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グータラK君、ついに華燭の典!

37年に渡って独身を謳歌していた同僚のグータラK君がやっと結婚し、披露宴を挙げた。先日の土曜日の事だった。

土曜日と言えば、一日中でも寝ていたいグータラK君本領発揮の日である。だがこの日は、朝から嫁さんに叩き起こされて入籍手続きに行き、嫁さんの家族を車に乗せて会場入りと大忙しの休日となってしまった。 …当然だけどね。

その会場がよりにもよってあの帝国ホテルだったのである! よっぽどリッチか格式などを重んじる人間でもなければそうそう選ばない超高級ホテル、なぜアンタらがここ?

それは嫁さんの一言だった。「だってここ、友達の結婚式でまだ誰も使ってないホテルだから」

…そりゃそーですよ。そもそもあなたのご友人達がどーしてこのホテルを選ば(べ)なかったのかをよーく考えてみようね。

それでなくても、これまで独身貴族を満喫して貯金の乏しかったK君、最低見積もり@5諭吉とも言われる超高級ホテルのご指名に少々アセったものの、帝国ホテルともなれば来客のご祝儀もはずむだろうと決めたらしい。

…現実はそう甘くないっての。高級すぎるホテルはむしろメーワクでしかない。こうなったらご祝儀をお米券で持って行ってやろうかとも思ったわ。

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このカップル、実は3年前にK君が初めて親を海外旅行へ連れて行ったツアーで出会っていた。元来、いいなと思った女性にも自分から積極的にアプローチをする事のないK君、その後は彼女の主導で友達以上恋人未満という付き合いを続けていた。

去年、K君は借り上げ社宅の自己負担増加をキッカケに自宅購入を決意せざるを得なくなった。だったらいっそ結婚しましょうよとなって一気に話が進んだらしい。これも彼女の押しの一手だった。

というワケで、彼らは実家の援助もあってスタート時点から恵まれていた。なんと新居が新築一戸建てなのだ! しかも嫁さんの意向で、自身の実家からほんの数分の距離だと。もとより家にはあまり関心のないK君を尻目に、嫁さん&姑さん連合軍は着々と設計を進めているという。ただし完成は9月頃らしいので、それまでの間は独身時代と同様にそれぞれ別居するらしい。

…だったら家ができてから結婚すれば良さそうなものなのにね。

こうして、すでに嫁さん&姑さんに内堀と外堀を埋められていたので、K君の周囲からは、まるでサザエさん家のマスオさんだと嘲笑れている。だがK君(唯一)の武器は、相手の要望を何でも受け容れられる「器?」なのだ!

着ている服は彼女の指示によって一新されている。髪型も床屋から彼女と同じ美容師の手にかかって今風に一新されている。少食の彼女のペースで食事は進み、彼女が食べ終わったらそこで食事は終了。身体の大きいK君がもっと食べたいと言っても、「ダメ! 太るから」

私あたりだったら即刻却下するであろうオーダーを受け容れている限り、この二人は末長くうまく行くに違いない。だからK君、君の使命はこれから一生「ガマン」し続けて行く事に尽きるぞ!

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今風のアレンジされたという披露宴は仲人は置かず、二人の出会いからの足跡が必殺仕事人のテーマソングと共にスライドショーされ、続いて暴れん坊将軍のテーマソングに乗って新郎新婦入場、今どき珍しい鏡割りでの乾杯と続いて行った。

独身グループとして遊び歩いたK君の悪友達によるちょっとスベった余興の後は、お決まりのチュータイム。そして何と新婦によるメッセージの披露となった。開口一番、「私はお見合いをたくさんして来ましたが…」 をい!

本日一番の大受けだったのは、実は新婦の親父さんの挨拶だった。医師免許をお持ちの公務員とはとても思えないフレンドリーさと天然ボケ。これには一同大笑い。K君、君の義父さんは実に愉快ないい人じゃないか! …地獄に仏とはこういう事だぞ。

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無事にお開きになった後、同僚らと共に有楽町駅近辺の居酒屋で二次会。それぞれに披露宴の余韻に浸っていた、と思う。ここでも焼酎ボトル2本が空いたのであんまり記憶がない。

そうそう、二人の新婚旅行はGWあたりにカリブ海に行くそうな。カリブ海と言えば、海賊にジョーズ、バミューダトライアングルである。いくらK君がジョニーデップを気取ったところで、子供が好きと言っていた嫁さんジョーズは狙った獲物は決して逃さないだろうから、せいぜい仲良く異次元トリップを楽しんで来るがいい、アーレ キュイジーヌ!





いよいよ還暦へのカウントダウン

「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた全盛期、巨人と一緒は面白くなかったらしい。「有望選手を集めれば勝つのが当たり前。こっちは裸一貫なのに」「僕は天才ではなく、苦労してはい上がる努力型です」と。

遥か北方の暗い海に棲む巨魚、ひとたび変身すれば「鵬」という巨鳥となる。やがて鵬は風に乗って南の海に向かって飛び立つ。荘子が記す巨鳥にちなむ「大鵬」は、その名の通りたちまち昇進を遂げ、第48代横綱の天空に達すし、前人未到の32回という不滅の優勝記録を打ち立てた。(天声人語、編集手帳から改変)

各新聞のコラムがこぞって記した名横綱大鵬、納谷幸喜氏が一昨日、72歳で亡くなった。

「柏鵬時代」のライバル柏戸の剛に対して柔、自在な取り口で受けて強かった。対戦相手は「柏戸は壁にぶつかる感じ、大鵬は壁に吸い込まれる感じ」と振り返ったそうだ。

全盛期は大鵬に憧れて入った120人もの弟子がいたという名門二所ノ関部屋も今や力士3人、今場所限りで消滅するのも時代の流れと言うには余りに惜しい。

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さて、またこの日が来た。

東京タワーと同じ年に生まれた私、きょうで55回目の誕生日だ。正確には私は1月生まれ、東京タワーがオープンしたのは12月なので私の方が先輩と言えるが、着工されたのは前年の6月というから分からない。ま、それでも私の方が先に形にはなっていただろうな。

そんな事より、これで遂に50代半ば、還暦とサラリーマン生活の定年(もしかしたら65歳まで延長されるかも?)まであとわずか5年を残すのみとなってしまった。ここから先はよりリアルなカウントダウンの日々となろう。だからもはや私にとって誕生日はメデタイ日でも何でもない。とは、2年前のこの日のブログでも書いた。

とは言いつつも、美味いモノを食べる口実としてそんな日ですら利用しない手はない。

カミさんの仕事の終わりを見計らって行ったのは、やはり2年前と同じ「天ぷら 荘司」だった。今のところベストなCPと食後感と我々2人が揃って認める天ぷら屋である。年末が近づくと、このお店のおせち料理をオーダーし、正月にそれをつつくのも定例行事と言えるほどの気に入りようである。

今回も誕生日サービスとして、いつものコースをグレードアップしてくれたようで嬉しかった。二人で銀河高原ビール1本にぬる燗酒3本と控え目にしたものの、天ぷらの合間に供される金目の蕪蒸しや締めの土鍋で炊く炊き込みご飯(今回は帆立ご飯)などでお腹一杯。もちろん今日も大満足! うん、いい夜だった。

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去年あたりから現場で降格やら肩叩きなどの不穏な状況を耳にする一方で、全国会議ではことさら人を大切にするとスピーチするトップの言葉に大いなる矛盾を感じたが、久しぶりに大阪で飲んだ元同僚Kの転職した会社でも同じような事があると言っていた。

光あるところ影がある。大昔の忍者漫画に出て来たセリフだが、私とて例外ではない。いや、私あたりの年齢からがより危ないのかもしれない。

誕生日を迎えるという事がそんな危険なカウントダウンの始まりでもあるというのが、また物悲しい。





迎春ふふふのふ

大晦日から元日のテレビは、今回もザッピングを経て深夜の朝まで生テレビまで突入したものの、いつにも増してメンバーがプアだったのでそこでジ・エンド。午前2時は回ったが早々と寝た。

元旦も仕事のカミさんを仕事場まで送った足で東松戸の実家に向かう。

元旦の首都高は実に走りやすかったが、反対車線で自爆事故らしい光景に出会った。もちろんそこから後ろは大渋滞、元旦早々からいい迷惑だな。崩落事故を起こし交互通行で開通した中央道笹子トンネルで追突事故が連発している。落ちて来るなよと天井を見上げているうちにドン! てなモンだろうが、それで怪我したら本末転倒だろが。

前日から来ていた上の息子と母親の3人で恒例の雑煮を食べ、ニューイヤー駅伝で社会人ランナーデビューした箱根駅伝の山の神柏原を観る。入りはハイペースだったものの、終わってみれば区間4位というほろ苦い結果だった。ま、これからは平地でのレースがメインとなるだろうから今後に期待出来るだろう。

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夜も更けてくると、息子のケータイがやたら鳴る。鳴るとトイレに籠って何やら長話をする息子。誰が見たって相手はただの友達じゃない。いつの間にやらケータイ2台持ちにしていたし、ヤツの誕生日の次の日が親父の一周忌なんだが、いつもなら実家に前日入りする息子が速攻で「前日はダメ!」とのたまったという。こりゃいよいよ春が近いのかも。ふふふのふ

ケータイひとつとってみても今は何かと便利だわな。私の時代なんざ、電話といえば固定電話のみだから、相手の家に電話するのもドキドキしながら時間を見計らう。やっとダイヤルしても大抵は相手の親が出るから、そこでまた壁がある。もちろんメールなんて無いから、待ち合わせの時間と場所を決めて一度家を出れば、アクシデントが起こっても直接連絡する手段はない。文字通り一発勝負。だから相手の声を聞く事も姿を見る事も今より数倍も貴重な喜びだった。

思い起こせば遥かな昔、新人研修で数ヶ月間合宿していた某オリンピックセンター。夜の自由時間は決まって大量の10円玉を握りしめて電話ボックスに突撃したっけ。いつの間に後ろに並んだ人達には目もくれず、コインが尽きるまで話し続けた迷惑行為も今となれば懐かしい。ハガキや手紙もまだまだコミュニケーションの主流だった。

直接相手の声を聞く事や会う事自体に大きな意味を持っていたという経験をしない世代は、だから人と人とのリアルなコミュニケーションよりも通信機器でそれが得られる事にさほど疑問を抱かない。その手軽さの前に、繋がりの希薄さや怖さなどは実感していないのかもしれない。そんな感性が、行き過ぎたイジメや安易な自殺などを惹起している要因の一つだと言ったら言い過ぎだろうか?

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さて、仕事始めは7日だが、翌日は福島の某病院にて全職員を対象にした説明会の第1回目がある。テーマは私の得意分野とはいえ、その準備のためにいくつかの文献を読み、足りないスライドを作成しておかなければならないので、正月気分でノンビリできるのもせいぜい明日まで。

そしてそれを仕事始めとして今年がスタートする。今年は仕事の面を含め、私自身に何かをプラスワンしようと思っているので、それも決めておかなければならない。

寝坊してスタートには間に合わなかった箱根駅伝を観ながら、取り敢えず今は雑煮を食べる事に集中するとしよう。





早くもまたも大晦日

どんより曇った天気なれど、今年も最後の日を迎えている。毎年毎年この日のブログ(だけじゃないけど)は、やれ月日の経つのが速いだの、やれ今年の正月の光景がハッキリ残ったままだのとOYAJI丸出しのセリフを並べ立てているが、実は年々その感触が強まって来ているのがいと哀し。

カミさんが仕事なので送りついでにファミレスで朝食。その後、もう馴染みになっている曙橋の天ぷら屋へ注文しておいたおせち料理を受け取りに行き、ノンビリと今年最後のこのブログを書いている。

そう言えば、スマホデビューしたのがちょうど1年前。それ以来、いつのまにかmixiやFB、Twitterでのつぶやきが主流になり、その分ブログの更新が激減してしまった。でもブログは自分の記録とも位置付けているので、必要なエントリはキチンと記して行こうと思っている。

昨夜は結構な雨が降っていた。だからというワケじゃなかったが、ここ2年続いて参加していたCB1恒例の「締めの夜クラ」をうっかり忘れてしまっていた! ほんの1週間前までは気にしていたのに。CB1に関しては夏の名古屋オフ会参加以降、イベント参加がうまくスケジューリング出来ないのだった。こりゃ何かのタタリかい?

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ついこの間だったよなぁという気にさせられるのが、2月9日に傘寿を前にして亡くなった父親の事だ。間違いなく我が一族最大の出来事だった。代わりに今月、母親がめでたく傘寿を迎えた。その母親と妹の2人が住んでいた築40数年の実家を処分してマンションへと引っ越した一連のドタバタが2番目に大きな出来事だった。

そうそう、一浪した息子が何とか福島の公立大学に入学し、新入生限定の新しい学生寮にも入れた事が3番目の出来事か。その息子、自治会とやら何とやらでこの冬は帰省しないと。現地は雪まみれだろうが、よっぽどアチラの生活が楽しいらしい。ま、少なくともここよりは居心地はいいだろうけどな。

それやこれや、私がどう感じようとも、月日は今も昔も平等に流れているんだよなぁ。

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たびたび組織変更などがあったものの、仕事の方は相変わらずプロフェッショナル・トレーナーである「研修職人」を目指しつつ、毎月のように様々な種類の研修に邁進した一年だった。これも基本的にここ数年同じような忙しさだけど。

この会社の学術・研修部門の業務だけでもかれこれ10年以上経過しているが、今だに一つの研修を終えた時に感じるものは達成感よりも反省点や課題の方が多い。研修職人の頂きなんてのはまだまだ見えないのである。社内研修業務でさえこうなのだから、本チャンの教職にある先生達はさぞや苦労して登り続けているんだろうな。かつて志望していたとはいえ、私あたりではせいぜいが中途半端な先生止まりだったかもしれない。

これまた速いモンで、そんな私も来月の誕生日で50代半ばに差し掛かる。還暦まで秒読みというだけではなく、一つの区切りの年代と捉え、明確なものはまだ分からないが、今までの自分を変えてみるという意味ではなく、何かをひとつ加えてみようかと思っている。これは私にとっては結構なチャレンジになるはずだけど。




こりゃ目からウロコだ!

「目からウロコ」とはこういう事なんだと知った。いや、目からウロコの意味を知ったという事ではない。

それはある雑学クイズ番組だった。出題される問題のほとんどは既に知っていたものばかりで、それを間違える知識人やお笑い芸人などを若干上から目線で見たりしていた。そして番組も佳境に入り、いよいよ決勝ラウンドに突入した。

その時、こんな問題が出された。

普段使っている「ください」という言葉は、ひらがなで書く「ください」と漢字で書く「下さい」に明確な違いがあるが、それはどういう違いか? というものだった。

もちろん、単にひらがなか漢字かの書き方の違いではないのは明らかなので、しばし考えた。

その結果、そうだ! ものが欲しい時は「〜をください」で、相手に何かをして欲しい時は「〜して下さい」となるのだと思い至った。つまり、単独の動詞の場合と助動詞の場合で異なるのだろうと。

正解は、その使い分けこそ合っていたが、何と何と! ひらがなと漢字の使い方が全く逆だったのである!

ものを買ったりもらったりの場合は「〜を下さい」、してもらう場合は「〜してください」が正しい表記という事だった。なぜこれにビックリしたかと言うと、私は公文書などで丁寧に表記する場合は「〜して下さい」が正式だと信じて疑わなかったからである。そう書く事で謙譲の意を表すとも思っていた。恥ずかし〜!

これからは助動詞の時の「ください」は、すべてひらがなで書かなくてはならない。でも既に書いてしまったものはどうしようもないし、例えばこのブログのエントリの中にもそんな誤表記はたくさんあるが、これを今さら書き直すのも面倒だから放置する事にした。

ここまで半世紀以上生きて来て、こんな言葉の基本で改めさせられる事がまだまだあったんだなぁと「目からウロコ」なのだった。

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最近の雑学クイズブームのおかげで、普段使っている言葉の意味を取り違えていたことに気付かされる事は多い。

例えば「役不足」。「プロジェクトリーダーなんて私には役不足で自信がありませんが、皆さんのご協力をお願いします」などと挨拶しようモンなら噴飯モノである。役不足とは、自分の実力よりも役が軽すぎて力が発揮出来ないという意味。それを言うなら「力不足」が正しい。

議論や会議でよく「煮詰まる」という言葉が使われるが、これも誤用の代表格だろう。言ってる本人は、結論が出ずに物事が進展しなくなるという事を言いたいのだろうが、煮詰まるや煮詰まって来たは「十分な議論などを経て、もうじき結論が出る状態」である。にっちもさっちも行かなくなった状態は「行き詰まる」と言う。

「逝去」という言葉は、それだけで死去という言葉の尊敬語である。だから「逝去されました」というのは正しいが、「ご逝去されました」は正しくないという事になる。

人からの連絡事項などに応答する言葉に「了解しました」というのがあるが、これは目上が目下に対して使う言葉で、目下が使う場合は「承知しました」となる。「ご苦労さま」と「お疲れさま」も同様である。

事ほど左様に日本語は言っても書いても難しい。それでもいい大人が堂々と言い間違えたり書き間違えたりしたら、それこそ穴があったら入りたくなる。今からでも、少しずつでも知るようにしよう。

こんなWebsiteがあったので紹介しておく。その名も「言葉の誤用」。ぜひ参考に「してください」。





5月後半のまとめ

気がつけば5月もあっという間。特に下旬以降の時の速さに驚嘆する思いである。

22日~24日は、先月実施した特別研修のフォローの意味で三重県&愛知県の3名の営業部員との現地同行。三人三様の個性はあったものの、入社からまだ1年、担当してからせいぜい半年前後の割には、いくつかの得意先に可愛がられていたのは嬉しかった。

最近の営業現場では、ことさら訪問効率重視のスケジューリングが為されていて、頻度や軒数などの活動記録によってはいろいろな指摘を受ける。なので、昔のようなここ一番の濃密訪問作戦などが極めて取り難い。そんな事をしようもんなら、たちまち「過訪問だ」「担当エリアのカバー率が落ちている」となって修正を余儀なくされる。

だが私の営業経験からすれば、右も左も分からずにただガムシャラに訪問していた頃が、得意先との長年に渡る人間関係を構築出来た場合が圧倒的に多かった。逆に効率等を考え始めたあたりから、そういう深い関係を構築できた得意先が減ったと感じている。

一般人がアクセスしにくいエキスパートに容易にアクセスできる、営業という職種ならではの貴重な財産が得られにくい昨今の訪問管理システムは、営業部隊にとってある意味不幸だと思っている。もっとも、ウチは高い製品力を持った製品ばかりだから効率重視でもビジネス面では問題ないと言ってしまえばそれまでだが。

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営業部隊との同行と前後して、ボディコーティングとリアウインドフィルムの施工を依頼していた愛車が戻って来た。今年初めの忌まわしい事故以来、これで文字通りの復旧が完了した事になる。さらにその前週にはメタボ会のヒロさんにイカリングとトランクスポイラーを何と夜のスーパーオートバックス駐車場で装着してもらった。

実は、トランクスポイラーというアイテムにはBMW120iCoupe購入当初から気になっていた。120iCoupeは、BMWの中では軽量コンパクトで4気筒エンジンとの相性も抜群、高速クルージングも峠道もこなせるオールラウンダーで非常に気に入っている。

だがどんな美女にもほんの少しの欠点は付きもの。この車の欠点はリアのデザインだった、と思っている。BMW現行車種でのクーペスタイルの極みは3シリーズ(E92)と言っていい。フロントからリアにかけて流れるようなラインは絶世の美女そのもの、特にリアトランクの長さのバランスが絶妙なのである。

それをコンパクトにした(はず)なのが1シリーズ(E82)なんだけど、残念ながらこの最後のトランク部分が何とも寸足らずなのである。せめてもう15cmくらい長ければと何度思った事か。

そんな悩みを解決してくれそうなのがトランクスポイラーだと密かに狙いをつけてはいた。ただし、トランクの上にさりげなく装着するタイプは見た目が変わらないのでパス。あれこれ雑誌などを見ているうちに目に留まったのが「ハルトゲ」製のものだったが、お値段75000円ナリ! で、撃沈していた。いくらなんでも板っきれ一枚に75000円はないわ。

そんなモンモンとしていたある日、ベラビータで顔を合わせたヒロさんが「レプリカだったら1/10くらいで手に入りますよ」という信じられないお言葉! な~に、こちとら純正なんぞにこだわらんわいとばかりに速攻で依頼。ついでに格安イカリングもオマケ。

で、やがて塗装を終えて彼の元に到着したのがハルトゲとBMWパフォーマンスの中間くらいのデザイン。派手過ぎず地味過ぎず、まさにイメージ通りのハネだった。言う事なし!

これでリアが引き締まり、フロントもイカリングで引き締まった。もはやデザインに死角ナシ! はチト言い過ぎかも。POOB総会にも間にあったし、メデタシ、メデタシ、イタメシである。

装着現場に居合わせたE92乗りのムッシュさんが、すかさず「後はホイールと車高ですね」という悪魔のささやきは速攻スルー。笑

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そして先週末は母方の祖父母の27回忌の法事で深谷市の菩提寺へ。10数人の親戚が集まったが、よく考えてみれば親父の葬儀や納骨などで今年は3、4回顔を合わせているのだが、そのほとんどが喪服姿というのも何だかな、である。





桜は満開、仕事も?

3月のほとんどを費やした全国研修ツアーが終わった月末は、専門営業部隊の研修2日間。4月に入って先週末からは特別研修ツアーが始まり、全国9会場のツアーとなる。トドメはGW直前までの4日間でたった一人の中途入社社員のための製品研修が待っている。

こんなタイトな研修スケジュールは近年なかったが、問題はスケジュールだけではない。そう、研修コンテンツの新規作成やリバイス作業にバカにならない時間と手間を要する、この事の方が切実だと言っていいだろう。

求める研修効果のための最善のコンテンツあってこそ、トレーナーのスキルがモノを言う。仮にも、不完全なコンテンツをトレーナーのウデでカバーできると思ったら、それは単なる自己満足でしかない。だから研修の種類が変わるという事は、それぞれをゼロベースで構築していくという事でもある。

研修業務は、少なくとも私にとってはやりがいのある仕事とはいえ、正直こういう連チャンはキツいよね。

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昨日は、定期検診の採血と主治医面談とのインターバル(今回は何と5時間!)に40km離れた実家へ車を走らせて亡父にまつわる相続関係の書類に妹共々署名捺印をした。

実家以外にほとんど遺産などはないのだが、そういう書類を作成して届けないと名義変更はおろか預金すら手を付けられない。想像以上にややこしい日本の制度を見て、自分の時は前もって準備をしておかなければ遺族は大変だと実感。

渋谷の医療施設にトンボ帰りして主治医と冗談などを交わしつつ面談終了。帰り道に会社へ寄って、同僚に代理で受け取ってもらっていたチケットを取り帰宅。ここまでで午後3時半。いつもの休日に比べたら数段アクティブだ。

東京は桜満開。

いつもはこの時期になると同僚のK君が夜桜見物を企画していたのだが、彼は今月からMKT部門へ異動したためそれが叶わなかった。

だがこの絶好機をみすみす逃すテはない。という事で夕方からプチ花見に。夕食にはカミさんが見つけたイタリアンに予約を入れ、それまで 近場を流そうという事で桜のトンネルの中野通りと哲学堂公園へ。

先週まではただの枝だった木々は見事な桜色のトンネルに変わっていた。

その下をゆっくり車を走らせる。キモチいい~!。中野通りは道幅も広めで交通量もさほど多くなく、路肩パーキングも豊富なので重宝する。車を哲学堂公園の近くに停め、桜が張り出した川沿いの道を歩いて公園を散策。いいねぇ、春だね~! 少し風があって寒かったけど。

公園では花見の宴が催されていて、例によって学生グループでは酔いつぶれたアフォが注目を集めていた。

ここは人出も多過ぎず、花見には穴場スポットと言えるかもしれない。今日もいい天気なので、さらに賑わっている事だろう。

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さて、今晩からは例によって休日前泊移動。目的地は福岡。月曜日の福岡会場が終われば岡山、大阪と移動を続け、週末は仙台とまるで旅芸人である。今週は週末まで帰京できないが、まあそれもこの仕事の宿命だ。

心身のオンオフのメリハリを大事にしながら乗り切って行こう。





する方も聞く方もイヤな話

確か3日前だったか、車屋Yから電話があった。

例の事故の修理で下取り査定額が下がった(格落ち)に対する損害賠償交渉を知らせるものだった。それによると、相手の保険会社の窓口となっていた女性に代わって、事故査定とやらを担当している男性が交渉相手となったらしい。

その男が支払い交渉にやたら後ろ向きで、やれ過去の判例だの訴訟を起こしても勝てないだのと、もともとYに訴訟なんて起こす気などないのにも関わらずまくし立てたそうだ。事務的で人間味のない対応にYも相当頭に来たらしいが、私とも話したいとの事で、翌日電話を待っていたがナシのツブテだった。

そうしたら、昨日になって不在着信があった。コールバックすると男性の声。すぐにその男だとわかったが、まずは担当交代の挨拶だというのでそれを受けた。Sと名乗るその担当者は、私に向かっても裁判の判例云々の話をしてきた。その口調はYの話にあった通りの事務的、というより無機的な感じがした。

とにかく言うべき事は言っておこうと、私は話を始めた。

まずは、この事故は私に何の過失もない、相手の一方的な信号無視によるものである。私にも過失があった事故ならケンカ両成敗で諦めもするが、修理後に車の価値が下がるという事に割り切れない思いでいる。これを少しでも収めるには金銭面での解決しかないのではないか、というのが私の主張。

するとS氏は「物損事故の場合は修理にかかった費用のみの支払いで良いとの判例が出てます。人身事故だったら別ですが。第一、気持ちを金銭に換算することはできないでしょう」とさっそく裁判絡みの論法で来た。

私は「実は事故の衝撃で腕に微妙な違和感があったような気もしたが、相手はまだ若かったし、ここで人身事故にしたら彼ももっと大変な立場に追い込まれかねないと慮って、診断書も取らなかったんだよ。それが理屈じゃない気持ちというもんでしょ? だったら今から医者に行った方がいいのかねぇ」と言ってやった。

「人身事故の場合は通院費用や所得保証などが生じますので、それはお支払いしますが、たとえ人身事故と言ってもそれ以上の損害や見舞金をお支払いするというわけではございません」

「それは違うでしょ。昔タクシーにぶつかった時、バンパーにコツンというくらいだったので物損事故で行くはずが、タクシー会社の差し金で運転手が病院へ行って診断書を貰ったために人身事故扱いに切り替わった挙句、私の保険会社は示談金だかで20万円余計に支払ったという事実がありましたよ」

「私どもは医師の診断書に意義を唱える立場にはございませんし、人身事故ならそういうケースもなくはないでしょう。しかし車の価値が具体的にいくら下がったというのは証明できませんよね?」

「いや、そうとも言えないでしょ。例えば車をディーラーに持って行って、修理なしとした場合の査定額と修理込みの査定額とを出してもらえば損害の金額がわかるじゃないですか」

「でもそれは査定した人によっても変動しますし、そのまま乗り続けるとなった場合には損害そのものが生じないわけです。金額を定めた買取契約が事故前に交わされていたわけでもないですよね?」

ああ言えば上祐、ガマンの限界が近づいて来た。

「じゃあその契約書が何処かにあったらいいというわけ? 探せばあるかもしれないよ。それとも腕が痛くなる方が手っ取り早いかね!」

こっちはイチャモンを付けてゴネようという気もないし、少しでも情のある話ができると思ったのが間違いだったようだ。もういい。Yの所も大きな会社じゃないので修理費用の一時立て替えも大変だろうからサッサと終わらせてくれ、と言って電話を切った。

そして今日、再びS氏から電話があり、僅かな金額だが示談金の意味で支払うと言ってきた。ハナから金額の多寡の問題じゃない。最初からそういう気持ちを持って話をすればこんなイヤな感情に至らなかっただろうに。不景気だから極力支払いを抑えたいという保険会社の事情もあるとは思うが、人間対人間の仕事であるならそれなりの接し方もあると思うが。

私も過去に営業関係の仕事に携わっていたが、こんなやり方で仕事はしたくないし、しなかったつもりだぞ、損◯ジャパンさん。

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今日で2日間に渡った専門営業部隊の研修が終わった。

これで3月の研修ツアーは全て終わったものの、気がつけば今年の1/4が過ぎ、季節も春めいて来ている。

でも、月が変われば今度は全国9ヶ所で新たな研修ツアーが始まり、GW前には中途入社社員研修が待ち構えている。それもたった一人の受講者に4日間という手間をかけるのだが、一人でも大勢でも手間は一緒なのが何とも複雑だわ。

ま、この際四の五のヌかさず、春の訪れに乗って何もかも乗り切って行こうじゃないの!

・・・実は身体はけっこうキツかったりして。






弥生三月を前にして

何とも激動の2月が早や終わろうとしている。おまけに今朝は今シーズン2度目の大雪。でも「なごり雪」と言うには風情も乏しく無理がありそう。

このところiPhoneやiPadを使ったアプリやツイートにかまけて本家ブログの更新がなおざり気味である。反省

先週の沖縄学会出張では、期せずして担当製品のマーケ部門も現地に勢揃いして前夜の夕食会。翌日はウチの会社主催のランチョンセミナーがあるとはいえ、会場が沖縄じゃなかったら果たして10数名も集まったかどうか。沖縄、東京と会場が一年毎に入れ替わるこの学会、4年前から参加している私とは年季が違うってんだ。

明けて今週からは、来月スタートする全国研修ツアーのためのコンテンツ仕上げ作業と予演会が本格化して来た。いつもよりその進捗がスローペースのように思えるが、開幕日は待ってくれない。受講者のために十分に良い状態で開幕日を迎えるためにこれからラストスパートに突入する。

もちろん、受講者には到底見せられない修羅場の毎日となる。

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息子の大学受験は公立校の受験日である25日をもって終了した。ここまで受験した私立の勝敗は2勝2敗1分け。本命の公立の手応えやいかに? と本人に訊いてみたら、

「センター試験から持ち越した物理は問題ないし、数学はやってくうちに難しい問題がいつ出て来るかと思っていたら終わっちゃって、これじゃ100点かもしれないし。こうなれば苦手の英語を補って余りあるし、ハッキリ言って落ちる確率は0.001%かな」

と相変わらずの能天気ぶり。もっともその程度の大学を選んで受けさせているんだからそりゃそうかもな。これで寮に入れれば万々歳。4月3日の入学式が待ち遠しい、って親まで能天気になってどうする!

父の位牌が出来上がったと母から電話。函館で息子もお世話になった父の同級生がわざわざ焼香にいらしたとメールも。母の電話の声にもメールにも心なしか弱気の匂いが。

無理もないけど、ここは乗り越えていくしかないのだよ、おっ母さん。

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中学の同級生でクルマ屋をやってるYから、あと一つの部品がドイツから届けば修理は完了するとの嬉しい知らせが。

あの日から何と2か月になろうとしている。「逢えない時間が~愛育てるのさ~」と歌ったのはヒロミ・ゴーだが、その気持ちがよ~く分かるよ。帰ってきたらウルウルしながら抱きしめちゃいそうだわ。純白のお前に良く似合う真っ赤なフロアマットを用意して待ってるからな~!

代わりに、親父が家族の送り迎えに使っていた初期型のフィットの処分をYに依頼する事になった。クルマってのは、持ち主が亡くなってからの処分だとけっこう手続きが面倒だと知った。相続該当者全員の住民票と印鑑証明がいるそうだ。

それでも、親父によく乗せてもらっていた母や妹の決断だから、ここは粛々と進めるつもりだ。

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近頃、カミさんが温泉に行きたいとしきりにこぼす。

絶品の温泉地の雪が解ける頃、愛車を駆って出掛けようかと。






それでも周りは動いてる

今日は息子の3つ目の受験校の合格発表。もちろんネットで結果を見るので、昔のように会場に足を運ぶ手間がないから便利ではあるが、何かアッサリし過ぎてもの足りないと思うのは私だけだろうか。

で、この大学は志望学部の中の3つの学科を指名して受験するというシステムだったらしい。つまり、一度の試験で3つの学部をかけ持ちできるという、これまた昔じゃあり得ない(少なくとも私の経験には無い)事だった。まあ、某大学じゃ5次募集まである上、9月入学コースまで設定されているというから驚き桃の木だ。

さらに別の大学の願書では、それぞれの受験学部別にセンター試験結果を入れる、入れないなど細かく選べ、すべてを選択した場合は何と30通りの選択が可能というトンデモシステムまである。これじゃまるで馬券じゃないの! 1つの受験料を3万円とすれば、これだけで数十万円(多数受験者には受験料の割引制度もある!)掛かる計算になるのだ。

それほどまでして受験生はその大学に入りたいのか、それともそれほどまでして大学は学生を確保したいのか。

近年全国に急増した有象無象大学でこんなお手軽受験&入学がまかり通り、ナンチャッテ大卒者が大量生産されているんだから、そりゃ大卒者が就職難に陥るワケだわ。不況のせいばかりじゃない、分母が多過ぎだよ。

さて息子どのは、3つの学科のうち1つで補欠合格、残り2つは見事落ちた。ま、ここは彼の実力では少々ハードルが高かったし、仮に受かっても本人に行く気がなさそうだった所だから気にしない。あくまで第一志望は今月下旬の国公立大である。

それまでに受けるもう一つの大学もハードルが高いのでたぶん落ちるだろう。ま、あくまで本番までの肩慣らしでいいわ。

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車の修理がまだ終わらない。私にとっては息子の受験なんぞよりこっちの方が大問題である。

何でも、ドイツ本国から取り寄せる必要のある部品があったかららしい。そういえば、ドアミラー格納モーターの異音でディーラーに入れた時、これは本国手配だと言われた事を思い出した。今回の事故では運転席ドアミラーもやられていたので、きっとそのあたりだろう。

父の見舞いや葬儀などで代車のプリウスに乗る機会も増えたせいか、何だかんだ言っても慣れて来てしまった。すでに750km以上乗っているが、燃費だけは頭が下がる。パワーモードにしようが渋滞にハマろうが、5分間燃費計では軽く20~30km/L以上を示すのだ。通算燃費でも17km/Lに届く勢いで、ガソリンも目分量だが40L消費したかどうかである。

思えばプリウスに乗るようになって、カラスの鳴かない日はあってもBMWを見ない日はなかったはずが、いつしかプリウスが目に付くようになっていた。ハッキリ言って、さほど面白くもないこの車がこれほど巷に溢れている理由の一つが分かった気もした。プリウスは営業車のみならず自家用車比率も高いようだから。

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さて、ウチの部署に少なからぬ異動があった。

来月から新人研修チームに他部署から新任女性マネジャーが来る。現マネジャーSは営業スキル研修チームに移り、そこの現マネジャーUは担当マネジャーとなる。同時に、半年ほど前に営業スキルチームに来た初の女性メンバーI子が新人研修チームに移り、代わりに1年前にそこに来ていた女性メンバーK子が専門研修チームへと移る事になる。

マネジャーUは遠い昔、私の社会人デビューとなった会社の新人研修主事として新入社員と一緒に3ヶ月間泊り込み、朝礼夕礼で主事訓話を述べ、せっせと新入社員の日記に返事を書いていた3年先輩の人である。やがてお互いの転職&合併の末、今の会社で実に十数年ぶりに再会したという浅からぬ縁がある。定年にはまだ3年あるので老け込む段階じゃなかろうが、体力が原因なのか?

マネジャーSは、最初に彼が営業スキルチームに異動して来た時に知り合って以来の仲だ。何と言っても彼はアナウンサー顔負けの声の持ち主で、副業で結婚式の司会ができるくらいである。酒はあまり飲まないが、当時は何度もお気に入りの大阪天満の焼肉屋で語り合った事が一番の思い出である。

風の噂では社長の肝入りとも言われる新任女性マネジャー。前社でも研修の経験があるらしいが、ハッキリ言ってどこまでウチの研修に腕をふるえるのか、周囲からは好奇の目と共に懐疑の目も向けられている。まずはお手並み拝見!





春までバビューン!

ほ~らほら、新年明けたと思ったらもう1ヶ月が過ぎ去ったでしょ。この調子なら春なんてあっという間じゃん。やたら寒さの沁みる日々ももうすぐ終了だ~!

昨年の予想とは裏腹にインフルエンザが流行ってる。

そのおかげでウチの製品も引き合いが多い。卸の倉庫に眠ったまま期限切れを待つばかりだったのが、きちんと患者さんの手に渡ってお役に立てるとあらば、企業としてはこの流行もむべなるかな、である。

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受験の初日から見事に弁当を忘れて行った息子。罰としてそれを夕食に食べさせながら初戦の手応えを訊くと、「まぁ、100点取れたって言えばウソになるけど、これで落ちたら理由を開示しろと言えるくらいはできたかな」と来たモンだ。

すかさずカミさん、「この度外れ楽観主義は誰の遺伝でしょうかね? 少なくとも私じゃないし」

まあまあ、この日受けた大学は第一志望よりも遥かにレベルが下なんだし、ここで落ちたら話にならんわ。本当の勝負は国公立校の今月下旬である。それまでは「場馴れのためのお試し受験」でいいのである。ど~せ、受かったって行かないんだし。

なんちゃって、それで中学受験の時に志望校全落ち食らったのは他ならぬヤツだった。

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仕事の空き時間に同僚と車談義のひととき。

ウチの部署にBMW乗りが少なくとも7名いる事が判明。彼らはBMWの良さを異口同音にエンジンフィールだと言う。こればっかりはドライビングしてみないと分からないよね~、と。つくづくBMWはエンジンを買うクルマなんだと確信。

そんな連中だから、エコカー談義も逆の意味で盛り上がる。連中の言い分。いくらエコの時代だからって、クルマ好き人間が車でガマンするのは精神的にもよろしくない。その分、エアコン節約とか節電とかでエコに貢献すりゃいいじゃん、と。激しく同意!

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来週、何年振りかで全国の営業部隊が集うイベントが横浜で開催される。

全国からここまで動く人間は総勢3000名近い。大真面目な会議あり、表彰式あり、サプライズゲストの懇親パーティあり、その後に同期会をするグループあり、明けて二日酔い(?)のグループディスカッションありの1泊2日。まさにイベント=お祭りである。

初日午後集合、翌日夕刻解散予定なのでプログラムは結構タイトだ。どうせなら2泊させれば余裕も生まれるんだろうが、3000人をたった1日泊まらせるだけで軽く2000万円以上がブッ飛ぶ計算になるのだから、いくらなんでもそこまで悠長な事は言ってられないだろうな。

同期が大勢いる年代はうらやましい。中途入社の上にたった2名の同期しかいなかった私。その2名もとっくに転職。懇親パーティーの時にでも、せめて同年入社の中途メンバーを誘ってみるか。

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今月から加速度的に忙しくなる。

3月実施予定の社員研修は、定例の全国ツアーがなんと25ヶ所! これを2組のトレーナーペアでやり切らなければならない。そのためのコンテンツ作成&予演会は、いつものようにヨソにはちょっと見せられない侃侃諤諤の毎日となるだろう。

加えて、ツアー終了直後から専門営業部隊の研修も控えている。予定している研修テーマの題材集めのための営業部員との同行が、今のところ静岡と滋賀の2ヶ所で予定されている。

その間に、たぶんこれが最後の聴講になると思われる学会が沖縄で開催される。何せ会場が遠いのでタイヘンだわ。

さあ、あっという間に来るはずの春までバビューンと一気に駆け抜けようじゃないの!





ユーザーニーズの具現化

代車プリウス、今だ我が家に滞在中。イコール、まだまだ修理に時間がかかっているという事である。

試運転と食料品の買いだめを兼ねて一度乗ってみたが、何せこのクルマ、タイヤを介した路面情報がまるで伝わってこない。カミさん曰く「まるで氷の上を滑ってるみたい」

で、モーター走行時はもちろんだが、エンジン走行中でも極めて静かだ。だからドライビングと言うよりも静かな箱に座って滑って行く感じなのだ。そして実家のフィットにも共通する過剰なほどソフトな乗り心地。これが日本人のユーザーが求める「上質さ」の形とでも言うのだろうか?

確かに国産大型車は、まるでそれが高級車の証しであるかのように限りなく滑らかな乗り心地が求められた時期があった。もしかしたらそれは今も続いているのかもしれないが、いつしか小型車などにも波及させて行った結果、とことんソフトで軽いドライビングフィールがスタンダードとなってしまったのかもしれない。

全幅こそ120iCoupeと25㎜しか違わないものの、全長は75㎜長く、全高は105㎜も高い。なので120iCoupeよりも一回り以上大きく見える。だが、近所の狭い路地などでの取り回しはそれほど悪くないようだが、運転席からノーズが確認できないのと、リアウンドーが真ん中で二分されているためにミラーに映る後方視界がすこぶる悪い。

これは間違ってもユニバーサルデザインなどであるはずがなく、むしろ見かけを優先するあまりデメリットが生じてしまったデザイン的欠陥であると確信した。デザインを変にいじくるより、ユーザーフレンドリーを優先する事こそがこのクラスの車に求められるんじゃないのかい、トヨタさん。

私は環境に貢献する事を喜びと感じるエコヲタにはなりたくない。そもそも自家用車に乗っていながら環境に貢献するとのたまうなんて根本的にズレてるんじゃないの? 本当に貢献したければ車を持たなきゃいいのである。車に乗るのが好きな人間なら、その分もっと他の事で貢献すればいいのであって、ムリくり理屈をくっつける必要はなかろう。

いずれにせよ、これがユーザーニーズの最大公約数とは思いたくないし、かつてトヨタが標榜した「Fun to Drive」では断じてない。ああ、真の「Fun to Drive」に早く帰りたいわ。

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iPhoneデビューしてほぼ1ヶ月が経った。

この間、ダウンロードしたアプリは優に100を超えた。そのほとんどが無料アプリで、あってもなくても良さそうなものもあるが、中にはニーズにマッチした満足度の高いアプリもある。

PCでも使っていた英辞郎などの辞書アプリや商売柄、医薬品添付文書集アプリや臨床検査アプリなどは、たとえ有料であってもダウンロード必須である。駅すぱあとや交通情報アプリも日々活用している。

そしてSNSとTwitter。

POOBやBMWメタボ会などのメンバーはmixi、主に仕事・会社関係はFacebook、そしてCB1メンバーと著名人のフォローにはTwitterと棲み分けられている。毎日、そこをチェックしたりツイートしたりしているのだが、ある時、それぞれ別々にツイートする事が面倒になり、3つまとめて投稿できるアプリがあれば便利だなと思った。

同じ思いを感じているヒトはいるモンである。複数投稿を可能にする「ぽすとん」というアプリがちゃんと存在していたのだった。これは嬉しかったな。

その他、時間つぶしのための単純なゲーム。特にスマホの特性を生かしたフリックゲームや昔懐かしいSAMEGAME系が良い。歌詞が表示されるミュージックプレイヤーアプリも重宝している。あ、プレイヤーにスリープタイマーが連動するアプリもグー。

こうしてみると、「こんなに便利なスマホになぜもっと早く換えなかったのか」という数多くのユーザーのコメントにも素直に頷けるというモンだ。これほどユーザーのニーズを満たしてくれるツールも貴重だろう。どっちみち来月以降、韓国製スマホがiPad2と共に会社から貸与されるんだけどね。

ま、せいぜいスマホ・スレイヴにならないように気を付けよう。





1000エントリ到達!

21日の誕生日とその翌日の夜は、BMWメタボ会とマッキナの新年会の連チャンだった。

初日は雨の中の池袋の沖縄料理店「おもろ」。このお店はメタボ会の隊長が20年来通っているというお気に入り。JR池袋駅西口からすぐというロケーションなんだけど、看板が点いているようにも見えない地味なたたずまい。雨の夜という事もあって少々迷ったけど、何とか定刻に到着。

2階の座敷にはりゅうさんが先着していて、かんたろう&ふろりん夫妻もすぐに到着。すぐ後からE61さん&Nakaさん、ROAD&その夫妻が次々と到着。だが、肝心の隊長は集合時間を過ぎてもまだ来ない。「ま、こりゃいつもの事ですよ」とはりゅうさん。

それでもようやく全員集合したので、まずは沖縄定番「オリオンビール」(と言っても缶ビール!)で乾杯。海ブドウ、チャンプルー、ラフティーなどを次々に注文。モロ昭和の雰囲気の座敷と時たま「ボーン、ボーン」と鳴る古時計のおかげで、都会にいながらどこか別世界で飲んでるような…。

早くも飲み物が泡盛に変わった。

泡盛はスムースで口当たりがいい分、禁断の飲み物でもある。これをボトル2本、ほとんど男性5人で空けたのだから堪らない。気がつけば隊長を筆頭に、見るからにベロンベロンの酔っ払いOYAJI集団に変身していた。でも、料理は美味いしレトロな雰囲気良しで一同大満足!

あ、そうそう、私の誕生日祝いにとこれまた懐かしいトップスのチョコレートケーキが登場! 皆さん、いろいろありがとうございました~!

返す刀で二次会は王子神谷のDJバー「1929」へ。ここも隊長がDJ修業のために通い詰めているお店だそうだが、何せこの夜は酔っ払ってるモンだから意味不明の電車乗り継ぎと挙句の果てにタクシー(だったら初めからタクでいいじゃん!)で到着。

小さいながらも80年代のディスコを思わせるデコレーションとミュージックと来れば、OYAJI達の血が燃えないワケがない!

耳に心地よく響くディスコサウンドと共に金髪アフロのヅラを装着し、遠い昔の若き日を彷彿とさせるステップに身体をくねらせ腰を振る振る! 隊長もかんたろうさんも私も!

そんなダンスとはとても呼べない運動が功を奏したか、大量摂取した泡盛がどんどん抜けて行くような気がした。途中、いつものように爆睡したE61さんなんてのもいたけど、ここまでハッスル(←古っ)しても日付変更線を越えずに帰宅できたのは、メタボ会ではたいへん珍しい事だった。

ま、6時から飲んでたんだから当たり前っちゃ当たり前だけどね。

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お次はマッキナの新年会 in 「ベラビータ」。

連チャンで参加するメンバーは前泊が得意技(?)のかんたろう&ふろりん夫妻と私。いっそのこと、3人でお店の前で川の字になって前泊しちゃおうかと思ったけど、たぶん凍死するからヤメ。

この新年会、最初はイタリアン&ワイン+日本酒だったはずが、いつの間にやら大黒PAツーリングの企画が持ち上がっていた! なので、参加メンバー22名のほとんどが車で参加し、8時過ぎに出発するため集合時間は5時に早まったのだった。

新年会なんだから飲んで食ってりゃいいのに、そこはそれ、車大好き人間の会ゆえスキあらばバビューンしたいのだろう。バビューンできない私は飲むっきゃないけど。

それにしても20名を超える人間がこの小さなお店によく入れたモンだわ。ほとんどブッフェスタイルだったけど、それが逆に参加者の移動をスムースにして、ほうぼうで盛り上がっていた。

バビューン組が出払った後、残ったメンバーは7、8名だったか。とりわけ骨折り復活のナツコさんと私はお初だったかぢわらいつき夫妻の奥さんの美の競演が眩しくて目のやり場に困ったくらいである。(←あ、決して見たくないという意味じゃございませんよ)

かぢわらいつきさんの奥さん(HN忘れた)はプロのモデルさん出身で、まさに七頭身か八頭身かという抜群のプロポーション! ホントにこんなヒトっているんだ~ってな感じ。その彼女からキレイで疲れない立ち方、座り方、歩き方のレクチャーを頂いた。ワイングラス片手にコンパニオン立ちやコンパニオン座りを練習するOYAJIの姿は想像したくないが、がんばって研修トレーナーの技として習得しようじゃないの。

そんなこんなで宴もたけなわ、それでも夜が更けて来て、さっさと大黒バビューンに行ってしまったさーのシェフの代わりに店番しているミムラ君も疲れて来た様子なので、ここらでひとまずお開き。

あ、そうそう、ここでもポリペスさんから誕生日祝いにと美味しそうなワインをいただきました。さっそく我が家のミニワインセラーに鎮座させました。ありがとうございました~!

もう一軒行きたくてウズウズしているかずさんやしんいちさんにお応えして、飲み会限界ナシのポリペスさんの4人で新宿3丁目(←2丁目じゃないよ!)の焼鳥屋に。マッキナの事や車の事をこれでもかと話して、気がつけば閉店寸前、日付変更線寸前だったので、ついにホントのお開き。

大勢でワイワイやるのも、少人数でジックリやるのも、気の置けないメンバー同士だったら実に楽しい時間である。BMWをキッカケにこういう世界が広がった事に素直に感謝したい。

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さて、2001年のクリスマスにホームページとして開設したこのサイト。いくつかのレンタル日記などを経てこのブログに行き着き今日を迎えたのだが、途中で消えちゃったエントリもあったものの、遂に通算1000エントリに到達したのである! パチパチパチ

チリも積もれば何とやら。10年と1ヶ月もの間、よくぞここまで続いたモンだわ。ま、これもアクセスアップを追求したり毎日更新を義務付けたりといったムリをしないで、書きたいモノを書きたい時に書いて来たおかげかなと思っている。

これからもこのブログ開設の原点と言うべき、日々の記録と様々なテーマに対する屁理屈に徹して行こうと心新たにしたところである。





あれから二週間

また一週間が過ぎた。

そろそろクルマのない生活に不自由さを感じ始めている。当初、事故相手の保険会社から代車の申し出はあったのだが、修理にそれほどの時間は要しないだろうとタカをくくって不要と答えていた。だが、被害状況は思ったよりも深刻で、修理にもそれ相応の時間を要する事が判明したのである。

そしてついに今週、修理工場や相手の保険会社との交渉窓口になってもらっている中学の同級生の車屋Yの勧めで代車の使用に踏み切った。彼はどんな車種でもいいと言ったので「Audi A1」だの「MINI Cooper」だのと言ってみたものの、それだとレンタカーのタマ数も少なく、いつになるか分からないとの事だったので、国産車でちょっと考えてみた。

出した結論は、代車に乗るたびにフラストレーションが溜まり、その反作用で退院してきた愛車により愛着を持てるようにしておこうというもの。そのためにBMWとは対極に位置するエコカー「プリウス」でドM生活を送ってみようと決意したのだった。

だからプリウスに対して毛ほどの愛着すら抱いてはいけない。徹底的にアンチになるしかないのである。

M度を高めるためにみんカラなどでプリウスオーナーのレビューを読み込み、「スムースでいいクルマです」「環境に貢献している気分は最高」などの賞賛カキコには目もくれず、「こんなにつまらないクルマは初めてだった」だの「クルマは移動手段と言い切れる人にだけオススメ」だの「エコモードだと簡単に軽にあおられます」だののカキコに心を躍らせる事も忘れなかった。これで被虐気分が最高潮に達した。

そのプリウスが、事もあろうに初雪に見舞われた本日到着した。

会社から帰って、玄関横に停められたその白い姿をまじまじと見ると、全長・全幅はBMW120iCoupeとさほど変わらないように見えた。変わっていたのは全高で、これが明らかに高い。そのせいで全体としては一回り大きくも見える。想像するに、このクルマはユーティリティを重視したため、デザインそっちのけ、ハッキリ言って不恰好なのである。おかげでますますM度が上がったわ。

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Yには「修理は考えられる限り思いっきりやってくれ。もしフレームまでイッてたらその分の補償交渉も全部任せる」と頼んだ。

これでクルマの方はひとまず良しとして、お次は我が身である。定期的な検診をしているが、検査値の改善は思うようにならない。それもそのはず、飲み回数は若干減らせたものの、飲む量はほとんど変わらないし、運動などもヤル気ナシの生活スタイルなのだから。

それでもこの年末年始はある程度意識して制限したつもりである。減量もなった。だからこれ以上の節制が必要だと言われても、それでは自分が自分でなくなるような気がして出来ないだろう。なので、これで肝機能値や血糖値が上がっていくようなら薬物治療に踏み切るのもやぶさかではない。

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今年の全国研修ツアーは3月にスタートする。だがそれまでの間に、そのためのさまざまな準備Mtgに加え、小規模研修やディスクジョッキーのようなWebトレーニング、学会出張などが目白押しで、近年珍しく3ヶ月先のスケジュールまで次々と埋まっていく有様である。

同時に各製品の関連Mtgにチームメンバーが積極的に関わるようになり、私も出席するたび、求められる研修効果達成のために一生懸命に無い知恵を絞っているので結構疲れる。明日も休日出勤で担当製品のエリアマネジャー会議に出席する。

この疲労とiPhoneにも慣れて手放せなくなりつつある生活と共にブログの更新も延び延びとなっていた。

ま、明日の会議が終われば「BMWメタボ会」の新年会が待っている。だがこの飲み会はいつも平気で日付変更線を越えたり朝帰りになったりするから要注意だ。なぜなら翌日には今度は「マッキナ」の方の新年会が控えているからである。この二つのオーナーズクラブは元は同じクラブだったのだから話がややこしい。

おかげで連チャンである。う~ん、これのどこが節制じゃ!







あれから一週間

新年早々の大厄を食らって一週間が過ぎた。

事故翌日の7日は、実に10数年ぶりに大学の同級生との飲み会が立川の居酒屋で開催された。

同じ研究室で都の公務員をやってるNが幹事をやり、ウチの会社から別の会社へ転職して行ったAや薬局経営者のSなど、私以外は10数年前とほとんど変わらない姿かたちだったのはちょっと意外だった。出席予定だったT大教授となったKは所用とかで欠席。

研究室以外ではSとH、Mなどの懐かしい顔も。訊けば、この会は近辺のエリア住んでいるメンバーが中心となって毎年開催しているという。私はAの誘いによって初参加だったが、見事期待通りにやかまし係を全うした。何せ、年月が年月だけにしゃべりネタには事欠かないモンね。

アラフィフのいいOYAJI達が集まるにはどうかと思えるチェーン居酒屋だったが、飲み放題の時間はあっという間に過ぎ、二次会すらなく解散。相変わらずビールコップ一杯飲めないメンバーやお堅い仕事に就いているメンバーばかりだから、これも致し方ないか。

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明けて11日は年に一度の部会。と言っても、それぞれの仕事の都合で毎年全員が揃う事がなかったのだが、今年は体調不良で欠席のTさん以外全員が打ち揃った。

例によってグループディスカッション&発表のセッション。決して意識的ではなかったが、結果として一つ一つの発表に対して私が質疑をぶつける形となった。もちろんイチャモンの類ではなく、あくまでも前向きなオブジェクションだったのだが、後のパーティーの席上で部門長のNさんから「君は実にいい個性を持ってるね」などとコメントされた。

「いやぁ、こういう事は私のようなロートルではなく若い連中が言わなくちゃいけないんですがね」

宴もたけなわとなった頃、例の出戻り異動となったOさんと目が合った。別に話をしたいとは思っていなかったが、流れで「Oさん達が異動して来た時に一緒に持ってきた問い合わせ対応業務が、今やかなりタイヘンな状況になっちゃってますよ。なのにここでOさんまでがいなくなっちゃったら、よけいタイヘンになりますよ」と言ってみた。

事実、この前日のチームミーティングでこの問い合わせ対応業務を元の担当部署(Oさんが出戻る部署)に返還しようというコンセンサスが得られていて、次回のマネジャーミーティングにおいて提案される予定だった。

「まぁ、大変だけど頑張ってよ」とでも返されるかと思ったらあにはからんや、「この部署がヒマだって聞いたからオレがこの仕事を持って来てやったんだよ。毎晩酒飲みに行ってるみたいだし」

研修ツアー実施月とその準備月との濃淡はあるものの、ウチの部署がヒマだなんて事はあろうはずがない。だがこの瞬間、やっぱりコイツはこういう人間に変わっちまったんだと確信した。これ以上言葉を交わしたら今度はこっちがキレそうだったんでその場を後にした。そして各マネジャーにこの事実を伝え、業務返還の動議が出たら支持してくれるよう依頼した。

Oさんよ、業務も一緒に持って帰れや。

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翌日、朝起きると悪寒が走り、下痢気味になった。高熱が出ていなかったのでインフルエンザではないが、何年ぶりかで見事に風邪を引いたようだ。決して「鬼の攪乱」なんかじゃないけど。

結局、悪寒が抜けないのでこの日から2日間お休み。あれ? よく考えたら仕事始めからの6日間のうち、出社したのはまだ半分ほどだわ。厄はまだ払えていないのか。

そして今日は、息子のセンター試験の日である。

私の時代はセンター試験はおろか共通一次試験すら無く、国立は一期校、二期校受験体制だった。だから毎年寒さと雪に翻弄されるセンター試験など、まるでリアリティが湧かない。

息子も息子で、この一年間の予備校生活のリベンジだというのに実にノンビリと構えている。何せ、昨日の夜に本人に確かめた試験時間が間違っていた(受験科目によって違うらしい)くらいである。こりゃ勝負の前に負けたと言ってるようなモンじゃないの。

こういう所ばかり遺伝しちゃイカンわな。ま、せいぜい期待しないで待っていよう。





正月休みは一応最終日

これを圧勝と言うのだろう。

新春恒例の第88回箱根駅伝で、東洋大が往路、復路を制覇、2年ぶり3度目の総合優勝を果たしたが、スゴイのはその内容。昨年11時間を切った早大の大会記録を大幅に更新する10時間51分36秒は、今後おいそれとは破られそうにない大記録だ。おかげで繰り上げスタートになってしまったチームが今回かなり増えた。

いつの間にか幼かった顔が青年らしく成長した「山の神」榊原は4年生でキャプテン。自らの記録を上回る区間新記録を樹立して、最後の箱根に有終の美を飾った。

東洋大は昨年、往路優勝しながらも復路で逆転され、総合優勝した早大に21秒及ばなかった。これを往復10区間でみれば、一人あたり約2秒。報道によれば、チームは一年間、この及ばなかった「差」を見詰めるところから始め、辿り着いた結論は「勝ちたい思いの差」だったという。そう、思いを強く持つのは大切なんだよね。

来年のシード権をもぎ取った10校は東洋大、駒大、明大、早大、青学大、城西大、順天大、中大、山梨学院大、国学院大だった。

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初詣は久しぶりに浅草へ行こうとカミさんが言うので、都内ドライブも兼ねて出掛けた。

都内の道路は思いのほか順調で、オフィス街や問屋街などは人もほとんど見られなかった。ところが浅草に近づくと、突如ナビから「この先行事により通行禁止です」とのアナウンスが数回。それは雷門通りが歩行者天国になっているという知らせだった。

反対車線が駐車場行列で渋滞の国際通りを上り、浅草国際ホテルを過ぎたあたりを左折、目指すはコインパーキング。おあつらえ向きのパーキングはあったものの、前2台で満車となってしまった。待つこと約15分、さすがは15分200円というボッタクリパーキングらしく、1台の車が出て行ったので駐車できた。

浅草寺へはひさご通り(ここに大学同級生だった女性の実家の薬局がある。なつかし~)を経由し、花やしきの前を通って北側からアプローチした。通りは人でごった返していたものの、北側の境内はさほどでもない。

あれ? こりゃCB1ひろぼんさんからのツイートと様子が違うんじゃないの思ったのもつかの間、南側の本堂周辺と仲見世参道はことごとく千人単位の人で埋め尽くされていた! しかもそこは割り込み防止のために鉄柵で仕切られているじゃないの! そりゃそうだ、こうでもしないと参道の左右から横入りされ放題になっちゃうわな。

仕方がないので本堂横の柵の外側から本堂に向かって手を合わせ、いつもの「家内安全、学業成就、健康回復」を唱え、柏手を打った。ハイ、これで初詣無事終了。こんな日に延々と並んだってしょうがないわな。

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新年の浅草と言えば蕎麦。蕎麦と言えば、小さい頃から祖母によく連れられて来た「尾張屋」である。

ここは、あのこぶ平じゃなかった正蔵もノスタルジーを感じているお店と言っていたが、それにふさわしい明治創業の老舗である。この時期は有名どころのお店は軒並み行列だが、ここも店内外に10人以上が並んでいた。いつもは行列なんて大嫌いな私だったが、ここはおとなしく並ぶ。やっぱりこのお店は特別だから。

注文はすでに決めてある。天丼ともり。カミさんは車海老の上天丼。これを江戸っ子で人生の先輩である私としては、相席で対面に座った若いカップルよりも粋に素早く平らげる必要がある。

まずは蕎麦にワサビを軽くまぶして手繰る。つゆに半分くらいつけた瞬間、おもむろにすする。ここでどれだけ威勢のいい音を上げるかが江戸っ子の真骨頂。手早く2分程度で片付けて蕎麦猪口に蕎麦湯を注ぎ、天丼にバトンタッチ。

丼ぶりモノはひたすらかっ込むに限る。決してチマチマとつつくように食してはいけない。もりそばから天丼終了まで10分かからなかったか。天丼のみのカップルの男性はまだ1/4残っている。そんな男性にチマチマと天ぷらそばを食べていた女性が「早いね~」と言ってたが、まだまだ修行が足りないぞ、若造。

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こうして3日の初詣は終わった。今年も何とか乗り切っていける気がして来たな。

問題は今年の初出社を何日にするかである。

世間では本日4日から初出社する人は多かろうが、外資はノンビリである。ウチは公式には5日から営業開始だそうだが、本社内勤者は全員集合する必要はない。まだ帰省してる者、まだ旅行に行ってる者、まだ家で引きこもってる者などなど、それぞれが自分で決めて出社する。

ツワモノは両日を休んで10日出社とするだろうが、大抵は5日出社か6日出社となるだろう。出社したからと言ってすぐに何かの仕事をするわけでもなし、せいぜい挨拶くらいでノンビリする事になる。これを正月休みからのリハビリ期間と言うが、それなら家にいても変わらないと思うが、一応会社にいれば少しはリハビリ効果が上がるだろう。

5日に行って6日を休むか、5日を休んで6日に行くか。さて、どうしようかな?



(追記)
忙しかった暮れに書けなかった年賀状。せめてもの返信用として出来合いのハガキを購入していたものの、気が付けばもう4日。orz 今さらジローなので今年は失礼させていただきます。御免 orz





これまたデジャヴな元旦に

新年が始まってすでに3時間が経った。

元旦に書初めならぬエントリ初めを心掛けているが、昨年の元旦エントリ「ますます短くなった一年」をチラ見してみれば、いよいよ速く短く感じて来た一年という時間についての諦めに近似た嘆き節がすでに記されていた。だからここで同じ事を書くわけにはいかなくなった。

一昨年の元旦エントリ「つらつらと元旦」では、今度は紅白やら格闘技やら朝まで生テレビなどを見ながら元旦に突入したいきさつが書いてあり、それは今年とほとんど同じだったから、もはや珍しくも何ともない。

結局、ここ何年かはほぼ同じような元旦の迎え方をしているという事なのだ。という事は、この光景を記憶に毎年毎年重ね塗りしているようなモンで、段々と強く刷り込まれるから余計に時の速さを感じてしまうのだろう。

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さて、営業組織が去年の夏に大幅な領域別編成を行なって初めての新会計年度がスタートする。

我々研修部門でもメンバーの出入りが結構あり、デスクがマーケ部門に移動するメンバーも出た。これは少なくとも内外の環境面で変化が起きて来たという事に他ならない。換言すれば、これまでと同じスタイルの業務では対応出来ない場面が出てくるという事である。

部長殿は研修部門の人数も増やすと言ったが、もともと研修トレーナー業務経験者は社内には極めて少ないから、新たに増えるとしても、まずはスキルトレーニングチームあたりから経験させるというプロセスが必要になる。つまり即戦力にはならないという事だし、こちらのトレーナーチームに移った後も何回かは研修ツアーでオブザーブするのがせいぜいだろう。

一方で、トレーナーによる実演を含めた新しい研修手法の実践も必須課題だし、去年実施できなかった研修のリバイスと再開も同じように必須課題となっている。

だんだん見えて来た。

我々の部門の存在価値の一つに、領域別に分かれた営業部門とマーケ部門それぞれに横串を通して研修業務の標準化と受講者のレベル向上を図るという事が挙げられている。これをいかに早く確実に遂行するか。そのためには去年と何を変え、何を守って臨むべきか。これを皆で真剣に考えなくてはならない。

私も遅れず焦らず、一病息災の身を大切にしながらこの戦いに参加して行こうと思う。

どうやらこれで身も心も明けたようだ。明けましておめでとうございます!




Anniversary

久しぶりに出社した先週の木曜日、ふいに部長殿から声を掛けられた。何事かなと思ったら、まるで辞令書のような一枚の紙切れを渡された。このところの忙しさで忘れていたが、先月で勤続20周年を迎えていたのだった。渡されたのは社長のサイン入りの永年勤続表彰状だった。

この会社は2度合併を繰り返して今に至っているが、その前々身の会社Wに転職したのが1991年の11月15日だった。その後Wは同業のGと合併してGWとなり、さらに2001年にSと合併して現在の会社となった。定年までの最後の区切りとなったが、20年という時間は長いようで感覚的には必ずしもそうではなかった気がする。

勤続表彰は10年ごとに10日間のリフレッシュ休暇とお祝い金が与えられる。リフレッシュ休暇は土日を挟んで実質2週間以上の長期休暇となるが、思えば前回の10周年の時は名古屋勤務時代だった。その時の上司Tは、とても休暇など取らせてもらえるようなキャラではなく、結局東京へ戻って期限となる3年ギリギリで取得できた思い出がある。

今年は、本来1月に実施される研修ツアーが12月に前倒し実施をしているため、1月、2月は余裕があるはずで、お祝い金の使い途も含めてその時にゆっくり考えるとしよう。カミさんなどは「アンタが20年を迎えられたのは誰のおかげかな~」と早くも牽制するのを忘れない。おっしゃる通り、結婚の方も丸20年経った。でもそっちの方のリフレッシュ(リセットか?)はありそうにない。

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さて記念日と言えば、このブログの前身となるホームページを立ち上げてから25日で丸10年を迎える。

そのホームページに綴っていたエッセイ風のエントリをこのブログに移植した「温故知新シリーズ」にその顛末が記録されている。

ホームページ立ち上げのワケ ① ~まずは車選びから始まった~

ホームページ立ち上げのワケ ② ~作成ソフトがそこにいた~

その後、コンテンツの一つだったレンタル日記からこのブログまで不定期にアップして来た駄文が続いている。その途中には、うっかり使用料金を振り込み損ねてそれまでのログがすべて消滅してしまったり、振り込んだにもかかわらず認識されずアップ不能とされたりと、その時々に利用していたレンタル日記のトラブルもあった。

もとよりそれらのエントリは、自分の日常を記録しておくという事を目的としていたため、アクセス数アップなどのアクションはしていない。だから今でも1日のアクセス数はせいぜい20カウント程度だが、一向に構わないと思っている。

また、このブログの無料レンタル枠から計算し、生涯そのまま使い続けられる容量確保のために、容量を食う画像の掲載はしていない。これやっちゃうと何かと画像に頼ったりそれがクセになったりしちゃうだろうし、まがりなりにも作家志望だった事もある私自身、ここは文章だけで勝負したいとの矜持もあったりして。

プロバイダとの契約を解除したので早晩消滅する旧ホームページの表紙には、それでもアクセスランキングサイトのバナーが20数個は置いてあった。

久しぶりにそれらをクリックしてみると、やはり時代の流れか大半は閉鎖されていた。そんな中にあって、まだ運営継続していてなおかつ私の登録が抹消されていなかったサイトがいくつかあった。それらの登録内容を現在のものに変更し、感謝を込めて新たにブログのリンクに加えた。

一昔と言われる10年は短いようでけっこう長い時間なのだろう。チリも積もれば何とやら、消滅したものを除いたエントリ数もここまでで990、大台の1000エントリまであと10に迫った。

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さあ、今週は地獄の極寒ツアーだ。まずは今日の午後便で金沢へ前泊移動。一旦帰京するが翌日に札幌移動。このあたりの札幌の最高気温は「-1℃」だと! これが最低気温の間違いじゃないのがよけいに悲しい。札幌が終わった夜は間髪入れずに仙台へ飛ぶ。

ただでさえクソ寒いこの季節にこんな極寒の地へOYAJIを送り込むなんて、アンタらオレを殺す気か?





残念! おひとり様で紅葉狩り

休日はカミさんのアッシーと化す私。

今朝もカミさんを車に乗せて職場に送る時間までの間に、ネットの紅葉情報サイトで「見頃」と表示されていた中から高速の渋滞も少なそうな近場にアタリを付け、デジカメを積んでおひとり様紅葉狩りに行ってみた。

目的地は埼玉の奥地、名栗湖。奥地と言っても住所は飯能市で、せいぜい片道80㎞程度。10時過ぎの出発なのでこれくらいの距離がちょうどいい。関越道の渋滞もそれほどでもなさそうだし。

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川越IC付近で少々渋滞した以外は、上道も下道も順調。

やがて視界に山々が近づいて来ると心も踊って来る。けれども目的地まであと5㎞未満となったあたりで、ある風景に気が付いた。その風景とは、山々のほとんどが緑のまんまなのである! さらによくよく見ると緑の木々は針葉樹だった。だから、少なくとも目に入った緑の木々はいつまでたっても紅葉なんてするはずがないのである。

そうか、もう少し山の中に入れば広葉樹が多くなって、きっとそれらは燃えるような紅葉となっているんだと思い直し、ついでに気を取り直して山道を進んで行った。ペースは思いのほか早く、最初の目的地である名栗湖(有間ダムの人造湖)に11時半頃に到着した。ダムの上から眺める湖とそれを囲む山々は、さすがに山奥だけに大自然を感じさせる。

ではここで一枚とばかりにデジイチを取り出したものの、どうにもシックリ来ない。それもそのはず、ここまで来ても景色の中に紅葉がほとんど無いのだった。これが「見頃」ってか? 見る物自体が無いじゃないの! 雨と寒さの昨日と打って変わって天気がよく暖かいからまだいいようなものの、これじゃこの季節にわざわざ来る必要なんて無いじゃないの!

こうなったら行くところまで行ってやろうじゃないの! さらに上って着いたのは有間渓谷。だがそのドンツキには観光ヤマメ釣場が一軒あるのみで、その先は行き止まり。これが本日の紅葉狩りのすべてだった。トホホ

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しょうがないので、名栗湖近くの日帰り温泉「さわらびの湯」にあるそば・うどんのお店「ゆきやなぎ」で昼食。このお店はネットでの評判も上々で、紅葉に裏切られた心を少しは癒してくれるだろう。

お店に入ると、さすがに土曜日とあって座敷エリアは満席。ふと覗いたテーブル席のエリアには余裕があるようだ。だがいくら待っても案内の店員さんが来ない。どうやら30人以上の客に店員さん2人くらいで対応していて、客席にそばを運ぶだけで精一杯の様子。オペレーションがまるでなってない。

5分近く待って、ようやく会計するお客に対応した店員さんに「一人」と告げ、夜はバーになると思われるカウンター席へ通された。隣りにはハイキング姿のオバさんが一人。しばらくして水が出て、もりそばと手作り寄せ豆腐のセット(1050円)を注文。

「少々お待ちください」と言って下がった店員さんを見てそのオバさんがポツリ、「少々じゃないわよ。私相当待ってるもの」。

20分以上待ってやっと出てきたもりそばは、私好みのコシがハッキリした食感が味わえたのでこれは満足。寄せ豆腐は密度の濃さは感じたものの、大豆の香りはイマイチ。ま、観光地の名店って言ったって、だいたいこんなモンでしょ。

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このまま帰るのも何となくシャクなので、近くでもう一つの紅葉の名所となっている「鳥居観音」へ寄ってみた。

メインは巨大な観音様の白像と聞くと何とも胡散臭さが漂う。こういう建造物は大抵の場合、由緒もヘッタクレもなく、ただ観光客を集めて入場料を稼ぐだけのシロモノが多いが、もはや少しでもマトモな紅葉風景を見て帰りたいという思いで迷わずGO! である。

この観音様は山頂のお堂の上に建てられていて、麓からそこまでは徒歩で50分、車なら2分と言われれば、たとえ500円取られようが、車で登るに決まってるわ! 舗装こそされてはいるが、かなりの急勾配を上ること3分、ようやく辿り着いた山頂の駐車場はそう広くはない。おまけにそこまでに数台の車とすれ違ったが、けっこう道幅はタイトだった。

やっぱ想像した通り、客寄せ臭プンプンの大小3体の観音白像は高さが27mもあるという。山頂からはこの他に玄奘三蔵堂やら平和観音堂やらが上って来たあたりの山肌からニョキニョキと立っているから違和感満点。それでもここはさすがに山の上、周りの紅葉の数も名栗湖などよりも多く目に付く。それやこれやの景色を何枚か収め、ようやくこれで帰路に就くフンギリがついた。

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今年の異常気象の影響もあるとは思うが、いずれにせよ、ネット情報を鵜呑みにしてはいけない。近場でオイシイ紅葉なんて望む方が間違ってる。これ、本日の教訓。


「残念! おひとり様で紅葉狩り」フォトギャラリー byフォト蔵





近頃のBrand-new

我が家の近頃のBrand-new。

10年以上振りに先日交換したマットレスに敷くパッドが遅れて到着した。

実に10種類以上のマットレスに寝てフィーリングを確かめた末に辿り着いた今のマットレス。しかし、テスト段階ではこのパッドが敷かれた上での結果だったので、正確には、このパッドが到着するまでは同じフィーリングとは言えなかったのである。敷いて寝てみたら、まさにあの日あの時の感触が鮮明に蘇って来た。

購入先の丸八真綿製の羊毛パッドらしいが、これがまた保温効果抜群で、今の気候では体温が籠って思わず足でフトンを蹴っぱぐっちゃうほどである。もう少し寒くなった頃には、このスペックがモノを言うに違いない。今度のマットレスには低反発ウレタンが入っていないのでツブれる心配はないから、きっと余裕で10年以上はもつだろう。

続いて5年振りに買い替えた自宅用ノートPC。

今回購入したDynabookもこれまでのLavieも15インチワイドモニターでノートPCと呼ぶには大き過ぎ、せいぜい据え置き型のラップトップPCと呼んだ方がいいくらいである。5年前には最新のCoreDuoプロセッサーだったが、あれこれいじり過ぎたのと冷却ファンの故障で、結局逝ってしまったLavie。

外観こそLavieと大差ないように見えても中身のスペックが素晴らしいDynabook。いまだ会社PCはWinXPなので、文字通りお初のWin7に戸惑っている。それでもネットの大きな画像もYou Tubeなどの動画再生も、まさに本をめくるが如くストレスフリーにこなして行くのには驚いた。文明の進化は見えない部分にも確実に及んでいる事が、こういう場面で実感するなぁ。

ところが、新PCと今まで使っていた電話FAXプリンタ複合機との無線LANのリレーションが不具合続きとなってしまった。どこでこっそり学んだのか、意外に最近のPCに詳しい息子を呼んであれこれいじってみたものの埒が明かない。昨日になってどうにかこうにか接続が確立されて事なきを得たが、これはWin7のせいではなく、どうも複合機側の問題だったように思われた。

ただ、購入に際してフレッツ光+OCN乗り換えで5万円割引きとなるキャンペーンに見事に釣られ、日の暮れるまでスタッフから長々と説明を受け、そのおかげで、配線工事やメアド変更などにバカにならない時間と手間を掛けるハメになったのは、他ならぬ私自身だった。

さらに続く。買ったまでは良かったが、その後の財務省の了解が得られずにアーシング以外ドノーマルの愛車。

昨今の対自動車事故もさる事ながら、対自転車事故の急増を受けて、意外なほどスムースに財務省の承認が得られたため、彼女の気が変わらぬうちに購入、設置したのがドライブレコーダー。と言っても、本格的なモノではなく1万円少々の格安モデルなので、記録的要素よりも事故の際に理不尽な主張をする相手に対する威嚇の要素の方が強い。

設置作業はシガーライターへの配線取り回しだけにも関わらず、参考までに訊いた自動後退の取付工賃が、車種を聞くなり「8400円となります」の回答に、思わず「高っ!」と叫んで自力設置としたのは絶対正解だった。

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覚悟の上で11連休としたものの、ついに今日、来月の研修コンテンツのためのMtgが行われるので渋々出社。

夕刻から延々3時間、決まりかけた議論は振出しに戻るわ、進行が右往左往し始めるわ、結局のところ、解決策の示せない問題点を抱えた戦略を延々と営業部隊に指示していたという事がいよいよ明白となったマーケ部門。私あたりはとっくに気付いてはいたが、今日改めて参加メンバー全員がヘトヘトになりつつ、その事がよ~く分かったのが唯一の収穫だったか。

当然の事ながら結論を次回のMtgに持ち越しとなり、本日は散会となった。さすがにこの私をもってしても、この先この製品がマトモに売れる気がしなくなった。ホント、いい製品なんだけどなぁ。あ~あ、せっかくのボランティア出社がムダに終わっちまった。明日からせめてノンビリとしておこう。

Brand-newよりも心身共にレストアが先だわ。





本日はスローライフ

福岡空港の土産物屋フロアは広く充実している。昨夜もお約束の帰京前のお買い物タイム。

いつもは決まった店で明太子やらイカの塩辛などを買ったらさっさとチェックインしてしまうのだが、今回は明太子をゲットした後に同僚のW子がもう一軒寄りたい店があると言うので、同行のIさんと共について行った。

連れられて行った店はフロアの奥、「天漁」という小さな店だった。まず目に付いたのがさつま揚げ。年配のご夫婦と思しき2人が担当してるようで、さっそくご主人が寄って来た。勧められるままにさつま揚げを次々と試食。

うん? このさつま揚げ、普通のものより素材の味がしっかり出ていてエラく美味いじゃないの!

W子もこれが気に入っていて、福岡に来るたびに自分用に買っていたと言う。7~8種類はあるさつま揚げは大きく分けて、見慣れた茶色に揚がったものとイワシのつみれ色っぽいものとがあったが、そのどれもが甲乙つけ難い美味さなのだ。太めのチクワもいい味出してる。

試食した中で私の一番のお気に入りは玉ねぎの食感が堪らない一品で、それを含めた3品を3枚ずつ買った。

そうしたら、いきなりオマケとかで割り引いてくれ、さらに店中のウニやらアゴやらの試食品を次から次へと勧められ、それだけで腹が膨れてくるほどだった。この会社は、本来は長崎の魚の干物がメインらしいが、そこまで行き着かずともさつま揚げで十分光っている店である。

結局、大好物のウニイカと五島うどん2袋を追加し、総額3500円也のお買いものとなったが、何と、かわいいエコバッグと「ラウンジで食べて下さい」といくつかのさつま揚げまでくれるではないの! ご主人、こんなにサービスしちゃって、後で奥さんに怒られやしないかい?

いやぁ~、下町でもこれほどのサービスはなかなかないだろうというもてなしを受けて大満足の3人だった。

今晩のおかずはもちろんこのさつま揚げと冷し五島うどんで決まりだ。こうして福岡空港でのお買い物の定番がまたひとつ増えたのだった。

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研修ツアーの2/3が経過した事で、さすがに(シャベリと飲みによる)蓄積疲労の自覚あり。今日は何もせずにひたすらスローライフを決め込むつもり。

広島平和記念式典で、またぞろ「原発に依存しない社会を目指す」などと語ったものの、参加者からの拍手はまばらだった菅首相の様子を観ながら、とっととカミさんを職場に送って取って返し、今日から始まった高校野球をぼんやりと観ていた。

大会初戦は古豪今治西vs初出場の健大高崎。中盤から点の取り合いとなった試合経過もさることながら、それ以上に面白かったのはイニングの合間に紹介された健大高崎の校歌の歌詞だった。

いきなりアカペラ風の

Be together! Be together! Let's be together!

というエールから始まるモンだから「おいおい、これって校歌だよね?」と思わず引き込まれる。サビでは、

Wow wow...
あの風のように
きみのココロに寄りそって飛べたら

なんて、まるでJ-POPそのものではないか。こんな校歌、初めて聞いたわ。だぶん全国レベルでもかなりユニークだろう。これが生徒に評判が良いと言うから、こういうのが今風の校歌というモンなのか。

森英恵デザインの制服といい、一体どんな学校なのかと調べてみたら、予想通りの新興高らしい。だがもともとは「群女」と呼ばれた群馬女子短大付属高校として昭和40年代に設立され、2001年に男女共学化されて現在の校名になったという。15人から出発した硬式野球部は10年後、初の甲子園出場を勝ち取った。

勝ち進めば話題になるかもしれないと思っていたが、古豪相手に初出場の初戦というプレッシャーに潰される事なく、競り合いの末に最終回に勝ち越して1点差の初勝利をモノにしたのだった。

そしてあの校歌が再び流れた。勝利高の校歌となると心なしか厳かに響くように感じるものだが、逆にさわやかな風が流れたような感じがした。これはこれでいいかもね。

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今日から3日連続で震災被災地からの代表校の試合が行われる。より多くの観客の大声援も期待される。

彼らはきっと被災地の人々と復興への思いを胸に戦うのだろうが、私としては甲子園にまでことさらそれを背負って来る必要もないと思っている。精神的な重荷など無いに越した事はなかろう。

彼らがハツラツと戦い、元気に楽しむ姿を見せてくれるだけで、被災地の人達に留まらず大勢の人々に何かが伝わるものと信じる。

観る人それぞれにその人なりの思いやドラマを感じさせてくれるのも地域色溢れる高校野球の魅力だろう。





床屋の時間

3週間に渡る全国研修ツアー、仙台、岡山、広島と巡った1週目が終わった。

この季節、髪の毛が伸びたままじゃいささか過ごしにくい。という事で、行きつけの近所の理容店へ約2か月ぶりの散髪に行った。いつもなら朝早めに行くのだが、さすがに今日は疲れのせいか昼近くの時間帯になった。

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母方の家系のDNAを受け継いだらしい私の髪は、細くて直毛のいわゆる「ネコっ毛」だ。だから坊ちゃん刈りで済んでいた小学生時代や校則で強制坊主頭だった中学生時代ならいざ知らず、色気づく高校時代以降は如何に髪形を固定させるかが最大の課題となった。

何せ放っとけばすぐにペチャンコになるし、必死にドライヤーで整えたところでひと風吹けば見事に落っこちて来る。最初はヘアリキッドかけまくり、次は仲間内でも流行っていた安い床屋のデザインパーマ。だがどうにも気に入らない。

やがて美容院へ行くようになり、クセ付けのための軽いパーマを提案され、しばらくはそうしていた。が、いかんせんパーマは時間が掛かり過ぎる。おまけに蒸しタオルの代わりに、蒸気が出る大きなドームを顔に被されての顔面蒸しがセットされているから堪らない。これがトンデモなく蒸し暑く息苦しい! 夏場などには何度か断わったほどだ。

かれこれ2時間近くの苦行に耐えて、全工程がやっと終了する。これが少なくとも2ヶ月に一度はやって来る。その頃は掛け値なしに覚悟を決めての散髪タイムだった。

その後、髪を後ろに流し気味にしてヘアスプレーで固めるワザを発見。これならパーマの必要もないし、オールバック的ヘアスタイルのために見た目が少々いかつくなるのさえ我慢すれば、プールやアウトドアスポーツ以外なら大きく崩れる心配もなかった。

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こうして整髪法を決定し、販売されているあらゆるヘアスプレーで試行錯誤した結果、今日に至っているのだが、今度は白髪の問題が勃発! 元来白髪の出は遅かった私だったが、イザ出始めるとハイペースで目立つようになった。カミさんからの指摘もあり、思い切って染めてみる事にした。

そしたらこれも結構時間が掛かるではないか!
 
ヘアダイを塗ったくられた上にサランラップを被せられ遠赤外線マシンがグルグル。パーマほどではないけれど、これもある意味苦痛だわ。ヘアカラーかぶれには強い私でも髪の毛自体が傷んでいるのは何となく感じていた。しかも染めて2ヶ月も経つと白髪の部分が不自然な茶色に色褪せを起こす。

…齢50も超え、徒らに若ぶるよりも早いことカミングアウトして年相応になっていいんじゃないか? ただでさえ童顔っぽいゆえ若く見られるというのも、もはやうっとおしいだけじゃないのか?

で、ついにナチュラルヘア宣言!

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染めるのを止めて3度目の散髪。この行きつけの理容店は理容師夫婦を中心とした家族経営の店なのだが、他に2人の女性スタッフがいる。そのうちの1人、先輩格のいつも愛想の良い女性スタッフに迎えられて席に着く。担当が指名できない理容店、今日は運よく彼女の担当だ。

「どうですか? もうナチュラルヘアに慣れました?」
「いやいや、久しぶりに会う人ほど白髪が目立ち始めたなんて言われるんです」

しばしニュースの話題などのオープニングのキャッチボールをしつつ、カットオーダー。

「いつものように前髪長めで後ろバッサリ。横は耳に掛かるくらいで」

時折、私生活の出来事や趣味の話などを交わしつつ、ゆったりとした時間が流れていく。TVからは高校野球西東京予選の決勝、日大三高vs早実戦の実況中継が聞こえて来る。

強度の近眼(+老眼)の私は、ひとたびメガネを預けてしまえば全ての景色がボヤける。鏡に映っている自分の顔もカットしてくれている彼女の顔もまるで分からない。反対に声質には敏感になる。彼女と町ですれ違っても分からないだろうが、声がすればすぐに分かるだろう。

「このお休みはどうされるんですか?」

問われるたびににちょっと困ってしまう。カミさんの仕事のスケジュールもあり、大抵はほとんどやる事もなく時間を浪費しているからである。君が思っているほど休日のありがたさというものに鈍感になっちゃっているのかもしれない。

パーマなら2時間、毛染めなら1時間半掛かったところ、それがないだけで1時間も掛からなくなった。だから今はこの時間に覚悟も苦痛もいらない。

床屋の時間がやっと心地よい時間になって来た。




今日は短文 from羽田

今回の研修ツアーは、原則として会社の組織変更に伴なって各地で開かれる発足会議の翌日に設定されている。その内容を研修にスムースに反映させるために事前に聴いておこうという事で、初回の仙台会場は会議オブザーブ&研修実施という2日間の日程でスタートした。

研修初日は、時間管理や受講者の反応確認・質疑対応などが未完成なため、いわゆる「試し斬り」となる。この日も予演会での想定を超えて時間の掛かったコンテンツや予想外に受講者からの質問が多いコンテンツなどが浮き彫りになった。またアウトプット演習のやり方にも改善の余地が見えたりする。

各会場での結果をトレーナー間で共有し、目線合わせをするための食事会が木曜の夜、全員が集合する広島会場で開かれる。我々のペアは前日の岡山から新幹線移動、他のメンバーは札幌会場で後泊後、空路広島入りする。なので初日の仙台から帰京して一夜明けた私は、羽田空港直行で岡山入りする予定でいる。

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先日のBMWメタボ会「Team TAMA発足会」は盛り上がったわ。

私にとってお初のメンバーも多く、ハンドルネームやコメントなどから想像していたイメージ通りの人、イメージを全く裏切ってくれた人など(←誰がそうだとかは書かないけど)、総勢20名以上が飲み放題居酒屋でワイワイガヤガヤ(←なんてレベルじゃなかったけど)。

こういう利害関係なし、マルチジャンルの集まりはいつも新鮮だ。特に今回は都内で果敢に農業を営んでいるHN「お百姓」さんと知り合えた。若手農家の方と直接話をできたのは初めてだったので、とても新鮮だった。機会があればぜひ一度、彼の作品を食してみたい。

それからえ~と、表番がNさん、裏番がPさんで良かったっけ? R君とそにさん、10月10日空けとけばいい? 爆

これを機会にまたまたリレーションシップの輪が広がると思うと嬉しくなる。そうそう、今回は初めて日付変更線直前に帰宅したので午前様にはならなかったぞ。これだとやっぱ朝が楽だわ。

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岡山に着いたら、一緒にフライトしたパートナーのK、同僚のIさんと広島食事会の前夜祭とばかりに、ジモティに人気の居酒屋「黒ひげ」へ繰り出す予定だ。まだ空も明るい。それでもこの時間から始めれば早く終わるだろうからこれでいいのだ。ま、忙中閑ありかな。

とまれ、全国研修ツアーはまだまだ始まったばかりである。





しこたま飲み会と福島行き

私にとっては実に12年ぶりの再会か。

埼玉居住時代、南浦和にある分譲マンション(ウチは賃貸契約)にいた3家族が一昨日の日曜日に顔を合わせた。場所は世田谷区に移住したIさん宅、新築祝いを兼ねた宴会でだった。

Iさんのご主人は決して酒飲みではないものの、熱心なワイン・コレクターで、大型冷蔵庫のようなワインセラーに年代物のワインをしこたま貯め込んでいる。我々のようなノンベがいないと、それがなかなか消費されないという。

ならばワインコレクションの新陳代謝を促進して進ぜようと、先日の金沢出張で買ったフグの卵巣の糠漬けをお土産にカミさん共々訪ねたのだった。

閑静な住宅街。新築の香り漂う広いリビングに設えたダイニングテーブルで宴は始まった。

最初に登場したのはお決まりのシャンパン。国産の甲州種を使ったスパークリングワインだったからシャンパンではないけれど、そんな事はどうでもいい。宴のスタートに申し分のない味わいだった。ここで持参したフグが登場。ノンベでないはずのご主人なのに、こりゃ日本酒しかあり得ないと持って来たのが「西の関」吟醸酒。それが終わると今度は「香露」吟醸酒。この日本酒が後々大変な事になるのだった。

奥さん手製の2種類のサラダで軽く白ワイン(銘柄は忘れた)。さらにナスのグラタン、レンコンとベーコンのイタリア風炒め、まるでビストロさながらの本格煮込み料理などとイタリアのキャンティ・クラシコの上物との相性(マリアージュ)の余韻の長さに驚く間もなく、続いて登場したのは、何とフランス・ポムロームの最上級ワイン「シャトー・ペトリュス」のオーナーが自分のために醸したというプライベート・ワイン。このスムースさと言ったら極上この上ない!

トドメはコニャックだったらしいが、ここまで飲んだ後ではとても飲み切れなかった(ようだった)。序盤の日本酒がしっかり効いている。・・・残念ながら記憶はここまで。同席したWさんのご主人はとっくに寝ていたらしい。さんざん盛り上がって大満足のお開きと相成った。

私もタクシーではカミさんに指示を任せて夢見心地で帰宅したようだが、翌日は後遺症に悩まされたのは言うまでもない。やっぱりもう若くはないんだぞ、と。

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そして今日は、震災以来初めて訪れる事になった福島市。

ここにある大学病院で新製品の説明会をやるのだが、途中の郡山も特段普通の景色のように見受けられたが、ニュースによれば相当量の放射能が検出されているらしい。

福島駅についてエスカレーターに乗ったら、目の前に「原子力保安院」と記されたジャンパーを着た人が! ・・・ただし、あの会見やってるヅラさんではなかった。実は郡山よりも被害が大きいと言われている飯舘村や伊達市により近いここ福島、それを裏付けるような場面だった。地震による地すべりで大きく傾いた家々もあった。

説明会はせっかちな教授に合わせてポイントを絞りに絞ってごく短時間で終了。いいクスリだと思うというコメントも得られ、短時間ながらも成功裏に終わったと思われた。予定の新幹線を遅らせて担当者Sと駅近くの居酒屋で反省会。こういう環境に置かされて活動せざるを得ない苦労や悩みを十分に聞く事が出来た。

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明日は部内のランチョンセミナーの第2回。私が言い出しっぺなのできちんと座長の役目を果たさねばならない。それが終われば、急遽代打で出場する事となった営業スキルアセスメント IN 福岡へ。木曜、金曜の2日間こなせばこれで今週の業務は終了。

体力ありせば、CB1の「サヨナラ高速1000円ツーリング 」にでも顔出そうかな。




今夜は渋谷で盛り上がる

やっぱ日本酒と焼酎の大量注入とバーボンロックのチャンポンは、この歳ともなるとシッカリ残るよな~。

というワケで、すでにこの春卒業してしまった息子の学校の「在京父親の会」という名だが、実は単なるOYAJIの飲み会が今年も開催された。気がつけば、不肖私が幹事を仰せつかった前回から1年が経ってしまっていたが、その間、2月の函館で卒業式出席父兄による宴会もあったし、東日本大震災の影響もあったしで遅れ遅れになってしまったのは致し方ない。

さて今回の会場は、幹事のWさんとジモティのHTさんがわざわざ下見もしたという、渋谷は道玄坂の「弥助」。昭和30年代開業という、今やガキ共の街と化してしまった渋谷で数少ない大人の居酒屋である。

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余裕を持って会社前からタクシーを拾ったものの、運転手の土地勘がどうにもハッキリせず、ついに店があるはずの通りを越してしまい、仕方なく徒歩で向かうハメに。入口でHTさんが待ち構えてくれていた。

参加メンバーはWさんとHTさんに加え、この会の発起人の一人であるHさんを始めとしてFさん、HMさん、SJさん、など、要はいつもの常連メンバー達で、相変わらず坊主頭のSさんが珍しく早く現れた。残念ながら、Oさんが直前の急用で、OUさんは震災後という時節柄、参加を控えられた。

Oさんからは写真のリクエストがあったので、すかさずデジイチを持参した。Wさんはクラシックカメラ展に寄って、なんと40年前のゼンザ・ブロニカを購入して来たと言う。さすがカメラフリーク! でも特殊なフィルムを使うらしく、この日は写真は写せなかったけど。

「とりあえずビール」で乾杯! その後、Wさんが一年寝かせたという「久保田 碧寿」を持って来てくれていたので、全員オチョコでグイグイ。一升瓶が空くまでにさほど時間を要しなかったのは言うまでもない。卒業宴会で差し入れの一升瓶があっという間に空いた時の再現である。最初のうちならこのOYAJI共は間違いなくザルだ。

本日のトークテーマはWさんが口火を切った。題して「マックとジョブスとアーキテクチャ」。どうやらMacPC、iPod、iPad、iPhoneがいかにWindowsよりも優秀か、アップル経営者であるスティーブ・ジョブスのプレゼンと恐るべき戦略性などについて語っていたようだが、彼が熱く語れば語るほど何を言ってるか分からなくなり、初めのうちこそ相づちを打っていたOYAJI達も、最後にはPCに詳しいSJさんを除いて引いて行ったのだった。

よせばいいのに、ここで私がチャチャを入れる。「MacだろうがWindowsだろうが、早い話、大した差もなさそうだし、結局どっちでもいいってコトでしょ」と言うと、「いやいや、そうじゃなくてってさ・・・」とさらに熱が入るから面白い。Wさんの話って、さあ皆さんここでツッコんでくださいね~って言ってるような気がしてならないのは私だけだろうか?

今回もいつものように話が盛り上がり、これまたいつものようにHMさんが眠りに就き、いつの間に芋焼酎が入ったグラスへと変わってアルコール注入量も十分となったOYAJIは蕎麦でシメに入り、店を後にした。続いて一転、ジャズの流れるショットバーにてプチ二次会。飲み物オール500円というこの店で、バーボンロックが空になるまで談笑。ここで何を話したかは例によって覚えていない。

これで本当のお開きとなったが、午後11時近くになり小腹のすいた私は近くでラーメンを食べてから帰路に就いた。今回も大いに盛り上がり、何とか無事に終わった・・・と思う。何せ覚えてない。覚えてないけど、今回も十分楽しかったという事はシッカリ覚えてる。なんのこっちゃ?

もはや息子の学校とは直接の関係はなくなったが、この会はぜひ今後も続けて行きたいわな。

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一夜明けた今朝は梅雨とは思えない快晴&夏日のようだ。

だが、そんな良い天気にも関わらず、カミさんを職場に送ってからは、かねてから予約していた一年点検のためにディーラー指定の整備工場へと車を持って行った。デモカー購入だったので、初年度登録は昨年7月。なので早くも定期点検がやって来たというワケだ。おまけに運転席側のミラー格納用モーターに異音が発生していたため、その対処も依頼したのだが、最近の雨に打たれていたら異音がしなくなったのは・・・?

いずれにしても、3年間の定期点検と消耗品交換フリーのプランなので費用は原則掛からないから、ワイパーブレードなど交換できるものは遠慮なく交換してもらった。ちなみに走行距離は約7000km。

さて、ボチボチ昨夜の写真でも整理しようかな。






GW中日にさしかかり・・・

しょせん10連休だ何だと言ったって、日々の巡る速さは平日と一緒だ。GWももう半分が過ぎ去ろうとしている。

さて、予定通りの全落ちであっさりと大学受験が終わり、今の自分の実力では志望校合格なぞ夢の夢だという現実を思い知ったウチの息子、3月初旬から今の予備校へ通い始めた。最初はカンタンなガイダンスの後、予備校の自習室で自己学習&チェックを受ける日々だった。あの3月11日、車で4時間以上かけて迎えに行った事も記憶に新しい。

予備校にも入学式があるとは知らなかったが、エラそうに京王プラザホテルでやったらしい。その後はクラス選考テストを経て、このGWは「一日10時間合宿」なるものに通っている。合宿と言っても、例の自習室でひたすら問題集を解きまくるのだが、定刻に来なかったら親へメールが飛ぶし、力尽きて寝ていたら優しく起こしてくれるそうな。昔のイメージのような「気合と根性予備校」とはここは違うようだ。

だが、入学金・授業料などでまとまったお金を納めたというのに、この合宿中の自習室使用料が別途必要になるという。講義も無いのに余計な費用を請求するとは何事だ! とは思ったものの、ま、朝から晩までの監視料と考えれば一日2500円もしょうがないかも。

浪人させるのも何やかやとかかるのう。東大合格者に今や苦学生なんて殆どいなく、金持ちの息子が多いというのも本当だわな。

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先日、久しぶりに叔父夫婦に会って寿司屋でご馳走になった。

3年半前、一族打ち揃って彼の息子Yの結婚式のためにはるばる沖縄へ行ったのもつかの間、今度は熊本で二度目の結婚式をやるから出席して欲しいとの事。まぁ、つまりはバツイチの再婚というワケだ。

Yはアラサーで航空機のパイロット、器量も良いのでいわゆるモテるタイプだ。最初の結婚は年上の女性。新居は鹿児島だったのに、パイロットという職業柄か、家を空ける日もあってスレ違い、ついには彼女が大阪の実家に帰ってばかりの状態になっていたとか。一見、誰もがうらやむ職業のダンナに嫁いだとしても、意外や現実はそう甘くないというお話。

今度の相手は会社の同い年の元CAだとか。やっぱパイロットがモテるのはくやしいけど間違いなさそう。付き合って1年くらいだそうだが、二度目の結婚ともなれば、よほどじゃなければ学習効果もあるだろうから、今度はおとなしく尻に敷かれるなりしてしっかり収まって欲しい。

でもこれって、ご祝儀の二重取り? それより夏用の礼服を新調しなくちゃな。

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POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)の岡山メンバー、別名「アーシングの巨匠」しげドン氏。

120kg超級の巨体は立っているだけでランドマークとなり、待ち合わせの目印として便利この上なかったのに、何を思ったか昨年からダイエットを始めた。初めのうちはメンバー達も、そんなにうまく行くはずもなかろうとタカをくくっていたが、先日のmixiの報告によると、何と40kg以上の減量に成功して私の体重に追いついてしまったというのである!

こりゃ~、一大事だ!

GW明けの来週、研修ツアーで岡山に行った夜に彼と会って一杯やる約束をしているが、これじゃどっちがどっちだか分からないじゃないの! いや、ヘタしたらもう追い抜かれていたりして・・・。

というワケで、今私はGWダイエットをしている。意地でも追い抜かせてなるものか。だが彼のダイエット法は食事制限に加えて犬の散歩も兼ねた朝晩のウォーキングというから手強い。対して私は単なる食事制限のみ。ウォーキングやジョギングなどの運動はハナからやる気がないから、楽な代わりに効果はあまり期待できない。

予定通りに研修ツアーが行なわれれば、彼との再会は12日の夜。イザ勝負だ~!






お一人様でモーニング

先日、CB1メンバーのブログでよく出てくる「コメダ珈琲店 平塚田村店」にオフ会の流れでなだれ込み、名古屋勤務時代に行った本場の店と殆ど変わらないたたずまいにとても嬉しくなった。ついつい時間の経過を忘れさせる雰囲気で、ここならモディ番長の営業活動もさぞ盛り上がるワケだなと。笑

東方進攻著しいコメダの事だから、家の近くにもあるのかとサーチしたら、最寄りの店は板橋区四葉にあるらしい。他には足立区竹の塚と三鷹市上連雀。どれも街道沿いにあって駐車場完備なのは同じで、今後、お気に入りのエッグサンドやシロノワールなどが恋しくなったらノンビリしに行ってみようかと思っている。

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コメダ以外にもお気に入りの場所がある。

私の休日などにカミさんを職場まで車で送って行った後、時間で言うと10:30近くになるのだが、朝食がてら立ち寄るのがロイヤルホストだ。1Fの駐車場の一番出入りしやすい「31番」に車を入れ、読みたい雑誌を手に階段を登って店に入る。出迎えた女性スタッフにアイコンタクトを送って、案内される前にさっさと窓際の席に座って準備完了。

オーダーはとっくに決まっていても、女性スタッフがせっかく持ってきてくれたメニューなので一応開く。その後、おもむろにドリンクバー付きのモーニングプレートをオーダー、トーストは薄いヤツで決まりだ。腹のヘリ具合で目玉焼きや海苔、小鉢などがセットされた朝定食の時もある。

料理が来る前にまずは一杯ドリンクを飲みながら雑誌を開く。やがて料理が到着しても読みながら、食べる。食べながら、読む。これこそ広いテーブルにお一人様の特権である。2Fにある店は明るい日差しが降り注ぐ。食事が終わってもドリンクバーがあるので、ゆっくりと雑誌を読み終える事ができる。

さて、読書タイムが終われば今度はカーウォッチングタイムだ。眼下に見えるはカーディーラーが群雄割拠する新目白通り。リッチ層も多いエリアなので、しばらく見ているとさまざまな車が走ってくる。ベンツ、BMWは言うに及ばず、VW、アウディ、プジョー、ジャガーなどが国産車に高濃度に混じって走っているのもここでは普通の風景だ。ちなみに今日は、何とポルシェ・パナメーラ(ごく普通のシルバーで、いつぞや見たアニメデコは貼ってなかった)が実に優雅に走り抜けて行った。

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こうしてノンビリしていると、他の客の様子がイヤでも目に入って来る。

ロイヤルホストでは、ドリンクバーの最初の一杯をスタッフが持って来てくれるというサービスが知らないうちに出来たらしい。それを若いバイトの女の子が言わなかったらしく、「何であんな子を使うんだ。使ったらイカンだろうよ」とベテラン女性スタッフへイチャモンをつけ、店長らしき男性スタッフが謝りに来ても「俺の言ってる事、間違ってるか?」などと、さらにクドクド文句言ってる個人経営らしい土建屋社長。

どうやら年配の男性の採用面談をやってるようで、「あんた、道具を持ってなけりゃ職人じゃないだろ」などと相変わらず居丈高に同じセリフを5回は繰り返す。採用面談ならドリンクバーにイチャモンつけてる場合じゃなかろうに。今度はイチャモンにビビッた店長、「ドリンクバーのお替りはいかがですか?」などと言って来る始末。おいおい、そこまでのサービスはマニュアルには載ってないはずだろ。

ジジババと親夫婦、それに2人の子連れでやって来た家族。テーブルを2つ合わせて作らせたテーブルに着くなり話が弾む。なぜか全員がよく通る声の持ち主で、会話がたちまち店中に響き渡る。それが今まで静かに車を見ていた私の横だったからタマらない。さすがに目立ち過ぎたと感じたのか、時折上がる子供達の歓声には「シーッ」。

オーダーを取りに来た男性スタッフに母親が「ここのパスタ最高! ね、そうでしょ?」などと意味の分からないヨイショ連発。でも、世代を超えて盛り上がってる会話はイチャモンなどよりよっぽど楽しい景色である。

お一人様の隠れ家。いくつか持っていたら、それだけでも幸せ気分だな。






雪、でした

2、3日前の寒波の戻りの時はみぞれ止まりだったが、今日はマトモに雪が降っている。やはり自然の帳尻合わせはキチンとやって来るモンだ。ご多聞に漏れず、東京もこのあたりの時季に一度は雪が降る。

こんな日に限って息子の受験日だったりする。中高6年間のぬくぬく寮生活で緊張感を喪失した息子に、今さら大学受験に対する危機感などあろうはずもない。さりとて推薦入試も一芸入試も出来ないのだから、親としても現役合格の可能性はとても期待できない。それでもヘタな鉄砲数撃ちゃ当たるで、あわよくば一校でも合格できたら超ラッキー、てなモンである。

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さて、雪と言えば白、白と言えば白髪である。(←なんのこっちゃ!)

私の白髪が目立つようになったのは6~7年前の40代後半あたりだったから、普通の人よりも遅い方だったように思う。もともと髪の毛が細く猫っ毛の直毛で、放っておくとペシャンコになり前髪がパラパラ落ちてしまうほどだった。だから若い頃は髪の毛を固めるための整髪料、その後はクセ付けのためのパーマを常用していた。

やがて髪の毛の量が減っていったのに併せてパーマは止め、ヘアスプレーを現在まで愛用している。そして髪を染めるようになった。生来の童顔もあって、初対面のほとんどの人からは実年齢よりも若く見えると言われ、そう言われる事が嬉しいと思えたからである。

だが、それも面倒に思えて来た。私の場合、散髪に行くのはふた月に一度程度だが、そのたびに白髪染めのヘアダイをお願いする。通常のカットが終わると、ネチョネチョと染色剤を塗ったくられた頭をサランラップで覆われ、そのまま遠赤外線で20分くらい炙られるだろうか。パーマの時もそうだったが、この時間がどうにもいたたまれないのだ。

すべては若い黒髪に戻るためガマンガマンと言い聞かせるのにも飽きて来た。また、染めた髪が脱色して来ると赤茶けるが、これがまた見苦しい。伸びた白髪とのコントラストは時に不気味でさえある。そのせいかどうかは知らないが、会社には30代から委細構わずあるがままの真っ白一直線や歳相応にロマンスグレーという同僚が何人もいる。

「オレもそろそろ年齢に抗うのではなく、寄り添ってもみようかな」

ボチボチ散髪に行くタイミングなのだが、果たして床屋の看板娘のあの娘に向かって「今日からはカットだけで結構です。これからはあるがままに、Let It Beでいきますわ」と言ってしまえるだろうか。

ハタから見ればど~でいい些細な事に違いないけど、まだちょっと逡巡していたりする。

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降ってる雪がかなり細かくなって来た。もうじき息子の試験が始まる時間だ。






鎮魂

長らく音信不通だった人の突然の訃報

遠く離れた地にいる私にはなすすべも無く
知らせの重さにただただたじろぐばかり


暮らしぶりは華やかでも賑やかでもなかったとか
せめて希望くらいは抱いて生きていたはず

かなわなかったのは希望を捨てたから
それとも希望に捨てられたから


死んだ人は星になるという

なれるあなたは報われるのかもしれないが
これから悲しみに向き合わされる人もいる

星は黙って見ているだけかい


サヨナラだけが人生さ
それなら出会いは何のため

生まれる時も死ぬ時もしょせんは独りさ
それなら生きるは誰のため


星に向かってバカヤロー

星に向かって安らかに

星に向かってさようなら





またひとつ・・・

もはや嬉しくも何ともなく、むしろ定年という名の強制リタイアまでのマイルストーンの意味にしか過ぎない誕生日。今年もその日がやって来てしまった。せめて若いと言い張れるのが精神年齢くらいになったのも寂しい。

誕生日といえばお祝いの言葉だが、そもそもこれは何に対する言葉だろうか。もちろん、ここまで生きて来た自分に対してという場合もあるが、本来はこの素晴らしい命を授けてくれた母に対する感謝の言葉を言うべきではないだろうか。それに気づいた時、僕は母に電話して「私を産んでくれてありがとう」と言い、母は「私のところへ生まれて来てくれてありがとう」と言った。

先日読んださだまさしのエッセイにこんな意味の文章があった。

心洗われる思いがしたものの、自称江戸っ子の私はとてもじゃないがこんなセリフは吐けない。せめて心の中でそっと呟くのがせいぜいだろう。ともあれ、私は今日で都合53年生きた事になる。

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函館の学校に戻ってセンター試験を受験した息子が帰って来る前にと、今宵の晩餐は誕生日祝いを兼ねて、昨年暮れに行ってカミさんも気に入った曙橋の「天ぷら 荘司」へ。

ここは、高田馬場の料亭で修行した主人が奥さんとやってる店で、天ぷらコースの合間に和食の小料理が出るという面白い店だ。今日が私の誕生日だと告げたら、香住産の香箱蟹のジュレ添えをサービスしてくれた。そのあまりの美味さに、それまで飲んでいた赤ワインとは別に純米酒のぬる燗を注文してしまったほどだった。やっぱ蟹は日本酒でしょ!

今回の天ぷらコースは車海老から始まって、サラダ玉ネギ、アオリイカ、秋田産白南瓜、そして身も太く香ばしくカリカリに揚がった絶品の活アナゴへと続く。追加オーダーで、これも絶品のホウボウの胡麻蒸しを挟んで締めのこれまた香ばしいカマスの炊き込みご飯へと至福の時は流れたのだった。デザートも杏仁シャーベットという変わりダネ。いや~、今宵もカミさん共々大満足じゃ~!

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さて、来週からは成田のホテルで始まる中途入社者のための製品研修が控えているが、本日、厚労省からその製品の新たな適応が承認された。これで術後の深刻な合併症に対する予防から治療に至るまで同じ成分の製剤でカバーできるようになった。何はともあれ、おめでとう!

この承認結果を踏まえた研修用のスライドは当然まだ未完である。だから明日、明後日は自主休日出勤できちんと完成させなければならない。ま、これも覚悟していた仕事だし、第一、コンテンツが無ければ研修が始まらないのだからしょうがない。

せいぜい、誕生日を迎えてまた一つ老朽化した身体にムチ打ってぐわんばろーかい!






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Chaie<チャイ>

Author:Chaie<チャイ>
最初のWebsite開設は2001年のクリスマスのことでした。その後、紆余曲折を経てこのBlogへ引越して今に至ります。これからも日々の記録とさまざまなテーマについての意見や感想などを屁理屈コラム日記風に綴りたいと思ってます。

生まれも育ちも東京の下町です。東京タワーやチキンラーメンと同い年なので結構生きてますが、せめて精神年齢くらいは若いつもりでいたいなと。

自称「日本酒のソムリエ」のつもりでしたが、検査値との闘いの末に禁酒に踏み切り、それ以来かなり普通の生活を送ってます。

下手なアコースティックギターやウクレレを弾いて70年代フォークを弾き語ったりするのが大好きです。遂に40年来の憧れだったMartin D-28Mと80年代製のKamaka HF2などの弦楽器に囲まれる生活となって幸せです(^^)

もうひとつの大好きはコンパクト欧州車! プジョー乗りのサークル「POOB(プジョー太平洋OYAJIベルト)」の関東地区元締めなるものをやってます。

実は、足掛け10年乗って来た愛車「プジョー206XS」のミッショントラブルにより箱換えを余儀なくされ、ここでも紆余曲折を経て2010年から「BMW120iCoupe」を新たな愛車としました。

そしてさらに10年経って取り巻く環境も変化し、4枚ドアとペーパー息子のために安全装置付きのクルマの必要性が。偶然出会った「MAZDA3 FB 20S Burg-S PMG with SIG-S」を2020年から愛車に迎えました。

現役時代は某企業でプロフェッショナルな社内研修職人を目指して定期的に全国を飛び回ってましたが、2nd Stageは頼れる薬局のOYAJIを目指したいとDgSで張り切ってます。

2013年から膀胱がんサバイバーを継続してます。無病息災よりも一病息災くらいがちょうど良いのかもしれません。

とか言ってたら、2020年に肝がん発生。予防接種からのHBV感染〜暴飲暴食からの脂肪肝〜部分的な肝硬変と来ていたので特に驚きませんでした。最期は肝臓だなと覚悟も決めてたし(^^;)

幸いこれも早期で表層だったため、切除手術を経て無事に終わりました。これで「ダブルがんサバイバー」の誕生です(^^)

愛と情熱を持ってはっきりモノが言える「熱きガンコジジイ」になりたい!

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