男性陣、浅草で薬局経営をしているM子、芝で薬局経営をしているS子、そして調剤薬局勤務のO子の女性陣が囲んで昔話に花が咲く。特に実習をサボって相模湖ドライブに出かけて大目玉を喰った話が盛り上がった。研究室の先生方には迷惑を掛けたけど、それまで真面目一筋の研究室にあって今でも良いガス抜きになったと思っている。卒業して36年経っても強烈な思い出として蘇って来るのだから。

そうこうしているうちにO先生とのテレビ電話が会場のスクリーンに映し出された。実はO先生、退官後は日野市から倉敷市へ転居され、さらに宇治市の息子さん宅に転居していた。御歳90歳、さすがに足腰が弱って上京はしんどいとテレビ電話越しの再会となったのだった。

それでも電話越しの顔は白髪頭の他はあの頃とさほど変わらない風貌で、その声はとても90歳とは思えない滑舌の良さ、まさにあの頃そのままという印象さえ受けた。会場のメンバーは皆、瞬時に「バカですね〜」などと怒られたあの頃にタイムスリップしたに違いない。やっぱり持つべきものは何はなくても健康体ですな。

私らが卒論生になった当時、大学院へ進学して実験に精を出していた1級上の先輩方との思い出話にも花が咲いたが、そろそろ定年を迎えた方もいて、そこはやっぱり薬剤師の集まりらしく、私のように第二の人生に薬局勤めを選んでいる人も少なからずいた。

あっという間に3時間が過ぎてお開きとなった後は、同級生で近くのティールームで二次会。さらにプライベートな話が披露され、私自身のこれまでの話もいろいろと語った。持病の話あり、親の介護話あり、息子の留年話あり、薬局の苦労話あり、それぞれの立場こそ違えど、そのお悩みには共通点が多かった。ここで少しでもガス抜きが出来れば、また明日からの活力も湧いて来ようってモンだろう。

We are not alone !





今日は穏やかな休日

昨日までの温かさから一転、花冷えの今日、身体の調子も少しずつ春に向かっているかなと感じられる。まだ頻尿と排尿開始時の痛みは残るものの、排尿終了時の痛みはほとんど生じなくなって来たから。

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そんな午後のひととき。しばらく延期していたコンサートDVDを観ながら一緒にギターを弾いて歌うセッションを再開した。本日のアーティストはさだまさし。コンサートは2009年に開催した「カウントダウン ソロプレミアム in 国技館」。彼のコンサートはプラチナチケットという事もあってまだ行った事はないが、このDVDでも十分に歌の味わいと彼一流のトークの妙を堪能出来る。

このコンサートはバンド編成はなく、ほぼ全編アコースティックギター一本という私好みのもの。懐かしいグレープ時代の「19才」「紫陽花の詩」「殺風景」をコンビの吉田政美のスタジオギターと合わせて歌って時の流れを感じさせ、「奇跡 ~大きな愛のように~」も曲が出来た当時のデモデープに入っている生演奏のようなギターのみのバージョン。それだけに逆に歌詞の意味が深く胸に染みて来る。

それまではじっくり聴き入っていたけれど、「フレディもしくは三教街」と「主人公」あたりでは、やはり思わずギターを手に取り一緒に弾きながら歌っていた。

国技館開催らしく彼の歌に番付をつけた番付表が作成されていて、東の横綱はこの「主人公」だったが、その座にふさわしく何度聴いても歌っても私の学生時代の心象風景と見事に重なって行く。そして西の横綱が「風に立つライオン」だった。改めて聴くとその歌詞が耳から入って来るたびに様々な感情が湧き出てくる。やはりさだまさしは「言葉」のアーティストなのだ。

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さて、仕事の方は半年に一回行われる恐怖の棚卸しを今週迎える。売場に陳列してある商品や棚の上下に収納されている在庫は業者が入って徹夜でカウントするのだが、問題はディスプレイや空箱展示品を間違えてカウントしないように除外して、翌日元に戻す作業が必要なのである。

今回、私はこの棚卸しが半年前と同様に初旬に行われると踏んでいた。ところがグループ会社の関係からか、今回は下旬に行われる事になったというのだが、私の方はすでに10ヶ月ぶりの温泉ドライブ旅行をセッティングしてしまっていた。だから棚卸し当日はいるものの翌日は不在となり、撤去した空箱などの復旧作業は他のスタッフにお任せしなければならなくなった。

さらに階段下にある在庫倉庫は業者ではなく自ら整理してカウント&封印しなければならない。これらの作業を明日明後日で完了させるしかないのである。しかも正確無比に。面倒くさいけど。

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息子夫婦がマンションを買いたいと言う。聞いて驚いたのだが、エリアは横浜市戸塚区辺りで最寄りの駅から徒歩10数分、広さは70平米もないというのに何と4000万前後もするという。同じエリアで一戸建ては区画も広めなのだろうが6000万円以上が相場だという。周りは殆んど山林や畑だというのに、だ。信じられん状況である。

公務員のお前さんと事務職の嫁さんの安月給二人掛かりで抱えるにせよ、ローン金額が大き過ぎやしないか? 我々だって未だローンを抱えているからさほどの援助も出来ないぞ。そりゃあ銀行サイドは商売だし公務員相手なら大丈夫なんて言うだろうけど、マンションはローンの返済金に加えて管理費や修繕積立金、駐車場代が持っている限り支払い続けなければならない。固定資産税も掛かるから想像以上の出費になるんだぞ。公務員宿舎の使用料の5~6倍の金額だぞ。

さらに子供でも生まれた日にゃ、保育園から成人するまでに3000万円掛かるという試算もあるぞ。何より結婚してまだ1年経っていないんだから、もう少し公務員宿舎のメリットを生かして蓄えておくべきじゃないのか?

物件を見に行ったカミさんが話を聞くと、息子よりも嫁さんの方が購入に前のめりらしいが、綺麗な新築マンションを見てしまえばその気になってしまう気持ちはよく分かる。我々も不動産が安いと言われる名古屋時代に同じくらいの価格のマンションを購入寸前まで行った経験があるから。でも東京のマンションもそれほど変わらないという事実を知ってすぐに我に返ったけどね。

いずれにしても住宅ローンは経済的に大きなリスクではある。検討し過ぎていけないということはないのだから。





リセットの新年となれ!

独特の切迫ムードに乗せられたお客さんが押し寄せた年の瀬から打って変わって静かだった年明けのお店。それも三が日だけの現象かと思いきや、とっくに松が取れた昨日になっても主婦の買い物や会社帰りなどの一部の時間帯のみに賑わいを見せるものの、全体としての来客はまだまだ少ない。これでは年末に売上げの先食いをしたに過ぎないとは店長のボヤキ。年始の地域小売店あたりはこんなものなのか。

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元旦は全ての店舗が年に一度の休業日。カミさんは元旦は毎年仕事始めで出勤となったので、私はおせちの宅配便を受け取った後に母の家へひとっ走り。山梨の旅館に嫁さんの親戚が集まって年を越すという恒例イベントから帰った息子夫婦と合流し、4人で夕食を食べてそのまま泊まって行くという息子夫婦を残して帰宅。私は翌日も公休日だったので昨年と同じに箱根駅伝を観ていた。展開されたのは一区から青学の驚異的なブッチギリ。そのままトップをキープして往路優勝。こりゃたぶん復路もそのままの完全優勝は確定だと思ったらその通りになった。連覇はスゴイが手に汗握る接戦もなく、ある意味、面白くはない結果だな。

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仕事始めとなった3日が無事に過ぎ、最初の公休日となった4日は、年末の回をスキップしたBCG療法の4回目を実施。今回は実施後にお決まりの排尿痛もあり、いよいよ効果が出始めたかと勝手に判断したが、同時に歩行時のツーンとした刺激も感じるようになった。寒さのせいでもあるのだろうが、一方で過去にもあった再発の合図と取れなくもない。いずれにせよ、今は決められた治療を粛々とこなすのみ。後は天命を待つだけである。

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カミさんを加えた息子夫婦との新年ランチ会が開かれたのは11日。お店はカミさんチョイスの銀座「アルジェントASO」。かなりフレンチ寄りのイタリアンだそうだ。料理は色彩豊かで見せる工夫あり、スープを後掛けしたり、ラップに香りを閉じ込めたりする遊びゴコロありで全員の満足度は高かったようだ。13%という異例(?)のサービス料は2人一組でサービスするシステムゆえか。それでも休日で賑わう銀座にあって、極めて静かな3時間を過ごせた対価と考えればむべなるかな。

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今の仕事は一日8時間の立ち仕事なので、思った以上に強制運動状態になっているのだろうか、家に帰ってソファに寝転がった後に立ち上がると足が痛いという症状が続いている。いや、仕事中でも残り2時間を切ったあたりから身体的なキツさを感じる。それでも目の前の仕事をこなしているうちに終業時間がやって来るという感じである。

お客さんからの相談に応じている部分は確かに頭脳労働なのだろうけど、朝の品出しや補充作業、レジ応対とそれを支え続ける身体はリッパに肉体労働だろう。かつての研修ツアー以外のオフィスワークの日々がまるでウソのように労働による疲労感に毎日包まれている。

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ああ、これが本来の労働の姿というものかもしれない。今ではむしろこのリズムの方が馴染んでいるが、それなら新卒の時から定年までこれを続けるかと言われればウンとは言えない。私にはこのステージでこの業務内容を数十年も続ける根性はない。それでもこの仕事を第二の天職と言えるほどに思えるのは、全く違うステージを歩んで来た中で運良く第一の天職に出会えたからである。

第一の天職を楽しみながらも不意に訪れた早期退職からの転職。やり切ったとは言えないタイミングだったものの、これが第二の天職に出会うキッカケになったのは紛れもない事実だ。年齢柄、もはや収入や地位を気にしても意味のない今だからこそ、余裕を持ってチャレンジ出来るという部分も大きかった。

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願わくばそんな有難い出会いから今の距離感を保ちつつ、今後訪れるであろう会社や身体の変化による悪影響を出来るだけ受けずに一日でも長く添い遂げたいと思うのが、激動の昨年にピリオドを打ってリセットするはずの新年を迎えた私の贅沢な願いである。





「壊」の一年

師走。私にとっておそらく人生最大の激動を味わわされた一年がもうすぐ終わろうとしている。

1月から「早くも決定! 今年の漢字は「壊」」で始まる一連のエントリを書いたが、はたして見事にその通りとなった。

早くも決定! 今年の漢字は「壊」
やっぱり壊!
この憤りは何だろ壊?
もういい壊・・・

平和だったのは10日間にも及んだ年末年始休暇の終盤、ノンビリと箱根駅伝中継を観ていた時までだった。思えば注目すらしていなかった青学が初優勝したのがその前兆で、ここからが思ってもみなかった事が起こる一年の始まりだったのだろう。

年始の社長メッセージで早期退職制度の実施が伝えられた。第一段階として管理職を対象とするものだが、考えてみればウチの部署の大多数は管理職職階だったからタイヘンである。さらに50代はほぼ退職勧告は免れないという話。

前年に相次いだ海外での不祥事に加え、そろそろ結審に向かうと目される集団訴訟などで多額の資金を必要とされる半面、海外では次々と後発品による売上げ減少と、非常に厳しい台所事情が背景にあったのは事実である。

こういう場合の常套手段である、出るを制すの経費削減はまず我々学術研修部門に向けられるのが常道だ。営業部隊の資質向上のためには研修という手段は不可欠なのだが、いかんせんそれ自体は外貨を稼がない。すなわち非生産部門と見做されて削減の象徴となったのだった。

これまでも合併に伴なう早期退職が行われて来た経緯はあった。その度に多額の割増退職金を手に去って行った先輩達を残った我々は羨ましく見ていたものだったが、いざ自分の番となったら割り切れない思いばかりが募って来た。

そもそも研修トレーナーという仕事が大好きで、天職と公言して憚らなかった私である。それが定年まで後3年という中途半端な時期に、事前の想定も覚悟もなく一方的に辞めさせられる事には大いに怒りを覚えたものだった。

転職エージェントを通して他社の学術研修業務を求めたものの、やはり年齢などがネックになり不調。折悪しく去年から早期退職を実施していた大手数社の人材が市場に溢れている中、トントン拍子に転職が決まった同僚などほとんどいなかった。未だに決まっていない者もいる。

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ならばと私は原点回帰を考える。今まで営業職では医療関係者、学術研修職では営業部員を相手に活動して来たものの、真のユーザーである患者さんへダイレクトに接する事は立場上ご法度だった。それは製薬メーカーの宿命とも言えるのだが、患者さんの疾病を治療する薬剤を販売しながら、それを実際に使う患者さんにはアンタッチャブルというのはまさに隔靴掻痒と言っていい現実だった。

それなら次は直接患者さんに相対せる職に就こうではないかと考え方を方向転換したのだった。薬局の薬剤師である。だが選択肢の一つとなった調剤薬局は、患者さんが求めるのは薬剤師への相談ではなく一刻も早い自分の薬の交付であって、医者と散々やり取りした後に敢えて薬剤師とのコミュニケーションなんて望まないのは私自身も経験している。だからここは私の本意にそぐわない場なのだろう。

求めたのはもう一つの選択肢であるドラッグストアの管理薬剤師。調剤業務は扱わず、相談という目的を持った患者さんにカウンセリング販売を行なう仕事なので直接患者さんからの声が聞け、自分の対応の良し悪しが直接返って来るのがいい。お客さんからの感謝の言葉がこんなに嬉しいものだとは、大昔に実家の薬局を手伝っていた頃にさえ遭遇した事はなかった実感だった。

もちろんそれだけではなく、販売業であるゆえの管理・発注・品出し、売り場改変、推奨品販売実績などなど小売店に必須の業務もあるが、それでも患者さんとのやりとりが毎日のやり甲斐となっていた。ある意味、メーカー時代の医療関係者とのやり取りよりも充実感を覚える事が少なくなかった。

これはもう第二の天職だと言えるまでにそう時間は掛からなかった。

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薬局のOYAJIが第二の天職だと実感したのもつかの間、再発した膀胱腫瘍のTUR-Btが待っていた。最初の手術からちょうど2年後のお盆の頃の入院だった。病理診断で腫瘍の根っこが筋層に達している疑いにより、2ヶ月後にセカンドTUR-Btを受けるために2度目の入院、退院2週後の出血による急性尿閉(AUR)で3度目の入院と散々な日々を過ごして来た。

この間、仕事は休みがちとなってあまり貢献出来ず、特に薬剤師が必要な1類医薬品を中心とした販売実績が振るわなくなった事は心苦しかった。それでも11月初頭から復帰する中旬までの間、他店の薬剤師の先生方が応援に来てくれた事は何よりもありがたかった。

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それやこれやで、10月の手術後2ヶ月が経とうとしている。ものの本によれば、術創部を含めた器質的機能的リカバリー期間は8週間前後とあるが、私もそろそろその時期へ到達して来た。まだ全くの無症状とは言えないものの、歩行を妨げる痛みの襲来は消え、排尿前後の尿道痛さえ無くなれば普通の生活を送れる程度にはなったようだ。

事ほどさように人生最大の激動の一年だったが、「壊」の文字通り、壊れたのは自分の身体だけでは無かったようだ。

退職以後の前社の様子が風のウワサで聞こえて来るが、残念ながらそれは良いものではない。年に4回、営業部隊に対するFace to Faceの研修機会はほぼ無くなり、年に2回、それも大人数の営業会議にくっつけた形で実施されているという。

これは想定された事だったが、案の定、営業部員達からの評価は散々らしい。そりゃそうだ。20人前後の少人数で一日かけて行なう研修に比べて数十名~100名に及ぶ大人数にステージから一方通行で喋るだけの研修の満足度が高いわけがあるまい。「今の研修はどうしようもない」と吐き棄てる者もいたという。

それだけではない。退社後だけでも既に数品目の供給停止や販売移譲という事態が発生している。

特に供給停止は安定供給を責務とするメーカーとしてはあってはならない事である。しかもそれが実績の柱となっている製品で慢性疾患治療薬と来たから重大である。グローバルメーカーとしてあまりにお粗末だが、逆にグローバルメーカーゆえの落とし穴なのかもしれない。いずれにせよ患者さんはたまったモンではないし、同じ業界人として情けない限りである。

最近でもワクチンメーカーの一つである化血研による数十年に及ぶ不正な製造販売が明るみに出た。それが上層部の指示による組織的な隠蔽工作だったというから開いた口が塞がらない。会見での理事長の度重なる絶句がコンプライアンスとガバナンスの欠如を物語っていた。

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それでも6月の長男の結婚や趣味のアコースティックギターのラインナップが増えたり、息子夫婦や3本のギターがそれぞれ異なる個性の響きを奏でる事に生きている喜びを感じたりもした。来週からは外来でBCG膀注療法がスタートするが、まあここも乗り切ればまた一つ安心できるステージに上がれると信じている。

こんなノンビリとした死生観を抱く間もなく、今年も著名人の急逝が相次いだ。

思いつくだけでも、歌舞伎役者坂東三津五郎、上方落語の大名人桂米朝、キンキンこと愛川欽也、ワイルドワンズ加瀬邦彦、究極の個性派萩原流行、骨太俳優の今井雅之、大好きな漫才師だった今いくよ、写真集も買った川島なお美、橘家円蔵というより月の家円鏡、ひょっこりひょうたん島のトラヒゲの声優熊倉一雄、寺内貫太郎一家の加藤治子、本当に憎らしいほど強かった大横綱北の湖、豪放磊落な阿藤快、 昭和の大女優原節子。そして水木しげる先生。戦争で片手を失ったにも関わらず、その常人にはおよそ描けない精緻過ぎる画風には昔から畏敬の念を禁じえなかった。

どんな年齢まで生きようとも納得して亡くなる人なんてほとんどいないに違いないから、さぞやそれぞれに無念だったろうと思う。合掌

それに比べりゃウダウダ言いながらも生きている私あたりはまだシアワセなヤツなのだろう。良い事ばかりが続くものでもないし、さりとて悪い事だけでもなく、やはり人生の禍福はあざなえる縄の如しなのかもしれない。





だましだまし

4日に退院し、それから10日間ほど自宅療養。後半は少しずつ活動量を増やしながら様子を見つつ、遂に今週から仕事に復帰した。

とはいえ、まだまだ試運転状態と言っていいだろう。今回は歩行を妨げるような痛みこそ生じないものの、歩行による振動が膀胱周辺に伝わって違和感を覚えるのは以前とさほど変わらない。加えて一日の立ったり座ったりの仕事に対応すべき足腰がなまってしまっていて、仕事が終わる頃には背筋痛まで覚える始末。排尿前後の尿道痛は相変わらずだし、若い時の回復力とのあからさまな差を否が応にも痛感させられている。そんな我が身を恨みながらの闘いはまだまだ続くのだろう。

それでも今月から応援に来ていただいた他店舗の先生方のおかげで、結構な時間と労力を要する本部指示の複数の棚替えもほとんど完了、気になっていた1類医薬品の販売も滞る事もなくなった。店長を始めとするお店のスタッフ共々、本当にありがたいサポートに感謝しきりである。まさに今や大人気となったラグビーの精神「ALL FOR ONE」を思い起こさせてくれた。

また、私のリタイアを聞いたお客さんからも労いの言葉をいただいた。このお店でまだまだ駆け出しに過ぎない私を覚えてくれていた事が何より嬉しかった。こういうお客さんのためにも可能な限り頑張り抜こうと気持ちを奮い立たせている。

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心身共に満たされないと人は物欲に走るのかもしれない。少なくとも私はそうらしい。膀胱に負荷をかけないようにソファに身体を横たえながら、ついつい覗いてしまう通販サイトとヤフオク。大抵は途中で我に返ってポチッとするのを躊躇うのだが、先日はよせばいいのにヤフオクで気になっていたエレアコ(珍しい材料で作成されていて現在は生産終了品)の現在金額があまりに安かったため、半分冷やかしで入札を始めてしまった。いつもなら想定金額以上に釣り上がると自然に手を引くのだが、思いがけずその金額で落札に至ってしまったのである。

しかも驚くべき事に、出品者は自宅から車で10分位の場所に住んでいて私の休日との都合も合い、直接手渡しが可能になった。相手は梱包と発送の手間が省け、私は送料の負担と受け取りの手間が省けるのでお互いWin-Win、こんな事はもちろん初めてのケースだったが無事に終了した。オークションにおけるトラブルは決して少なくなく、私も過去に苦い思いをさせられたが、今回は全くそれは無かった。要は当事者の人間性の問題であって、両者が邪な気持ちを持たずに誠実に対応すれば良いだけの話だ。私は落札後には可及的速やかな連絡と入金を心掛けている。

さてその運命的出会いすら感じさせるブツだが、実はかねてより取り回しのしやすいコンパクトなエレアコが一つあったらいいなとあれこれ探していた。そして価格との兼ね合いも含め、最終的にアイバニーズというブランドの胴厚の薄いシリーズに当たりをつけていた。その旧モデルが今回落札した「Ibanez EW30 PDE」だった。現行モデルよりも胴厚はあるものの、ボディはパドゥークというアフリカ原産のカリン(果実がなるカリンとは別種)製で、珍しい赤みを帯びた色合いと独特のデザインが気に入ってしまった。その音色は中~高音域に特徴があり、まさにチャラリ~ンと鳴るところから「チャラリン・アイバニーズ」と命名した。

これで我が家のフルサイズのアコースティックギターは3台となり、同じようにその音色から名付けられた長男の「ドンシャリ・マーティン(Martin D28M)」、二男の「シャラーン・フェンダー(Fender CD-220 CE)」と共にアコギ三兄弟体制となった。もちろんカミさんにはヤフオクで落札しちゃったなどと口が裂けても言えないので、知人から譲って貰ったと言っている。なぜなら返す刀でこれまた気になっていたエレアコ専用のコンパクトアンプ(YAMAHA THR5A)も落札していたからだった。こちらは普通に購入した事にしている。というワケで、支払いは必然的にエレアコ代はポケットマネー、アンプ代はカード払いとなった。ま、今回の入院でも保険金が結構出るからいいか。入院してても私はしっかり稼いでいるのだ。爆

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だましだましの毎日はまだ当分続くだろうし、来月からBCG膀注療法がスタートする。ネットの経験談によれば、BCGにより膀胱内に炎症を起こして自己免疫を賦活させて腫瘍細胞を撃退するがために、個人差はあるものの発熱や頻尿、排尿痛などの副作用を生じるというから悩みの種は尽きない。症状が無くなり普通の生活が送れるまでには優に年を越してしまうだろう。だがまだ絶望に浸る段階ではなくチャレンジすべき段階であるのは間違いない。

だましだましであったにせよ・・・。






振り向けばお達者クラブ

その話を聞いたのは同僚のUさんからだった。このUさん、35年ほど前に私が新卒で社会人デビューした、日本で名前を知らない人はいない有名な会社、K社の薬品部門の新人研修担当で、「我々で会社を盛り上げよう!」なんて言っておきながら、その後サッサと他社へ転職し、紆余曲折を経て私が転職した会社と合併した時に17年ぶりに再会したその人である。

会社OB&OGの親睦会なんて今時なかなかやってないだろう。ましてや粉飾決算事件によって消滅した会社の会である。毎年春秋に開催されていたようで、今回で何と55回だそうだ。これは一度くらい顔を出しても良さそうだとばかりに昼過ぎ、銀座ライオン6Fにあるクラシックホールへと向かった。

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毎回50名を優に超える参加者がいるそうだが、今回は50名ギリギリだった。クラシックホール貸切りの円卓が並んだ会場には、当時のお歴々の顔が。当時の面影を残している方や全く様変わりした方など多士済々。気がつけば私あたりが最年少という、まさにお達者クラブの集団のような景色に唖然茫然。

入社当初の配属だった本社の同じ部署の方が今回は一人も出席されなかったのが寂しかったが、それでも名前を覚えている人とは昔話に花が咲いた。こういう会には付きものの没故会員の発表と黙祷、そして初回参加者の自己紹介スピーチと続く。かくいう私めも壇上に上がって、ひとくさり思い出話を語らせていただいた。後で聞いたら、若くして鬼籍に入られている方もいて、さまざまな人生模様はここでも描かれていたんだなぁとしみじみ。

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90歳を筆頭にした先輩方といろいろ話をしていると、皆さん異口同音にこの会社で仕事に従事して来た事に満足していたり、誇りにさえ思っていると言う。地位や報酬に固執して短期間に会社を渡り歩いたり、会社と自分との関係をドライに割り切ったりという、ともすれば外資系企業に見られるメンタリティはまるで無い。古き良き内資企業の愛社精神がかえって清々しい。私も最初はそんな一人だったんだけどねぇ、どこでこんな軌道修正をされてしまったのだろうか?

私が入社した1980年は業界で営業関係者に対する年間100時間の自主研修がスタートした時で、なんと新卒ペーペーのこの私が毎月全国の支店を回ってエラそうに研修なぞをさせてもらっていた。それが今の会社での研修トレーナー業務に繋がっているとしたら、ある意味スゴイ事だろうと思う。

研修関係業務はそれだけに留まらず、中途入社者研修の手配や新人研修では新人と一緒に泊まり込みで実施(3ヶ月!)したりと、いつしかUさんと同じ業務にも手を染めていったのだった。これも現在の業務に確実に役立っている。

その他、新製品のパンフレット執筆や雑誌広告の企画デザイン、パッケージデザインなどにも携わらせていただいた。各製品の営業販促物の選定や大日本印刷と連携してロゴマーク作成などもさせてもらったりと、およそ新入社員ふぜいがタッチできる仕事ではない分野へも参画させていただいた。もちろん、それらの経験がその後の私のさまざまな業務に大いに役立った。K社というのはそんな会社だった。

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次回は来年4月下旬だそうだ。今度はもう少し若い世代のメンバーも参加して欲しいし、機会があれば私の方からも誘っていきたいと思っている。参加者の年齢や都合もあってか、特に二次会などの企画は無かったが、あっという間の2時間は実りの多い時間だった。

歩行者天国の中央通りを来た道を引き返して家路に向かう。家を出て来た時よりも気持ちが爽やかに満ち足りていたのは言うまでもない。





昨日の明日が今日になり

今までで一番速く駆け抜けて行った印象だった一年が終わって新しい年を迎えたら、ほどなくして一番迎えたくない日がやって来る。それが誕生日である。

今日で56回目の誕生日。昔は遥か先にあるんだろうけれども全く見えなかった「還暦」という節目にも、あとわずかオリンピックインターバル1回分の時間となってしまった。もっとも明治時代の日本人の寿命はせいぜい50代だったというから、これでも人並みの時間は生きて来られたという事なので、それはそれでメデタイと言えなくもない。

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肉体的な衰え以外は歳の割には若いと自負している。特に精神年齢は実年齢マイナス20歳くらいで留まっているなと感じる事が多々あるのだ。

人間関係はロジックよりもエモーションで反応する、モノを言う時はヒネリの一つも効かせず直球を多用する、人の言葉は良くも悪くも額面通りに受け止めてウラ(真意)を読まない、議論では必ず自分の考えを述べてから結論を求めたがる、などなど。

こうして論ってみると、精神年齢が若いと言うよりも多分にガキのまま停滞していて大人になりきれていないとも見える。どっちみち、この人格はもはや変えようもないと達観しているあたりは大人かも。

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死生観という言葉がある。

人はどう生き、どう死ぬのか。生き方は人それぞれ、人生いろいろなのだが、ひとつ言えるのは、生きて行く先の事は分からず、生きて来た過去は変えられないという事。だから人は未来の人生に希望を抱き、過去の人生から成長する。

過去によって人が成長する限り、後悔のない過去なんてあり得ないだろう。「青空」という私の好きな歌がある。作詞作曲は谷村新司。

雨は空からあざけるように 心の中に降りしきる
雨よお前は知らないだろう 傷つき悩む人の心を

昨日の明日が今日になり 今があるから夢を見る
雨よお前に負けはしない 雲の彼方はいつも青空

もうひとつ言えるのは、人は必ず一度死ぬという事である。実はこれが今、自分自身に一番刺さる言葉だったりする。

誰しもいつかは終わりの時を迎えるが、私は長生きという事に拘りを持たない。ただ願う事は、出来ればあっさり穏やかに終わりを迎えたいという一点である。普段から周りに言っている、前の晩にドンチャン騒ぎをして眠りに就き、翌朝になったら死んでいたという終わり方が理想だな。

苦痛に耐えながら息をしているだけの毎日は生きているとは思わない。動かぬ身体に辛酸を舐めさせられながらの毎日も同じだ。無責任な自殺以外なら死因なんて何でもいい。日本人の2人に1人は罹るという癌なら、治療なんて一切せずに緩和ケア直行でいいし、脳出血や急性心筋梗塞でもいいし、極端な話、事故による即死でもいい。免罪符は「昔ならこれで死んでいた」である。

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さて、今夜は珍しくカミさんから誕生日祝いの食事をと言うので、それならまた新規開拓とばかりに彼女のセレクトで荻窪のフレンチへ。それが分かっていながら、会社の前にあるイタリアンのランチ(バーニャカウダorグリーンサラダ、パスタ、パン、コーヒー)をパンお代わりで平らげてしまったダメな私・・・。





12月最初で最後のエントリ

年を追う毎にスピードアップして過ぎ行く一年。今年も生涯で最も速く大晦日に辿り着いた感で一杯である。

と言いながらブログの更新頻度が確実に低下しているのはどうしたものか? 私自身は現在、所属カークラブや登録メンバー・友達の違いなどによりmixi、FB、Twitterと3つのSNSを使い分けているが、これがともかくオンタイムにつぶやきや写真がアップできるモンだから堪らない。お手軽そのものにその時々のエネルギーが発散できてしまうから、ある程度構えてPCに向き合うブログの方はつい疎遠になって行く。

昨年あたりから月の更新回数がひとケタになり、今年はついに月イチという時もあった。しかしながら、日記を兼ねた記録や自分の考え・感想などを文字数の制限なく綴っていけるのがブログのメリットである事に変わりはない。来年もそういう意識を持って書き続けていきたいと思っている。

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スマホ(わずか2年でiPhone4sから5sへ機種変更!)のスケジューラーを確認してみたら、会津若松の大病院での製品説明会から今年が始まっていた。これは病院挙げての術後の合併症予防対策がスタートしたためだった。雪に埋もれた鶴ヶ城が今もはっきり蘇る。

そしてベテラン営業部隊の研修に本格参戦したのも1月だった。現役をリタイアした営業経験豊富なオジサンと子育てが一段落した営業経験のある主婦のメンバー達からは、研修トレーナー業務を通してたくさんの刺激と学びを受け取った。

過去、何度も企画されては定着に至らなかった我々の本業である研修トレーナーのコンピテンシーを今度こそ定着していこうとTCプロジェクトが発足した。何度も推敲を重ねた末にTCが明文化され、これまでの研修を通して相互フィードバックやリフレクションを経て定着が見られ、いよいよ年初の部会で成果発表というところまで漕ぎ着けた。ま、本来は個人個人が自ら意識して習得・実行すべきものだけど。

今や神奈川最大規模の精神病院の院長となった中学の同級生Kと20数年振りに再会したのも、同僚のグータラKが何と帝国ホテルで結婚式を挙げたのも2月の事だった。

今年最初の全国研修ツアーは3月にスタート。同時に生涯初の禁酒に踏み切ったのもこの時だった。人間ドック以外にも定期的に検診に通ってはいたが、ついにγGTPが2000超えし、さすがの私も大人の値だと笑ってもいられなくなって断酒を覚悟した。以来、本日に至るまで約9ヶ月間、そこにどんな宴会があろうともアルコールはびた一滴口にしていない。おかげで検査値は半分以下にはなったけど、そのあたりでまだ停滞中なのがチト残念。

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私にとって最も似合わない節制が禁酒だという事は自他共に認めるところだが、思えばそれが全ての始まりを暗示していたのかもしれない。今年はとにかく身体に過酷な年だった。

まずはやたら気になってきた夜間頻尿と排尿時の違和感の治療に泌尿器科のKクリニックを受診。当初疑われた前立腺関係は検査値に異常なし、最もよくある前立腺炎の疑いという診断で植物製剤を服用開始。かねてから研修の場では、この薬剤の効果は「?」と言って来た私だったが、いざ患者の立場となれば弱いモノ、朝晩かかさず2錠ずつを100%服用、だがやっぱり症状は改善せず、α1ブロッカー併用でようやく治まりが見られた。

返す刀で、10年以上ダマシダマシ引きずっていた胸部の粉瘤の除去手術を受ける事を決断した。形成外科といえばおあつらえ向きに定評のあるK病院があった。だが、内部の腫れが引くまで数ヶ月通ってオペに至ったのはすでに7月に入った頃だった。

ところが今度は処方箋を取りに行ったKクリニックで尿細胞診で異常があったと言うではないか! イヤイヤ膀胱内視鏡検査を受けたら見事に腫瘍発見! 再びK病院の今度は泌尿器科へ。お盆の週に入院手術が決まり、全麻のオペからその後の地獄の日々については以下にブチまけた。

「手術は尿カテとの闘いだった!」
「術後に苦痛が待っていた!」

ついでにこの顛末は、患者の気持ちを知る題材の一つとして研修ツアーで披露させていただいた。

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今年になって最も顕著に顕われた身体に関する災難はこれでほぼ通り過ぎたと信じたい。

大好きなツーリングもマトモな身体あっての事である。恒例のPOOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)の総会こそなかったものの、私の所属しているオーナーズクラブであるBMWメタボ会、マッキナ、CB1のツーリングには研修ツアーに重ならない限り参加できたように思えた。

特にマッキナの恒例イベント、ガラガラの平日に箱根をバビューンする通称「ガラ箱」は今回「ガラ富士」となったが、思い切って月曜日に休暇を取って初参加した。この会はなぜか雨の事が多かったが、この日は天気に恵まれた。最大のウリは、車載カメラで参加車のバビューンを撮影し、映画のように編集して上映会を催すというもの。速さはともかく、自分の走っている姿が自分で見られるのは貴重な機会だった。

もうひとつの初参加はCB1のお泊り忘年会 in 西伊豆。この会の朝は早い。この日も早朝7:00に海老名SA集合というので、松本の研修ツアーから帰郷翌日にはせ参じたものの、どうやら腹風邪を引いたらしく、夕方から微熱と食欲不振と下痢。翌日の午前中でリタイアとなってしまった。次回はしっかりリベンジするぞ!

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数年前のジム・ホール来日コンサートが本人の体調不良で延期になった(チケットは払い戻した)のを最後に、自ら進んでチケットを買って会場に足を運ぶという事がなかった私とカミさんが、ひょんな事からポール・マッカートニーのチケットをゲットし東京ドームに同級生K夫妻と待ち合わせたのが11月。

正直、これを逃すと生きたポールが二度と拝めない(事実、ジム・ホールは今年亡くなった)という思いからだったが、演奏に涙を流しながら一緒に歌うという今まではない経験となった。40曲を水も飲まずに歌い上げたポールのプロフェッショナル魂にも感銘を受けた夜だった。

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こうして一難を振り返ってみれば、確かに365日分の人生イベントは起こっていた。それでもクリスマスや大晦日を迎えたのはついこの前の事で、たぶん明日言うだろう「おめでとうございます」も今年初めの光景と共にハッキリと覚えているから、やっぱりこの一年は速かったと断言できる。

来年は少しは良い年が来ますよう。なお、イベントに登場するイニシャルがKばかりというのは単なる偶然である。






あれれと言ってる間に晩秋だ

伊豆大島に死者35人超という未曽有の災害をもたらした台風26号。いまだ復興中途の東北に、設立9年目にして初のリーグ優勝&日本一という歓喜をもたらした楽天イーグルス。その間に93歳の大往生を遂げた打撃の神様川上哲治氏。

そんなこんなを抱えながら、時はいつしか晩秋の11月へと移って行った。今年ももう残り2ヶ月を切ったのだ。

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プライベートのイベントも盛りだくさん。先月14日には長男の企画で家族ランチ会。私の母親、妹、カミさんや息子達をメンバーとして不定期ながら私が声を掛けてやっていたのだが、いきなり彼からやりたいと言い出したのだった。

こりゃ何か企んでるなとピンと来たが、その理由はあえて聞かなかった。母親づてに聞けば、どうやら紹介したい女性がいるらしい。といってもまだ本格的に結婚云々というところまで進展しているワケでもないという、いかにも長男らしい中途半端な状態。いちいち私と母親の両方の家へ連れて行くよりも食事会で紹介すれば手間も省けると思ったのだろう。

場所は日本橋の再開発ビルの天ぷら店。着いたらカウンター席仕様の個室があつらえてあり、雰囲気的にもちょうど良い塩梅。彼女は息子の1歳年下で、和気あいあいの感じで食事が進んでいった。まだ本決まりじゃないから結婚の「け」の字も言わないでくれと言っていたらしいが、なんのなんの、両人ともすでにその気満々のオーラ十分じゃないの。こりゃ年明けあたりからいろいろと忙しくなりそうな予感。

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26日には、およそ7年振りに中学の同窓会が江戸川区船堀のホールで開かれた。今回は同窓会に先立って、分校として開校した中学の55周年記念会も開かれたようだが、我々の生まれた年に開校したという事は、その会に集う卒業生も我々の親かそれ以上の世代の人達が多いと思われ、私は同窓会の部から出席した。

すでに鬼籍に入られた先生や同級生の名前が告げられるというのもこの年代ならではの宿命と言えなくもないが、その名を聞くたびに思い出と共に悲しみが込み上げて来る。ホント、ここまで来たら生きてるだけで儲けモンである。

我々の中学時代は今では信じられないくらい厳しい校則に縛られていた。男子は坊主頭、女子は肩より短い髪形が必須。ひとたび校内放送のチャイムが鳴れば、何をしていてもその場で直立不動で聞く。これが卒業後もだいぶ長い間、デパートなどの館内放送チャイムに反応し思わず直立不動になってしまう副作用を生んだ。私はPTSDと呼んでいるが、同窓会で決まって出る笑い話である。

交通機関を使う外出は父兄同伴、学区外まで出る時には制服制帽。都民にも関わらず、それまで一度も乗ったことのなかった山手線に休日に同級生と初めて乗って周回しただけで職員室に呼び出されてビンタを食らった。当時流行ったボウリングや喫茶店に行った事がバレた時は全員職員室に正座させられて長時間の事情聴取の末、やっぱりビンタ。

それを今さら先生方が詫びるのである。「今だったら首がいくつあっても足らない。あの時はすまない事をしました」

とんでもない! あの頃はモンペなどいなかったし、必要な体罰は認められていたのだから。何より父兄から先生への信頼が厚かった。私の両親なども「悪い事をしたら死なない程度にひっぱたいて結構です」とPTAのたびに言っていたくらいである。体罰は良い意味で教育であり躾でもあった。だから生徒は(ほぼ)真っすぐに育ったのだ。だってそれが今、リッパな笑い話になっているんだから。

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11月2~3日はウチの部署恒例の春秋キャンプ。今回も一番高いけど一番設備の良いPICA山中湖。いつもは土砂降りの時もあったくらいの雨模様なのだが、不思議に天気には恵まれた。

内勤職から営業職まで20名弱の参加者で、今回も大いに盛り上がった。久しぶりに参加した個性派の女性営業部員の超絶な体験談が夜のBBQ宴会を大いに盛り上げた。消灯時間が来てコテージに移ってからの脱衣UNO大会もね。もちろん私はひたすらウーロン茶だったけど、酒が入らなくても楽しさは変わらなかった。

短縮講習からさほど経っていなかったのが玉にキズだが、高速では、トラックとバンとプリウスしかいない事を前後左右しっかり確認し、今回ピックアップした女性2人を乗せたまま思い切り踏んでみた。いつもより重かったにも関わらずスンナリとぬよわkmあたりまで加速し、新鮮な刺激も味わえた。やっぱこれがなくちゃね。

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仕事の方はボチボチ12月の研修ツアーのためのコンテンツ作成に拍車がかかって来る頃である。こうなると休日と言えども宿泊を伴うイベントはやりにくくなるが、日帰りイベントならまだまだ予定は入っている。ON/OFFを上手に切り替えながら、残り少ない年末までどちらも楽しんでいきたいね。




もう10月ですよ~!

ようやく全国研修ツアーが終わったと思ったらもう10月。定例にしているツアー翌月上旬の営業スキルアセスメントで今回は大阪に来ている。その3日間の最終日、ふと気づけば先月のブログエントリはついに1回のみとなっていた。

ツアーの忙しさに加え、別の領域の営業部隊研修の企画、専門知識とスキルを備えた営業部員育成のための認定制度の策定や研修トレーナーに求められるコンピテンシープロジェクトなどの業務が目白押しで、とてもブログと向き合うヒマもなかった。おまけにMixi、FB、TwitterなどSNSでのやり取りがそれに拍車をかける。ま、ブロガーのはしくれとしては言い訳にもならないけどね。

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先月8日の早朝、56年ぶりとなる2020年の東京オリンピック開催が決まった。

あの時の私は小学校1年生、楽しみにしていたアニメや特撮番組が次々にオリンピック中継に差し替えられてしまった悔しい感情を今でも覚えている。

さっそく最終プレゼンで飛び出した滝川クリステルの「お・も・て・な・し」が流行語大賞の最有力候補と騒がれた。冒頭の高円宮妃久子さまの流暢な英仏語による格調高い挨拶や竹田招致委理事長の笑顔溢れるスピーチも素晴らしかったが、何と言っても私にはパラリンピック走り幅跳びの佐藤真海選手のプレゼンが極め付けだった。

スポーツに熱中していた大学時代、突然襲われた骨肉腫によって片足を切断。同時に彼女の夢と希望もその瞬間に切断された。その時の絶望感は想像して余りある残酷なものだったろう。それを努力で乗り越え、なおかつ東日本大震災を乗り越え、彼女はパラリンピアートとして輝きを取り戻したのだった。

こんなに凄まじい人生経験を背負った人間のスピーチは、聞く者すべてに圧倒的な迫力を感じさせたに違いない。明るく話す彼女の笑顔に隠された凄さをひしひしと感じたに違いない。GJ!

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そんな9月の月末近い29日、カミさんが職場にやり残した緊急の仕事がある言うので、車で送って行く事にした。

その日はバカに陽気の良い日曜日、いつのも山手通りも車が少なくスムーズだった。送ってひと仕事済ませた後はランチにでも行こうかとアクセルを踏む足にも力が入った。

目白通りに近づいたあたりで信号待ち。ふと見ればその先に旗を持った警官がこちらを見つめているではないか! ネズミ取りに捕獲された事を悟るには十分だった。

ここはアップダウンはあるものの、信号以外には何もないストレート。左側車線を走っていた私は確かに急いではいたが、歩道には歩行者はもちろん、前後にも車の影さえなかった。普段は必ず渋滞が発生するこんな道で、なぜに今日、スピードの取り締まりをする必要があるのか? 秋の交通安全週間という理由だけでは納得いかない。

測定では36kmオーバーだと。こうなったら何を言ったって、どうせ赤切符である。腹立ちまぎれついでに思い切り悪態をついてやった。民間の月極駐車場を間借りした取り締まりスペースには男性警官2名、女性警官2名がいた。

「こんな信号しかない危険でもない道で取り締まりをやる必要なんてないだろ!」
「少なくともアンタらは市民に信頼される警察官とは対極の存在だな!」

今月下旬に錦糸町の裁判所へご招待され沙汰が決まる。過去にいつ頃行政処分を受けたかは覚えていないくらいだが、最近の道交法によると7諭吉+30日免停らしい。こりゃリッパな高額納税者である。

そして5年前に続いてまたもゴールド免許目前での違反、いつもこれ。かれこれ10数年もおあずけ状態である。昔の営業職時代から優等生免許にはとんと縁がなかったから、きっとそういう運命なんだろな。





いろいろと変化が

9月度の全国研修ツアーの担当は全13会場とやや少なくなった。今回からKJ君がトレーナーデビューし、チームメンバーが5名体制になったため、若干負担が減ったからである。パートナートレーナーの構成が変化するのは良くも悪くも刺激的だ。

だが、いつにも増してコンテンツの仕上がりが不十分という感を受けている。MKT部門との合意、スライド作成、チーム内の予演会などが遅れ、研修スタート後もいろいろと微修整が必要だった。その過程で、コンテンツ作成者との意見の齟齬やスタンスのブレが明らかになったりと、今後への課題も浮き彫りとなった。

また、部署内プロジェクトで作成されたトレーナーコンピテンシーの目標設定&フィードバックも試みられる。プロフェッショナルを目指す研修トレーナーのスキルアップは、とかく個人技が重要視される職人的な世界であるがゆえ、本来自分で意識して自分で向上させるべきもの。気付いて学んで盗めば良い。

ま、そうは言ってもレベルには少なからぬ個人差もあり、ただ放っておいていいものでもなかろう。そのために目指す指針としてトレーナーコンピテンシーを設定して、それを部署内に定着させて行こうというのである。

ともあれ、今月3日からスタートした研修、私の担当会場は前半は東京、千葉、静岡、横浜などの近場から始まり、先週末は研修初開催で高校の修学旅行以来およそ40年ぶりとなる松江市でひと段落ついた。今週からは高松、三宮、神戸の関西ラウンド、来週は盛岡、仙台、大宮の東北ラウンドで千秋楽を迎える運びである。

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術後の排尿痛との闘いは、ここへ来てやや沈静化を見せた。と言ってもまだ消滅に至ったわけではないが、一時とは比べものならないくらい楽にはなって来た。トイレに行くのが怖くなってしまった私にとっては嬉しくも大きな変化だが、それでもすでに手術から1ヶ月も過ぎている。

研修ツアーで私がこの分野の製品研修を担当する会場では、一患者の経験談としてオペ好きDrへの処方提案時の話題として使っていただければいいと考え、5分位しゃべらせていただいている。Patient Focusを推し進めている会社の方向性もあって、受講者の反応は概ね良さそうだった。

こんな話が少しでも現場の役に立てば本望である。

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台風18号が大きくスライスがかかって関東地方に向けて接近中のため朝から大雨が降っている。そんな中、明日に卒検を控えている息子が効果測定のために教習所へ出かけて行った。何せ3週間程度で免許を取りたいと言ったために教習所にガッチリとカリキュラムを組まれた手前、おいそれとは休めない。それよりこんな天気でも教習やってるのかね?

いずれ息子が乗るかもしれない愛車の内外装のプチモディファイ、名付けて「白車黒化計画」が少しずつ進行中。少しずつでも車が変化して行くのは大いなる楽しみである。

先日イタズラで剥がされてしまったカーボンアイラインは取り除いたが、敢えて塗装をせずにマットブラックのままで装着したボンネットスポイラーを始めとして、ボンネット&トランクエンブレムをオールブラックデザインに、ホイールセンターキャップもブラックデザインに、さらにキドニーグリルをマットブラック仕様に交換した。

返す刀でサイドマーカーをLED内蔵の派手めのデザインに交換したが、こういうものはガラが悪くなる一歩手前で寸止めするのが粋と心得ている。

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さて明日の夜便で高松へ前泊移動移動するが、心配される台風は明日の午後には房総沖以北に抜けて行くだろうから、まあ大丈夫と踏んでいる。その意味でも3連休というのは貴重でありがたい。




連休つれづれ

例によってGWはあっという間に過ぎ去り、5月も中旬に差し掛かって来た。前回のエントリがGW突入前後の記録だったので、その後の日々を記録として残しておこう。

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4月28日
ウチの会社も利用しているケアネットが主催するイベントで、Drによるショート・プレゼンテーション大会が開催されるというメールが少し前に届いていた。ちょうど私の部署で研修トレーナーのレベルアップのためのプロジェクトがスタートしたところで、何か参考にできるものがあればとエントリーしておいた。で、会場である新宿にある未来都市みたいな建物のホールへ昼前に出掛けた。

今話題の「TED」を意識したスタイルで、プレゼンターは自分の症例や医学的見解を7分〜10分で語る。業者による撮影も行われた。参考にしたいプレゼンスキルもあったが、私はむしろ紹介された症例の方により興味をそそられるという思わぬ展開となってしまった。

4月29日
所属するBMWオーナーズクラブの一つ「メタボ会」の車なしのオフ会。上野駅不忍口に参加予定者11名が集合し、一見普通のチェーン居酒屋にも見える「伊勢ろく」にて大人気の親子丼や鳥そぼろ丼を堪能。タップリ味わえる肉倍量バージョンがオススメ。

かの昔、須田開代子や中山律子などの女子プロボウラーが一大ブームを築いた「レディズ・チャレンジボウル」というTV番組があった。その試合中継でおなじみだった「田町ハイレーン」でボウリング大会をするのが今回のオフ会のメインテーマだった。

胸部粉瘤の治療中の私は出場辞退したが、参加メンバーは100点前後の争いでいい意味でドングリの背比べ。初参加の筆者さんなどは足を骨折をしていても杖をつきながらの片手スロー! その中でも2ゲームトータルのアベレージで余裕の100点超えだったナツコさんが優勝! 予定調和となってご機嫌ナナメにならずに済んでメデタシメデタシ。

ボウリングが終わっても外はまだ真昼間の明るさ。私はここでお別れしたが、残ったメンバーは飲みに行ったらしい。一部ヘベレケになったメンバーもいたらしい。そりゃ~イかんたろう!

5月1日
仕事が休みだったカミさんを乗せてイザ鎌倉。ちょうど富士山が世界遺産認定確実のニュースがあった直後で、落選した鎌倉の残念賞ドライブツアーとなった。学生時代に友人と初日の出を見に来た鶴岡八幡宮、小学校の遠足以来の鎌倉大仏を回って、ランチに選んだのが「アマルフィ・デラセーラ」。

駐車場から江ノ電の線路を跨いで渡り、長い石段を登った山の上にあるイタリアンレストラン。景色とピザがGoodとモヤさま2でも紹介されていたので、いいチャンスとばかりに行ってみた。GW中とはいえこの日は平日のはずなのに我々の前にはすでに10組以上のエントリーがあった。ノンアルカクテルとパスタ、ピザのランチコースをシェアしたが、CPの面から言えば景色込みと思えれば納得レベル。

食後、テラスから見えた江ノ島を最後の目的地としてさらに車を走らせた。心配された天気は曇り止まりで、少々寒かったものの、雨に祟られないだけマシだった。

5月2日
カミさんは仕事なので一人でウダウダ。ふと美味しいつけ汁うどんが食べたくなって検索してみる。すると埼玉県吉川市に評判の良いうどん屋がある事が判明し早速出掛ける。「風布うどん」は周りには何もない街道沿いのお店だった。オススメの肉汁つけうどんとクーポン提示で貰える竹輪天をオーダー。豚肉&長葱&油揚げタップリのつけ汁は、思ったよりも薄味でやや甘め。コシのあるうどんとの相性バツグンで美味しくいただけた。来て良かった、こりゃ再訪確実だな。

その足で「足利フラワーパーク」へ。実はここ、前夜のTV番組で女性樹木医が丹精込めて育てた600畳に及ぶ大藤があると知った。今日も世間では平日、さほど混んではいないだろうと読んで一気にバビューンしたのだった。

東北道は順調だったものの、目的地付近はやっぱりそれなりに駐車場行列だった。無料駐車場まで続く行列に並んで停まっていたら、ふとそこに一日500円という施設駐車場が! お姉さんもおいでおいでしているじゃないの! 速攻で入ったのは言うまでもない。そう言えば、先日の鎌倉大仏の時も直近まで車で突っ込み、2時間800円の駐車場に飛び込んだな。忍耐や手間をお金で解決しちゃう悪いクセだわ。

百花繚乱とはこの事だろう! 例の大藤の大棚が3ヶ所、八重藤の大棚が1ヶ所、その他、園内の至る所に白や黄色の藤を始め、藤以外の花々が競うように咲き乱れていた。入場料1600円はチト高いと思うけど、たまには花の色に癒され、花の香りに惑わされるひと時というのもいいモンだった。

5月3日〜4日
家でウダウダ。たまに近場を彷徨。そろそろ飽きて来た?

5月5日
所属するもう一つのBMWオーナーズクラブ「CB1」の夜のウダウダオフ会に顔を出す機会が得られた。思えば去年7月の名古屋お泊まりオフ会以来、何と10ヶ月ぶり! 不思議とイベントと仕事のスケジュールが合わなかったからだった。

他のクラブだと3シリやZ4などが主流なので、何となく肩身が狭い思いもするが、ここに来ると1シリが大多数なのでホッとする。それだけにメンバーの年齢層も若干若めで、それが新鮮な刺激となる。こういうクラブの使い分けもいいな。

5月6日
連休最後は殊勝に親父の墓参り。母親と長男を乗せて八柱霊園へ。暖かいけれど風は強い日だった。




西へ北へと

4月の第一週も忙しかったが、先週も西へ東へ北へとめまぐるしかった。

まずは約2週間の錦秋の成果を確かめるべく火曜日の朝イチに検診に赴き、少しばかりだったが検査値の改善にホッと胸をなでおろしたのもつかの間、すかさず2週間後のフォロー検診の予約を取らされたのだった。もちろんそれまで禁酒は続行されるハメとなった。

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続いて木曜日は3年振りとなる新卒採用試験官 in 大阪。前回の入社試験は福岡で人財部のメンバーと2人一組で短い個人面接を通して、次のステップに進ませるか否かのジャッジメントを約20名に行なった。その際、パートナーS子のある意味ドライな目利きに唖然とさせられ、こりゃとてもじゃないが私なんざにはムリと思わされたのだった。

今回は一転、1グループ8名程度でグループディスカッション形式で試験すると言うので、それなら私も新卒当時受験した会社の採用試験でやらされた事があったので、個人面接よりはいいかなと引き受けた。もっとも、私の時代のグループディスカッションは結構いい加減で、討議するテーマは当時流行った映画のキャッチコピーだった「オオカミは生きろ、ブタは死ね」だった。これを大真面目に話し合ったのだから、今となっちゃ笑える話だわね。

さて時代は移り、今やグループディスカッションの素材も業者から購入する時代となったようだ。それも詳細なデータを載せた冊子が配られ、プロモーションしていく上で俎上に上がった複数の製品の中からどの製品が良いかについて、個人発表とグループ討議を行なうという仕掛けである。我々はそれをチェックし、合否をジャッジするというわけである。

だが彼らは大学の最終学年になったばかりの学生だ。こんな実践的な課題で十分な分析や討議が出来るとも思えないが一生懸命に取り組んでいた。もし私の時代にこんな内容の試験がされていたら、少なくとも私は受かってはいなかっただろう。

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明けて金曜日は中途入社者研修。今回中途入社した男女2人を相手に、朝9時から午後6時近くまで一人で喋りまくる肉体的にハードな一日だった。

それと言うのも、今回研修したこの製品は今年から積極的に打って出ない方針となったため、本来4日間で行なう内容をわずか1日に無理やり凝縮させたインプットオンリーのコンテンツで、約300枚のスライドで構成されている。だから丸一日、枝葉の話も含めて喋り通して一杯イッパイなのである。

受け身で対応すればいい製品の研修なんて、聴く方だってテンションは上がらないよな。

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土日はいよいよ待ちに待った恒例のキャンプかと思っていたが、これが大きな勘違いで実は一週間後だったと気付いたのが金曜日だった。

CB1初の関西オフを別件バウアーと参加表明できなかったのが悔やまれたが、もうひとつのメタボ会のイベントが残っていた。それが「三春滝桜ツーリング」。まさにドタ参だった。

滝桜周辺の大渋滞が予想されたため、メタボ会のオフミにしては珍しく午前5時45分までに常磐道守谷SAに集合。そこには、アフロヘアのヅラをかぶり、背中に「ドエム、時々ドエス」と書かれたジャージを着た隊長が待ち構えていた。このノリは他のオーナーズクラブにはまず見られない貴重(?)なものである。

SAにも関わらずアクセル全開モードで現れた裏番長のナツコさん(♀)親子、出発時間にギリギリ間に合った表番長のペコさん(♀)を含めて、今回は総勢10台、17名の布陣。午前6時過ぎにトレイン走行で出発した。

ところがこのクラブ、B型人間が多いせいかトレイン走行なんて最初だけ、たちまちペコさんやおいちゃんのZ4が右車線を時速ふわわkm近い速度で駆け抜けていくではないか! そしてあっという間に見えなくなったと思ったら、各車を撮影するはずのKOUMORI幹事を載せたなーさんのBRZも最初に写真を撮ったきり去って行ったのだった。

私もスプリントブースターを全開の赤設定にして追走するも全くのムダ足と化した。所詮、4発2000ccには限界があるわな。

このまま滝桜へ直行すればまだ良かったが、何と中郷SAでノンビリと朝食タイム。おまけに磐越道船引三春ICからの混雑を避けるために降りるはずだった小野ICを事もあろうにペコ号がまたもふわわkmでスルーしてしまい、行方不明になるという事件も起きた。ノンビリし過ぎて滝桜周辺はすでに大渋滞勃発。仕方がないので4km近く離れた山あいの桜の公園に車を停めて往復8kmの道を延々歩くハメになったが、風も爽やかでこれはこれでいい運動になったようだ。

去年のGWに葉っぱだけの滝桜を見てリベンジを誓った私だったが、見事に八分咲きの滝桜をこの目で見る事が出来た。葉っぱの頃とは雲泥の差の人出だったけど、前回も食べた滝桜ソフトでソフト部活動も新入部員の空蝉さんや久美さんと共にしっかりやった。

それにしてもこの人出の中を、背中に「ドエス」「ドエロ」「ドエム」と書かれたショッキングピンクのジャージを着たまま歩き通したナツコさん&空蝉さん&久美さんの熟女、もといOBAN、もといレディースの面々の根性には頭が下がる。通り過ぎる周りの観光客から二度見されるわ、「あの人たち、絶対カタギじゃないよね」などとヒソヒソ囁かれるわ。

ところで行方不明だったペコさんが機転を利かせてランチの予約をしてくれた。おかげで大人気のブッフェレストランに17名ものメンバーが大行列の客を尻目にスンナリ入れたのはGJ! 一同、大変美味しくたらふく頂きました。

再び桜の公園に戻り、車とメンバーの集合写真を撮り、そしてしばしウダウダ。やがて友部SAまで一気に戻ろうという事になり、ここで一次解散。友部に着いたらこの先3ヶ所で事故渋滞との知らせ! ならばと一同腹を括って夕食を食べながら時間調整。だからと言って隊長&ネコさん、ドンブリ4杯は食べ過ぎじゃないの?

家にお子さんを置いて来ているというapolloさんご夫妻、E46ALPINA乗りのhiroさんご夫妻、シゲさん&ぴらさんの異色コンビともここでお別れ。事故処理も収まって来た午後8時過ぎ、隊長号の後ろについて行くはずがいつしか追い越し、今度はナツコさんに煽られ続けて右車線を巡航ぬえわkmでひた走って午後9時半前に無事帰還。あー怖かった(爆

総走行距離およそ550km、久しぶりの長距離でアクセルを気持ち良く踏み続けた爽快なツーリングだった。





グータラK君、ついに華燭の典!

37年に渡って独身を謳歌していた同僚のグータラK君がやっと結婚し、披露宴を挙げた。先日の土曜日の事だった。

土曜日と言えば、一日中でも寝ていたいグータラK君本領発揮の日である。だがこの日は、朝から嫁さんに叩き起こされて入籍手続きに行き、嫁さんの家族を車に乗せて会場入りと大忙しの休日となってしまった。 …当然だけどね。

その会場がよりにもよってあの帝国ホテルだったのである! よっぽどリッチか格式などを重んじる人間でもなければそうそう選ばない超高級ホテル、なぜアンタらがここ?

それは嫁さんの一言だった。「だってここ、友達の結婚式でまだ誰も使ってないホテルだから」

…そりゃそーですよ。そもそもあなたのご友人達がどーしてこのホテルを選ば(べ)なかったのかをよーく考えてみようね。

それでなくても、これまで独身貴族を満喫して貯金の乏しかったK君、最低見積もり@5諭吉とも言われる超高級ホテルのご指名に少々アセったものの、帝国ホテルともなれば来客のご祝儀もはずむだろうと決めたらしい。

…現実はそう甘くないっての。高級すぎるホテルはむしろメーワクでしかない。こうなったらご祝儀をお米券で持って行ってやろうかとも思ったわ。

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このカップル、実は3年前にK君が初めて親を海外旅行へ連れて行ったツアーで出会っていた。元来、いいなと思った女性にも自分から積極的にアプローチをする事のないK君、その後は彼女の主導で友達以上恋人未満という付き合いを続けていた。

去年、K君は借り上げ社宅の自己負担増加をキッカケに自宅購入を決意せざるを得なくなった。だったらいっそ結婚しましょうよとなって一気に話が進んだらしい。これも彼女の押しの一手だった。

というワケで、彼らは実家の援助もあってスタート時点から恵まれていた。なんと新居が新築一戸建てなのだ! しかも嫁さんの意向で、自身の実家からほんの数分の距離だと。もとより家にはあまり関心のないK君を尻目に、嫁さん&姑さん連合軍は着々と設計を進めているという。ただし完成は9月頃らしいので、それまでの間は独身時代と同様にそれぞれ別居するらしい。

…だったら家ができてから結婚すれば良さそうなものなのにね。

こうして、すでに嫁さん&姑さんに内堀と外堀を埋められていたので、K君の周囲からは、まるでサザエさん家のマスオさんだと嘲笑れている。だがK君(唯一)の武器は、相手の要望を何でも受け容れられる「器?」なのだ!

着ている服は彼女の指示によって一新されている。髪型も床屋から彼女と同じ美容師の手にかかって今風に一新されている。少食の彼女のペースで食事は進み、彼女が食べ終わったらそこで食事は終了。身体の大きいK君がもっと食べたいと言っても、「ダメ! 太るから」

私あたりだったら即刻却下するであろうオーダーを受け容れている限り、この二人は末長くうまく行くに違いない。だからK君、君の使命はこれから一生「ガマン」し続けて行く事に尽きるぞ!

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今風のアレンジされたという披露宴は仲人は置かず、二人の出会いからの足跡が必殺仕事人のテーマソングと共にスライドショーされ、続いて暴れん坊将軍のテーマソングに乗って新郎新婦入場、今どき珍しい鏡割りでの乾杯と続いて行った。

独身グループとして遊び歩いたK君の悪友達によるちょっとスベった余興の後は、お決まりのチュータイム。そして何と新婦によるメッセージの披露となった。開口一番、「私はお見合いをたくさんして来ましたが…」 をい!

本日一番の大受けだったのは、実は新婦の親父さんの挨拶だった。医師免許をお持ちの公務員とはとても思えないフレンドリーさと天然ボケ。これには一同大笑い。K君、君の義父さんは実に愉快ないい人じゃないか! …地獄に仏とはこういう事だぞ。

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無事にお開きになった後、同僚らと共に有楽町駅近辺の居酒屋で二次会。それぞれに披露宴の余韻に浸っていた、と思う。ここでも焼酎ボトル2本が空いたのであんまり記憶がない。

そうそう、二人の新婚旅行はGWあたりにカリブ海に行くそうな。カリブ海と言えば、海賊にジョーズ、バミューダトライアングルである。いくらK君がジョニーデップを気取ったところで、子供が好きと言っていた嫁さんジョーズは狙った獲物は決して逃さないだろうから、せいぜい仲良く異次元トリップを楽しんで来るがいい、アーレ キュイジーヌ!





いよいよ還暦へのカウントダウン

「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた全盛期、巨人と一緒は面白くなかったらしい。「有望選手を集めれば勝つのが当たり前。こっちは裸一貫なのに」「僕は天才ではなく、苦労してはい上がる努力型です」と。

遥か北方の暗い海に棲む巨魚、ひとたび変身すれば「鵬」という巨鳥となる。やがて鵬は風に乗って南の海に向かって飛び立つ。荘子が記す巨鳥にちなむ「大鵬」は、その名の通りたちまち昇進を遂げ、第48代横綱の天空に達すし、前人未到の32回という不滅の優勝記録を打ち立てた。(天声人語、編集手帳から改変)

各新聞のコラムがこぞって記した名横綱大鵬、納谷幸喜氏が一昨日、72歳で亡くなった。

「柏鵬時代」のライバル柏戸の剛に対して柔、自在な取り口で受けて強かった。対戦相手は「柏戸は壁にぶつかる感じ、大鵬は壁に吸い込まれる感じ」と振り返ったそうだ。

全盛期は大鵬に憧れて入った120人もの弟子がいたという名門二所ノ関部屋も今や力士3人、今場所限りで消滅するのも時代の流れと言うには余りに惜しい。

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さて、またこの日が来た。

東京タワーと同じ年に生まれた私、きょうで55回目の誕生日だ。正確には私は1月生まれ、東京タワーがオープンしたのは12月なので私の方が先輩と言えるが、着工されたのは前年の6月というから分からない。ま、それでも私の方が先に形にはなっていただろうな。

そんな事より、これで遂に50代半ば、還暦とサラリーマン生活の定年(もしかしたら65歳まで延長されるかも?)まであとわずか5年を残すのみとなってしまった。ここから先はよりリアルなカウントダウンの日々となろう。だからもはや私にとって誕生日はメデタイ日でも何でもない。とは、2年前のこの日のブログでも書いた。

とは言いつつも、美味いモノを食べる口実としてそんな日ですら利用しない手はない。

カミさんの仕事の終わりを見計らって行ったのは、やはり2年前と同じ「天ぷら 荘司」だった。今のところベストなCPと食後感と我々2人が揃って認める天ぷら屋である。年末が近づくと、このお店のおせち料理をオーダーし、正月にそれをつつくのも定例行事と言えるほどの気に入りようである。

今回も誕生日サービスとして、いつものコースをグレードアップしてくれたようで嬉しかった。二人で銀河高原ビール1本にぬる燗酒3本と控え目にしたものの、天ぷらの合間に供される金目の蕪蒸しや締めの土鍋で炊く炊き込みご飯(今回は帆立ご飯)などでお腹一杯。もちろん今日も大満足! うん、いい夜だった。

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去年あたりから現場で降格やら肩叩きなどの不穏な状況を耳にする一方で、全国会議ではことさら人を大切にするとスピーチするトップの言葉に大いなる矛盾を感じたが、久しぶりに大阪で飲んだ元同僚Kの転職した会社でも同じような事があると言っていた。

光あるところ影がある。大昔の忍者漫画に出て来たセリフだが、私とて例外ではない。いや、私あたりの年齢からがより危ないのかもしれない。

誕生日を迎えるという事がそんな危険なカウントダウンの始まりでもあるというのが、また物悲しい。





迎春ふふふのふ

大晦日から元日のテレビは、今回もザッピングを経て深夜の朝まで生テレビまで突入したものの、いつにも増してメンバーがプアだったのでそこでジ・エンド。午前2時は回ったが早々と寝た。

元旦も仕事のカミさんを仕事場まで送った足で東松戸の実家に向かう。

元旦の首都高は実に走りやすかったが、反対車線で自爆事故らしい光景に出会った。もちろんそこから後ろは大渋滞、元旦早々からいい迷惑だな。崩落事故を起こし交互通行で開通した中央道笹子トンネルで追突事故が連発している。落ちて来るなよと天井を見上げているうちにドン! てなモンだろうが、それで怪我したら本末転倒だろが。

前日から来ていた上の息子と母親の3人で恒例の雑煮を食べ、ニューイヤー駅伝で社会人ランナーデビューした箱根駅伝の山の神柏原を観る。入りはハイペースだったものの、終わってみれば区間4位というほろ苦い結果だった。ま、これからは平地でのレースがメインとなるだろうから今後に期待出来るだろう。

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夜も更けてくると、息子のケータイがやたら鳴る。鳴るとトイレに籠って何やら長話をする息子。誰が見たって相手はただの友達じゃない。いつの間にやらケータイ2台持ちにしていたし、ヤツの誕生日の次の日が親父の一周忌なんだが、いつもなら実家に前日入りする息子が速攻で「前日はダメ!」とのたまったという。こりゃいよいよ春が近いのかも。ふふふのふ

ケータイひとつとってみても今は何かと便利だわな。私の時代なんざ、電話といえば固定電話のみだから、相手の家に電話するのもドキドキしながら時間を見計らう。やっとダイヤルしても大抵は相手の親が出るから、そこでまた壁がある。もちろんメールなんて無いから、待ち合わせの時間と場所を決めて一度家を出れば、アクシデントが起こっても直接連絡する手段はない。文字通り一発勝負。だから相手の声を聞く事も姿を見る事も今より数倍も貴重な喜びだった。

思い起こせば遥かな昔、新人研修で数ヶ月間合宿していた某オリンピックセンター。夜の自由時間は決まって大量の10円玉を握りしめて電話ボックスに突撃したっけ。いつの間に後ろに並んだ人達には目もくれず、コインが尽きるまで話し続けた迷惑行為も今となれば懐かしい。ハガキや手紙もまだまだコミュニケーションの主流だった。

直接相手の声を聞く事や会う事自体に大きな意味を持っていたという経験をしない世代は、だから人と人とのリアルなコミュニケーションよりも通信機器でそれが得られる事にさほど疑問を抱かない。その手軽さの前に、繋がりの希薄さや怖さなどは実感していないのかもしれない。そんな感性が、行き過ぎたイジメや安易な自殺などを惹起している要因の一つだと言ったら言い過ぎだろうか?

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さて、仕事始めは7日だが、翌日は福島の某病院にて全職員を対象にした説明会の第1回目がある。テーマは私の得意分野とはいえ、その準備のためにいくつかの文献を読み、足りないスライドを作成しておかなければならないので、正月気分でノンビリできるのもせいぜい明日まで。

そしてそれを仕事始めとして今年がスタートする。今年は仕事の面を含め、私自身に何かをプラスワンしようと思っているので、それも決めておかなければならない。

寝坊してスタートには間に合わなかった箱根駅伝を観ながら、取り敢えず今は雑煮を食べる事に集中するとしよう。





早くもまたも大晦日

どんより曇った天気なれど、今年も最後の日を迎えている。毎年毎年この日のブログ(だけじゃないけど)は、やれ月日の経つのが速いだの、やれ今年の正月の光景がハッキリ残ったままだのとOYAJI丸出しのセリフを並べ立てているが、実は年々その感触が強まって来ているのがいと哀し。

カミさんが仕事なので送りついでにファミレスで朝食。その後、もう馴染みになっている曙橋の天ぷら屋へ注文しておいたおせち料理を受け取りに行き、ノンビリと今年最後のこのブログを書いている。

そう言えば、スマホデビューしたのがちょうど1年前。それ以来、いつのまにかmixiやFB、Twitterでのつぶやきが主流になり、その分ブログの更新が激減してしまった。でもブログは自分の記録とも位置付けているので、必要なエントリはキチンと記して行こうと思っている。

昨夜は結構な雨が降っていた。だからというワケじゃなかったが、ここ2年続いて参加していたCB1恒例の「締めの夜クラ」をうっかり忘れてしまっていた! ほんの1週間前までは気にしていたのに。CB1に関しては夏の名古屋オフ会参加以降、イベント参加がうまくスケジューリング出来ないのだった。こりゃ何かのタタリかい?

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ついこの間だったよなぁという気にさせられるのが、2月9日に傘寿を前にして亡くなった父親の事だ。間違いなく我が一族最大の出来事だった。代わりに今月、母親がめでたく傘寿を迎えた。その母親と妹の2人が住んでいた築40数年の実家を処分してマンションへと引っ越した一連のドタバタが2番目に大きな出来事だった。

そうそう、一浪した息子が何とか福島の公立大学に入学し、新入生限定の新しい学生寮にも入れた事が3番目の出来事か。その息子、自治会とやら何とやらでこの冬は帰省しないと。現地は雪まみれだろうが、よっぽどアチラの生活が楽しいらしい。ま、少なくともここよりは居心地はいいだろうけどな。

それやこれや、私がどう感じようとも、月日は今も昔も平等に流れているんだよなぁ。

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たびたび組織変更などがあったものの、仕事の方は相変わらずプロフェッショナル・トレーナーである「研修職人」を目指しつつ、毎月のように様々な種類の研修に邁進した一年だった。これも基本的にここ数年同じような忙しさだけど。

この会社の学術・研修部門の業務だけでもかれこれ10年以上経過しているが、今だに一つの研修を終えた時に感じるものは達成感よりも反省点や課題の方が多い。研修職人の頂きなんてのはまだまだ見えないのである。社内研修業務でさえこうなのだから、本チャンの教職にある先生達はさぞや苦労して登り続けているんだろうな。かつて志望していたとはいえ、私あたりではせいぜいが中途半端な先生止まりだったかもしれない。

これまた速いモンで、そんな私も来月の誕生日で50代半ばに差し掛かる。還暦まで秒読みというだけではなく、一つの区切りの年代と捉え、明確なものはまだ分からないが、今までの自分を変えてみるという意味ではなく、何かをひとつ加えてみようかと思っている。これは私にとっては結構なチャレンジになるはずだけど。




こりゃ目からウロコだ!

「目からウロコ」とはこういう事なんだと知った。いや、目からウロコの意味を知ったという事ではない。

それはある雑学クイズ番組だった。出題される問題のほとんどは既に知っていたものばかりで、それを間違える知識人やお笑い芸人などを若干上から目線で見たりしていた。そして番組も佳境に入り、いよいよ決勝ラウンドに突入した。

その時、こんな問題が出された。

普段使っている「ください」という言葉は、ひらがなで書く「ください」と漢字で書く「下さい」に明確な違いがあるが、それはどういう違いか? というものだった。

もちろん、単にひらがなか漢字かの書き方の違いではないのは明らかなので、しばし考えた。

その結果、そうだ! ものが欲しい時は「〜をください」で、相手に何かをして欲しい時は「〜して下さい」となるのだと思い至った。つまり、単独の動詞の場合と助動詞の場合で異なるのだろうと。

正解は、その使い分けこそ合っていたが、何と何と! ひらがなと漢字の使い方が全く逆だったのである!

ものを買ったりもらったりの場合は「〜を下さい」、してもらう場合は「〜してください」が正しい表記という事だった。なぜこれにビックリしたかと言うと、私は公文書などで丁寧に表記する場合は「〜して下さい」が正式だと信じて疑わなかったからである。そう書く事で謙譲の意を表すとも思っていた。恥ずかし〜!

これからは助動詞の時の「ください」は、すべてひらがなで書かなくてはならない。でも既に書いてしまったものはどうしようもないし、例えばこのブログのエントリの中にもそんな誤表記はたくさんあるが、これを今さら書き直すのも面倒だから放置する事にした。

ここまで半世紀以上生きて来て、こんな言葉の基本で改めさせられる事がまだまだあったんだなぁと「目からウロコ」なのだった。

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最近の雑学クイズブームのおかげで、普段使っている言葉の意味を取り違えていたことに気付かされる事は多い。

例えば「役不足」。「プロジェクトリーダーなんて私には役不足で自信がありませんが、皆さんのご協力をお願いします」などと挨拶しようモンなら噴飯モノである。役不足とは、自分の実力よりも役が軽すぎて力が発揮出来ないという意味。それを言うなら「力不足」が正しい。

議論や会議でよく「煮詰まる」という言葉が使われるが、これも誤用の代表格だろう。言ってる本人は、結論が出ずに物事が進展しなくなるという事を言いたいのだろうが、煮詰まるや煮詰まって来たは「十分な議論などを経て、もうじき結論が出る状態」である。にっちもさっちも行かなくなった状態は「行き詰まる」と言う。

「逝去」という言葉は、それだけで死去という言葉の尊敬語である。だから「逝去されました」というのは正しいが、「ご逝去されました」は正しくないという事になる。

人からの連絡事項などに応答する言葉に「了解しました」というのがあるが、これは目上が目下に対して使う言葉で、目下が使う場合は「承知しました」となる。「ご苦労さま」と「お疲れさま」も同様である。

事ほど左様に日本語は言っても書いても難しい。それでもいい大人が堂々と言い間違えたり書き間違えたりしたら、それこそ穴があったら入りたくなる。今からでも、少しずつでも知るようにしよう。

こんなWebsiteがあったので紹介しておく。その名も「言葉の誤用」。ぜひ参考に「してください」。





5月後半のまとめ

気がつけば5月もあっという間。特に下旬以降の時の速さに驚嘆する思いである。

22日~24日は、先月実施した特別研修のフォローの意味で三重県&愛知県の3名の営業部員との現地同行。三人三様の個性はあったものの、入社からまだ1年、担当してからせいぜい半年前後の割には、いくつかの得意先に可愛がられていたのは嬉しかった。

最近の営業現場では、ことさら訪問効率重視のスケジューリングが為されていて、頻度や軒数などの活動記録によってはいろいろな指摘を受ける。なので、昔のようなここ一番の濃密訪問作戦などが極めて取り難い。そんな事をしようもんなら、たちまち「過訪問だ」「担当エリアのカバー率が落ちている」となって修正を余儀なくされる。

だが私の営業経験からすれば、右も左も分からずにただガムシャラに訪問していた頃が、得意先との長年に渡る人間関係を構築出来た場合が圧倒的に多かった。逆に効率等を考え始めたあたりから、そういう深い関係を構築できた得意先が減ったと感じている。

一般人がアクセスしにくいエキスパートに容易にアクセスできる、営業という職種ならではの貴重な財産が得られにくい昨今の訪問管理システムは、営業部隊にとってある意味不幸だと思っている。もっとも、ウチは高い製品力を持った製品ばかりだから効率重視でもビジネス面では問題ないと言ってしまえばそれまでだが。

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営業部隊との同行と前後して、ボディコーティングとリアウインドフィルムの施工を依頼していた愛車が戻って来た。今年初めの忌まわしい事故以来、これで文字通りの復旧が完了した事になる。さらにその前週にはメタボ会のヒロさんにイカリングとトランクスポイラーを何と夜のスーパーオートバックス駐車場で装着してもらった。

実は、トランクスポイラーというアイテムにはBMW120iCoupe購入当初から気になっていた。120iCoupeは、BMWの中では軽量コンパクトで4気筒エンジンとの相性も抜群、高速クルージングも峠道もこなせるオールラウンダーで非常に気に入っている。

だがどんな美女にもほんの少しの欠点は付きもの。この車の欠点はリアのデザインだった、と思っている。BMW現行車種でのクーペスタイルの極みは3シリーズ(E92)と言っていい。フロントからリアにかけて流れるようなラインは絶世の美女そのもの、特にリアトランクの長さのバランスが絶妙なのである。

それをコンパクトにした(はず)なのが1シリーズ(E82)なんだけど、残念ながらこの最後のトランク部分が何とも寸足らずなのである。せめてもう15cmくらい長ければと何度思った事か。

そんな悩みを解決してくれそうなのがトランクスポイラーだと密かに狙いをつけてはいた。ただし、トランクの上にさりげなく装着するタイプは見た目が変わらないのでパス。あれこれ雑誌などを見ているうちに目に留まったのが「ハルトゲ」製のものだったが、お値段75000円ナリ! で、撃沈していた。いくらなんでも板っきれ一枚に75000円はないわ。

そんなモンモンとしていたある日、ベラビータで顔を合わせたヒロさんが「レプリカだったら1/10くらいで手に入りますよ」という信じられないお言葉! な~に、こちとら純正なんぞにこだわらんわいとばかりに速攻で依頼。ついでに格安イカリングもオマケ。

で、やがて塗装を終えて彼の元に到着したのがハルトゲとBMWパフォーマンスの中間くらいのデザイン。派手過ぎず地味過ぎず、まさにイメージ通りのハネだった。言う事なし!

これでリアが引き締まり、フロントもイカリングで引き締まった。もはやデザインに死角ナシ! はチト言い過ぎかも。POOB総会にも間にあったし、メデタシ、メデタシ、イタメシである。

装着現場に居合わせたE92乗りのムッシュさんが、すかさず「後はホイールと車高ですね」という悪魔のささやきは速攻スルー。笑

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そして先週末は母方の祖父母の27回忌の法事で深谷市の菩提寺へ。10数人の親戚が集まったが、よく考えてみれば親父の葬儀や納骨などで今年は3、4回顔を合わせているのだが、そのほとんどが喪服姿というのも何だかな、である。





桜は満開、仕事も?

3月のほとんどを費やした全国研修ツアーが終わった月末は、専門営業部隊の研修2日間。4月に入って先週末からは特別研修ツアーが始まり、全国9会場のツアーとなる。トドメはGW直前までの4日間でたった一人の中途入社社員のための製品研修が待っている。

こんなタイトな研修スケジュールは近年なかったが、問題はスケジュールだけではない。そう、研修コンテンツの新規作成やリバイス作業にバカにならない時間と手間を要する、この事の方が切実だと言っていいだろう。

求める研修効果のための最善のコンテンツあってこそ、トレーナーのスキルがモノを言う。仮にも、不完全なコンテンツをトレーナーのウデでカバーできると思ったら、それは単なる自己満足でしかない。だから研修の種類が変わるという事は、それぞれをゼロベースで構築していくという事でもある。

研修業務は、少なくとも私にとってはやりがいのある仕事とはいえ、正直こういう連チャンはキツいよね。

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昨日は、定期検診の採血と主治医面談とのインターバル(今回は何と5時間!)に40km離れた実家へ車を走らせて亡父にまつわる相続関係の書類に妹共々署名捺印をした。

実家以外にほとんど遺産などはないのだが、そういう書類を作成して届けないと名義変更はおろか預金すら手を付けられない。想像以上にややこしい日本の制度を見て、自分の時は前もって準備をしておかなければ遺族は大変だと実感。

渋谷の医療施設にトンボ帰りして主治医と冗談などを交わしつつ面談終了。帰り道に会社へ寄って、同僚に代理で受け取ってもらっていたチケットを取り帰宅。ここまでで午後3時半。いつもの休日に比べたら数段アクティブだ。

東京は桜満開。

いつもはこの時期になると同僚のK君が夜桜見物を企画していたのだが、彼は今月からMKT部門へ異動したためそれが叶わなかった。

だがこの絶好機をみすみす逃すテはない。という事で夕方からプチ花見に。夕食にはカミさんが見つけたイタリアンに予約を入れ、それまで 近場を流そうという事で桜のトンネルの中野通りと哲学堂公園へ。

先週まではただの枝だった木々は見事な桜色のトンネルに変わっていた。

その下をゆっくり車を走らせる。キモチいい~!。中野通りは道幅も広めで交通量もさほど多くなく、路肩パーキングも豊富なので重宝する。車を哲学堂公園の近くに停め、桜が張り出した川沿いの道を歩いて公園を散策。いいねぇ、春だね~! 少し風があって寒かったけど。

公園では花見の宴が催されていて、例によって学生グループでは酔いつぶれたアフォが注目を集めていた。

ここは人出も多過ぎず、花見には穴場スポットと言えるかもしれない。今日もいい天気なので、さらに賑わっている事だろう。

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さて、今晩からは例によって休日前泊移動。目的地は福岡。月曜日の福岡会場が終われば岡山、大阪と移動を続け、週末は仙台とまるで旅芸人である。今週は週末まで帰京できないが、まあそれもこの仕事の宿命だ。

心身のオンオフのメリハリを大事にしながら乗り切って行こう。





する方も聞く方もイヤな話

確か3日前だったか、車屋Yから電話があった。

例の事故の修理で下取り査定額が下がった(格落ち)に対する損害賠償交渉を知らせるものだった。それによると、相手の保険会社の窓口となっていた女性に代わって、事故査定とやらを担当している男性が交渉相手となったらしい。

その男が支払い交渉にやたら後ろ向きで、やれ過去の判例だの訴訟を起こしても勝てないだのと、もともとYに訴訟なんて起こす気などないのにも関わらずまくし立てたそうだ。事務的で人間味のない対応にYも相当頭に来たらしいが、私とも話したいとの事で、翌日電話を待っていたがナシのツブテだった。

そうしたら、昨日になって不在着信があった。コールバックすると男性の声。すぐにその男だとわかったが、まずは担当交代の挨拶だというのでそれを受けた。Sと名乗るその担当者は、私に向かっても裁判の判例云々の話をしてきた。その口調はYの話にあった通りの事務的、というより無機的な感じがした。

とにかく言うべき事は言っておこうと、私は話を始めた。

まずは、この事故は私に何の過失もない、相手の一方的な信号無視によるものである。私にも過失があった事故ならケンカ両成敗で諦めもするが、修理後に車の価値が下がるという事に割り切れない思いでいる。これを少しでも収めるには金銭面での解決しかないのではないか、というのが私の主張。

するとS氏は「物損事故の場合は修理にかかった費用のみの支払いで良いとの判例が出てます。人身事故だったら別ですが。第一、気持ちを金銭に換算することはできないでしょう」とさっそく裁判絡みの論法で来た。

私は「実は事故の衝撃で腕に微妙な違和感があったような気もしたが、相手はまだ若かったし、ここで人身事故にしたら彼ももっと大変な立場に追い込まれかねないと慮って、診断書も取らなかったんだよ。それが理屈じゃない気持ちというもんでしょ? だったら今から医者に行った方がいいのかねぇ」と言ってやった。

「人身事故の場合は通院費用や所得保証などが生じますので、それはお支払いしますが、たとえ人身事故と言ってもそれ以上の損害や見舞金をお支払いするというわけではございません」

「それは違うでしょ。昔タクシーにぶつかった時、バンパーにコツンというくらいだったので物損事故で行くはずが、タクシー会社の差し金で運転手が病院へ行って診断書を貰ったために人身事故扱いに切り替わった挙句、私の保険会社は示談金だかで20万円余計に支払ったという事実がありましたよ」

「私どもは医師の診断書に意義を唱える立場にはございませんし、人身事故ならそういうケースもなくはないでしょう。しかし車の価値が具体的にいくら下がったというのは証明できませんよね?」

「いや、そうとも言えないでしょ。例えば車をディーラーに持って行って、修理なしとした場合の査定額と修理込みの査定額とを出してもらえば損害の金額がわかるじゃないですか」

「でもそれは査定した人によっても変動しますし、そのまま乗り続けるとなった場合には損害そのものが生じないわけです。金額を定めた買取契約が事故前に交わされていたわけでもないですよね?」

ああ言えば上祐、ガマンの限界が近づいて来た。

「じゃあその契約書が何処かにあったらいいというわけ? 探せばあるかもしれないよ。それとも腕が痛くなる方が手っ取り早いかね!」

こっちはイチャモンを付けてゴネようという気もないし、少しでも情のある話ができると思ったのが間違いだったようだ。もういい。Yの所も大きな会社じゃないので修理費用の一時立て替えも大変だろうからサッサと終わらせてくれ、と言って電話を切った。

そして今日、再びS氏から電話があり、僅かな金額だが示談金の意味で支払うと言ってきた。ハナから金額の多寡の問題じゃない。最初からそういう気持ちを持って話をすればこんなイヤな感情に至らなかっただろうに。不景気だから極力支払いを抑えたいという保険会社の事情もあるとは思うが、人間対人間の仕事であるならそれなりの接し方もあると思うが。

私も過去に営業関係の仕事に携わっていたが、こんなやり方で仕事はしたくないし、しなかったつもりだぞ、損◯ジャパンさん。

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今日で2日間に渡った専門営業部隊の研修が終わった。

これで3月の研修ツアーは全て終わったものの、気がつけば今年の1/4が過ぎ、季節も春めいて来ている。

でも、月が変われば今度は全国9ヶ所で新たな研修ツアーが始まり、GW前には中途入社社員研修が待ち構えている。それもたった一人の受講者に4日間という手間をかけるのだが、一人でも大勢でも手間は一緒なのが何とも複雑だわ。

ま、この際四の五のヌかさず、春の訪れに乗って何もかも乗り切って行こうじゃないの!

・・・実は身体はけっこうキツかったりして。






弥生三月を前にして

何とも激動の2月が早や終わろうとしている。おまけに今朝は今シーズン2度目の大雪。でも「なごり雪」と言うには風情も乏しく無理がありそう。

このところiPhoneやiPadを使ったアプリやツイートにかまけて本家ブログの更新がなおざり気味である。反省

先週の沖縄学会出張では、期せずして担当製品のマーケ部門も現地に勢揃いして前夜の夕食会。翌日はウチの会社主催のランチョンセミナーがあるとはいえ、会場が沖縄じゃなかったら果たして10数名も集まったかどうか。沖縄、東京と会場が一年毎に入れ替わるこの学会、4年前から参加している私とは年季が違うってんだ。

明けて今週からは、来月スタートする全国研修ツアーのためのコンテンツ仕上げ作業と予演会が本格化して来た。いつもよりその進捗がスローペースのように思えるが、開幕日は待ってくれない。受講者のために十分に良い状態で開幕日を迎えるためにこれからラストスパートに突入する。

もちろん、受講者には到底見せられない修羅場の毎日となる。

・・・・・・・

息子の大学受験は公立校の受験日である25日をもって終了した。ここまで受験した私立の勝敗は2勝2敗1分け。本命の公立の手応えやいかに? と本人に訊いてみたら、

「センター試験から持ち越した物理は問題ないし、数学はやってくうちに難しい問題がいつ出て来るかと思っていたら終わっちゃって、これじゃ100点かもしれないし。こうなれば苦手の英語を補って余りあるし、ハッキリ言って落ちる確率は0.001%かな」

と相変わらずの能天気ぶり。もっともその程度の大学を選んで受けさせているんだからそりゃそうかもな。これで寮に入れれば万々歳。4月3日の入学式が待ち遠しい、って親まで能天気になってどうする!

父の位牌が出来上がったと母から電話。函館で息子もお世話になった父の同級生がわざわざ焼香にいらしたとメールも。母の電話の声にもメールにも心なしか弱気の匂いが。

無理もないけど、ここは乗り越えていくしかないのだよ、おっ母さん。

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中学の同級生でクルマ屋をやってるYから、あと一つの部品がドイツから届けば修理は完了するとの嬉しい知らせが。

あの日から何と2か月になろうとしている。「逢えない時間が~愛育てるのさ~」と歌ったのはヒロミ・ゴーだが、その気持ちがよ~く分かるよ。帰ってきたらウルウルしながら抱きしめちゃいそうだわ。純白のお前に良く似合う真っ赤なフロアマットを用意して待ってるからな~!

代わりに、親父が家族の送り迎えに使っていた初期型のフィットの処分をYに依頼する事になった。クルマってのは、持ち主が亡くなってからの処分だとけっこう手続きが面倒だと知った。相続該当者全員の住民票と印鑑証明がいるそうだ。

それでも、親父によく乗せてもらっていた母や妹の決断だから、ここは粛々と進めるつもりだ。

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近頃、カミさんが温泉に行きたいとしきりにこぼす。

絶品の温泉地の雪が解ける頃、愛車を駆って出掛けようかと。






それでも周りは動いてる

今日は息子の3つ目の受験校の合格発表。もちろんネットで結果を見るので、昔のように会場に足を運ぶ手間がないから便利ではあるが、何かアッサリし過ぎてもの足りないと思うのは私だけだろうか。

で、この大学は志望学部の中の3つの学科を指名して受験するというシステムだったらしい。つまり、一度の試験で3つの学部をかけ持ちできるという、これまた昔じゃあり得ない(少なくとも私の経験には無い)事だった。まあ、某大学じゃ5次募集まである上、9月入学コースまで設定されているというから驚き桃の木だ。

さらに別の大学の願書では、それぞれの受験学部別にセンター試験結果を入れる、入れないなど細かく選べ、すべてを選択した場合は何と30通りの選択が可能というトンデモシステムまである。これじゃまるで馬券じゃないの! 1つの受験料を3万円とすれば、これだけで数十万円(多数受験者には受験料の割引制度もある!)掛かる計算になるのだ。

それほどまでして受験生はその大学に入りたいのか、それともそれほどまでして大学は学生を確保したいのか。

近年全国に急増した有象無象大学でこんなお手軽受験&入学がまかり通り、ナンチャッテ大卒者が大量生産されているんだから、そりゃ大卒者が就職難に陥るワケだわ。不況のせいばかりじゃない、分母が多過ぎだよ。

さて息子どのは、3つの学科のうち1つで補欠合格、残り2つは見事落ちた。ま、ここは彼の実力では少々ハードルが高かったし、仮に受かっても本人に行く気がなさそうだった所だから気にしない。あくまで第一志望は今月下旬の国公立大である。

それまでに受けるもう一つの大学もハードルが高いのでたぶん落ちるだろう。ま、あくまで本番までの肩慣らしでいいわ。

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車の修理がまだ終わらない。私にとっては息子の受験なんぞよりこっちの方が大問題である。

何でも、ドイツ本国から取り寄せる必要のある部品があったかららしい。そういえば、ドアミラー格納モーターの異音でディーラーに入れた時、これは本国手配だと言われた事を思い出した。今回の事故では運転席ドアミラーもやられていたので、きっとそのあたりだろう。

父の見舞いや葬儀などで代車のプリウスに乗る機会も増えたせいか、何だかんだ言っても慣れて来てしまった。すでに750km以上乗っているが、燃費だけは頭が下がる。パワーモードにしようが渋滞にハマろうが、5分間燃費計では軽く20~30km/L以上を示すのだ。通算燃費でも17km/Lに届く勢いで、ガソリンも目分量だが40L消費したかどうかである。

思えばプリウスに乗るようになって、カラスの鳴かない日はあってもBMWを見ない日はなかったはずが、いつしかプリウスが目に付くようになっていた。ハッキリ言って、さほど面白くもないこの車がこれほど巷に溢れている理由の一つが分かった気もした。プリウスは営業車のみならず自家用車比率も高いようだから。

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さて、ウチの部署に少なからぬ異動があった。

来月から新人研修チームに他部署から新任女性マネジャーが来る。現マネジャーSは営業スキル研修チームに移り、そこの現マネジャーUは担当マネジャーとなる。同時に、半年ほど前に営業スキルチームに来た初の女性メンバーI子が新人研修チームに移り、代わりに1年前にそこに来ていた女性メンバーK子が専門研修チームへと移る事になる。

マネジャーUは遠い昔、私の社会人デビューとなった会社の新人研修主事として新入社員と一緒に3ヶ月間泊り込み、朝礼夕礼で主事訓話を述べ、せっせと新入社員の日記に返事を書いていた3年先輩の人である。やがてお互いの転職&合併の末、今の会社で実に十数年ぶりに再会したという浅からぬ縁がある。定年にはまだ3年あるので老け込む段階じゃなかろうが、体力が原因なのか?

マネジャーSは、最初に彼が営業スキルチームに異動して来た時に知り合って以来の仲だ。何と言っても彼はアナウンサー顔負けの声の持ち主で、副業で結婚式の司会ができるくらいである。酒はあまり飲まないが、当時は何度もお気に入りの大阪天満の焼肉屋で語り合った事が一番の思い出である。

風の噂では社長の肝入りとも言われる新任女性マネジャー。前社でも研修の経験があるらしいが、ハッキリ言ってどこまでウチの研修に腕をふるえるのか、周囲からは好奇の目と共に懐疑の目も向けられている。まずはお手並み拝見!





春までバビューン!

ほ~らほら、新年明けたと思ったらもう1ヶ月が過ぎ去ったでしょ。この調子なら春なんてあっという間じゃん。やたら寒さの沁みる日々ももうすぐ終了だ~!

昨年の予想とは裏腹にインフルエンザが流行ってる。

そのおかげでウチの製品も引き合いが多い。卸の倉庫に眠ったまま期限切れを待つばかりだったのが、きちんと患者さんの手に渡ってお役に立てるとあらば、企業としてはこの流行もむべなるかな、である。

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受験の初日から見事に弁当を忘れて行った息子。罰としてそれを夕食に食べさせながら初戦の手応えを訊くと、「まぁ、100点取れたって言えばウソになるけど、これで落ちたら理由を開示しろと言えるくらいはできたかな」と来たモンだ。

すかさずカミさん、「この度外れ楽観主義は誰の遺伝でしょうかね? 少なくとも私じゃないし」

まあまあ、この日受けた大学は第一志望よりも遥かにレベルが下なんだし、ここで落ちたら話にならんわ。本当の勝負は国公立校の今月下旬である。それまでは「場馴れのためのお試し受験」でいいのである。ど~せ、受かったって行かないんだし。

なんちゃって、それで中学受験の時に志望校全落ち食らったのは他ならぬヤツだった。

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仕事の空き時間に同僚と車談義のひととき。

ウチの部署にBMW乗りが少なくとも7名いる事が判明。彼らはBMWの良さを異口同音にエンジンフィールだと言う。こればっかりはドライビングしてみないと分からないよね~、と。つくづくBMWはエンジンを買うクルマなんだと確信。

そんな連中だから、エコカー談義も逆の意味で盛り上がる。連中の言い分。いくらエコの時代だからって、クルマ好き人間が車でガマンするのは精神的にもよろしくない。その分、エアコン節約とか節電とかでエコに貢献すりゃいいじゃん、と。激しく同意!

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来週、何年振りかで全国の営業部隊が集うイベントが横浜で開催される。

全国からここまで動く人間は総勢3000名近い。大真面目な会議あり、表彰式あり、サプライズゲストの懇親パーティあり、その後に同期会をするグループあり、明けて二日酔い(?)のグループディスカッションありの1泊2日。まさにイベント=お祭りである。

初日午後集合、翌日夕刻解散予定なのでプログラムは結構タイトだ。どうせなら2泊させれば余裕も生まれるんだろうが、3000人をたった1日泊まらせるだけで軽く2000万円以上がブッ飛ぶ計算になるのだから、いくらなんでもそこまで悠長な事は言ってられないだろうな。

同期が大勢いる年代はうらやましい。中途入社の上にたった2名の同期しかいなかった私。その2名もとっくに転職。懇親パーティーの時にでも、せめて同年入社の中途メンバーを誘ってみるか。

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今月から加速度的に忙しくなる。

3月実施予定の社員研修は、定例の全国ツアーがなんと25ヶ所! これを2組のトレーナーペアでやり切らなければならない。そのためのコンテンツ作成&予演会は、いつものようにヨソにはちょっと見せられない侃侃諤諤の毎日となるだろう。

加えて、ツアー終了直後から専門営業部隊の研修も控えている。予定している研修テーマの題材集めのための営業部員との同行が、今のところ静岡と滋賀の2ヶ所で予定されている。

その間に、たぶんこれが最後の聴講になると思われる学会が沖縄で開催される。何せ会場が遠いのでタイヘンだわ。

さあ、あっという間に来るはずの春までバビューンと一気に駆け抜けようじゃないの!





ユーザーニーズの具現化

代車プリウス、今だ我が家に滞在中。イコール、まだまだ修理に時間がかかっているという事である。

試運転と食料品の買いだめを兼ねて一度乗ってみたが、何せこのクルマ、タイヤを介した路面情報がまるで伝わってこない。カミさん曰く「まるで氷の上を滑ってるみたい」

で、モーター走行時はもちろんだが、エンジン走行中でも極めて静かだ。だからドライビングと言うよりも静かな箱に座って滑って行く感じなのだ。そして実家のフィットにも共通する過剰なほどソフトな乗り心地。これが日本人のユーザーが求める「上質さ」の形とでも言うのだろうか?

確かに国産大型車は、まるでそれが高級車の証しであるかのように限りなく滑らかな乗り心地が求められた時期があった。もしかしたらそれは今も続いているのかもしれないが、いつしか小型車などにも波及させて行った結果、とことんソフトで軽いドライビングフィールがスタンダードとなってしまったのかもしれない。

全幅こそ120iCoupeと25㎜しか違わないものの、全長は75㎜長く、全高は105㎜も高い。なので120iCoupeよりも一回り以上大きく見える。だが、近所の狭い路地などでの取り回しはそれほど悪くないようだが、運転席からノーズが確認できないのと、リアウンドーが真ん中で二分されているためにミラーに映る後方視界がすこぶる悪い。

これは間違ってもユニバーサルデザインなどであるはずがなく、むしろ見かけを優先するあまりデメリットが生じてしまったデザイン的欠陥であると確信した。デザインを変にいじくるより、ユーザーフレンドリーを優先する事こそがこのクラスの車に求められるんじゃないのかい、トヨタさん。

私は環境に貢献する事を喜びと感じるエコヲタにはなりたくない。そもそも自家用車に乗っていながら環境に貢献するとのたまうなんて根本的にズレてるんじゃないの? 本当に貢献したければ車を持たなきゃいいのである。車に乗るのが好きな人間なら、その分もっと他の事で貢献すればいいのであって、ムリくり理屈をくっつける必要はなかろう。

いずれにせよ、これがユーザーニーズの最大公約数とは思いたくないし、かつてトヨタが標榜した「Fun to Drive」では断じてない。ああ、真の「Fun to Drive」に早く帰りたいわ。

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iPhoneデビューしてほぼ1ヶ月が経った。

この間、ダウンロードしたアプリは優に100を超えた。そのほとんどが無料アプリで、あってもなくても良さそうなものもあるが、中にはニーズにマッチした満足度の高いアプリもある。

PCでも使っていた英辞郎などの辞書アプリや商売柄、医薬品添付文書集アプリや臨床検査アプリなどは、たとえ有料であってもダウンロード必須である。駅すぱあとや交通情報アプリも日々活用している。

そしてSNSとTwitter。

POOBやBMWメタボ会などのメンバーはmixi、主に仕事・会社関係はFacebook、そしてCB1メンバーと著名人のフォローにはTwitterと棲み分けられている。毎日、そこをチェックしたりツイートしたりしているのだが、ある時、それぞれ別々にツイートする事が面倒になり、3つまとめて投稿できるアプリがあれば便利だなと思った。

同じ思いを感じているヒトはいるモンである。複数投稿を可能にする「ぽすとん」というアプリがちゃんと存在していたのだった。これは嬉しかったな。

その他、時間つぶしのための単純なゲーム。特にスマホの特性を生かしたフリックゲームや昔懐かしいSAMEGAME系が良い。歌詞が表示されるミュージックプレイヤーアプリも重宝している。あ、プレイヤーにスリープタイマーが連動するアプリもグー。

こうしてみると、「こんなに便利なスマホになぜもっと早く換えなかったのか」という数多くのユーザーのコメントにも素直に頷けるというモンだ。これほどユーザーのニーズを満たしてくれるツールも貴重だろう。どっちみち来月以降、韓国製スマホがiPad2と共に会社から貸与されるんだけどね。

ま、せいぜいスマホ・スレイヴにならないように気を付けよう。





1000エントリ到達!

21日の誕生日とその翌日の夜は、BMWメタボ会とマッキナの新年会の連チャンだった。

初日は雨の中の池袋の沖縄料理店「おもろ」。このお店はメタボ会の隊長が20年来通っているというお気に入り。JR池袋駅西口からすぐというロケーションなんだけど、看板が点いているようにも見えない地味なたたずまい。雨の夜という事もあって少々迷ったけど、何とか定刻に到着。

2階の座敷にはりゅうさんが先着していて、かんたろう&ふろりん夫妻もすぐに到着。すぐ後からE61さん&Nakaさん、ROAD&その夫妻が次々と到着。だが、肝心の隊長は集合時間を過ぎてもまだ来ない。「ま、こりゃいつもの事ですよ」とはりゅうさん。

それでもようやく全員集合したので、まずは沖縄定番「オリオンビール」(と言っても缶ビール!)で乾杯。海ブドウ、チャンプルー、ラフティーなどを次々に注文。モロ昭和の雰囲気の座敷と時たま「ボーン、ボーン」と鳴る古時計のおかげで、都会にいながらどこか別世界で飲んでるような…。

早くも飲み物が泡盛に変わった。

泡盛はスムースで口当たりがいい分、禁断の飲み物でもある。これをボトル2本、ほとんど男性5人で空けたのだから堪らない。気がつけば隊長を筆頭に、見るからにベロンベロンの酔っ払いOYAJI集団に変身していた。でも、料理は美味いしレトロな雰囲気良しで一同大満足!

あ、そうそう、私の誕生日祝いにとこれまた懐かしいトップスのチョコレートケーキが登場! 皆さん、いろいろありがとうございました~!

返す刀で二次会は王子神谷のDJバー「1929」へ。ここも隊長がDJ修業のために通い詰めているお店だそうだが、何せこの夜は酔っ払ってるモンだから意味不明の電車乗り継ぎと挙句の果てにタクシー(だったら初めからタクでいいじゃん!)で到着。

小さいながらも80年代のディスコを思わせるデコレーションとミュージックと来れば、OYAJI達の血が燃えないワケがない!

耳に心地よく響くディスコサウンドと共に金髪アフロのヅラを装着し、遠い昔の若き日を彷彿とさせるステップに身体をくねらせ腰を振る振る! 隊長もかんたろうさんも私も!

そんなダンスとはとても呼べない運動が功を奏したか、大量摂取した泡盛がどんどん抜けて行くような気がした。途中、いつものように爆睡したE61さんなんてのもいたけど、ここまでハッスル(←古っ)しても日付変更線を越えずに帰宅できたのは、メタボ会ではたいへん珍しい事だった。

ま、6時から飲んでたんだから当たり前っちゃ当たり前だけどね。

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お次はマッキナの新年会 in 「ベラビータ」。

連チャンで参加するメンバーは前泊が得意技(?)のかんたろう&ふろりん夫妻と私。いっそのこと、3人でお店の前で川の字になって前泊しちゃおうかと思ったけど、たぶん凍死するからヤメ。

この新年会、最初はイタリアン&ワイン+日本酒だったはずが、いつの間にやら大黒PAツーリングの企画が持ち上がっていた! なので、参加メンバー22名のほとんどが車で参加し、8時過ぎに出発するため集合時間は5時に早まったのだった。

新年会なんだから飲んで食ってりゃいいのに、そこはそれ、車大好き人間の会ゆえスキあらばバビューンしたいのだろう。バビューンできない私は飲むっきゃないけど。

それにしても20名を超える人間がこの小さなお店によく入れたモンだわ。ほとんどブッフェスタイルだったけど、それが逆に参加者の移動をスムースにして、ほうぼうで盛り上がっていた。

バビューン組が出払った後、残ったメンバーは7、8名だったか。とりわけ骨折り復活のナツコさんと私はお初だったかぢわらいつき夫妻の奥さんの美の競演が眩しくて目のやり場に困ったくらいである。(←あ、決して見たくないという意味じゃございませんよ)

かぢわらいつきさんの奥さん(HN忘れた)はプロのモデルさん出身で、まさに七頭身か八頭身かという抜群のプロポーション! ホントにこんなヒトっているんだ~ってな感じ。その彼女からキレイで疲れない立ち方、座り方、歩き方のレクチャーを頂いた。ワイングラス片手にコンパニオン立ちやコンパニオン座りを練習するOYAJIの姿は想像したくないが、がんばって研修トレーナーの技として習得しようじゃないの。

そんなこんなで宴もたけなわ、それでも夜が更けて来て、さっさと大黒バビューンに行ってしまったさーのシェフの代わりに店番しているミムラ君も疲れて来た様子なので、ここらでひとまずお開き。

あ、そうそう、ここでもポリペスさんから誕生日祝いにと美味しそうなワインをいただきました。さっそく我が家のミニワインセラーに鎮座させました。ありがとうございました~!

もう一軒行きたくてウズウズしているかずさんやしんいちさんにお応えして、飲み会限界ナシのポリペスさんの4人で新宿3丁目(←2丁目じゃないよ!)の焼鳥屋に。マッキナの事や車の事をこれでもかと話して、気がつけば閉店寸前、日付変更線寸前だったので、ついにホントのお開き。

大勢でワイワイやるのも、少人数でジックリやるのも、気の置けないメンバー同士だったら実に楽しい時間である。BMWをキッカケにこういう世界が広がった事に素直に感謝したい。

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さて、2001年のクリスマスにホームページとして開設したこのサイト。いくつかのレンタル日記などを経てこのブログに行き着き今日を迎えたのだが、途中で消えちゃったエントリもあったものの、遂に通算1000エントリに到達したのである! パチパチパチ

チリも積もれば何とやら。10年と1ヶ月もの間、よくぞここまで続いたモンだわ。ま、これもアクセスアップを追求したり毎日更新を義務付けたりといったムリをしないで、書きたいモノを書きたい時に書いて来たおかげかなと思っている。

これからもこのブログ開設の原点と言うべき、日々の記録と様々なテーマに対する屁理屈に徹して行こうと心新たにしたところである。





あれから二週間

また一週間が過ぎた。

そろそろクルマのない生活に不自由さを感じ始めている。当初、事故相手の保険会社から代車の申し出はあったのだが、修理にそれほどの時間は要しないだろうとタカをくくって不要と答えていた。だが、被害状況は思ったよりも深刻で、修理にもそれ相応の時間を要する事が判明したのである。

そしてついに今週、修理工場や相手の保険会社との交渉窓口になってもらっている中学の同級生の車屋Yの勧めで代車の使用に踏み切った。彼はどんな車種でもいいと言ったので「Audi A1」だの「MINI Cooper」だのと言ってみたものの、それだとレンタカーのタマ数も少なく、いつになるか分からないとの事だったので、国産車でちょっと考えてみた。

出した結論は、代車に乗るたびにフラストレーションが溜まり、その反作用で退院してきた愛車により愛着を持てるようにしておこうというもの。そのためにBMWとは対極に位置するエコカー「プリウス」でドM生活を送ってみようと決意したのだった。

だからプリウスに対して毛ほどの愛着すら抱いてはいけない。徹底的にアンチになるしかないのである。

M度を高めるためにみんカラなどでプリウスオーナーのレビューを読み込み、「スムースでいいクルマです」「環境に貢献している気分は最高」などの賞賛カキコには目もくれず、「こんなにつまらないクルマは初めてだった」だの「クルマは移動手段と言い切れる人にだけオススメ」だの「エコモードだと簡単に軽にあおられます」だののカキコに心を躍らせる事も忘れなかった。これで被虐気分が最高潮に達した。

そのプリウスが、事もあろうに初雪に見舞われた本日到着した。

会社から帰って、玄関横に停められたその白い姿をまじまじと見ると、全長・全幅はBMW120iCoupeとさほど変わらないように見えた。変わっていたのは全高で、これが明らかに高い。そのせいで全体としては一回り大きくも見える。想像するに、このクルマはユーティリティを重視したため、デザインそっちのけ、ハッキリ言って不恰好なのである。おかげでますますM度が上がったわ。

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Yには「修理は考えられる限り思いっきりやってくれ。もしフレームまでイッてたらその分の補償交渉も全部任せる」と頼んだ。

これでクルマの方はひとまず良しとして、お次は我が身である。定期的な検診をしているが、検査値の改善は思うようにならない。それもそのはず、飲み回数は若干減らせたものの、飲む量はほとんど変わらないし、運動などもヤル気ナシの生活スタイルなのだから。

それでもこの年末年始はある程度意識して制限したつもりである。減量もなった。だからこれ以上の節制が必要だと言われても、それでは自分が自分でなくなるような気がして出来ないだろう。なので、これで肝機能値や血糖値が上がっていくようなら薬物治療に踏み切るのもやぶさかではない。

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今年の全国研修ツアーは3月にスタートする。だがそれまでの間に、そのためのさまざまな準備Mtgに加え、小規模研修やディスクジョッキーのようなWebトレーニング、学会出張などが目白押しで、近年珍しく3ヶ月先のスケジュールまで次々と埋まっていく有様である。

同時に各製品の関連Mtgにチームメンバーが積極的に関わるようになり、私も出席するたび、求められる研修効果達成のために一生懸命に無い知恵を絞っているので結構疲れる。明日も休日出勤で担当製品のエリアマネジャー会議に出席する。

この疲労とiPhoneにも慣れて手放せなくなりつつある生活と共にブログの更新も延び延びとなっていた。

ま、明日の会議が終われば「BMWメタボ会」の新年会が待っている。だがこの飲み会はいつも平気で日付変更線を越えたり朝帰りになったりするから要注意だ。なぜなら翌日には今度は「マッキナ」の方の新年会が控えているからである。この二つのオーナーズクラブは元は同じクラブだったのだから話がややこしい。

おかげで連チャンである。う~ん、これのどこが節制じゃ!







あれから一週間

新年早々の大厄を食らって一週間が過ぎた。

事故翌日の7日は、実に10数年ぶりに大学の同級生との飲み会が立川の居酒屋で開催された。

同じ研究室で都の公務員をやってるNが幹事をやり、ウチの会社から別の会社へ転職して行ったAや薬局経営者のSなど、私以外は10数年前とほとんど変わらない姿かたちだったのはちょっと意外だった。出席予定だったT大教授となったKは所用とかで欠席。

研究室以外ではSとH、Mなどの懐かしい顔も。訊けば、この会は近辺のエリア住んでいるメンバーが中心となって毎年開催しているという。私はAの誘いによって初参加だったが、見事期待通りにやかまし係を全うした。何せ、年月が年月だけにしゃべりネタには事欠かないモンね。

アラフィフのいいOYAJI達が集まるにはどうかと思えるチェーン居酒屋だったが、飲み放題の時間はあっという間に過ぎ、二次会すらなく解散。相変わらずビールコップ一杯飲めないメンバーやお堅い仕事に就いているメンバーばかりだから、これも致し方ないか。

・・・・・・

明けて11日は年に一度の部会。と言っても、それぞれの仕事の都合で毎年全員が揃う事がなかったのだが、今年は体調不良で欠席のTさん以外全員が打ち揃った。

例によってグループディスカッション&発表のセッション。決して意識的ではなかったが、結果として一つ一つの発表に対して私が質疑をぶつける形となった。もちろんイチャモンの類ではなく、あくまでも前向きなオブジェクションだったのだが、後のパーティーの席上で部門長のNさんから「君は実にいい個性を持ってるね」などとコメントされた。

「いやぁ、こういう事は私のようなロートルではなく若い連中が言わなくちゃいけないんですがね」

宴もたけなわとなった頃、例の出戻り異動となったOさんと目が合った。別に話をしたいとは思っていなかったが、流れで「Oさん達が異動して来た時に一緒に持ってきた問い合わせ対応業務が、今やかなりタイヘンな状況になっちゃってますよ。なのにここでOさんまでがいなくなっちゃったら、よけいタイヘンになりますよ」と言ってみた。

事実、この前日のチームミーティングでこの問い合わせ対応業務を元の担当部署(Oさんが出戻る部署)に返還しようというコンセンサスが得られていて、次回のマネジャーミーティングにおいて提案される予定だった。

「まぁ、大変だけど頑張ってよ」とでも返されるかと思ったらあにはからんや、「この部署がヒマだって聞いたからオレがこの仕事を持って来てやったんだよ。毎晩酒飲みに行ってるみたいだし」

研修ツアー実施月とその準備月との濃淡はあるものの、ウチの部署がヒマだなんて事はあろうはずがない。だがこの瞬間、やっぱりコイツはこういう人間に変わっちまったんだと確信した。これ以上言葉を交わしたら今度はこっちがキレそうだったんでその場を後にした。そして各マネジャーにこの事実を伝え、業務返還の動議が出たら支持してくれるよう依頼した。

Oさんよ、業務も一緒に持って帰れや。

・・・・・・

翌日、朝起きると悪寒が走り、下痢気味になった。高熱が出ていなかったのでインフルエンザではないが、何年ぶりかで見事に風邪を引いたようだ。決して「鬼の攪乱」なんかじゃないけど。

結局、悪寒が抜けないのでこの日から2日間お休み。あれ? よく考えたら仕事始めからの6日間のうち、出社したのはまだ半分ほどだわ。厄はまだ払えていないのか。

そして今日は、息子のセンター試験の日である。

私の時代はセンター試験はおろか共通一次試験すら無く、国立は一期校、二期校受験体制だった。だから毎年寒さと雪に翻弄されるセンター試験など、まるでリアリティが湧かない。

息子も息子で、この一年間の予備校生活のリベンジだというのに実にノンビリと構えている。何せ、昨日の夜に本人に確かめた試験時間が間違っていた(受験科目によって違うらしい)くらいである。こりゃ勝負の前に負けたと言ってるようなモンじゃないの。

こういう所ばかり遺伝しちゃイカンわな。ま、せいぜい期待しないで待っていよう。





正月休みは一応最終日

これを圧勝と言うのだろう。

新春恒例の第88回箱根駅伝で、東洋大が往路、復路を制覇、2年ぶり3度目の総合優勝を果たしたが、スゴイのはその内容。昨年11時間を切った早大の大会記録を大幅に更新する10時間51分36秒は、今後おいそれとは破られそうにない大記録だ。おかげで繰り上げスタートになってしまったチームが今回かなり増えた。

いつの間にか幼かった顔が青年らしく成長した「山の神」榊原は4年生でキャプテン。自らの記録を上回る区間新記録を樹立して、最後の箱根に有終の美を飾った。

東洋大は昨年、往路優勝しながらも復路で逆転され、総合優勝した早大に21秒及ばなかった。これを往復10区間でみれば、一人あたり約2秒。報道によれば、チームは一年間、この及ばなかった「差」を見詰めるところから始め、辿り着いた結論は「勝ちたい思いの差」だったという。そう、思いを強く持つのは大切なんだよね。

来年のシード権をもぎ取った10校は東洋大、駒大、明大、早大、青学大、城西大、順天大、中大、山梨学院大、国学院大だった。

・・・・・・・

初詣は久しぶりに浅草へ行こうとカミさんが言うので、都内ドライブも兼ねて出掛けた。

都内の道路は思いのほか順調で、オフィス街や問屋街などは人もほとんど見られなかった。ところが浅草に近づくと、突如ナビから「この先行事により通行禁止です」とのアナウンスが数回。それは雷門通りが歩行者天国になっているという知らせだった。

反対車線が駐車場行列で渋滞の国際通りを上り、浅草国際ホテルを過ぎたあたりを左折、目指すはコインパーキング。おあつらえ向きのパーキングはあったものの、前2台で満車となってしまった。待つこと約15分、さすがは15分200円というボッタクリパーキングらしく、1台の車が出て行ったので駐車できた。

浅草寺へはひさご通り(ここに大学同級生だった女性の実家の薬局がある。なつかし~)を経由し、花やしきの前を通って北側からアプローチした。通りは人でごった返していたものの、北側の境内はさほどでもない。

あれ? こりゃCB1ひろぼんさんからのツイートと様子が違うんじゃないの思ったのもつかの間、南側の本堂周辺と仲見世参道はことごとく千人単位の人で埋め尽くされていた! しかもそこは割り込み防止のために鉄柵で仕切られているじゃないの! そりゃそうだ、こうでもしないと参道の左右から横入りされ放題になっちゃうわな。

仕方がないので本堂横の柵の外側から本堂に向かって手を合わせ、いつもの「家内安全、学業成就、健康回復」を唱え、柏手を打った。ハイ、これで初詣無事終了。こんな日に延々と並んだってしょうがないわな。

・・・・・・

新年の浅草と言えば蕎麦。蕎麦と言えば、小さい頃から祖母によく連れられて来た「尾張屋」である。

ここは、あのこぶ平じゃなかった正蔵もノスタルジーを感じているお店と言っていたが、それにふさわしい明治創業の老舗である。この時期は有名どころのお店は軒並み行列だが、ここも店内外に10人以上が並んでいた。いつもは行列なんて大嫌いな私だったが、ここはおとなしく並ぶ。やっぱりこのお店は特別だから。

注文はすでに決めてある。天丼ともり。カミさんは車海老の上天丼。これを江戸っ子で人生の先輩である私としては、相席で対面に座った若いカップルよりも粋に素早く平らげる必要がある。

まずは蕎麦にワサビを軽くまぶして手繰る。つゆに半分くらいつけた瞬間、おもむろにすする。ここでどれだけ威勢のいい音を上げるかが江戸っ子の真骨頂。手早く2分程度で片付けて蕎麦猪口に蕎麦湯を注ぎ、天丼にバトンタッチ。

丼ぶりモノはひたすらかっ込むに限る。決してチマチマとつつくように食してはいけない。もりそばから天丼終了まで10分かからなかったか。天丼のみのカップルの男性はまだ1/4残っている。そんな男性にチマチマと天ぷらそばを食べていた女性が「早いね~」と言ってたが、まだまだ修行が足りないぞ、若造。

・・・・・・・

こうして3日の初詣は終わった。今年も何とか乗り切っていける気がして来たな。

問題は今年の初出社を何日にするかである。

世間では本日4日から初出社する人は多かろうが、外資はノンビリである。ウチは公式には5日から営業開始だそうだが、本社内勤者は全員集合する必要はない。まだ帰省してる者、まだ旅行に行ってる者、まだ家で引きこもってる者などなど、それぞれが自分で決めて出社する。

ツワモノは両日を休んで10日出社とするだろうが、大抵は5日出社か6日出社となるだろう。出社したからと言ってすぐに何かの仕事をするわけでもなし、せいぜい挨拶くらいでノンビリする事になる。これを正月休みからのリハビリ期間と言うが、それなら家にいても変わらないと思うが、一応会社にいれば少しはリハビリ効果が上がるだろう。

5日に行って6日を休むか、5日を休んで6日に行くか。さて、どうしようかな?



(追記)
忙しかった暮れに書けなかった年賀状。せめてもの返信用として出来合いのハガキを購入していたものの、気が付けばもう4日。orz 今さらジローなので今年は失礼させていただきます。御免 orz





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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコギとウクレレを弾いて昭和を歌ったり、カラオケでも昭和を歌ったりしてます。最近は40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2に囲まれて幸せです。

もうひとつの大好きは欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経てゲルマン製装甲車のような「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

それをキッカケにBMWオーナーズクラブの「Club BMW 1(CB1)」「BMWメタボ白髪連合会」などのメンバーにもなりました。

某企業のプロフェッショナルな研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、ステージを替えて今後は頼れる薬局のOYAJIを目指したいと思います。

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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